土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

善峯寺、アップダウンに挑戦ダ〜〜〜〜。

2018年03月26日 | 京都の古寺巡り





(2018.03.24訪問) 


新大和路号は観音霊場第二十番札所「善峯寺」をめざして久々に京西山の細〜い山道を走っています。西山古道で結ばれている西山
三山の一つ「善峯寺」はこの界隈の地域一番寺と申しましょうか、とにかく境内が広い、堂塔伽藍が多い、お堂開けっぴろげ、景観
が非常に結構、歴史もそこそこ、難点はアップダウンが急でシンドイ。しかしお寺を愛する人々にとってはこの上なく充実感が味わ
える、いいじゃないですかお寺の一つだと思います。相当な山中にもかかわらず参拝者の多さはさすがに札所、細〜い山道の終点に
は観光バスが数台停まってました。            

※アホほど写真が多いです。アホらしなったらスルーしてくださいネ。見すぎると目が故障しますよ。ちなみにボクは目医者通い中。





▼山門。三間一戸、重層楼門、正徳六年 (1716年)建立。







[ 善峯寺 ]
●山号 西山(せいざん)
●寺号 善峯寺 (よしみねでら)
●開基 源算上人 (げんさんしょうにん)
●開創 長元二年 (1029年)
●宗派 天台宗単立
●本尊 千手観世音菩薩立像
▲拝観料 500円 朱印300円 駐車料500円
▲拝観時間 8:00~16:45
▲西国三十三カ所観音霊場第二十番札所
▲京都市西京区大原野小塩町1372 Tel.075-331-0020
▲http://www.yoshiminedera.com/

▲阪急京都線「東向日」から阪急バス66番 善峯寺行終点「善峯寺」下車 徒歩8分
 京都縦貫道「大原野IC」から約15分





▼山門扁額。軒の組み物の先端が白塗りされているので、扁額白文字と喧嘩、チト読みにくい。


 





善峯寺縁起 (善峯寺HPから抄出)
源算上人は比叡山横川の恵心僧都に師事して、四十七歳で当山に入り、御自作の千手観音を本尊として奉安。長元七年 (1034年) 後
一条天皇より鎮護国家の勅願所として「良峯寺」の寺号が下賜。建久三年 (1192年) 後鳥羽天皇より「善峯寺」の宸額が下賜。以後
白河天皇や後花園天皇により伽藍寄進整備がなされ皇室の崇敬をうけました。鎌倉時代には慈鎮和尚や証空上人が住職を勤め、多く
の親王が籠居され、室町時代には僧坊五十二に及びますが、応仁の乱で焼失、江戸時代に徳川綱吉の生母桂昌院を大檀那として鐘楼、
観音堂、護摩堂、鎮守社、薬師堂、経堂が復興されました。





▼阿形金剛力士。







▼吽形金剛力士。



仁王さんの部屋はガラス張りのため写り込み酷し、金網だったら奥の手があるんですがネ。





▼山門の初層格子天井。絵の痕はないようです。







▼こうして見ると中々雄大な山門ですネ。







▼山手のお寺の梅はまだまだの感じ。







▼山門を潜ると一直線に本堂への石段。







▼本堂前の手水舎。







▼本堂です(木札には観音堂と書かれています)。
 桁行五間、梁間五間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付。後堂が付属してます。元禄五年 (1692年) 再建。
 本尊 千手観世音菩薩立像ですが秘仏 像高178.8cm、木造漆箔、平安後期。







▼本堂前面。







▼扁額は本尊名。







▼内陣奥須弥壇に豪華なお厨子。中に秘仏の本尊がおられるのでしょうが、しかしお前立ちもいないぞ。







▼傳教扁額と天蓋。







▼本堂外縁で黙々とお供えを活ける僧侶。







▼本堂。







▼一見、三〜四分咲き。







▼鐘楼(厄除けの鐘)。貞享三年(1686年)綱吉の厄年で桂昌院寄進。







▼護摩堂。本尊五大明王。三間四方、宝形造、桟瓦葺、元禄五年(1692年)桂昌院寄進。







▼護摩堂扁額。







▼五大明王が祀られた須弥壇、中央不動明王。最近の作でしょうかフィギアを見てるようです。







▼樹齢600年以上と云われる遊龍の松。幹長37mだそうで、太い幹は確かに龍を思わせます。







            ▼多宝塔 (重文)。石積み基壇に1mほどの床つき、塔形素晴らしく美観、ナイスな塔です。
             元和七年(1621年)建立。本尊 愛染明王。入口ガラス張りのため内部は反射で全く見えません。







▼多宝塔の隣に経堂。宝永二年(1705年)建立。桂昌院寄進。







▼経堂前面。







▼傅大士 (ふだいし) を奉安。後ろは輪蔵、鉄眼版一切経が収められ……、







▼周囲には絵馬が狭しと並んでいます。







▼開山堂への道は右手が崖になり京都市街の眺望が広がります。京都タワーが見えますが判ります?







▼開山堂。貞享二年(1685年)建立。開山源算上人廟所です。







▼開山堂扁額。







▼極めてシンプルな堂内。お厨子の中に開山源算上人117歳の像が祀られてるそうです。







▼開山堂の隣崖上に幸福地蔵。







▼幸福地蔵のデッキから見渡すコレ紫陽花苑なんです。シーズンには凄いことになるそうですヨ。







            ▼善峯寺の大檀那、桂昌院 (綱吉の生母) の遺髪を納めた墓所。
             宝永二年(1705年)建立。







▼鎮守社の前を通って……、







▼この石段を上って釈迦堂へ。







▼釈迦堂。桁行三間、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付。







▼釈迦堂扁額。







▼釈迦堂内陣の様子。







▼釈迦堂内陣扁額。237世天台座主石室孝暢師揮毫。







▼釈迦堂本尊石像釈迦如来坐像。伝源算上人刻。お腹に横一線の継ぎ目が見えますネ、何か由緒でも?







▼本尊のお顔アップ。







▼薬師堂への参道。石段の先には薬師堂。紅梅がきれいでした。







▼境内最高所に建つ薬師堂。本尊 薬師如来立像。
 桁行三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付、元禄十四年(1701年)建立。







▼扁額。







▼本尊薬師如来立像、薬師三尊の理想的なカタチ、左右に日光、月光菩薩立像。







▼薬師堂からの市街眺望、一番高い山は比叡山。







▼薬師堂裏手に、開山源算上人建立の蓮華寿院旧地を利用した池泉庭園。













▼池の前には集められた石仏が並んでます。







▼けいしょう殿。







▼なに想う桂昌院さん、生まれ育った京の町を眺めながら。







            ▼聖観音の微笑み。







            ▼風に揺れてる青蓮の滝。







▼鎮守社稲荷大明神。







▼阿弥陀堂は工事進捗中。







▼高低差抜群?の境内巡りいよいよオシマイ。この参道上りか、平坦か、下りか、さて形状は?







▼やれやれやっと本堂前に戻ってきました。   







▼ご朱印です。







境内は広く数多い堂宇伽藍は山肌斜面にそって散在、それぞれを繋ぐ参道は高低差かなりのハードな境内です。このお寺、西国観音
霊場第二十番札所ですが、肝心の本尊千手観世音さんは秘仏のため会うこと不可、お前立ちもいないお厨子だけが目立つ内陣須弥壇、
霊場巡りの巡礼者の方々は何に手を合わせばいいのでしょう、お厨子の中にご本尊はお立ちとは云え、不満はないのでしょうか。
人ごとながら気になった善峯寺でした。

善峯寺 オ シ マ イ 。





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即成院、浄土オーケストラが演奏中です。

2018年03月23日 | 京都の古寺巡り





(2018.03.17訪問) 


泉涌寺道の取っ掛かり、総門の手前左側に山門を開けているのが即成院。もちろん泉涌寺の塔頭寺院ですが、このお寺、特に見逃せ
ない仏像群が待ってますヨ。阿弥陀二十五菩薩来迎図を立体にした阿弥陀如来を中心に左右に二十五体の菩薩群です。それぞれが持
物の楽器を奏で衆生を極楽浄土へ導いてくれる、阿弥陀さんがコンダクター、まるで浄土オーケストラ演奏の佳境です。





▼山門。







[ 即成院 ]
●山号 光明山(こうみょうさん)
●寺号 即成院(そくじょういん)
●開基 伝 恵心僧都 (えしんそうず)
●開創 伝 正暦三年(992年)
●創建 橘俊綱
●開創 寛治元年(1087年)
●宗派 真言宗泉涌寺派
●本尊 阿弥陀如来坐像
▲拝観料 500円 朱印300円 駐車場 無料
▲拝観時間 9:00~17:00
▲京都市東山区泉涌寺山内28 Tel.075-561-3443
▲http://www.negaigamatoe.com
▲京都市バス「泉涌寺道」下車 徒歩約7分
 京阪電車「七条駅から市バス(208)にて泉涌寺道下車、徒歩7分
 JR「東福寺」駅下車 徒歩10分
 名神高速「京都南&東インター」より約15分
 阪神高速8号京都線「鴨川西出口」より約5分





▼山門を入ると正面に地蔵堂。


 





即成院縁起 (即成院HPから抄出)
即成院は伏見長者と称された橘俊綱の創建で、元伏見大亀谷に所在したが明治維新の廃仏毀釈で無住となる。そのため泉涌寺塔頭で
本寺の法安寺と合併し、明治35年(1902)現在地で再興された。本尊木像阿弥陀如来坐像並びに二十五菩薩坐像は藤原期の造顕で、
観音勢至をはじめ歌舞音曲のすべてが揃い、阿弥陀来迎の歓喜をまのあたりに想わせる御姿の仏像で現存例は他にない。





▼本堂。桁行三間、梁間三間、重層入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。正徳2年 (1712年) 建立。







▼本堂前面。







▼本堂内陣の様子。







▼本尊阿弥陀如来と二十五菩薩 (重文)。
 観音菩薩、勢至菩薩を先頭に阿弥陀如来と菩薩が来迎する阿弥陀二十五菩薩来迎図の立体編とでも申しましょうか、本尊阿弥陀如
 来を中心に左右に二十五菩薩が並ぶ様は壮観です。中尊像高5.5m、二十五菩薩それぞれ像高1.5m。







            ▼本尊阿弥陀如来坐像。像高5.5m、木像、平安時代、仏師は伝定朝一派。







▼普通のワン公が二匹。狛犬ではないんです、空海さんを高野山へ導いたワン公らしいです。奥の像が空海さんです。







▼動のワン公は阿形でしょう。







▼静の吽形ワン公。







▼美肌祈願碑。ヤマノビューティの美道五原則を通して美肌祈願がされてる球体だそうです。
 女性の皆さん、ジャンジャン球体に触れて美肌祈願をしてください、球体はまさしく美肌、ツルツルです。
 お寺と美肌? ウ〜ンようわからん。







            ▼波切り不動明王。







            ▼この方はよく判りません。







▼屋島合戦のヒーロー那須与一の墓。高さ3m、石造、平安末期。
 義経の配下として平氏との一戦、屋島での戦いで瀕死の平氏が掲げる軍船船首の竿先の日輪扇を見事に射落とした逸話の主人公那
 須与一の墓と伝わる供養塔。以後与一はここ即成院で庵を結び、ここで没したと伝わるそうです。







▼庫裡です。







▼ご朱印。







整然と並んだ二十五菩薩が奏でる浄土の調べ、そんな状況を思い浮かべながらお一人お一人のお顔をジックリ眺める。すると堂内に
幽かに何とも云えない調べが奏でられ出した、浄土の調べとはこれか、不思議な楽器の音色が身を包むように柔らかく、あるかなし
かのリズムとハーモニィが堂内を幽洩、ああこれが浄土オーケストラの調べなのか。フッと気が付くともちろん堂内は無音。
時にはこんな演出をしてみたら如何、即成院さん。
即成院オシマイ。





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今熊野観音寺、ボケ封じ観音に願いが伝わるでしょうか。

2018年03月20日 | 京都の古寺巡り





(2018.03.17訪問) 


御寺泉涌寺の子院の一つに、ボケ封じ観音がいらっしゃる今熊野観音寺というお寺があります。
西国観音霊場十五番札所今熊野観音寺の十一面さんは、ボケ封じに霊験新たかな本尊としてご利益大との噂。「ボケ」という言葉が
やたら現実味を帯びる今日この頃のワタクシ、近畿ボケ封じ観音霊場一番札所でもある今熊野観音寺の十一面さんに会ってとことん
触ってやろうじゃないかと、大和路号でスッ飛んで来た次第であります。            
霊験新たかでありますように……合掌。





            ▼泉涌寺道の道筋に、いまくまの道標。この坂を下って行きます。







            [ 今熊野観音寺 ]
            ●山号 新那智山(しんなちさん)
            ●寺号 今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)
            ●勅願 伝 嵯峨天皇 (さがてんのう)
            ●開基 伝 弘法大師空海 (こうぼうだいしくうかい)
            ●開創 伝 大同二年(807年)
            ●宗派 真言宗泉涌寺派
            ●本尊 十一面観音菩薩 (秘仏)
            ▲拝観料 無料 朱印300円 駐車場 無料
            ▲拝観時間 8:00~17:00
            ▲京都市東山区泉涌寺山内 Tel.075-561-5511
            ▲西国三十三カ所観音霊場第十五番札所
            ▲http://www.kannon.jp/enkaku/index.html
            ▲京都市バス「泉涌寺道」下車 徒歩約10分
             京阪電車「東福寺」駅下車 徒歩約15分
             JR「東福寺」駅下車 徒歩約15分





▼やがて赤い橋が見えます、鳥居橋です。
 今熊野観音寺と泉涌寺の間を流れる川を今熊野川といい、その川を越えるのが鳥居橋です。


 





今熊野観音寺縁起 (今熊野観音寺HPから抄出)
弘法大師が東山山中で熊野権現から一寸八分の十一面観世音菩薩像与えられ、この地に一堂を建立、一尺八寸の十一面観世音菩薩像
を刻んで、授かった一寸八分の像を体内仏として納め、奉安されたのが当山のはじまりです。そのご後白河上皇がこの地に熊野権現
を勧請され、当山のご本尊を本地仏として定められ、「新那智山」の山号を賜りました。後白河上皇は持病の頭痛を当山の観音夢告
で平癒されたので、爾来世の人々からも頭痛封じの観音様として尊崇されるようになりました。





            ▼この寺号石は高価そう、なんと云っても黒御影ですもんね。







▼参道石段を左に曲がると……、







            ▼お大師さんが子供達に慕われてます。







▼本堂。本尊十一面観音立像 (秘仏)
 堂形の優れた本堂ですネ、観音浄土にはひよっとしてこんな楼閣が軒を並べているのかも。
 桁行三間、梁間三間、重層入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。正徳二年 (1712年) 建立。







▼内陣目の前に大提灯。直径1mはあろうかと。







▼半端じゃない内陣の荘厳。チョット見にくいですが、欄間の浮き彫りの彩色がスゴイ!







▼豪華絢爛天蓋。金色燦然の瓔珞、一体何個ぶら下がっているのでしょうネ。







            ▼本尊お前立ちの十一面さん。
             お前立ちとは云え豪華な宝冠や胸飾には目を見張ります。
             裙はキレイに金泥が残っていますが躰部は剥げ落ち黒漆そのまま。
             キンピカの光背に像姿がよく判ります。







▼本堂。右上は多宝塔。







▼鐘楼。







            ▼この方がボケ封じ観音さん。







▼大師堂。本尊弘法大師空海。三間四方の宝形造、本瓦葺。







▼大師堂前面。入堂は出来ません。







▼よく目立つ提灯です。







▼少々ご機嫌斜めの空海さんが祀られてます。







▼揺らぎ。







▼石仏集合。







            ▼五重石塔。







▼かつては要路に建てられていたんでしょう。







▼鎮守の稲荷社と、







▼熊野権現社。







▼境内の山手をぐるっと回る西国観音霊場の参道。この道を少し行くと多宝塔へ。







▼多宝塔。
 この塔は医聖堂と称し、医と宗教により健全社会が築かれるようにとの願いが込められているそうで、昭和五十九年
  (1984年) 建立。







▼上層の組み物。







            ▼相輪です。宝珠受け花が三重、他塔では中々見ることが出来ませんヨ。







▼講堂。







▼一輪椿。







▼寺僧から「多宝塔から東寺の五重塔が見えますヨ」確かに見えました、上層だけ。
 300ミリの限度、これ以上引けません。







お寺は祈りと精神の聖域として清浄な空気が流れてる空間、そんな空間にただ一人佇立する観音菩薩に多くの人が祈りを捧げていま
す。お経を唱える人、ただ手を合わせている人、ジッと見つめる人、そして体の一カ所を触り続ける人、ひと様々に自分の思いをこ
の観音さんに向けています。どんな悩みがあるのかは判りませんが、人々の手を合わせると云う崇高な姿をボクは暫く見惚れていま
した。

今熊野観音寺オシマイ、次はお隣のお寺を訪ねます。





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金地院、京都にも東照宮が有るんですヨ。

2018年03月13日 | 京都の古寺巡り





(2018.03.10訪問) 


京都市中の寺院拝観には絶対にクルマでは行かない、と常々思ってはいたんですが、なにを狂ったのか気が付くと新大和路号は第二
京阪を走っているでは有りませんか。案の定三か寺訪問の予定が、金地院のみの拝観に終わりました。南禅寺の駐車場は大きくユト
リが有ったんですが、他の二か寺はお寺の駐車場満車、近くの駐車場満車。早々の帰宅になった次第であります。よくよく考えりゃ、
他のお寺を訪ねりゃいいのにネ。余りの早い帰宅に、女房曰く「どうしたん、どこか悪いの!」




▼総門。







[ 金地院 ]
●寺号 金地院 (こんちいん) 南禅寺塔頭
●開基 足利義持(あしかがよしもち)
●開創 応永年間(1394~1428年)
●中興 以心崇伝 (いしんすうでん)
●宗派 臨済宗南禅寺派
●本尊 地蔵菩薩
▲拝観料 拝観料 400円 朱印300円
▲拝観時間 8:30~17:00 (冬期12月~2月8:30~16:30)
▲京都市左京区南禅寺福地町86-12 TEL.075-771-3511
▲地下鉄東西線「蹴上」下車、徒歩10分





▼総門を入ると……、







金地院縁起 (金地院パンフレットから抄出)
金地院は応永年間(1400年頃)に南禅寺68世住持大業徳基禅師によって京都北山の鷹ヶ峯創建されたのが始まりとされ、慶長10年(16
05年)には現在の地に移り、その年南禅寺住持となった以心(金地院)崇伝は、徳川家康の信任を得、金地院を南禅寺塔頭として復興再
建した。寛永3年(1626年)には大規模な再建工事に着手、小堀遠州らの協力を得て方丈、東照宮を始め枯山水庭園を整備、寛永7年(1
630年)頃完成した。寛永10年(1633年)65歳で遷化、遺骨は開山堂に眠っている。





▼正面に庫裡。







▼左手に明智門。方丈へと向います。
 天正10年(1582年)明智光秀が大徳寺に建立した門で明治初年に移築されたそう。







▼弁天池。中之島に弁財天が祀られています。                   













▼方丈 (重文)。方丈前庭へは下りることは出来ないので全景が撮れません。
 伏見桃山城遺構を移築、他説有り。各部屋の襖絵は狩野探幽、尚信の筆。







▼方丈の扁額「布金道場」山岡鉄舟書。







▼外縁。各部屋はまさしく座敷牢、部屋中は廊下から覗くのみ。







▼方丈室中の間。中央奥に本尊地蔵菩薩が祀られています。







            ▼小書院の襖絵、長谷川等伯の「猿猴捉月図」超有名な手長エテコウの画ですネ。
             小書院は通常拝観出来ません。



            (写真はネットからもらってきました)





▼名勝鶴亀の庭園への回遊路。







▼鶴亀の庭園(方丈前庭)。小堀遠州作庭の特別名勝庭園。              
 江戸初期の代表的な枯山水庭園。中央に遥拝石が置かれ、左に亀島、右に鶴島を配し、遥拝石の奥が深山幽谷、蓬莱山となり、前
 面は白砂で海洋が描かれている。中央の大きな平面石が東照宮の遥拝石。







▼鶴島。







▼亀島。







▼鶴亀の庭園







▼開山堂。中興以心崇伝の廟所。







▼開山堂内。正面に後水尾天皇の勅額、左右に十六羅漢像が安置され、奥中央に崇伝像が祀られています。







▼奥に祀られる以心崇伝像。     







▼長じて何かを成し遂げた、若かりし頃の精悍な顔でしょうか。







                ▼狩野探幽が描いた以心崇伝図。
                 相当仰々しいですがやはり名僧たる由縁は感じます。



                (写真はネットからもらってきました)





▼十六羅漢像の一部。







▼東照宮への参道。







▼東照宮門。外の道路側から見た門でこちらから入山は出来ません。







▼東照宮の扁額がかけられています。







▼御成門。この門が東照宮の中門の役割ではないでしょうか。正面が東照宮拝殿。







▼東照宮拝殿 (重文)。総漆塗り、寛永5年建立。







▼前面の総漆塗りの面影は僅かに残るのみ、漆塗りのはげ具合から江戸期の建物とは到底思えませんネ。







▼軒下に懸け仏。神式建物に懸け仏、どういう意味が込められているのでしょう。







▼拝殿天井画は鳴き龍、狩野探幽の筆。架かる三十六歌仙額は土佐光起の筆。当時の超一流が参画、かかる経費も超一流でしょう。







       





▼須弥壇上お厨子。







▼東照宮拝殿。







▼東照宮本殿 (重文)。家康の遺嘱で家康の遺髪と念持仏を奉斎し、左拝殿、中石の間、右本殿は京都に遺る唯一の権現造
 り様式だそうです。







▼ではでは入れない楼門を横目に見て金地院お暇です。







金地院崇伝のこと
南禅寺の塔頭の一寺院とは言え、臨済禅を伝える一流派を唱えてもおかしくない立派な古刹です。金地院崇伝、江戸のタヌキの腰巾
着と一部伝えていますが、なかなかどうして南禅寺中興の祖としては大した仕事を成した僧侶で、ただ江戸のタヌキのブレーンとし
てそれをバックに目的の為に強引な手法で政治をも動かし、僧侶としての枠を超えての生き様が、善悪両評価を与えられたんではな
いでしょうか。





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長谷寺、像と画、二躰の本尊がお目見え。

2018年03月06日 | 奈良の古寺巡り





(2018.03.03訪問) 


新大和路号は南阪奈道から165号線を隠国初瀬の地、長谷寺を目指して例によりチンタ〜ラ走っております。
今、長谷寺で日本最大の掛け軸がご開帳されているんです。室町時代に罹災した本尊十一面観世音菩薩立像を復興修造するため設計
図として作られたと伝わる原寸大の掛け軸のご開帳です。聞いて驚き、見てビックリ! なんと軸長16m余りの大きさなんです。軸の
体裁なので軸なんでしょうが、余りにも大きくどんな使い方をしたのか、大いに興味がそそられます。



            ▼大観音大画軸大開帳ポスター。今日の長谷寺拝観は、コレがメイン。







            [ 長谷寺 ]
            ●山号 豊山 (ぶさん)
            ●院号 神楽院 (かぐらいん)
            ●寺号 長谷寺 (はせでら)
            ●勅願 聖武天皇 (しょうむてんのう)
            ●開基 徳道上人 (とくどうしょうにん)
            ●開創 伝 神亀四年(727年)
            ●宗派 新義真言宗豊山派総本山
            ●本尊 十一面観世音菩薩立像 (重文)
            ▲拝観料 拝観料 500円 大講堂特別拝観500円 朱印300 駐車料500円
            ▲拝観時間 9:00~17:00 (シーズンにより変動があります。ご注意!)
            ▲西国三十三カ所観音霊場第八番札所
            ▲http://www.hasedera.or.jp/
            ▲奈良県桜井市初瀬731-1 TEL.0744-47-7001
            ▲近鉄大阪線「長谷寺駅」を下車、徒歩15分
             西名阪自動車道「天理IC] 国道169号線を桜井市内で国道165号線を東進、初瀬西の信号を左折し門前町へ。
             南阪奈道路を突きっきり、橿原市縄手町を左折、スグの国道165号線を東進、初瀬西の信号を左折し門前町へ。





            ▼参道前の寺号石碑。







長谷寺縁起 (長谷寺HPから抄出)
朱鳥元年(686年)道明上人は、天武天皇の銅板法華説相図を西の岡に安置、神亀四年(727年)徳道上人は、聖武天皇の勅を奉じて、衆
生のために東の岡に近江高島から流れ出でた霊木を使い、十一面観世音菩薩をお造りになられました。徳道上人は観音信仰にあつく、
西国三十三所観音霊場巡拝の開祖となられた大徳であり、当山は三十三所の根本霊場と呼ばれてきました。現在の長谷寺は、真言宗
豊山派の総本山として、西国三十三観音霊場第八番札所として、 多くの人々の信仰をあつめています。





▼参道。







▼仁王門。







▼仁王門扁額。







▼仁王門。







▼登廊 (のぼりろう)。108間、399段、上中下の三廊に分かれてる。長歴3年 (1039年)建造。







▼下登楼から中登楼へ。







▼399段上りきるとそこに鐘楼。







▼下から梵鐘を見ます。







▼鐘楼横に本堂、コレは側面です。







▼とてつもなく大きい本堂扁額。舞台側に掲げられています。







▼本堂礼堂定番の床緑は時期早尚、あとひと月お待ちを。







▼奥に本尊十一面観世音菩薩立像 (重文) が金網越し僅かに見えます。像高10.18m、木造、天文7年(1538年)再興。
 通常の十一面観音像と異なり、右手に数珠と地蔵菩薩が持つ錫杖を持ち、左手に通常の十一面観音像と同じ水瓶を持っている姿で
 す。錫杖を持った十一面観音は「長谷寺式十一面観音」と呼ばれています。







▼奉納額がコレでもかと、とにかくイッパイ。







▼大舞台。







▼そよぐ五色幕。







            ▼舞台から五重塔遠望。







▼舞台から本坊遠望。今日目指す開帳会場はこの本坊で。







▼本堂 (国宝)。桁行9間、梁間5間、正面入母屋造本瓦葺。
 正堂(内陣)と礼堂(外陣)とで構成された非常に複雑な建築法を用いている建物です。







▼開山堂。方3間、宝形造、本瓦葺。







▼開山堂内陣。長谷寺開山徳道上人をお祀りしています。







▼弘法大師御影堂。方5間、宝形造、銅板葺、1間向拝付。宗祖弘法大師をお祀りしています。







▼本長谷寺。桁裄3間、梁間3間、入母屋造、本瓦葺、1間向拝付。
 天武天皇勅願で道明上人がここに精舎を造営したことから、今の本堂に対し本長谷寺と呼んでいる。朱鳥元年 (686年)道明上人
 は天武天皇の御病気平癒のため「銅板法華説相図」を鋳造、本尊としてお祀りされた。







▼本長谷寺内陣。正面に本尊銅板法華説相図が祀られています。







▼ 銅板法華説相図。







▼一切経蔵。方3間、宝形造、本瓦葺。残念ながら内部は窺うことは出来ません。







▼一切経蔵扁額。







            ▼五重塔。塔高 31.39m、桧皮葺、昭和29年( 1954年)建立。
             塔身の丹色と相輪の金色、檜皮葺屋根の褐色は、周辺によくマッチしています。







▼2層目の高欄のグリーンは補色の美。







            ▼五重塔。







            ▼相輪。







            ▼五重塔。







            ▼相輪トップ。水煙デザインがよく判りますネ。







            ▼五重塔。







▼五重塔から少し行くと納骨堂が建ち、ズンズン進むと道は奥の院へと続きます。







奥の院です。奥の院は祖師堂を正堂、陀羅尼堂を礼堂、合わせ菩提院と称しています。

▼興教大師祖師堂。方3間、宝形造、本瓦葺。両脇は格子の蔀戸。







▼祖師堂扁額。







▼祖師堂前面。







▼祖師堂内陣須弥壇。中央に立派なお厨子が置かれ中に覚鑁さんが祀られているのでしょうか。







▼祖師堂。







▼陀羅尼堂。







▼陀羅尼堂扁額。







さて今日の本番、本坊へ向かいます。

▼本坊山門。







▼中心伽藍から少し離れたところ、本坊だけでも一寺院の風格。







▼本坊玄関。本坊は根本道場である大講堂や書院などで構成されています。







▼この軸が長谷寺観音大画軸。
 明応4年 (1495年)に罹災した本尊十一面観世音菩薩立像を復興修造するため設計図として作られたと伝えられ、本尊十一面観世
 音菩薩立像とほぼ原寸大に描かれているそうです。
 この写真では大きさが判りませんよネ。







▼ならばと大講堂に斜めに寝かして開帳展示されています。大きいでしょう、大講堂でも見え方はこれが精一杯。
 高さ1646.6cm、横幅622.6cm、重量125.5kg、日本最大の掛軸。







▼上半身の部分。







▼本坊仏間の本尊阿弥陀如来坐像。







            ▼脇壇の宗祖興教大師覚鑁上人像。







▼悠然とそよぐ吹き流しを仰ぎながら今日の長谷寺予定終了。







▼ご朱印です。







聞きしに勝る大きな画軸でした。コレだけの長尺軸を懸けて眺められる堂宇があったのかどうか疑問が残ります。罹災した本尊復興
修造のための設計図とは言え、巻いて保管だけでは余りにも勿体ないし、ましてや衆生に常時公開してこその本尊軸。余りの大きさ
に疑問も大いに膨らむ大画軸でした。皆様も一度ご覧になってはいかが、お値打ちですヨ。





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