土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

浄福寺、100年ぶり秘仏公開、栴檀瑞像のお釈迦さんです。

2014年04月29日 | 京都の古寺巡り



(2014.04.27訪問)

京都非公開文化財春季特別公開の西陣浄福寺で非常に興味深い仏像が公開されています。浄福寺は通常非公
開寺院なのでお堂内拝観は不可、今回は釈迦堂の解体修理が完成されたのと、日本初と云われる違法建築の
本堂拝観が可能だと云うことで仏像とお堂両面攻略、これはチャンスと早速訪ねてみました。

▼南門。明暦三年 (1657年) 再建。




[ 浄福寺 ]
●山号 恵照山 (えしょうざん)
●勅願 桓武天皇 (かんむてんのう)
●寺号 浄福寺 (じょうふくじ)通称 赤門寺
●開基 賢憬大僧都 (けんけいだいそうず)
●開創 延暦年間 (782~806年)
●宗派 浄土宗
●本尊 阿弥陀如来坐像
▲京都市京都市上京区浄福寺通り一条上る笹屋町2-601 TEL.075‐441-0058
▲拝観料 境内自由 通常は非公開 年2回の特別公開時のみ 大人800円 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:00 
▲市バス203号にて京阪出町柳から今出川浄福寺下車徒歩5分。
 市バス201号にて千本中立売下車徒歩7分。


▼書院玄関。




浄福寺縁起
延暦年間、京都御所の鬼門除け寺院として御所の東北に建立された。興福寺僧の賢憬大僧都を開祖とし、本
尊三国伝来の釈迦如来像を安置した。当時は二十五大寺の一つに数えらていた。たびたび羅災し、建治二年
(1276年) 後宇多天皇勅命により一条村雲に再建「村雲寺」と呼ばれた。室町時代大永五年 (1525年) 後柏
原天皇から念仏三昧堂の勅号を賜り浄土宗を兼ねるようになり、のち知恩院に属した。
元和元年 (1615年) 現在地に移転。


▼方丈。宝暦十四年 (1764年) 再建。





▼方丈本尊 阿弥陀如来立像。
 この写真では判りませんが、明治時代の日本画家、山田文厚さんの龍の天井画が描かれています。方丈に
 天井龍図これも珍しいのでは。



(写真は秘仏公開ポスターの複写です) 



▼方丈前庭。





         ▼方丈前庭の刈り込まれた霧島、よく目立ちます。





         ▼手水鉢。





▼方丈前庭。





▼本堂。桁行五間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、裳階付、一間向拝付。享保十八年 (1733年) 再建。





▼南無阿弥陀仏と書かれた本堂扁額。





▼頭貫と長押の間の透かし彫りの龍、僅かな奥行きながら凄い立体感。





         ▼本堂内陣。





▼本堂本尊 阿弥陀如来坐像。残念ながら須弥壇近くには近寄れませんので細かくは判りませんが定朝仏を彷
 彿させ小粒でもピリリの言葉どおり、端正な阿弥陀さんです。木彫漆箔、胎内背部に永長元年 (1096年) の
 銘が入っているそうです。



         (写真は朝日新聞デジタル[and]からお借りしました)



▼本堂内陣のそれはそれは超豪華なお厨子です。この中にご本尊が祀られています。





▼日本初の違法建築。本堂と仏殿の繋の部分です。
 本堂の江戸期再建時、幕府規制のいわば当時の建築基準法「三間梁機制」が定められ、全国の寺院に適用。
 建物の桁行の規制はなかったのですが梁間は三間内に制限と云う規則でお堂の大きさが規制され大きなお
 堂が建てられませんでした。しかしどうしても堂内を広く大きくしたい、そこで外からは二棟に見えるよ
 うにして、内部をつないでしまったのです。南の本堂と北の仏殿の間を、両下げ造の「合の間」で繋いだ
 複合建築になり、これにより奥行九間の大広間を確保しています。俗に日本最古の違法建築と云われてい
 るそうです。





▼本堂。





▼書院玄関。享保十九年 (1734年) 再建。





▼鐘楼。切妻造、本瓦葺。寛永五年 (1628年) 建立。
 大きな鐘楼で屋根裏の造作が緻密、梁三本で四本柱を支えています。





▼梵鐘。





▼釈迦堂。桁行三間、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付。 宝暦六年 (1756年) 再建。





▼釈迦堂扁額。





▼蛙股の龍のクネクネがよく出来てます。





▼内陣長押の扁額。





▼釈迦堂本尊 100年ぶりの公開ですヨ。 三国伝来の釈迦像清涼寺形の釈迦立像の模刻で、オリジナルとよく
 似ています。お釈迦さんの生前の姿の人気のほどが偲ばれるようです。我国には約五十体の摸刻が現存す
 るそうで、この像が模刻第一号らしく自慢のネタにもなっているとか。



         (写真は朝日新聞デジタル[and]からお借りしました))



▼南から見た境内です。





▼地蔵堂。





▼本尊の地蔵菩薩立像。お顔口元が少々傷んでいますが、法衣の細かい彩色が見事です。像高200cm。





▼千体薬師堂。





▼薬師堂内部はその名の通り小薬師さんがズラリ千体、あるかどうか判りませんが並んでいます。
 中央には粗末なお厨子に30cm位の本尊お薬師さんと日光、月光さんが祀られてます。





▼漆喰壁が映える綺麗な宝蔵。一間、宝形造、破風張り出し付。文政五年(1822年)建立。大蔵経五千巻、
 外典三千余巻が納められているそうです。

  



▼宝蔵扁額。





▼浄福寺の通称になった赤門。東門です。17世紀前半再建。





▼ご朱印です。





非常に中身の濃い浄福寺でした。秘仏、お堂公開もさることながら、寺宝類の数々が大挙公開、展示されて
います。三間梁機制の隙間をついた本堂の広さは、お堂外観の数倍の広さを実感出来ますし、いつの時代に
も鋭い人がいるもんですが規制する側もそれはそれで抜け道を用意していたのかも知れません。
けっこうな特別公開でした。


▼今日の出町出合い。午後二時頃。糺の森の緑が濃くなってきました。





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仁和寺旧御室御所、宇多法王の生活空間。

2014年04月24日 | 京都の古寺巡り


(2014.04.19訪問)

「仁和寺後編御殿を巡る編」です。
仁和寺は当然ながら仏の空間、その中で御殿と云われる場所は、法王の私的空間でもあります。最高皇族の
過ごした生活空間とはどんな雰囲気なのか、1100年余りの経時は往時の姿をどれだけ残しているのかは定
かではないにしても、非常に興味があります。さあ旧御室御所へ。
御殿の各建物はすべて渡り廊下で結ばれて、それぞれの建物は見る場所、処により、その性格により随分と
印象が違います。そしてお庭は、目を僅かずらすだけで映る景色はがらりと変わり、作庭の妙を素人ながら
感じることが出来ますよ。



▼境内からの仁王門。右手前の坂道が御殿への入り口です。





▼御殿大玄関。





▼大玄関前庭の松。一面に地を這ってますが、御室桜も背が低いし、御室松?お前もか。





▼前庭の右にある平唐門、南庭への門ですが閉じられています。





▼大玄関口には金屏風に御室流いけ花のデモ。





▼御殿巡りの先ずは白書院。宸殿南庭の西側に建ちます。





▼清国四川提督、宋慶揮毫の扁額。数年後日清戦争で日本軍と戦った将軍の書がなぜ仁和寺にあるのでしょう。





▼白書院お部屋。昭和十二年 (1937年) に福永晴帆画伯による松の絵が部屋全体に描かれています。








▼南庭。左は宸殿です。





▼南庭。





▼南庭。中央勅使門、右は仁王門。





▼宸殿。大正三年 (1914年) 建立。檜皮葺、入母屋造でお部屋は三室。





▼宸殿の上段の間。床には宇多法皇の軸が掛けられています。





▼お部屋の一つ。襖絵、壁画は原在泉画伯よる四季の風物、牡丹、雁などが描かれています。





▼宸殿。前は北庭。





▼北庭。














▼黒書院のお部屋六室。全部屋、堂本印象画伯の襖絵で飾られています。





▼お部屋の一つ。





▼黒書院中庭。





▼黒書院から霊明殿への渡り廊下。





▼霊明殿。歴代門跡の位牌を奉安。





▼近衛文麿首相揮毫の霊明殿扁額。





▼霊明殿須弥壇。本尊 薬師如来坐像 (国宝) は秘仏のため見えるのはお前立ち像。





▼勅使門。四脚唐門、前後に唐破風、入母屋造、檜皮葺。大正二年(1913年)建立。





▼なんとも豪華な門です。
 鳳凰や牡丹唐草、宝相華唐草文様など、細部まで精巧な彫刻装飾は見応えがあります。





▼戸上部の透かし彫り。





▼最後はヤッパリ桜で締めましょうか。後ろは勅使門なんですが真っ黒ケ。





さすがとしか云いようがありません。門跡寺院の精神がつまった豪華絢爛ではない静謐な華麗さ、境内伽藍
から御殿のお庭をはじめお部屋設えまで幾多の改変はあったのでしょうが、宇多法皇の精神は十分に今も残
っているのでは。御室御所と称されて宇多天皇を第一世とした仁和寺は、築地塀の五本線がその高貴な歴史
を物語っているようです。


▼長々のお付き合いありがとうございました。豪快な仁王門を仰ぎつつ仁和寺 オ シ マ イ





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仁和寺の御室桜は散りにけり。

2014年04月22日 | 京都の古寺巡り


(2014.04.19訪問)

たまたまBS11で京都国宝浪漫、仁和寺を取り上げていたのと、京最後の遅咲き御室桜も終わりを迎え、訪
ねる人も少なく拝観ジックリとの思いで仁和寺を訪ねました。仁王門には落花盛んとお知らせがありました
が、桜園はほとんどが落花済み、偲びなくも御室桜の成れの果てを見て季節替わりの早さを実感。しかしそ
れにつけても世界遺産仁和寺は強し、結構な人出です。

▼中門。





[ 仁和寺 ]
●山号 大内山 (おおうちさん)
●寺号 仁和寺 (にんなじ)
●開基 光孝天皇 (こうこうてんのう)
●開山 宇多天皇 (うだてんのう)
●開創 仁和四年 (888年)
●宗派 真言宗御室派
●本尊 阿弥陀如来坐像
●世界文化遺産 古都京都の文化財として平成六年(1994年)登録
▲京都府京都市右京区御室大内335 TEL.075-461-1155
▲拝観料 境内自由 御殿500円 霊宝館500円 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~17:00 12月?2月 9:00~16:30
▲HP http://ninnaji.jp/ 
▲JR京都駅より市バス26番にて御室仁和寺下車スグ。
 JR京都駅より嵯峨野線(31/32/33番のりば)→JR花園駅下車、徒歩約15分。 
 嵐電北野線 御室仁和寺駅下車 徒歩約2分。 


▼嵐電北野線の御室仁和寺駅です。う~ん古都ですなぁ。





仁和寺縁起 (仁和寺HPから抄出)
仁和二年 (886年) 第五十八代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始ま
ります。光孝天皇は志半ばにして崩御、第五十九代宇多天皇が遺志を継がれ、仁和四年 (888年) に完成。寺
号も元号から仁和寺となりました。宇多天皇は寛平九年 (897年) 譲位、出家し仁和寺第一世 宇多法皇となり、
皇室出身者が代々門跡を務め、平安?鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保ちました。応仁の乱で、仁
和寺は一山のほとんどを兵火で焼失。そんな中、本尊の阿弥陀三尊をはじめ什物、聖教などは仁和寺院家の
真光院に移され、法燈とともに伝えられていきました。 応仁の乱から約160年後の寛永十一年 (1635年) 仁
和寺第二十一世覚深法親王は、幕府三代将軍家光に仁和寺再興を申し入れ、承諾されるのです。慶長度の御
所造替とも重なり、御所から紫宸殿 (金堂) 清涼殿 (御影堂) など多くの建造物が下賜され、正保三年(1646年)
伽藍の再建完了。創建時の姿に戻ることが出来たのです。



▼寺標の大きさスゴイでしょ。





▼仁王門 (重文)。重層、五間三戸、入母屋造、本瓦葺、高さ18.7m。





▼仁王門の仁王さん、阿形金剛力士。








▼同じく吽形金剛力士。








▼こんなサインが。





▼仁王門からの境内参道。と云うより広場ですネ。





▼中門へ向かいます。





▼御室桜にあらず、珍しや御衣黄満開!





▼中門 (重文)。三間一戸、八脚門、切妻造、本瓦葺。これから行く人、帰る人結構います。





▼中門右に四天王のお一人持国天立像。





▼左に多聞天立像が睨んでいます。





▼さて名勝御室桜園です。
 落花盛んどころかお花ほとんど落花、時の流れは確実に。





▼僅かに残るも時間の問題。





▼散る花あれば芽生える花あり。





▼五重塔も何処か哀れげ。





▼ミツバツツジと五重塔。これにはチョット救われた感じ。





▼五重塔 (重文)。見上げると立派な塔です。
 総塔高36.18m、一辺5.91m、寛永二十一年 (1644年) 建立。
 塔内部には大日如来、その周りに四方仏が安置されています。





▼五重塔扁額は梵字でアーク、胎蔵界大日如来を表しています。





▼希望の光に向かって一直線。





▼金堂 (本堂)への参道。





▼金堂 (国宝)。桁行七間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。
 御所の内裏紫宸殿を寛永年間 (1624~1643年) に移築。





▼向拝を正面から。





▼前面小格子折上げ蔀戸になってます。





▼仁和寺本尊、阿弥陀三尊の中尊。阿弥陀如来坐像 (国宝)。





▼中尊左脇侍、観音菩薩立像 (国宝)。





▼右脇侍、勢至菩薩立像 (国宝)。



写真は三点とも、BS11京都国宝浪漫仁和寺からの複写です。



▼本堂外縁。





▼金堂向拝。





▼金堂。



4月26日から特別拝観で金堂と経蔵の内部拝観が出来るそうですヨ。来週からとはつゆ知らずのお粗末、
我ながら情けない。ちゃ~んと京阪の駅にパンフレット置いてました。 



▼ミツバツツジと本堂。





▼経蔵 (重文)。方三間、宝形造、本瓦葺。寛永~正保年間の建立。正面に両開きの板唐戸、左右に花頭窓を
 付け、禅宗様で統一されています。内部は釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩など六躯を安置。内部中央には
 八面体の回転式書架 (輪蔵)を設置。  

 

遠~い昔の娘さん六人、食べて喋って正面石段から動きません。



▼鮮やかな花頭窓。





▼鐘楼 (重文)。入母屋造、本瓦葺、上層は高欄付、木製袴腰。





▼水掛不動尊の参道。





▼扁額には大聖不動明王とあります。





▼ご本尊です。ナガ~イ柄杓でみなさん水を掛けてます。





▼鎮守社、九所明神の鳥居です。





▼参道。





▼拝殿です。





▼本殿全景 (重文)。社殿は本殿、左殿、右殿の三棟。
 本殿は八幡三神。 左殿は賀茂上下、日吉、武答、稲荷。 右殿は松尾、平野、小日吉、木野嶋。合計九
 座の明神を祀ります。





▼本殿中殿。八幡三神をお祀りしています。





▼中門から仁王門を。これから仁王門右横の御殿へ向かいます。





▼御朱印です。




長々のおつき合いありがとうございます。 「仁和寺前編境内を巡る編」 オ シ マ イ。

明日か明後日か明々後日には「仁和寺後編御殿を巡る編」を長々とおおくりいたす所存であります。




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要法寺、日蓮さんの眼光鋭さに圧倒されました。

2014年04月18日 | 京都の古寺巡り


(2014.04.12訪問)

桜の通り抜けが間に入りましたが、12日の山科元慶寺の続きです。
アッタマにくる花粉めのために首から上がグチャグチャ、そうでなくてもガタガタの顔を持て余し、グチュ
グチュいいながら御陵駅まで戻り、東山駅で降り目指すは要法寺。以前から一度訪ねようと思っていたお寺
です。三条通りや東大路通りはやはり人で溢れています。わずか一本、道を入るだけで、街中の喧噪はあり
ません。しかも広大な境内で塔頭がやたら多いお寺ですが人っ子一人いません。目立つ堂宇は本堂と開山堂
のみ、いずれも段柵と施錠がされていますので堂内も見ることができません。さて。


▼本堂。





[ 要法寺 ]
●山号 多宝富士山 (たほうふじさん)
●寺号 要法寺 (ようほうじorようぽうじ)
●開山 日尊上人 (にっそんしょうにん)
●開創 徳治三年 (1308年)
●宗派 日蓮本宗大本山
●本尊 十界曼荼羅
▲京都市左京区法王寺町新高倉通孫橋上ル TEL.075-771-3390
▲拝観料 境内自由 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~17:00  
▲地下鉄東西線 東山駅1番出口 徒歩3分 京阪電車三条京阪駅下車 徒歩10分



▼三条通りに建つ寺標。およそ石柱とは思えない、全体が錆色をして街中の時代径時が偲べます。





要法寺縁起 (要法寺パンフレットから抄出)
高祖日蓮大聖人の教えを継ぐ日尊上人が全国布教活動の拠点として延慶元年 (1308年) 京都に法華堂を建立
されたのが要法寺の起こりです。以来、天台宗徒による法難、宝永五年 (1708年) 京都大火、寛政年間には
宗外からの法難を受けたりしながらも、明治三十二年 (1899年) 本門宗を公称、その後思想統一で日蓮宗と
合同、昭和二十五年 (1950年) 独立、日蓮本宗を名のり今日に至っています。



▼山門 (表門)。三条通りの一本北の通りに南向きの立派な山門です。享保九年 (1724年) 伏見桃山城聚落門
 を移築したそうです。





▼山門木札。





▼鐘楼堂。入母屋造、本瓦葺、板袴腰。元文二年 (1737年) 建立。





▼本堂。本尊 十界曼荼羅。
 桁行五間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、三間向拝付。総欅造、安永三年 (1774年) 建立。
 豪華な総漆塗りの須弥壇上に黄金色のお厨子が置かれ、奥には本尊十界曼荼羅、その前に開祖日蓮上人を
 祀っています。





▼本堂扁額。
 三十世日良上人揮毫。安永二年 (1774年)「玄宗極地 本時上行 扶桑恵日 長照閻浮」と書かれています。





▼本堂。少年二人いました。なにか話し込んでる様子。





▼開山堂。開山日尊上人をお祀りしています。
 桁行三間、梁間三間、重層入母屋造、本瓦葺、一間唐破風向拝付。天保元年 (1830年) 再建。





▼開山堂扁額。





▼開山堂。





▼境内。





▼清涼池。石橋は救済橋と云うそうです。





▼清涼池の真鴨夫婦。多分夫婦と思いますけど、夫がなにか云ってますけど妻知らん顔。





▼薬医門。安永八年(1779年) 建立。





▼庫裡。大書院、客殿と棟続きの建物。平成八年 (1996年) 新築落慶。





▼庫裡玄関。奥に見えるのは書院です。築後十八年とはとても思えない綺麗な屋内、木の香りがいまだ漂う
 感じがします。書院を案内いただき、日蓮さん木像と七字名号が祀られており、眼光鋭い日蓮さんのお顔
 には圧倒され、僧侶の方も「いまだにこのお顔を見るとコワイですわ」同感!





▼西門。安政四年 (1857年) 伏見桃山城から移築。





▼御朱印です。





御朱印を戴くため、庫裡を訪ねるとご年配の僧侶の方が応対してくださり、ついで本堂の拝観をお願いした
ところ、案内しますのでどうぞ、渡り廊下から本堂へ、施錠解錠されて堂内へ。
今回ほど懇切丁寧な案内と説明を受けたのは初めて。総欅造りの本堂、特に内柱の欅の大木の由来や、堂内
各所の造作の苦労などやご本人の出自と組織のお話など伺い、いまだ修業の身で冬場の早朝勤行は辛いです
わのお話に、門外漢のボクなどは感心することばかり。
個性豊かな日蓮さんを宗祖に戴く日蓮宗は、なにかと宗派間の諍いをよく耳にすることをお話しすると、
「僅かな宗義の差だけなんですがね」と多くを語ることはありませんでした。
                            
                            ご親切な対応ありがとうございました。合掌




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造幣局通り抜け、17日までです。

2014年04月16日 | 花巡り


(2014.04.15訪問)






あまりの上天気に、昼過ぎコソッと事務所を抜け出ました。見てくださいこの人、人、人、通り抜けの人出
です。この人の多さに負けて、二度と来るもんかと毎年思いつつ、懲りずにヤッパリ来ました。





      ▼関山。





      ▼松月。





      ▼春日井。





      ▼静香。





      ▼麒麟。





      ▼牡丹。





      ▼九重。





      ▼大提灯。





      ▼糸括。





      ▼大手毬。





      ▼松前琴糸桜。





      ▼蘭々。





      ▼江華。





      ▼平野撫子。





      ▼菊桜。





      ▼鍾馗。





      ▼紅時雨。





      ▼福禄寿。





      ▼林二号。





      ▼八重曙。






      ▼簪桜。






      ▼普賢象。





      ▼鬱金。





今年の桜巡りは終わりのはずでしたが、造幣局が残ってました。
然しマァなんと申しますか、この通り抜けで桜を愛でるとか、儚さの感傷に耽るとかはありません。人の多
さもですが、場内スピーカーのヤレ何をしたらアカン、かにをしたらアカンから、ガードマンの方のハンド
マイクは、止まったらアカン、止まって写真アカン、そこ入ったらアカン、もの食って歩いたらアカン、と
一時も無音のとき無し。しかしそれを守ってる人もほとんどいませんでしたワ。とにかくやかましい通り抜
けでした。桜だけは黙って咲いてました。
北門出てホッ!




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