土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

室生寺、小粒の五重塔は相変わらず優雅な佇まい。

2016年08月30日 | 奈良の古寺巡り





(2016.08.27訪問)


迷車大和路号は宇陀路を失踪中、じゃなかった疾走中、もちろんチンタラですが、久々の大和路です。
最近の室生寺訪問での奥の院参拝は、あの石段を見るだけで足もつれ腰砕け、大体がパス。
今日こちらに着いてみると、小雨パラパラ、気温23℃肌寒いくらい、こりゃええわとハートを燃やして奥の院へGO!

ヒドイ写真ばかりでお恥ずかしい限り、こんな時に限ってやたら写真が多いんですわ。アホらしくなったらスルーして下さいね。
目に障りますよ。



▼室生の山々も霧が降り烟っています。小雨が降ってるんです。






[ 室生寺 ]
●山号 宀一山 (べんいちさん)
●寺号 室生寺 (むろうじ)
●勅願 伝 光仁天皇 (こうにんてんのう)
●開基 賢憬 (けんけい)
●開創 奈良時代後期
●宗派 真言宗室生寺派大本山
●本尊 如意輪観音菩薩坐像 (灌頂堂本尊)
▲入山料 600円 朱印 300円 駐車料 500円
▲拝観時間 12月1日~3月3日 9:00~17:00 4月1日~11月30日 8:30~17:00
▲奈良県宇陀市室生78 Tel.0745-93-2003
▲http://www.murouji.or.jp
▲近鉄大阪線「室生口大野駅」下車 室生寺前行きバス終点下車徒歩5分





▼シンボル朱の太鼓橋もお湿りです。






室生寺縁起 (室生寺パンフより抄出)
奈良時代末期、この深山で時の皇太子山部親王 (後の桓武天皇) 病気平癒の祈願が興福寺高僧、賢憬など五人の僧により厳修、卓効あっ
たことから、勅命により創建されたのが室生寺で建立実務は賢憬高弟修円であった。以来各宗兼学の寺院として独特の仏教文化、仏教
美術を形成継承、そして流れる室生渓流は龍神の信仰を生み、雨乞い祈願も行われてきた。時の高野山は厳しく女人を禁制してきたの
で女人の救済済度をはかる真言道場として女性参詣を許したことから以来女人高野と親しまれている。




▼正面に本坊山門。脇に建つ女人高野室生寺の石柱。






            ▼寺号石柱。






▼仁王門。重層楼門、三間一戸、八脚門、檜皮葺、初層左右に仁王像。建立は近代のものです。







▼扁額は室生山。







▼阿形仁王さん。







▼吽形仁王さん。







▼さて入山です。仁王門の向こうは樹叢これでもか状態。







▼梵字池。僅かに仁王門が映り込んでます。







▼小雨に烟る緑のグラデーション。







▼参道石段が有名な全部自然石の鎧坂。







▼春の見事な石楠花も今はただの葉っぱ。色気がないのもまた一興か。







▼金堂が見えてきましたヨ。







▼金堂 (国宝)。桁裄五間、梁間五間、寄棟造、杮葺。懸造り。文政十年 (1827年) 再建。
 本尊 釈迦如来立像 (国宝)、像高237.7cm、榧一木造、平安時代前期。
 まさに仏像の宝庫、内陣には本尊を中心に五仏が並び、その前に十二神将 (重文) が一列に整然と並んでいます。






            ▼数年前に描いた本尊釈迦如来のペン画です。






            ▼五仏の前に並ぶ十二神将。(写真はポストカードセットから)






▼石段を上り脇口から入堂します。







▼金堂西には弥勒堂 (重文)。桁裄三間、梁間三間、入母屋造、杮葺。鎌倉時代。
 本尊 弥勒菩薩立像 (重文)、榧材一木造り、両手、天衣、瓔珞などもふくめて一材から刻んでいるそうです。



杮葺の屋根が相当酷いことになってます。今、一口金千円の善良な皆様の御寄進募集中。





▼本尊の隣に客仏として祀られている釈迦如来坐像 (国宝) のインパクトは凄い!
 像高106.3cm、波打つ翻波式衣文のリズム感は凄い彫技です。



(堂内写真は御法度なんですが、お堂の外20m位から300mmズームで引っ張った写真です)





▼すこしアングル替えで。






            ▼境内の隅の方に、北畠親房の五輪塔墓。後醍醐天皇の忠臣と云われているものの、
             功罪相半ばする後世の評価もある公卿。






▼室生寺創建に効あった修円廟。賢憬さんの弟子に当たる方。







▼灌頂堂(国宝)、室生寺の本堂です。桁行五間、梁間五間、入母屋造、檜皮葺。延慶元年 (1308年) 建立。
 軒の出が深く屋根の反りがひと際優美な堂形です。






            ▼本尊 如意輪観音坐像 (重文)。像高78.7cm、檜一木造、平安時代の作。
             現在本尊は鋭意修復中につき、写真がその代理を勤めています。
             (本尊写真はネットからもらってきました)






▼灌頂堂。







杉木立と緑の中、優雅な佇まいの五重塔 ア ラ カ ル ト

▼五重塔 (国宝)。塔高16.1m、檜皮葺、平安初期の建立。室生山中最古の建造物。屋外五重塔で我が国最小。





















            ▼軒の出が深く、逓減率の小さい塔です。     











▼少し高台から杉の巨木の間から見える五重塔。  











            ▼珍しい相輪。九輪の上は本来水煙ですがこの相輪は宝瓶を載せ
             宝鐸を吊り天蓋を構成している、他に類がない相輪です。






▼五重塔横に並ぶ石仏。







▼向こう側は谷になってる道端にひっそり五輪塔。






            深山幽谷を縫うように続く石段、奥之院へ向かいましょう。

            ▼赤い無明橋を渡ると試練が待ってます。アアいやだ!






            ▼本格的登山と云ってもいい位の急階段。いやだいやだ!






            ▼参道両脇には石仏、石塔、石碑などとりどりの石の形が置かれて一息つきつつ上ります。
             面白い五輪塔ですネ。






▼こんな巨木の間を縫って石段は続きます。






            ▼見りゃ判りますけど灯籠ですネ。






▼懸け造りのお堂が見えてきました。ボツボツ石段もオシマイか。







▼こんな石碑も建ってます。南無大師遍照金剛と読めました。







▼参道石段も終わりのようで、懸け造りのお堂が姿を現しました。   



















▼ヤレヤレ参道石段の終点。







▼僅かばかりの平地に建つ御影堂(重文)。本尊弘法大師四十二歳像を安置。
 方三間、単層宝形造、板段葺、屋根トップは石造路盤。鎌倉後期。







▼大変珍しい二重木板の屋根、どう見ても木には見えません、だけど木です。







▼屋根の上、モヤモヤ見えますか?
 湯気が上がってるんです。降ってた雨があがり、急にお陽さんが当たると水分蒸発で湯気になるそうで受付の若い僧が
 教えてくれました。実際目ではよく見えるんですがカメラを通すとあきませんネ。







▼奥の院もう一つのお堂、位牌を祀る常燈堂。先ほどの懸け造りのお堂です。







▼扁額はなぜか金剛殿となってます。







▼正面にはズラリ金ぴかの位牌が。






            ▼室生火山群の名残、溶岩上 (諸仏出現岩だって!) に建つ七重石塔。






▼奥の院参拝オシマイ、帰りの石段なんてヘッチャラ、スイスイですわ。







▼緑イッパイの中で近づく秋を知らせてくれる慌てもん。







▼ご朱印は鎧坂に置いて撮りました。






                        ▼最後に国宝五重塔をもう一枚。






陽の射さない、曇り空で時々小雨パラパラ、こういうシチュエーションでのお寺巡り、時にはエエもんですね。下界の連日猛暑がウ
ソのような今日の室生寺、さすが山寺、しかしあの奥の院参道石段では汗はタラタラ、着いたらフラフラ、結局、夏と石段は暑いと
云うことを再認識した室生寺でした。




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笠置寺、線刻磨崖仏の大きさに先ずビックリ!

2016年08月26日 | 京都の古寺巡り





(2016.08.20訪問)


南山城の古寺巡り浄瑠璃寺を辞してさて次の訪問先は、賢明な読者の方はすでにお気づきのことでしょう。そうです正解です。
浄瑠璃寺から大回りで約16キロ、後醍醐天皇の哀しいお話が残るあの石のお寺です。
R163から笠置大橋を渡るとスグ観光旅館の案内看板のようなサインの笠置山登山コースの狭い狭い道が待ってます。急カーブ、
急クランク、山道の例に漏れず行き違いもままならない道ですが不思議に完全鋪装、しかも沿道には民家が並んでいます。
標高289メートルの笠置山全山を境内とする笠置寺は巨岩、大石がゴロゴロ、まさに石のお寺。山岳信仰、巨岩信仰の姿とはこ
れか、日本最大と思われる大磨崖仏など迫力十分、巨岩をぬった行場巡りは終えた後の爽快感また格別のピースでした。




▼参道。






[ 笠置寺 ]
●山号 鹿鷺山(しかさぎざん)
●寺号 笠置寺(かさぎでら)
●宗派 真言宗智山派(しんごんしゅうちざんは)
●開基 伝 良弁僧正(ろうべん) 実忠和尚(じっちゅう)
●開創 伝 天平時代(730~750年位)
●本尊 弥勒磨崖仏
▲拝観 300円 朱印300円
▲時間 9:00~16:00  
▲京都府相楽郡笠置町笠置笠置山29 電話0743-95-2848
▲http://kir013169.kir.jp
▲JR関西本線 「笠置駅」徒歩45分
  国道24号線 国道163号線経由 笠置大橋渡り参道目印を左折
 京奈和道「山田川IC」国道163号線経由
 笠置大橋渡り参道目印を左折

 第二阪奈道「宝来IC」 国道24号線 国道163号線経由 笠置大橋渡り参道目印を左折
    




▼山門。ここに来るまでが大変、駐車場までの参道は狭く急坂、行き違い不可能、クルマが来ないことを祈るのみの参道です。






笠置寺縁起
諸説が有り詳細は不明ですが、奈良時代に東大寺の良弁さん、実忠さんが山中に籠り秘法を感得、弥勒の磨崖仏を刻し、草庵を
建てたのが草創と伝わります。実忠さんも修行中、兜率天を感得、十一面観音悔過の行法を東大寺に伝えたのがお水取りの起源
と云われ笠置寺の正月堂で行われたので、東大寺のお水取りの行は二月堂でという説もあるそうです。
悲運の帝王後醍醐天皇方と室町幕府軍との元弘の乱により全山焼亡、その後盛衰繰り返すものの江戸期に荒廃。無住持となり明
治中期に復興をとげ今日の山容となる。




▼山門左に行くと正面に鐘楼。なぜか梵鐘だけの写真になりました。
 梵鐘の開口部(下部)を見て下さい。六つの切り込みが入った六葉形は中国梵鐘の形式で珍しいものだそうです。







▼早速正月堂へ行ってみましょう。この参道の雰囲気、山寺ですネ。ここからが修験の道です。







▼はや出てきました大岩、石と岩の寺の面目。






            ▼十三重石塔(重文)。元弘の乱の戦死者の供養塔との伝承があるそうです。






▼正月堂、笠置寺の本堂です。本尊弥勒磨崖仏の礼堂ですがお堂としては非常に質素なものです。







▼正月堂扁額。







▼これが本尊弥勒磨崖仏。
 正月堂前の高さ約16m、幅約15mの大岩に挙身光式という凹みを彫り込み弥勒仏を線刻した磨崖仏が本尊ですが、元弘兵火に
 より焼滅、今では確認できません、お姿なき本尊とでも申しましょうか。







▼正月堂内にはデジタル復元された弥勒磨崖仏画像が展示されています。







▼正月堂は懸造りになってます。この下の道を行きます。






            ▼実忠和尚が弥勒菩薩の世界に入られたという千手窟(せんじゅくつ)
             笠置山一番のパワースポット。






▼見事な線刻の虚空蔵磨崖仏。引きは無いは大きいはで最初のデッサンどう描いたんでしょう。







       





▼お顔を思い切りアップしてみましょうか。鑿の後がハッキリクッキリ。







▼胎内(たいない)くぐり。約800mの修行場のスタートです。笠置山には滝がないため、この岩を潜りぬけることにより心身を清
 めたと云うそうです。







▼アップダウンの厳しい道、さすが修行の道です。







▼ゆるぎ石。説明文には岩の重心が真ん中に有るので、人が触ると揺れると云う。
 ウソです、ウンともスンとも。







▼道々から眺める木津川の流れが清涼剤。







▼平等石。とにかくデッカイ岩ですが由来が判りません。






            ▼蟻の戸わたり。余りいいネーミングじゃないですネ、
             ここでは狭い狭い修行道と思っときましょう。幅50cmは無いでしょう。






▼貝吹き岩。元弘の乱のとき後醍醐天皇軍が味方の士気を高めるため、この岩上から盛んにホラ貝を吹いたと云われているそう
 です。岩の大きさを感じて下さい、ボクのパナマ見えます?






            ▼貝吹き岩から少し修行道を行くと、一時この山に隠り幕府軍と戦った後醍醐天皇の行在所跡です。






▼参道石段を少し上ると、







▼ここが行在所跡。今は僅かばかりの平地が残るのみ、高貴な場所とは到底思われない夢の跡。







▼後醍醐天皇の歌碑がひっそりと……、
        うかりける 身を秋風に さそわれて 思わぬ山の 紅葉をぞ見る







▼なお修行道を進むと、左手パッと視界が開け……、







▼大きな岩が張り出しています。西ののぞきと云うそうで、下を見るとグレーに光る一堂が、
 何を隠そうこの岩は、九枚目の写真、本尊弥勒磨崖仏の頂上だったのです。
 後で気付いたとは云え、本尊の頭の上から下を見た、これを不遜と云うんでしょうネ。
 そう云えば小さな細い結界縄があったような……。







▼修行道の最終地点に来ました、大師堂です。







▼弘法大師石仏を奉安しています。







▼境内に降りてきました、笠置寺総鎮守の椿本護王宮本殿。延喜八年吉野金峰山より勧請。






             ▼中興の祖、貞慶上人が勧請した春日明神。






▼境内の少し離れた高台に建つ毘沙門堂。







▼毘沙門堂扁額。







▼内陣須弥壇。毘沙門さんは黄金のお厨子の中だと思われます。






            ▼大岩大石に囲まれた山岳修行のお寺、岩の上のお地蔵さんに見送られて、
             笠 置 寺 オ シ マ イ






▼ご朱印です。






笠置山の巨岩信仰は紀元前後から始まると云われ、山岳寺院特有の形を見せるこの笠置寺、変化に富んだ境内は、石を崇め岩を
依り代とし古代の自然信仰の一つとして山全体が神域、巨岩、奇岩を巡る古の山岳信仰の一端を見た思いがします。
僅か1キロ足らずの修行道巡りのコースですが、変化に富んだ山道とは、こんな修行道を云うんでしょう。なかなかのものなんで
すが、巨岩の上に立つとやはりビビリまくりでした。






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浄瑠璃寺、此岸から彼岸へ、参拝の正式な形。

2016年08月23日 | 京都の古寺巡り





(2016.08.20訪問)



南山城の古寺巡り第二弾が終わり今日は第三弾。海住山寺、岩船寺ときたらさて次は、賢明な読者の方はすでにお気づきのことでし
ょう。そうです正解です。それでは迷車大和路号とご一緒にお付き合いください。



▼阿弥陀堂(国宝)。ご存知九体の阿弥陀さんが待つ彼岸の浄土。






[ 浄瑠璃寺 ]
●山号 小田原山(おだわらさん)
●寺号 浄瑠璃寺(じょうるりでら) 通称 九体寺(くたいじ)
●宗派 真言律宗(しんごんりっしゅう)
●開基 伝 義明上人(ぎめいしょうにん)
●開創 伝 永承二年(1047年)
●本尊 阿弥陀堂 阿弥陀如来坐像(国宝) 三重塔 薬師如来坐像(重文)
▲拝観 300円 朱印300円
▲時間 9:00~17:00  
▲京都府木津川市加茂町西小札場札場40 電話0774-76-2390
▲関西花の寺第十六番札所
▲JR関西本線(大和路線)「加茂駅」から木津川市コミュニティバス「浄瑠璃寺前」下車徒歩3分
 
 JR関西本線(大和路線)「奈良駅」「近鉄奈良駅」から奈良交通バス(浄瑠璃寺行き)で「浄瑠璃寺前」下車徒歩3分
 
 京奈和道「木津IC」から加茂方面へ約8㎞
 西名阪道「天理IC」または「郡山IC」から北へ約20㎞




▼参道。今は緑鬱蒼ですが春先の馬酔木の鈴なりは見応え抜群!ですヨ。






浄瑠璃寺縁起
浄瑠璃寺の草創については、永承二年創建の西小田原浄瑠璃寺が前身と云われているものの詳細は不祥。草創に関して数説があるよ
うで、天平十一年行基によって開創されたという説、永承二年義明上人が薬師如来を本尊として建てたのが浄瑠璃寺の始まりとする
説などあるが決定的なものはないとされています。嘉承二年阿弥陀堂が建立、九体の阿弥陀像を安置。久安六年庭園が造られ、池を
挟んで西岸に阿弥陀堂が移された。治承二年三重塔が京都から移築され現在の寺観が整備されたといいます。




▼山門が見えてきました。







▼質素な山門です。がこういう古刹こそ、境内に凄い所が多いのです。







▼鐘楼。春夏秋冬マトモに撮れたことがありません。







▼山門を入りすぐ左、高台緑の中に三重塔が目に入ります。







このお寺では先ず三重塔への参拝、東此岸の三重塔本尊お薬師さんに現世救済を願い、振り返えり池越しに西彼岸 の阿弥陀堂本尊
九体仏に来迎を願う。これが本来の礼拝であるとお寺パンフレットは述べています。





            ▼三重塔。






▼幾段かの石段を上ると目前に朱色鮮やかな塔が迫ります。






            ▼これが此岸の象徴三重塔。このシーズンすんなりと全景を撮らせてはくれません、緑鬱蒼なんです。
             塔高16m、檜皮葺。治承二年(1178年) 京都の一条大宮から移建らしいですが詳細不詳。






▼初層扉は閉じたまま。本尊ご開帳は毎月八日、彼岸の中日、正月三が日。よって今日はお薬師さんにはお会い出来ません。






            ▼三重塔本尊 薬師如来坐像(重文)。阿弥陀堂の阿弥陀さんより約六十年前に造顕され、
             このお寺の最初の本尊だったそうです。
             像高85.7cm、一木割矧ぎ造、彫眼、彩色、平安時代。
             開扉は毎月8日、彼岸中日、正月三が日のみ。



            (お薬師さん写真は浄瑠璃寺販売の単葉写真をスキャンしたものです)




▼三重塔初層の軒。平行垂木。






            ▼初層の三手先。






            ▼屋根の逓減率が小さいながら安定感が素晴らしいでしょう、これも鬱蒼の緑のせいでしょうか。






            ▼相輪。






さて、お薬師さんへのご挨拶が済みました。では彼岸の阿弥陀堂阿弥陀さんに会いに行きましょう。

▼三重塔石段から宝池を挟んで阿弥陀堂。







▼宝池畔からの阿弥陀堂。今日は前面の扉が閉められています。
 桁行十一間、梁間四間、寄棟造、本瓦葺、一間向拝付き。
 堂桁行十一間のうち、両端の二間を除く内側九間に九体の阿弥陀さん用の板戸が付けられており、内部には障子格子戸がはめられ
 ている。板戸を開くと内部中央に一体と、その左右に四体ずつ、計九体の阿弥陀さんを拝することが出来るのです。







▼宝池南の眺め。







▼樹々を通して見る阿弥陀堂。







▼阿弥陀堂。







▼宝池畔に二輪の桔梗。このブルーを見るとなぜかホッとするのです。







▼一間向拝。江戸後期の後補付加。






▼九体仏の中尊、阿弥陀如来坐像(国宝)。
 像高224.0cm、檜寄木造、漆箔。来迎印を結ぶ。平安時代。制作年代は数説有り定説なく不詳。
 なんと堂々とした阿弥陀さん、ボクの目には定朝様式そのもの、やや伏し目の目元など非常の良く似ています。衣文の彫りも柔ら
 かく薄く、太めの体躯は如来の安定感抜群、年代不詳といえ平安期の特色がよく出ているのでは。これだけの作が仏師、年代不詳
 とは何でだろう。

 

            (阿弥陀さん写真は浄瑠璃寺販売の単葉写真をスキャンしたものです)




▼中尊左右に四体ずつ脇侍八体(国宝) それぞれ像高139cm~145cm、檜寄木造、漆箔。全員定印を結ぶ。平安時代。制作年代は数
 説有り定説なく不詳。八体それぞれお顔には微妙な違いがあり彫技差も見受けられるので、仏師は全像違うのではないでしょうか。



(脇侍写真は浄瑠璃寺パンフをスキャンしたものです)




            ▼阿弥陀堂の裏濡れ縁。この縁を通り向こう側から入堂します。






▼寄せ集めと云う感じの板石仏。







            ▼本堂横の板碑。南無阿弥陀仏と刻されています。






▼本堂前から宝池。中央島のお社は弁天さんをお祀りしています。           













▼いわくありげな石ですネ。







▼花のお寺の今はこの花と、







▼この花が旬、全てピンクの花です。そして蕾がわんさか付いてます。           













▼池畔にさり気なく置かれた蹲踞ではなく石鉢だそうです。







▼宝池をもうワンショット。今日はこんなベリーグッドなお天気でした。もちろん汗はタラタラ。







            ▼本堂前石灯籠(重文)越しの三重塔。緑に埋もれ過ぎか、青空にもう一つ映えませんネ。







▼池向こうに見える山門。







▼さてそろそろお暇しましょうか。山門境内からです。







               ▼にゃんこの昼寝。うまいこと日陰とベッドを見つけるもんですネ。
                このお寺のにゃんこは全員肝が据わっとる。起こしても起きません。







▼ご朱印です。阿弥陀堂裏の濡縁で撮りました。






阿弥陀さんが九体並ぶ壮観さは格別。平安期には九体阿弥陀堂を持つお寺が数十ヵ寺誇ったそうですが、今にして現存するのはこの
浄瑠璃寺の阿弥陀堂のみらしいですネ。堂内は荘厳一切なし、古色が荘厳のようで非常にシンプルな堂内は阿弥陀浄土行きを一心に
祈願する衆生を包み込むような、阿弥陀さんに抱かれるような、そんな安心感を醸し、阿弥陀浄土とはヒョットして金襴豪華ではな
く、こんな空間を云うのでないかと一瞬思ったりした浄瑠璃寺でした。                         合掌





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岩船寺、緑に隠れる朱色の塔は密かに目立ちます。

2016年08月17日 | 京都の古寺巡り





(2016.08.14訪問)
南山城の古寺第二弾は、木津川を挟んで南へ少々、今日訪ねる岩船寺は石仏で著名な当尾里山中に法灯を灯しています。
先の海住山寺五重塔同様、岩船寺も三重塔で著名なお寺です。建立後五百五十年の平成十五年に解体修理を終えた三重塔は朱色鮮や
かに緑鬱蒼の山中に蘇っています。




            ▼三重塔(重文)。鬱蒼の緑に隠れる朱。





[ 岩船寺 ]
●山号 高雄山(こうゆうざん)
●寺号 岩船寺(がんせんじ)
●宗派 真言律宗(しんごんりっしゅう)
●勅願 伝 聖武天皇(しょうむてんのう)
●開基 伝 行基(ぎょうき)
●開創 伝 天平元年(729年)
●本尊 阿弥陀如来坐像(重文)
▲拝観 400円 朱印300円
▲時間 8:30~17:00  
▲京都府木津川市加茂町岩船上ノ門43番地 電話0774-76-3390
▲関西花の寺第十五番札所 35品種、5000株が乱舞。その幽玄な景色はまさに花曼荼羅。
▲JR関西本線(大和路線)「加茂駅」からコミュニティバス「加茂山の家行き」で「岩船寺」下車すぐ
 
 JR関西本線(大和路線)「奈良駅」「近鉄奈良駅」から奈良交通バス「下狭川・広岡行き」で「岩船寺口」下車。徒歩約30分。
 
 京奈和道「木津IC」から加茂方面へ約5㎞。
 西名阪道「天理IC」から北へ約20㎞。



▼石段の先山門が見えます。





岩船寺縁起 (岩船寺HPから抄出)
天平元年、聖武天皇が行基に命じて阿弥陀堂を建立したのに始まると伝えられています。平安時代には弘法大師の甥の智泉が報恩院
を建立。嵯峨天皇が智泉に皇子誕生祈願をさせた所、皇子誕生、その効験により堂塔伽藍が整備され、寺号も岩船寺となりました。



▼質素な山門ですネ。







▼山門の先、百日紅を通して三重塔の朱が目に入ります。







▼山門潜りスグ右手に本堂。桁裄五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。昭和六十三年(1988年)再建。







▼本尊阿弥陀如来坐像(重文)。小さなお堂の小さな須弥壇にドッシリとした大きな体躯は安定感抜群。柔和なお顔と半眼は何を瞑想
 しているのだろう。やや大きめの螺髪はまだ若かりし阿弥陀さんの精悍な気力を表しているみたい。
 像高約284cm、欅一木造、天慶九年(946年)造像。本尊周囲に四天王立像四像は正応六年(1293年)造像。



(写真は小川光三さん写真集「南山城の古寺」から複写) 





▼本堂。







▼百日紅が頑張ってます。後ろは本堂の屋根。花のお寺も今は百日紅最後の頑張り、花色はこれと桔梗数株のみ。







▼本堂前に咲く桔梗数株。







▼阿字池。水草で埋まってますが花はありません。







▼十三重石塔(重文)。塔身に金剛界四仏の梵字が刻されています。正和三年(1314年)建立。







▼三重塔(重文)。境内奥のやや高台に東向きに建っています。惜しいかな鬱蒼の樹叢に全景が見えません。






            ▼少し寄ってみます。






            ▼朱色が鮮やかです。






            ▼正面下からのショットです。初層中央間板唐戸、脇間連子窓。
             三間四方、本瓦葺。嘉吉二年(1442年)建立。平成十五年(2003年)解体修理。






▼初層西扉オープン時。正面来迎壁に五大明王図。板戸内面右伊舎那天、左帝釈天。



(以下3点初層開扉の写真は2012年11月3日岩船寺初層公開訪問時の撮影です)





▼不動明王をアップで。







▼初層東扉オープン時。来迎壁に十六羅漢図。板戸内面右羅刹天、左水天。







▼イヨッ頑張ってるナ。四隅の垂木を支える天邪鬼。







▼初層、二層と高欄のない濡縁。












            ▼この方向しか撮れないのは辛いですね。






            ▼三重塔相輪。






▼鐘楼。







▼百日紅。







▼地蔵堂。






            ▼本尊地蔵菩薩坐像。二重円光に半浮き彫りのお地蔵さん。
             右手にしっかり錫杖を持ってます。鎌倉時代。






▼百日紅。






            ▼五輪塔(重文)。東大寺別当平智僧都の墓と伝わるそうです。






▼船形蹲踞がひっそりと置かれています。






            ▼石室の中に祀られる不動明王石像。






▼開山堂。本尊はやはり開山行基さんかな。中を覗くの忘れました。






            ▼菩薩石像。全身像(たぶん)の胸部から上をこんな形で祀る異様さ。
             別な想像をしてしまいそう。






▼板石仏。






▼歓喜天堂。







▼白山神社(重文)。本殿裏山に建つ岩船寺鎮守社、天平勝宝元年(749年)建立。







▼白山神社本殿。







▼手前白山神社本殿(重文)、奥春日社本殿。







▼参道手前に石風呂と伝える石の箱。確かに底に排水溝が開けられていました。







▼ご朱印です。重文五輪塔に置いて撮りました。






ここ岩船寺は南山城当尾の里の樹叢深閑とした山中に、今はひっそり佇んでいます。盛時には大伽藍を擁し、広大な寺域を誇ったと
云うが、これはこのお寺に限らず古寺古刹の典型的な表現、このような山中で史実として本当の所はどうなんだろう。
と何時も疑問に思うことです。





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海住山寺、国宝五重塔をジックリご覧下さい。

2016年08月09日 | 京都の古寺巡り





(2016.08.06訪問)


南山城、木津川をはさんで南側は大和国、奈良に一番近い京都、今日訪ねるお寺はR163号の北、三上山中腹、標高約200mに建つ
海住山寺です。ここは日本で二番目に小さい国宝五重塔が建つことで著名な山寺です。
山道に沿って民家が建ち並び、細い上に急坂、それはそれは相当酷い惨道。最初の寺号石が建つ辺りから道幅も広くなりますがここ
までが要注意。間違ってもドライビングテクニックを試さないように。


▼小さいながらもピリリの五重塔、国宝です。





[ 海住山寺 ]
●山号 補陀擽山(ふだらくさん)
●寺号 海住山寺(かいじゅうせんじ)
●宗派 真言宗智山派(しんごんしゅうちざんは)
●勅願 伝 聖武天皇(しょうむてんのう)
●開基 伝 良弁僧正(ろうべんそうじょう)
●開創 伝 天平七年(735年)
●中興 貞慶上人(じょうけいしょうにん) 承元二年(1208年)
●本尊 十一面観音菩薩立像(重文)。
▲拝観 400円 朱印300円
▲時間 9:00~16:30  
▲京都府木津川市加茂町例幣海住山20 電話0774-76-2256
▲http://www.kaijyusenji.jp
▲JR「加茂駅」から奈良交通バス「和束小杉行き」バス停「岡崎」下車徒歩40分
 大阪京都方面からR163号線海住山寺口左折約2km




▼少々荒れ気味の総門。位置的に参拝者は通らないのかも。





海住山寺縁起 (海住山寺HPから抄出)
天平七年盧舎那仏造立を発願した聖武天皇が、工事平安祈願のため、良弁僧正に勅して一宇を建立、十一面観音菩薩を安置し、藤尾
山観音寺と名づけたのに始まるということです。この寺は、保延三年(1137年)灰燼に帰し、寺観ことごとくを失ったのであります。
その後七十余年を経た承元二年(1208年)十一月、笠置寺におられた解脱上人貞慶が、この観音寺廃址に移り住み、草庵を営み補陀洛
山海住山寺と名づけ旧寺を中興、ここに現在の寺基が定められたのであります。



▼山門石段。







▼山門。






▼山門扁額。







▼参道。







▼本坊の石垣漆喰塀。







▼本坊の景観。相当豪勢なお寺の印象。この日は本坊拝観出来ませんでした。






            ▼境内入口に建つ寺号石柱。






▼鐘楼。







▼境内から見た山門。







▼本堂。本尊十一面観音菩薩立像(重文)。
 桁裄五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。明治十七年(1884年)再建。        













▼新しく生々しい本堂扁額。







▼本堂内陣荘厳。須弥壇中央お厨子に本尊十一面さんがお立ちです。
 お厨子の前まで行けるんですが、なにぶん薄暗くお厨子の扉半開き、本尊十一面さん殆ど見えずの状態。







          ▼本尊十一面観音菩薩立像(重文)。像高189cm、一木造、仏師不祥、平安時代。
           先日亡くなられた小川光三さんの写真集「南山城の古寺」から海住山寺本尊十一面観音菩薩立像。

  




            ▼妙にリアルでなかなか撫でるのを躊躇する賓頭盧さんです。






▼本堂。






▼文殊堂(重文)。本尊文殊菩薩。鎌倉後期、
 桁裄三間、梁間二間、寄棟造、銅板葺。応長二年(1312年)建立。







▼本堂前にさりげなく岩風呂。手水用か浴槽用か定説定かならずだそうです。
 長辺約200cm、短辺約110cm。鎌倉時代、正嘉二年(1258年) 花崗岩。







▼何事も成すの語呂合わせ「なすの腰掛け」。こんな坐りにくい腰掛けもまた珍しいですワ。






            ▼本堂横の良弁杉。大きいですが樹齢不明だそうです。






            五重塔アラカルト

            ▼五重塔(国宝)。
             塔高17.7m、初層方三間、本瓦葺、裳階付。建保二年(1214年)建立。
             室生寺五重塔に次いで日本で二番めに小さい塔です。
  



            内陣は厨子風造り、八枚の扉に一体ずつ、梵天、帝釈天などの天部や比丘像が
            描かれているそうです。






            裳階は12本柱の吹き放し、この柱があることで塔全体の安定感がより感じますネ。




▼初層屋根と裳階。裳階のある塔は法隆寺五重塔とここだけ。                              

    




            ▼五重塔。                                           











▼二層組み物と初層屋根の裳階。                                 






            ▼五重塔。                                           











            ▼相輪。






            ▼五重塔。



            この秋文化財特別公開で五重塔が開扉されます。2016年10月29日(土)~11月6日(日)




▼五重塔の後ろに三社明神、海住山寺の鎮守社でしょうか。







▼鳥居上を青もみじのシャワー。







▼薬師堂(開山堂)。







▼堂内の荘厳一切ナシ、中興の祖貞慶上人でしょうか、一人淋しくお坐りです。







▼石仏が適当に置かれています。






            ▼十三重石塔。塔身に金剛界四仏の梵字が刻されています。花崗岩、江戸時代。






            ▼石塔の隣に宝篋印塔。






            ▼輪廻塔。このマニ車を廻すと種々の苦悩から開放されるそうなんで、
             もちろん廻しましたヨ。






本堂横の山道を少し上りましょう。

▼オシャレと云っちゃなんですが、堂形の優れた納骨堂です。







▼手の込んだ浮彫りの扁額。






            ▼隆範大僧正の顕彰碑。



 隆範さんは明治初期、廃佛毀釈の嵐の中で寺々各地に散在し、寺院の存否危急を要するとき、その維持困難のとき一村一寺の制を
 決行、その危急をくぐり抜け統一に成功。明治九年伽藍修理をはじめ本堂再建に着手、明治十七年春竣工。本山より高僧数十名を
 招き、入佛供養庭儀大曼供を修め、海住山寺盛況の基を築いた英僧。
 (海住山寺HP大僧正隆範師略伝から抄出)




▼遥拝所と思われる広場から南、木津川市加茂町辺りの景観。













            ▼海住山寺秋の文化財特別公開、国宝五重塔開扉の告知ポスターが境内に貼られてました。







▼ご朱印です。






相変わらずこのお寺、入山料とか拝観料にシビアの印象、境内随所に貼紙があり目立ち過ぎ、余り印象宜しくないですよ。
しかし五重塔は印象すこぶる宜しい。小さいながらも国宝の貫禄充分。常時は初層開扉はしていませんが、文化財特別公開の時には
改めて訪ねてみたいお寺の一つです。





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