土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

京都五山之一位、天龍寺を訪ねました。

2012年07月31日 | 京都の古寺巡り


(2012.07.28訪問)

京都五山之一天龍寺は天下の名勝嵐山 (らんざんと読んでくださいね) 絶好の地に在ります。真夏の炎天とは
今日みたいな日を云うのでしょうが、熱中症覚悟の方々のなんと多いことか。名勝のインパクトは暑さ寒さ
は関係ないみたいです。
で、イザ嵐山 (ここはあらしやまと読んでくださいね) へ。
悪名高き足利尊氏開基の天龍寺は、後醍醐天皇鎮魂の寺のはず、されど今は一堂宇に祀られる後醍醐さんの
みで鎮魂の厳粛さはどこにもないようで、曹源池庭園を中心のまさに一級の観光寺院。そんな気がしました。
ところで、京都五山の順位は誰がどう決めたんでしょう? またタヌキがらみでしょうか。

[ 天龍寺 ]
●山号 霊亀山(れいきさん)
●寺号 天龍資聖禅寺(てんりゅうししょうぜんじ) 通称 天龍寺
●宗派 臨済宗天龍寺派大本山
●開基 足利尊氏
●開創 暦応二年(1339年)
●開山 夢窓疎石(むそうそせき)
●本尊 釈迦如来坐像(重文)
●平成六年(1994年)世界文化遺産に登録

天龍寺縁起 (天龍寺 HPから抄出)
この地はその昔、檀林皇后と称された嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開創した禅寺、檀林寺の跡地で、檀林寺が
廃絶した後、後嵯峨上皇が仙洞御所を造営し、さらに亀山上皇が仮の御所を営んだ。その地に足利尊氏を開
基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天龍寺で、その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応二年
(1339年)に創建された。造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したが、なお造営費用には足りず、弟直
義は夢窓と相談の上、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開することとし、その利益を造営費用に充てる
ことを計画した。これが「天龍寺船」の始まり。造営費の捻出に成功した天龍寺は康永四年(1344年)に落慶
した。南禅寺を五山の上として天龍寺を五山の第一位に、この位置づけは以後長く続いた。

▼天龍寺石標。




▼総門。舞子さん本物かなァ?




▼広々とした参道が真っ直ぐ続きます。




▼法堂。加山又造画伯による雲龍図が公開されています。




▼独特の庫裡デザインが見えてきました。相当暑いんですが、皆さん達者です。




▼さて庫裡です。ここから世界遺産の真髄を巡りましょう。




▼入堂するといきなり大達磨さん。前管長、平田精耕老師の筆によるもの。




▼方丈。




▼方丈広縁の人々。けっして雨宿りではありませんよ。




▼方丈扁額。関牧翁老師(天龍寺第8代管長)揮毫。




▼方丈仏殿。本尊 釈迦如来坐像(重文)。




▼方丈の正面。




▼方丈勅使門。後ろに見える屋根は法堂の屋根です。




▼方丈前庭に咲き出している芙蓉。緑まっただ中の赤、目立ちます。




▼曹源池庭園。池泉回遊式庭園です。




▼曹源池庭園。
曹源池中央正面 (写真右側です) には2枚の巨岩を立て龍門の滝とする。龍門の滝とは中国の登龍門の故事に
なぞらえたもので、鯉魚石を配するが、通常の鯉魚石が滝の下に置かれているのに対し、この石は滝の流れ
の横に置かれており、龍と化す途中の姿を現す珍しい姿をしている。 (天龍寺HP曹源池庭園から)




▼大堰川から引き込まれた小さな流れが、曹源池に入ります。




▼小方丈から多宝殿への渡り廊下。




▼多宝殿。後醍醐天皇の尊像を祀る祠堂。




▼多宝殿。中央に後醍醐天皇の像、両側に歴代天皇の尊牌が祀られています。




▼後醍醐天皇。




▼硯石。
多宝殿から北門への苑路、百花苑の一角にデッカイ硯の碑。法堂の先代雲龍図を描画の時、雲水六十余名が
かりでこの硯に墨を摺ったそうです。この硯に触ると書上達間違いなしだそう。触りまくりました。




▼やはり百花苑の一角に石像の観音像が。お顔、容姿はギリシャ彫刻を思わせます。




▼放生池の蓮。唯一目についた蓮花も、今にも花弁が落ちそう。




残念ながら天龍寺は、創建以来、数回に渡る兵火で、創建伽藍はすべて灰燼、多くは明治以降の再建といい
ます。堂宇や仏像に見るべきものは少ないですが、曹源池庭園を中心に配置される伽藍群と庭園は臨済寺院
の一つの様式美として評価され、お寺の歴史や伽藍の古い新しい、仏像の価値が有る無いに関わらず、これ
が臨済禅の神髄なのか、と錯覚してしまいそうな世界遺産の一日でした。


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雨の中、京都五山之上、南禅寺を訪ねました。

2012年07月23日 | 京都の古寺巡り


(2012.07.21訪問)

地下鉄蹴上駅を出るとパラパラきてました。フラフラ歩いて南禅寺中門にさしかかった途端、猛烈な雨粒、
いきなりの土砂降りです。境内にいた方、右往左往、中門の軒下も見てる間に人で一杯。小降になったらシ
ャッターを切り、強くなったら雨宿り。今日一日が思いやられますワ。

南禅寺は京都五山、鎌倉五山の上に列せられている別格の臨済宗の禅寺です。
因みに京都五山は、五山之上南禅寺、一位天竜寺、二位相国寺、三位建仁寺、四位東福寺、五位満壽寺だそ
うです。
五山中、ここ南禅寺と東福寺以外訪ねたことがありませんので一度制覇しょうか思案中です。
もちろん晴れた日に。

▼南禅寺境内マップ。




[ 南禅寺 ]
●山号 瑞龍山(ずいりゅうざん)
●寺号 太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ) 通称 南禅寺
●宗派 臨済宗南禅寺派大本山
●開基 亀山法皇
●開創 正応四年(1291年)
●開山 仏心大明国師(だいみんこくし)
●創建 南院国師(なんいんこくし)
●中興 本光国師(ほんこうこくし)
●本尊 釈迦如来坐像

南禅寺縁起 (南禅寺 HPから抄出)
南禅寺は正応4年(1291年)、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創。
亀山法皇は第90代亀山天皇。圓爾辧圓(えんにべんねん)禅師(無関禅師の師、聖一国師)に受戒、問法。
正応二年(1289年)、上皇は離宮禅林寺殿で出家され法皇になられました。法皇は禅師の徳をたたえて深く帰
依され、正応四年、離宮を禅寺とし開山に迎えられた無関禅師は十二月に遷化。正応五年、法皇は第二世と
して規庵祖圓禅師(南院国師)を選任されました。禅寺といっても、離宮には伽藍として機能するものは一つも
ありませんでした。その建立が規庵禅師に課せられたわけですが、入寺からおよそ15年の歳月を費やしその
完成をみました。

▼勅使門。寛永十八年(1641年) 明正天皇より御所の「日の御門」を拝領移築したものです。現代は住持の晋
山に限って開かれる門です。




▼中門。




▼中門から三門への参道。




▼森永湛堂師の句碑。この門を 入れば涼風 おのづから




▼三門(重文)。十八脚二層の楼門、桁行五間三戸、梁行二間、周縁勾欄付、本瓦葺、高さ22m。
寛永五年(1628年)建立。石川五右衛門「絶景かな、絶景かな」は勿論ウソ! この門は五右衛門死後30年の
建立だそうで。




▼圧倒的重量感のある列柱。




▼三門で雨宿りのご婦人。




▼三門楼上への階段。雨宿りを兼ねて、結構大勢の方が登楼されてましたよ。




▼三門にかかる青もみじ。




▼三門から法堂への参道。




▼法堂。南禅寺の本堂。本尊 釈迦如来坐像。明治二十八年焼失、四十二年再建の新しいお堂です。




▼法堂内陣。二段須弥壇上段に本尊釈迦如来坐像と右獅子に騎乗の文殊菩薩、左象に騎乗の普賢菩薩を祀っ
ています。床敷き瓦。




▼法堂天井の幡龍。ダイナミックな龍が描かれていますが、向きは逆ですね。




▼本坊。




▼本坊滝の間。中央庭に滝が落ちていますが…。
ここではお抹茶をいただくことが出来るそうです。もち有料ですよ。




▼本坊長廊下。突き当たり左、方丈に続いています。




▼本坊入口左に、唐破風の立派な大玄関。




▼大方丈(国宝)。入母屋造、杮葺。慶長十六年(1611年) 御所の建物の下賜を受けて再建。
鳴滝の間、麝香の間、鶴の間、西の間をはじめ九間あり、狩野派絵師筆による障壁画(重文)で彩られていま
す。現在は、デジタル復元した障壁画を展示公開しています。




▼方丈庭園、虎の児渡し。虎の親子が川を渡る様子に見えることからその名がついたという枯山水庭園。
小堀遠州作庭。と云われているそうです。




▼方丈庭園。                   ▼還源庭。




▼茶室窮心亭。




▼六道庭。                    ▼如心庭。




▼庭を結ぶ渡り廊下。




▼龍吟庭。                    ▼華厳の庭。




▼珍しい竹組の南禅寺垣。




▼僧堂。雲水修行の道場、拝観は許されていません。




▼僧堂の鐘楼。




▼白壁が美しい境内。JRCMでお馴染みですね、ここは。




▼今や南禅寺境内の一方の顔、琵琶湖疎水の水道橋、水路閣。
ジックリ水路閣を見るのは初めてです。レンガの妙がお寺にシックリとけ込んでいる不思議。違和感ないの
も不思議。




▼水路閣。アレッ、名取裕子さんがチラッと見えましたよ、事件かな!




▼水路閣。アレッ、船越英一郎さんが誰かを見張っているみたい。




▼約2mの滝。どこにあるかわかります?




▼トンネルを抜けてきた疎水は、ここ水路閣を通って市内へ流れてゆきます。




今日は雨降る予報じゃなかったぞ、ウラメシヤ天気予報。
南禅寺には塔頭寺院が12ヵ寺、南禅院や天授庵など名勝名園が結構ありますが、すべてキャンセル、小雨の
中、三条京阪まで歩いて帰りました。



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浄瑠璃寺の九体阿弥陀堂は現存する唯一のお堂です。

2012年07月19日 | 京都の古寺巡り


(2012.07.15訪問)

新薬師寺ショックから気を取り直して、浄瑠璃寺を訪ねました。
前回浄瑠璃寺を訪ねた時は、アライグマにワルサをされた三重塔修復のため、塔を見ることが出来ませんで
したが、この日は樹叢の中に毅然と建つ新装三重塔を見ることが出来ました。
紫雲たなびく浄瑠璃世界、緑のグラデが浄土の荘厳、此岸から彼岸の世界へ衆生を誘う薬師さんが本尊の三
重塔は、静かに東の山中に見え隠れ、宝池にその姿を映しています。一方西には阿弥陀さん九体本尊の本堂
が横長の堂景を見せています。宝池を挟んで陽の昇る東の浄瑠璃浄土から、陽の沈む西の極楽浄土を拝せる
寺観設計は、平安の人々の浄土観の強い意志が現代のボクたちにも伝わってくる思いがします。

▼三重塔(国宝)。



[ 浄瑠璃寺 ]
●山号 小田原山(おだわらさん)
●寺号 浄瑠璃寺(じょうるりじ)
●宗派 真言律宗
●開創 永承二年(1047年)
●開基 義明上人(ぎみょうしょうにん)
●本尊 東方本尊 薬師如来坐像(重文) 西方本尊 阿弥陀如来坐像九体仏(国宝)

浄瑠璃寺縁起
永承二年(1047年)僧義明によって開かれ、当初は西小田原寺と称され、嘉承二年(1107年)本尊薬師如来を祀
る本堂を建立、これが九体阿弥陀堂で、保元二年(1157年)現在地に移設。治承二年(1178年)京都一条大宮の
寺名不詳寺から三重塔をこの地に移築、池を挟んで東西に塔と阿弥陀堂が向き合う伽藍配置が整い現在に至っ
ている。

▼名勝史跡浄瑠璃寺境内の石碑。参道脇に建っています。




▼参道。ヤブカンゾウが所々咲いています。この参道は樹種が多く、特に馬酔木を中心にいよいよ鬱蒼として
きました。




▼山門です。石段をわずかに上るだけで中は清浄な浄土の世界、薬師さんと阿弥陀さんがお待ちですよ。




▼鐘楼。前に懸かる青もみじ、グーな感じと思いません? 




▼宝池の中之島。




▼宝池越しの三重塔。




▼宝池畔に咲く桔梗。




▼石段下から三重塔。




▼三重塔(国宝)。塔高16.08m、檜皮葺。本尊 薬師如来坐像、像高86.4cm、木造、鎌倉時代。




▼桔梗。




▼本堂(国宝)。桁行十一間、梁行四間、寄棟造、本瓦葺、一間の向背付き。




▼本尊 阿弥陀如来坐像九体仏。(浄瑠璃寺パンフレットからスキャン)
中尊像高221.0cm、脇仏像高138.0~143.0cm。平安時代。
横長のお堂に九体の阿弥陀仏が横一列に並び、それぞれ漆箔が残り壮観です。中尊を真ん中に左右四体ずつ
の脇仏は像造年代と仏師の個性差がお顔の違いに表れており興味深いものが感じられます。




▼宝池を右に巡りつつ西方浄土本堂、阿弥陀堂へまいりましょう。樹々越しの本堂。




▼緑の中で撫子のピンクが映えています。




▼本堂。




▼阿弥陀堂から三重塔の眺め、ふと後ろの樹叢を見ると薬師如来の姿が…。てな訳ないですよネ。




フロクです。このお寺には猫がたくさんいます。本堂横の影にまとまって寝てました。
▼ヒゲやハナ、ミミを触りまくっても目を開けないニャンコ。暑さにマイッテいるのか、根性があるのか、
図太いのか。




このお寺は陽の沈む頃、本堂全扉が開かれ、九体仏に照明が当てられ、宝池にその姿が幻想的に映り込む、
まさに極楽がそこに在る幽玄の世界が見れるそうですが、一度そのチャンスに会ってみたい気がしつつ、
現世に戻りました。



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新薬師寺。寺観一新に驚いています。

2012年07月17日 | 奈良の古寺巡り


(2012.07.15訪問)

ビックリしました。一年ほど訪ねていない間に、寺観がすっかり変わっています。南門をくぐり本堂を前に
して、前庭が広々としています。新薬師寺のキャッチ「萩の寺」はもはやいずこという感じ。本堂前や右庭
の萩の樹叢のことごとくがバッサリ、前庭左の萩、もみじや桜も姿かたちなし。そのぶん寺観がスカッと爽
やか、かな? あまりにスカッとし過ぎでボクの新薬師寺のイメージがガタガタです。

▼スカッ!とした本堂前庭。相当広く感じます。



[ 新薬師寺 ]
●山号 日輪山(にちりんさん)
●寺号 新薬師寺(しんやくしじ)
●宗派 華厳宗
●開創 天平十九年(747年)
●開基 光明皇后(こうみょうこうごう)
●本尊 薬師如来坐像(国宝)

新薬師寺縁起 (新薬師寺パンフレットから抄出)
平安時代成立の「東大寺要録」には、新薬師寺についての記載があり、天平十九年、光明皇后が夫聖武天皇
の病気平癒のため新薬師寺を建て、七仏薬師像を造った」と記されている。新薬師寺は別名を香薬寺といい、
桁行九間の金堂には七仏浄土七駆が祀られていたとあり、金堂の左右には、東塔西塔が並び創建当初は広大
な本格寺院だったことが窺えます。創建から三十三年後、落雷により伽藍堂宇のほとんどが焼失。鎌倉時代
に解脱上人、明恵上人により再興、ほぼ今の新薬師寺の寺観が整いました。

▼寺標。東門前に建ってます。




▼南門(重文)。四脚門、切妻造、本瓦葺。鎌倉時代後期の建立。新薬師寺の正門です。




▼鐘楼(重文)。桁行三間、梁行二間、入母屋造、本瓦葺。弘安二年建立。白漆喰塗りの袴腰が目立ってます。




▼百日紅。境内見る限り、百日紅はこれ一本のようです。




▼本堂(国宝)。桁行七間、梁行五間、入母屋造、本瓦葺。
奈良創建時の姿を保つ名堂です。棟から軒へ流れ落ちる本瓦の稜線が見事。
本尊 薬師如来坐像、像高191cm、栢一木造、平安時代初期。まん丸お顔、まん丸で大きな目玉の愛嬌のあ
る如来さんですよ。堂内中央に円形土壇があり、南面中央に本尊、土壇周り外向きに十二神将が整然と並ん
でいます。この景こそが新薬師寺の新薬師寺たる所以でしょう。




▼一昨年初秋の本堂景観。
どうです相当変わったでしょう。この両サイドの樹叢がバッサリ。前庭の広さ較べてみてください。




▼十二神将伐折羅(ばさら)大将。数年前に描いたペン画です。




▼本堂と百日紅。上の百日紅と同じ木です。




▼本堂前の鉄製鼎? 
鼎かどうかハッキリしません。足が三本あったような? しかも鉄製で胴には薬師如来と刻されています。
今、線香立て。




▼境内西南にまとめられた石仏群。




▼砂石に浮き彫りされたお地蔵さん。
全身の滑らかな形状は石に彫ったと云う感じはなく、お顔は瞑目状で深い思索で衆生救済を祈っている静か
な表情に見えます。




▼実忠和尚の塔。東大寺修二会の創始者、実忠さんの石塔。元は十三重石塔と云われてますが、径時倒壊で
現在は五重石塔、下二段が創建当初のものだそうです。
この辺りは、塔が隠れるほど緑鬱蒼でしたよ。




▼地蔵堂(重文)。桁梁共一間、入母屋造、本瓦葺。鎌倉時代。堂内には三体の仏像が安置されています。
この辺りもスッキリ。だいたい向こうが見えませんでした。ここまで緑バッサリとは。




▼庫裡前の方丈池。






▼瓦宝珠。宝形屋根のテッペンに添えられる宝珠と思いますが、瓦製なのでどうか判りません。




▼庫裡を囲むイイ雰囲気の古塀。




▼会津八一歌碑。ちかつきて あふぎみれども みほとけの みそなわすとも あらぬさびしさ
庫裡となりに在る香薬師堂の本尊薬師如来を詠んだ歌。この薬師如来さん、現在行方不明です。




▼東側の築地塀。




▼築地塀から見える鐘楼。




▼東門(重文)。棟門、切妻造、本瓦葺。平安後期の建立。




なんと云う変わりよう、オドロキ、モモノキ、サンショノキ です! 萩はどこへ行った…。
次、どこを訪ねるか忘れてしまいました。


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元興寺の桔梗は…。

2012年07月09日 | 奈良の古寺巡り


(2012.07.07訪問)

七夕恒例の元興寺の桔梗をと思って訪ねましたが、この日もどんよりポツリとケッタイなお天気、桔梗も元
気がありません。花も小さく色悪し、まだまだといったところでしょうか。

南都七大寺最大を誇った元興寺も、幾多の盛衰を経たとはいえ千四百年の星霜は、相当厳しい試練の連続だ
ったのでしょう。三宗兼学で我が国最古の寺院も、釈迦理論や宗学論だけでは生存安泰とは行けない時代の
波は、元興寺の前途に強烈に立ち塞がったのでは。衆生教化と国家鎮護、寺勢強化と云う課題に往事の僧侶
たちは答えてきたのだろうか。飛び抜けたキャラクターの出現もままならないまま、時々の国家や為政者に
翻弄され続けてきた結果が、今の元興寺の姿と寺勢とになったのでは。世界遺産というお土産をもらい東大
寺や興福寺の華やかさを横目で見ながらでは、最古という歴史が色褪せて見えてしまう。その現実は、非常
にもったいない気がします。大好きなお寺の一つなんですが…。

[ 元興寺 ]
●寺号 元興寺(がんごうじ)
●宗派 真言律宗
●開創 崇峻天皇元年(588年)
●開基 蘇我馬子(そがのうまこ)
●本尊 智光曼荼羅(重文)
●古都奈良の文化財として1998年世界文化遺産に登録。

元興寺縁起 (元興寺 HPから抄出)
渡来した異国の宗教の受容をめぐり、蘇我氏が崇仏を、一方、物部氏は俳仏をと両者の対立が激しくなり、
用明天皇2年(587年)、蘇我馬子は厩戸皇子(聖徳太子)と軍を起こし、俳仏派の物部守屋を破り、日本の仏教
受容の道を開くことになります。翌年、飛鳥の地にはじめて正式の仏寺建立に着手しました。この寺がこの
元興寺の前身である法興寺で地名によって飛鳥寺とも言われる寺です。
元明天皇の和銅3年(710年)奈良に都が移されると、この寺も養老2年(718年)には新京に移されて、寺名を法
興寺から元興寺に改めました。その際、飛鳥の地名からとった飛鳥寺の名はそのまま継承され、かえって新し
く移った元興寺の寺地が平城(なら)の飛鳥と呼ばれることとなりました。

▼東門(重文)。元興寺正門。室町時代応永年間に東大寺西南院四脚門を移築したそうです。




▼寺標。




▼東門から本堂(極楽堂)。何やら大勢の人々が。




▼ヤッパリ大勢の人々が。何かが終わったようです。




▼本堂前の蓮鉢に一輪だけ咲いていた蓮華。




▼モデルさんを囲んで撮影会かな?




▼印度舞踊の踊り子さんでした。
本堂で印度舞踏の会が行われたそうで、僕たちが着いたのは終了直後。後の祭りとはこのこと。
いつもこうですワ。




▼人気の引いた本堂(国宝)。
桁梁共方六間、寄棟造、本瓦葺(一部行基葺)。身舎部(中央の間)を内陣、東正面三間向拝付。




▼浮図田の桔梗。本堂南側の浮図田には、集められた石仏の間に桔梗が植わっています。
今年は少々ペースが遅いようで。まだまだ蕾が多く、花径は小ぶり、あの高貴な桔梗ブルーとは思えない花
色に感じました。




▼本堂東面の須弥壇。中央上部に本尊智光曼荼羅図(重文)。板絵彩色、縦217.0cm、横195.0cm。
現在のものはレプリカ。毎秋に特別開扉されるそうです。
極楽坊本堂内陣の厨子背面に奉安され、横に板を連ねて画面とし、漆下地としてさらに黄土を塗り、その上
に岩絵具を用いて阿弥陀如来を中心とした聖衆と極楽浄土世界のようすを細密に描いている。
(元興寺 HPから抄出)




▼桔梗。




▼本堂西面の須弥壇。本尊智光曼荼羅図の模写、キャンバス油彩。非常に細かく描き込まれています。




▼桔梗。




▼禅室(国宝)。非公開。
切妻造、本瓦葺(一部行基葺)。簡素だが重厚な趣、僧侶が起居学修した僧坊の遺構。




▼桔梗。




▼禅室と萩。このお寺の萩は半端じゃないですよ。秋には期待しましょうか。




▼桔梗。




▼境内小道。たくさんの石仏が並んでいます。




▼桔梗。




▼桔梗。




▼毎年のことながら、どなたが置いたかニクイ演出。蹲なんですが蹲に見えます?




▼薬師如来立像(国宝)。像高240cm、平安前期の作。数年前に描いたペン画です。
出処由緒が不明の国宝も珍しいですが、このお像は、元興寺五重塔健在時にその塔の本尊として祀られてい
たそうで、現在は奈良博に寄託。収納庫に安置されている五重小塔は元興寺五重塔のレプリカモデルらしい
です。




▼奈良町のいつ寄っても猫が一杯の寧估庵で猫と遊んで帰りました。
コワイ顔ですが性格はいいんですよ。16歳のナントカちゃん。






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