土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

妙楽寺、二十四面の観音さん、初めて拝見します。

2016年03月09日 | 福井の古寺巡り




(2016.03.05訪問)


羽賀寺から次を目指す途中、昼過ぎですボツボツおなかが……、港の若狭フィッシャーマンズワーフで魚介モリモリの漁師弁当をいた
だいて、中心街の伊勢屋さんでお使い物とお土産の名物丁稚羊羹ときんつばを購入、今日のボクの義務を果たした後、迷車大和路号は
一路妙楽寺を目指しています。さあ二十四面の観音さんに会いに行きましょう。道々には寺名案内道しるべが多く見受けられます。確
かに小浜市内にはお寺が多いようですネ。





▼入山受付から参道少々で仁王門が見えてきます。







[ 妙楽寺 ]
●山号 岩屋山(いわやさん)
●寺号 妙楽寺(みょうらくじ)
●宗派 高野山真言宗(こうやさんしんごんしゅう)
●開基 伝 行基(ぎょうき)
●創建 伝 養老三年(719年)
●再興 延暦十六年(797年)
●開山 弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)
●本尊 千手観音菩薩立像(重文)
▲拝観 400円 朱印 300円 
▲時間 9:00~17:00
▲http://wakasa-obama.jp/TouristAttract/TouristAttractDetail.php?27
▲福井県小浜市野代28-13 電話0770-56-0133
▲JR小浜駅から車で12分
 北陸自動車道敦賀ICから車で70分
 舞鶴若狭自動車道小浜ICから車で約10分





▼清流をわたると仁王門。






妙楽寺縁起 (若狭小浜観光協会HPから抄出)
養老三年(719年)僧行基が本尊を彫り、延歴十六年 (797年) に弘法大師が堂舎を建立したといわれる名刹。桜並木の参道から山門をく
ぐると、境内には俗界と一線を画す静寂が広がります。鎌倉時代に建立された本堂 (重文) は若狭における最古の建造物で、二十四面を
持つ珍しい木造千手観音菩薩立像が安置されています。




▼仁王門。三間一戸、入母屋造、桟瓦葺、八脚門、安永六年(1777年)再建。
 二重基壇に建てられ結界に相応しい重厚な山門で、左右奥の間に金剛力士が控えています。







▼大悲閣と書かれた仁王門扁額。







            近年新造されたらしい金剛力士の朱色が妙に目立ち過ぎですが、迫力満点の仁王さんです。
            玉眼の色違いに注目してみて下さい。非常に苦労して撮ったんですよ。

            ▼阿形像です。













            ▼吽形像です。













▼どうです、中々重厚な仁王門でしょう。







▼仁王門を潜ると前方に本堂エリアが。







▼本堂が見えてきました、余り境内は広くないようです。







▼切り妻、桟瓦のいい姿の鐘楼です。







▼境内左に地蔵堂。三間四方の宝形造、桟瓦葺、一間向拝付。無欄干の外縁が四周。







            ▼地蔵堂本尊地蔵菩薩坐像。像高165.4cm、檜一木造、平安初期の作。
             体部の金箔は少々乱れていますが、お顔は非常にきれいに保たれています。
             目は細長く伏し目、相当深刻に衆生救済を考えておられるようです。







▼地蔵堂。







▼本堂(重文)。桁裄五間、梁間五間、寄棟造、檜皮葺、一間向拝付。鎌倉初期建立で若狭地方では最古の建造物だそうです。
 寄せ棟独特の前面屋根の広さと稜線のカーブは本当に美しい屋根の景観です。







▼右斜めから屋根の美しさをご覧下さい。







▼いきなり本尊二十四面千手観音立像です(重文)。像高176.3cm、檜材一木造、平安中期。
 十一面さんではないんですよ、二十四面さんなんです。
 養老三年(719年)行基が若狭巡歴の時、岩屋山に登り、千手千眼の霊像を刻んで岩窟に安置したと伝えられる仏像です。
 本面である正面のほかに、両側に大ぶりの脇三面を持ち、頭上の二十一面を合わせると、二十四面の千手像であることか
 ら、世に珍しい実例のひとつとされ、現在本像のように二十四面の形を伝えるものは数少ないようです。

 
 

            (写真は若狭小浜観光協会HPからお借りしました)





▼本手六本、脇手四十二本(と思います)、小手はさて何本あるんでしょう? トータル千本近くはありそうですネ。
 お顔と頭上二十四面、大小手千本近く、その重さたるや相当なもの、この観音さん千年近くをよく耐えていらっしゃいますネ。
 これだけ複雑な像容をバランスよく破綻なくまとめることは相当腕のある仏師の作なんでしょう。仏師名が不祥と云うのは若狭の
 仏らしく謎を残していいのかも知れません。しかしこれだけの像が国宝指定されないのは、これが理由かも知れませんネ。



(写真は若狭小浜観光協会HPからお借りしました)





▼左側面からの本堂。







            ▼脇殿の不動明王と、







            ▼縁結び観音。







▼本堂横の高台に薬師堂。







            ▼本尊薬師如来立像。プロポーション抜群のお薬師さんですが詳細不祥。







            ▼修行中のお大師さんです。







            ▼お大師さん開基九百回忌碑。







▼妙楽寺本坊山門です。







▼書院玄関です。







▼御朱印です。







お顔脇三面と頭上十一面さんは各地にいらっしゃいますが、頭上二十一面さんは初めて拝見しました。
二十四面の由緒を知りたいもんですが、観音作仏儀軌にはどのような作法が書かれているのか非常に興味のあるところです。
世に観世音菩薩三十三変化と云われていますが、それどころかその数、無数と云っていい観音さんが各地にいらっしゃいますネ。
この妙楽寺の観音さんもその内のお一人、珍しい仏に会えた小浜はホンに魅力のある町です。
第三弾は萬徳寺、どんなビックリがあるのでしょうか。




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羽賀寺、美貌の十一面さんは健在。

2016年03月07日 | 福井の古寺巡り




(2016.03.05訪問)


迷車大和路号は久々の若狭路を走っています。我が家から高速を乗り継いで約150km、小浜に着きました。
今日の目的は拝した人がその美しさにしばし言葉を失う程の感銘を受けると云う、美形に会いにやって来たのです。奈良朝元正天皇を
写したと伝わる十一面さん、この方が名刹羽賀寺におられるんです。ワクワクがすでに通り越してドキドキです。





▼羽賀寺遠望。







            [ 羽賀寺 ]
            ●山号 鳳聚山(ほうしゅうざん)
            ●寺号 羽賀寺(はがじ)
            ●宗派 高野山真言宗(こうやさんしんごんしゅう)
            ●勅願 元正天皇(げんしょうてんのう)
            ●開山 行基(ぎょうき)
            ●開創 霊亀二年(716年)
            ●本尊 十一面観世音菩薩立像(重文)
            ▲拝観 400円 朱印 300円 
            ▲時間 9:00~16:00
            ▲http://wakasa-obama.jp/TouristAttract/TouristAttractDetail.php?3 
            ▲福井県小浜市羽賀82-5 電話0770-52-4502
            ▲JR小浜駅から車で15分
             北陸自動車道敦賀ICから車で65分
             舞鶴若狭自動車道小浜ICから車で約10分





            ▼寺号石柱。







羽賀寺縁起 (若狭小浜観光協会HPから抄出)
鳳凰が飛来し、この地に羽根を落としたという典雅な伝説が寺名の由来。霊亀二年(716年)元正天皇の勅命により行基が創建したと伝
えられています。数ある寺宝の中でも平安初期の木造十一面観音菩薩立像は必見。元正天皇の御影といわれ、その尊顔は心のやすらぎ
を覚える柔和さです。





▼余り使用されているとは思えない入山門だと思います。







▼中門。







▼中門を入るとスグ左に開山堂、極々最近の真新しいお堂です。







▼ピッカピカの開山堂扁額。







▼石段下に境内案内のイラストマップが。







▼この参道真っすぐ、あの観音さんが待ってます。







▼本堂が見えてきました。







▼参道石段上りきったところに鐘楼。帰り鐘は良くないと書かれていたので、駆付け一発、余韻がなんとも素晴らしい。







▼本堂(重文)。桁裄五間、梁間六間、入母屋造、檜皮葺、一間向拝付。
 本堂エリアにはお堂は本堂のみ、されどこのお堂こそ、天下のベッピンが控える宝のお堂だ。







▼色気と云えば小粒の紅梅が春の到来を知らせているよう。







▼観世音と書かれた本堂扁額。書かれたと云うよりも浮き彫りされ、揮毫者名、落款までもが掘り出されています。
 手のこんだ扁額です。







▼本堂前面。右四間は格子蔀戸、左端が入堂口、ここで御朱印も戴きます。







            ▼堂内は外陣と内陣を格子で仕切られ、内陣中央須弥壇お厨子に天下の美女がお立ちです。



            (写真は若狭小浜観光協会HPからお借りしました)





▼十一面観世音菩薩立像(重文)
 像高146.4cm、檜一木造、平安前期。寺伝では女帝元正天皇の御影と伝わるそうです。
 当初の色彩がよく残っており、眉や眼は墨、
 天衣の朱と緑がことのほか美しく残っています。そして観音独特の右手が非常に長く、膝までに達しています。千三百五十年の時の
 流れを忘れるほど美貌そのままの姿は、言い尽くせない美しさ、今日はもう思い残すことはないこのまま帰ろかなァと思ったくらい
 美の衝撃でした。
 近畿道、名神、京都縦貫、舞鶴若狭とそれぞれ高速をぶっ飛ばしてきた甲斐があったと云うもんです。
  (迷車大和路号はスピード違反はしません。法定内でぶっ飛ばしたと云う意味です、念のため)



            (写真は若狭小浜観光協会HPからお借りしました)





            ▼本堂後堂の薬師如来坐像。







▼側面からの本堂です。







            ▼本堂前の石灯籠。







            ▼本堂前の無惨に剪定された大きな木、銀杏と思いますが分かりません。







            ▼境内にこんな観音さん。蛇に乗ってるように見えます。







▼放生池らしい池があるんですが、真ん中の石が面白い、呼んでみましょう、オーイコッチ向いて……、







▼「何か用かい」と睨まれました。







▼最後にもう一枚、今日のピカ一!



(写真はネットから貰ってきました)





▼御朱印です。







何時訪ねようかと思案ばかりが能じゃないと、久々の上天気土曜日、若狭の小浜市を訪ねました。小浜の往時の繁栄ぶりは分かりま
せんが、今の小浜市は全国的に寺社密度が非常に高い都市だと聞いており、名刹と仏像の宝庫のような町とも聞きやって来たのであ
ります。若狭小浜の名刹巡り第一弾は羽賀寺、美貌の十一面さんは噂に違わず、それはそれは美形でした。

第二弾は妙楽寺、ここの観音さんはビックリしますよ。






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諦應寺、銀杏生木に十一面さんが彫られています。

2015年04月30日 | 福井の古寺巡り



2015.04.25訪問)


松尾寺を辞しR27を東に向かいます。何かと問題多発の高浜原発や大飯原発への道路標識を左に見ながら小
浜を通過、多田寺、神宮寺や明通寺といった若狭の名刹はコッチだよの道しるべを惜しみつつ見ない事にし
て、若狭町安賀里の里、諦應寺へと迷車大和路号はひたすら走っております。ひょんな事からこのお寺に立
木観音がある事をを知り、是非是非見たいとの思いで一心不乱遠い道のりをやって来た次第であります。         



▼立木銀杏観音。樹齢450年という銀杏生木に彫られた十一面観音菩薩。





[ 諦應寺 ]
●山号 城谷山
●寺号 諦應寺 (たいおうじ) 
●開基 順翁慶随和尚 (じゅんのうけいずい)
●開創 永正三年 (1506年) 頃
●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう)
●本尊 釈迦如来坐像
▲入山料 境内自由 朱印 300円 駐車場無料
▲拝観時間 8:00~17:00
▲福井県若狭町安賀里33-1 Tel.0770-62-2864 


▼参道。





[諦應寺縁起]
開山順翁慶随は丹波篠山円通寺の牧翁性欽に師事し明国に渡る。帰国後、永正三年 (1506年) 若狭に諦応寺
をひらいた。



         ▼臭いものと酒は境内に入れてはならん。





▼山門と大銀杏。





         ▼この大銀杏に観音さんが彫り込まれているんです。





         ▼これが銀杏観音。





         ▼銀杏の生木に彫られて約160年、集落住民の安寧を念じ、
          諦應寺三十世住職仏山恵隆和尚が彫ったといいます。





         ▼観音さんの胸に見える窪みには曽ては経文が入れられていたそうで
          今は無く蓋のみだそう。





▼山門。高さ7m、幅6m、総欅造二階建、入母屋造、桟瓦葺、二階が鐘楼になってます。
 最近茅葺屋根から瓦葺に替えたそうですが新旧バランスが今ひとつ、頭でっかち尻なんとやら。





▼桁裄九間の立派な本堂です。雪害対策なんでしょう急勾配の屋根はトタン葺と思われます。
 左手の樹は樹齢約400年のギンモクセイの大樹です。





▼内部荘厳と須弥壇。





         ▼本尊釈迦如来坐像。
          若々しいお釈迦さん、バッチリ目が会いました。





▼小さいですがきれいなお庭です。





▼宝物庫と思うんですが。





▼境内にこんな石仏が。





▼参道左手に百体地蔵の丘。





▼実際は250体以上あるそうで祈祷のお礼参りにお祀りしているそうです。お地蔵さんもこういう並べ方は
 壮観です。





▼こんな環境に諦應寺はあります。





▼御朱印です。

 



立木観音と云う言葉は聞くんですが、実際に見るのはここが初めて。
生木に仏像を彫り込むと云う発想は樹の成長と共に仏の成長をも見込んだ計算なのか。逆に生木に鑿を入れ
る事による樹のダメージは計算したんだろうか、とか、ついボクたちは考えてしまいますが、いやいや往時
の仏に対する信頼感、信仰心がただひたすら一途に全身全霊で鑿を振るう、そう云う一種の祈りの形が160
年後の今でもこうして、銀杏も観音さんも何ら変わりなく往時の姿を保っている。信仰心の強さを示す一例
かも知れない。銀杏の古木は若葉が茂りだし、やがて鬱蒼の樹形を見せてくれるに違いない。
ただ惜しい事に観音さんの傷みが酷く、お顔の割れが目立ち体各部に欠けが目立つ。補修剤か補強剤か知ら
ないが像表面に樹脂風の何かが塗られている、これがまた剥げだしてお気の毒な状態になっているのが心残
りですわ。

と云う訳で今日は380km堂々の走破。家に帰ってバタンキュ~ウウウウウウウウウ!





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若狭の地で真言密教の法灯を伝える、明通寺。

2011年11月16日 | 福井の古寺巡り


(2011.11.12訪問)

神宮寺から少し戻り、遠敷川を渡ります。若狭西街道、比較的新しい農道を東に
真っ直ぐ、県道23号を南に走ると徐々に山懐へ、明通寺はスグそこです。

[ 明通寺 ]
●山号 棡山(ゆずりさん)
●寺号 明通寺(みょうつうじ)
●宗派 真言宗御室派
●勅願 平城天皇
●開山 坂上田村麻呂
●創建 大同元年(806年)
●本尊 薬師如来坐像

明通寺縁起(明通寺リーフレットから)
延暦のむかし、この山中に一大棡樹(ゆずり木)あり、その下に世人に異なる不思
議な老居士が住んでいた。たまたま坂上田村麿公、ある夜、霊夢を感じ老居士の
命ずるままに天下泰平、諸人安穏のため、大同元年(806年)このところに堂塔を
創建し、居士また棡の木をきって、薬師如来、降三世明王、深沙大将の三体を彫
って安置したと伝う。爾来壱千二百年、つねに天下万民の祈願所として、法燈た
えることなし。現存の堂塔は、中興頼禅法印の再建にかかり、地方にありながら
中央のものにも劣らぬ優秀な密教建築である。

▼棡橋(ゆずりばし)。
いきなりお出迎え、松永川に架かる駐車場と境内をつなぐ朱色鮮やかな結界橋。



▼松永川。



▼石段を上るとスグ境内。簡素な石標です。



▼ナヌッ! 参道前に本堂工事中のお知らせ。
本堂屋根葺き替えとのことは、前日お寺から聞いていたので動揺はありません。
サア行きましょう。



▼山門。
江戸中期の明和9年(1772年)再建。間口三間二層の八脚楼門、瓦葺。
二層目に立派な勾欄が外廊を巡っています。



山門両脇にドーンと仁王さん。阿吽両像とも、色彩は相当酷い状態ですが、お顔、
お躯全体が朱色だったのが見えます。パワフルなお顔とダイナミックな像姿は仏
師の相当な力量が窺えます。慶派の流れがあるのでしょうか。お顔の彫りの深さ
は圧巻!
鎌倉中期文永元年(1264年)、寄木造、像高190cm(両像とも)
▼金剛力士阿形像。



▼金剛力士吽形像。



▼見事なパズル風山門の組み物。



▼鐘楼。



▼手水舎。



▼本堂への参道。



▼丁寧なお寺ガイドの看板。
左に覆われたテントとパイプ状のもの見えます? 工事中の本堂です。



▼本堂(国宝)。(本堂写真はs.minagaさんにお借りしました)



単層入母屋造、桧皮葺。正嘉2年(1258年)再建。大正12年解体修理。
屋根桧皮を葺き替え中、現在テントに覆われていますが、入堂はでき仏像拝観は
可能。僧侶が説明とお説教を随時行っています。

本尊 薬師如来坐像(重文)。 一木造、像高134cm、平安初期。
脇侍 深沙大将立像(重文)。 一木造、像高254cm、平安初期。
   後三世明王立像(重文)。一木造、像高250cm、平安初期。
憤怒尊を脇侍としている珍しい三尊例ですね。

▼三重塔(国宝)。
境内最高所に建っています。
三間三層、桧皮葺。塔高22.26m。文永7年(1270年)再建。昭和32年解体修理。
本尊 釈迦三尊。通常開帳されていません。今は壁画、柱画修復中でご本尊はこち
らにおられません。



▼初めて見る修復作業。現在、初層の柱、壁面の十二天像を修復中。外から作業
を見ることができます。若い女性お二人の筆さばきをしばらく見とれていました。





▼本堂前の池の鯉。とにかくデカイです。



▼客殿中門。



▼客殿と枯山水の中庭。



▼客殿仏間の不動明王立像。



▼客殿から勝手門をくぐると目の前に巨木。
天然記念物、樹齢約500年の栢の木(かやのき)。



▼栢ノ木横からの景観。



ハードな山塊中の山岳寺院と思って訪ねましたが、そうでもなく優しい感じの山
寺です。残念ながら、本堂桧皮葺屋根の修復工事中のため建物は見ることが出来
ませんでしたが、堂内での僧侶の方のお話はなかなかのもの、本尊は小振りなが
ら美しい薬師さん。憤怒像を左右に配する珍しい三尊形式は初めてですが、この
両脇侍が迫力満点、明王と大将で阿吽を表現しているとのこと。ボクにとっては
新しい発見。大ナットクでした。

チョット時間が押してきました。次の予定どうしょうか、帰りは遠いし……。

若狭神宮寺は東大寺二月堂修二会へのお水送りのお寺。

2011年11月15日 | 福井の古寺巡り


(2011.11.12訪問)

京周山街道を走っております。季節は秋の筈ですが、期待した錦秋の気配はまる
でなし、肌に感じる風のみのようです。周山さば街道の起点小浜を目指し若狭三
名刹を訪ねようと朝七時のスタート。何の変哲もない街道をひた走りです。
さすが嶺南に近づくほどに、山は徐々に染まってまいりました。

▼神宮寺右入るスグ



[ 神宮寺 ]
●山号 霊応山(れいおうさん)
●寺号 神宮寺(じんぐうじ)
●宗派 天台宗
●開創 元正天皇
●開山 和朝臣赤麻呂
●創建 和銅7年(714年)
●本尊 薬師如来坐像

神宮寺縁起
ある時、開山和朝臣赤麻呂の前に若狭彦神社の祭神、若狭彦神(遠敷明神)が現れ、
「我鬼道に落ちその身を逃れん為に悪病を流行らせる。止めたくば仏像を安置し寺
を造り我が鬼を救え」と神託があり、赤麻呂は神願寺を創建。若狭彦神を神願寺に
迎え神仏両道の道場とした。鎌倉期に若狭彦神社の別当寺となり神宮寺と改称。

▼石標。



▼仁王門(重文)。
単層切妻造。柿葺八脚門。鎌倉時代末。正面注連縄に御幣。



▼金剛力士阿形像。
阿吽両像とも2mを越える像高。鎌倉仏師の流れを窺える堂々の作です。
目は玉眼。破損が目立ち補修の釘がいたる処打ち込まれ、痛わしや仁王さんの感じ。





▼金剛力士吽形像。





▼仁王門から参道。
山門まで約250m、気持ちいいほど一直線の参道。



▼参道。
右側に本坊大膳院や庭園、大師堂が連なっています。



▼山門。
簡素な門、ここから入山です。



▼本堂(重文)。
本尊 薬師如来坐像。平安中期。
桁行5間(15m)、梁行6間(16.5m)、檜皮葺入母屋造。向背1間付。
天文22年(1553年)越前守護朝倉義景が再興再建。
向背だけを見ると注連縄に御幣、鳥居に見えません?



▼本堂床銀杏? 堂内外陣からの床銀杏、右が内陣です。



▼内陣見取り図。
内陣奥が須弥壇、ギッシリと仏像が並んで、さながら仏像雛壇の感じ。



▼本堂外廊から境内。一本の銀杏が頑張って秋を主張してます。



▼境内からの景観。



▼本堂床下にこんな高下駄。
お水送りの時に僧侶と神人が履く下駄。しかし何で歯が一つ?



▼御茶所。
適当に苔の緑が彩りを添えた茅葺屋根。の茶室、六畳茶室、八畳囲炉裏室。



▼苔に覆われた大椎の木。
樹齢推定500年の椎、天然記念物。
根元付近の貫禄はスゴイ! 恐竜の足が絡まっているみたい。



▼閼伽井戸覆屋。



▼閼伽井戸。
この井戸がここ若狭から東大寺二月堂へ閼伽水を送る根本井戸。
お水送りの由緒。
東大寺二月堂の修二会をはじめた実忠は東大寺初代別当の良弁の弟子で、もと若
狭神宮寺に住し、後に奈良に出て良弁を助けた。そして、観音菩薩の来迎を祈念、
ついに十一面観音菩薩が閼伽の器に乗り飛来、二月堂に安置、大仏開眼の年、二
週間の行法を始めた。これが修二会と呼ばれ一度も休まない行法として1260年
も続いてきた十一面観音悔過法会。実忠がその行法中、全国の神の名を読み上げ
守護を念じたが、遠敷明神(若狭彦神)だけが漁に出て遅刻してきた。そのお詫び
として、十一面観音にお供えする閼伽水を若狭から二月堂へ送ることを約束した
ことがお水送りの起源と云われ、神宮寺の閼伽井の湧き水を上流二キロの鵜之瀬
に流し、奈良東大寺の若狭井に10日かけて到着、3月2日に若狭でお水送りをし
て3月12日の東大寺の二月堂修二会お水取りに使われるのだ云われている。



▼大師堂。
比叡山十八代の座主、天台宗の中興の祖、元三大師(良源上人)を御祀りするお堂、



▼本坊大膳院表門。
屋根は銅葺。安土桃山時代。参道から凹形に切り込んで表門が設えられています。



▼遠敷川(おにゅうがわ)。
若狭の地を知り尽くして今も流れているのでしょうね。
この上流2キロに鵜之瀬があります。



神宮寺のすべての建物には、注連縄と御幣が飾られています。近くには若狭遠敷
明神を祀る神社上下社があり、このお寺は地主神と外来神を祀る、まさに神仏習
合のお寺。でした。

さて次は、この写真を撮った遠敷川から一路東へ、明通寺を訪ねます。