土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

長谷寺、ご本尊十一面観音菩薩はさすがに大きいですよ。

2013年01月29日 | 奈良の古寺巡り


(2013.01.27訪問)

小初瀬山中腹の広い境内に伽藍堂宇の甍が並ぶ様は迫力満点。豪快な山岳寺院長谷寺の冬は初めてです。
春夏秋は全山とりどりの色に染まる花の御寺も、今は色気なく少々寒々しい感じが否めません。唯一寒牡丹
の赤、紅、白の優雅な姿を期待してやってまいりましたが、藁帽子の中は既に花弁が落ちた牡丹が多く、咲
いている株は少なかったです。

▼かの有名な長谷寺の寒牡丹。




●山号 豊山 (ぶさん)
●院号 神楽院 (かぐらいん)
●寺号 長谷寺 (はせでら) 正式には豊山神楽院長谷寺
●宗派 真言宗豊山派総本山
●開基 道明上人 (どうみょうしょうにん)
●開創 朱鳥元年 (686年)
●開山 徳道上人 (とくどうしょうにん) 神亀四年 (727年)
●本尊 十一面観音菩薩立像
●西国三十三カ所観音霊場第八番札所

長谷寺縁起
道明上人が天武天皇病気平癒を願い、初瀬の西の岡に銅板法華説相図を安置したのが初 (現本長谷寺の地)。
神亀の年、徳道上人 (とくどうしょうにん) が聖武天皇の詔勅で、東の岡 (現本堂の地) に十一面観音菩薩立像
を祀り当山を開山。

▼参道前に立つ寺標。




▼参道。




▼仁王門 (重文)。
重層楼門、三門一戸、入母屋造、本瓦葺、両脇に仁王像、楼上に十六羅漢を安置。明治十八年(1885年) 再建。




▼仁王門扁額。長谷寺の文字は、後陽成天皇の宸筆。




▼寒牡丹。




▼下登廊 (重文)。



上中下の三廊で全段399段、108間。二間おきに長谷型の灯籠が吊るされています。


▼中登廊 (重文)。




▼寒牡丹。




▼上登廊 (重文)。




▼鐘楼 (重文)。




▼寒牡丹。




▼手水舎。




▼本堂 (国宝)。本坊から見た本堂。正堂と礼堂で構成されています。
正堂、桁行九間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺。
礼堂、桁行九間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。
南面は入母屋造りですが、屋根の構成は八ツ棟造りと云われ非常に複雑な形状です。小初瀬山中腹に建造さ
れた南面する大伽藍です。




▼本堂東口。入堂はこちら左から。




▼礼堂舞台側に大扁額。大悲閣と揮毫されています。




▼本堂。初瀬川の天神橋からの遠望です。




▼本尊十一面観音菩薩立像 (重文)。
像高1,018cm、木造、大仏師運宗作、室町時代天文七年 (1538年)造立。我が国最大の木造仏。
右手に錫杖、左手に水瓶を持ち大盤石に立つ、長谷寺式十一面観世音菩薩。長谷信仰の根本仏像。



写真は堂外舞台から撮ってます。


▼正堂で朝の法要。
色々の由緒伝承に彩られた本尊十一面観音菩薩立像はさすがに大きく、その前での朝法要の読経は、内容は
サッパリですが冬の朝の鋭利な山の空気を振るわせながら緊張感を添えて流れていました。



写真は堂外舞台から撮ってます。


▼礼堂板の間。春夏秋の定番アングル。今は色気なし。




▼舞台方向を見る礼堂板の間。




▼奉納額がイッパイ!賑やかな天井や長押。




▼本堂からのこれまた定番の五重塔を狙いました。




▼舞台からの眺望。




▼懸造 (舞台造)。




▼寒牡丹。




▼愛染堂。




▼次に三社権現です。




▼三社権現。




▼大黒堂。




▼次に開山堂。




▼開山堂。徳道上人をお祀りしています。方三間、宝形造、本瓦葺。




▼開山堂須弥壇、徳道上人のお像です。




▼寒牡丹。




▼次に御影堂。




▼御影堂。開祖空海さんをお祀りしています。
方五間、宝形造、銅板葺、総檜造、昭和五十九年(1984年) 建立。
以前は入堂出来ましたが、いつ頃からか禁止になったようで。




▼寒牡丹。




▼次に一切経堂。




▼一切経堂。現在堂宇修復、参道工事のため近づくことはできません。




▼次に本長谷寺。




▼本長谷寺。由緒正しき長谷寺の本願地。




▼本長谷寺扁額。




▼本長谷寺内陣。中央が銅板法華説相図 (国宝) のレプリカです。




▼銅板法華説相図 (国宝)。縦83.3×横74.2cm、銅造。白鳳時代。



道明上人が天武天皇病気平癒を祈願して朱鳥元年 (686年) に鋳造、この地の石室に安置したと伝えています。
地中より三重宝塔が湧出し、千仏が雲集して釈迦説法を賛嘆する法華経見宝塔品の場面をレリーフで表した
もの。下段には319文字での造立願文を載せ、長谷寺の草創について語る唯一の遺品だそうです。


▼次に五重塔。




▼五重塔。




▼法要を終えて本坊へ帰る (と思いますがわかりません) 若い僧達。




▼奥之院祖師堂。新義真言宗開祖、興教大師覚鑁 (かくばん) さんをお祀りしています。
方三間、宝形造、元禄四年(1691年) 再建。




▼祖師堂扁額。




▼陀羅尼堂。



奥之院一帯は参道整備工事で通行止めの箇所があります。参拝の方お気をつけ下さい。


▼本坊表門。




▼本坊。大講堂左や書院、事務所右などがある所です。総檜造りの立派な建物です。




▼本坊境内から見た本堂をもう一度。




▼寒牡丹。




▼堂々の仁王門を振り返りながら帰ります。石段下ったところで「しまった仁王さん撮るの忘れた」




全55カット通して見ていただいた方、お疲れさまでした。目薬指して早めにおやすみください。
チョット早いですけど、それでは皆様オヤスミなさい。




大阪城梅林の蝋梅はまだまだのようです。

2013年01月24日 | 花巡り


(2013.01.24訪問)

大阪城梅林の蝋梅チェックに行ったんですが、2~3分咲きといったところでしょうか。
そうとう遅れているようで、昨年は10日頃にはすでに高貴な黄色と香りを辺りいっぱいに誇っていましたが…。
そうとう寒さが堪えているようですね。

▼きょうの大阪城。




▼とりあえず蝋梅です。































狸谷山不動院、名のとおりお狸さんがイッパイいます。

2013年01月22日 | 京都の古寺巡り


(2013.01.20訪問)

先週に続き、今週も洛北にやってまいりました。叡電一乗寺から約20分、恐怖の250段前につきます。
このお寺には、やたらお狸さんがいます。 本尊咤怒鬼不動明王のタヌキからのキャラ化と聞きました。いき
なりお狸に迎えられて一瞬、信楽京都出張所かなと思ったほど、ウソです。

▼本殿。なんとなんと清水さんとソックリ。さては狸が…。




●山号 狸谷山 (たぬきだにさん)
●寺号 狸谷山不動院 (たぬきだにさんふどういん)
●宗派 真言宗修験道大本山
●開基 木食上人正禅 (もくじきしょうにんしょうぜん)
●開創 享保三年 (1718年)
●本尊 咤怒鬼(タヌキ)不動明王

狸谷山不動院縁起 (狸谷山不動院HPより抄出)
ご本尊不動明王は平安京の城郭東北隅に鬼門守護として、桓武天皇勅願により祭祀されたもので、以来タヌ
キ (咤怒鬼) 不動明王として悪鬼退散の霊験著しく、鎌倉時代建長年間 (1249年) に洞窟に安置され、公家殿
上人をはじめ、都人の尊崇の的であった。慶長九年 (1604年) には剣豪宮本武蔵が滝に打たれて修行を続け、
己に克つ不動心を感得し、享保三年 (1718年) 木食上人正禅が現内陣で洞窟を改修、十七年間参籠し菩提心
の開発に努め、狸谷修験者の先駆となる。しかし明治の廃仏毀釈で次第に荒廃。昭和十九年 (1944年) 大僧
正亮栄和尚が入山「修験道大本山一乗寺狸谷山不動院」として寺法を制定、狸谷山開山第一世貫主として、
自ら宗派を超えた寺院を再興したのである。

▼参道入り口。




▼すぐ左に交通安全自動車祈祷殿、早い話がクルマお祓い所。




▼境内案内図。




▼舗装道の突き当たりに立派な寺標。




▼一瞬、ここは信楽か? 一帯お狸さんでイッパイ。




▼和田君、今年こそ頼んまっせ。憂傷にならんよう。




▼さて、ここからが参道本番。250段が待ってます。




▼いきなり弁天さんのお迎え。




▼少し上ると空海さんもお待ちです。




▼迎え大師像。




▼また少し上ると、七福神さんとお狸さんが「よう来たな」。




▼光明殿。空海さんをお祀りしています。




▼光明殿扁額。




▼光明殿本尊弘法大師空海さん。




▼マーダマダつづくよ~い~しだんはアアア~




▼見えてまいりましたヨ本堂の懸造。




▼着いたと思ったら、ここはまだ206段目。




▼唯一の平坦なところ。黒鳥居はなんか良く判りません。




▼手水舎です。




▼これが噂のソックリ本堂。




▼本堂の懸造。




▼本堂へ上る最後の42段、男厄坂です。上り切ったら全250段征服。




▼本堂舞台。御本家よりも狭いですが、願掛けの厄除札やおみくじが所狭しと括られています。




▼狸谷山と書かれた扁額。




▼おりしもご祈祷の真っ最中。願主は女の方が四人でした。奥のご本尊が不動明王、眼の光見えます?




▼本堂から向かいの丘、石仏がズラリ。石垣がユニーク。




▼これが石垣のアップ。




▼神変大菩薩窟。奥に神変大菩薩役行者小角さんが祀られています。




▼神変大菩薩役行者小角さん。これでは祀られているとは云えませんネ。




▼女厄坂33段を下ります。普通は女性専用の上り口。




▼不動明王滝拝殿。




▼窟にお不動さんが祀られています。見えませんが糸のような滝が落ちています。




▼頭から滝に打たれるお不動さん。見えませんね滝。




▼宮本武蔵修行の滝と刻された石碑。



吉岡一門との決闘前にこの滝に打たれ利剣の極意を感得、悠然と山を下りた武蔵は決闘地一乗寺下り松で勝
利したのでした。


▼三社明神のスリムなお社。衣食住の神三神をお祀りしています。
祭神は玉姫大明神、清隆大明神、白玉折木大明神。




▼梁や木鼻は彫刻で彩られています。これがまた見事なんです。




▼お堂周りにはお狸さんがイッパイ。左奥と右奥の方は誰でしょう、ちょっと気になりません?




▼ここにもお狸さんがイッパイ。




▼境内巡りが終わって、奥之院へと上りかけましたが…。




▼こんな道です。



20mほど行きましたがコワイので気を取り直して止めました。
この道は東山三十六峰第八番目瓜生山 (標高294m) への登山道。三十六童子像を辿って瓜生山頂へ行き着く
そうです。


▼今日はこれで帰りますわ。




▼石段脇に懐かしい名前発見! 浪花千栄子さんの石柱もありました。




▼オマケ 出町柳の高野川と賀茂川の出会うところ。二時半頃です。








宝泉院、噂の額縁庭園お初です。

2013年01月17日 | 京都の古寺巡り


(2013.01.13訪問)

続いて勝林院のお隣、CMや雑誌で盛んに紹介されている額縁庭園の超有名宝泉院。シーズンともなれば観
賞どころではなくなる来訪者の数、座る場所も無いほどらしい。受付のおねえさんに今日はどうですかと聞
くと即座に「サッパリ」と云う返事。でした。

▼客殿から眺める額縁庭園の五葉松。樹齢700年の貫禄。5枚目写真の幹と枝です。



宝泉院縁起
大原寺 (勝林院) 住職の僧房として平安末期、寿永2年(1183年)にはじまる。

▼参道。




▼参道のかわいい橋を渡るとすぐそこが表門。




▼表門。




▼表門から境内。いきなり正面にはビッグな五葉松が見えます。




▼五葉松。樹高11m、枝張南北11.5m、東西14m、樹齢700年。
ホンマ美しい! 迫力満点! 植木やさんの腕の見せ所でしょうね。
扇形樹冠は近江富士を型どり、樹形が優れ五葉松の大木として貴重、市指定天然記念物。




▼額縁庭園の竹林。この景色に雪が絡めば水墨竹林、アア残念!




▼お抹茶と受け和菓子。声明が静かに流れる中、久々の寛ぎタイム、お抹茶をいただきながら額縁庭園を堪
能しました。




▼鶴亀庭園。江戸中期の作庭。池の形が鶴、築山が亀、山茶花が蓬?山とみる名園。




▼鶴亀庭園。




▼宝楽園(仏神岩組雲海流水回遊花庭)。(宝泉院HPより)
宝楽園は平成17年3月に宝泉院境内南側の低地に新しく誕生した庭で、心の内なる広大な仏、神の世界を岩
組、樹花、白砂等をもって表わし美しく宝の如くそのままそこにある楽園の境を創作したものである。




▼宝楽園




▼宝楽園



巡っていて、新しい感性のお庭であることが実感できます。流水を思わせる白砂の夜半、月光に照り映える
様は銀砂幽玄の世界がそこに現れますとパンフレットにありましたが、一度澄み切った月明かりの中、訪ね
てみたい気がします。

雪の額縁を見たかったなア。アア残念、念、念、念。


大原勝林院は彫刻のお寺か?

2013年01月15日 | 京都の古寺巡り


(2013.01.13訪問)

数日前に大原雪化粧というのを聞き、雪に埋もれた大原の里とそこに流れる声明を聞きたくて大原にやって
まいりました。思惑は八瀬で外れ、外気温 8℃ の表示。ガックリしたのは云うまでもありません。実は雪が
怖くて今日はクルマを止めて京阪と出町から京都バスでやってまいりました。されどクルマも少なく、バス
はスイスイ、人出もお寺の方に聞くとゼンゼン、ということでした。その代わりと云っちゃなんですが、初
めての勝林院と宝泉院ユックリ拝観させていただきました。
勝林院の美男の阿弥陀さんもさることながら、堂内、外回りの彫刻の素晴らしいこと。
これはホンマビックリですワ!

▼美男の阿弥陀さん。受付の横にそんな掲示があります。




[ 勝林院 ]
●山号 魚山 (ぎょざん)
●寺号 勝林院 (しょうりんいん) 正式には魚山大原寺勝林院 (ぎょざんだいげんじしょうりんいん)
●宗派 天台宗
●開山 寂源上人 (じゃくげん) 慈覚大師円仁さんの九代目のお弟子
●開創 長和二年 (1013年)
●本尊 阿弥陀如来坐像 (重文)

勝林院縁起 (勝林院パンフより抄出)
円仁さんが唐から帰朝された時、儀式音楽聲明音律業を持ち帰り、比叡山で伝奏、九代弟子の寂源さんが叡
山道場をこの地に移し魚山と号、大原魚山流声明の根本道場としてこの寺を建立。それ以後多くの声明梵唄
修行の僧が集まり、院内坊宝泉院、実光院などが栄えたのであります。また大原問答の旧跡でもあります。

▼三千院の前をとおり、勝林院へ。




▼入り口ですよ、小さい石橋が見えるでしょうか、これより結界、来迎橋です。




▼すぐ右に手水鉢、手も身も清めて、さァ美男の阿弥陀さんに会いに。




▼とりあえず、鐘楼を右に見て。




▼堂々の本堂が目の前に。
桁行五間、梁行五間、入母屋造、杉板杮葺、三間向拝付き。柱、床板、彫刻すべて欅造。
安永七年 (1778年) 再建。




▼本堂正面。向拝中柱左に大原問答、右に勝林院と白跡よろしく掲げられています。



世に著名な大原問答とは……。
文治二年(1186年)顕真法印が法然上人を招いて浄土教について論議し、念仏により極楽往生が出来るかどう
かの問答を交わしたとき、本尊阿弥陀如来が法然さんの教えに軍配を上げ、自らの手から大光明を放たれた。
という伝承です。
この伝承から、本尊阿弥陀如来が証拠に立たれたところから証拠阿弥陀如来と称されているそうです。


▼正面頭貫と長押の間の透かし浮き彫り彫刻。
ようもまァこれほど細かく精巧な彫りは見事としか云いようがありません。




▼正面下から見上げてみても、見事としか云いようがありません。




▼向拝垂木の手挟み、見事としか云いようがありません。




▼内陣須弥壇。中央本尊 阿弥陀如来坐像、左脇侍 不動明王立像、右脇侍 毘沙門天立像。
長保寛弘年間(999年~1011年) の仏師、康尚作。一説には定朝の父とも伝わる仏師。



おそろしく綺麗で金泥剥げなど見られず、まさに光り輝いているのは、江戸中期の補修の結果だそうです。
この本尊は塔頭実光院、宝泉院の本尊でもあります。


▼男前本尊お顔アップ。




▼本尊の手から紐が見えますか? 判りにくいですが五色の綱です、電線ではありません。阿弥陀さんと結縁
のため参拝者が握れるようお堂入り口まで延びています。




▼男前を左から。




▼左脇侍の不動明王立像。明快な彩色と火焔光背の造りも手が込んでいます。




▼右脇侍の毘沙門天立像。妙に現代っ子風優しいお顔、彩色もお不動さんと同様、綺麗です。



脇侍二体は比較的新しいものではないかと思われます。


▼須弥壇前左右の八講壇 (問答台)。須弥壇四本柱の手前上もご覧下さい、木鼻は餓鬼が彫られています。
アップで撮りましたがボケボケでした。
堂内で声明が聞けるボタンがありましたが、いくら押しても声明は流れません。



■堂内やご本尊の写真は許可をいただいて撮影しています。


▼一間外廊が堂を巡っています。




▼境内東の高みに宝篋印塔 (重文)。正和五年丙辰五月の刻字が残っています。鎌倉時代の秀作といいます。




▼板彫り石碑が並んでいます。




▼歌碑。どなたのものかサッパリわかりません。




▼最後にもう一度見事な透かし浮き彫りを見、男前を偲びながら、お隣の宝泉院でお抹茶をいただきにまい
りましょう。




雪があるかないかは、行く前に確認すりゃ済むことなのにアホですね!