土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

蓮華寺、洛北のもみじ名刹。

2015年05月29日 | 京都の古寺巡り



(2015.05.23訪問)


エントリーが後先になりました。今日は先に蓮華寺を訪ねていたんです。
池泉観賞式庭園を前に書院から静かにお庭を観賞、日頃の喧噪を一時忘れて、閑かな世界に浸ってみる。
そんな柄にもナイこと、一度は思ってみたいもんです。
書院には先客がお一人、静かにお庭を見つめられていました。声をかける隙のないお姉さんでした。



         ▼寺石標。





[ 蓮華寺 ]
●山号 帰命山 (きめいさん)
●寺号 蓮華寺 (れんげじ)
●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
●再興 今枝民部近義 (いまえだちかよし)
●再建 寛文二年 (1662年)
●本尊 釈迦如来像
▲京都市左京区高野八幡町 電話 075-781-3494 
▲拝観料 400円、御朱印300円
▲拝観時間 9:00~17:00
▲叡山電車八瀬行 三宅八幡駅下車徒歩5分。
出町柳から京都バス大原行き 上橋下車スグ。

[ 蓮華寺縁起 ] (蓮華寺散華から抄出)
蓮華寺は、元西八条塩小路附近にあった浄土教系の古寺で、応仁の乱後荒廃していたのを、寛文二年加賀前
田家老臣今枝民部近義が祖父重直の菩提のために、この地に移し再興したものである。



▼民家に挟まれた小径、参道です。





▼創建当初のままの山門です。





▼鐘楼堂。宝形造、檜皮葺、側面に格子が嵌る鐘楼、創建当初の姿を残しているそうです。





▼創建当初の姿そのまま、屋形の井戸。





▼山門を入った左奥に約三百体の無縁石仏。散らばっていた石仏が掘り起こされここに集められたそうです。





▼山門から一直線、かの有名な紅葉トンネル石畳の参道。正面庫裏入口が拝観口です。





▼参道右手にいつ壊れてもおかしくない土蔵があります。何が入ってるんでしょうか。





▼受付を済ませ庫裏から仏間を通りぬけるとすぐ書院の間。床と違棚。実にシンプルな設えです。





▼先客がお一人おられます。





▼放生池を囲む池泉観賞式庭園、お庭に降りることは出来ますが、回遊は出来ません。





▼視角をかえて書院からお庭を眺めてみます。





▼池に覆い架かる青もみじ。見た目はもっともっとキレイです。





▼書院から本堂を見ます。





▼この青もみじも凄いです。見た目はもっともっとキレイです。





▼石橋を結界に対岸を彼岸浄土、こちらを此岸と作庭者は考えたと伝わるそうです。





▼この本堂も創建当初の姿を残しているそうです。





▼蓮華寺再興に一肌脱いだ石川丈山筆になる本堂扁額。石川丈山は詩仙堂の開山です。





▼本堂須弥壇。中央には立派なお厨子が、お厨子内には本尊釈迦如来像が安置。





         ▼本尊左側に阿弥陀如来坐像が祀られています。





▼天井の龍図。昭和五十三年 (1978年) 仏師西村公朝さん画。





         ▼傘が急勾配、茶人好みの「蓮華寺型燈籠」が本堂前に。





▼本堂から書院を見ますが板渡しの通路がねぇ?





▼本堂横には一面の苔庭と青もみじ。池泉庭園とはまた一味違います。





▼池を覆う青もみじ。見た目はもっともっともっとキレイです。





こちら洛北蓮華寺、誰もが認めるもみじの名刹ですネ。
「ミドリ真只中、青もみじが初夏の陽光に濃い緑の影を静かに落とし」を期待して訪ねたのですが、
思うようには行きませんワ、お天気と○○○○は。 ○○○○とは口が裂けても申せません。
↑ヘタな写真の言い訳でした。





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栖賢寺、知る人ぞ知る素敵なお寺です。

2015年05月26日 | 京都の古寺巡り



(2015.05.23訪問)


蓮華寺に大和路号を置いて、次は三宅八幡か崇道神社にしようか思案しつつフラフラ歩いていると小川の
向こうに石碑発見! 初めて聞く名前、栖賢寺と刻されています。取りあえず訪ねてみようということで、
民家の間の小径を進んでゆくとありましたよオシャレな枝折戸、中を覗くと広~いお庭が見えます。



▼ふと横を見るとオシャレな小さな川が流れてるじゃありませんか。

 



[ 栖賢寺 ]
●山号 朝崇山(ちょうすうざん)
●寺号 栖賢寺(せいけんじ)
●開基 赤松範資(あかまつのりすけ)摂津守護職
●開山 竺堂和尚(じくどうおしょう)
●開創 応安~永和年間(1368~1379年)
■上記兵庫尼崎に在した栖賢寺は明治初め廃寺となり、その後間宮英宗和尚、山口玄洞の奉賛喜捨を受け
 昭和七年(1932年)京高野の地に再興再建した。
●宗派 臨済宗大徳寺派(りんざいしゅうだいとくじは)末寺
●本尊 如意輪菩薩坐像
▲入山料 境内自由 駐車場なし
▲京都市左京区上高野水車町22 
▲京阪「出町柳駅」から叡山電鉄「三宅八幡駅」下車 
 三宅橋を渡り367号沿いに歩き、蓮華寺を通過、崇道神社も通過、少し行くと小川に架かる小さな石橋
 があり、左住宅前に寺標が建ってます。判りにくいですが注意して見つけてください。367号は大原行
 きでいつも通っていますが、いままで全く気が付きませんでした。



         ▼その向こうに傘付き寺石標が建ってます。





[ 栖賢寺縁起 ] 昭和七年発行の「間宮山栖賢寺と千人鐘」冊子から抄出
十四世紀室町時代初め、摂津守護職赤松範資が尼崎の地に臨済宗南禅寺の僧、竺堂を請じ開山の祖とし創
建。その後織田と荒木の兵乱兵火で境域焦土と化したが、慶長年中に再興、明治六年まで法灯をともすが
住持謙宗和尚遷化後、頽廃廃寺となる。昭和三年間宮英宗和尚が実業家山口玄洞の喜捨を受け昭和七年春、
洛北高野の地に移転再興した。



▼民家の間のクランク状の小径を行くと、
 質素な枝折戸が正面に、まさかこれが山門じゃなかろうと、右を見ると……。





▼石畳の参道が……。





▼表門です。「拝観寺院ではありません」の木札が……。





▼表門を入り右に庫裏書院風の立派な玄関が、しかし錠が……。
 無住寺か人の気配が全くありません。





▼左に回りますと南面と西面には総ガラス障子がはまってます。相当大きな建物のようです。





▼西側に大きなお庭が広がってます。正面石垣の高台にお堂が見えます。



右方奥の石段から作務衣の方が降りて来られるのが見え、ちょっとお話を……。
無断侵入をお詫びし暫く立ち話を……。



▼金鳳閣。野面積みの石垣基壇に建つ瀟洒な重層のお堂。開山堂です。
 一間四方宝形造、銅板葺。初層、上層とも勾欄付き。





▼下からあおるとこんな感じ。





▼テッペン露盤には宝珠代わりに鳳凰が南向きに立ってます。要するに金閣銀閣風設え。





▼鐘楼。





▼昭和六年六月鋳造の千人鐘梵鐘。1164名の寄進により鋳造されたので千人鐘と名付けられたそうです。
 重量六百貫匁、高さ五尺六寸、口径三尺三寸。京都市本町高橋鋳工場鋳造。
 「間宮山栖賢寺と千人鐘」から



千人鐘寄付芳名として1164名の名が鐘内に刻されているそうですが確認は出来ませんでした。



▼如意輪堂(観音堂)。





▼如意輪堂の正面。紙が貼ってました「帰るとき障子は必ず閉めて下さい、猿が入るので」





▼須弥壇中央には本尊が光ってます。





         ▼正面から本尊如意輪観音菩薩。キラビヤカな新しい造像と思われます。





▼下の書院からの渡り廊下。





▼ちょっと角度を変えて、矩形の廊下ですネ。





         ▼金鳳閣のすこし下方に再興栖賢寺初代住職間宮英宗和尚の墓。





         ▼大きな樽型相輪の石塔が庭園を見下ろしています。





▼お庭に戻ってきました。相当広い庭で、境内は1000坪あるそうです。





▼こんな穴ポコを見つけましたがなにか判りません。





         ▼お庭南西隅に十三重石塔、胴の四面には梵字が刻されています。





▼故住職は相当風流者らしく残照亭という茶室が残っています。キレイに管理されていますが使われてい
 ません。










如意輪堂で先ほどの作務衣の僧としばらくお話を。
この方はこのお寺の住職ではなく、日々の管理のために一人で泊まり込んでるそう。自虐的に無給のボラ
ンティアだとおっしゃってましたが、ご本人は勿論僧籍ですが住職資格を大徳寺で取得せず正式には住職
ではないそうです。前住職が亡くなられたあと大徳寺からは住職を派遣してこないので実質的には無住寺
だそうです。

栖賢寺は観光寺院でないため、外から寺観も窺えず、当然訪れる人も少なく、檀家、お墓も無く早い話無
収入、経営的維持管理の疑問には言葉を濁されましたが、陰の大檀那がいるのでしょうキット。でないと
これだけの……。
お隣の蓮華寺の盛況を横目に、今、拝観観光寺院にしても、とても運営は出来ないとおしゃってました。



         ▼最後にご本尊のアップを





フ ロ ク
戴いた昭和7年5月10日印刷の小冊子、83年前のお寺ガイドです。全52ページの一部をご紹介します。



















どうです、昭和初期の香りしませんか。写真も文字も表現も。



▼それではお庭の南の枝折戸から失礼します。             





街中の隠れ寺そんな印象の知る人ぞ知るイイお寺です。                    合掌




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中之島バラ園 第2弾

2015年05月24日 | 花巡り



(2015.05.20訪問)



▼中央公会堂前の入り口。ボクの出口です。





お昼過ぎに行ったんですが、なんとまあバラ園大盛況!
お天気上々、バラも人も満開です。
難点は川中島、風が強くてピン待ち、シャッター待ちで時間がかかってしゃーないですわ。
難点もう一つ。やっぱりいました、ド厚かまのデジいちおばさんカメラマン!



▼バラ園の中央付近です。中央のおネーサン、ず~っとスマホタイム。






▼オフェリア






▼マリリン モンロー






▼フーペルネデュッセ






▼オルレアン ローズ






▼マリア カラス






▼ホワイト クリスマス






▼デンティ ベス






▼昭和のお嬢さ~ん、あんまり近づくと棘痛いよ~






▼フレンシャム






▼レッド ゴールド






▼ジャルダン ドゥ フランス






▼アンドレ ル ノートル






▼ディスティニー






▼レッド プラネット






▼フレグラント アプリコット






▼人が少ないように感じません? ところがどっこいですよ。






▼ハニー ブーケ






▼ニュース






▼オードリー ヘップバーン






▼マグレディス イエロー






▼マチルダ






▼ラブ






▼オーナードゥバルザック






▼ザ マッカトニー ローズ 今日の最高に可愛いバラ、せめて名前だけでも覚えとこ。






▼バラ園のほぼ東端です。






▼ムーン スプライト






▼クリスビー’89






▼チャールストン






▼ジーナ ロロブリジーダ






▼セント セシリア






▼アストリッド スペース ストライプド






▼アンバー クイーン






▼難波橋から東を見てます。ボクはいつもこちらからの入園です。




中之島バラ園 第2弾 オ シ マ イ

第3弾はもうないと思います。




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比叡山延暦寺横川、角大師の素顔とは。

2015年05月22日 | 滋賀の古寺巡り



(2015.05.16訪問)


幾多の天台名僧が選んだという修行の地横川、西塔から奥比叡ドライブウェイを北へ横川地域へ向かいます。
相変わらず憎たらしいシトシト雨が降ったりやんだり、霧靄がドライブウェイを覆って来たり、消えたり…。
対向車のライトが見えるとホッとしつつ下ること約15分、パッと開けた駐車場が見え横川到着です。参拝の
方々はあまり見当たりません。
         
▼まるで奈落に向かってるような……。

 



[ 比叡山延暦寺 ]
●山号 比叡山(ひえいざん)
●寺号 延暦寺(えんりゃくじ)
●開基 伝教大師最澄(でんきょうだいしさいちょう)
●開創 延暦七年(788年)
●宗派 天台宗総本山(てんだいしゅう)
●本尊 薬師如来立像(秘仏)東塔根本中堂にお祀り
▲入山料 東塔、西塔、横川の三地域共通入山券700円 駐車場無料
▲拝観時間 東塔地区 8:30~16:30 (12月、1月、2月は時間は変わります)
      西塔、横川地区 9:00~16:00 (12月、1月、2月は時間は変わります)
▲滋賀県大津市坂本本町4220 Tel.077-578-0001
▲http://www.hieizan.or.jp/
▲1994年「古都京都の文化財」としてユネスコ世界遺産に登録
▲JR「京都駅」からJR湖西線「比叡山坂本駅」江若バス「ケーブル坂本」坂本ケーブル「延暦寺駅」徒歩8分
 京阪「三条京阪駅」から京阪京津線「浜大津駅」京阪石山坂本線江若バス「ケーブル坂本」坂本ケーブル
 「延暦寺駅」徒歩8分
 京阪「出町柳駅」から叡山電鉄「八瀬駅」八瀬ケーブルロープウェイ「比叡山頂」シャトルバス「延暦寺
 バスセンター」
▲横川地域へは延暦寺バスセンターおよび西塔からのバスを利用できます。


▼拝観受付を済ますとすぐ、横川中堂が見えてきます。





[延暦寺横川縁起] 元三大師堂HPより抄出
比叡山横川は、比叡山のなかでも最も北に位置し、修行の地にふさわしいまさしく深山幽谷の地。慈覚大師
円仁様が日本天台の根本経典である法華経八巻を納められ、比叡山横川の歴史がはじまりました。
天長三年(829年)のことでした。



▼変な空模様でも横川中堂の朱は映えてます。





▼特徴的な懸け造りの下を通り正面へと回ります。





▼横川中堂。横川の中心伽藍。嘉祥元年(848年)三代座主慈覚大師円仁さんが首楞厳院(しゅりょうごんいん)
 として建立。
 桁行九間、梁間七間、入母屋造、銅板葺、鉄筋コンクリート造。昭和四十六年(1971年)再建再興。





         ▼入口正面に黄金の聖観音さんが迎えてくれます。





▼本尊聖観音菩薩立像(重文)。像高170cm、榧材寄せ木造、平安藤原期。
 堂内南向きに内陣の須弥壇が一段下がって設えられて、正面に本尊聖観音菩薩立像がお立ちです。
 本尊は正面から拝観はでき、やや腰を捻り裳の揺れが僅かにあるようで動きの感じは受けますが、お厨子
 前面のガラスの映り込みなどで詳細はわかりませんでした。





▼堂内を一周します。壁面には奉納された観音小像がところ狭しと。





▼横川中堂から東に参道を行くと立派な鐘楼。工事囲いがされてますので、修理に入るのかも知れません。





天台宗中興の祖とされている、第十八代天台座主、慈恵大師良源さんのお堂へ行きましょう。

▼元三大師堂への参道です。





▼霧靄の演出が幽玄の世界を醸して……、元三大師堂の山門。





▼元三大師堂(四季講堂)。承応元年(1652年)て再建。
 叡山堂塔伽藍の整備や教学的隆盛を図り天台宗中興の祖とされている、第十八代天台座主、慈恵大師良源
 (元三大師)さんの住房だそうです。良源さんはおみくじの創始者で、全国元三大師信仰の中心拠点です。
 慈恵大師良源さんは一月三日に遷化されたので「元三大師」と世に称されているんです。





         ▼元三大師と書かれた大師堂扁額。





▼お堂正面、中に見える障子戸内は内陣。
 祈祷、回向、おみくじなど相談者のみが内陣への入堂が出来ます。





▼いろんな奉納額が掲げられています。





         ▼山門の横に建てられている「元三大師と角大師の由来」石碑。



大師は疫病流行の難儀を救済しようと、鏡前で禅定に入ると大師の姿が鬼の姿に変わった。弟子が写し取り
お札にして各戸に配り戸口に貼ると一切の厄難が退散した。それ以来このお札を「角大師」と称し魔除けの
護符として崇められている」ということが書かれている石碑です。



▼その護符がこれです。一枚500円、高いか安いかは結果を見て……。
 帰って「玄関に貼ろか」とうちの奥さんにいうと、「アンタの部屋に貼っとき」と云われました。





         ▼もう一つの石碑。





浄土信仰発祥の地へ行ってみましょう。

▼恵心僧都源信の舊跡。
 座主良源さんに師事した恵心僧都源信さんはここに籠り、仏道修行やかの「往生要集」を著述、浄土教の
 基礎を築いた名僧です。





▼美しい三間四方、宝形造りのお堂です。





北端の杣道を通り、元三大師廟に。

▼かなり荒れ道沿いに大師の御廟が祀られています。これは拝殿(だと思います)。
 ユニークな拝殿、桁行四間、寄せ棟の窓のないお堂、内部は判りませんが、向拝が右寄りに一間が付く変
 なお堂。実は拝殿というのはボクが思うだけで実際は判りません。





▼玉垣に囲まれた御廟です。





▼これが本当に良源さんの墓標なのか、宗祖廟と中興祖の廟、この大きな違いは何なんだろう。





▼横川中堂に対面する小高いところに建つ朱が美しい根本如法塔。穴太積み基壇に建つ多宝塔。
 三代座主慈覚大師円仁さんが自ら書写の法華経を納める宝塔が起源。横川発祥の聖跡でもあるそう。
 大正十四年(1925年)再建。





▼横川中堂でいただいた御朱印です。





比叡山横川の地は東塔、西塔地域と違って叡山に幾多ある谷筋の一所、相当下ったところにあります。円仁
さん良源さんや源信さんなど天台名僧が修行の地として選んだ鬱蒼樹林に囲まれた峻厳な聖地、名僧が籠っ
た修行の地を今ボクたち現代人が歩いても、信仰と祈りの空間イメージは悠久の時を経た現在、往時を偲ぶ
ことは中々出来そうにないように思えます。



▼帰り道まだドライブウェイは靄っています。山中越を京白川通りまで下ると青空でした。







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比叡山延暦寺西塔、霧靄掛かり。

2015年05月18日 | 滋賀の古寺巡り



(2015.05.16訪問)

さて魅入られたように毎土曜日雨模様の中、比叡山延暦寺へ。
弘法大師空海さんと並び称される伝教大師最澄さん開基の比叡山延暦寺は、比叡山全域を境内とする広大な
寺域のお寺です。先週は高野山、今週は比叡山と両雄が眠る両山は今日も雨、特に今日の雨はシトシトそぼ
降り、ガス状の霧靄が覆っては消える一見森厳な山塊の神秘的景観を呈し、濡れながらも山岳寺院を巡って
いる実感を受けます。
延暦寺へは数度訪ねていますが、東塔地域ばかりで西塔、横川地域は知りません。
よって今日は東塔はパス、大和路号は先ず西塔へ向かっています。
         


▼参道から見る、あの弁慶が担いだという「にない堂」

 



[ 比叡山延暦寺 ]
●山号 比叡山(ひえいざん)
●寺号 延暦寺(えんりゃくじ)
●開基 伝教大師最澄(でんきょうだいしさいちょう)
●開創 延暦七年(788年)
●宗派 天台宗総本山(てんだいしゅう)
●本尊 薬師如来立像(秘仏)東塔根本中堂にお祀り
▲入山料 東塔、西塔、横川の三地域共通入山券700円 駐車場無料
▲拝観時間 東塔地区 8:30~16:30 (12月、1月、2月は時間は変わります)
      西塔、横川地区 9:00~16:00 (12月、1月、2月は時間は変わります)
▲滋賀県大津市坂本本町4220 Tel.077-578-0001
▲http://www.hieizan.or.jp/
▲1994年「古都京都の文化財」としてユネスコ世界遺産に登録
▲JR「京都駅」からJR湖西線「比叡山坂本駅」江若バス「ケーブル坂本」ケーブル「延暦寺駅」徒歩8分
 京阪「三条京阪駅」から京阪京津線「浜大津駅」京阪石山坂本線江若バス「ケーブル坂本」ケーブル「延
 暦寺駅」徒歩8分
 京阪「出町柳駅」から叡山電鉄「八瀬駅」八瀬ケーブルロープウェイ「比叡山頂」シャトルバス「延暦寺
 バスセンター」徒歩0分



▼渡り廊下を挟んで左常行堂、右法華堂。





[比叡山延暦寺縁起] 延暦寺HPより抄出
この山を本格的に開いたのは、伝教大師最澄上人でありました。最澄は延暦七年(788年)薬師如来を本尊とす
る一乗止観院(現在の総本堂、根本中堂)を創建して比叡山を開きました。最澄が開創した比叡山は、日本の
国を鎮め護る寺として朝廷から大きな期待をされ、桓武天皇時代の年号「延暦」を寺号に賜りました。



▼弁慶が担いだにない堂渡り廊下。
 法華堂、常行堂という同形二堂が桁行四間、梁間一間、唐破風造の廊下で繋がっています。





▼法華堂(重文)。四種三昧のうち法華三昧を修す普賢菩薩を本尊とするお堂です。
 桁行五間、梁間五間、宝形造、栩葺、正面一間向拝付。文禄四年(1595年)建立。





▼常行堂(重文)。四種三昧のうち常行三昧を修す阿弥陀如来を本尊とするお堂です。
 桁行五間、梁間五間、宝形造、栩葺、正面一間向拝付。文禄四年(1595年)建立。





▼釈迦堂への参道をふと振り返るとにない堂の渡り廊下が見てる間にガスに包まれてゆきます。





▼釈迦堂参道石段。





▼参道を下る途中左に恵亮堂。





▼恵亮堂。大楽大師恵亮を祀っています。
 恵亮は平安前期の天台宗僧で大楽大師と呼ばれたそう。円仁から三部大法の灌頂を受け、清和天皇を護持。
 清和天皇(惟仁親王)が惟喬親王と立太子を争った時大いに清和天皇を護持、洛東の妙法院で亡くなる。





         ▼円戒国師寿塔。
         近江国坂本西教寺を再興、天台真盛宗の開祖真盛の生前塔。





▼釈迦堂が見えてきました。相当ガスってるようです。





▼釈迦堂(重文)。本尊釈迦如来。西塔の本堂、転法輪堂、西塔中堂とも呼ばれる。
 内陣は一段低い土間、土間中央に宮殿があり、本尊を安置する。根本中堂と同じ形式。
 桁行七間、梁間八間、単層入母屋造、栩葺形銅板葺瓦棒付。



承和元年(834年)二代座主円澄が創建、延暦寺最古建物。
元亀二年(1571年)の織田信長の焼き討ちにより焼失、文禄四年(1595年)豊臣秀吉の命により三井寺園城寺
の弥勒堂を移築。



         ▼樹々を通して釈迦堂を見ると…。





▼釈迦堂外陣。右側が内陣。「内陣に向かって写真は駄目ですよ」と念を押されました。





▼ますますガスが降りて来ました。





▼釈迦堂前庭に坊主頭の作務衣集団が何やら説明を聞いています。





▼坊主頭の集団は左側通行で整然とにない堂へ向かって行きます。
 集団は仏教大学の学生諸君でありました。研修に来てるそうです。





         ▼釈迦堂前の杉の大木。





▼手水舎。





▼一瞬の静寂。





▼鐘楼もガスに包まれています。





▼十二脚の堂々の鐘楼。にもかかわらずいささか可愛い梵鐘が。





         ▼研修修行道場の近くに若山牧水の歌碑。
         比叡山の 古りぬる寺の 木がくれの 庭の筧を 聞きつつ眠る





▼釈迦堂の左奥からのぼり参道が付いています。





▼相輪橖へ続く参道。





         ▼途中2mはあるでしょうか十一面観音石仏がポツンと。





▼若々しいお顔、笑みが漏れているようですネ。





▼なおも参道が続きます。





▼道しるべが立つ辻に出ました。左の路を辿ります。





         ▼ガスに包まれる相輪橖(そうりんとう)(重文)。
         多宝塔の相輪部を立てた塔。
         塔高10.70m、青銅製、法華経、大日経を納めてるそうです。





先ほどの辻に戻り、真ん中の杣道を行くと。

▼これまた小さなお社がポツンと、六所社です。





         もう一度辻に戻り右の杣道を行くと行き止まりの小さな平地に、

         ▼弥勒石仏。
         信長の比叡山焼き討ちによる損傷で相当酷いことになっています。
         像高205cm、比叡山石仏で最古、鎌倉時代初期。

 



それでは拝観受付まで戻り比叡山一の聖域、最澄さんご廟浄土院へ参りましょう。
浄土院は東塔地域に属するそうですが。

▼拝観受付前の参道を下ったところに椿堂。
 本尊十一面千手観音菩薩。桁行三間、梁間三間、宝形造、銅板葺、一間向拝付。常坐三昧(坐禅)道場とし
 て使用。





▼お堂前に小さな鐘楼。





▼細い路を行くとやがて聖域への参道に。





▼参道中途に蹲踞、孟宗の水口から聖水が、早速清めさせていただきました。





▼聖域浄土院の門前です。境内へはここからは入れません。





▼立派なお堂、浄土院拝殿。









▼お堂前面。





▼お堂扁額。





         ▼法華経石塔。





▼弘仁十三年(822年)入寂した伝教大師最澄さんが、深閑とした清浄の中に埋葬されたご廟。





▼ご廟には「伝教」の文字が。





▼延暦寺西塔地域のお参りはここまで。この参道石段を上り大和路号が待つ駐車場へ。





▼釈迦堂のご朱印です。





延暦寺祖の静かな祈りの聖域に立ち、一瞬とは云え敬虔な気をいただいて、次の訪問は延暦寺中興の祖、
良源さんが眠る横川地域を目指します。





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