土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

船宿寺、ツツジの名勝も訪ねるのが少々早かったようで……。

2013年04月24日 | 奈良の古寺巡り


(2013.04.21訪問)
雨上がりの葛城古道を走りました。山麓所々は遅八重などがポツリポツリと見えますが静かなものです。ピン
クの喧噪が過ぎると鮮やかな緑の到来ですが、こうも雲が垂れているとそれも映えません。
葛城古道から東の国道24線を南に行くと船宿寺があります。花の寺として、特にツツジの名勝として名高いお
寺です。友人N君から「船宿寺のツツジええで」の電話で今日は「花のお寺船宿寺」を歩こうです。

▼船宿寺ツツジ園は6~7分咲きでしょうか。




[ 船宿寺 ]
●山号 医王山 (いおうざん)
●寺号 船宿寺 (せんしゅくじ)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●開基 行基
●創建 神亀二年 (725年)
●本尊 薬師瑠璃光如来
●関西花の寺第二十二番札所
▲奈良県御所市五百家484 電話 0745-66-0036
▲拝観料 通常無料、ツツジの時期300円 御朱印300円
▲近鉄御所線御所駅、JR和歌山線御所駅から奈良交通バスで五條バスセンター行き「船路」下車徒歩約10分  

船宿寺縁起 (船宿寺パンフより抄出)
葛木の地に来られた行基さんの夢の中に老人があらわれて「これより東の方へ行くと、山の中に船形の大きな
岩があるから、その岩の上に薬師如来をおまつりするように」と告げられました。夢から覚めた行基さんは、
東の山の中に岩を見つけ、そこに御仏をおまつりし、船宿寺と名づけました。

▼参道入り口の石標。脇の刈り込みツツジには花はありません。




▼参道。両脇の刈り込みもまだこんな感じ。Nめ、だましたな!




▼拝観者受け入れ準備万端の山門。けれど受付にはどなたも居られません。




▼大刈り込みもまだこんな感じ。Nめ、だましたな!




▼やっと発見!霧島系が咲く小型刈り込み。




▼本堂下の大手まりは花イッパイ付けていますが、まだ緑、真っ白になるのはもう少し先らしいです。




▼鐘楼の周りにも色はありません。




▼おおてまり。




▼本堂。前庭では護摩の準備万端。




▼本堂外廊。




▼五色の吹き流しが吹き流されていました。



ツツジが駄目なら石楠花を見ようと、石楠花園へ。

▼石楠花園への道。どこかうら寂しい感じ。左右の石楠花はまだ咲きはじめ。




▼白い石楠花。花を付けている株も幾つかはありました。




▼まだまだこの程度。




▼赤い石楠花。




▼まだまだこの程度。




▼すでに葉が相当傷んでいる株があります。




▼この株の蕾は一個の大きさ長さ8cm、太さ3cmほど。かなり大きな花弁になりそう。



石楠花園もまだ2~3分咲き。

それではと、裏山のツツジ園へ行きましょう。大半が霧島系だそうです。
咲いてます!咲いてます!


▼ツツジ。




▼ツツジ。




▼ツツジ。




▼ツツジ。




▼ツツジ。




▼ツツジ。




▼ツツジ。




▼ツツジ。



ツツジ園全体としては6~7分咲きでしょうか、満開になると凄そうです。色とりどりのツツジ、きれいです。

▼境内。




▼この刈り込みも満開時は凄いそうです。




▼本堂。下の薄緑の大樹は大手まり、白くなるとさぞや。




▼御朱印です。




はじめ境内の大刈り込みが蕾程度だったので、ナニコレでしたが庫裡裏のツツジ園ではナットク。
N君情報はこのツツジ園のことでした。
境内刈り込みツツジは平戸系なので霧島系よりちょっと遅いそうで、お寺の方は「1週間後にもう一度どうぞ」
さすが花のお寺船宿寺、ツツジ、さつき、石楠花の外、大手まり、ぼたん、白藤など春から初夏への花種はさ
すが。ただ訪ねるのが少しばっかり早かったようで、拝観者はボク一人でした。
オシマイ



花の寺般若寺は、山吹の黄色が目に染みます。

2013年04月17日 | 奈良の古寺巡り


(2013.04.13訪問)

少し前、快慶さん面目躍如の安倍文殊院文珠さんが国宝指定されたニュース、ご存知の方も多いかと思いま
す。ここ般若寺にも文珠さんが居ます。こちらは重文で小さいお像ですが、小粒でもピリリのなかなかのお
姿、童子姿の赤面で不敵な面構え、智慧の固まりのような凛々しい表情は、快慶さんの整った美男文殊とは
また違った文珠さんです。お厨子真近でジックリと拝観でき、ご親切にLEDフラッシュライトも置かれてい
ます。

▼八重山吹と石仏。




[ 般若寺 ]
●山号 法性山 (ほうしょうざん)
●寺号 般若寺 (はんにゃじ)
●宗派 真言律宗 (しんごんりっしゅう)
●草創 伝高句麗僧 慧潅法師 (えかんほうし)
●開基 聖武天皇
●創建 天平七年 (735年)
●中興 叡尊 (えいそん)
●本尊 文殊菩薩騎獅像 (重文)
▲奈良県奈良市般若寺町221 電話/0742-22-6287
▲拝観料 500円 御朱印 300円
▲近鉄「奈良」駅から奈良交通青山住宅行きバスで「般若寺」下車徒歩3分  

般若寺縁起 (般若寺パンフより抄出)
創建事情や時期については正史に記載なく、創建についても諸説あり、正確なところは不明。
日本三論宗の初祖、高句麗の僧、慧潅法師がこの地に瑞祥を見て「般若台」と号する精舎を開創。
聖武天皇が平城京の鬼門鎮護のため紺紙金泥の大般若経六百巻を地中に納め、卒塔婆をはじめ伽藍を整え勅
願寺としそのとき経題に因み般若寺と命名。その後観賢僧正が学僧千人を集め学問寺の名声を高め、長らく
繁栄を誇ったという。平安後期平重衡の南都焼き討ちによりこの地は合戦場となり伽藍は焼亡、観良房良慧
上人の発願で西大寺の律僧たちの協力を得て金堂や講堂、三面僧房など七堂伽藍が復興。また同時に興正菩
薩叡尊上人が発願の丈六文殊像を開眼供養し中興を果たす。

▼楼門 (国宝)。重層、入母屋造、本瓦葺き、六脚門。鎌倉時代再興。楼門として日本最古。




▼楼門扁額。




▼楼門から境内。




▼花の寺と同時に石仏の寺般若寺、早速三十三観音のお出迎え。




▼鐘楼。元禄7年(1694年) 建立。




▼本堂。桁行五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。寛文七年 (1667年) 再建。

 

本尊 文殊菩薩騎獅像 (重文)。 木造榧(かや)一木造、像高45.5cm。仏師 康俊、康成親子、造像元亨四年
(1324年)。仏師 康俊は運慶六代の孫と称しているそうです。
文珠さんは、赤面童子の姿で八つの髻を結んでキリリとした像形、胸飾や腕釧など細かな彫り出しで衣文に
は截金文様がハッキリ残っています。きれいな文珠さんです。 

▼本堂前の山吹。




▼名残の桜。




▼石仏。




▼石灯籠。般若寺型名灯籠。火袋には獅子、鳳凰などが彫られています。鎌倉後期の作。




▼石仏。




▼十三重石塔 (重文)。塔高1412cm。宋石工伊行末の代表作。般若寺信仰の中心としての存在感は凄い。
 相輪は新作、旧相輪は基壇南西隅に置かれています。伊行末は東大寺再建事業に参加した宋の石工。




▼十三重石塔のシルエット。




▼旧相輪と十三重石塔。

 


▼八重山吹。




▼一切経蔵 (重文)。桁行三間、梁間二間、切妻造、本瓦葺。鎌倉時代。


 
 元版一切経が収められています。南朝護良親王が置かれた唐櫃に隠れ難を逃れた伝承があります。唐櫃は
 本堂で見ることが出来ます。

▼護良親王供養塔。

 


▼岩上に建つ不動明王。




▼石仏。




▼名残の八重桜。




▼笠塔婆 (重文)。十三重石塔を建てた伊行末の息子伊行吉によって両親供養のため建立された石塔婆。




▼山吹。白がちょっと混ざっています。




▼庫裡門。時代がかった寺門らしい門です。




▼会津八一歌碑。



ならさかの いしのほとけの おとかひに
          こさめなかるる はるはきにけり

▼石仏と十三重石塔。




▼本堂。




▼山吹と十三重石塔。




▼御朱印です。




コスモス寺般若寺の今は、樹々叢林の若芽がそのグリーンパワーを競うように境内一面を生めようとしてい
ます。花の寺に相応しく、その若い緑の中に間もなく満開になる八重、一重の山吹の黄色が一斉に目覚め出
して目に染みます。境内は秋に備えてコスモスの苗床や畝がつくられ散策足場が決してよくないのがチョッ
ト残念ですが、青空に映える黄色はそれなりに花の寺を謳ってました。




法華寺、嵐の「ひな会式」行ってまいりました。

2013年04月10日 | 奈良の古寺巡り


(2013.04.07訪問)

春の嵐、未だ止まずの中、光明皇后遠忌法要「ひな会式」最終日のこの日法華寺に行ってまいりました。
法華寺は奈良三大門跡尼寺 (法華寺、円照寺、中宮寺) の1つです。
本堂内陣ではご本尊光明皇后写しと伝わる十一面観音菩薩が開扉され、須弥壇前段に五十五体の小さな善財
童子を並べ「ひな会式」が厳修。善財童子は華厳経入法界品の主役、文殊菩薩の勧めで五十五人の善知識を
訪ね最後に普賢菩薩に逢い悟りを開いたといわれる経に基づいた法会、法華寺や各地から集まった尼僧衆八
人の経が流れます。この法会はひな祭りの原型とも云われているそうです。
なによりも、五十五体の善財童子がイイ、一尺位の小さな像でも五十五体並ぶと壮観、彩色像、檀像風、ポ
ーズも色々、まさにひな壇と云うに相応しい須弥壇の設えでした。

▼春の嵐にはためく本堂五色幕。




[ 法華寺 ]
●寺号 法華寺門跡 (ほっけじもんぜき) 正称 法華滅罪之寺
●宗派 光明宗 (こうみょうしゅう)
●開基 光明皇后 (こうみょうこうごう)
●創建 天平十七年 (745年)
●本尊 十一面観音菩薩立像 (国宝)
▲奈良県奈良市法華寺町882 電話/0742-33-2261
▲拝観料
 4月 8日~6月 4日 (大人800円 本尊ご分身+名勝庭園+華楽園)
 6月5日~6月10日 (大人1000円 国宝本尊+名勝庭園+華楽園)
 6月11日?9月30日 (大人700円 本尊ご分身+華楽園)
 10月1日~10月24日 (大人800円 本尊ご分身+名勝庭園+華楽園)
 かなり細かく決めているようですのでチケット売り場で確認を。
▲近鉄「奈良」駅から航空自衛隊前または西大寺北口行きバスで「法華寺」下車徒歩3分。 
 近鉄奈良線「新大宮」駅下車徒歩約20分。 

法華寺縁起 (法華寺パンフより抄出)
法華寺は、聖武天皇御願の日本総国分寺である東大寺に対して、光明皇后御願に成る日本総国分尼寺として
創められた法華滅罪之寺であります。寺地は平城宮の東北に位し、藤原不比等公の邸宅だったのを皇后が先
帝のおんために改めて伽藍となし給うたもので、以来星霜1200年余り、慈しみ深かった皇后の精神を伝え、
道心堅固に守られてきた女人道場「法華寺御所」であります。

▼南大門 (重文)。四脚門、切妻造、本瓦葺。慶長六年 (1601年) 豊臣秀頼再建。




▼築地塀の五本線も映えません。




▼通称赤門。通常ここからの入山になります。




▼鐘楼 (重文)。入母屋造、本瓦葺、袴腰付き鐘楼。




▼会津八一歌碑。本堂手前右手にあります。
      ふぢはらの おほききさきを うつしみに 
             あひみるごとく あかきくちびる



          せっかくの桜もこのとおり


▼書院道。




▼本堂 (重文)。
桁行七間、梁間四間、寄棟造、本瓦葺、三間の向拝付き。慶長六年 (1601年) 豊臣秀頼再建。




▼はためく五色幕。相変わらず春嵐吹きまくりです。




▼本尊 十一面観音菩薩像 (国宝)。数年前に描きましたペン画です。



像高100cm、カヤ材一木造、檀像風。平安時代。
髪、眉、髭は群青、唇に朱、目に白、髪、冠や腕釧は銅板を使用。

▼本堂向背の蛙股。




▼不動堂から見た本堂。




▼春の嵐に痛めつけられた名木枝垂れ桜。




▼枝垂れ桜と菊桃。




▼本堂から東を見ています。




▼不動堂 (護摩堂)。方三間、宝形造、本瓦葺。本尊 不動明王。平成十六年再建、池の中のお堂です。




▼散り残りのけなげな桜。




▼薬師堂。桁行三間、梁間二間、入母屋造、本瓦葺。本尊 薬師如来。




▼からふろ。光明皇后伝説のある蒸し風呂。室町後期に改築、明和三年(1766年)再建。




▼からふろ前に咲く菊桃。奥の黄色は色がサッパリのサンシュユ。




▼菊桃。




▼菊桃。菊状の桃の花らしいですね。知りませんでした。




▼華楽園。江戸前期の作庭。約1,000坪の花園、四季を通じて花木草花を楽しめると説明されていますが、
今は端境期,花の色はなく椿が頑張っているぐらいです。




▼月光椿。こんな椿は初めて見ます。




▼利休梅。こんな梅も初めて見ます。




▼小さな石仏がひっそりと。




▼豪快に落ちてます。




▼名勝庭園も形無し。



色気のない庭園は淋しいものですが、逆に鑑賞者のいない庭園は、庭園の良さをジックリ堪能できるいいチ
ャンスです。が、如何せん春の嵐が吹きまくっています。全く酷い天気の中での散策でした。

▼来月当たり、カキツバタきれいでしょうネ。




▼小丘に立つ五重石塔。




▼来月当たり、小山のツツジきれいでしょうネ。




▼櫻花 散りて尚咲く 花敷もの 御朱印です。



この日は昨日に続いて荒れ模様、風吹き放題、黒雲のしかかり、まるで風神雷神がこれでもかと暴れまくっ
てる感じ。雨こそ小降りでしたが、昨日みたいな狂い雨だったら、こっちが暴れたくなりますわ。
そんな拝観日和でした。



不退寺、天下のプレイボーイが住んだお寺。

2013年04月04日 | 奈良の古寺巡り


(2013.03.30訪問)
プレイボーイ業平さんがこんなに小さなお寺で辛抱できたのか、と思うほど今の不退寺は小さなお寺です。
花の寺は今、レンギョウの黄が目に痛く鼻に感じるほど、雪柳も白を競い、お庭全体が灌木に覆われて本堂
などその姿の全景を見ることが出来ません。
191cmのご本尊聖観音菩薩は真近で拝すと以外に大きく、白い胡粉の剥げは痛々しいですが随所に彩色と
文様が残り、目は伏し目で、お口はおちょぼ、ほほふっくら、頭部の髷は高く結い、宝冠帯の左右に大きな
リボンが付けられ若い女人の往時の先端ファッションではないかと思うほど、業平さん自作と伝わるそうで
すが、年代差がアリアリ、そこはご愛嬌としておきましょう。
それにしても業平さん、こんな女人がお好みだったのでしょうか。

▼境内の黄色がこれでもかと迫ってきます、レンギョウと雪柳競演。




[ 不退寺 ]
●山号 金龍山 (きんりゅうざん)
●寺号 不退転法輪寺 (ふたいたいてんほうりんじ) 略称不退寺 (ふたいじ) またの名、業平寺 (なりひらでら)
●宗派 真言律宗 (しんごんりっしゅう)
●勅願 仁明天皇 (にんみょうてんのう)
●開基 在原業平 (ありわらのなりひら)
●創建 承和十四年 (847年)
●本尊 聖観音菩薩立像
▲奈良県奈良市法蓮町517 電話/0742-22-5278
▲拝観料 500円
▲奈良交通バス「近鉄西大寺北口」から航空自衛隊行き「一条高校不退寺口」下車北へスグ。
 徒歩では「近鉄新大宮駅」から北へ15分

不退寺縁起 (不退寺パンフより抄出)
不退寺縁起によると、平城天皇は大同四年(809年)に弟の嵯峨天皇に御譲位され、平城京の北東の地に萱葺
きの御殿を造営、萱の御所と呼称された。その後、第一皇子阿保親王とその第五子在原業平が居住、業平は
承和十二年(845年)仁明天皇の詔を奉り、承和十四年(847年)平城天皇の旧居を精舎に改め、自ら聖観音像を
刻み、父阿保親王の菩提を弔うと共に衆生済度の為に「法輪を転じて退かず」と発願、金龍山不退転法輪寺
と号し仁明天皇の勅願所となった。略して不退寺、業平寺とも呼ばれる。

▼寺標。正称不退転法輪寺と刻されています。




▼南大門(重文)。四脚門、切妻造、本瓦葺。鎌倉時代正和六年(1317年)建造。



看板あり、掲示板あり、張り紙あり、クルマあり、せっかく立派な門も形なし。


▼本堂(重文)。桁行五間、梁間四間、寄棟造、本瓦葺。鎌倉時代後期。



本尊 聖観音菩薩立像(重文)。像高191cm、桂材一木造り、平安藤原時代、一部彩色が残っています。
堂内は内陣と外陣に分かれ、内陣須弥壇上中央に本尊聖観音菩薩像、その左右に五大明王像(重文)、地蔵菩
薩像が安置されています。


▼レンギョウと雪柳のコラボ。




▼本堂正面。左の板戸から入堂します。




▼大和北部八十八ヶ所御詠歌として「観音をたゞ一筋にたのみつゝ不退の寺に急ぎまいらん」とあるんです
が、この扁を見るとどうもそうとは読めない不思議? 我が身の読解力不足を嘆く方が先か。




▼レンギョウ乱れ咲き。




▼多宝塔(重文)。方三間、宝形造、桟瓦葺。鎌倉時代中期。



今の姿は初層のみで上層と相輪を欠いているが建立当初檜皮葺の二層だったらしいです。


▼在原業平歌碑。
ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれないに 水くくるとは




▼放生池のカキツバタと業平橋。薄紫の花が咲けば絵になるでしょうね、このカット。




▼唯一の赤い花、不退寺椿。




▼放生池の業平橋。平成十九年三月、放生池に石橋(業平橋)を架け、池泉回遊式の庭園完成。




▼レンギョウ乱れ咲き。




▼本堂から南門。




▼庫裡門の馬酔木。




▼御朱印です。




黄色を見ると思わず鼻ムズムズ、はくしょん連発、涙タラタラ、花粉症どないかして~~、お願い!!!

秋篠寺のビーナスは、我が国唯一のお像です。

2013年04月03日 | 奈良の古寺巡り


(2013.03.30訪問)

なんと云っても秋篠寺のセールスポイントは、技芸天立像と緑の絨毯ですネ。
技芸天は2mを超える像高で端正な顔立ちとプロポーション、顔を左に傾げ伏し目の表情と半開きの口元は女
性そのもの、ビーナスの薫り馥郁と流れる柔らかな天衣のドレープ、技芸天は間違いなく大和のビーナス。
この像に会う度にギリシャのビーナスを想い出します。そんなベッピンにまた会いにきました。

▼本堂 (国宝)。




[ 秋篠寺 ]
●寺号 秋篠寺 (あきしのでら)
●宗派 単立
●勅願 光仁天皇 (こうにんてんのう)
●開山 善珠僧正 (ぜんしゅそうじょう)
●創建 宝亀七年 (776年)
●本尊 薬師如来坐像
▲奈良県奈良市秋篠町757 電話/0742-45-4600
▲拝観料 500円
▲奈良交通バス「近鉄西大寺北口」から押熊行き、「秋篠寺」下車スグ。
 「近鉄大和西大寺駅」または「平城駅」から徒歩15分
▲通常御朱印はやっていません。大元帥明王立像開扉の6月6日のみ書くそうです。

秋篠寺縁起 (秋篠寺パンフより抄出)
奈良時代末期宝亀七年 (776年) 光仁天皇の勅願で善珠僧正が薬師如来を本尊とする寺を造営したのが始まり
とされ、平安遷都とともに桓武天皇の時に完成を見た。
以後真言密教道場として隆盛を極めるも保延元年 (1135年) の兵火で、伽藍の大部分を焼失。鎌倉以降、復
興造営の甲斐もなく明治の廃仏毀釈によって寺域の大半を失い本堂を中心にわずかの堂宇が佇む現在の姿を
呈するに至っている。

▼東門。一般拝観者はこの門から。




▼参道。




▼北門。参道右手に開かずの門です。




▼香水閣。



霊水井戸。江戸期この井戸で汲まれた水が宮中行事に使われていたとのこと。日頃は門が閉じられているが
毎年6月6日には公開されます。


▼参道。




▼右に折れると、両側に緑の絨毯。



木立のなか一帯は青々とした苔が覆っています。まさに緑の絨毯で荘厳された何とも贅沢で清々しい。ここ
には金堂が建っていたと云います。確かに礎石が残ってます。


▼一風変わった石灯籠。金堂礎石に置かれているようです。




▼本堂 (国宝)。本尊 薬師如来坐像 (重文)。桁行5間、梁間4間、本瓦葺、寄せ棟造。



創建当初は講堂として建立。金堂が保延元年 (1135年) の兵火で焼失し、鎌倉時代の修理後本堂と称されて
います。本当に美しいお堂です。小規模お堂では、屋根形状こそ違いますが新薬師寺の本堂と双璧ではない
でしょうか。  


▼技芸天立像 (重文)。数年前に描きましたペン画です。



像高205.6cm。本堂左端に立っています。頭部のみが奈良時代の脱活乾漆造、体部は鎌倉時代の寄木造によ
る補作とはいえ、見事な補修テクです。伎芸天彫像は国内ではこの像以外にないそうです。


▼本堂前になにやら制服団体、N交通のガイドさん講習で近隣社寺を回っているそうです。




▼鐘楼。




▼かみなり石。



鐘楼横にへんな石があります。昔々秋篠の里には雷がよく落ちたようで、村人は落ちてきた雷さまをこの石
に閉じ込めへそを取ってしまったので二度と秋篠寺には雷が落ちなくなったとか。それにしても、へそを隠
すのは下界の人間たちのほうと違ったかな? 雷さまがへそを取られたという話は珍しいと思いません? 


▼大元堂。本尊 大元帥明王立像 (重文)。秘仏ですが、毎年6月6日に開扉されます。



桁行三間、梁間三間、桟瓦葺、入母屋造。一間向拝付。向拝は銅板葺きの唐破風屋根ですが、へんな後補で
はないかと思うほど見た目シックリ来ません。


▼大元堂横のおおきな白木蓮。




▼白木蓮。




▼開山堂。開山善珠僧正を祀っています。




▼川田順歌碑。
諸々の み仏の中の 技芸天 何のえにしぞ われを見たまふ




▼霊堂。




▼十三重石塔。




▼役行者石仏。そうとう傷んだ覆屋にそうとう傷んだ小角さんが。




▼緑の絨毯。




▼緑の絨毯。




▼会津八一歌碑。
秋篠の み寺をいでて かへりみる 生駒がたけに 日はいちむとす




▼南参道。




▼南門。



秋篠寺はオシマイですが、不退寺に続きますヨ。