土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

今年も〆は東大寺。

2014年12月31日 | 奈良の古寺巡り



(2014.12.30訪問)


12月30日、朝6時過ぎから8時過ぎまで、東大寺の表情です。
写真の荒れは見逃してくださいネ。



▼今年も何度この扁額を見上げたんだろう…。



この写真は日の出後に撮っています。



▼まさか人はいないだろうと南大門を潜ると…





▼いらっしゃいました。





▼中門から大仏殿に向かって般若心経を唱える方も。





▼この時間まだ大仏殿へは入れません。中門外からの大仏殿です。





▼猫坂を上って、





▼今晩の主役、奈良太郎に会いに。





▼奈良太郎は静かに刻を待っています。





▼東大寺大恩人俊乗さんをお祀りする俊乗堂。





▼さあ東の高台へ。





▼奈良、鎌倉時代の優美。





▼来るべき火の祭典、今はただ静かに。





▼舞台へのぼりましょう。





▼真っ先に目に入る釣灯籠。





▼舞台にはまだ人影はありません。





▼お堂の裏手、灯りの細道。





▼西は霞んでます。





▼裏参道から西のエリアへ…





▼大湯屋の横を通って…





▼戒壇院はまだ門扉は閉められたまま。





▼ひっそりと石仏。





▼指図堂の前を通って…





▼大仏殿西回廊に出ます。若草山から朝陽が…





▼中門を照らし出しました。





▼さあ大仏さんに会いに。





▼今年最後のごアイサツ。





▼鴟尾も輝きだしました。





▼南大門にも次第に参拝の方々が…




今年はこれにてオシマイ。
今年もお粗末なブログにお付き合い戴きお礼申し上げます。ありがとうございました。
皆様のハッピーを願って、それではまた明年!




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今熊野観音寺、ボケ封じ観音に会いに…。

2014年12月23日 | 京都の古寺巡り



(2014.12.21訪問)


ぼつぼつ「ボケ」という言葉が身に迫る年齢に差し掛かって参りました今日この頃、観音霊場十五番札所今
熊野観音寺の十一面さんは頭痛、ボケ防止、病気封じにご利益大の霊験新たかな本尊として、とみに人気が
高いとチョットばかり耳にはさみ、今日やって来た次第であります。このお寺はボケ封じ観音一番霊場とい
うこともあり多くのボケ予備軍の参拝が絶えることなしと聞いたんですが、参拝者はチラホラ、ボケ封じご
利益も錦秋の紅葉には勝てないのでしょうか、ネ。



▼多宝塔。





[ 今熊野観音寺 ]
●山号 新那智山(しんなちさん)
●寺号 今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)正称 観音寺 泉涌寺塔頭寺院
●勅願 伝 嵯峨天皇 (さがてんのう)
●開基 伝 空海 (くうかい)
●開創 伝 大同二年(807年)
●宗派 真言宗泉涌寺派
●本尊 十一面観音菩薩 (秘仏)
▲拝観料 無料 朱印300円 駐車場 無料
▲拝観時間 8:00~17:00
▲京都市東山区泉涌寺山内 Tel.075-561-5511
▲西国三十三カ所観音霊場第十五番札所
▲http://www.kannon.jp/enkaku/index.html
▲京都市バス「泉涌寺道」下車 徒歩約10分
 京阪電車「東福寺」駅下車 徒歩約15分
 JR「東福寺」駅下車 徒歩約15分



▼泉涌寺参道を少し行くと左手に観音寺参道入口見えます。





今熊野観音寺縁起 (今熊野観音寺HPより抄出)
弘法大師が東山山中で熊野権現から一寸八分の十一面観世音菩薩像与えられ、この地に一堂を建立、一尺八
寸の十一面観世音菩薩像を刻んで、授かった一寸八分の像を体内仏として納め、奉安されたのが当山のはじ
まりです。
そのご後白河上皇がこの地に熊野権現を勧請され、当山のご本尊を本地仏として定められ、「新那智山」の
山号を賜りました。後白河上皇は持病の頭痛を当山の観音夢告で平癒されたので、爾来世の人々からも頭痛
封じの観音様として尊崇されるようになりました。



▼鳥居橋。
 観音寺と泉涌寺の間の谷を流れる川を今熊野川といい、その川を越えるのが鳥居橋です。古くからこの地
 には熊野権現社が鎮まっていたので、橋の名前の由来となったとも云われているそうです。





▼この石段を上ると本堂前庭。





▼手水鉢。





         ▼子護大師。





▼五智の井。
 空海さんが錫杖で岩根をうがたれて湧き出した水、五智水が井戸水として湧出しているのが五智の井です。





▼本堂。小さいながらも堂形がいかにも観音さんのお住まいという感じですネ。
 桁行三間、梁間三間、重層入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。正徳二年 (1712年) 建立。





▼本堂正面。





▼本堂中陣の半端じゃない豪華絢爛荘厳。





         ▼本尊十一面さん (秘仏) のお前立ち十一面観音立像。
          須弥壇奥のお厨子に絶対秘仏の十一面さんがおられます。
          本尊は、伝空海さん作十一面観世音菩薩、像高一尺八寸の絶対秘仏。





▼長押上の浮き彫りの彩色がスゴイ!





▼本堂。





         ▼創建時の三重石塔。文化財の指定はないようです。





▼大師堂。護摩修法と修行道場として使用されているようです。
 三間四方の宝形造、本瓦葺。





▼大師堂扁額。





▼大師堂の正面、入堂は出来ません。





▼須弥壇には本尊弘法大師空海さんが祀られてます。





▼大師堂。





         ▼ボケ封じ観音にお年寄りが慕ってます。
          今日は何を隠そうこの方にお会いするため来たのです。





▼どういうグループかよく判りません。





         ▼玄武に背負われて観音さんはどこへ行く…。





▼本堂前から多宝塔を見ると、





         ▼ちょっと拡大してみます。
          この多宝塔は医聖堂と称し、医と宗教が手をたずさえて、
          心身とも健康に暮らせるような社会が築かれますよう、
          願いを込めて昭和五十九年 (1984年) 建立されたそうです。





▼鐘楼。





▼鎮守の稲荷社。





▼同じく熊野権現社。





         ▼空海さんが掘り当てた五智水。この岩の下から今もコンコんと。





▼本堂裏、霊光殿の石仏阿弥陀さん。





▼境内の山手をぐるっと回る西国観音霊場の参道。





▼参道に、西国三十三ヶ所霊場の各御本尊を石仏として奉安されています。





▼御朱印です。





お年寄りのご夫婦が、ボケ封じ観音像の前で、一心に手を合わされ、唱える心経が幽かに聞こえています。
古来からの信仰と祈りが今に連綿と続き、精神聖域としてこの空間は歴史由緒とともに清浄な空気が、深閑
な山懐に抱かれて静かに流れている、そんな中でのご夫婦の心経の声でした。





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石光寺、寒牡丹が見頃です。

2014年12月16日 | 奈良の古寺巡り



(2014.12.14訪問)


奈良事情通Nから金曜の晩「石光寺の寒牡丹ええぞ」との電話有り。
日曜の和歌山訪問予定を急遽変更。Nを信じて石光寺を訪ねることにしました。このお寺の春牡丹は相当迫
力満点なんですが、寒牡丹というのは初めて。それにしても奈良は寒い、霙は降るはで散々なお天気でした。



▼キレイですね。





[ 石光寺 ]
●山号 慈雲山(じうんざん)
●寺号 石光寺(せっこうじ)
●勅願 伝 天智天皇 (てんじてんのう)
●開山 伝 役小角 (えんのおづぬ)
●開創 伝 白鳳期
●宗派 浄土宗
●本尊 釈迦如来坐像
▲拝観料 400円 朱印300円 駐車場 無料
▲拝観時間 9:00~16:30
▲関西花の寺霊場第二十番
▲奈良県葛城市染野387 Tel.0745-48-2031
▲近鉄南大阪線「二上神社口」下車 徒歩13分


         ▼石光寺寺標。





石光寺縁起 (石光寺HPより抄出)
約千三百年前、天智天皇の勅願で役小角の開山と伝えられる。境内に奈良時代前期といわれる塔の大心礎が
あり、 平成三年弥勒堂改築に伴う発掘調査で、日本最古の白鳳時代の石仏と他に瓦や磚仏が出土。
別名「染寺(そめでら)」とも呼ばれ、中将姫ゆかりの「染の井」と「糸掛桜」がある。 右大臣藤原豊成の娘、中
将姫は美貌で知られたが、 十七歳で出家、当麻寺にこもるうち霊感を得て蓮の茎を集め、糸を採り出した。
そして石光寺の庭に井戸を掘り、糸を浸したところ五色に染まった。 それが染の井で、傍らの桜の枝にかけ
たのが糸掛け桜。中将姫はその蓮糸で一夜のうちに当麻曼茶羅を織りあげたという伝説がある。



▼山門。





▼ダイナミックなグニャグニャの百日紅。どのくらい昔か知りませんがずっと昔からあるそうです。





▼キレイですね。





▼想観の沙。山門はいると正面に方形と円形の沙壇。方形は「執着の世界」円形は「悟りの世界」を表して
 いるそうです。





▼常行堂 (阿弥陀堂)。





▼常行堂扁額。





▼中央須弥壇のご本尊、凄いキラキラでたくさんの瓔珞で荘厳されてます。





▼外陣に掛けられた山号扁額。





▼ご本尊阿弥陀さんです。





▼たくさんのワラズド。いわば牡丹のコート。





▼咲いてます牡丹ファミリー。





▼なんと凛々しい咲き具合。





▼弥勒堂 (旧金堂跡)。がっちり施錠されてました。





▼花のお寺の屋根飾り、やっぱり牡丹でした。





▼開花したてですね。





▼かなり大振りです。





         ▼お一人シャキッと佇立。





▼中将姫縁の井戸「染めの井」舎。





▼中将姫は當麻寺で霊感を得、石光寺の庭に井戸を掘り、糸を浸したところ五色に染まった。姫はその蓮糸
 で一夜のうちに当麻曼茶羅を織りあげたという伝承のこれがその井戸「染めの井」。





▼右向け右。





▼健気に咲いてます。





▼お庭に点々とワラズド。





▼お見事。





▼鐘楼とワラズド。





▼かなり大振りの真っ赤花弁。少し傷んでました。





▼オレンジ、濃い緑の中かなり目立ってます。





▼お寺のお母さんに聞くと、この石仏の正体は判らないそうです。





▼ワラズド点々と。





▼中は暖かそう。





▼サザンカに囲まれて。





▼寒牡丹だけではありません。満開のサザンカ。





         ▼ちょっと曲がってません? カメラのせいか、腕のせいか、
          はたまたボクの根性が曲がってるせいか。





▼最後に恥ずかしそうに俯いています。





▼御朱印です。





フロクです。
▼今日の二上山。お山も冬支度。





境内には藁帽子(ワラズドと云うらしいですね)がたくさん並んでいて、オッと思いましたが、花を付けて
る株少々、咲いてる花もどこか淋しげ、葉もほとんど付けてません。牡丹は冬、春牡丹の華やかなものしか
知らないもんで「なんじゃこりゃ」。
よくよく聞くと、冬、春牡丹と寒牡丹は違うようで、花期が長く一斉に咲くのではないので見てくれの華や
かさとは違う、自然が育てたホンモノが寒牡丹だそうです。
詳しくはhttp://sekkouji.or.jp/flower/kanbotan/をご覧ください。

初めての寒牡丹鑑賞 オ シ マ イ



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飛鳥寺、本邦初の本格寺院だったそうです。

2014年12月12日 | 奈良の古寺巡り



(2014.12.07訪問)


空模様が少々怪しくなってきましたが飛鳥寺を訪ねます。岡寺から西北に少しの所、我が国黎明期の政の中
心飛鳥の地に善悪織り交ぜた蘇我馬子が建立したと伝わる法興寺です。厩戸皇子をはじめ炊屋姫天皇、蘇我
馬子、少し下って蘇我氏打倒のクーデターの主役、中大兄皇子や中臣鎌足が歴史に名を留める飛鳥時代、同
族同士の権力者達同士の権力闘争が絶え間なく繰り返されたこの地に我が国初の本格寺院が建立されたのが
法興寺なんです。時の為政者達は完成したこの大寺院を見てどんな感慨を持ったのか、特に厩戸皇子こと聖
徳太子にインタビューしたい気がします。



▼1400年間歴史を見つめてきた御眼です。





[ 飛鳥寺 ]
●山号 鳥形山 (ちょうけいさん)
●寺号 飛鳥寺 (あすかでら) 創建時 法興寺 (ほうこうじ) 現在称 安居院 (あんごいん)
●開基 蘇我馬子 (そがのうまこ)
●開創 伝 推古天皇四年 (596年)
●宗派 真言宗豊山派
●本尊 釈迦如来坐像
▲拝観料 300円 朱印300円 駐車場 無料
▲拝観時間 9:00~17:00
▲奈良県高市郡明日香村飛鳥682 Tel.0744-54-2126
▲近鉄「橿原神宮前」下車 東口から周遊バスにて「飛鳥大仏前」下車スグ



▼東門。





飛鳥寺縁起 (飛鳥寺パンフより抄出)
第三十二代崇峻天皇元年 (588年) 蘇我馬子が発願し、第三十三代推古天皇四年 (596年) に創建された日本
最初の寺であり、寺名を法興寺、元興寺、飛鳥寺とも呼んだ。昭和三十一年の発掘調査により創建時の寺は
塔を中心に東西と北に金堂を配する最初の本格寺院で、外側に廻廊を巡らし、北に講堂を含む壮大な伽藍で
あった。本尊飛鳥大仏 (釈迦如来坐像) は推古天皇十七年 (609年) 天皇が詔して鞍作鳥 (止利仏師) 造らせた
日本最古の仏像である。旧伽藍は平安、鎌倉期の火災により焼失、室町以降荒廃したが、江戸期に再建され
今日に至っている。



▼飛鳥寺創建時の復元図。(明日香村資料より)





▼残る礎石の夢のあと。





▼思惟殿。観音堂です。





▼鐘楼。





▼放生池。





▼サインや寺標など全て飛鳥大仏とあります。





▼本堂。創建時の中金堂趾に建ちます。





▼本尊飛鳥大仏 (重文) 釈迦如来坐像。
 創建当初の中金堂趾に現本堂があり、本尊は当初のままの位置に今も坐しています。補修で後補の跡だら
 け、飛鳥の面影は僅かしか残ってないそうです。





         ▼こんなお顔です。





         ▼右脇壇に阿弥陀如来坐像。





         ▼左脇壇お厨子に聖徳太子十六歳孝養像。





         ▼なんと凛々しいお顔なんでしょう。





▼中庭。





▼西参道、この手前に西門と槻の広場があったそうです。





▼南から飛鳥寺を見ると。





▼飛鳥寺の南、真神原といわれた地域。
 物部守屋を滅ぼした蘇我馬子は、寺院建立のためこの真神原を寺地とし整地を始めたそうです。 
 乙巳のクーデターの時もこんな天気だったんでしょうか、雨が降ってたそうですね。
 飛鳥板蓋宮趾はもう少し南にあります。





▼乙巳の変の生々しい現場。入鹿の首が飛んでいるの見えます?
 皇極天皇四年 (645年) 六月十二日、飛鳥板蓋宮で中大兄皇子が中臣鎌足と蘇我入鹿を殺害するというクー
 デター。(談山神社多武峰縁起絵巻より)





         ▼その入鹿の首がここまで飛んで来たんです。その跡に建つ入鹿首塚。





▼御朱印です。往時の礎石に置いて。





六十年ほど前の発掘調査で法興寺の全容が解明されましたが、我が国初の大寺院の面影は今地上を見渡して
も何もありません。僅かに今の境内に数個の礎石が往時を物語るのみです。





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岡寺、本邦第一の厄除霊場です。

2014年12月10日 | 奈良の古寺巡り



(2014.12.07訪問)


つかの間の錦秋は散り紅葉の繍が地一面を覆い、やがてその姿は地に帰って行く。新聞各紙のモミジ便りも
終り、いよいよ白い季節の到来となり四季は進んでいくのでしょう。今日は残り紅葉に多少の期待をしつつ
西国三十三カ所観音霊場第七番札所岡寺を訪ねました。塑像最大の本尊如意輪観音さん本堂にどっしりと確
かに大きいです。お顔を拝するだけで厄はどこかへ…、行けばいいんですけど。
意外なことに散るのを忘れた数本のモミジが最後の力を振り絞るように赤を演出していました。



▼参道から仁王門。





[ 岡寺 ]
●山号 東光山 (とうこうさん)
●院号 真珠院 (しんじゅいん)
●寺号 岡寺 (おかでら) 正称 龍蓋寺 (りゅうがいじ)
●勅願 天智天皇 (てんじてんのう)
●開基 義淵僧正 (ぎえんそうじょう)
●開創 伝 七世紀末
●宗派 真言宗豊山派
●本尊 塑像 如意輪観音坐像 (重文)
▲拝観料 拝観料 300円 朱印300円 駐車場 500円
▲拝観時間 8:00~16:30 (12月?2月)
▲西国三十三カ所観音霊場第七番札所
▲http://www.okadera3307.com/
▲奈良県高市郡明日香村岡806 Tel.0744-54-2007
▲近鉄「橿原神宮前駅」下車、東口より奈良交通バス「岡寺前」下車、徒歩5~10分。
 または「橿原神宮前駅」「飛鳥駅」下車、タクシーをご利用ください。


         ▼寺標。





岡寺縁起 (岡寺HPより抄出)
天智天皇は義淵を岡宮で草壁皇子とともに育てられ、後に義淵僧正はこの岡宮の地を与えられ、龍蓋寺を建
立されました。現在岡寺は真言宗豊山派に属しておりますが、義淵僧正はわが国法相宗の祖であり、門下に
は東大寺の良弁、菩薩と仰がれた行基、その他奈良時代の高僧といわれる人は皆、義淵僧正の教えを受けた
といわれています。岡寺が義淵僧正によって創建したという最も古い文献、醍醐寺「龍門寺縁起」に、龍蓋
寺は義淵僧正が国家隆泰のために建立したと記されています。義淵僧正は法相宗の祖でありましたから岡寺
も江戸時代までは法相宗興福寺の末寺であり、興福寺から別当を選出しており、室町時代には興福寺別当が
岡寺別当を兼務しておりました。江戸時代以降は長谷寺の末寺となり今日に至っています。



▼仁王門 (重文)。慶長十七年 (1797年) 建立。





▼正称龍蓋寺と書かれた扁額。





▼阿形金剛力士が右に、





▼吽形金剛力士が左で「ストップザ悪者」と控えています。





▼手水舎。





▼参道石段を上ると、





▼広い境内左手にアカイ瀟洒な楼門が。慶長年間 (1956~1615年) の建立。





▼その隣に開山堂。寛政九年 (1797年) 建立。





▼華麗な荘厳の須弥壇に本尊阿弥陀三尊が祀られています。





▼ご本尊阿弥陀如来坐像。





▼石積み基壇に袴腰の鐘楼。





▼梵鐘。一打撞かせていただきました。ふるえるような長~い余韻の響きでした。文化五年 (1808年) 鋳造。





▼本堂です。文化二年 (1805年) 建立。





▼本堂正面ガラス越しのご本尊が微かに。





▼本堂外廊の奉納額の群れ。





▼散り忘れモミジ。





▼高所参道から本堂です。





         ▼寺名龍蓋寺名由来の池、龍蓋池碑。





▼こんな小さな池に悪龍が閉じ込められたんですヨ。





▼池横に義淵悪龍退治のレリーフ。





▼こんなにきれいな散り忘れモミジの樹。





         ▼境内高所の参道に十三重石塔。





▼開基義淵僧正廟所の宝篋印塔。





▼散り忘れモミジ。





▼境内参道もキレイに整備されています。





▼結構散り忘れモミジが残ってました。





         ▼三重塔。昭和六十一年 (1986年) 再建。





▼三重塔エリアからの金剛、葛城の山並みです。





▼大師堂にやってまいりました。





▼須弥壇には本尊空海さん。





▼空海さんにアップをお願いしました。





▼それでは奥之院へ。





▼途中に岡寺の鎮守社、如意稲荷社が祀られています。





▼右手少し上ると石窟が見えます。





▼石窟奥深く石仏が祀られています。





▼本尊弥勒菩薩さんです。





         ▼苔の法衣が良く似合っています。





▼まるで城郭、本坊と新書院です。





▼最後の散り忘れモミジですが、忘れるはずです、まだまだきれいですネ。





▼西国三十三カ所観音霊場第七番札所の御朱印です。空海さんの足もとに置かしていただきました。





西国三十三カ所観音霊場も既に二十数ヵ寺は訪ねていますが、如何せん御朱印を戴きだしたのがここ二三年、
せっかくなら朱印帳イッパイにと再訪する古刹が続いています。それにしても三十三カ所、あちこちに散ら
ばっているもんでいつ結願するのやら。



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