土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

大阪城の蝋梅、見頃ですよ!

2014年01月30日 | 花巡り


(2014.01.29訪問)

朝日新聞の大阪城梅林の蝋梅が見頃の報にダマサレタ、じゃなかったツラレタ人の多いこと。
ニュースの威力はたいしたもんです。





大阪城の蝋梅は梅林のすき間に遠慮がちに10株ほど植わってます。
「な~んや、これだけ」
「朝日の写真この木やな、チイサー」
「しょぼー」
これオバはん、じゃなかったオバさん達の声。そう云いながら必死でシャッター押してました。





























けなげにも小さい木に高貴な黄色をイッパイ付けて、なんとも云えないエエ香り。
梅が咲くまでアンタが主役!





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来迎院、泉涌寺塔頭の一つ、大石内蔵助がここで仇討ち密議をしたそうです。

2014年01月29日 | 京都の古寺巡り


(2014.01.25訪問)


つづいて泉涌寺山内高所の雲龍院から低所の来迎院を訪ねます。人間第一印象は最後まで引きずるもので、
同じ山内塔頭ながら雲龍院と来迎院、ずいぶんと印象が違います。ここ来迎院は境内全体が独特の雰囲気の
お寺です。


▼荒神堂。




[ 来迎院 ]
●山号 明応山(みょうおうざん)
●寺号 来迎院(らいごういん)泉涌寺塔頭
●開基 伝弘法大師 大同元年(806年)
●開基 藤原信房 (ふじわらのぶふさ)
●開山 月翁智鏡律師 (がっとうちきょうりっし)
●創建 健保六年(1218年)
●宗派 真言宗泉涌寺派
●本尊 阿弥陀如来
▲京都市東山区泉涌寺山内町33 TEL.075-561-8813
▲拝観料 一般300円 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~17:00
▲JR京都駅、京阪七条駅市バス208号系統で「泉涌寺道」下車徒歩10分
 京阪四条駅から市バス207号系統で「泉涌寺道」下車徒歩10分
 JR奈良線東福寺駅、京阪東福寺駅から徒歩15分

来迎院縁起(来迎院パンフレットから抄出)
大同元年(806年)弘法大師空海が唐で感得した荒神像をこの地に奉安。その後月翁智鏡律師が藤原信房公
の帰依を受け健保六年(1218年)堂宇を開創、泉涌寺の子院とした。応仁の乱で当院も泉涌寺と共に全山灰
燼、その後織田信長が寺領を寄せ、前田利家が伽藍再興、豊臣秀吉も寺領を寄せ、朝廷からは安産の勅願所
として信仰厚く禁裏御菩提所泉涌寺の別当として栄えた。


▼御寺大門の手前に今熊野観音寺の下り参道があります。少し下ると、来迎院の道しるべ石標が建ちます。




▼すぐ山門に到着。いきなりくら~い雰囲気をかもしてます。




▼門前にはゆな荒神社の石柱も。




▼来迎院は布袋さんを奉安する京都七福神第四番札所です。



正確には泉涌寺七福神第四番札所です。京都にはなんとか七福神が結構ありますヨ。


▼参道を真っ直ぐ正面の石段の上、荒神堂が見えます。




▼荒神堂。高所にポツンと建てられています。日本最古の三宝荒神坐像(重文)が祀られています。安産の
守護神として信仰され、来迎院は、ゆな (胞衣母体内の胎児を包む) 荒神社とも称されているそうです。




▼荒神堂の扁額。金剛峰寺高僧の揮毫です。




▼荒神堂の横に石鳥居のテッペン風台、石の宝船にも見える台に、小さな布袋さんの置き場? 捨て場?

 

とにかくゴチャゴチャに置いてあり、信者のご利益の後なんでしょうか? 荒神堂に布袋さんが奉安されてる
そうです。


▼こんな布袋さんがイッパイ。伏見人形らしいですね。




▼本堂。堂内は非公開です。




▼庫裡です。右手が名庭含翠庭への入口です。




▼含翠庭。池泉回遊式庭園でお庭は小さいですが、今は熊笹がわがもの顔。早い話が熊笹に覆われています。




▼小さな五輪塔がひっそり。




▼熊笹の向こうに。




▼八面仏石幢。燈籠のようですが火袋の部分に八体の仏が浮き彫りされています。




▼心字池。




▼心字池に架かる石橋。




▼茶室含翠軒。大石内蔵助が建てたと伝わり、山科に隠棲していた大石内蔵助はここ来迎院で仇討ちの密議
をしたと伝わるそうです。




▼含翠軒内部。




▼含翠軒前に苔に覆われた蹲。水は落ちてませんでした。




▼客殿。お抹茶をいただくことが出来るそうですが、遠慮しました。




▼熊笹と苔。




▼御朱印です。




華やかな雲龍院の後、ここ来迎院は、ほとんど訪ねる人もないようで、お嬢さんお一人と会っただけでした。
錦秋は境内一帯が紅く染まり人で溢れるそうですが、お庭の今は熊笹が溢れてます。時節柄冬景色だし、人が
いないと云うことはともかく、境内は少しばかり淋し~い、侘し~い印象がします。
少々気分がくら~くなってきたので本日はこれにてオシマイ!



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雲龍院、泉涌寺の塔頭ですが別格本山でもあります。

2014年01月27日 | 京都の古寺巡り


(2014.01.25訪問)

御寺泉涌寺の塔頭寺院と云うことで、少しばかり身構えて訪ねてみたのですが、なかなかどうして、非常に
オープンなお寺です。
「蓮華の間色紙の障子」がメディア取材などで超有名になり、色付きシーズンには大人気と聞きます。
「蓮華の間」に一人で座り、お抹茶一服いただきながら、色紙の世界を愛でる、よろしいなァ。
今は残念ながら華やか、鮮やかな色はありません。


▼「蓮華の間」色紙の障子。




[ 雲龍院 ]
●山号 瑠璃山(るりさん)
●寺号 雲龍院(うんりゅういん)泉涌寺塔頭
●開基 後光厳天皇
●開山 竹巌聖皐上人 (ちくがんしょうこう)
●創建 応安五年(1372年)
●宗派 真言宗泉涌寺派 別格本山
●本尊 薬師三尊像
▲京都市東山区泉涌寺山内町36 TEL.075-533-7125
▲拝観料 一般400円 お抹茶付き900円 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~17:00
▲http://www.unryuin.jp/
▲JR京都駅、京阪七条駅市バス208号系統で「泉涌寺道」下車徒歩10分
 京阪四条駅から市バス207号系統で「泉涌寺道」下車徒歩10分
 JR奈良線東福寺駅、京阪東福寺駅から徒歩15分

雲龍院縁起(雲龍院HPから抄出)
雲龍院は応安五年(1372年)後光厳天皇の御建立。同所に後円融天皇、康応元年(1389年)龍華殿を御建
立。応仁の乱で文明二年(1470年)全山焦土化、僅かに後光厳、後円融天皇の尊像を残すのみとなった。
桃山時代を経て、江戸初期中興の祖、如周宗師が雲龍、龍華両院を合併し雲龍院のする。御水尾天皇から造
営費御下賜、写経の道場を現在の位置に再建。江戸時代、本願天皇から御下賜金を賜りて諸堂修理、鎮守堂、
鐘楼等の建立。皇室との御縁で玄関、方丈、勅使門を賜り歴代の御尊牌を奉安する霊明殿は明治二年現存の
様に再建された。


▼泉涌寺参道総門の山内案内イラストマップ。今日訪ねたのは赤丸の塔頭です。




▼泉涌寺大門の前を右に行くと雲龍院の参道です。




▼上ること少々、山門に着きます。




▼山門右に勅使門。皇族専用です。




▼禅門に必ずある石碑と思うんですが、ここは真言宗、なんと書いてるんでしょうか。




▼庫裡まで一直線に続く参道の左右は手入れが行き届いています。




▼二本柱の屋根付き井戸です。




▼袴腰の鐘楼。




▼相当リラックスしている観音さん、石像でイイお顔です。




▼庫裡です。右の書院玄関が拝観口です。




▼書院玄関の衝立。作家はわかりませんが、龍です。




▼書院蓮華の間の「色紙の景色」



雪見障子のガラス四枚にそれぞれ違うお庭の表情を見ることが。色のシーズン、花のシーズンには是非どう
ぞと云われました。報道ステーションでもやってましたネ。


▼蓮華の間縁側からの庭園。




▼書院大輪の間。




▼大輪の間から庭園。




▼大輪の間縁側からお庭。




▼大輪の間。




▼霊明殿。明治元年建立の皇族位牌堂。




▼霊明殿前庭に徳川慶喜寄進の燈籠。白砂の菊の御紋が珍しいです。




▼霊明殿前庭の勅使門。




▼庭園。




▼龍華殿(重文)。雲龍院の本堂です。桁行五間、梁間五間、入母屋造、サワラ杮葺。一間の向拝付。



写真はウイキから借用。


▼龍華殿扁額。




▼内陣。




▼内陣後ろに仏殿があり、本尊薬師三尊が祀られています。向かって右日光菩薩、左月光菩薩。




▼本尊薬師如来坐像。木造、作者は不明ですが鎌倉期の造像。




▼本堂側面を参道から。




▼庭園。




▼書院悟之間。




▼庭園。




▼ご存知「迷いの窓」




▼ご存知「悟りの窓」




▼白砂の菊の御紋。




▼御朱印です。




悟之間では一人だったので、悟丸窓の前でしばらく瞑想いや迷想、外の楓のグニャ裸木を見ていると曲がり
くねった根性を見透かされているようで、あ あ イ ヤ だ 。

と云うことで雲龍院 オ シ マ イ !




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千本釈迦堂にはベッピンさんが大勢いやはります。

2014年01月24日 | 京都の古寺巡り


(2014.01.18訪問)

「しゃかどうはんには、おかめはんがおおぜいいやはるんどす、そやさかい、だいとくじはんからかえりし
な、さむうてこごえもって、おかめはんにあいにいったんどすえ」
てな書き方をすると舌がもつれるので止めます。

大報恩寺通称千本釈迦堂は、大根炊きやお亀桜で有名なお寺ですね。大根炊きは済み、桜はまだ先、はっき
り云って今は何もありません。そうそうもう一つ有名なお話、本堂建築の棟梁のおかみさん、おかめさんに
まつわる天晴伝説が今も語り継がれ、本堂にはそのおかめさんのお面や人形がワンサカ展示されています。
これを見るだけでもお値打ちありドスエ。


▼これ以上崩しようがないのは究極のベッピン! と誰か云いませんでした?
大勢のうちのおかめさんのお一人です。




[ 大報恩寺 ]
●山号 瑞応山(ずいおうざん)
●寺号 大報恩寺 (だいほうおんじ)通称 千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)
●開山 義空上人 (ぎくうしょうにん)
●創建 安貞元年 (1227年)
●宗派 真言宗智山派
●本尊 釈迦如来
▲京都市上京区今出川通七本松上ル溝前町 TEL.075-461-5973
▲拝観料 一般500円 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~17:00
▲JR京都駅から市バス50系統、阪急京都線四条大宮駅から市バス51系統で上七軒下車徒歩約3分。


大報恩寺縁起
鎌倉時代、承久三年(1221年)義空上人が、この地に小堂を建て、釈迦如来像と十大弟子像を安置したこと
に始まり、倶舎、天台、真宗三教の霊場となる。安貞元年 (1227年)、現在の本堂が建立。
室町時代、応仁、文明の乱 (1467~1477年) では、西軍の中心地(西陣)だったため焼失。ただ、本堂だけは
奇跡的に焼失を免れました。


▼細道ですが歴とした名がある通りに突然参道が現れました。(通り名忘れました)




▼山門。切妻造、四脚門、本瓦葺。




▼山門から、本堂へ一直線の参道。人影が見えません。




▼本堂右手前のお亀桜。枝垂桜もウラメシヤ~じゃなかった、うら寂しげじゃ~。



楕円の写真は満開の時です。


▼ふっくらおかめさん。ガリガリを目指してる世のおネーサン、これが美人の条件なんですヨ。




▼おかめさん縁起が詳しく書かれています。




▼本堂(国宝)。桁行五間、梁間六間、入母屋造、檜皮葺、正面一間向拝付。安貞元年(1227年)建立。



正面五間はすべて蔀戸になっているため入堂は左側面から。京都市中を焼け野原にした応仁の乱、十年続い
た戦乱で唯一残ったのがこの本堂です。


▼一面だけ蔀戸が開けられた正面。




▼本堂内陣。




▼本堂須弥壇。中央、方一間を鮮やかな仏画が残る四天柱で囲み内々陣とし、本尊釈迦如来像は秘仏のため
奥のお厨子に。




▼見てください、鉄砲玉と刀傷が生々しく残る柱。応仁の乱の痕跡です。




▼本堂。




▼本堂からの境内、寂しいですね。




▼北野経王堂。このお堂のお話も次の写真見てください。




▼北野経王堂の縁起。




▼法堂裏の千体地蔵。




▼御朱印です。




▼究極のベッピンもう一度登場してもらいます。願わくば前からは、見たくない、ですよネ。




「バックシャンお願いだから振り向くな」のような方も、
「白マスク目だけ見れば皆美人」のような方も、冬場は目立つように思いません?

大変失礼しました。それでは皆さん今夜はうなされないことを祈ります。


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瑞峯院、ご住職の心経朗詠聞き惚れました。

2014年01月22日 | 京都の古寺巡り


(2014.01.18訪問)

坐禅のまねごとで、外縁に半時座っていると凍えました。効果がアルのかナイのか、ナイに決まってますネ。
龍源院を辞して瑞峯院を訪ねます。
庫裡に入ると、方丈から般若心経の朗々の声が聞こえてきます。時に太く、低く、時に強く、お経の持つ旋
律に聞き惚れていると、若い雲水さんが「中に入られてもいいですよ」と云ってくれましたが…。聞く所に
よると檀家さんの法要でした。

▼大徳寺本尊 釈迦如来坐像。




[ 瑞峯院 ]
●寺号 瑞峯院(ずいほういん)大徳寺塔頭
●開山 徹岫宗九(てっしゅうそうきゅう)
●開基 大友宗麟(おおともそうりん)
●創建 天文四年(1535年)
●宗派 臨済宗大徳寺派
●本尊 開山 徹岫宗九木像
▲京都市北区紫野大徳寺町81 TEL.075-491-1454
▲拝観料 一般400円 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:30
▲地下鉄烏丸線北大路駅西へ徒歩約20分。
 市バス大徳寺前下車スグ。

瑞峯院縁起 (瑞峯院パンフから抄出)
室町時代、九州のキリシタン大名大友宗麟が徹岫宗九禅師を開山として創建。宗麟は二十二歳で得度、瑞峯
院殿瑞峯宗麟居士を以て、寺号を瑞峯院となる。


▼表門(重文)。切妻造、四脚門、檜皮葺。室町時代天文四年(1535年)建立。




▼庭園独坐庭と刻した石標が建てられています。




▼参道。正面は唐門(重文)。




▼庫裡。




▼方丈仏間。本尊としてかどうか判りませんが開山徹岫宗九禅師の像が祀られています。



襖絵は朝鮮金剛山を水墨で描かれています。三十三面あるそうです。作家は野添平米さん。


▼井戸。




▼方丈庭園(南庭)独坐庭。蓬莱山式枯山水庭園。
巨石表現の蓬莱山と打ち寄せる荒波に揉まれながらも悠々と独座を表現「独坐大雄峰」
という禅語からの命名。




▼方丈庭園(南庭)独坐庭。荒波打ち寄せる蓬莱山の石組み。
砂紋の波が実に美しく、リズム感抜群の荒波と云えるのでは。




▼方丈庭園(南庭)独坐庭。変化に富む波紋は高低差10cmあるそうです。




▼方丈庭園(南庭)独坐庭。




▼独坐庭西の入り江。
苔と白砂州浜があり、静寂な入り江を表現し、飛石が茶室餘慶庵口に続いています。




▼茶室餘慶庵(よけいあん)の扁額。




▼餘慶庵露地の飛石とお休み処。




▼餘慶庵露地の蹲踞。最初あらぬものと間違えました。




▼方丈庭園(北庭)閑眠庭。
「閑眠高臥して青山に対す」の禅語からの銘。重森三玲さん作庭。
俗を離れ、山野閑居など意味しそれを白砂、苔、石、で表現しているそうです。




▼閑眠庭東の中庭。




▼中庭のキリシタン燈籠と蹲踞。
そういえば、このお寺はキリシタン大名大友宗麟が開基したお寺ですよネ。




▼茶室安勝軒。




▼茶室安勝軒。大徳寺山内唯一の逆勝手席。






▼ご朱印です。




法要が終ると最後にご住職が出てこられたので、心経に聞き惚れたことや中に入りたかったことをお話しす
ると、「なんや入ってきてワシの横に座って聞いたらええのに」勿論「中に入る勇気はボクにはありません
でした」と。
寒い冷たい外縁で高説伺いほぼ半時。
辞するとき玄関で靴を履いていると「まあ奥でお茶でもどうや」とご住職。
「もっと早よ云ってください」とは云えませんでした。

禅院枯山水庭園巡り オ シ マ イ !




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