土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

観音寺、秀吉と光秀の「三椀の才」で有名な古刹です。

2019年08月09日 | 滋賀の古寺巡り





(2019.08.03訪問)

観音寺数多ある中で、今日訪ねたここ観音寺は米原市にある正式名称伊富貴山観音護国寺という天台宗のお寺です。このお寺を有名
にしているのは、豊臣秀吉と石田三成の出会いの地とされ、寺の小僧だった三成が、鷹狩りで立ち寄った秀吉に茶を献じて、「三椀
の才」で見出されたという逸話で有名なお寺です。     




▼長~い参道の先にやっと見えてきました。







[ 観音寺 ]
●山号 伊富貴山(いぶきさん)
●寺号 観音護国寺(かんのんごこくじ)通称 大原観音寺
●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
●開基 三修上人 (さんじゅしょうにん)
●開創 仁寿年間(851年~854年)
●本尊 十一面千手観音立像
▲滋賀県米原市朝日1342 0749-55-1340
▲拝観料 境内自由
▲JR長浜駅→湖国バス近江長岡駅行きで25分、観音寺前下車、徒歩5分
北陸道米原ICから国道21号経由12km





▼観音寺総門 (重文)。







観音寺縁起
観音寺は、伊富貴山観音護国寺といい、大原観音寺とも称されており、江戸時代の読本「絵本太閤記」では、「三献の茶」の舞台と
なった寺を「大原」の観音寺としています。観音寺は、平安時代開基と伝えられる歴史ある天台宗寺院で、はじめは伊吹山中にあり、
室町時代に今の伊吹山のふもと(滋賀県米原市朝日1347)に移転したとされています。






▼門前の紫陽花がこれでもかと咲き誇っていました。







            ▼山門の寺号木札。年季を感じさせますネ。







▼山門を潜り石段の先、本堂が見えてきました。







▼本堂広場の鐘楼 (重文)。







▼貫禄の梵鐘が吊るされています。







▼杉の巨木が門替わり、前のお堂は本堂。

       





▼本堂 (重文)。高校生と思しきグループの書が披露されてました。

 





▼本堂内陣の扁額。「施無畏」でしょうか。







▼須弥壇上に並ぶ諸像。中央本尊千手観音立像と四天王(と思います)。







▼天蓋がまたオシャレ、小振りながら内部には天女が舞っています。







▼本尊千手観音立像。少々賑やかな本尊ですネ、お顔は真剣な眼差しで第一手は合掌、第二手は中央で香合を持ち、第三手両手に武
 器を持つ千手観音の標準的な姿です。

     





▼千手観音のお顔。







            ▼本堂脇殿の阿弥陀如来立像。







▼境内。左本堂、右薬師堂。







▼こんな灯篭も立ってました。危うく均衡を保っているという感じだ。







▼薬師堂。

                     





▼薬師堂内陣須弥壇。質素な須弥壇の中央お厨子前に本尊お薬師さんがお坐りです。

                         





            ▼本尊薬師如来坐像。           













▼薬師堂。







▼石仏。







▼本坊。







▼さて来た参道を戻りましょうか。






秀吉と光秀の邂逅の地といっても今は昔、そんなエピソードなど感じることは出来ないけれど、お祀りされている本尊千手観音や薬
師如来など手を合わせ、見るに値する像形は見事です。湖国の古刹にはまだまだ知られていない仏像やお宝が、どんどんいらっしゃ
いと手招いているようです。

観音寺 オ シ マ イ 。

清瀧寺徳源院、婆娑羅大名と名を馳せた佐々木道誉の菩提寺です。

2019年08月01日 | 滋賀の古寺巡り






(2019.07.28訪問)


太平記の主役、婆娑羅大名佐々木道誉を祀る米原の清瀧寺徳源院を訪ねました。権力を物ともせず狼藉三昧の不敵さで世人をして婆
娑羅大名といわしめた京極氏繁栄の基礎を作った五代京極高氏こと佐々木道誉、時代は下り幼少時信長の人質となり浅井三姉妹の次
女お初と結婚し京極家中興の祖とされる十九代京極高次を中心に祀っているお寺です。





            ▼京極家菩提寺としての墓標。







            [ 清瀧寺徳源院 ]
            ●山号 霊通山(れいつうざん)
            ●寺号 清瀧寺徳源院(とくげんいん)
            ●宗派 天台宗比叡山延暦寺派 (てんだいしゅう)
            ●開基 京極氏信 (きょうごくうじのぶ)
            ●開創 弘安9年 (1286年)
            ●本尊 聖観世音菩薩像 (秘仏)
            ▲滋賀県米原市清滝288 0749-57-0047
            ▲拝観料 500円
            ▲拝観時間 9:00~16:00
            ▲https://tokugenin.business.site
            ▲JR東海道線「柏原駅」から徒歩20分
             北陸道「米原IC」から約15分





▼清瀧寺徳源院のガイド。







清瀧寺徳源院縁起
弘安9年(1286年)京極氏の初代氏信が開基。京極家歴代の菩提寺である天台宗の寺。京極氏は、鎌倉中期に近江で勢力を振るって
いた近江源氏佐々木氏から分かれ、家名は氏信の宿所が京都の京極高辻(きょうごくたかつじ)にあったことによります。国の史跡
に指定されている墓域には一族の墓が存在し、閑静なただずまいを見せる境内に、本堂、位牌殿、三重塔などを有します。なかでも
朱塗りの三重塔は、寛文12年(1672年)に讃岐丸亀藩主であった京極高豊が建てたもので、県の指定文化財になっています。寺地
は、もと氏信の柏原館があったところで、本堂裏に、裏山を取り込んだ回遊式の庭園があり、春には道誉桜と称されるしだれ桜が趣
きを添えます。堂前に群生する萩が咲きこぼれる秋の風情も、また格別です。






▼いきなり本堂です。桁行五間、寄棟造、桟瓦葺、1間向拝付。弘安6年 (1283年)建立。現本堂は平成14年新建立。







▼本堂内陣。金色燦然の荘厳に豪華なお厨子が須弥壇を飾っています。本尊は秘仏でお厨子の中。







▼本堂脇壇に京極高次公像。浅井三姉妹のお初さんと結婚、京極家中興の祖とされている。







▼京極高次公画像。



この写真はネットから借用。





▼本堂須弥壇。







▼本堂。







▼境内の一所から右本堂、左位牌堂。

 





▼位牌堂須弥壇には、中央観音菩薩を中心に左端19代京極高次公、右側左25代京極高中公、右24代京極高矩公。







▼池泉回遊式庭園。小堀遠州作庭と伝わるそうです。        













▼英霊供養のお地蔵さん。







▼三重塔。塔高15.52m、一辺3.03m、第22代高豊公建立。     













▼舎利塔。なぜ塔と呼ぶのかは理解出来ません。







▼高台一角には京極家一族の墓が並ぶ区域があり、墓所全域が国指定史跡となっています。







▼京極家墓所。左から24代高矩公、25代高中公。  







▼京極家中興の祖といわれる19代高次公墓所。高次公は浅井3姉妹のお初さんと結婚。







▼25代高中公墓所。                   

 





▼ずらりと並ぶ京極氏歴代の墓。







▼徳源院本坊。







徳源院境内隣に鎮守社清瀧神社が鎮座しています。
▼鳥居の向こうは拝殿。







▼手水鉢。







▼覆屋の中、本殿。







▼境外から見る徳源院の白壁。







▼御朱印です。






徳源院 オ シ マ イ 。

正樂寺、びわ湖百八霊場 湖南第百弐番霊場です。

2019年06月30日 | 滋賀の古寺巡り





(2019.06.22訪問)



東光寺から南へ約10キロ、来た道を引き返すことになりますが、行きがかり上引き返えします。これから訪ねる正樂寺は近くにJR栗
東駅がある街中寺、本堂と不動堂二つの東光寺と同様に小さなお寺です。このお寺にも本尊阿弥陀三尊が祀られているそうで、今日
の阿弥陀三尊巡り第二弾として湖南第百弐番霊場を訪ねてみます。




▼山門。







[ 正樂寺 ]
●山号 碧雲山(へきうんざん)
●院号 霊仙院 (れいせんいん) 
●寺号 正樂寺(しょうらくじ)
●宗派 真言宗勧修寺派 (しんごんしゅうかじゅうじは)
●開創 不詳
●中興 実應僧正 享保18年(1732年)
●本尊 阿弥陀三尊
▲滋賀県栗東市霊仙寺6-3-1 077-554-9548
▲びわこ百八霊場湖南第百二番霊場
▲拝観料 境内自由
▲拝観時間 9:00~16:00
▲JR琵琶湖線「栗東」駅西口より、徒歩約8分
 名神高速道「栗東」ICから約10分




正樂寺由緒
この地にかつて天台宗の霊仙寺という巨刹があったといわれ、正樂寺の建つ今の場所は塔頭の一つである霊仙坊の跡とも言われる。
創建当時はここではなく、野洲市の山賀村にあったが元亀年間(1570~1572年)の火災で消失し、その後仮堂に仏像を安置してい
たが、その後、亨保十八年(1732年)に僧実應により現在の地に移築された。





            ▼山門木札。







            ▼正樂寺ガイド。







▼全面に彫刻が施された味のある小さな鐘楼。







▼全体に黄金を纏った味があり過ぎの梵鐘。







▼小さくて簡素な本堂。桁行三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、1間向拝付。

 





▼珍しや楕円の本堂扁額。

 





▼本尊阿弥陀三尊像。左右に観音勢至菩薩を従えた、阿弥陀三尊の見本のような貫禄です。







▼本尊阿弥陀さん。まさに瞑想中のお顔、見事に金箔が残っていますネ。







            ▼少々危なかっしい石塔。







▼不動堂。小さな金剛力士が中央戸口を護っています。







▼内陣中央須弥壇上に二童子を従え、火焔を背負うお不動さん。     













▼霊仙三蔵御姿像。
 この正樂寺に縁ある「霊仙三蔵」は日本人で唯一、三蔵法師の称号を贈られた方です。霊仙は弘法大師空海や伝教大師最澄らと共
 に、遣唐使船で中国に渡っ た僧侶の一人でした。霊仙は、留学僧の任期である二十年間余り、中国に留まって仏教の研鑽に励まれ
 たのです。霊仙は三蔵法師の称号を中国皇帝より贈られ、日本人でその称を得た唯一の栄誉ある僧となったのです。
 何故この正樂寺境内に霊仙の像があるのか、正樂寺に縁ある霊仙という方と正樂寺との関わりがもう一つハッキリしません。どん
 な縁があるんでしょうネ。







▼石塔や石仏が少々無造作に置かれています。







▼新しい石塔。







         ▼ご朱印です。






正樂寺は先の東光寺同様ごく小さなお寺です。こんな小さなお寺にも立派な阿弥陀三尊と二童子を従えたお不動さんが毅然と祀られ、
訪れる人々の心を癒してくれているのでしょうネ。
「お参りは心の洗濯です。折にふれお参りいただき、心のご修業を積み、人の誠を行じて下さい。  合掌」
正樂寺ご住職の言葉です。


東光寺、湖南第廿六番霊場。

2019年06月25日 | 滋賀の古寺巡り





(2019.06.22訪問)


迷車大和路号は今日も大阪から東へ名神行脚、栗東目指して走っています。栗東ICが近ずくにつれて正面に近江富士の優美な山容が
近づいて来ます。その昔俵藤太が大ムカデ退治をしたというお話で有名なあの三上山です。栗東ICでおりR8号から県道11号を北上、
中途R477号を右へ約2キロで目指す東光寺に到着です。東光寺には平安後期作と云われる本尊阿弥陀三尊が祀られているそうで、今
日はその三尊と会うためにやって来た次第であります。





          ▼山門横に立つ寺石標。







          [ 東光寺 ]
          ●山号 日照山(にっしょうざん) 
          ●寺号 東光寺(とうこうじ)
          ●宗派 天台真盛宗 (てんだいしんせいしゅう)
          ●開創 不詳
          ●中興 真慧上人 (しんえしょうにん) 永正六年(1509年)
          ●本尊 阿弥陀如来座像
          ▲滋賀県守山市幸津川町1189 ☎077-585-2222
          ▲http://www.usennet.ne.jp/~tokoji/
          ▲拝観料 境内自由
          ▲名神高速「栗東IC」を右折、所要18分。
           国道8号線「辻」を左折し、地方線11号線へ。「洲本町」を右折し、「幸津川南」のバス停向かい
           JR琵琶湖線「野洲駅」から近江バス「幸津川南」下車、徒歩すぐ



東光寺の由緒は室町時代末の元亀二年(1571年)、江戸期嘉永六年(1853年)二度の天災で開基沿革は不詳ですが、総本山西教寺眞慧上
人 (三世) 永正六年 (1509年) に中興、現在天台真盛宗の末寺です。



▼山門。一間一戸、切妻造、桟瓦葺、袖塀、脇戸付きの薬医門形式。大正15年(1926年) 第29世木村哲忍上人により再建。







▼鐘楼。明治41年(1908年) 第26世台谷哲隆上人により再建。







▼地蔵堂。







▼本尊地蔵菩薩坐像。珍らしやお座りのお地蔵さん。







▼本堂。桁行七間、梁間五間、重層屋根、桟瓦葺、入母屋造、3間向拝付。安政5年(1858年)再建。

 





▼寺号が映える本堂扁額。

 





▼本堂。







▼下層正面の扁額。まったく読めません。







▼内陣欄間のカラフルな獅子や鳥の彫刻。







▼内陣正面の山号が書かれた扁額。







▼内陣中央須弥壇最奥に本尊阿弥陀さんがお坐りですが、あまりに奥過ぎてほとんどお顔、姿はおぼろです。
 残念ながら脇侍の観音勢至の両菩薩は見えないだけなのか御姿を確認する事は出来ませんでした。







          ▼阿弥陀如来座像。像高約50cm、一木造、平安時代後期。(本尊写真は東光寺HPから借用)







▼左脇壇。お厨子は閉められままですが、こちらには十一面さんが安置されてるそうです。







▼右脇壇。中興の真慧上人だと思われます。







▼境内に咲く大振りの白い花。







▼六地蔵や







           ▼子安お地蔵さんにご挨拶して東光寺 オ シ マ イ







▼こんな花も咲いてました。ピンクの可愛い花です。






ものの10分で拝観オシマイという本堂と地蔵堂二つの小さなお寺。しかし小粒でもピリリを地で行くお寺でもあります。
特に小さな地蔵堂に安置されている本尊のお地蔵さん、地域の住民の皆さんには絶大な人気を誇るお地蔵さんらしく、なかなかユニ
ークでまんまるお顔で左手に宝珠、右手に錫杖、ここまでは普通の御姿、ただ座っているのが数少ない例。お地蔵さんも立ちっぱな
しではしんどいもんネ。今日の主目的は果たせませんでしたが、このお地蔵さんに免じて良しとするか。


新善光寺、こちらもキャッチは「牛に引かれて新善光寺詣り」

2019年03月19日 | 滋賀の古寺巡り





(2019.03.16訪問)


今日も大和路号は名神高速を走っております。途中栗東インターで下り久々の東海道を一路東へ向かっています。栄えある国道一号
線ですが、近ごろの街中一号は不法駐車やトロトロ走りに走りにくいったらありゃしないんです。それはともかく、今日訪ねるのは、
あの長野善光寺の「牛に引かれて善光寺参り」ならぬ滋賀の「新善光寺参り」なんです。新善光寺は栗東市で約800年の法灯を守っ
ているお寺で、本尊はあの長野善光寺さんと同じ「一光三尊善光寺如来」なんです。勿論拝顔は不可能、七年に一度しか開扉されま
せん。
牛さんに期待しましょう。さてさてどんな牛さんが待ってくれているのやら……。





            ▼山門脇に建つ寺号石標。 







            [ 新善光寺 ]
            ●山号 九品山 (くぼんざん) 
            ●寺号 新善光寺(しんぜんこうじ)
            ●宗派 浄土宗 (じょうどしゅう)
            ●開創 慶長5年 (1253年)
            ●開基 高野宗定 (たかのむねさだ)
            ●本尊 一光三尊善光寺如来 (阿弥陀三尊像)秘仏(七年に一度ご開帳)
            ▲滋賀県栗東市林256 TEL. 077-552-0075
            ▲拝観時間 8:00~16:00
            ▲http://www.mediawars.ne.jp/~zenkouji/index.html
            ▲JR琵琶湖線「草津駅」下車 バス水口方面行き「高野」下車、徒歩5分
             名神高速道「栗東IC」から約10分





▼豪快な山門。チョット上層のガラスが気になりますが。
 桁行3間、梁間2間、入母屋造、本瓦葺、八脚楼門、明治35年(1902年)建立。上層部に釈迦仏と十六羅漢像安置。






新善光寺縁起 (新善光寺HPから抄出)
創建は鎌倉時代、小松左衛門慰尉宗定(高野宗定)が平家の御霊を慰める為、信州善光寺へ48度参詣を繰り返したところ、宗定の霊夢
に善光寺如来の化身が現れ、「近江の霊地に私の分身を祀れば住民を守ることが出来るだろう。」と告げた。慶長5年(1253年)宗定
は御告げに従いこの地に御堂を建立し善光寺如来像を安置したのが始まりとされます。




▼山門から見る境内。







▼今日の龍は水を吐きません。







▼待ってくれていたのはこんな牛さん。新善光寺もメインキャラクターはモチロン牛さんです。     







▼オーよう来たな!







            ▼両親(ふたおや)供養観音さんが境内睥睨中。







▼遠慮がちな石標が本堂前に。







▼本堂。正面写真は撮り忘れのオソマツ。でした。







▼本堂前面は格子戸と格子窓。







▼本堂扁額は「新」がありません。







▼内陣の扁額。こちらは山号が書かれています。







▼外陣からの内陣の様子。







▼これも内陣の扁額。こちらは寺号が書かれています。







▼瓔珞で荘厳された内陣、奥に立派なお厨子が見えますネ、残念ながら仏像の姿はありません。







            ▼仏殿再建の記念碑。本堂のことかと思われます。







▼念仏塚とか経塚など石碑や塚が結構多い境内です。







▼比較的新しい千体観音堂。







▼堂内両脇に千体の黄金観音さんがお立ちです。













▼こんな優しいお顔の観音さんがズラリ。







▼山門上層のガラスを気にしつつ新善光寺オイトマです。







▼ご朱印です。






立派な山門に圧倒されましたが、境内には本堂と観音堂、開山堂のみの小さなお寺です。本堂には外陣まで入堂可能ですが、内陣に
は入れず、須弥壇奥には豪華な荘厳の立派なお厨子が見えますが、本尊は勿論、お前立ち像も見ることは出来ませんでした。
相当物足りない新善光寺これにてオシマイ