土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

勝持寺、「花の寺」あの西行さん出家のお寺です。

2015年08月31日 | 京都の古寺巡り




(2015.08.29訪問)


先週に続いて雨の中、またまた大原野古刹巡りです。
花の寺として名を馳せている大原野勝持寺を訪ねました。大原野神社駐車場横の参道は古刹の雰囲気や佇まいをタップ
リ味わえ、緑が覆い被さる山道はなんとも言えない心地よさ。仁王門を抜けワクワク期待感を胸に秘め、ひたすら参道
山道を歩きます。こんな天候で拝観者が居ないのもうれいしい限りです。



        ▼寺号石柱。





[ 勝持寺 ]
●山号 小塩山 (おしおざん)
●院号 大原院 (おおはらいん)
●寺号 勝持寺 (しょうじじ) 別称 花の寺
●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
●勅願 天武天皇 (てんむてんのう)
●開山 役行者 (えんのぎょうじゃ)
●開創 白鳳八年 (679年)
●再興 伝教最澄 (でんぎょうだいしさいちょう)
●本尊 薬師如来坐像 (重文)
▲拝観料 志納400円 御朱印300円  
▲拝観時間 9:00~17:00
▲京都市西京区大原野南春日町1194 電話 075-331-0601
▲http://www.shoujiji.jp/
▲ 阪急電車「東向日駅」JR「向日町駅」下車 阪急バス 66系統「南春日町」下車 1.1km




▼大原野神社駐車場横の参道入り口。

 




勝持寺縁起 (勝持寺HPから抄出)
白鳳八年 (679年) 天武天皇の勅によって神変大菩薩役の行者が創建したのが始まりで、延暦十年(791年)に伝教大師
が桓武天皇の勅を奉じて堂塔伽羅を再建され、薬師瑠璃光如来を一刀三礼をもって刻まれて本尊とされました。承和五
年(838年)仁明天皇の勅によって塔頭四十九院を建立されましたが、応仁の兵火に遭い仁王門を除きすべて焼失しま
した。現在の建物は乱後に再建されたものであります。




▼少し上ると石段参道、すぐに仁王門が見えてきます。






▼仁王門。応仁の乱の兵火を逃れた唯一の建造物です。平安時代、仁寿年間 (851~854年) 建立。
 三間一戸、一層、寄せ棟造、桟瓦葺、八脚門。両側に金剛力士を安置。






▼寺号が書かれた扁額。






▼阿形仁王さん。






▼吽形仁王さん。



両像とも仮の仁王像らしく、彩色は残っていますが、相当痛みが激しく、後補のヘタクソさが目に余ります。
当初の仁王像 (重文) は現在瑠璃光殿 (宝物庫) に安置されてます




▼吽形さんがグーを出したので思わずボクはパーを出しました。






▼仁王門から参道です。






▼こんな参道が、






▼真っすぐだったり、曲がったり南門まで約500m、なだらかな坂道ですが、結構こたえます。






▼右に曲がるとやっと南門に到着。






▼南門です。正面に見えるのが入山受付。






▼書院の前を通り、小門を潜ると、






▼綺麗に整備された境内です。






▼瑠璃光殿 (宝物庫) を横に見て、
 瑠璃光殿にはこのお寺の本尊薬師如来像 (重文) 安置され、仁王門の金剛力士もこちらに安置されています。






▼隣が阿弥陀堂 (本堂)。入堂は出来ません。唯一のお堂なのになんで。前面のガラス越しの拝観になります。






▼不動堂。お堂後ろの窟に本尊不動明王石仏が祀られています。この不動堂は、拝殿的な役目のお堂のようです。






▼本尊不動明王は小さな石像です。






▼青もみじ。






▼鐘楼。





▼今は相当ショボイ姿ですが西行手植えという「西行桜」。三代目らしいです。ほかに、染井吉野約100本植えられて
 いるそうです。



北面武士佐藤義清が故あり保延六年 (1140年) この寺において出家、西行と名を改めて庵を結び一株の桜を植えて吟愛、
世の人はその桜を「西行桜」と賞し、このお寺を「花の寺」と呼ぶようになったそうです。
(勝持寺パンフから抄出)




        ▼小さな池の岩上にお立ちの魚籃観音。
         池の水が乳白色、気持ちのいい色ではありません。
         なぜこのお寺に魚籃観音がおられるのか、聞き漏らしました。






▼桜ヶ丘。石垣の一帯に染井吉野が植えられています。





▼冴野の沼 (さえののぬま)。



冴野の沼「小塩山 松風寒し 大原や 冴野の沼の さえまさるらん」平安中期の女流歌人、中務が詠んだ歌で歌枕になっ
ているそうです。今はただ緑に埋もれたただの池、歌の風情を感じることは出来ません。






▼東門。駐車場から来るとまずこの門に出会いますが、ここからは入山できません。






▼東門横の参道、ふと見上げると、






▼今唯一の花の色、百日紅の大木が花盛り、落花も盛り。






▼御朱印です。






大原野のお寺を巡って思ったこと。

「花の寺」花が無けりゃ、ただの寺。

お寺巡りをするのには、この「ただの寺」を巡るのが極意だとボクは思っています。そして季節は時期外れ、時には当
たり外れはありますが、山寺や田舎の小さなお寺が経てきた歴史の星霜は幾たびかの盛衰を経て、その地方の文化や民
衆の信仰心が小さなお堂の本尊にその思いが籠っているのではないか、ボクのように信仰心の無いものでも、有名無名
に関わらず仏と対面した時、たとえ秘仏と称して拝見できない仏がいても堂内に入ることによりお厨子の波動が拝観者
の心に訴えてくるそんな何かを感じることが出来る、時には住職とも話が出来るチャンスがあるかも。
旬の時、人が多いとこうはいきません。
洛西西山、大原野、長岡京、向日町には小さいながらも法灯を保ち続けているお寺が多くあります。ボクもここ一年ほ
どで知りました。皆さんも一度巡ってみてはいかが。





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奈良公園の百日紅、ぼつぼつオシマイですよ。

2015年08月28日 | 花巡り




(2015.08.26訪問)


台風一過とはよく云ったもので、今日の大阪雲ひとつなし。
我社から東を見ると、生駒のお山がクッキリハッキリ。
ウ~ン、奈良公園もきっといい天気だろ~なァ。
百日紅はどうかなァ~。


▼フッと我に返ると、あら不思議、奈良公園春日野園地の真ん中に立っていました。





▼東を見ると百日紅が咲いているのが見えます。





▼そして真っすぐ行くと以前、新公会堂と云っていた奈良春日野国際フォーラムがあります。



この建物周辺が、実は百日紅の狭いながらも林になってるんです。ここはもう少し見れそうです。
























▼大仏殿の大屋根が見えます。


























▼奈良春日野国際フォーラムには大きなお庭があります。ちょっと歩いてみます。





















▼鷺池浮見堂の百日紅もなかなかのもんなので行ってみましたが…… 絵になりません。






咲き残りです。





















▼池畔散歩路も、もうオシマイ。






▼ちょっと南の大乗院庭園に行ってみました。



唯一の百日紅、昨日の風で散り染め寸前。




▼それではと、元興寺へ。まだまだ行けるぞと頑張って咲いてます。






▼最後に興福寺南円堂石段下、けなげにも上を向いて主張していました。






▼最後に印象的な (自分で思ってるだけですが) とあるお宅の塀に下がり咲きのノウゼンカズラ。






訪ねるのが一週間ほど遅かったようです。
花期の長い百日紅もいよいよオシマイですね。秋の訪れとともに夏の疲れがドドッとやってきます。
どうぞ皆様、ご自愛のほどを。




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金蔵寺、山中の古刹、閑かな閑かな名刹です。

2015年08月25日 | 京都の古寺巡り




(2015.08.22訪問)
先週に続いて京西山大原野古刹巡りです。
迷車大和路号は時々登山をします。標高642m小塩山(生駒山と同じ標高)の中腹にある金蔵寺を目指しているのですが、
これがまた大変な道。我がドライビングテクを持ってしても久々恐怖感でビクビク。とにかく道が狭いうえに急勾配、
そのうえ生半可のカーブではなくグニャグニャ、対向車が来ると今考えてもどうしたらいいか判らない、そんな恐怖感
イッパイの山道参道、非常にアクセスしづらい酷い山道です。しかしちゃんと舗装してます。
また登山道があり、ハイキングや登山する人も多いらしいのですがこの山道を歩く人の気が知れません。
そんな酷いアプローチなんですが、着いてビックリ! これこそが山寺、森閑とした山中、斜面にへばりつく堂宇、人の
気配がまったくしない境内、お寺歩きの醍醐味がココにありました。ですがちょっとコワかったことがありました。




▼山門。






[ 金蔵寺 ]
●山号 西岩倉山(にしいわくらさん)
●寺号 金蔵寺(こんぞうじ)
●宗派 天台宗(てんだいしゅう)
●開基 伝 元正天皇(げんしょうてんのう)
●開山 伝 隆豊禅師(りょうほうぜんじ)
●開創 養老二年(718年)
●再興 桂昌院(けいしょういん) 徳川綱吉の母
●本尊 十一面千手観音菩薩
▲拝観料 志納200円 御朱印300円  
▲拝観時間 8:00~17:00
▲京都市西京区大原野石作町1639-11 電話 075-331-0023
▲ 阪急電車「桂駅」下車 京阪京都交通バス「長峰」下車 徒歩約50分
  阪急電車「東向日駅」JR「向日町駅」下車 阪急バス 66系統「南春日町」下車 徒歩約60分
 クルマかタクシーでの参拝をお勧めします。




        ▼山門戸口に金蔵寺提灯。

 




金蔵寺縁起
養老二年(718年)元正天皇の勅により、隆豊禅師が開創。向日明神の神助によるという。聖武天皇から勅額を賜る。天
平元年、華厳経、法華経などの経典書写、名山霊地に埋蔵。その埋蔵地の一つが金蔵寺の寺領内といわれている。平安
時代、延暦十三年(794年)桓武天皇は、平安京遷都で王城鎮護のため、都の四方に経典を埋めたという。当寺が選ばれ
経典が埋蔵され、西岩倉山の山号を贈られたという。天徳二年(958年)天台座主良源弟子の賀登により中興され天台宗
に改宗。以来、西山の名刹として栄え、堂塔、伽藍など一時は四十九院が建ち並ぶ大寺となったが、その後応仁の乱や
戦国期に荒廃していたのを江戸時代、将軍綱吉の母、桂昌院により再建された。




        ▼右、阿形仁王さん。






        ▼左、吽形仁王さん。






▼山門の青もみじ。






▼山門。潜ると参道がいきなり石段です。






▼その参道石段です。






▼石段を上り切るとチョットした平坦地、手水舎です。






▼こんな手水鉢、苔なんぞ生えて、なんとオシャレな。






▼手水鉢から溢れた一筋の流れ。






▼鐘楼、隣は入山受付です。






▼梵鐘。






▼護摩堂、方三間、宝形造、端正なお堂で、中を覗いてみたんですが、サッパリ判りません。






▼今は社殿跡しか残らない石井神社(いわいじんじゃ)の清泉。覗いてみたんですがお水は確認出来ません、暗すぎて。
 石井神社は清水を神格化した古社で護摩堂北の清泉の上に社殿があったそうです。






▼庫裏前にちょっとしたお庭があります。その一角に小さい池、麗仙池があります。
 池には、弁天社でしょうか石のお社が祀られています。






▼麗仙池の由緒碑。
「生類憐みの令」を綱吉に勧めた桂昌院をしのんで作られた放生池で、放生会を行っていたがいつしか絶え、平成元年
 葉山麗仙さんが復興、放生会が再開されているそうです。






▼庫裏玄関です。小坊主と蛙がお出迎え、どんなコンビなんやろ?






▼玄関の提灯。






▼では本堂へ行きましょう。手水舎の横からの参道石段です。



石段の中程まで来るとなにやら本堂から声が聞こえてきます、読経のような韻を含んだ緩~いテンポの低~い声が森閑
とした山中に流れて来るんです。境内には人気がありません、堂内も覗いてみましたが人気がありません。
実は凍りましたよ、お~こわ。




▼本堂。桁行五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付、外陣一間吹き離し。
 応仁の乱やその後の兵火で全山焼失、江戸期将軍綱吉の母、桂昌院により再興再建されたそうです。






▼本堂前にはなぜか、狛獅子がいます。






▼寺名扁額。
 本堂軒や向拝軒の梁や頭貫、長押などに一切の彫刻がなくシンプルそのもの、山中の古刹、雰囲気にピッタリのいい
 風情です。






▼過剰な荘厳されていない本堂内陣。
 本尊 十一面千手観音菩薩は秘仏で中央お厨子の中に、お前立ち像も置かれてないようです。






▼本堂。






▼本堂裏手高台に開山堂。開山隆豊禅師をお祀りしています。
 方三間の宝形造、本瓦葺、一間向拝付、総欅造で金蔵寺一のお堂だそうです。桂昌院建立。






▼中央須弥壇に祀られている開山隆豊禅師のお像。






▼境内高所の愛宕大権現本殿。           






愛宕大権現 
甲冑姿で騎乗し右手に剣を、左手に幡を掲げるお地蔵さんが本地仏とする神仏習合の神号。明治の悪法神仏分離
令の廃仏毀釈で愛宕神社の勝軍地蔵がこの寺に遷座された。






▼本殿正面。中を覗いてみましたが何も見えませんでした。秘仏になっているのでしょう。






▼三仏堂鳥居。






▼三仏堂。仏堂と云ってますが、お社にしか見えないんですが。詳細不明。






▼桂昌院廟。金蔵寺をはじめ西山の名刹は桂昌院さんの寄与、再興の援助を受けたところが多いそうです。
 よほど信仰信心が篤く、神仏尊崇の気概旺盛な方だったんでしょう。






        ▼桂昌院五輪塔。基壇下に桂昌院遺髪が納められているそうです。






▼葉山神社。冨士浅間神社より勧請、木花咲弥姫大神と桂昌院の御魂を合祀、金蔵寺の鎮守社。






▼ご朱印です。






フロク
▼錦秋の金蔵寺仁王門、秋には全山とりどりの赤で彩られ尽くすそうですよ。



写真はネットからもらってきました。


紅葉期の豪華な彩錦に魅せられる参拝者や登山者は多いらしいのですが、バスのアプローチは不可能、団体参拝者はい
ないので比較的優雅に静かに紅葉を楽しむことが出来るそうですヨ。ご住職が言われてましたので間違いないでしょう。

先ほどの本堂の声は、人の有無にかかわらず毎日声明をテープで流しているそうです。
ボクが「ご住職ビビりましたよ、はた迷惑ですワ」と云ったらご住職ニコッとされてました。

オ シ マ イ

クルマで参拝の方、
参道道路状況はオーバーな表現しましたが、山門横駐車場まで15分くらいの距離です。充分注意して運転してくださいネ。
 




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正法寺、石のお寺の「鳥獣の石庭」一見の価値。

2015年08月21日 | 京都の古寺巡り




(2015.08.15訪問)


寺友情報はアタリでした。
十輪寺から山道を下ること約3キロ、10分くらいで石の寺正法寺に着きます。いくらか街中に近いので参拝者の方も増
えていますし皆さん「鳥獣の石庭」を目指しているようです。
京には、枯山水や回遊式、白砂庭園などの禅刹を始め有名庭数々有りますが、禅刹庭における侘び寂びや禅問答のよう
な理屈を除いて、この正法寺の「鳥獣の石庭」は一級品といっても差し支えないでしょう。



▼山門。この門からは入山出来ません。





[ 正法寺 ]
●山号 法寿山(ほうじゅざん)
●寺号 正法寺(しょうぽうじ) 通称 石の寺
●宗派 真言宗東寺派別格本山(しんごんしゅうとうじは)
●開基 智威大徳(ちいだいとく)
●開創 天平勝宝六年(754年)
●本尊 三面千手観音立像
▲拝観料 300円 御朱印300円  
▲拝観時間 9:00~17:00
▲京都市西京区大原野南春日町1102 電話 075-331-0105
▲ 阪急電車「東向日駅」下車 阪急バス「南春日町」下車 徒歩約7分
 京都縦貫道大原野ICから約7分
 国道9号沓掛口から約7分



▼手前の駐車場に置いたために最初にこの場所に出ます。石段の上は、不動堂、春日不動尊をお祀りしています。

 



正法寺縁起(正法寺HPより抄出)
天平勝宝六年(754年)中国から渡来して、奈良唐招提寺に住持した鑑真和上の高弟、智威大徳が隠棲した所で春日禅房
と称し、その跡を伝教大師最澄が大原寺の名で寺としました。弘仁年間(810~824年)には弘法大師空海が巡錫、本尊の
三面千手観世音菩薩立像を彫刻されたと伝えられています。応仁の乱の戦火で焼失しましたが、元和元年(1615年)恵雲
律師、徴円律師により正法寺として再興、元禄年間(1680~1703年)には、徳川綱吉の母、桂昌院の帰依を受け徳川家
代々の祈願所となりました。庶民には西山のお大師さんとして信仰されてきました。
通称「石の寺」というのは、境内全体で200トンに及ぶ巨岩が全国各地から集められていることに由来します。幾つも
有る庭園のうちで著名なのは宝生苑で、東山連峰を望む借景式山水庭園ですが、お堂の畳に座って眺めると、庭石の形
が何となく鳥やペンギン、兎など、15種類もの動物の形に似ているため「鳥獣の石庭」と呼ばれています。



▼不動堂正面。






        石段中程左右に金剛力士像が佇立。
        ▼右、吽形仁王さん。






        ▼左、阿形仁王さん。



        東大寺南大門式でしょうか。仁王さんの立ち位置が通常とは違っています。




▼通用門なんでしょう、この門からの入山になります。






        ▼子安地蔵が最初にお目見え。大きい石像ですよ。






▼本堂です。前の石畳は山門からの参道です。






▼本堂内陣の荘厳。






▼中央須弥壇に本尊を中心に四体の仏像が祀られています。






▼本尊三面千手観音菩薩立像(重文)。像高260cm、木造、鎌倉初期の作。
 三面千手観音といってますが、本来は十一面千手観音じゃないかな。頭上の小面のうち、二面を脇面として主面の左
 右に付けたのでは。小面は二段に積まれていますが全体の数が判りません、何個かは欠落していますので断言はでき
 ませんが。






▼本尊お顔のアップ。主面の左脇面は穏やかなお顔、右のお顔は牙が見えますので怒りかな。






▼本堂前庭は石の寺の片鱗を見せています。






▼山内北に阿弥陀三尊の真新しい石像が……。石彫もここまで見事に彫れるとは、本当に美しい三尊です。






        ▼やはり北東の一角に六角二重の遍照塔。このお寺唯一朱色が眩い塔で、
         元々高台寺横に建立された日露戦争戦没者慰霊塔。
         平成二十二年こちらに移築されたそうです。






書院前に広がる白砂の広~い庭園、遠く東山連峰を見晴るかす書院前庭。宝生苑白砂名庭をしばし眺め見い入りましょ
うか。


▼白砂に置かれた大小の石が鳥や動物の形に似ているので、「鳥獣の石庭」と呼ばれているそうです。縁に説明イラス
 トがあります、多少こじつけ気味ですけどね。






▼中央の樹は紅枝垂れ桜。桜花満開の頃の白砂とのコラボはさぞやの感がします。






▼少しアングルを…、






▼白砂庭の右に池と小山が造作、池には白い睡蓮が二つ、心ばかりに咲いてます。











▼小山の奥、僅かに落ちる観音滝の音が心地いい響きです。滝は中央の黒い所です。






▼書院南、境外と思いますが、遊歩道がつく千原池があります。見ようによってはかなり神秘的な池で、今は蓮と睡蓮
 が咲いています。






▼蓮です。











▼睡蓮です。








いずれも花数はかなり少ないのでぼつぼつオシマイかもしれません。




▼御朱印です。






「お庭に対峙し瞑想して、作者の秘めたるコンセプトの理解に努め、だからこのお庭はこういう意図のもとに作庭」さ
れたと云うような理屈の理解に頭を悩ます前に、あくまでも白砂の輝き、あっけらかんとした明るさ、とりどりの石、
ワーいい景色! がボクが見た「鳥獣の石庭」の感想でした。
どなたの作庭かは知りませんし、当然作庭意図はあるんでしょうが、こんな感想でスイマセン。

歴史由緒の古い寺歴ですが、庭園を始め、境内全体が見事に整備され、すべてが美しい綺麗なお寺。ボクは外見上から
歴史を感じることは出来ませんでした。拝観終えてまず感じたことは、「なんというお金持ちのお寺!」

ひょっとしたら来週も大原野を歩くかも知れません。 洛西の古寺巡りとりあえず オ シ マ イ 




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十輪寺、在原業平が晩年隠棲した大原野の名刹です。

2015年08月18日 | 京都の古寺巡り




(2015.08.15訪問)


お盆休みも残すところあと一日、久々に洛西大原野を訪ねました。
大原野十輪寺は、あの女たらし、いや平安のプレーボーイ在原業平が、晩年、山深い森閑としたこの地に隠棲し、往時
を懐かしんだのか、偲んだのか、貴族として政治的には恵まれない身を儚んだのか、はたまた世の女性に対する痛烈な
反省をしたのか定かではありませんが、平城天皇の孫として皇統に連なる高貴な身分をこの地に隠しながらも優雅さを
失わず、時の天皇や皇族のお供をし、歌を詠み、風流を楽しむ、これが隠棲かという生活の後、この地で没したと伝わ
っているそうです。いいなぁ、男の鑑だよ……。
そう云うお話が残る十輪寺、またの名、業平寺に在原業平を偲んでみたのでした。



▼参道。





[ 十輪寺 ]
●山号 小塩山(おしおざん)
●寺号 十輪寺(じゅうりんじ) 通称 業平寺(なりひらでら)
●宗派 天台宗(てんだいしゅう)
●勅願 伝 文徳天皇(もんとくてんのう)
●開基 伝 文徳天皇(もんとくてんのう)
●開創 伝 嘉祥三年(850年)
●本尊 延命地蔵菩薩(秘仏) 毎年8月23日ご開帳
▲拝観料 400円 御朱印300円  
▲拝観時間 9:00~17:00
▲西京区大原野小塩町481 電話 075-331-0154
▲ JR東海道線「向日町駅」阪急電車「東向日駅」下車 阪急バス66系統「小塩」バス停下車スグ



▼山門。

 



十輪寺縁起(十輪寺パンフより抄出)
十輪寺は嘉祥三年(850年)文徳天皇の皇后藤原明子の安産祈願のため伝教大師作延命地蔵菩薩を祀り、めでたく皇子(清
和天皇)が誕生、文徳天皇は延命地蔵菩薩を本尊としてこの寺を開基。
その後応仁の乱で寺運衰退、寛文年間(1661~1673年)藤原北家流左大臣花山院定好が再建。



        ▼寺名木札。






▼庭園。






▼蹲踞。






       ▼大樟樹。十輪寺の神木、樹齢八百年。






▼鐘楼。寛文六年(1666年)建立。






▼梵鐘(迷わずの鐘)。決心がつかず迷っている時、この鐘を撞くと、決心がつく不思議な鐘。なんですが鐘を撞く方法
 があるんです。方法あるんですが少々アホらしいので書くの止めます。






▼本堂。桁裄三間、梁間三間、寄棟造、桟瓦葺、一間向拝付。四面の屋根が緩やかなカーブで鳳輦形(天皇の儀式用の
 車)をした珍しい形状。寛延三年(1750年)再建。
 初めてお目にかかった全く珍しいお堂形状で外形、内部構造ともおそらく他に例は無いと思います。感動しましたヨ。






▼本堂屋根前面の珍しい破風。






▼本堂正面。






▼内陣の荘厳。






▼独特の天井設えの梁に架かる扁額。シンプルないい額ですが、まったく読めません。






▼内陣須弥壇。本尊延命地蔵尊は後ろのお厨子に、お前立として延命地蔵軸が架けられています。
 本尊延命地蔵菩薩は秘仏で毎年8月23日一日のみご開帳されるそうです。
 須弥壇前面の二体の仏像、エキゾチックチックしません? スリランカ寺院との縁でのスリランカ釈迦仏だそうです。






▼天井は非常に複雑な形状で、梁や頭貫、長押などの彫刻が見事です。
 天井形状はボクなんぞ説明できません。聞くところによると、お堂そのものが神仏習合の名残があるのだそうです。
 架かる天蓋、少々場違いも愛嬌としときましょうか。











▼本堂。






▼高所からの本堂。鳳輦形の屋根の形状がよくわかりますネ。






▼本堂と書院を繋ぐ渡り廊下。左の太い幹は業平桜。

    




▼渡り廊下から突き出ている大きな桜……、






▼これが業平桜。樹齢約二百年の枝垂れ桜、凄いですネ。
 凄いですけど、樹齢二百年の枝垂れと業平さんの生きた平安初期、相当時代差があるように思うんですが……。
 無粋なことは言わぬが「桜」花!
 
 ★写真はネットからもらってきました。



このお寺、業平さん晩年を過ごした寺と伝え、命日の五月二十八日は、「業平忌三弦法要」が行われているそうです。

業平さんが詠んだ古今和歌集の歌(このお寺で詠んだ歌ではありません) 
世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし

ついでにこのお寺で詠んだ歌
大原や 小塩の山も けふこそは 神代のことも 思ひ出づらめ
意味は適当に解釈してくださいネ。




▼在原業平が塩焼きの風流を楽しんだと伝えられる塩竈の跡。






▼業平墓。小さいながらも形の良い宝篋印塔、塔身に梵字が刻されていますが勿論読めません。鎌倉期。
 平安プレーボーイの業平さん、意外に小さいお墓ですが、これが女性に人気があるようです。











▼御朱印です。






この暑い中お盆のお墓参りの人すらいない、閑かな古刹でお寺の奥様としばしお話を……。
このお寺、2014年春のJR東海「そうだ京都、行こう」キャンペーンで紹介されたのですが、この時のエピソードなど
中々興味深いお話でした。あいだは省きますが、このキャペーン程、近隣住民の賛同を得られなかったキャンペーンも
珍しいものだったそうで、何しろ十輪寺は善峯寺登山道の中途、曲がりくねった細い道に面して在しています。ココへ
大挙撮影隊が来るんですから大変です。
これ以上書くと差し障りがあるのでこの辺で……。

それでは次の名刹へ参りましょう。





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