土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

またまた葛城古道、その2です。

2010年07月27日 | 奈良の古寺巡り
橋本院から高天彦神社一帯の高台は、古来から天孫降臨の高天原伝説が伝承され
ている土地です。金剛葛城連山の山懐に抱かれたこの地方は、古くは葛城一族の
活躍の場であり、また滅んでいった血と涙に埋もれた悲しみの地でもありました。
その後、役行者、行基さん、聖武天皇をはじめとする奈良王朝の権力者、そして
空海さんと稀代の英雄達が名を残す伝説、伝承に彩られた古代色豊かな土地で、
それらの人々が少なからずも関わりのある古寺古刹、古社が一帯に点在していま
す。

駐車場横に史跡高天原の石標が立っています。西に金剛連山が控えたこの高台が、
古代ロマンをかきたてる神々がいたところとは、想像力に乏しいボクにはどうし
ても…。


[ 橋本院 ]
山号 宝宥山、寺名 高天寺 橋本院 高野山真言宗のお寺です。
本尊 木造十一面観世音菩薩立像 像高 5.4m 木彫仏。毎月21日にご開帳です。
元々この地にあった高天寺は、葛城修験道場金剛山転法輪寺七坊の一つとしてか
なりの勢力を持ち、修験道の祖といわれる役の行者が修行をしたお寺として発展
を極めたと伝わります。その高天寺の子院として行基さんが開基したのがこの橋
本院なのです。鑑真さんも一時住職を務めたことがあるそうです。本寺高天寺は
今は在りません。

山門です。
簡素な山門です。駐車場から一本道スグのところです。


周辺を巡る参道です。庫裏を囲む白壁塀の周辺に堂宇が並んでいます。


大師堂横参道沿いに寺名石標、伸び放題のグリーンのせいでしょうか、全く目立
ちません。


観音堂です。
橋本院の本堂に当たるお堂です。本尊は十一面観世音菩薩立像 像高 5.4m 非常
に大きな木彫仏、左手に水瓶、右手に錫杖を持つ長谷式の形式のものといいます。
是非拝見したいお像の一つです。
橋本院 http://takamadera.com/gohonzon を御覧下さい。


護摩堂と修業大師像。
山門右スグのところ護摩堂をバックに行脚中の弘法大師像が立てられています。


厄除け十三仏。
皆さん、善行を積みましょう。悪いことをすると三悪道にに墜ちますよ。


鐘楼。金剛の山並を背に立派な鐘楼です。




瞑想の庭。
兎に角広いお庭です。かなり歩き回りましたが寺域が定かではありません。四季
を通じていろんな花が咲き乱れるそうです。いま蓮の葉の勢いとユリが咲いてい
ます。






毎年8月は、橋本院夕涼みコンサートが開かれているみたいです。今年のポスタ
ーです。毎年多くの人たちで賑わうそうで興味のある方はどうぞ。


[ 不動禅寺 ]
山号 清瀧山、院号 戒那院、寺名 不動禅寺。曹洞宗宇治興聖寶林寺派の禅寺で
す。葛城山ロープウエイ駅のスグ前に不動禅寺はあります。この一帯は役行者の
修行の地で、安位寺という坊を建てた所といい、のち空海さんが堂宇を建立、自
作の不動明王を本尊とした伝わります。かっては山岳修行のお寺として大峰山上
へコースの中継地として栄えたお寺と伝えられているそうです。

葛城山ロープウエイ駅の目の前、石標と参道石段です。


本堂です。
最近建替えられたと思われるきれいな本堂と庫裏のみが建つこじんまりとした境
内です。






不動明王石像です。


本堂前の宝篋印塔。
比較的珍しい塔身が二段で上段は四方梵字が見えます。下段には法界の刻字と小
さい字がギッシリ刻されています。非常に美しい塔ですが、それ以外は不明で、
もともとこの場所にあったとは思えません。


大きな鬼瓦。
立て替えられた旧本堂に使用されていたものだそうです。


眺望絶景!!!!!
境内から東の眺望です。大和三山が…どれがどれだかわかります。


???


葛城古道その2おしまい。その3はありません。

またまた葛城古道です。

2010年07月26日 | 奈良の古寺巡り
猛暑、酷暑、炎暑のきょうこの頃、皆様お変わりありませんか。お変わりありま
すネ。お変わりある人が普通です。
ボクはあまりお変わりなかったので、前回の葛城古道古寺歩きで訪ねなかった古
寺を巡りました。しかし目がまわりました。フー。
訪ねたのは三カ寺、極楽寺と橋本院、不動禅寺です。

[ 吐田 極楽寺 ]
山号 佛頭山、 院号 法眼院、 寺名 極楽寺 浄土宗知恩院派のお寺です。
本尊 阿弥陀如来立像(鎌倉時代)。
山号由来の仏頭は当初の本尊で400年ほど前兵火で被災、現存はしていないとい
うことです。南北朝時代、楠木正成の祈願寺となり河内、金剛、吉野の要所とし
て栄えたと伝えています。寺域は広くはありませんが、それにしてもきれいな境
内です。珍しく、行基さんも空海さんも出てこないお寺です。

県道30号線を南に向います。名柄を過ぎ約1km、道標がいやでも眼に入ります。


間もなく広いアプローチです。


仏頭山極楽寺の石標です。




参道石段と鐘楼門です。
駐車場からの参道石段。極楽寺紹介に必ず出てくる著名な鐘楼門です。


境内からの鐘楼門と手水舎です。




本堂です。
この日は、何か法会の日らしく、本堂内に多くの方々が入堂されていました。皆
さんリラックスされていました。法会の前なんでしょうか。






天得堂です。
本尊は天得如来絵像。年1回4月15日の開扉と聞きました。




天得堂と庫裏をつなぐ渡り廊下です。


開山堂です。
開基、興福寺の座主をも務めた一和上人を祀るお堂です。


庫裏と境内の一部です。




境内から駐車場越しに東、橿原市から明日香が望めます。


暑かってもつづくのです。

聖徳太子の寵臣、秦河勝ゆかりのお寺、秦楽寺。

2010年07月22日 | 奈良の古寺巡り
三輪平等寺から田原本秦楽寺へ。三輪の地から西へ約9km、偶然かどうかこの地
も笠縫という地名が残り倭笠縫邑の候補地の一つとされているようです。例によ
り、やはり近くまでは行きながら迷ってしまいました。迷路のような細い道、さ
んざん行ったり来たり、結局山門からは入れず裏口からの入山になりました。ナ
ビの着いてないクルマは辛いですなァ。

[秦楽寺] じんらくじ
山号 高日山浄土院 寺名 秦楽寺 宗派 真言律宗。本尊千手観音像立像。
寺伝では創建は聖徳太子の臣秦河勝と伝えられ、この辺り一帯は秦庄といい、時
の豪族秦氏の居住地だったと伝えられているそうです。807年、唐から帰国した
空海さんがこのお寺で「三教指帰」を著したと伝えられています。

山門。
珍しいユニークな中国風の土蔵門です。


鐘楼。


本堂。
本尊千手観音像立像、脇侍に聖徳太子と秦河勝が祀られているといいます。是非
拝見したく庫裏に声をかけたのですがご不在のようで拝見することは出来ません
でした。創建時の堂宇も、奈良の敵松永弾正の兵火で焼失、今のお堂は江戸中期
の再建だそうです。






聖天堂?。
本堂西となりに小さなお堂。大聖歓喜天の墨書が。


阿字池。
伝承にぎやかな池のようで、空海さんが三経指帰を執筆中、池の蛙がやかましく
鳴くので叱ったところそれ以来この池ではカエルの声は聞かれななくなったとの
ことです。ボクが池の回りをフラフラ歩いていると、ポチャポチャ頻繁に何かが
飛び込む水音がします、きっとカエルはいるのでしょうネ。あまりの暑さにカエ
ルも鳴くのがバカらしいのでしょう。
田原本町のHPによると、「この池は蓮池で、7~8月にかけて美しい蓮花が、極
楽の如く咲き乱れます、年により咲き方が違いますので寺に確認のうえお越しく
ださい。」といっていますが、この日ボクが見る限り蓮の姿、葉一枚すら見かけ
ませんでした。本当に蓮池でしょうか。それにしても池の水は濁りきっています。
これも狂い雨のせいでしょか。


鐘楼横のご神木。
立派な木ですが、名前は判りません。木札に「枝を切るに木より不思議な力出た
との事」と記されていました。なんのこっちゃか。


池の汀に立っている十三重石塔。




二つ並ぶ鳥居 春日神社と笠縫神社。
境内東南角に神社が並んでいます。拝殿の正面の朱鳥居が春日神社、石鳥居が笠
縫神社。いずれも秦楽寺とは鎮守社と神宮寺の関係だったのでしょうか。秦氏と
の関係や、なぜ二社あるのかは不明みたいです。笠縫神社は倭笠縫邑の候補地の
一つだそうです。




由緒伝承が色濃く残っているお寺ですが、今、境内は決して広くなく、本堂と小
さいお堂が二つだけで、少し寂しい佇まいのお寺の印象をうけました。

三輪のお寺巡りオシマイ。

平等寺は曹洞宗のお寺と聞きましたが…。

2010年07月21日 | 奈良の古寺巡り
玄賓庵から檜原神社に戻り、対向車が来たらどうしょうかとビビりながら元来た
細い凸凹道を戻ります。一旦169号に出て大神神社南の一本道を平等寺に向かい
ます。道はやっぱり狭いです。

[ 平等寺 ]
山号三輪山 寺名平等寺 宗派曹洞宗。 本尊十一面観世音菩薩立像。
寺歴は聖徳太子に遡るとか空海が関わったとか伝えますが、実際は鎌倉時代創建
が正しいようです。明治の廃仏毀釈により廃寺、昭和52年平等寺寺号が復興さ
れ以後各堂宇が再建、寺景も整い実にきれいに整備され気持ちのいいお寺です。
ご住職をはじめ、お寺関係の方々、檀家の皆さんよほどきれい好きの方々ばかり
なのでしょう。

参道といっても山門まですぐそこ。左に紆余曲折が書かれていない寺歴案内板が。




参道入口にある石標です。


山門です。旧平等寺唯一の建造物だそうです。


手水舎です。扁額(というのかどうか知りません)に書かれた文字に是非注目!
口をすすぐ手を清めるだけではダメですよ。心を洗うのです。心の禊ぎです。念
のため熱いからといって水盆で身体を洗ってはだめですヨ。


鐘楼堂です。
昭和62年に再建。


聖徳太子ブロンズ像。


本堂です。
昭和62年に再建。本尊十一面観世音菩薩。聖徳太子作と伝わるそうですが、現在
の本尊は平安期に復元したものと云われているそうです。前扉は閉じられていま
した。内陣、須弥壇は素晴らしいと聞いたものでちょっと気が抜けました。




不動堂です。
格子戸は閉じられていましたが、ご婦人が一心に経を唱えておられました。本尊
三輪不動尊、空海さん作といいます。右役行者、左理源大師を祀っているそうで
す。




二重塔釈迦堂。
釈迦像、仏足石、仏舎利を祀っているそうです。
平成16年に再建。きれいです。絵になります。まさに補色の世界、現世の赤と
緑が混ざると白か、モノトーンの空の世界、彼岸を表す凄い発想、浄土の世界を
見る思いが…。ただし春と夏に限りますけど。何云ってるか判ります? すんま
せん自分でも判りませんです。






二重塔左に石像羅漢さんが並んでいます。


心字蓮池。
主役は蓮池だったのですが。蓮花は見えませんでした。


赤門。
ご住職手作りの門らしいです。山門は西にあるので、裏門になるのでしょうか。
参拝の方や山辺の道ハイカーはこちらから入山されていた方が多かったように思
います。




山辺の道のコースに入っているためか訪れる方は多いように思います。境内には
ベンチもあり格好の休憩地でもあるのでしょうか。それにもまして全てが新しい
とはいえ本当にきれいなお寺でした。
が、宗派は曹洞宗と聞いていますが、道元さんの「ど」の字もなく、他はなんで
もありの感じ、お寺の目指す主張と云うものを申し訳ありませんが感じることは
全く出来ませんでした。

またしてもつづくのです。

初めて山辺の道を歩きました。300mほど。

2010年07月20日 | 奈良の古寺巡り
狂っているとしか云いようのない雨奴はやっと何処かへいきました。自然は怖い
ですネ。エコだなんだと人間の理屈を遙かに超えるスピードで自然の脅威は地球
を虎視眈々と狙っていますヨ。オッソロシイですネ~。

話がコロッと変わって恐縮ですが、連休初日、三輪山を間近で初めて見ました。
さすが神体山、綺麗です。神々しいのです。しかも山辺の道を初めて歩きました。
桜井から天理石上までのそんなとんでもない命がけのインパールではありません。
檜原神社から玄賓庵まで約300mです。しかし山辺の道です。
写真は、檜原神社参道入り口を目指して走っている目の前に神々しく現れた三輪
山です。道路は車一台人っ子一人いませんね。我が道顔でドンドン行きました。
だんだん道が狭くなるのも知らずに…。


この日は、三輪の平等寺と玄賓庵と檜原神社、田原本の秦楽寺を訪ねました。

[ 檜原神社 ] ひばらじんじゃ
大神神社の摂社。祭神 天照若御魂神、伊弉諾尊、伊弉冉尊。
三輪王朝初代大王崇神の時代皇祖天照大御神を倭笠縫邑にお祀りした伝承の地が
ここ檜原の地と云われているそうです。


参道石段です。
石段のすぐ下は山辺の道です。


独特の三つ鳥居です。
拝殿と遙拝所を兼ねているこの鳥居の向こうは本殿がありません。大神神社と同
様三輪山がご神体と教えられてきましたが、実はそうではないのです。三つ鳥居
の格子の向こうに見えませんが神籬(神のよりしろの木)があります。それがご
神体です。若い神官の方に教えていただきました。


豊鍬入姫の宮。
大神神社の末社。祭神 豊鍬入姫命。
この倭笠縫邑に皇祖天照大御神お祀りした初代斎主が大王崇神の皇女豊鍬入姫命
なのです。
なにしろ非常にもったいない地であることには間違いがないのです。


玄賓庵へ向かいます。山辺の道ですよ、300m歩きましたよ。




[ 玄賓庵 ]
山号三輪山 寺名玄賓庵密寺 真言宗醍醐派。本尊不動明王坐像。
檜原神社から坂を少々下った所に静かな佇まいを見せている小さなお寺です。山
門前の石畳みといい、白壁塀はとても山寺には見えません。

山門と白壁塀。
前の石畳は山辺の道ですよ。恐ろしく狭い道です。




本堂への石段と本堂。お堂は開けられていましたので縁にしばらく座らせていた
だきましたが、須弥壇は暗くて良く拝見できませんでした。




境内です。石仏がたくさん居られます。






宝篋印塔と五輪塔。


つづきますヨ。