土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

醍醐寺、上醍醐登山なしで御朱印が戴けます。

2015年07月29日 | 京都の古寺巡り



(2015.07.25訪問)


車中から車載の外部温度を見ると、38℃をさしてました。実際には35~36℃だと思いますがそれにしてもあんまりな
暑さ。お寺参拝でぶっ倒れたら絵になりません。皆さん気をつけてくださいね。
今日はそんなバカらしい暑さの中、醍醐寺を訪ねました。一番の目的は西国三十三カ所観音霊場第十一番札所の御朱印
を戴くため。山上「准胝堂」健在ならば上醍醐登山のところ、今は下醍醐観音堂で戴けるとのこと、こんな嬉しいこと
はありません。

        ▼「西国第十一番霊場登山口」と刻されてます。





[ 醍醐寺 ]
●山号 醍醐山(だいごさん)
●寺号 醍醐寺(だいごじ)
●宗派 真言宗醍醐派総本山(しんごんしゅうだいごは)
●開基 理源大師聖宝(りげんだいししょうぽう)
●開創 貞観十六年(874年)
●本尊 薬師如来坐像(重文)
▲拝観料 600円 (三宝院、霊宝館、上醍醐それぞれ) 御朱印 300円。駐車場 700円
▲拝観時間 9:00~16:00
▲京都市伏見区醍醐東大路町22 電話 075-571-0002
▲http://www.daigoji.or.jp
▲平成六年(1994年)ユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」として登録
▲西国三十三カ所観音霊場第十一番札所
▲ JR京都駅からJR東海道本線(琵琶湖線)または湖西線「山科駅」京都市営地下鉄東西線に乗り換え「醍醐駅」下車。
  JR奈良線「六地蔵駅」京阪「六地蔵駅」地下鉄東西線に乗り換え「醍醐駅」下車。
  京阪バス「京都駅八条口」山急醍醐寺ゆき約30分「醍醐寺」下車


▼総門。       





醍醐寺縁起 (醍醐寺HPから抄出)
醍醐寺は理源大師聖宝が貞観十六年(874年)に上醍醐山上で地主横尾明神の示現により、醍醐水の霊泉を得、小堂宇を
建立して、准胝、如意輪の両観音像を安置したのに始まる。そののち醍醐、朱雀、村上三帝のご信仰がよせられ、延喜
七年(907年)には醍醐天皇の御願による薬師堂が建立され、五大堂も落成するに至って上醍醐の伽藍が完成した。それ
に引き続くように下醍醐の地に伽藍の建立が計画され、延長四年(926年)に釈迦堂が建立。ついで天暦五年(951年)に五
重塔が落成し、下醍醐伽藍の完成をみた。


▼総門を潜るとスグ左に三宝院の唐門(国宝)。三宝院拝観今日はスルー。





▼春の桜参道も35℃越ではさすが参拝者の姿見当たりません。





▼西大門、仁王門です。三間一戸、二層楼門式、八脚門、入母屋造、本瓦葺。
 豊臣秀頼が慶長十年(1605年)再建。





▼金剛力士阿形像(重文)。





▼同じく吽形像(重文)。
 長承三年(1134年)造立、仏師勢増、仁増。檜寄木造、両像とも像高約360cm。



鎌倉仏風マッチョ感はなく穏やかな感じの仁王さん。お顔もマンガチックと云ったら失礼かな。



▼西大門。





▼下醍醐の伽藍エリアへの緑の参道も暑い時は暑い。





        ▼五重塔(国宝)。京都府下最古の木造建造物。塔高約38m、本瓦葺。
         相輪約13mで、塔の三分の一を占め、これが安定感に繋がっているそうです。





▼清瀧宮拝殿。
 桁行三間、梁間二間の単層、屋根は入母屋造、桟瓦葺。室町時代(1532~55年)再建。二段広縁付、窓は蔀戸。





▼清瀧宮本殿(重文)。醍醐寺の総鎮守清瀧権現を祀る鎮守社。永正十四年(1517年)再建。
 瑞垣に囲まれた乱積石垣上に鎮座。桁行三間、梁間一間、切り妻造、檜皮葺。





▼金堂(国宝)。
 桁行七間、梁間六間の単層、入母屋造、本瓦葺。延長四年(926年)創建。慶長三年(1598年)移築再建。





▼金堂須弥壇。





▼本尊薬師三尊(重文)。
 本尊御薬師さんは青年期の漲るパワーを秘めたきかん気イッパイのお顔、やや目尻の上がった目の精悍さは小さめの
 口元の紅が一層の引き立て役か、納衣に僅かに残る錐金も往時の豪華さが偲ばれます。脇侍の日光さんの円光背どう
 見てもズレてるように見えますが。
 薬師三尊像は慶長三年(1598年)豊臣秀吉よって、金堂の建物とともに紀州湯浅の満願寺から移設。

 

中央 本尊薬師如来坐像(重文)、像高約132.1cm、檜寄木造、漆箔。鎌倉時代。仏師は善円か?
左 日光菩薩立像(重文)、像高約145.4cm、檜一木造、鎌倉時代。(向かって右)
右 月光菩薩立像(重文)、像高約145.6cm、檜一木造、鎌倉時代。(向かって左)


        須弥壇両脇には四天王が祀られています。
        ▼右前 持国天立像。像高約200cm、玉眼、木造割矧ぎ造。





        ▼左前 増長天立像。像高約200cm、玉眼、一木造。
         それぞれの後ろに広目天、多聞天が控えています。





▼金堂前の簡素な鐘楼。





▼不動堂。堂前は護摩道場。桁行三間、梁間四間の単層、入母屋造、本瓦葺。





▼不動堂扁額。小さいながらもシンプル&パワフル、扁額の見本のような扁額。





        ▼本尊不動明王立像。お不動さんを中心に五大明王が奉安されています。





        ▼堂前の不動明王石像、石像ながら細部まで丁寧な彫りで迫力満点。





▼不動堂をちょっと斜めから。





▼真如三昧耶堂。
 朱雀天皇勅願により法華三昧堂として天暦三年(949年)創建。平成九年(1997年)に真如三昧耶堂として建立。



醍醐寺で出家得度した真如苑の開祖伊藤真乗が創始した真言小野流の一派が醍醐寺により顕揚されたことで法華三昧堂
の跡地に建立。



▼今はやり普通の扁額。





▼須弥壇上には釈迦涅槃像が奉安されています。





▼祖師堂。真言宗宗祖の空海さんと、孫弟子で、醍醐寺開創の聖宝さんが祀られています。慶長十年(1605年)建立。





▼ダブル宗祖の扁額。





▼蓮華が前にありよく判りませんが須弥壇上に並ぶ両雄。右、弘法大師、左、理源大師。





▼大伝法院の山門。





▼山門天井ですが、こんな高い所どうして貼ったんでしょうといつもの疑問です。





ここから観音堂を中心に広がる林泉及び弁天堂、鐘楼、伝法学院等を総称して大伝法院と呼びます。これら諸堂は、醍
醐天皇一千年御忌を記念し、昭和五年(1930年)山口玄洞居士の寄進により造築されたものだそうです。山口玄洞さんは
神護寺金堂を寄進したことでも知られています。

▼12脚柱の豪壮な鐘楼。





▼梵鐘も大きいです。





▼観音堂(旧大講堂)。西国三十三所観音霊場第十一番札所。



西国三十三所十一番札所の朱印は上醍醐「准胝堂」が再建されるまでこの「観音堂」で受けることが出来ます。
平成二十年(2008年)8月24日に落雷で札所上醍醐准胝堂が炎上、本尊も焼失。平安以来、上醍醐にあった西国札所は
下醍醐に移り、大講堂は観音堂と名称を改められたそうです。




▼紅葉の名所、弁天池と弁天堂。秋には凄いことになりそうです。





▼反り橋と弁天堂。





▼この扁額も非常に結構です。





▼反り橋から池越しに観音堂を撮ってみました。





さてこの辺りから上醍醐エリアとなるそうで……、
▼参道を少し行き石鳥居を潜るといよいよ上醍醐への登山口です。





        ▼「西国第十一番霊場登山口」石柱。





▼成身院女人堂。まさに上醍醐への入口。怖いモノ知らずの人はココで上醍醐への入山料600円を支払ってください。





▼女人堂前の五仏。奥から不動明王、理源大師、弥勒菩薩、役行者、地蔵菩薩が祀られています。





▼おりしも十四五人の山伏装束の皆さんがやってきました。
 早速女人堂への拝礼です。静かに重々しく真言だと思いますが唱えていますがハッキリとは判りませんでした。
 この暑いのに上醍醐への登山ご苦労様。おきばりやす。









今日の参拝はココまで、間違っても上醍醐登山はいたしません! 前方坂道を見るだけで目が回ってきました。


▼西国三十三カ所観音霊場第十一番札所のご朱印です。
今日最大目的は、この御朱印を戴くこと。上醍醐登山をしなくとも下で戴ける幸運、あるもんですネ。




上醍醐札所「准胝堂」の復興再生を心より願って、今日の醍醐寺 オ シ マ イ !


▼今日のフロク 醍醐寺駐車場のギンギンの直射に淋しげな景観。


 
 



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来迎院、静寂の中、如来三尊に会えました。

2015年07月21日 | 京都の古寺巡り



(2015.07.19訪問)


木曜日のBS11の京都国宝浪漫「大原三千院と来迎院」を見ていて「そうだ大原に行こう」と三連休二日目に大原来迎院
を訪ねました。台風一過とはいえすこぶる曇天、にも関わらず三千院の雑踏相変わらず、しかし来迎院参道に人影なし。
しめしめゆっくり拝観できるわいと、少し上りの参道を一目散にゆっくり歩いて行きました。わずか5~6分奥の来迎院
にはまるで人がいません。


▼三千院手前を右へ、来迎院への参道です。





[ 来迎院 ]
●山号 魚山(ぎょざん)
●寺号 来迎院(らいごういん)
●宗派 天台宗
●開基 慈覚大師円仁(えんにん)
●開創 仁寿年間(851~854年)
●中興 聖応大師良忍(りょうにん)
●本尊 三如来坐像(重文) 薬師如来坐像、釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像。
▲拝観料 400円 御朱印300円。
▲拝観時間 9:00~17:00
▲京都市左京区大原来迎院町537 電話 075-744-2161
▲ JR京都駅から市バス16、17系統「大原」下車徒歩20分
  京阪電車「出町柳駅」から「八瀬」下車、市バス16,17系統「大原」下車徒歩20分



▼参道に沿う呂川、台風の影響モロか、こんな急流と水量は初めて。





来迎院縁起 (来迎院パンフレットから抄出)
平安仁寿年間(851~854年)に円仁さんが天台声明の修練道場として開山。その後、天台僧良忍さんは叡山経学に飽き足
らずここ大原に隠棲、天仁二年(1109年)来迎院を再興、数ある天台声明を統一、魚山流声明を集大成し後の天台声明の
礎とした。良忍さんは、念仏三昧中阿弥陀如来から融通念仏を感得、大阪平野に大念仏寺を総本山に融通念仏宗を開宗
し、六十歳でここ来迎院で示寂。その後の来迎院は声明名僧や理論家を輩出、声明本山としてその血脈を守り続けている。



▼ほんの5分少々、山門です。





▼本堂への参道。





▼左上に本堂が見えます。





▼鐘楼。





▼梵鐘です。





▼振り返ってみると庫裏と入山受付が見えます。





▼緑の濃淡の中にひっそりと佇む本堂。
 桁行三間、梁間三間の単層、屋根は入母屋造、銅板葺、室町時代(1532~55年)再建。二段広縁付、窓は蔀戸。





▼本堂前面です。縁の右側から入堂。





▼本堂須弥壇に三如来坐像。
 中 薬師如来坐像(重文)、像高89.7cm、木造寄木造、漆箔。藤原時代。
 左 釈迦如来坐像(重文)、像高58.8cm、木造寄木造、漆箔。藤原時代。(向かって右)
 右 阿弥陀如来坐像(重文)、像高59.4cm、木造寄木造、漆箔。藤原時代。(向かって左)
 手前向かって右、毘沙門天立像。左、不動明王立像。





▼中尊 お薬師さんの尊顔。





        ▼左尊 お釈迦さんの尊顔。





        ▼右尊 阿弥陀さんの尊顔。


 
ザンネンなことに三尊ともお顔がハッキリしません。特に中尊お薬師さんが。
1000年の歳月はこうも相貌を変えるものかと、時の流れの儚さを思うと同時に仏自身が彷徨の果てにこの寺にやって来
たんではと思ったりもする。寺伝では創建時からこのお寺におられるとのことだが。



▼四柱内陣天井には二人の飛天の舞を見れますよ。









▼四柱欄間は楽器の数々が描かれています。    









▼本堂須弥壇。
 堂内中央に四本柱で内陣を構成し、上段須弥壇に三尊を、下段に脇侍の不動明王と毘沙門天をお祀りしています。
 須弥壇上部天井は繰上げ天井で天と側面に絵が描かれた非常に印象的な荘厳です。





▼堂内外陣。





▼本堂。





▼本堂外縁は二重で内側が一段高くなっています。





▼北側高台から見た本堂。





        ▼これでもかと緑の攻勢。





▼お地蔵さんが集められています。





        ▼五輪塔。塔高282cm、花崗岩製、鎌倉時代。





▼良忍上人廟参道。進むにつれてやけにゾクゾクしてきました。





        ▼良忍上人の廟への石標。





        ▼これ灯籠らしいのですが、裏側を撮ってます。別に意味はありません。





▼来迎院の事実上の開山、聖応大師良忍上人の廟。





        ▼良忍上人廟三重石塔(重文)。塔高2.82m、花崗岩製、鎌倉時代。





▼御朱印です。ウ~~ンフクザツ





▼特別フロク 音無の滝です。
 滝の名付け親は良忍さん。
 来迎院から上ること約10分、小野山から流れ下る滝で、一ノ滝と云い、上流には二ノ滝、三ノ滝があるそう。
 台風の威力まざまざ、凄い水量と激しい流れを見てください。



















良忍さんが声明をあげた際に、声明の声に滝の音が同調し、滝の音が消えたと伝えられているそうですが、
今日の滝の音ではそれは無理、怒鳴っても声明の負け。




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十楽寺、甲賀三大佛の三、阿弥陀如来坐像が凄い!

2015年07月18日 | 滋賀の古寺巡り



(2015.07.11訪問)


擽野寺から15分ほど、国道1号線沿いに十楽寺はあります。ナビがないと確実に通り過ぎてしまうほど小さなお寺です。
思ったイメージとこれほど差のあるお寺も珍しいと云ったら失礼だろうか。
山門を潜ると正面に本堂、手前に鐘楼があるあるだけのごく小さな境内で、本当に日本最大級の丈六阿弥陀さんがおら
れるのか ?がよぎりましたが……。


▼いらっしゃるんです、この方が甲賀三大佛その三の本尊阿弥陀如来坐像。





[ 十楽寺 ]
●山号 清浄山 (せいじょうざん)
●院号 二尊院 (にそんいん)
●寺号 十楽寺 (じゅうらくじ)
●宗派 浄土宗 (じょうどしゅう)
●開基 寂照法師 (じゃくしょうほうし)
●創建 文明十八年 (1486年)
●充実 寛文年間 (1661年~) 広誉可厭大和尚 (こうよかえんだいおしょう)
●本尊 阿弥陀如来坐像 (甲賀三大仏)
 本尊 阿弥陀如来坐像 (重文)

▲拝観料 500円 御朱印300円。
▲拝観時間 不詳
▲滋賀県甲賀市土山町山中351 電話 0748-68-0364
▲http://jodo.jp/28-279/ (浄土宗公式サイト/清浄山十楽寺)
▲ JR関西本線(亀山~加茂) 加太駅から6.2km



        ▼立派な寺号石柱が目印です。





十楽寺縁起 (十楽寺パンフから抄出)
文明十八年 (1661年~) 天台宗寂照法師により創建。天正年間信長より兵火焼失、その後寛文年間(1661~)巡化
僧広誉可厭大和尚、専修念仏浄土を念願し広く万人講を勧募し本堂、庫裏、茶所を完成し,清浄山二尊院十楽寺と名称
し念仏道場と定め、浄土宗総本山知恩院の直轄末寺となり今日に及ぶ。本尊は日本最大級の丈六阿弥陀如来座像、ほか
十一面千手観音、救世観音坐像、摩耶夫人立像などの仏像安置がされている。



▼街中寺の典型的佇まいの山門。スグ右に国道1号線が通ってます。





▼鐘楼。





▼本堂。正面戸口に「拝観の方は庫裏玄関までお越し下さい」の張り紙。さっそく行ってベルをブーです。



ジャストモーメン! 
高校生くらいのスラリ抜群プロポのベッピンお嬢ちゃんが顔を出してくれました。確実にこのおっさんより背が高い。
「すみません、今、両親は外出しています」とのことは、お寺のことや丈六阿弥陀さんのことは聞けないのでしょう。
「拝観できます?」「ハイどうぞ今本堂開けますので」
早速入堂させていただくと丈六阿弥陀さんが目の前に……、



▼この方が甲賀三大仏のお一人、とにかく丈六はデカイ、凄い、素晴らしい阿弥陀さん。像歴は浅いが少し華奢な体型
 はその分像姿が洗練されています。非常に男前の阿弥陀さんだ。 
 本尊阿弥陀如来坐像。像高278cm、木造、江戸前期、作者不詳。





▼こんな男前です。





▼須弥壇を下から見上げてみました。



写真ココで終了、バッテリー切れとスペア忘れのお粗末でした。



▼御朱印です。(朱印写真は我が家で撮りました)





甲賀三大佛最後のその三、十楽寺阿弥陀如来坐像は、土山の小さなお寺の本堂にお坐りでした。どういう経緯でこのお
寺にこられたかは判りませんが、馬子唄に「坂は~照る照~る鈴鹿は曇る~あいの土山~雨が降~る」と唄われたよう
に、旧東海道土山宿は本宿、鈴鹿峠越えの人々で相当賑わったことでしょう。人の集まるところ大寺ありで、今でこそ
極小さなお寺の十楽寺も往時の繁栄振りは、この本尊阿弥陀如さんを見ても、数ある重文仏を見てもそれが偲ばれます。
須弥壇横と後ろにもうお一人の本尊阿弥陀さんや重文の十一面さん、摩耶夫人像など素晴らしい諸仏が並んでいます。

甲賀三大佛巡り、単に大きな仏三体を訪ねると云うことだけでなく、釈迦如来(大池寺)は過去を、薬師如来(櫟野寺)は現
在を、阿弥陀如来(十楽寺)は未来をと三世の平安安穏を願おうというストリーが込められた甲賀三大佛巡り。
いい諸仏に会えたことに感謝。

せっかくお嬢ちゃんに撮影了解もらったのに、情けない結末。
皆さんくれぐれもバッテリー切れのためのスペア持つことお忘れなく!
だいたいここに来るまでにたくさん撮り過ぎやろ。ハイ!




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櫟野寺、甲賀三大佛の二、薬師如来坐像が凄い!

2015年07月16日 | 滋賀の古寺巡り



(2015.07.11訪問)


大池寺の素晴らしい仏とお庭の美を堪能し、次に向かうは甲賀三大佛その二、いちいの観音さんと呼ばれる擽野寺です。
大池寺から一部国道1号線を通り、新名神高速を潜り県道24号線沿いに擽野寺は有ります。約20分で到着です。



▼参道。





[ 櫟野寺 ]
●山号 福正山 (ふくしょうざん)
●院号 自生院 (じしょういん)
●寺号 櫟野寺 (らくやじ)通称 いちいのでら
●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
●開基 伝教大師最澄 (でんきょうだいしさいちょう)
●創建 延暦十一年 (792年)
●充実 大同元年 (806年) 坂上田村麻呂 (さかのうえたむらまろ)
●本尊 十一面観音坐像 (重文)

▲拝観料 500円 御朱印300円。
▲拝観時間 夏季 9:00~17:00 冬季 9:00~16:00
▲滋賀県甲賀市甲賀町櫟野1377 電話 0748-88-3890
▲http://www.rakuyaji.jp/
▲ JR草津線「甲賀駅」下車 町内巡回バス 櫟野観音行きバス15分
 新名神高速「甲賀土山IC」から15分 名阪国道「上柘植IC」から15分



        ▼旧国宝石柱と寺石標。





櫟野寺縁起 (櫟野寺HPから抄出)
福生山自性院櫟野寺は桓武天皇の延暦十一年に比叡山の開祖伝教大師様が根本中堂の用材を獲る為に甲賀郡杣庄におい
でになりました時、霊夢を感じて此の地の櫟の生樹に一刀三礼の下彫刻安置されました、日本最大坐仏十一面観音菩薩
が御本尊様です。その後延暦二十一年、征夷大将軍を拝命の坂上田村麻呂公は夷賊を討伐の為、杣ヶ谷を櫟野まで登ら
れ、櫟野観音の御力により兇賊を退治することが出来たのであります。それ故将軍は当寺を祈願寺と定め、大同元年七
堂伽藍を建立、永く当山守護の為に自ら等身の毘沙門天の尊像を彫刻、そして家来に命じて国技の相撲を奉納是が現在
まで継続しております大会式十月十八日の奉納相撲なのであります。当寺は、天台宗総本山延暦寺の末寺で、往古は甲
賀六大寺の筆頭と云われ、この地方の天台文化の中心寺院であり広大な境内地を有し、数々の坊がありましたが、年月
不詳荒廃に帰したのであります。



▼参道左にズラーッと十一面観音坐像の石像が奉納、少々異様な感じするのはボクだけかナ。





▼またまたガラスガードの仁王門。
 三間一戸、入母屋造、桟瓦葺。左右に金剛力士像を安置。





▼本尊尊名が書かれた仁王門扁額。千社札が貼りまくられています。





左右を護る金剛力士。阿吽両像とも像高270cm、玉眼嵌入。鎌倉末から室町初期。
手慣れた仏師の作のようで、誇張は少ないが相応の気迫と迫力は十分感じられる。彩色は剥落しているが、玉眼が異様
に生々しい。

        ▼阿形金剛力士。





        ▼吽形金剛力士。





▼仁王門から境内、正面は本堂。





▼鐘楼。





▼坂上田村麻呂所縁の土俵。





        ▼本堂前の石灯籠。岩基壇上に置かれた立派な灯籠です。





▼本堂。
 旧本堂が昭和四十三年焼失。その後再建されたのがこの本堂。鉄筋コンクリート造、三間四方の宝形造、本瓦葺。
 後ろに宝物館が連結されています。





▼本堂内陣。
 このお寺の本堂には、本尊をはじめ諸仏は居られません。総て宝物館に隔離されています。





▼内陣扁額。





▼本尊十一面さんのお前立、新しい十一面さん。奥の黒いのが宝物館への鉄扉、ココから入ります。





▼本堂外陣格天井には四季の花々が描かれていますが新しい奉納画のようです。





▼大正九年に撮影された旧本堂。
 堂々としたいいお堂ですネ、今の本堂はハッキリ言って比べ物にならない。
 失火は漏電だったと云いますが実に勿体ない!



(写真は櫟野寺発行の写真集からスキャン)



拝観料を払いお寺のお母さんの案内で、お薬師さんに逢いに宝物館へ。
櫟野寺は平安仏の宝庫とは良く云ったもんで、宝物館内部は実に壮観、重文仏20体がズラリ、見やすいイイ展示です。

宝物館内は一切撮影禁止です。

▼このお薬師さんが甲賀三大佛その二、櫟野寺薬師如来坐像(重文)。
 像高222.0cm、寄せ木造、漆箔、二重円光背、平安藤原期、仏師不祥。
 全体に漆箔がきれいに残り1000年前の作とは思えない綺麗なお薬師さんです。納衣の襞の鋭角的な繰り返しにリズム
 感があり、大きいけれど軽快、そしてとにかくデカイ、丈六坐像が1mくらいの蓮華座にお坐りなので、ビックリする
 大きさです。三大仏としての貫禄十分。



        (写真は櫟野寺発行の写真集からスキャン)。 



        ▼尊顔アップ。ふっくら頬に半眼、小さめのお口は紅が残っています。

     



▼こちら櫟野寺本尊十一面観音菩薩坐像(重文)。像高312.0cm、木造丈六仏。平安前期、仏師不祥。
 写真で見る限り、全身金泥がきれいに残り、天衣、裳には彩色文様が鮮やかに残っているように見える。
 本尊十一面観音菩薩は大きなコンクリート製お厨子に入り、外からは窺い知れません。年一回十一月三日に特別開扉
 だそうです。



        (写真は櫟野寺発行の写真集からスキャン)                      



▼ご朱印です。





甲賀三大佛その二、櫟野寺薬師如来坐像はコンクリート宝物館に堂々とお坐りです。これだけの仏を、本来のお堂で拝
することが出来たら感激度合いはもっと違ったものになるのではとフッと思いました。
失礼ながら櫟野寺は本堂だけの小さなお寺で、近江湖国と云っても東南外れの甲賀の地にこれだけの仏が残っている不
思議、甲賀の地は忍者の里ぐらいの認識しかなかったもんネ。天台王国の懐の深さを改めて感じた櫟野寺でした。

さて次は甲賀三大佛その三、十楽寺、どんな仏に会えるのかゾクゾクするなァ。




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大池寺、甲賀三大仏の一、釈迦如来坐像が凄い!

2015年07月14日 | 滋賀の古寺巡り



(2015.07.11訪問)


湖北のお寺の資料を調べていると、「甲賀三大佛」と云うパンフが目に飛び込んできました。「忍びの里に坐ます丈六
仏」と云うキャッチコピーとインパクト抜群のデザインが気に入り、それはどこだ!
それは甲賀市にある三か寺、大池寺(だいちじ)、櫟野寺(らくやじ)、十楽寺(じゅうらくじ)。今まで訪ねたことのないお
寺なので湖北よりは湖南の方がまだ近いと云う訳で、今日は「甲賀三大佛」に会いに迷車大和路号は久々の近江路を走
っている訳でございます。先ずは大池寺、釈迦如来に会いに。

▼甲賀三大佛ガイドパンフレット。





[ 大池寺 ]
●山号 龍護山 (りゅうござん)
●寺号 大池禅寺(だいちぜんじ)通称 大池寺
●宗派 臨済宗妙心寺派 (りんざいしゅうみょうしんじは)
●開基 行基 (ぎょうき)
●創建 天平年間 (729~749年)
●再興 寛文十年(1670年) 丈巌慈航禅師 (じょうがんじこうぜんじ) 
●本尊 釈迦如来坐像

▲拝観料 400円 御朱印300円。
▲拝観時間 不祥 お寺に確認してください
▲滋賀県甲賀市水口町名坂1168 電話 0748-62-0396
▲http://www.sunalix.co.jp/daichiji/index.html
▲JR琵琶湖線草津駅より草津線に乗り換え三雲駅下車タクシー10分
 近江鉄道水口城南駅下車タクシー
 新名神高速 甲賀土山ICより約15分、信楽ICより約20分
 名神高速栗東ICより約30分、八日市ICより約30分 名阪上柘植ICより約40分、亀山ICより約30分



▼参道。





大池寺縁起 (大池寺HPから抄出)
大池寺は約1250年前、天平年間(729~784年)行基がこの地を訪れた際、灌漑用水として、「心」という字の形に四つの
池を掘りその中央に寺を建立、一彫りごとに三拝したという「一刀三礼の釈迦丈六坐像」を安置、寺名を「邯鄲山青蓮寺」
と伝承されている。その後鎌倉期に禅宗が伝来、東福寺開山聖一国師の孫弟子である無才智翁禅師が、この地を訪れて
青蓮寺を禅宗に替えた。約750年前のことである。室町時代を経て安土桃山時代天正五年(1577年)戦国の兵火で境内が
焼き払われ、七堂伽藍はことごとく焼失してしまった。しかし、行基作の仏像のみ焼け残り、その後約九十年間、草庵
に安置されていたが、風雨にさらされた状態であった。寛文七年(1667年)妙心寺の丈巌慈航禅師が当地を訪れた際、寺
の再興のため住山の決意をし、山号寺名を「邯鄲山青蓮寺」から周囲に大きな池があるのに因み「龍護山大池寺」と改名し
たのである。以後大池寺の再興に尽力し、寛文十年(1670年)に仏殿、庫裡が完成。その時浄財を寄進したのが、後水尾
天皇、伊達宗房や織田主水正信である。織田主水正信は織田信長の甥で、大池寺再建のため多くの寄進をし、大池寺の
開基となった。



▼参道と門前の佇まい。





        ▼寺号石柱。





▼山門。





▼黒大理石に刻まれたお寺由緒。真ん中に影が薄いですがボクが写っています。どうぞよろしく。





▼境内。





▼鐘楼。





        ▼高岡製銅像聖観音立像。珍しや円形火炎光背を背負ってます。
         檀家さんの寄付なので尊名は判らないそうです。





        ▼さり気なく置かれた円筒形手水鉢。





▼仏足石。





        ▼境内片隅に置かれた石塔。由緒は不祥。





▼本堂です。
 桁行五間、梁間四間、寄棟造、本瓦葺。
 大池寺再興以来、当時のままを保ち、禅宗仏殿様式で床は瓦敷きとなっている。昭和六十年(1985年)本堂屋根の修
 復の際、瓦より建立寺の年代を示す刻印が発見されたそうです。

 

堂内には何やら会合で大勢の方が居られます。本堂前に左菩提樹、右沙羅双樹が植わってます。



▼大池寺扁額。





檀家集会は終わったので早速本堂内に入れてもらいます。

▼今日一番の目的はこの方、本尊釈迦如来坐像。大きいです、大迫力。
 これこそが行基さんが一彫りごとに三拝したという「一刀三礼の釈迦丈六坐像」 勿論伝承ですよ。
 像高約2.4m、丈六木彫、光背径約2.0m、台座約1.5m。作者不詳、平安中期の作。





▼本尊お顔。ふっくらした丸顔で、やや半眼の御目、非常に穏やかなお顔です。螺髪は小粒で規則正しく並んでいます。
 作者は不詳らしいのですが、平安中期と云うことで、定朝様式の匂いプンプン感じます。





▼チョット判りにくいですが、像の上方の天井が繰上げ格天井になってます。お堂よりも仏像の方が古いことを象徴し
 ています。





▼本堂後ろ堂には古い位牌に囲まれて、新しい立派なお厨子に観音さんが祀られています。

         



▼庫裏玄関。拝観受付を済ませ、大池寺もう一つの顔、蓬莱庭園へいきましょう。

         



        ▼客間から書院への途中中庭に仏母井。意味は判りませんが開山の偈があります。                      






     



蓬莱庭園 (大池寺HPから抄出)
江戸寛永年間、小堀遠州の作として伝えられサツキの大刈り込み鑑賞式枯山水庭園です。書院前方正面の二段刈り込み
と左右の大刈り込みは大洋の大波小波を現し白砂の水面上に刈り込みを以て宝船を浮べ中に七つの石と小さな刈り込み
で七宝と七福神を象徴しています。又、縁先右側には刈り込みによる亀島を、中央には礼拝石が配されています。

▼先ず書院からジックリとお庭鑑賞。










▼貸し切りの書院でお茶を一服。





▼ちょっと引き気味で額縁庭園。

         



▼殆ど同じカットが続きます。










▼手水鉢。





▼刈り込みのアップ。








折角の蓬莱庭園、HPの説明再現の写真になってません。済みませんねぇ、こんな写真で……。



▼書院後方茶室の前庭。(大池寺 HPから抄出)
築山枯山水にて蓬莱山と称し、石組に数種の灌木とサツキは恰も友禅模様の如く実に華麗なる眺めであり八、九月とも
なれば刈り込みの線条美うるわしく幽雅流麗の様はこの庭園の美しさを味わうことが出来ます。




この写真もムチャクチャ、済みませんねぇ、こんな写真で……。



▼さて一巡りして本堂前に戻ってきました。石畳左右の白い花見えます?





▼クチナシの花なんです。コクチナシというそうです。
 山門前の参道も、境内の石畳にも両サイドに植えられています。ご住職の丹精らしいです。





▼山門前の枯山水庭園。











 



山内、山外ともに非常に綺麗に美しく手入れのされた庭園をはじめ堂宇。こんなに気持ちのいいお寺、滅多にお目にか
かれません。ご住職の日々の丹精と努力の賜物と檀家さんも感心されていました。

お寺の横に行基さんが灌漑用に掘ったという心字池の一つ弁天池があり、周囲は散策出来る小径が整備されています。

▼睡蓮が一面密集。





▼全部ピンクの花です。





▼池の中に石の鳥居が……。





▼睡蓮。





▼まさにモネの世界。





▼こんな花です。





▼何故池の中に鳥居が? 不思議を感じつつ大池寺 オ シ マ イ





▼ご朱印です。





甲賀三大佛その一、大池寺釈迦如来坐像。間近で拝され、大きさに圧倒され、それにも増して端正なお釈迦さん、感動
感激です。これだけの仏が残る湖国近江の古刹、天台王国の中できらりと光る臨済禅のお寺。湖国の奥深さをこのお寺
を見るだけでも充分に感じます。
甲賀三大佛その二、櫟野寺、その三、十楽寺、どんな仏に会えるのか楽しみだなァ……。ワク、ワク、ワク。



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