土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

奥さん孝行したけれど……。

2016年09月29日 | 





(2016.09.25~26訪問)


上高地に行こうとウチの奥さんが云うので、行ってきました。
台風やら変な天気でこの九月は天候異変、信州あたり大丈夫かなと心配しつつ、取り敢えず高山平湯温泉「あかんだな駐車場」を目
指します。「あかんだな」変な名前ですネ、山の名前らしいです。上高地へは一般車両は入れません。西からはこの「あかんだな駐
車場」にクルマを置いてシャトルバスで上高地入りをしなくてはなりません。大変不便ですがしゃーないですネ。
では奥さん孝行をしようと云う事で上高地へ。
(今週の古寺巡り1回お休みです)



▼木立の向こうに赤い屋根、今日ここに泊まります。







▼上高地帝国ホテルです。







▼お部屋は三角屋根のテッペンの部屋です。







チェックインして、取り敢えずロビーでコーシーを、晴れてるうちにチョット歩こうかということで

▼遊歩道を東に、梓川は滔々と流れています。向こうの屏風は穂高連峰。







▼河童橋が見えてきました。大勢の人が見えます。やはり大人気のようです。







▼河童橋も最近きれいになったみたいで。







▼穂高へのベース、岳沢が正面に。







▼岳沢を左に見つつ道は次第に鬱蒼としてきます。







▼相変わらずいい加減な上高地のキロ表示にプリプリしながら、やっと明神に着きました。
 山小屋明神館です。穂高や槍にアタックした山男達が続々降りて来ています。







▼梓川に掛る明神橋。この橋を渡り明神池に向かいます。







▼池畔に穂高神社奥宮が鎮座。明神池は穂高神社の境内池、神域なんです。







▼明神池。透き通った水は本当にきれいです。



















ボクは徳沢まで歩きたかったんですが、「足痛い」「しんどい」「早よ戻ろ」と奥さんが睨みます。

▼梓川右岸にもこんな遊歩道が完備してます。戻るとなると奥さんはとたんに元気よく歩き出しました、よ〜わからん。







▼夕暮れ間近の河童橋まで戻ってきました。もう人はいません。







▼穂高連山に雲が降りてきました。明日はヤバそう。







▼焼岳です。







▼やっとホテルへ。手前に人が見えますが夢遊病者じゃないんですよ、うちの奥さんです。







▼翌朝のホテル、ダイナミックに雲が降り、すでに小雨が降ってます。







▼僅か一泊でしたが、ホテルマン、ウーマンの接客の素晴らしさに感激して十一時前、小雨の中バス停へ。





このあと大正池にも寄らずバスは平湯の駐車場へ。
さてどうしょう、取り敢えず松本城見に行くかと云う事で平湯からR158を松本を目指しましたが雨降り止まず、雨中松本着されど松
本城駐車場満杯、駐車待ち車ずらり、城門へはドンドン人が入って行きます。さすが国宝大したもんです。しゃあないもう帰ろと雨の
天守閣を遠望しながら高速に乗りました。諏訪あたりまで来ると空は真っ青、上天気、なんちゅうこっちゃこの野郎、チャンチャン!

奥さん孝行になったかどうかはわかりません。




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般若寺、コスモス名刹もまだ2〜3分咲き。

2016年09月25日 | 奈良の古寺巡り




(2016.09.17訪問)

少々寂しかった法華寺を後にして、コスモスの般若寺に向いましょう。コスモス咲いているかナ、どうかな……。
ボクの場合、花はなくてもいいんです。コスモスが咲いてなくても決してショックは受けません。あの後醍醐天皇の思いが凝縮され
た著名な本尊文殊さんに会いに行くんですから。



▼コスモスの主張「期待しないでネ」





[ 般若寺 ]
●山号 法性山 (ほうしょうざん)
●寺号 般若寺 (はんにゃじ) 愛称コスモス寺
●宗派 真言律宗 (しんごんりっしゅう)
●開基 不詳
●創建 不詳
●本尊 文殊菩薩騎獅像 (重文)
▲奈良県奈良市般若寺町221 電話0742-22-6287
▲拝観料 500円 朱印300円 秋のシーズン中は駐車場は500円
▲拝観時間 9:00~17:00
▲http://www.hannyaji.com
▲関西花の寺二十五霊場第十七番札所
▲近鉄「奈良駅」「JR奈良駅」から青山住宅行バスで「般若寺」下車徒歩3分
 
 阪神高速→第二阪奈道路「宝来IC」→奈良公園方面県庁東左折→369号線→754号線→般若寺 



▼楼門 (国宝)。





般若寺縁起 (般若寺HPから抄出)
日本三論宗の初祖高句麗の僧、慧潅法師がこの地に瑞祥を見て「般若台」と号する精舎を開創。天平十八年(735年)聖武天皇が平
城京の鬼門鎮護のため紺紙金泥の[大般若経]六百巻を地中に納め、卒塔婆をはじめ伽藍を整え勅願寺としそのとき経題に因み「般若
寺」と命名。寛平七年(895年)観賢僧正が学僧千人を集め学問寺の名声を高め、長らく繁栄を誇ったという。治承四年(1180年)
平重衡の南都焼き討ちによりこの地は合戦場となり伽藍は焼亡した。鎌倉時代、礎石のみが残る廃墟の中から復興。
文永四年 (1267年) 観良房良慧上人の発願で西大寺の律僧たちの協力を得て金堂や講堂、三面僧房など七堂伽藍が復興され、同時に
興正菩薩叡尊上人が発願の丈六文殊像を開眼供養する。




▼寺号が書かれた楼門扁額。







▼楼門 (国宝)。一間一戸、上層三間、入母屋造、本瓦葺、鎌倉時代後半。







▼残念ながら楼門から入山出来ません。







▼駐車場から入山受付の小道に彼岸花が満開です。







▼西国三十三カ所観音石仏が並んでいます。なぜか八重の山吹が、季節が変なら花までもかナ。







▼大きさどれ位の睡蓮に見えます? ちなみに葉は3〜4cm位。







▼西国三十三カ所観音石仏です。ここにも山吹が僅かに。






            ▼観音石仏越しに般若寺のシンボルが。






▼鐘楼。







▼出ましたコスモス! ア〜アパラパラ咲き。







▼本堂と石仏。







▼本堂の定番写真。もう少し日を下さいとコスモス蕾が云ってます。現在2〜3分咲き。
 桁行五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。寛文七年 (1667年) 再興建立。






               ▼本尊 文殊菩薩騎獅像 (重文)。
                後醍醐天皇の思いがこもった文珠さん。慶派仏師康俊。
                元享四年 (1324年) 造立。



この文珠さんの勇姿、小さいながら決して快慶さん作には負けない堂々の文珠さんですネ。長らく経蔵の秘仏とされていたが、
本堂再建により本堂の本尊とされ開扉されたので古色がよく残り美しい姿を今見ることが出来るのです。
(本尊写真はネットからもらってきました)




            ▼十三重石塔(重文)。胴部東西南北に四方仏が刻されています。






            ▼東方薬師如来坐像。






▼一切経蔵(重文)。






            ▼経堂横にヒッソリと三界萬霊碑。






▼彼岸花。







▼笠塔婆(重文)。宋人石工が建てた父母の供養塔。下部には東大寺再建の事績が刻されています。







▼彼岸花。






            ▼孤高。






            ▼コスモスに埋もれたお薬師さん撮りたかったなァ。






▼300株の秋海棠見頃です。






            ▼お釈迦さんもピンクのコスモス待ち遠しいでしょう。






            ▼睥睨。






▼名前が判りません。







▼ご朱印です。





と云う訳で、コスモス寺もピンクで埋もれるのはまだ少々先。しかしさすが花の寺の札所、秋の花々、彼岸花や秋海棠は今や見頃で
しばらく続きそう、季節外れの山吹も見れますよ。お花ファンの方10月早々の狙い撃ち計画をしてはいかが。




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法華寺、あの光明皇后写しの写しに会ってきました。

2016年09月22日 | 奈良の古寺巡り





(2016.09.17訪問)


秋篠寺から十分少々、法華寺は奈良三大門跡尼寺院の一つです。尼寺と云うと何か特別の感情が一方でしますが、これはボクだけか
な。今日の法華寺、尼僧さんには一人もお会いすることはありませんでした。
特別公開以外、光明皇后写しと伝わる本尊十一面観音菩薩に拝することは出来ません。お厨子横にレプリカ像が公開されてます。こ
れがまた良く出来た像で極近くまで寄れジックリ拝観出来ます。模刻とは云え素晴らしい出来映えには、仏師もさぞ名のある方の作
ではないでしょうか。



▼南大門 (重文)。四脚門、切妻造、本瓦葺。慶長六年 (1601年) 豊臣秀頼再建。





[ 法華寺 ]
●寺号 法華寺門跡 (ほっけじもんぜき) 正称 法華滅罪之寺
●宗派 光明宗 (こうみょうしゅう)
●開基 光明皇后 (こうみょうこうごう)
●創建 天平十七年 (745年)
●本尊 十一面観音菩薩立像 (国宝)
▲奈良県奈良市法華寺町882 電話0742-33-2261
▲拝観料 700円 朱印300円 本尊開帳や名勝庭園等拝観など季節により拝観料が異なります。
 かなり細かく決めているようですのでチケット売り場で確認を。
▲拝観時間 9:00~17:00
▲近鉄「奈良」駅から航空自衛隊前または西大寺北口行きバスで「法華寺」下車徒歩3分
 近鉄奈良線「新大宮」駅下車徒歩約20分 



            ▼寺号石柱。





法華寺縁起 (法華寺HPから抄出)
創建の天平時代から千二百五十年以上続くお寺です。
光明皇后は藤原不比等没後、不比等の屋敷を皇后宮とし、総国分尼寺法華滅罪之寺とされました。略称として法華寺と呼ばれるよう
になります。東大寺が総国分寺、法華寺が総国分尼寺となされ、続日本記には、光明皇后の勧めによると記されています。



▼南大門は通行不可、正面に本堂が見えます。







▼東門、通称赤門。通常ここからの入山です。






            ▼禅刹に多い不許石標。ここは尼門跡、酔っぱらいのオトコは入ってはいけません。






            ▼寺号木札。






▼鐘楼 (重文)。桁裄三間、梁間二間、入母屋造、本瓦葺、袴腰付き鐘楼。桃山時代。







▼境内。







▼放生池中に浮かぶ護摩堂。本尊不動明王、桁裄二間、梁間三間、宝形造、本瓦葺、平成十七年落慶。







▼護摩堂東に噴水が……。







▼本堂前に大きな菩提樹が植わってます。







▼本堂 (重文)。本尊 十一面観音像 (国宝)。
 桁行七間、梁間四間、寄棟造、本瓦葺。慶長六年 (1601年) 淀君の寄進により再興建立。






            ▼本尊 十一面観音菩薩像 (国宝)。
             本尊は国宝の十一面観音菩薩です。
             光明皇后が蓮池を歩かれた姿を写したと言い伝えられています。
             写真がないのは説得力に欠けますネ、と毎度同じことを云ってます。
             像高約100cm、カヤ材一木造、髪、眉、髭は群青、唇に朱、目に白、
             髪、冠や腕釧は銅板を使用。光背は明治期の後補。



            (数年前に描きましたペン画です)




▼本堂。







▼本堂屋根。新旧の瓦が利用されているのでしょうか。







▼本堂前の大蘇鉄。







▼ここから先は通せんぼ。書院へ続く参道です。







▼薬師堂。桁行三間、梁間二間、入母屋造、本瓦葺。本尊 薬師如来。







▼横笛堂。平家物語第十巻に登場する横笛が祈りを捧げたお堂。滝口入道と横笛の悲話哀歌のお話が余りにも有名ですネ。
 現存する法華寺の建物としては最古、鎌倉時代の建立。




♥平家物語が語る滝口と横笛の悲恋物語♥
少し長いですが参考までに。
滝口入道とは、平重盛に仕え宮中滝口警護に当たる武士斉藤時頼のこと。時頼は平清盛の花見宴で、建礼門院に仕えていた横笛の舞
に一目惚れ、恋しい気持ちを文に記し横笛に届けた。宮中警護の武士の恋文を見た横笛はこの愛を受け入れ、二人は愛の契りを結ん
だ。時頼の父の叱責で時頼は自責の念に苛まれ、横笛に知らせることなく、十九歳で嵯峨往生院で出家。
都の噂で出家を知った横笛は、自分の心を打ち明けようと、あちこちの寺を尋ね歩きます。嵯峨の地へやって来た横笛は小さな庵か
ら念誦の声を聞いた。念誦の声に「この声は、滝口様」、表戸を叩き「滝口入道様、お姿をお見せくださいませ。都からまいりまし
た」と横笛の従者が声をかけた。横笛は茂みに隠れ滝口の姿を一目でもと。同時に念誦が止み、一人の僧が「そのような者はこの僧
坊にはおりません」と。横笛は「念誦の声は、間違いなく滝口様。なぜお姿を」と涙したのである。これは滝口が一人の僧に言わせ、
襖の奥から見つつ「会うは修行の妨げなり」と涙しながら帰したのである。追い返された横笛の落胆はいかほどか。横笛は自分の気
持ちを近くの石に「山深み 思い入りぬる柴の戸の まことの道に我を導け」と指を斬り、その血で書き記したという。滝口入道は、
それからすぐに女人禁制の高野山静浄院へ移った。それを知った横笛は悲しみのあまり南都法華寺で出家、そこで一生を終えたと伝
えられている。横笛の死を聞いた滝口は、いっそう仏道修行に励んだという。




▼からふろ。光明皇后伝説のある蒸し風呂。室町後期に改築、明和三年(1766年)再建。







▼からふろ扁額。







▼からふろの傍らに今も水が溜まる井戸。ムム、誰か写ってますネ。







▼光月亭。






            ▼光月亭駒札。






▼障子の明かり。







▼華楽園。約1,000坪の花園、江戸前期の作庭。四季を通じて花木草花を楽しめると説明されています。






咲いているのは、
▼芙蓉と







▼彼岸花と







▼スモークツリー。これは珍しい、初めて見ました。







▼可愛い小さな花です。名前判りません。







▼この花も名前判りません。花芯に秋の虫が必死で蜜を吸ってます。



今はこのくらいの花達が咲いているだけで、チョット寂しい華楽園でした。





▼ご朱印です。






ご本尊にも会えず、名勝庭園にも入れず、華楽園は寂しい限り、拝観者も二〜三人、少々物足りない法華寺でした。
次は奈良坂まで行きます。花のお寺、あのコスモス寺です。
期待し過ぎで期待はずれはショックが大きい、あんまり期待せんときましょか。





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秋篠寺、諸々の み仏の中の 技芸天 何のえにしぞ われを見たまふ

2016年09月19日 | 奈良の古寺巡り





(2016.09.17訪問)


なんと云っても秋篠寺の天下一品は、技芸天立像ですネ。
端正な顔立ちとプロポーション、顔を左に傾げ伏し目の表情と半開きの口元は女性そのもの、ビーナスの薫り馥郁と流れる柔らかな
天衣のドレープ、間違いなく大和のビーナス。そんなベッピンにまたまた会いにきました。



▼東門。南門が正門と思うんですが、駐車場がこの隣にあるもんでついこちらからの入山になります。





[ 秋篠寺 ]
●寺号 秋篠寺 (あきしのでら)
●宗派 単立
●勅願 光仁天皇 (こうにんてんのう)
●開山 善珠僧正 (ぜんしゅそうじょう)
●創建 宝亀七年 (776年)
●本尊 薬師如来坐像
▲奈良県奈良市秋篠町757 電話0742-45-4600
▲拝観料 500円
▲奈良交通バス「近鉄西大寺北口」から押熊行き、「秋篠寺」下車スグ。
 「近鉄大和西大寺駅」または「平城駅」から徒歩15分
▲通常御朱印はやっていません。大元帥明王立像開扉の6月6日のみ書くそうです。



▼東門からの参道。突き当たりを左へ。





秋篠寺縁起 (秋篠寺パンフより抄出)
奈良時代末期宝亀七年 (776年) 光仁天皇の勅願で善珠僧正が薬師如来を本尊とする寺を造営したのが始まりとされ、平安遷都とと
もに桓武天皇の時に完成を見た。以後真言密教道場として隆盛を極めるも保延元年 (1135年) の兵火で、伽藍の大部分を焼失。鎌倉
以降、復興造営の甲斐もなく明治の廃仏毀釈によって寺域の大半を失い本堂を中心にわずかの堂宇が佇む現在の姿を呈するに至って
いる。



▼きれいな参道でしょう。







▼参道途中左に香水閣という霊水井戸。
 江戸期この井戸で汲まれた水が宮中行事に使われていたとのこと。日頃は門が閉じられていますが毎年6月6日には公開されます。







▼参道のイメージが変わります。







▼右に折れると、両側に緑の絨毯。
 木立のなか一帯は青々とした苔が覆っています。まさに緑の絨毯で荘厳された何とも贅沢で清々しい。金堂跡の礎石が残ってます。



















▼本堂 (国宝)。桁行5間、梁間4間、本瓦葺、寄せ棟造。
 創建当初は講堂として建立。金堂が保延元年 (1135年) の兵火で焼失し、鎌倉時代の修理後本堂と称されています。
 本当に美しいお堂です。屋根形状こそ違いますが新薬師寺の本堂と双璧ではないでしょうか。






           ▼本尊 薬師如来坐像 (重文)。像高139.0cm、檜の寄せ木造、目と唇以外は素地仕上げ、鎌倉後期。
            お顔は目尻がやや吊り上がり螺髪は大きめ、少しばかりご機嫌斜めの感じを受けます。
            素地の木肌が見事に出てます。



            (写真はネットからもらってきました)  




           ▼技芸天立像 (重文)。本堂左端にお立ちです。
            仏像と云う印象は全くなく、人間味豊かな像形と伏し目がちの目の表情は何とも云い難いものがあります。
            写真がないのは説得力がありませんネ。
            像高205.6cm。頭部のみが奈良時代の脱活乾漆造、体部は鎌倉時代の寄木造による補作とはいえ、
            見事な補修テクです。伎芸天彫像は国内ではこの像以外にないそうです。



            (数年前に描きましたペン画です)




▼基壇が濡れ縁を兼ねているようです。







▼いい堂形でしょう。







▼大元堂。本尊 大元帥明王立像 (重文)。秘仏で毎年6月6日に開扉されます。
 桁行三間、梁間三間、桟瓦葺、妻が正面の入母屋造。一間向拝付。向拝は銅板葺きの唐破風屋根ですが、へんな後補ではな
 いかと思うほど見た目シックリ来ません。    













▼境内。







▼開山堂。開山善珠僧正を祀っています。







▼川田順歌碑。タイトルキャッチはこの歌です
          諸々の み仏の中の 技芸天 何のえにしぞ われを見たまふ







▼境内所々に彼岸花が咲き始めています。







▼鐘楼。







▼かみなり石。
 鐘楼横にへんな石があります。昔々秋篠の里には雷がよく落ちたようで、村人は落ちてきた雷さまをこの石に閉じ込めへそを取っ
 てしまったので二度と秋篠寺には雷が落ちなくなったとか。それにしても、へそを隠すのは下界の人間たちのほうと違ったかな?
 雷さまがへそを取られたという話は珍しいと思いません?







▼緑の絨毯に一瞬陽が当たりました。







▼東塔跡の礎石です。







▼南参道。







▼南門。ここから南に行くと西大寺へと続いています。





秋篠寺 オ シ マ イ 
続いては西大寺ではありません、あの著名な尼門跡です。 




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長谷寺、隠国の泊瀬、その山中にデッカイご本尊がお立ちです。

2016年09月12日 | 奈良の古寺巡り





(2016.09.10訪問)


二週続けてのピーカンは余り記憶にありません。迷車大和路号は今日も機嫌良くチンタラ大和路を走っています。
ちょうどいいんです、大和路はまばらに渋滞中なんです。
今日は隠国の泊瀬 (こもりくのはつせ)、その昔清少納言をはじめ平安女性のあこがれ、隠国の泊瀬詣のお寺、長谷寺を訪ねます。
最早隠国のイメージなんてなく、行き違いもままならない細い門前町をクルマがドンドン走っています。時折草餅を焼く香り
が漂うぐらいが古を偲ぶよすがか。平安の昔に草餅を売っていたかどうかは知りませんが。



▼参道向こうに何やら覆屋が……、






[ 長谷寺 ]
●山号 豊山 (ぶさん)
●院号 神楽院 (かぐらいん)
●寺号 長谷寺 (はせでら)
●勅願 聖武天皇 (しょうむてんのう)
●開基 徳道上人 (とくどうしょうにん)
●開創 伝 神亀四年(727年)
●宗派 新義真言宗豊山派総本山
●本尊 十一面観世音菩薩立像 (重文)
▲拝観料 拝観料 500円 朱印300 駐車料500円
▲拝観時間 9:00~17:00 (シーズンにより変動があります。ご注意!)
▲西国三十三カ所観音霊場第八番札所
▲http://www.hasedera.or.jp/
▲奈良県桜井市初瀬731-1 TEL.0744-47-7001
▲近鉄大阪線「長谷寺駅」を下車、徒歩15分
 西名阪自動車道「天理IC] 国道169号線を桜井市内で国道165号線を東進、初瀬西の信号を左折し門前町へ。
 南阪奈道路を突きっきり、橿原市縄手町を左折、スグの国道165号線を東進、初瀬西の信号を左折し門前町へ。



            ▼参道石段脇に寺号石柱。





長谷寺縁起 (長谷寺HPより抄出)
朱鳥元年(686年)道明上人は、天武天皇の銅板法華説相図を西の岡に安置、神亀四年(727年)徳道上人は、聖武天皇の勅を奉じて、衆
生のために東の岡に近江高島から流れ出でた霊木を使い、十一面観世音菩薩をお造りになられました。徳道上人は観音信仰にあつく、
西国三十三所観音霊場巡拝の開祖となられた大徳であり、当山は三十三所の根本霊場と呼ばれてきました。現在の長谷寺は、真言宗
豊山派の総本山として、西国三十三観音霊場第八番札所として、 多くの人々の信仰をあつめています。




▼仁王門 (重文)。ア〜アいきなり覆屋、仁王門は修復中。







▼在りし日の仁王門。(写真は前回訪ねた時の撮影です)






さあ、399段行きましょか。

▼下登廊。上中下の三廊に分かれ108間、399段あります。
 一段高さ約10cm、軽い軽いなんて事は無い事は無い方もいらっしゃるかも。←自分で書いてて意味不明。
 要するに、399段でも一段が低いので、ヘッチャラで上れる方とそうでない方がいらっしゃると云うこと。
 ボクの場合はそうでない方でした。







▼下登廊と中登廊を繋ぐ繋屋。







▼中登廊。







▼中登廊と上登廊を繋ぐ繋屋には蔵王堂が建っています。







▼上登廊。







▼上登廊の右手に常夜灯と宝篋印塔が並んでいます。







▼上登廊石段を上りきると鐘楼。







▼本堂。外観は相当複雑な形をしているお堂です。
 小初瀬山中腹の断崖絶壁に懸造りの南面大伽藍。正面(内陣)は桁行九間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺。
 礼堂(外陣)は桁行九間、梁間四間、正面入母屋造本瓦葺。






            ▼折しも法要読経の最中でした。
             奥に本尊十一面観世音菩薩立像が金網越し僅かに見えますネ。






▼定番床みどり。







▼これも定番、礼堂の床から隠国泊瀬の山並み。







▼舞台から境内を……。







▼振り向けば大扁額。大悲閣と書かれています。






            ▼舞台から撮るこれも「ど」がつく程の定番五重塔。






▼本堂西室に曽我地蔵。大きなお地蔵さん、いいお顔をされてます。






            ▼本堂後堂に祀られている十一面観世音菩薩立像。
             もちろん長谷寺型の観音さんです。






▼本堂西前に大黒堂。







▼ガラス越しの本尊大国さん。空海さん作と伝わるそうですが、これはないでしょう。
 チョット気色悪い笑い、そう思うのはボクだけか。







▼本堂西の石段を下りると、長谷寺開山徳道上人を祀る開山堂が正面に。







▼徳道上人です。







▼弘法大師御影堂。宗祖弘法大師遠忌1150年記念で昭和五十九年(1984年)建立。
 方五間、宝形造、檜皮葺、一間向拝付。外縁に高欄を設けた瀟洒なお堂です。













▼少し南に参道を行くと本長谷寺、お堂が一つ建ってます。
 道明上人が朱鳥元年(686年)天武天皇病気平癒を願いの銅板法華説相図をこの地に安置。
 この地こそが小初瀬山中「西の岡」と呼ばれている所だそうです。







▼扁額です。







▼黄金に輝く本尊銅板法華説相図、もちろんレプリカです。







▼本長谷寺後ろの小高い丘に一切経堂。
 方三間、宝形造、本瓦葺。豪華な宝珠がテッペンにのせられています。







▼最近補修修復されたのできれいなお堂です。






            ▼さて五重塔にやってきました。青空に映えてますネ、キレイですネ。
             昭和二十九年(1954年)建立。屋根は檜皮葺。





















▼初層正面の仏堂カラーは朱、白、緑、黄。







五重塔から南へ蓮華谷に沿って奥之院への参道が続きます。

▼奥之院への道。                          













▼石仏が集められています。






            ▼真言宗豊山派派祖、専誉上人墓。






奥之院菩提院に到着。

▼正堂の興教大師堂。新義真言宗宗祖興教大師覚鑁(こうぎょうだいしかくばん)上人をお祀りしています。







▼扁額です。







▼礼堂の陀羅尼堂。







最後に本坊へ廻りましょう。

▼本坊参道。







▼山門です。







▼写真では判りませんが、八棟あります(重文)大講堂、大玄関、庫裏、奥書院、小書院、護摩堂、唐門、勅使門。
 まさに大寺院の風格、凄い貫禄ですネ。







▼大玄関から奥を見ます。もちろん中へは入れません。







▼本坊から谷を隔てて本堂を遠望。             







 





▼ロングで引っ張ってみました。本堂右は鐘楼と上登廊です。 

               





▼この参道を下り登廊に合流。







▼登廊と本堂です。







▼入山受付の横に放生池。前は亀が大勢いたのですが今日は見ませんでした。







▼彼岸花が咲き出してます。







                ▼デッカイポスターが本堂前に掲示されてます。



                今、本尊十一面観世音菩薩立像の足元に近づける特別拝観実施中。
                ●期間 8月26日(金)~12月4日(日)
 
                ●時間 午前9時~午後3時30分
 
                ●料金 1000円(入山料別途)

                高いか安いかは信心次第。ボクはスルーしました。



▼御朱印です。






地形的には隠国の泊瀬とよく云ったもので、周りは総て山、こんな所によく伽藍を造ったもんだわいと感心しつつ境内を廻りました。
人気のお寺なんですネ、結構な参拝者で賑わっていましたヨ。
またも長々と最後までご覧いただきありがとうございました。
隠国の長谷寺 オ シ マ イ





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