土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

常照皇寺、光厳天皇の人柄が溢れる気持ちのイイお寺です。

2013年05月28日 | 京都の古寺巡り


(2013.05.25訪問)

南北朝争乱のどさくさで、北朝持明院、南朝大覚寺両統迭立の原則が破棄され、南朝幽閉の身となり即位し
たとか、していないとか幾度も地獄を見てきた光厳天皇晩年に行き着いた常照皇寺。なんとも暗いイメージ
を持って訪ねた常照皇寺なんですが、なんのなんの山寺にありがちな暗くて寂しい感じ、皇室関係寺院のか
た苦しさ、格の高さなどはまるでなく、それドコの寺といわんばかりの実に明るい、開けっぴろげお寺の印
象を受けたのはボクだけではないでしょう。それが地獄を見てきた光厳さんの禅悟の遺志だったんではない
でしょうか。

▼茅葺き屋根の方丈。




[ 常照皇寺 ]
●山号 大雄名山 (だいゆうめいざん)
●寺号 常照皇寺 (じょうしょうこうじ) 正式名 万寿常照皇禅寺
●宗派 臨済宗天龍寺は (りんざいしゅう)
●開基 光厳法皇(こうごんほうおう)
●創建 貞治元年 (1362年)
●本尊 釈迦如来
▲京都府京都市右京区京北井戸町字円山14-6 電話 075-853-0003
▲拝観料 300円 御朱印300円
▲JR京都駅から周山行き(JRバス)約1時間30分 周山から山国御陵前(京北ふるさとバス)約15分

常照皇寺縁起
北朝の初代上皇光厳さんが無範和尚として出家し、伴の道覚さんと山国 (今のこの地) を巡拝中、村人の厚意
で無住の荒寺成就寺に案内されます。二人は感謝を込めてその寺を改創、光厳さんは禅僧夢窓国師に帰依し
ているところから、臨済宗天龍寺派常照皇寺と定め、その二年後崩御、この地に葬られました。現在の山国
陵 (やまくにのみささぎ) です。

▼門前桂川に架かる「さんりょうはし」。真っすぐ行くと参道です。




▼寺標。光厳法王御開創と刻されています。




▼参道石段。




▼山門です。石段が続きます。




▼参道。ヒョイヒョイと行ける石段です。フィトンいっぱい鬱蒼とした緑が続きます。




▼やがて勅額門。切妻造、新しく葺き替えられた銅板葺のきれいな門です。




▼勅額門扁額。




▼勅額門を入るとスグ、猿帰石橋。下の小川らしき溝がありますが、水はありません。




▼碧潭池。放生池でしょうか、水が涸れかかっているようです。




▼勅額門を境内から。




▼鐘楼。




▼庫裏玄関。ここで入堂手続きです。受付のおじさんがまたイイ、最高のお人柄!




▼左書院を通して正面方丈です。




▼書院玄関。飾り幕はさすが菊の御紋。




▼茅吹き方丈。




▼方丈扁額。




▼方丈正面。




▼天井下鴨居に設えられた珍しい仏壇です。




▼このお像が常照皇寺のご本尊釈迦如来かどうか?です。脇侍はおられませんお一人です。




▼方丈庭園。




▼方丈室内。風通し最高、気持ちいいでしょ。左上が仏壇です。




▼方丈から開山堂への渡り廊下。




▼方丈から開山堂。




▼方丈庭園池。




▼開山堂。緑がわんさかの為、全景が撮れません。



▼別名怡雲庵 (いうんあん) 開山堂扁額。




▼開山堂内陣。




▼ご本尊、開山光厳法王の木彫像。非常にリアルで怖いぐらい。




▼外陣左側に阿弥陀三尊像 (重文) が安置されています。



脇侍の両観音、どこかで皆さんご覧になったことありませんか。そう、大原三千院往生極楽院の本尊脇侍両
菩薩の大和坐りと同じポーズをとっています。そう云えばここから大原はそんなに距離はありません、光厳
さんもひょっとして大原詣りをされたのかも知れませんネ。

▼阿弥陀さんです。




▼左脇侍の観音さんです。




▼右脇侍の勢至さんです。




▼外陣両脇の天井下に勾欄、羅漢さんが並んでいます。




さていよいよ常照皇寺人気ナンバーワン、桜の登場です。
▼天然記念物、九重桜。どれが幹やら枝やらサッパリ。




▼九重桜を下から見ると。




▼九重桜の隣、左近の桜を下から見ると。



桜は花を見るに越したことはないんですが、この葉桜の豪快さも一興ですよ。
この緑に代わるピンク一面を想像してみてください。花のシーズンの人出、相当なものらしいです。

▼白藤が咲き誇ってました。どう見ても白には見えませんネ、なんでやろ?




と云う訳でこれにて常照皇寺オシマイ。それでは光厳天皇陵「山国の御陵」へ行ってみましょう。

▼御陵参道.相変わらず鬱蒼です。




▼参道をもう少し。




▼上りきるとチョットした広場に、これ以上は行けません。陵門が見えます、仰ぎ見つつ合掌。




▼常照皇寺御朱印です。




お天気良好のせいもあるんでしょうが、こんなに気持ちの昂揚するお寺も珍しい、何とも気持ちのイイお寺でした。




花も薫りも、中之島バラ園です。

2013年05月24日 | 花巡り


(2013.05.23訪問)

▼中之島バラ園



お昼チョット前、事務所をソッと抜け出し、中之島バラ園に。
ひとときのバラオアシスも、少々だれ気味。
こうも暑いとさすがにデジカメおばさんやおじさんも少なく、園内トラブルなし。
植わっている株のほとんどが咲いていますが、花数が例年より少ない感じ。でした。

▼ジーナ ロロ ブリジーダ




▼ザ マッカトニー ローズ




▼マグレディス イエロー




▼シャトルーズ ドゥ パルム




▼キャンドル ライト




▼オーナー




▼オーナー ドゥ バルザック




▼天津乙女




▼マダム ムカロリンテストウ




▼マダム アルバート バルビエ




▼バビデルバール




▼ゴールドバーニー




▼コンテストドゥ セギュール




▼高雄




▼マーシャル スタンホープ




▼マリアカラス




▼ジャストジョーイ




▼スプリット オブ フリーダム




▼ピース




▼ダイアナ プリンセス オブ ウェールズ




▼藤娘




▼ハニーブーケ




▼マダム バタフライ




▼プロミネント




▼マダム ジュール プーシュ




▼マリリン モンロー




▼中之島バラ園






東大寺法華堂三年ぶりに蘇りました。須弥壇、諸尊像修理完成。

2013年05月20日 | 奈良の古寺巡り


(2013.05.17訪問)

千二百六十余年の時空は天平の仏や堂宇には過酷な年月、相当傷んでいた法華堂の須弥壇や床下、塑像や乾
漆像の修復修理が平成二十二年五月から開始され「法華堂須弥壇及び諸尊像の修理」事業が今年三月末に終
了し、四月から諸尊の安置場所や堂内整備、照明LED化など実施、五月十八日(土)から拝観再開されます。
それに先立ち、十六日、十七日に拝観の機会があり十七日に拝観させていただきました。

▼今日の受付。




▼新しくなった法華堂パンフ表紙の中尊不空羂索観音と須弥壇及び諸尊修理の記録DVD。



3年ぶりに蘇った法華堂の修理作業経過を記録したDVDです。
[註]この記録は5月18日BS朝日でも放送されました。


▼スッキリした須弥壇と諸尊。(法華堂パンフ&BS朝日から)









画面はキレイ、写真ノンスッキリ、ご容赦。


▼須弥壇諸尊の配置。



修復された須弥壇には、本尊不空羂索観音、両脇に梵天、帝釈天、前面に阿形金剛力士、吽形金剛力士、四
隅に四天王の持国天、増長天、広目天、多聞天の九尊が、北面に秘仏執金剛神祀られています。従来お堂内
におられた日光・月光両菩薩、弁財天、吉祥天、地蔵菩薩、不動明王の六尊は居場所が変わられ、東大寺ミ
ュージアムの方に、十六尊が十尊になり今まで満員御礼の須弥壇が、奥まで明瞭に見通せるようになりまし
た。LED照明効果抜群です。


▼頂いた散華五枚。浅羽壮一郎さん画。




▼今日の法華堂南面。




好天に恵まれた今日の東大寺歩きのスポットです。
▼今日の南大門から。




▼今日の大仏殿。




▼今日の裏参道。




▼今日の二月堂。




▼今日の二月堂舞台。




▼今日の大仏殿と生駒山。




▼今日の二月堂。




▼今日の法華堂西面。




▼今日のシカクン。




▼今日の戒壇堂。




▼今日の東大寺総合文化センター。




▼今日の県庁屋上から。西 北 南 東(左上から)




▼今日の大仏殿。




感慨新! 見事に蘇った法華堂、是非拝観してください。お帰りには東大寺ミュウジアムへもどうぞ!


浄土寺、坂の町尾道の大寺です。

2013年05月09日 | 広島の古寺巡り



(2013.05.04訪問)

さくらに乗って尾道へ行ってきました。もちろん日帰りですよ。
GW後半の4日、坂とお寺の街、尾道お寺巡りに、行きはヨイヨイ帰りはヘトヘト。
かなり攻撃的に数ヵ寺制覇を狙ったのですが、結果、二寺を訪ねたのみ。
なぜかって? 尾道に行ったらわかりますワ!

▼千光寺山ロープウエイから尾道市街。中央川ではありません尾道海峡、瀬戸内海です。対岸は向島。




[ 浄土寺 ]
●山号 転法輪山 (てんぽうりんざん)
●院号 大乗律院 (だいじょうりついん)
●寺号 浄土寺 (じょうどじ)
●宗派 真言宗泉涌寺派 (しんごんしゅう せんにゅうじは)
●開基 伝聖徳太子 (しょうとくたいし)
●創建 伝推古二十四年(616年)
●中興 定證上人 (じょうしょうしょうにん)
●本尊 十一面観音菩薩立像 (秘仏)

▲広島県尾道市東久保町20-28 電話 0848-37-2361
 HP http://www.ermjp.com/j/
▲拝観料500円 宝物館400円 御朱印300円
▲JR山陽本線尾道駅からバスで、「浄土寺下」下車徒歩約5分。
 JR山陽本線尾道駅から徒歩30分。
 千光寺山ロープウエイ乗り場から徒歩15分。

●浄土寺縁起 (浄土寺HPより抄出) 
山陽道の名刹浄土寺は飛鳥時代、推古天皇の二十四年(626年)聖徳太子の開基と伝えています。あるとき
には高野山に縁を結び又は南都西大寺の列に連なり、更に江戸時代に至って京都の泉涌寺派に属して大本山
となっています。
鎌倉時代の終わりに、西大寺の定證上人が西国教化の途すがら浄土寺末の曼荼羅堂(現海龍寺)に安居して
いた頃の浄土寺は堂塔を守る人さえもいない有様でした。 そこで上人は里人の懇請を容れて浄土寺の再興を
発願し、尾道浦の大檀那光阿弥陀仏らの援助によって嘉元元年(1303年)から嘉元四年(1306年)にかけ
て堂塔を造営し華やかな落慶供養を営みました。
竣工後二十年の正中二年(1325年)諸堂宇悉く炎上という悲運に見 舞われましたが、嘉暦元年(1326年)
には早くも尾道の邑老道蓮 ・道性夫妻が堂宇再興の大願を発して金堂、山門、多宝塔、阿弥陀堂など相つい
で再建しました。その後一度も災禍に遭わず、六百余年の風雪を凌いで今日までその威容を保っております。

▼参道。上に山門が見えます。その下ガードはJR山陽本線、手前道路を左に行くとJR尾道駅です。




▼浄土寺寺標。石柵の紋は寺紋「二引両」足利家の家紋でもあります。




▼山門 (重文)。一間一戸、四脚門、切妻造、本瓦葺、両袖潜戸付。南北朝時代再建。




▼本堂 (国宝)。本尊 十一面観音菩薩立像 (秘仏)。
桁行五間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。鎌倉時代嘉暦二年 (1327年) 再建。



山門をくぐると正面に建ち、向拝両柱に足利家家紋「二引両」の提灯が妙に目立ちます。


▼本堂内部。前面二間通、赤毛氈のところを外陣、仕切る格子壁後ろを内陣とする密教式平面。




▼阿弥陀堂 (重文)。本尊 阿弥陀如来坐像。
桁行五間、梁間四間、寄棟造、本瓦葺。南北朝時代康永四年 (1345年) 再建。



むしろ本堂よりも堂々とした佇まい、前面蔀戸がシンプルな雄大さを感じさせます。


▼多宝塔 (国宝)。本尊 大日如来坐像。
三間二層、本瓦葺。鎌倉時代嘉暦三年 (1328年) 建立。



スタイル、プロポーション抜群!実に美しい多宝塔です。


▼地蔵堂。本尊 地蔵菩薩立像。
桁行三間、梁間二間、寄棟造、本瓦葺、一間向拝付。




▼開山堂。方三間、宝形造、本瓦葺。
阿弥陀堂と地蔵堂間の石段を上り詰めたところに建っています。




▼浄土寺境内。開山堂から境内と尾道海峡。一塔六堂が一望、対岸は向島。




▼石仏群。開山堂石段の右に整然と並べられています。




▼境内東端に建つ文殊堂。方三間、宝形造、本瓦葺。




▼護摩堂 (不動堂)。本尊 不動明王像。方三間、宝形造、本瓦葺、一間向拝付。




▼鐘楼。




▼(左) 伝尊氏墓宝篋印塔 (重文)。石造、塔高190cm、南北朝時代。



右は尊氏弟、直義供養塔と伝わるそうです。


▼子安堂。




▼宝篋印塔 (重文)。石造、塔高320cm、南北朝時代貞和四年(1348年)造立。



塔身に四仏の種字(サンスクリット文字)が刻まれています。僧四名の逆修塔として造立。


▼納経塔 (重文)。石造、基壇付、塔高270cm、鎌倉時代弘安元年 (1278年) 造立。



写真では判りにくいですが、塔身に四仏の種字が刻まれています。


▼鎮守社丹生神社。高野の神と丹生津姫をお祀りしています。




▼何とも素晴らしい多宝塔をもう一度。




▼御朱印です。




尾道にはかなりの数のお寺があります。中でも浄土寺は大寺、寺観も整い景観そのものが国宝と云うのも頷け
ます。瀬戸内海は古代からの海上交通の要路であり、尾道は良港要地でこの地方の信仰の中枢でもあったと伝
え、特に南北朝時の足利尊氏九州逃避、反撃上京の際にこの浄土寺に戦勝祈願し、その結果は歴史が語るとお
り。このお寺には尊氏縁のものが多く目につき、寺紋までが足利家家紋です。

フロクです。
▼千光寺公園から尾道市街と尾道海峡。










坂道コリゴリ、尾道ラーメンう~ん!


禅定寺は南山城の名刹、藤原仏がズラリ。

2013年05月01日 | 京都の古寺巡り



(2013.04.28訪問)

ゴールデンウイークの渋滞情報を聞きながらそれドコのお話? てなことを思いつつ走ってます。
渋滞?ありません。スイスイ、快適、長閑です。幸先イイ五月晴れ(まだ四月ですが)の今日は、初めて宇
治田原の禅定寺を訪ねました。R307号は一度湖東から大阪へ帰るため通ったことがありますが、ひたすら西
への印象しかありません。今日はその逆、東へひたすらです。岩山バス停から府道783号に入り1キロ少々、
道路沿いに参道石段が現れます。

▼茅葺き屋根の本堂。




[ 禅定寺 ]
●山号 白華補陀洛山 (ふだらくさん)
●院号 観音妙智院 (かんのんみょうちいん)
●寺号 禅定寺 (ぜんじょうじ)
●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう)
●開基 平崇上人 (へいそしょうにん)
●創建 正暦二年 (991年)
●中興 月舟宗胡禅師 (げっしゅうそうこ)
●本尊 十一面観音菩薩立像

▲京都府宇治田原町禅定寺庄地100 電話 0774-88-4450
▲拝観料 500円 御朱印300円
▲JR奈良線宇治駅、京阪宇治線宇治駅、近鉄京都線新田辺駅から京阪バスで、維中前行き、工業団地行き、
緑苑坂行きで「維中前」又は「岩山」下車徒歩約30分。
クルマで訪問するのが無難ですよ。国道307号から岩山に入り、府道783号を大津方面へ(宇治田原側から)

禅定寺縁起 (禅定寺パンフより抄出)
正暦二年(991年)東大寺五十三代別当、平崇上人が藤原兼家の帰依を受け、私領の山野に五年の歳月を費や
して堂を建て、十一面観音菩薩像を安置したのが始まり、ついで長保三年 (1001年) 上人は田畑一千町歩を寺
に施入。大きく発展したが、鎌倉、室町、戦国時代の兵火などで創建当初の伽藍は壊滅。その後江戸時代延宝
八年(1680年)加賀の国曹洞宗大乗寺の月舟宗胡禅師を迎え曹洞禅の道場として復興が果たされた。

▼石標。




▼参道石段。




▼仁王門前の寺標。




▼花頭窓を備えた仁王門。




▼仁王門扁額。補陀禅林と揮毫されています。




▼金剛力士阿形像。




▼金剛力士吽形像。




▼仁王門から境内。




▼手水舎。




▼境内。よく手入れされたきれいなお庭です。




▼由緒在る五輪塔。大和特徴を備えた貴重な五輪塔らしいです。



下段方形に康永壬午十二月四日と刻されています。


▼本堂。珍しい茅葺きの本堂。本堂では檀家の法要があり、今日は入堂出来ませんでした。




▼観音堂。




▼観音堂扁額。




▼鐘楼。




▼お墓の法面に描かれた大涅槃図壁画。平成の大涅槃図だそうですが、このお寺には全くそぐいません。




▼十一面観音立像。
小川光三さんの写真集「南山城の古寺」から。



仁王門手前に収蔵庫があり名宝がズラリ、正面に十一面観音菩薩立像(重文)が安置、堂々体躯の仏像。お
顔は丸く、お身体やや肥満気味でズングリムックリはご愛嬌か。漆箔は殆どはげ落ち黒漆地が出ていますが
衣文の彫りは丁寧で緻密です。
藤原時代作、像高286.3cm、木造寄せ木造、漆箔、頭飾胸飾をはじめ飾り物が非常に豪華です。

▼御朱印です。




よくぞ田舎のお寺に、と云ったら大変失礼ですが、収蔵庫に収められている仏像の数々の素晴らしいこと。
ほぼ十体の重文仏が安置、ほとんどが藤原期造像でお寺の草創期からのものであると伝わっています。往時、
余程大きく強勢な寺であったことが偲ばれ、道路網も北西に宇治へ、北東に瀬田川から大津へ、南西に大和
への道、東は信楽から湖東への道が各方面に通じ、古道も現在の道路にほぼ見合うらしく宇治田原は古から
交通の要所でもあることがよくわかります。
要所ではあるけれどやはり山里は山里、しかしそこに在る古刹は充分に歴史を感じる佇まいでした。