土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

東光寺、全国屈指の黄檗宗寺院です。

2016年05月12日 | 山口の古寺巡り





(2016.05.07訪問)


瑠璃光寺の五重塔に感激して、さて萩市に向かいます。幕末から維新にかけて、吉田松陰、木戸孝允、高杉晋作、久坂玄瑞など、多
くの志士たちが心を熱くして往来した道、萩往還を走ります。急坂、山道、長閑な田舎道と変化に富んだ街道を小一時間、やがて萩
市に入り、目指す東光寺は萩市の東部、山裾のやや高台にベンガラ塗りの総門が迎えてくれます。




▼総門(重文)。
 三間一戸、八脚門、切妻造、本瓦葺。用材の表面全体ベンガラ塗。中央持ち上げの棟式屋根は黄檗風様式。元禄六年(1693年)建立。






[ 東光寺 ]
●山号 護国山(ごこくざん)
●寺号 東光寺(とうこうじ)
●宗派 黄檗宗(おうばくしゅう)
●開基 毛利吉就(もうりよしなり)長州藩三代藩主
●開山 慧極道明禅師(えぎょくどうみょう)
●開創 元禄四年(1691年)
●本尊 釈迦如来坐像
▲時間 8:30~17:00
▲拝観 300円 朱印300円   
▲山口県萩市椿東1647 電話083-826-1052
▲JR「東萩駅」タクシー5分
 山陽自動車道「防府東IC」より車で50分





▼総門扁額。「護国山」と書かれています。東光寺開山の慧極道明禅師の揮毫。






東光寺縁起
護国山東光寺は、元禄四年(1691年)に三代藩主毛利吉就が萩出身の名僧慧極を開山として創建した全国屈指の黄檗宗寺院で、大照院
とならぶ毛利家の菩提寺。総門、三門、鐘楼、大雄宝殿はいずれも国の重要文化財に指定されており、名刹の面影を残しています。
本堂裏の毛利家墓所は国指定の史跡で、吉就から十一代までの奇数代の藩主とその夫人及び一族、関係者の墓があります。




▼総門正面。







            ▼隅飾突起が羽ばたいている宝篋印塔。基壇からするとゆうに4mはありそう。

      





▼三門(重文)。
 桁行11.6m、梁間6.7m、三間一戸、楼門形式。入母屋造、本瓦葺。藩主毛利斉熙寄進、文化九年(1812年)建立。







▼三門戸口上部の扁額。「解脱門」と書かれています。隠元禅師の高弟、黄檗三筆のひとり即非如一禅師の揮毫。







▼上層の扁額。「最勝閣」と書かれています。東光寺十五世、大愚衍操禅師の揮毫。







▼三門から参道。前方僅かに見えるのは、大雄宝殿(本堂)です。







▼きれいな参道ですネ。







▼石段の先スグ大雄宝殿ですが、参道左に……、







▼鐘楼(重文)です。
 一見鐘楼には見えませんネ。重層に見えますが、下屋根は裳階です。
 上層部は入母屋造、本瓦葺、下層部は桟瓦葺。上層には大鐘と大太鼓が置かれ、鼓楼も兼ねているそうです。







▼鐘楼扁額。ズバリ鐘楼と書かれています。







▼間もなく大雄宝殿。







▼本堂の大雄宝殿(重文)。
 桁裄七間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、下屋根は裳階です。元禄十一年(1698年)建立。
 屋根中央には黄檗風火焔付き二重宝珠が乗せられています。







▼裳階軒の扁額。寺号東光禅寺と書かれています。







▼上層軒の扁額。堂名大雄宝殿と書かれています。







▼正面の戸口。入堂は出来ませんが内部を見渡せることはできます。







▼豪快な内部の荘厳、高い天井から吊り下げられた天蓋と柱聯の豪華なこと。堂内柱は総て方柱。







▼中央須弥壇には本尊 釈迦三尊像。中尊釈迦如来坐像、左脇侍(向って右)迦葉尊者立像、右脇侍(向って左)脇侍阿難尊者立像。
 中尊お釈迦さんのお顔何となく中国風に見えなくもないですが、仏師はれっきとした日本仏師、法橋藤村忠円です。







▼大雄宝殿前から境内。
 大雄宝殿前の砂利のスペースは月台と云う行事や法要の時など堂内に入りきれない人々の為の広場だそうです。







▼方丈左玄関は藩主用。







▼方丈右玄関は家臣用。







▼大雄宝殿東の奥まった所に東光寺開基の三代藩主毛利吉就公から十一代までの奇数代の藩主、その夫人の墓が正面に並び、参道左
 右に均等に並んでいる約五百数基の石燈籠は家臣らが寄進したものだそうです。壮観ですヨ。







▼正面の二基右が三代藩主毛利吉就。左が同室亀姫の墓です。







▼墓の形式は唐破風の笠石付き角柱(位牌)の形に統一し、法名が刻んであります。
 因みに二代から十二代の偶数代藩主の墓所はJR萩駅近くの大照院にあります。







▼御朱印です。





東光寺これにてオシマイ。
境内の広さは創建時を保っているようですが、伽藍は殆ど現存しません。総門、三門、鐘楼、大雄宝殿、方丈のみで禅刹を構成する
諸堂は残念ながら残っていません。残る諸堂は方丈を除いて重要文化財に指定され、とくに大雄宝殿の豪快さは宇治萬福寺の大雄宝
殿に勝るとも劣らない立派な伽藍です。地方と云ってはなんですが、当地権力のバックアップほど力強いものはない例ではないでし
ょうか。




スグ近くの松陰神社に一言だけご挨拶!
▼鳥居を通して本殿です。祭神はもちろん吉田矩方命(よしだのりかたのみこと)こと吉田松陰さんです。







▼松陰さん人となり。







▼松下村塾。塾正面は左側。この面は後に増築された十畳半の講義室。
 今更云うまでもありませんが、無念の死を遂げた志士、維新の政界を牛耳った志士達が松蔭を師と仰ぎ、熱き志を語り合ったのが
 ここ。文さんが隣の実家から塾生におにぎりを運んだのがこの部屋ですよ。真偽は定かならず。






結局タイムオーバーで萩では東光寺のみの参拝だけで大阪へ帰ります。600kmですよ、今日中に帰れるかな。
ピシッー!(迷車大和路号に鞭を入れる音)





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瑠璃光寺、五重塔は日本三名塔の一つ。

2016年05月09日 | 山口の古寺巡り





(2016.05.07訪問)


みなさ~ん、GWどうお過ごしでしたか。
迷車大和路号はGWの六日と七日両日、周防、長門の国を訪問、旧主大内氏が謳歌した西ノ京と毛利氏最後の地、萩の名刹を訪ねる旅
に出かけた訳であります。腹の立つことこの上なし、何の因果か雨にたたられた旅でありました。初日ズ~ッとシトシト、どこも回れ
ず写真も撮れず。夜、湯田の湯で「いい湯だな」をうなり、明日は晴れてよと誰にお願いするともなくお願いし、ベッドにバタンQ~
で貴重な一日がオシマイ。二日目、やはりシトシト。ところが九時過ぎた頃、空が明るくなったんです。勇んで瑠璃光寺へ向ったのは
云うまでもありません。




           ▼瑠璃光寺シンボル五重塔(国宝)。
            この塔を何が何でも見たいがため、
            迷車大和路号はハルバル500kmの道のりをやって来たのであります。






           [ 瑠璃光寺 ]
           ●山号 保寧山(ほねいざん)
           ●寺号 瑠璃光寺(るりこうじ)
           ●宗派 曹洞宗(そうとうしゅう)
           ●開基 陶弘房夫人
           ●開山 大庵須益大和尚(だいあんすえき)
           ●開創 文明三年(1471年)
           ●本尊 薬師如来坐像
           ▲拝観 境内自由   
           ▲山口県山口市香山町7-1 電話083-922-2409
           ▲JR「山口駅」からコミュニティバス香山公園五重塔前行き「香山公園五重塔前」下車 徒歩すぐ
            中国道山口ICから国道262、9号経由15分





▼参道口に寺号碑。






瑠璃光寺縁起 (瑠璃光寺パンフから抄出)
大内氏重臣陶弘房の菩提寺。応仁の乱で戦死した弘房の菩提を弔うために夫人が仁保の地に文明三年(1471年)瑠璃光寺を建立。
大内氏二十五代大内義弘は現在の香山公園に香積寺を建立。義弘は応永六年(1399年)応永の乱で戦死。二十六代弟盛見は兄の菩提を弔
うため香積寺に五重塔を造営中戦死。五重塔はその後、嘉吉二年(1442年)建立。大内氏が滅びこの地は毛利氏が領し、後関ヶ原合戦の
後、毛利輝元が萩入りし香積寺を萩に引寺。跡地に仁保から瑠璃光寺を移築したのが今日の瑠璃光寺です。




▼後ろに山が控え、広々とした境内に一直線にのびる参道。







▼参道右手に憧れの五重塔が緑に埋まっています。
 法隆寺、醍醐寺とここ瑠璃光寺の五重塔が日本三名塔と云われています。塔高31.2m、檜皮葺、嘉吉二年(1442年)建立。







▼独特の屋根勾配と各層軒の出が深いので優美な塔も真っ黒ケ(ヘタな写真の言い訳)。







           ▼正面です。この塔の特色の勾欄が二層目にしか無いのが分かります?
            初層と五層屋根の低減率70%が優雅さの理由、本当に美しい塔ですヨ。






           ▼相輪は普通ですネ。







▼では参道へ戻りましょう。







▼山門です。







▼異様に大きい扁額。山号保寧山と元気な筆です。







▼山門から正面本堂です。







▼妻側が正面の本堂。入母屋造、桟瓦葺。







▼それはそれは超豪華な内陣の荘厳。







▼本尊薬師如来坐像。内陣須弥壇の最奥にお坐りです。紗かチュールの薄物が前に架けられお顔がはっきりしません。







           ▼脇陣の子安地蔵。赤ちゃんを胸元に抱っこしています。
            フル法衣で頭飾を付ける姿は地蔵尊のイメージがありませんネ。







▼薬師堂。此の地にまで彼の地の人はお越しです。考えて見りゃ近いもんネ。







▼本尊薬師如来坐像。全身金ピカ、新しく大きなお像です。







           ▼入母屋造、桟瓦葺、重層勾欄付袴腰の重厚な鐘楼です。







▼庫裏。ココで御朱印を戴きます。







▼庫裏を結ぶ渡り廊下。







▼庫裏の軒に相当使い込まれた魚板。ココではホウ(木へんに邦)とよんでます。







           ▼境内の一角に慈母観音。







▼放生池の畔に手水鉢。







           ▼五重塔を模した石塔。







▼放生池の畔に黄菖蒲。池は睡蓮で埋まっていますが開花はまだのようです。







▼吾唯足るを知る。







▼境内から小雨煙る山を見る。







▼大内弘世の像。
 貞治二年室町幕府と和解し周防、長門、石見の守護となる。本拠を山口に移し憧れの京都を模し西ノ京と称し、大内氏繁栄の基礎
 をきずいた方です。







           ▼名塔を目に焼き付けて瑠璃光寺オシマイ。






▼御朱印です。






名塔はやはり名塔でした。燃える?ような緑に染まり煙雨に霞む山裾に六百年の歴史を刻んできた五重塔は閑かに佇み、千年を超える
名刹とは又違う風情は何とも云えない満足感でした。

それでは長州の志士達が通ったと云う萩往還を一路北へ、維新の英雄達に会いに萩に向かいます。





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