(2011.01.22 訪問)
南大門落慶後、初めて菅原の喜光寺を訪ねました。南大門は新築ですので当然と
して、境内のなんと綺麗に生まれかわったことでしょう。今までがウソのよう。
この日、喜光寺を訪ねたのは、実は南大門の仁王さんに会うためなんです。
[ 喜光寺 ] きこうじ
●山号 清涼山(せいりょうさん)
●寺号 喜光寺(きこうじ)
●宗派 法相宗 薬師寺末寺
●開基 行基菩薩
●本尊 阿弥陀如来坐像 脇侍 観音菩薩坐像 勢至菩薩坐像
喜光寺縁起
721年(養老5年)僧行基が元明太上天皇の勅願により、行基創建49院の1つと
して創建。当時は地名をとり菅原寺と称していましたが、748年聖武天皇により
喜光寺と改名。戦国時代兵火で寺地、伽藍が壊滅。1544年に本堂が再建されたの
が現在の本堂だそうです。行基さんはこのお寺で749年(天平21年)2月2日入寂。
▼南大門。
平成22年5月1日落慶。楼門様式二層入母屋造り。
基壇から高さ約12m、正面幅約12m、奥行き8.5m。総檜造り。2階は納経蔵。
建築は飛鳥時代から続く金剛組。
▼南大門金剛力士。
現代日本彫刻界の最高峰、2007年文化勲章受章の中村晋也さん造像。
阿吽両像とも像高3.2m、ブロンズ像。
彫刻家が造る仏像とはこれだ!の造形。像の性格から当然の大迫力、肉体造形学
からの筋肉の動き、今にも筋肉各部がピクピクしそうな感覚、ギョロっと見据え
た両眼から発する畏光に仏敵もいたたまれなくなり逃散請け合い。というような
感覚でボクは両像を交互にしばらくの間見とれていました。
▲金剛力士阿形像。
▲金剛力士吽形像。
薬師寺講堂の後堂に釈迦10大弟子像が祀られていますがこの作品も中村晋也さん
造像です。ご存じの方もいらっしゃるでしょう。現在の仏師といわれる方たちの
像風とはかなりの差はあります。造像には儀軌に則った作法があり、各仏師のご
苦労は並大抵ではないでしょうが、釈迦哲学を消化した往時の精神の聖域を保ち
つつ現代に蘇らせれば、仏像表現の新しい例が生まれるのではないでしょうか。
彫刻家の仏造像を期待しています。
それにしても喜光寺のご住職はエライ、山田住職は薬師寺管主の山田法胤さんな
のでトップ意向を実現できるのでしょうね。それにしても噂に違わず素晴らしい
仁王さんです。
▼本堂編額。旧寺名、菅原寺とあります。
▼本堂(阿弥陀堂)。本尊阿弥陀三尊。
1544年(天文13年)室町時代に再建、外観は二層に見えますが、薬師寺の
三重塔と同じ裳階付き、中は吹き抜けの単層建です。
▼本尊阿弥陀三尊。
阿弥陀三尊の形をとっていますが、像造年に差があり、本尊は平安期、脇侍は南
北朝期と云われ、どうも阿弥陀さんは、よそのお寺からお越しになったみたい。
▼本尊 阿弥陀如来坐像(重文)。像高2.33m、木造、漆箔、平安期。
漆箔は僅かに残るのみですが、からだ全体はやや細身、眼は彫り込みが浅く黒目
は墨彩、上瞼は切れ長で半眼風、お口は小さく引き締まり、穏やかな思考中とい
った感じを受けます。
▼左脇侍(向かって右) 観音菩薩坐像。像高1.64m、木造、漆箔、南北朝期。
▼右脇侍(向かって左) 勢至菩薩坐像。像高1.61m、木造、漆箔、南北朝期。
▼行基菩薩坐像。像高83cm。
▼境内の一角に会津八一の歌碑。
ひとりきて かなしむてらの しろかべに 汽車のひびきの ゆきかえりつつ
▼境内で本堂を描いている方がいました。この寒い中で。
フランスの方で、ボールペンで描いています。少しばかりお話をしましたが、そ
うとう日本のお寺が好きみたい。ボールペンでここまで描くかと云うほど、細密
な表現には驚きました。
阪奈道路のすぐ脇に、新造南大門があります。これほどアプローチ条件の良いお
寺は先ずないでしょう。朱色ピッカピカの重厚で立派な門です。前回訪ねた時は、
境内全域工事現場でしたが、この日は、朱色の向こうに古色蒼然の本堂が妙なコ
ンビネーションで印象的な眺めでした。