土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

石清水八幡宮、まもなく国宝指定。

2015年12月25日 | 京都の古寺巡り




(2015.12.19訪問)


少し前報じられた「やわたのはちまんさん」が国宝指定されると云うニュースを思い出し、泉涌寺の帰途、訪ねてみま
した。京阪八幡市で降りることも、石清水八幡宮を訪ねるのも初めてです。山上境内に着いて先ずビックリ、廻廊が囲
む社殿の建造物全てが丹漆塗でなんとキレイなこと、ドン曇りの中でも「丹」が映えてます。青空の下だったらもっと
映えるのにと、無い物ねだりをしても詮無いので取り敢えず回ってみることにします。




▼社殿。






[ 石清水八幡宮 ]
●社号 石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)
●開創 貞観二年(860年)
●遷座 宇佐八幡宮より男山の峯に御神霊を遷座奉安
●祭神
 中御前 応神天皇(おうじんてんのう)誉田別尊(ほんだわけのみこと)
 西御前 比咩大神(ひめおおかみ)
     多紀理毘賣命(たぎりびめのみこと)
     市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)
     多岐津比賣命(たぎつひめ のみこと)
 東御前 神功皇后(じんぐうこうごう)息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)
●朱印300円 駐車場無料 
▲京都府八幡市八幡高坊30 電話075-981-3001
▲京阪電車「八幡市駅」下車 男山ケーブル「男山山上駅」下車徒歩5分




        ▼社号石柱。






石清水八幡宮縁起 (石清水八幡宮HPから抄出)
清和天皇貞観元年(859年)南都大安寺の僧、行教和尚は豊前国(現大分県)宇佐八幡宮にこもり日夜熱祷を捧げ、八幡大神
様の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、同年男山の峯に御神霊を御奉安申し上げた
のが当宮の起源です。そして朝廷は翌貞観二年(860年)同所に社殿(六宇の宝殿を造営、4月3日に御遷座されました。天
慶二年(939年)に起こった平将門、藤原純友の乱には、朝廷請願があり八幡大神様の御神威をもって速やかに平定されて
以来、国家鎮護の社として皇室の御崇敬は益々厚いものとなり、天皇行幸や上皇御幸は、円融天皇(第64代)の行幸以来、
実に240余度にも及び、伊勢の神宮に次ぐ第二の宗廟とも称されました。明治の初めには官幣大社に列せられ「男山八
幡宮」と改称されましたが「石清水」の社号は創建以来の由緒深い社号であるため、大正七年には再び「石清水八幡宮」
と改称され現在に至ります。




▼一ノ鳥居。高さ約9m、最大幅約11m、花崗岩製。






▼扁額。 (石清水八幡宮HPから抄出)
 現在の額は寛永三筆の松花堂昭乗が元和五年(1619年)、行成筆跡の通りに書写したもの。
 特に八の字は、八幡大神様の神使である鳩が一対向かい合い顔だけを外に向けたデザイン。






▼頓宮北門。ここから境内を通って表参道へ。






▼頓宮境内。






▼頓宮殿。 (石清水八幡宮HPから抄出)
 年一度、勅祭石清水祭において山上本殿より御神霊が御遷し重儀が斎行される重要な社殿です。






▼頓宮廻廊。






▼頓宮南門。
 山上にある本宮の南総門が新築されたのを機会に本宮の旧南総門をこの場所に移築した。
 この門を抜けると二ノ鳥居が見えてきます。






        ▼五輪塔。
         高さ6m、下部の方形の一辺2.4mの石塔で国の重要文化財に指定されています。
         制作意図が不明な五輪塔。






▼途中裏参道の石段が見えます。






▼二ノ鳥居。ここから表参道が始まります。






▼全長約800m、石段数396段、標高142.5mの表参道。一段あたり約10cmの高さの歩きやすい石段。






        ▼所々残り紅葉がキレイです。






▼七曲がりと云われてます。2~3カ所あります。






▼途中八幡市街と京西山を見渡せます。






▼散り忘れモミジ。






▼最後の直線。






▼三ノ鳥居。ここから本殿まで一直線。






▼一つ石。 (石清水八幡宮HPから抄出)
 三ノ鳥居付近中央にその箇所のみ自然石が露出している部分があります。この石は通称「一ッ石」「勝負石」「お百
 度石」などと呼ばれ、この石が走馬・競馬の出発点になっていたことに由来するといわれています。






▼真っ直ぐな参道。






▼直線の参道の両側に石灯籠が並んでいます。






▼南総門が見えてきました。

       




▼八脚の立派な手水舎。






▼南総門。






▼南総門から社殿。






▼何ともいいようのないキレイな社殿ですネ。






▼参道終点と本殿角度が違うのが分ります? 理由があるんですヨ。






▼社殿正面。 (石清水八幡宮HPから抄出)
 貞観元年(859年)清和天皇の勅命により六宇の宝殿を建立し、順次八幡造りの社殿を完成。以来、造営十四度・修理
 十七度、現在の社殿は寛永十一年(1634年)、徳川三代将軍家光の修造によるものです。











▼社殿正面の楼門。 (石清水八幡宮HPから抄出)
 本殿から幣殿、舞殿、楼門と続き、周囲約180mの廻廊が囲む社殿建造物です。






▼楼門。極彩色の壮麗な龍虎の欄間彫刻。






▼廻廊と黄金の吊り灯籠。






        ▼東昇殿口に鉄灯籠。さり気なく鉄寂びて立ってます。






        ▼神木おがたまの木。






        ▼信長塀。織田信長が天正八年(1580年)寄進した土塀。本殿を囲むように築かれています。






▼東総門。






▼鬼門封じ。
 丑寅の方角鬼門(東北)を封じるために、社殿の石垣を切り取った造りになっています。






▼摂社水若社。                      ▼摂社若宮社。






▼摂社貴船社、龍田社。                  ▼摂社住吉社。






▼北総門。






▼校倉。                         ▼摂社広田社、生田社、長田社。






▼西総門。






▼南総門と境内。
 巫女さんを見かけたところで「やわたのはちまんさん」 オ シ マ イ






石段は大嫌いだ! ラクチン参拝決行。
白状します!

今日は表参道を上っていません。ストーリーは表参道を上ったように装いましたがまったくのウソです。
396段を上る気は初めからありません。京阪八幡市駅からさっさと男山ケーブルへ直行、僅か2分で山上駅です。参拝
後表参道をユックリ下ったの云うまでもありません。ウソはいけませんネ。
けど石段は大嫌いだ! 

で、ケーブルに乗って山上へ。
▼男山ケーブル八幡市駅。






▼出発で~す。






▼トンネルです。向こうから下りが来ます。






▼トンネルの中ですれ違い。






▼次のトンネルが見えます。






▼このトンネルを抜けると山上駅。約2分のケーブルの旅でした。






今日のフロク
▼境内の一角にエジソン記念碑。
 発明王エジソンが、白熱電球のフィラメントの材料としてにここ八幡の竹が最適なことを知り、以後十数年の間この
 竹を使い白熱電球を世に送り出した。その功績を伝えるためにこの地に記念碑が建てられたのです。





2015年10月17日朝日新聞
文化審議会は10月16日、最古で最大規模を誇る石清水八幡宮本社(京都府八幡市)本殿をはじめ十棟の建造物を新たに
国宝に指定するよう文部科学相に答申した。


答申後官報告知で正式に国宝指定になります。




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御寺、泉涌寺は皇室の菩提所です。

2015年12月21日 | 京都の古寺巡り




(2015.12.19訪問)
先週、泉南の長慶寺ご住職に書いて戴いた紹介状を懐に、京阪電車「東福寺駅」で降り目指すは御寺泉涌寺。
東大路通りから泉涌寺道をお寺に向かいます。寒く鬱陶しいお天気にも関わらず三々五々参拝の方々の姿があります。
さてどんな所を拝観させて戴けるのか、ワクワクの気持ちもそぞろ、降り出すと困るので先に境内を一周、はやる気持
ちで本坊へ。紹介状の威力は大したもの、早速僧侶の方が出てこられ、どうぞご案内します……。


▼泉涌寺道表示より電線が目立っています。この道を真っすぐ300mくらい行くと、





[ 泉涌寺 ]
●山号 東山(とうざん)
●寺号 泉涌寺(せんにゅうじ)
●宗派 真言宗泉涌寺派
●開山 月輪大師 俊芿(がちりんだいし しゅんじょう)
●開創 嘉禄2年(1226年)
●本尊 三世仏、釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像、弥勒如来坐像
▲拝観 500円 本坊拝観料300円 朱印300円 駐車場無料 
▲京都市東山区泉涌寺山内町27 電話075-561-1551
▲JR奈良線「東福寺駅」から徒歩10分
 京阪電車「東福寺駅」から徒歩10分
 京阪電車「七条駅」から市バス208で「泉涌寺道」下車、徒歩7分 
 京阪電車「祇園四条駅」から市バス207で「泉涌寺道」下車、徒歩7分


▼墨跡鮮やか泉涌寺総門です。





泉涌寺縁起 (泉涌寺HPから抄出)
東山三十六峯月輪山の麓にたたずむ泉涌寺。皇室の菩提所として清浄無垢の法域となっている。
当寺は天長年間、弘法大師がこの地に草庵を結び法輪寺と名付けたことに由来し、建保六年(1218年)当寺が開山と仰
ぐ月輪大師俊芿(がちりんだいししゅんじょう)が宇都宮信房からこの地の寄進を受け、大伽藍の造営を志し、嘉禄二年
(1226年)に主要伽藍が完成。その時寺地の一角から清水が涌き出たことにより泉涌寺と改めた。この泉は今も枯れるこ
となく涌き続けている。当時朝野の尊信篤く、後鳥羽、順徳上皇、後高倉院をはじめ、北条政子、泰時も月輪大師につ
いて受戒するなど、公家、武家両面から深く帰依された。
大師入滅後も皇室の当寺に対する御帰依は篤く、仁治三年(1242年)四条天皇崩御の際は、当山で御葬儀が営まれ、山稜
が当寺に造営された。その後、南北朝~安土桃山時代の諸天皇、続いて江戸時代に後陽成天皇から孝明天皇に至る歴代
天皇、皇后の御葬儀が執り行われ、山稜が境内に設けられて、月輪陵(つきのわのみさぎ)と名づけられた。こうして当
山は皇室の菩提所として、篤い信仰を集めることとなり泉涌寺が御寺(みてら)と呼ばれる所以である。



        ▼泉涌寺イラスト境内マップがいやでも目に入ります。






        ▼御寺の文字が泉涌寺のステータス。






▼大門(重文)。江戸期初頭、御所の門を移築したもの。袖塀の五本線が格を表します。切妻造、四脚門、本瓦葺。






▼山号東山と書かれた大門扁額。






▼御寺の定番、大門から下り参道。






▼前方は仏殿です。






▼仏殿(重文)。本尊 三尊仏。釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像、弥勒如来坐像。
 単層裳階付、桁行5間、梁行5間、入母屋造、本瓦葺。寛文八年(1668年)再建。
 重層に見えますが、下屋根は裳階で、内部は天井が高く播龍図が睨みをきかせており豪快な内部ですよ。






▼チョット角度を変えて仏殿。






▼月輪山の麓に広がる境内。






▼舎利殿。仏牙舎利を納める霊殿です。この日は入堂できませんでした。
 重層、桁行七間、梁間六間、入母屋造、本瓦葺。江戸慶長年間内裏の御殿を改装移築したそうです。






▼舎利殿。






▼本坊山門。






▼本坊大玄関。






▼勅使門。四脚門、軒はすべて菊の御紋瓦です。天皇勅使や皇族方が訪れた時のみ開門。






▼御座所前庭。       











▼御座所前庭の散り紅葉に埋もれる月見灯籠。






▼青銅の蹲踞。






        ▼こんな五重石塔も。






さてここからがボクの自慢です。
霊明殿は通常拝観不可で、僧侶の方も皇室法会以外は入らないそう。なんということでしょう、ここへ案内され滅多に
出来ない経験を今日はさせて戴いたのです。


▼霊明殿唐門。檜皮葺の四脚門。後ろの大屋根が霊明殿。






▼霊明殿。桁行七間、入母屋造、桧皮葺、一間向拝付。外観は宸殿風の建物。
 明治十五年(1882年)十月炎上の後、同十七年明治天皇によって再建された尊牌殿です。
 殿内は内陣、中陣、外陣に分かれ、内陣は五室の宮殿造り。それぞれに扉を設け、中央扉内には四条天皇尊像と尊牌
 をはじめ、明治天皇、昭憲皇太后、大正天皇、貞明皇后、昭和天皇、香淳皇后の真影尊牌が奉安され、それ以前の
 天皇、皇妃、親王方の尊牌は左右の御扉内に奉安されているそうです。



ここは皇室の尊牌殿として清浄無垢の空間。殿内には照明配線は無く今は自然採光、法会の折は灯明のみらしいです。
外陣からの拝観になり薄暗い中で内陣の五室の扉が辛うじて眼に映る程度。過剰な荘厳は一切なし、前面に法具が並べ
られているのみ。それが神聖な空間と云う感覚を演出し、身には精神の聖域として、日本国天皇の歴史のみならず我が
国の深遠な思想の連綿と続く歴史の流れがここに再現されているかのような感覚、しかし言葉だけでは理解不可能でし
ょうネ。




▼霊明殿の屋根の妻部分。






▼仏殿南の矩形池。






▼右が清少納言の歌碑。刻が薄れて文字判読不能。左の石塔は不詳。






▼水屋形。寺名起源の名泉、今も湧出しています。






▼浴室。床下の鉄釜で湯を沸かし蒸気を床上に入れる蒸し風呂だそうです。






▼大門を入って左手奥に楊貴妃観音堂。






▼楊貴妃観音堂。本尊 楊貴妃観音坐像(重文)。
 須弥壇中央に安置される聖観音像。寛喜二年(1230年)請来仏。像容の美しさから、玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を
 祈って造顕された像との伝承を生み、以後楊貴妃観音と呼ばれて来たそう。
 美しいお像で、宝冠の緻密な透かし彫りには驚きました。お口の紅、瓔珞などエキゾチックなお顔と法衣デザインや
 持物や派手さ加減はやはり請来仏なんでしょうネ。






▼楊貴妃観音堂の扁額。横には楊貴妃らしい画額が。






▼小さいながらも石組のお庭があります。






境内の東後方、月輪山麓の月輪陵(つきのわみさぎ)へお参りします。

▼御陵の入り口の説明木板。
 四条天皇、後水尾天皇から仁孝天皇までの二十五陵、五灰塚、九墓が営まれているそうです。






▼月輪陵御拝所手水舎。






▼手水盤は皇室菊御紋十六八重の表裏三十二花弁を表しているようです。






▼月輪陵御拝所。広大な前庭から望む月輪山は天皇御陵とともに深く静かに鎮まっています。 











高貴なみてら、そろそろお暇です。

▼下り参道から大門へ。






▼拝観を許された霊明殿と書いて戴いた御朱印です。






今日はいい経験をさせていただきました。 合掌





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長慶寺、アッと驚く古くて新しいお寺。

2015年12月15日 | 大阪の古寺巡り




(2015.12.12訪問)


今日は槇尾山施福寺に登山参拝と御朱印を戴くため訪ねたのですが、チョットしたアクシデントで急遽予定変更、同じ
大阪の南端泉南市の長慶寺を訪ねました。地元大阪にこんなお寺が在ったとは、ビックリと同時に感激の一日でした。
さほど広くない境内に堂塔伽藍がギュッと詰め込まれ、しかも全部新しい。寺歴はきわめて古いにも関わらず古刹を窺
うものはありません。境内で檀家のご年配と立ち話、「ここの住職は偉い、五十年ほど前この寺に赴任した住職の奮闘
ぶりは凄かったよ、荒れ寺をここまで立派な寺にしたんやから」……。
とにかくビックリ境内を回ってみましょう。




▼町道に面している参道口。 






[ 長慶寺 ]
●山号 金泉山 (きんせんざん)
●院号 慈昌院 (じしょういん)
●寺号 長慶寺 (ちょうけいじ)
●勅願 聖武天皇 (しょうむてんのう)
●開基 伝 行基 (ぎょうき)
●開創 伝 神亀年間 (724年頃)
●本尊 如意輪観音坐像 (秘仏)
●宗派 真言宗泉涌寺派 (しんごんしゅうせんにゅうじは)
▲拝観 自由 朱印300円 駐車場無料 
▲大阪府泉南市信達市場815 電話072-483-2692
▲和泉西国三十三カ所第二十八番札所
 南海沿線七福神第五番福禄寿札所
 ぼけよけ地蔵尊二十四霊場第二十三番霊場
▲JR阪和線「和泉砂川駅」から徒歩15分
 JR阪和線「新家駅」からコミュニティーバス北回り「市場青年会場前」下車 徒歩10分
 国道26号線を和歌山方面「市場稲荷」交差点を左折




        ▼寺号碑。






長慶寺縁起。(長慶寺パンフレットから抄出)
金泉山長慶寺は神亀年間行基菩薩により開創され、金泉山慈昌院海会宮寺と呼ばれた。大苗代村海会宮池の傍らにあっ
たと云われ、白鳳様式の古瓦や和同開珎などが出土、法隆寺式伽藍配置と推定されている。
天正六年(1578年)信長の兵火、天正十三年(1585年)秀吉の根来攻めで伽藍壊滅。一宇観音堂のみが残り、その後豊臣
秀頼が観音堂と本尊如意輪観音を現在地に移築、改めて往時の年号を逆にして長慶寺と称した。その後江戸期時運は隆
昌、しかし明治の廃仏毀釈により衰退の一途、戦後は往時を偲ぶべくもなきまで荒廃。近年復興機運漲り本堂をはじめ
山門、開山堂、三重塔、鐘楼等の建立で山容寺容が整いつつあり、多くの参拝者で賑わうようになりました。




▼100段参道。
「厄除けの石段」と伝えられ、女性は33段目、男性は42段目で厄除祈念すればご利益が!






▼仁王門が見えます。






▼仁王門。三間一戸、八脚重層楼門、入母屋造、本瓦葺。両脇花頭格子窓の中に金剛力士が。






▼金泉山と刻された扁額。彩色のない扁額、いいもんです。






▼金剛力士阿形像。






     




▼金剛力士吽形像。








阿吽両像ともブロンズ像、現代仏師の作と思われますが、相貌表情がおとなしく、動きの迫力が感じられません。




▼大きな厄除け草履が掛けられていますが、なんで草履?

 




▼仁王門を潜ると本堂への参道。きれいな境内です。






▼鐘楼です。切妻造、本瓦葺。四脚柱にそれぞれ2本の添え柱が、強度がいるんです、梵鐘を見たらビックリしますヨ。
 平成二十一年(2009年)再建。

      




        ▼梵鐘。デカイ! 鐘高2mはあるかも、重量は相当なものでしょう。
         ご住職から一撞き許しをいただき、ゴ~~~ンと一発、震えましたよ響きで。






▼真新しい手水舎。意匠も二重屋根、ほかであまり見かけませんネ。

   




▼庫裏と客殿への長屋門風の門。






▼本堂遠景。






▼本堂。桁裄六間、梁間六間、入母屋造、本瓦葺。二間向拝付。平成九年(1997年)再建。






▼内陣の荘厳。伝行基作の本尊如意輪観音は須弥壇奥のお厨子の中に祀られています。本尊は秘仏、六十年に一度ご開
 帳とのこと。暗くて見えませんが、須弥壇両脇に多聞天、持国天、左脇陣に愛染明王、福禄寿、不動明王を、右脇陣
 には弘法大師、役行者を祀っています。

  




▼内陣長押に山号扁額。






▼外陣天井画。龍が横目でどこを睨んでいるんでしょう。

  




▼参道左に広~い枯山水庭園が。

      




▼孔雀塔(三重塔)。
 本尊孔雀明王。今年十一月真言宗最高位の僧をはじめ高僧の出席のもと、落慶法要が盛大に行われたそうです。境内
 で一番新しい三重塔。決して六重塔ではありません。大和薬師寺三重塔と同じ主屋根の下は裳階。
















▼まだまだ元気に頑張ってます。






▼三宝塔(三重塔)。本尊大日如来。もうひとつの三重塔。平成十六年(2004年)建立。塔高21m、本瓦葺。
 塔姿の美しい三重塔、建立後10年でこの風格が出るんですネ。
















        ▼ぼけよけ地蔵さん。ぼけよけ地蔵尊二十四霊場第二十三番霊場です。






        ▼本堂横に建つ開山堂(多宝塔)。本尊行基菩薩。
         塔高13.8m、下層辺3.96m、本瓦葺。平成三年(1991年)建立。






▼開山堂前石段に布袋さんがお坐りです。






▼本堂横に観音堂。ごくごく小さいお堂。(堂名はボクが勝ってに言ってるもので正しくないかもしれません)






        ▼馬頭観音と思われる石像が祀られています。






▼こちらも小さなお堂、如意輪堂。屋根が相当ヤバいことに。
 (堂名はボクが勝ってに言ってるもので正しくないかもしれません)






        ▼如意輪観音石像が祀られています。






▼またまた小さなお堂、文殊堂です。(堂名はボクが勝ってに言ってるもので正しくないかもしれません)






        ▼文殊菩薩石像が祀られています。






▼石仏。



境内には十数棟の小さなお堂が点在、西国、坂東、秩父の霊場本尊石仏がお祀りされています。




▼裏参道。駐車場からだと先ずこちらから入山することになります。






▼裏参道から右手上に大師堂。






▼儀式の仏心殿。






        ▼龍の凄い彫刻が彫られている、ゆうに3mはある石灯籠。中国からの輸入らしいです。






▼駐車場から境内を見上げると。モチロン全景は見えません。






        ▼こんな五重石塔も。






▼本堂を見上げると。






▼巨石が積まれた石庭。






▼開山堂を見上げると。






▼御朱印です。






檀家の方が「凄い住職」と言っていた長慶寺住職、松永雄重師とお話をする機会が偶然持てました。カブで檀家回りか
ら帰ってきたばかりのご住職に御朱印をお願いするとスグ書いて戴き、なんせこのご住職話し上手、「まぁチョット上
がってお茶でも飲んで行き」と、お寺再興の苦労話や先月落慶した新三重塔の落慶法会秘話などプレス写真など交え伺
い、本尊孔雀明王の写真まで頂戴し、帰り間際「これ持って行き、不断は入れん所まで拝観できるから」と本山泉涌寺
への紹介状を戴く幸運、超ビックリでした。

ご住職は真言宗泉涌寺派の重鎮、御年86歳、単車に乗るはクルマは運転するはで二度ビックリ、早い話、超人ですワ。
このお寺の人気、高い訳がよく判りました。                  ありがとうございました。 合掌




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荘厳寺、深山幽谷を縫う参道の趣ピカいち!

2015年12月10日 | 兵庫の古寺巡り




(2015.12.05訪問)


西林寺から次に訪ねるのは、黒田官兵衛生誕の地と伝わる山間の町、黒田庄に在る荘厳寺です。
迷車大和路号のアホナビめ、荘厳寺を呼び出せど一向に反応なし、やむを得ずお寺へ電話、奥様が出られ気持ちのいい
応対、甘えついでに電話ナビをお願い。「近くに何が見えます」「エーッとなにかな、中央橋渡り右に行きつつありま
すが」「右に行ったら駄目、橋渡って左」「ハイ」「そこ真っすぐ」「ハイ」「細い道にはいるでしょ、まだ真っすぐ」
「ハイ」「次の交差点、右」「ハイ」「あと真っすぐ」「ハイ」「アッ荘厳寺の幟が並んでますワ」「正解です、お気
をつけてお越し下さい」
この間約10分、途中端折ってますが、てな具合の的確な奥様ナビで無事荘厳寺到着です。奥様ありがとうございました。




▼駐車場に入ると真っ先に目に入る石垣に囲まれた本坊。
 現在客殿と持仏堂が改修工事のため足場が組まれ近寄ることが出来ません。 






[ 荘厳寺 ]
●山号 荘林山 (そうりんざん)
●寺号 荘厳寺 (しょうごんじ)
●開基 伝 法道仙人 (ほうどうせんにん)
●開創 白雉三年 (652年)
●中興 徳禅上人 (とくぜんしょうにん) 慶長年間(17世紀はじめ)
●本尊 十一面観世音菩薩立像 (秘仏)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
▲拝観 自由 朱印300円 駐車場無料 
▲兵庫県西脇市黒田庄町黒田1589 電話0795-28-4751
▲http://www.geocities.jp/kurodasyougonji/
▲JR加古川線「本黒田駅」から徒歩で30分
 中国道「滝野社IC」から車で20分




▼自然石に刻まれた荘厳寺山の碑。この碑は何を表しているにか不明です。






荘厳寺縁起。(荘厳寺HPから抄出)
荘林山荘厳寺は高野山真言宗の寺院です。当山は、白雉三年法道仙人の開基と伝え、
これによれば当山は約1360年ほどの歴史がある古刹です。
法道仙人開基の寺院は播磨東部と丹波西部に多数あり、当山もそのうちの一寺です。
当山中興は、慶長年間(17世紀はじめ)の徳禅上人です。
このとき堂宇が再建され、真言宗寺院となりました。
また寛永十五年(1638年)には本多内記政勝侯より境内五十六町歩の寄進をうけました。
江戸時代を通じて、妙見山や白山を背景にする真言密教修験道場として隆盛をみました。




▼本坊石垣脇の参道に突入、本堂を目指します。この先鬱蒼としてますネ。






▼その前に、小さなお堂大師堂がひっそりと。






        ▼空海さんのお像が祀られていました。






▼では改めて参道へ、異界に吸い込まれそうでゾクゾクします。






▼石垣の左右には、その昔僧坊が建ち並んでいたそうです。

 




▼森閑とした雰囲気、しばらく石垣が続きます。

 




▼鬱蒼の先に一点の明るさが……、

 




▼本堂が見えてきました。






▼石垣を通して最後の石段を上りきると本堂前です。 

 




▼石垣から最後の輝きか、残り少ない綾錦にホッ!






▼石段下の鐘楼。架かる梵鐘は約370年前本多候寄進と伝わるそうです。

 




▼石段右に苔むす蹲踞。

 




▼本堂です。桁裄五間、梁間五間、寄棟造、一間向拝付。屋根は元茅葺で今はチタンで覆われています。          

 




▼本堂正面。桟唐戸は閉め切り、施錠され中を窺うことが出来ません。

 




▼宮殿と称される立派な内陣。この中に本尊十一面観世音菩薩立像が祀られています。



(写真は荘厳寺HPからお借りしました)




        ▼本尊十一面観世音菩薩立像 (秘仏)。



        (写真は荘厳寺HPからお借りしました)




▼本堂前の残り紅葉。

 




▼本堂側面です。

 




▼境内高台には古雅な姿の多宝塔が閑に佇んでいます。






▼多宝塔。鎌倉初期建久年間(1190年頃)佐々木高綱の建立と伝えるそうです。正徳元年(1711年)再建。
 屋根は檜皮葺、桟唐戸と連子窓の脇間が特徴のようです。






▼多宝塔前の残り紅葉。






▼なかなかシャキッとした全景が撮れません。






        ▼多宝塔相輪です。






▼まばらな綾錦、どこか健気な感じしません?






▼多宝塔石段下の荘厳寺の鎮守、三社八幡宮。写真では見えませんが屋根は杮葺きです。宝永五年(1708年)再建。






▼由緒は分かりませんがいいお顔のお地蔵さんが、髪納め地蔵と呼ばれているそうです。



それでは荘厳寺もこれにて納めといたします。




▼御朱印です。






立派な石垣の上に佇む本坊は現在平成大修復のため下から見上げるだけですが、本堂への道は、山岳寺院の参道らしい
参道、昼なお暗き深厳とした鬱蒼の樹々の間を縫う石段参道。両側は初め楓が並び、やがて杉の大木が迫るまさに深山
幽谷の風(ふう)、石段も自然石を低く積んだもので、石段嫌いのボクでさえ好きになりそう。
本堂エリアの堂宇は本堂と多宝塔のみですが侘寂の効いた佇まいは何とも云い難い趣が感じられます。

御朱印を戴きに庫裏を訪ねたのですが、残念!奥様はお出かけでした。お礼したかったなァ……。




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西林寺、残り紅葉を堪能しました。

2015年12月07日 | 兵庫の古寺巡り




(2015.12.05訪問)


今日は日本のヘソ西脇市にやってまいりました。西脇市は、東経135度、北緯35度の交差点にあり、日本列島の中心に
当たることから、日本のヘソの町として「日本のへそです大作戦」 を展開してはります。町を走っていても日本の中心
の感覚はありません。ただの山間の町と云ったら失礼かな。
今日の目的はヘソの町ではありません。この地に高野山真言宗の著名な三か寺があり、しかも三か寺とも播磨から丹波
に根を張るあの法道仙人開基と云うじゃありませんか。しかもあの黒田官兵衛縁の古刹もあるらしい。
行ってみましょう取り敢えず西林寺へ。




▼残り紅葉が爆発していましたヨ。






[ 西林寺 ]
●山号 栢谷山 (かやたにさん)
●寺号 西林寺 (さいりんじ)
●開基 伝 法道仙人 (ほうどうせんにん)
●開創 白雉二年 (651年)
●中興 恵心僧都源信 (えしんそうずげんしん)
●本尊 十一面観世音菩薩 (秘仏)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
▲拝観 自由 朱印300円 駐車場無料 
▲兵庫県西脇市坂本455 電話0795-22-2387
▲JR加古川線「日本へそ公園駅」から徒歩で25分
 中国道「滝野社IC」から車で20分




▼参道口。






西林寺縁起。(西林寺HPから抄出)
当山は白雉二年 (651年) 法道仙人開基の寺である。平安中期に恵心僧都源信が中興。加古川流域の平野に面した山裾に
建つ中世山岳寺院の形態を留めている。中世には塔頭二十一ヵ寺あったと伝え、江戸期には朱印寺として寺領二十五石
を有していた。その後、宝暦年中(1751~1763年)火災のため焼失、当山明王院に住した隆真阿闍梨が再興にあたり、現
境内の基礎を造られる。





        ▼自然石に刻まれた寺号。






▼仁王門。三間一戸、入母屋造、本瓦葺、両脇に仁王像、背面に二天像が外敵に睨みをきかせてます。
 なぜか注連縄が掛けられていますが、なかなか重量感のある堂々とした貫禄ですネ。






▼山号栢谷山と書かれた扁額。これ「かやたにさん」と読めます?






▼阿形仁王さん。











▼吽形仁王さん。








いずれの仁王さんの玉眼、異様に光ってます。     




▼チョット角度を変えて仁王門。

      




        ▼仁王さんの後ろ間には、二天像が控えています。








通常、四天王のうちのどなたかお二人なんですが、こちらの組み合わせは分かりません。    




▼一直線の参道、いざ本堂へ。

 




▼途中右に鐘楼、かなり新しく建造されたようです。

    




▼どんどん行きましょう。左右に灯籠が並んでいます。明かりが灯されたら幽玄の世界かな。
 参道沿いは紅葉成れの果て!






▼本堂が見えてきました。






▼本堂前右手の手水舎。

         




▼本堂。桁裄三間、梁間四間、宝形造、桟瓦葺、一間向拝付。
 本尊十一面観世音菩薩、 秘仏です。一木造、四本手の珍しい観音像。藤原中期の作。
 扉は施錠され、中を窺うことすら出来ません。






▼本堂前の紅葉、どなたが見ても今盛りに見えるでしょうネ。

   




▼本堂。

                 




▼本堂扁額。全く読めません。揮毫者は高野山管長大僧正竜正とは読めましたけど。

                        



▼本堂正面です。

                  




▼紅葉を入れるとそれなりに。

  




▼相当燃えてるでしょう。






▼屋根を入れてみました。






▼チョット引くとこんな感じ。

   




▼庚申堂です。

               




▼これを見ると全山真っ盛り、そんな気になりますネ。






▼境内高台に戎神社が祀られています。西林寺の鎮守社。

        




▼これはまだこれから赤く染まるんでしょうか。






        ▼お不動さんと二童子の石像。






▼よく燃えています。



本堂前の楓がシーズン最後の輝きを放っているのを見ることが出来ました。実は数本のみの紅葉なんです。参道両脇の
紅葉も凄いとききましたが既に時遅しでありました。 




▼では、参道を戻りましょう。






        ▼中途左に十三重石塔。






▼もう一枚。






▼左右に羅漢さんがズラリ並んでいます。羅漢の道だそうです。






▼参道下ったところ、いざないの森。ここもいくらか紅葉が残っています。






▼兵庫県知事揮毫の心碑。






        ▼となりには真新しい五輪塔。






▼あじさい園もあります。檀信徒の協力により開園したそうで、毎年6~7月オープンするそうです。






▼放生池。水草がギッシリ、上を歩けそうです。






では御朱印を戴きに本坊へ。
▼本坊山門。






        ▼山門の鴟尾と真っ赤な散り残り。






▼本坊玄関。






▼御朱印です。






広い境内の真ん中を貫く参道の突き当たりに本堂があります。堂宇は本堂と庚申堂の二堂だけですが、残り紅葉の赤に
染まるお堂に座り込み、人気のない境内を見回しますと、歴史上の人物名はともかくその名残もありませんが、広い兵
庫の一角、北播磨千二百年余りの歴史の流れを僅かながら感じることが出来ました。

それにしてもこの地で残り紅葉を堪能できるとはラッキーでした。




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