土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

おとといの大阪城梅林。

2015年02月26日 | 花巡り



(2015.02.24訪問)


梅模様第一弾にしては、まだまだ一~二分咲き位でしょうか。人出は満開でした。
例により写真はいいとこ撮りです。


▼大盃






▼月影






▼月の桂






          ▼楊貴妃






▼小梅






▼一重野梅






▼道知辺






▼月の桂






▼白加賀






▼寒紅






▼旭鶴






          ▼月の桂






▼紅冬至






▼鈴鹿の関






▼香篆






▼鹿児島紅






          ▼白滝枝垂






▼金獅子






▼ザァ~ッとこんな感じです。写真の手前 (南側) はほとんどが蕾のまま、向こう側 (北側) は二分~三分咲きと云った
 ところでしょうか。






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一乗寺も法道仙人開基のお寺です。

2015年02月24日 | 兵庫の古寺巡り



(2015.02.21訪問)


先週は播磨の加東市、今週は加西市、またまた大和路号は西を目指しています。
この一乗寺もヤッパリ法道仙人開基と伝わる西国三十三カ所観音霊場第二十六番札所です。中国山地の丘陵
部のやや懐深い山中に有るこのお寺、山岳寺院としての様相は、入山と同時に161段の石段参道が目の前に、
一瞬目の前が真っ白に。と云うのはウソです。
石段は三ブロックに分かれ、間に平地が有りそれぞれ堂宇が建っているので、平均五十数段、ヘッチャラですわ。



▼国宝三重塔。





[ 一乗寺 ]
●山号 法華山 (ほっけざん)
●寺号 一乗寺 (いちじょうじ)
●勅願 孝徳天皇 (こうとくてんのう)
●開基 伝 法道仙人 (ほうどうせんにん)
●開創 伝 白雉元年 (650年)
●宗派 天台宗
●本尊 聖観世音菩薩 (秘仏)
●西国三十三カ所観音霊場第二十六番札所
▲入山料 300円 宝物館 400円 朱印 300円 駐車料 300円
▲拝観時間 8:00~17:00
▲兵庫県加西市坂本町821-17 Tel.0790-48-3848 (本坊)
▲JR姫路駅から社(やしろ)行きバス「一乗寺」で下車
 山陽自動車道「加古川北IC」から約10分




▼道路標識兼バス停。

 



一乗寺縁起 (一乗寺パンフから抄出)
法道仙人は、天竺より紫雲に乗じ中国朝鮮を経て蓮華の如く八葉に分かれた当山に止まり、法華山と名付け
た。法道の名は都にまで伝わり孝徳天皇病気の際、宮中に召し加持せしめたところ、病たちまち平癒。天皇
は法華山に金堂建立、自ら臨幸し、法華山一乗寺の勅額を与え、鎮護国家の道場とされた。




         ▼寺石標。





▼入山入り口です。





         ▼三ブロック石段のトータル、テッペンまで161段。





         ▼笠塔婆に無事の登頂を祈りつつ……、



         総高2.9m、石英岩。正和五年 (1316年) 造立。



▼僅か161段、とんでもハップン今のアタシには……いえいえ問題ありません。





▼ワンブロック目に常行堂 (阿弥陀堂)。



下層桁行五間、梁間五間、上層桁行三間、梁間三間、宝形造、本瓦葺。明治時代再建。



         ▼ツーブロック目に三重塔 (国宝)。
          これがまた見事な塔姿、逓減率が大きく安定感抜群!







本尊五智如来。承安元年 (1171年) 建立。



▼三重塔前の法輪堂。これは経蔵です。
 中は輪蔵が有るらしいのですが、入ることも見ることも出来ません。黄檗版一切経が収められてるそうです。



一間四方宝形造、本瓦葺、前面唐破風向拝付。宝暦十二年 (1762年) 建立。



▼せめて扁額でも。





         ▼スリーブロック目の手前に常夜灯。





▼最後の石段、本堂が見えます。





▼相当大きな本堂 (重文)。別称大悲閣。



桁行九間、梁間八間、入母屋造、本瓦葺。寛永五年 (1628年) 再建。



▼大悲閣と書かれた大扁額。





▼内陣と外陣は格子戸で区切られています。勿論内陣には入ることは出来ません。





▼内陣の扁額。





▼外陣の格天井です。模様じゃないんですよコレ。



三十三カ所観音霊場「札所」の語源で、札打ちの名残り。お参りすると各札所に木札を打ち付けたものです。



▼本堂外廊から、三重塔がスグ下に。









▼本堂裏側です。入堂は左側から入ります。





▼懸け造りと云えるんでしょうか本堂外廊の下。





▼本堂右の鐘楼。



桁行三間、梁間二間、重層入母屋造、本瓦葺、袴腰。寛永六年 (1629年) 建立。



▼吊るんじゃなく置かれている梵鐘。響きはどうなんやろ?





▼手水舎。





▼行者堂。護摩道場。

 

桁行三間、梁間三間、宝形造、本瓦葺。江戸期寛文年間の再建。



         ▼役行者とそのファミリー、手前お不動さん、その左右に前鬼と後鬼います。





▼鎮守社。



右妙見社 (重文)、祭神 妙見菩薩。三間社流造。室町時代。
左弁財天社 (重文)、祭神弁財天。一間社春日造。室町時代。




▼ちょっと上った所におなじく護法社 (重文)。



祭神 毘沙門天。一間社春日造。鎌倉時代。



▼奥の院に行こうと思ったんですが……。



平成二十四年の台風12号被害がまだ復旧していないそうで立ち入り禁止です。



▼下り道に三十三カ所仏龕に観音石仏が並んでいます。

 



         ▼有りました中山寺、我が家の菩提寺。





▼少し行くと放生池に出ます。小島に弁天さんが祀られています。





▼また少し行くと、太子堂が建ってます。





▼立派なお厨子が、残念ながら閉扉中。





▼厳重警護された石造五輪塔 (重文)。ガードが固くて写真がヘタで姿形判りませんね、どうも済ません。



元亨元年 (1321年) 鎌倉時代の作。



▼宝物館。





         ▼道しるべ兼つっかえ棒。





▼西国三十三カ所観音霊場第二十六番札所の御朱印です。





「札打ち」と云う言葉初めて知りました。札所にお参りすることを「打つ」といい「札」とは巡礼者が回る
聖地に納めるお札を云うのですが、古は木札を納め、お堂の柱や梁や天井などに打ち付けていたそうでその
名残が本堂天井に残っています。
聖地を時計まわりに巡ることを「順打ち」、反時計まわりに巡ることを「逆打ち」と云うのもここから来て
いるそうです。
マァ珍しいものを見る事が出来ました。しかしあんな高い天井にどないして打ち付けたのでしょう。




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朝光寺、国宝本堂の存在感に最敬礼。

2015年02月20日 | 兵庫の古寺巡り


(2015.02.14訪問)


これから訪ねる朝光寺も先の清水寺も天竺の法道仙人を開基とする寺院。法道さんは紫雲に乗って天竺から
飛来、中国、朝鮮を経て日本にやって来たと伝わり、神通力で鉢を飛ばして食事の施しを受けたとされる事
から「空鉢仙人」とも称される伝説上の人物で、その法道さん開基と伝わる寺院は播磨だけでも六十ヵ寺、
丹波や摂津を含めると百ヵ寺はゆうに越えるそうです。
その法道さん開基の一つ、朝光寺へは清水寺から10キロばかり南へ走ります。



▼本堂。このお堂に入堂したくてやって来たのです。





[ 朝光寺 ]
●山号 鹿野山 (ろくやさん)
●寺号 朝光寺 (ちょうこうじ)
●開基 伝 法道仙人 (ほうどうせんにん)
●開創 白雉二年 (651年)
●宗派 高野山真言宗
●本尊 十一面千手千眼観音菩薩
▲入山料 境内自由 朱印 300円 (塔頭吉祥院で戴けます)
▲拝観時間 8:00~17:00
▲兵庫県加東市畑609 塔頭吉祥院 Tel.0795-44-0733
▲中国自動車道「ひょうご東条インター」から約15分、「滝野・社インター」から約20分
 
朝光寺縁起 (加東市HPから抄出)
白雉二年 (651年) 法道仙人開創の寺とされ、文治五年 (1189年) 境内北側の権現山から現在の地に移ったと
伝えられています。事実、山上には平安時代末期には寺院が建立されており、近世に至っても修験の場があ
りました。



▼駐車場に道しるべ。





▼こんな参道をすこしばかり歩くと、





▼この時期でも相当鬱蒼とした参道。仁王門が左手石段上に見えます。





▼簡素で少々小ぶりな仁王門。両脇前室は壁面がなく、ステージ形式なので後室の仁王さんが間近に。
 単層、三間一戸、入母屋造、本瓦葺、八脚門。文治年間 (1185~1190年) 建立。





▼右に阿形金剛力士。





▼左吽形金剛力士。



両像とも相当傷んでいるようで痛々しい限り、これでは悪党と太刀打ち出来ないでしょう。



▼手水舎。





▼本堂 (国宝)。なんと立派な本堂でしょう。このお堂を見るだけにこのお寺を訪ねる方が多いと聞きました。
 たった一つの国宝伽藍の存在感、判りますワ。しかも拝観はボク一人、ワクワクしてます、しかしちょっ
 とゾクゾクです。


 
単層、桁裄七間、梁間七間、寄せ棟造、本瓦葺、三間向拝付。応永二十年 (1413年) 建立。
三間向拝は江戸期の補加とは云えあくまでも改変いや改悪、元々向拝は無かったようです。
本尊 十一面千手観音菩薩立像二躰 (秘仏) 六十年に一度公開される秘仏、なぜご本尊が二躰なのか、謂れは
数説あるようです。
後の祭! 塔頭吉祥院に本尊の写真パンフが置かれてあったみたいなんですが戴き損ねました。



▼内陣と外陣は格子戸と菱格子欄間で区切られ幾何学的美観そのもの。
 格子から内陣をのぞいてみましたが、マックロケ。





▼外陣床にしばらく坐り、光の床映りやヒンヤリした空気感、静寂を堪能しました。が、ゾクゾク感の集中
 砲火も。



(朝光寺パンフから抄出)
内部造作は密教寺院本堂の典型を示し、外陣は側一間を化装屋根裏、中央は紅梁を架け鏡天井を張る。内陣
は鏡天井。細部は和洋と唐様を混合した折衷様式、室町初期の折衷様式の典型的な遺構として貴重である。



▼信仰と祈りの空間に連子窓を通して入る柔らかな光もきっと計算されたものなんでしょう。





▼どっしとした床下。構造上の力強さを感じませんか。





▼本堂。屋根の勾配はほぼ直線、こうして見ると向拝はとって付けた感がアリアリ。





         ▼多宝塔。本尊 大日如来坐像。
           桁行三間、梁間三間、本瓦葺。大正六年 (1917年) 再建。









         ▼不動明王。前には護摩壇があります。





         ▼細身でスタイル抜群の鐘楼(重文)。
          桁裄三間、梁間二間、寄せ棟造、銅板葺、袴腰。





         ▼決して広くない境内ですが、石仏がたくさん残されています。
          この石像は舟形光背に半彫りで右手太刀を持つ像で基台に切戸
          文殊と刻されているようです。





         ▼こちら穏やかな四人衆、台座には花山院の文字が、
          花山法皇がお供をつれて三十三カ所巡りの一場面でしょうか。





▼五輪塔も。





▼鐘楼となりにお社二社。左鎮守社、右護法社。いずれも神名は判りません。





▼御朱印です。本堂外陣床に置いて撮りました。





今日の特別フロク。

▼つくばねの滝。落差6mの小さな滝です。
 多宝塔の横から鬱蒼小径を下って行くとせせらぎの音、「つくばねの滝」です。











周辺には加東市の天然記念物のツクバネと云う植物が自生しているところから「つくばねの滝」と呼び名さ
れているそう。ツクバネとは実の形が羽子板の羽根に似ているので衝羽根と名付けられたそうです。



▼こんな長閑なところ右の山懐に朝光寺は在ります。





伝説上の人物が残したものは、やはり伝承のみで法道さん名残は両寺ともまったく感じることは出来ません。
伝承の裏には事実の歴史やその積み重ねはきっとあるはず。法道さんの名を借りた相応の組織や人物がいた
のでは。なん~てことを空想しながら、たった一人の貸し切り境内を、そしてクリアな冬の深閑な空気感を
思い切り味わいました。




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播州清水寺、標高552mの山頂に。

2015年02月17日 | 兵庫の古寺巡り


(2015.02.14訪問)


今日も大和路号は中国道を走っています。先週といい別に兵庫県に取り憑かれた訳ではないんですが、南西
部には名刹、古刹が散在し、四季折々花のシーズンには掃いて捨てるほどの人出と聞き、じゃ訪ねるのは今
がチャンス! 札所御朱印も戴きたいと云う訳で、今日は播州清水寺と朝光寺を目指している訳でございます。
しかしなんですなァ、日本海方面は雪がコワイのでしばらく行けそうにありません。



▼大講堂。





[ 清水寺 ]
●山号 御嶽山 (みたけさん)
●寺号 清水寺 (きよみずでら) 播州清水寺
●開基 伝 法道仙人 (ほうどうせんにん)
●開創 伝 景行天皇時代 (四世紀)
●実質 推古天皇 根本中堂を建立
    聖武天皇 大講堂を建立
●宗派 天台宗
●本尊 根本中堂 十一面観音菩薩 (秘仏)
   大講堂 千手観音菩薩坐像
●西国三十三カ所観音霊場第二十五番札所
▲入山料 500円 朱印 300円
▲拝観時間 8:00~17:00
▲兵庫県加東市平木1194 Tel.0795-45-0025
▲http://kiyomizudera.net
▲JR宝塚線(福知山線) 「相野駅」下車 駅前から「清水寺」行きバス
 中国自動車道から舞鶴若狭自動車道 「三田西インター」から約20分


清水寺縁起 (清水寺HPから抄出)
推古天皇が根本中堂を建立し十一面観音を、その後聖武天皇が行基に勅願し大講堂を建立、千手観音を祀っ
た。水に乏しかったこの地に水が豊かになるように法道仙人は水神に祈願、たちまち霊泉が湧出したので清
水寺と呼ばれるようになった。



▼朱は青空に気持よく映えてます。
 仁王門、重層楼門、三間一戸、入母屋造、本瓦葺、八脚門。昭和五十五年 (1980年) 再建。





         ▼寺名石標。





▼山号が書かれています。





         ▼右に阿形金剛力士。





         ▼左吽形金剛力士。





▼参道を左に、雪が僅かに残っています。





         ▼札所石柱が建ってました。





▼手よりも心を清めましょうネ。





▼薬師堂、最初のお堂です。あの清盛の母、池の禅尼の創建らしいです。
 単層、桁裄三間、梁間三間、宝形造、銅板葺。昭和五十九年 (1984年) 再建。





▼扁額です。





         ▼本尊 薬師如来坐像。お堂再建時に造像されたんでしょう、
          新しいご本尊です。





▼長押四方に十二神将、と云うより干支神将か。今でも気持悪い奈良キャラなんとか君の作者、Y氏の作。





▼大講堂。第二十五番札所の本尊千手観音はここ。
 桁行七間、梁間七間、宝形造、本瓦葺。大正六年 (1917年) 再建。





▼山号扁額。





▼大きなお線香を奮発! 5mm×20cm位ありましたよ。





▼内陣中央須弥壇にご本尊千手観音さんが。この方が第二十五番札所のご本尊です。





▼大講堂と薬師堂の間に放生池。真ん中に何か建ってますね。





▼弁財天が祀られている石祠です。





▼上のエリア行き参道石段の途中に地蔵堂。下のエリアから見上げてます。





▼シンプルです、須弥壇。





         ▼半跏のご本尊、珍しいです。赤ちゃんは合掌してます。





▼上のエリアの根本中堂が見えてきました。





▼清水寺本堂で中心伽藍、根本中堂です。桁行五間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。
 推古天皇三十五年 (627年) 創建、大正六年 (1917年) 再建。





▼向拝正面、唐破風屋根は銅板葺きです。





▼向拝内と扁額。





▼内陣は延暦寺根本中堂と同じく2mほど低く、秘仏お厨子が参拝者の目線になるよう配慮。
 ご本尊は秘仏でボク達はお前立ち十一面さんを拝することになります。
 秘仏本尊十一面観音は30年に一度のご開帳で次は、聞いたんですが忘れました、確か平成二十九年だった
 かな。





▼梁側妻の彩色。





▼根本中堂左少し下ると、茅葺きの覆い屋におかげの井戸 (滾浄水こんじょうすい) が。





▼開山法道千仙人が水神に祈願し湧出した霊泉、清水寺名称由緒のお水です。





▼鐘楼。袴腰の立派な鐘楼。大正九年 (1920年) 再建。





▼内部はこんなんです。





         ▼鐘楼横に聖観音菩薩が柔和なお顔でお立ちです。





▼小径を少し入ると芭蕉句碑が。





▼もう少し上ると簡素な六角月見亭が、毎年八月二十六日に行われる、二十六夜待ち法要の月待ち所。





▼大講堂の少し下った隣に山門、本坊書院へ寄ってみます。





▼書院の玄関です。





▼何流でしょうか。





▼白壁築地塀を見ながら、そろそろ次のお寺へ





▼西国三十三カ所観音霊場第二十五番札所の御朱印です。


 


播州清水寺は標高552mの御嶽山山頂に伽藍群を構える山岳寺院なんですが、入山口から仁王門まで立派な
道路が、クルマなら何の問題もナシ。伽藍群は大正の山火事で全山焼失、今ある諸堂はそれ以後の再建なの
で、経時の古色は求めべくもありませんが、伽藍配置は山岳寺院の例に漏れることなく、ランダムですが上
手く配置されています。三十三カ所札所なので参拝の方々は結構たくさんいらっしたみたいで、着いたとき
駐車場に大和路号一台、帰るときあの広い駐車場が満杯、路駐も数台あり人気なんですネ。




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浄土寺、阿弥陀来迎の刻を見たかったのですが…。

2015年02月13日 | 兵庫の古寺巡り



(2015.02.11訪問)
なぜか迷車大和路号は山陽道を走っています。今日は祝日にも関わらず赤穂市までお使いにいきました。
当然素直には帰りません。なんとしても訪ねたかった小野市にある浄土寺を今、目指しています。
ちょっと時間が遅いのですが、あの仏に会いに浄土寺へまっしぐら。



▼浄土堂 (阿弥陀堂)。このお堂の中にビックリする国宝が祀られているんです。




[ 浄土寺 ]
●山号 極楽山 (ごくらくざん)
●寺号 浄土寺 (じょうどじ)
●開基 俊乗房重源上人 (しゅんじょうぼうちょうげんしょうにん)
●開創 建久三年 (1192年)
●宗派 高野山真言宗
●本尊 薬師如来坐像(本堂)
   阿弥陀三尊立像 (浄土堂)
▲拝観料 境内自由 浄土堂入山料 500円 朱印 300円
▲拝観時間 4月~9月 9:00~17:00 (12:00~13:00は入堂不可)
      10月~3月 9:00~16:00 (12:00~13:00は入堂不可)
▲兵庫県小野市浄谷町2094 Tel.0794-62-2651(塔頭宝持院)
▲神戸電鉄「新開地駅」から粟生線「小野駅」下車 タクシー約10分

浄土寺縁起
平氏による南都焼き討ちで、壊滅的打撃を受けた東大寺復興の大勧進職になった重源さんが、活動拠点とし
て各地に設けた七別所のうち元々は東大寺領地であった播磨別所にあたり、この地が浄土寺であり、浄土堂
は重源上人創建時の姿が今に残る遺構。だそうです。


▼いやでも目に入りる参道入口。





▼参道。





▼白壁越しに浄土堂の屋根が見えてきます。





▼分かれ道を右に行くと、参道石段です。





▼上り切ると国宝がググッと迫ってきます。
 浄土堂「阿弥陀堂」(国宝)。桁裄三間、梁間三間、宝形造、本瓦葺、背面蔀戸、化粧屋根裏。
 東大寺南大門と並んで国内二例しかない大仏様 (天竺様) と云う建築様式。
 ソリがほとんどない直線的でシンプルな屋根ですね。





▼重源さんと快慶さん渾身の阿弥陀三尊像 (国宝)。
 中央 阿弥陀如来立像 (国宝)。像高530cm、寄せ木造、仏師快慶。建久六年 (1195年) 造像。
 右 勢至菩薩立像 (国宝)。像高370cm、寄せ木造、仏師快慶。建久六年 (1195年) 造像。
 左 観音菩薩立像 (国宝)。像高370cm、寄せ木造、仏師快慶。建久六年 (1195年) 造像。
 
 配置が独特で観音、勢至菩薩が左右逆、阿弥陀さんの手印がこれまた逆、写真では判りませんが指の爪が
 長いこと、これだけの大きさにも関わらず、雲座に乗る三尊の軽快な感じ、中国密教の影響らしいですが
 快慶さんヤルもんです。


 
          写真は浄土寺パンフからの複写。
 
 ●なんと云ってもピカイチの阿弥陀三尊
 ●円形須弥壇中央に立つ三尊の大きさに先ずビックリ
 ●そして経時八百二十年とはとても思えない美しさ
 ●何よりもお堂と仏像の一体感演出、天井を張らない屋根裏の朱と金色の三尊に憎いくらいのカラー演出
 ●円形須弥壇なので360度三尊を拝せること、後ろ姿をじっくり観察できる事は中々ありませんヨ
 ●※最大の見所は背面の蔀戸を通して差し込む西日を後ろから受ける阿弥陀来迎の眩しい刻を拝せる
 これら一連のコーディネート演出をした重源さん、まさに超人プロデューサー、その作品をボクたちは今
 見る事が出来るんです。
 
 ※期間限定ショウです。七月から八月のお天気のよい日の午後四時頃だそうです。
 その時にまた来てくださいとお寺のお母さんに云われました。
 
          
          ▼浄土堂南側に立つ宝篋印塔。





▼浄土堂正面の宝篋印塔と水向石、石棺の蓋を刳り抜いた水盤 (写真左下)。





▼鐘楼。重層高欄付、袴腰、檜皮葺、寛永九年 (1632年) 建立。





▼不動堂。





▼本堂「薬師堂」(重文)。本尊 薬師如来。浄土堂と池を挟んで対面して建っています。
 当初はこのお堂も、浄土堂と同じく大仏様式だったらしいのですが、外形はよく似ていますが、再建時に
 その純粋性を無くしたと云います。
 桁裄五間、梁間五間、宝形造、本瓦葺。建久八年 (1197年) 創建後焼失、永年十四年 (1517年) 再建。





▼開山堂。本尊 重源上人像。
 単層、桁裄三間、梁間三間、宝形造、本瓦葺。寛永九年 (1632年) 再建。





▼開山堂扁額。





▼経堂。





▼文殊堂。





▼鎮守八幡神社鳥居から拝殿。





▼八幡神社拝殿。桁裄七間、梁間三間、寄棟造、本瓦葺、割拝殿形式。延応元年 (1239年) 建立。





▼本殿。嘉禎元年 (1235年) 建立。三間社流造、檜皮葺、室町中期再建。





▼一株の蝋梅が遠慮がちに咲いています。





▼御朱印です。浄土堂縁に置いて。





阿弥陀三尊像を拝するだけで、これだけ感動を残すお寺巡りも久々です。天才同士がコラボした浄土空間の
演出は、今まで写真でしか見たことがありませんでした。初めて堂内に立って「筆舌につくせない」とはこ
の空間のことを云うのでしょう。
心残りは阿弥陀来迎の眩しい刻に合えなかったこと、シーズンオフじゃぁしゃーないですね。
あと半年待ってもう一度。



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