土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

[雑感] 古都の雨もまた一興

2007年10月04日 | 奈良の古寺巡り
小糠雨、そぼ降るという言葉がピッタリのとぎれとぎれの糸を引いたようなか細い雨が、猿沢の池を過ぎ、奈良町界隈に足を踏み入れた時を待っていたかのように、数滴がボク達を濡らし始めた。今朝の奈良は肌寒い。昨日までの夏日は一体どこへ行ったのだろう。[ 暑さ寒さも彼岸まで ] 上手いことばを思いつつ、彼岸一過の奈良町を歩いた、それにしても昨日と今日のあまりの気温差には驚いた。散策の人影がほとんど無いなか元興寺へ。平城遷都に伴って明日香の地からこの地に移ったという元興寺は南都七大寺の一寺として往時格式と大伽藍を南都の地に誇っていたといいます。然し今はその片鱗すら感じることができないこぢんまりとした佇まいのお寺だ。

友人のカメラマンU君から「元興寺の石塔、石仏の間に咲く桔梗はなかなかのものだよ。」と8月の終わりに聞いていたのでまだあの紫を見ることが出来るのではという期待で訪れた。残念ながら名残咲きの数輪を残すのみだったが、その代わり曼珠沙華(彼岸花)が今盛りと石塔、石仏の間にこれでもかと真っ赤で舌状花と呼ばれる細い花弁を放射状に精一杯広げている。まるで夏の夜空を彩る真っ赤な大輪をまき散らしている花火を一瞬思った。晴れた日の真っ赤は目に痛いが、今降るあるかなしかの雨粒の中に咲く真っ赤はそれなりの雰囲気を醸し、雨中の石塔、石仏群の中で境内のその部分を荘厳している。惜しいかな秋の主役の萩はまだまだ堅いつぼみを緑の葉の中に隠していた。本堂極楽坊の屋根に1400年前の瓦を120年後に再利用したという行基葺を下からのぞみながら入堂した。フワフワの大振りの座布団に坐しご本尊智光曼茶羅に拝した。女房曰く「この絵がご本尊?」「ご本尊って仏像じゃないのん?」「それと本物じゃないって、フーン。」「もう一つありがたみがないわね。」あらん限りの知識を駆使し説明したが「そう。」でお終い。ボクはボクの知識の限界と説得力の限界を感じたのは云うまでもありません。

午後から東大寺金鐘会館で前管長で現長老森本公誠師の法話があるのでお伺いした。往途、鹿の堅い頭を順番に撫でながら金鐘会館に向かう、さすが東大寺、そぼ降る中でも人の出はそれなりに、そして外国の方々の多さが目立っている。これも「世界遺産」東大寺というロイヤリティのおかげなのか。法話の前に森本長老が唱える般若心経の朗々の声がまるで瑞雲たなびく如く会場内を響き渡り、参加者一人一人も唱和し、心経の深遠な哲学は判らないまでも心の奥底になにがしかの余韻が翔る心地がしたのではないだろうか。2時間弱の法話のあと辞するとき南大門を振り返ると、架かる「大華厳寺」の薄黄に墨跡鮮やかな寺額がやや雨勢が強まった中で、一際輝きを増していた。