土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

山崎の聖天さん、石段との格闘です。

2014年08月28日 | 京都の古寺巡り


(2014.08.23訪問)

前回宝積寺から山崎の聖天さんへ回る予定が、あの豪雨で戦意喪失。この日改めて再度天王山の麓に。たか
が270mの麓と思って、なめていったのが間違いのもと。参道はすべて石段、しかも急坂、マイッタサンの
ミョウオンサンですワ。
四苦八苦で境内に着いた早々、ピーカンが一転俄の大粒雨、帰る頃には又またピーカン。アッタマにクル西
山古刹巡りでした。


▼本堂。




[ 観音寺 ]
●山号 妙音山(みょうおんさん)
●寺号 観音寺 (かんのんじ) 通称 山崎聖天(やまざきしょうてん)
●開基 宇多法皇(うだほうおう)
●開創 昌泰二年 (899年)
●宗派 真言宗単立
●本尊 十一面観音菩薩立像
▲拝観料 境内自由 朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:00
▲京都府乙訓郡大山崎町大山崎白味才62番地 Tel.075-956-0016
▲阪急京都線「大山崎」駅下車 徒歩15分
 JR京都線「山崎」駅下車 徒歩約15分


         ▼西国街道沿いの東参道石鳥居の扁額、観音寺とあります。




観音寺縁起
寺伝によると、観音寺は、平安時代の昌泰二年、宇多法皇が御願寺として創建されと伝えられ、江戸初期に
箕面勝尾寺の僧木食上人以空が、中興開山します。以後、歓喜天を祀り、商売繁盛家運隆昌を願う豪商など
の信仰や、京や堺の商人の参詣を得て大いに発展。本尊の十一面千手観音菩薩よりも 歓喜天への信仰厚く、
「山崎の聖天さん」として有名になり、大いに賑わいます。しかし、蛤御門の変の際、戦火に巻き込まれて
天王山一帯は壊滅的被害を受け、観音寺も兵火によって、本尊の十一面千手観音菩薩と歓喜天像以外を残し
て焼失。明治時代から順次復興され、現在の建物は西観音寺(廃寺)の本堂、聖天堂、鐘楼など移築再建さ
れたものです。

▼JRと阪急のガードを潜りいきなりの石段参道を行くと旧西国街道。渡ると境内への参道。





         ▼参道両脇に山号、寺号石標が建ち、





▼石鳥居が、扁額には聖天宮と揮毫されています。ここにも神仏習合の名残が。





▼石段参道、ドンドン行きましょう、見えているのは仁王門。





▼仁王門です。重層楼門、三間一戸、入母屋造、本瓦葺、十二脚門、初層左右に仁王像。





▼扁額は、山号妙音山。





▼仁王門向かって右、阿形仁王さん。









▼向かって左、吽形仁王さん。









▼仁王門を潜ると石段が二手に分かれています。立派な石垣が組まれ、まるで城壁のようです。





▼どちらにしようかな、と左石段に決めました。あの光を目指して。





▼石段から見た仁王門。





▼境内がパーッと広がります。突然イヤーな雲も出て来ました。そしていきなり降ってきました。





▼手水舎です。





▼水口は龍。





▼鐘楼。





         ▼寄付好き桂昌院さん奉納の梵鐘、胴回りに四仏梵字が。





         ▼高さ3m、元禄十年(1697年)、豪商住友家が奉納した大燈籠。
          100%別子採掘銅製。





▼本堂。桁行三間、一間向拝付、入母屋造、本瓦葺。
 元治元年(1864年)蛤御門の変で全山焼失、明治十三年西観音寺(廃寺)の本堂を移築されたもの。

 



▼扁額は山号です。





▼本堂内陣、中央お厨子に本尊、十一面千手観音立像。お厨子は暗くてほとんど見えませんでした。





▼青もみじ、後ろは本堂屋根。





         ▼宝篋印塔。





▼光明殿。仁和寺より移築された元浴油堂。後水尾、明正、霊元、中御門天皇の位牌と東山天皇の坐像をお
 祀りしているそうです。





▼光明殿扁額。





▼青もみじが覆いかぶさるように谷を埋めています。紅葉は見応えありそうですよ。





▼薬師堂。一間四方、宝形造、本瓦葺。薬師如来をお祀りしています。





▼山崎聖天の名のおこり聖天堂への参道。鳥居扁額には歓喜天とあります。





▼聖天堂前左右に笑う狛犬。
 このお寺の狛犬は、笑っているので超有名らしいのですが……。















どうですか、笑ってます?



▼聖天堂。
 元治元年(1864年)蛤御門の変で全山焼失、明治十三年西観音寺(廃寺)のお堂を移築されたもの。 
 秘仏の大聖歓喜雙身天王(歓喜天)を祀っています。蓮華の上で象頭人身立像が抱擁する雙身像で、天和
 二年(1682年)勝尾寺より遷坐されたものだそうです。





▼扁額。





▼お堂正面左右に、大聖歓喜雙身天王宝前の長提灯。





▼土蔵。蛤御門の変で唯一焼け残った建物だそうです。





▼庫裡。





▼庫裡前から、石段が二手に分かれた右石段を下ります。この石段がこれまた急勾配で雨水に滑り、5~6段
 滑り落ちました。パンツの後ろが真っ黒け、よくぞ止まってくれました。




これにて東参道からの参拝はオシマイ。
この際ですので仁王門から西門まで戻り、西参道の再アタックですよ。


▼西門。立派な石垣にこじんまりとした山門があり、





         ▼約一間幅の石段を上り門を潜ると





▼いきなり急石段、途中踊り場があるものの、約120段、ここも相当な急勾配、これをクリアするとそこは
 境内となります。





▼西門横に鎮守の稲荷大明神が鎮座。





▼あとは下るだけ。





         ▼旧西国街道の西参道入口に出て、今日の石段巡りオシマイ。





▼御朱印です。





石段に悩まされ続けた山崎の聖天さんでした。濡れている石段には、皆さんくれぐれも慎重の上にも慎重に。
アーお尻が痛い。




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宝積寺、素晴らしい観音さんが待ってくれてました。

2014年08月20日 | 京都の古寺巡り


(2014.08.16訪問)

京を襲った集中豪雨の最中、天王山の麓にいました。参道口まで来るといきなりドドーッととにかく凄い雨、
急坂舗装で雨が急流ですわ、マトモに歩けません。民家の軒を借りたり、途中大念寺の山門でしばらく豪雨
を避けさせていただきました。山門の目前に本堂の迫力ある屋根が迫り、そこへ叩き付けられたように雨が
当たるとまるで滝です。屋根のカーブラインに沿って流れる水流の美しいこと、初めて目にした光景です。
少しばかリ雨勢が弱まったところで、エイヤーと宝積寺へ。


▼本堂。




[ 宝積寺 ]
●山号 天王山(てんのうざん)またの山号 銭原山
●寺号 宝積寺 (ほうしゃくじ) 通称 宝寺(たからでら)
●勅命 伝 聖武天皇 (しょうむてんのう)
●開基 伝 行基 (ぎょうき)
●開創 伝 神亀元年 (724年)
●宗派 真言宗智山派
●本尊 十一面観音菩薩立像(重文)
▲拝観料 境内自由 本堂、閻魔堂入堂料400円 朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:00
▲京都府乙訓郡大山崎町銭原1番地 Tel.075-956-0047
▲http://oyamazaki-takaradera.jp/ (オフイッシャルHPか聞くのを忘れました)
▲阪急京都線「大山崎」駅下車 徒歩15分
 JR京都線「山崎」駅下車 徒歩約10分


         ▼道標。
         阪急大山崎駅から西国街道をちょっとだけ西に歩いた右に建ってます。





宝積寺縁起
寺伝では神亀元年(724年)聖武天皇の勅命を受けたに行基が建てたと伝えられるお寺で、行基が山崎橋という
対岸八幡への往来の橋を建てた際に、橋寺として創建した「山崎院」の後身説や、他に諸説があるようです。

▼仁王門。三間一戸、切妻造、本瓦葺。両脇に金剛力士像。





▼シンプルイズベスト仁王門扁額。





▼仁王門戸口から参道。





▼金剛力士阿形像(重文)。像高 284.2cm、鎌倉時代。





▼金剛力士吽形像(重文)。像高 277.5cm、鎌倉時代。





▼イザ境内へ。





         ▼仁王門を潜るとすぐ右に三重塔のテッペンが見えます。





▼なおも参道を行くと右手に、





         ▼三重塔(重文)。塔高19.5m、本瓦葺。天正十二年(1584年)建立。
         陽さえあれば朱丹色が美しいハズ。


 
この塔は羽柴秀吉が山崎の合戦で勝利した記念に一夜で建立したと伝わるそうですけど……。



▼参道石段を上り切った所に手水舎。





▼水口が亀と云うはちと珍しいのでは。





▼本堂。本尊 十一面観音立像(重文)。
 桁行五間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。慶長十年(1605)年建造。



本堂内は三陣構成になって外中内陣に分れ、大きくない建物にしては珍しい構成と見受けました。


▼本堂外陣から。





▼本堂内陣の荘厳とご本尊。





▼本尊 十一面観音立像(重文)。像高182.2cm。天福元年(1233年) 院派仏師院範、院雲作
 暗ボケ写真ですけど金泥(金箔?)がきれいに残っているのがわかります?


 
この本尊は造像以来一度も修復したことがないそうで、とても800年経時の仏とは思えません。本当に美
しい十一面観音さんです。離れ難く住職にお願いして、しばらくこの場に坐らせていただきました。世に
有名な観音さん数多ありますが、この観音さん決して負けてません。
西山の地にこんなに素晴らしい十一面さんがいる宝積寺、まさに宝寺です。



▼小槌宮。
 聖武天皇奉納の打出と小槌から別名「宝寺」と呼ばれ、金運アップのパワースポットとしても有名だそう
 です。





▼小槌宮外陣。





▼チョット怪しい雰囲気の内陣。





▼小槌宮御神体 大黒天。


 
お金に不自由なし、ますます貯まる大黒さん御利益で平安時代から宝寺と呼ばれてるそう。
大金持ちになるには、祈祷を受けましょう。結果は責任持てません。



         ▼オットット九重石塔(伝 聖武天皇の供養塔) 
         こんな状態でも阪神大震災でも倒れなかったそう。





▼弁財天神社。





         ▼水掛不動。





▼閻魔堂。





▼閻魔堂須弥壇の諸像。
 後列中央、閻魔大王坐像(重文)。右、司命坐像(重文)。左、司録坐像(重文)。
 前列右、暗黒童子(重文)。左、倶生神(重文)。


 
日頃の生き方を閻魔さんに見透かされているようで、凛と張りつめた雰囲気がググッと迫って来ますよ。
全像鎌倉期の造像も、仏師が不明、残念ながら重文指定に留まってるそうで、これは惜しい!



▼閻魔大王。木造、像高160.8cm。





▼司録。木造、像高143.5cm。





▼司命。木造、像高124.6cm。





         ▼閻魔堂横から三重塔。





▼鎮守社十九明神。この横に天王山への登山道があります。





         ▼これが天下分け目の天王山。標高270.4m。





▼本堂中陣真言法具の前で、御朱印です。




上目遣いにご住職に、堂内の写真ダメですかと伺うと、本堂と閻魔堂の扉を開けてくださり、私横向いてま
すからとありがたいお言葉、甘えさせていただきました。雨は降り続き堂内、境内で撮りきれなかった場所
多々あったのは残念至極、もう少しご住職とお話もしたかったのですが、今日は精霊会のためお忙しそうだ
ったので遠慮しました。またお伺いします。                          合掌




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乙訓寺はボタンの名刹、しかし悲劇のお寺でもあります。

2014年08月12日 | 京都の古寺巡り


(2014.08.02訪問)

モミジのお寺から東に20分ほど、シトシト雨の中、ボタンの乙訓寺へ向かいます。
ボタンで超有名な花のお寺乙訓寺、昭和十五年、本山長谷寺から移植された二株の牡丹が、今や約二千株、
四月下旬から五月上旬頃に花を咲かせ、期間中は凄いことになるそうです。
今はもちろんそんなイメージは全くありません。


▼山門 (表門)。




[ 乙訓寺 ]
●山号 大慈山(だいじざん)
●寺号 乙訓寺 (おとくにでら)
●勅命 伝 推古天皇 (すいこてんのう)
●開基 伝 聖徳太子 (しょうとくたいし)
●開創 伝 推古天皇十一年 (603年)
●宗派 真言宗豊山派 長谷寺の末寺
●本尊 八幡弘法合体大師像(重文)
▲拝観料 境内自由 (紅葉時特別入山料500円) 朱印300円
▲拝観時間 8:00~17:00
▲http://www.eonet.ne.jp/~otokunidera/
▲ 京都府長岡京市今里三丁目14‐7 Tel.075-951-5759
▲阪急京都線「長岡天神」駅下車 阪急バス「薬師堂」下車徒歩5分
 阪急京都線「長岡天神」駅下車 徒歩15~20分


▼朱鮮やかな表門。一間一戸、四脚門、切妻造、本瓦葺。元禄八年 (1695年) 再建。




乙訓寺縁起 (乙訓寺HPから抄出)
継体天皇弟国宮舊地に、推古天皇の勅願で聖徳太子は、十一面観世音菩薩を本尊とする伽藍を建立。この寺
が乙訓寺である。延暦三年、桓武天皇がこの地に遷都されたとき、京内七大寺の筆頭として乙訓寺を大増築。
嵯峨天皇は、弘仁二年空海を別当にされた。空海事跡も多く、八幡神との合体像を造像したのが現在の本尊。
弘仁三年、最澄と密教法論、灌頂儀の契りを結ばれた。永禄年間、兵火により衰微したが、元禄六年五代将
軍綱吉は、堂宇を再建し徳川家の祈願寺となる。昭和四十一年、講堂や単独僧坊跡が発掘調査され、出土瓦
などにより平安期に隆盛を極めていたことがわかった。草創から一千三百有余年、時に盛衰はあったが大師
ゆかりの真言道場として今日に及んでいる。


▼参道。





▼地蔵堂。日限地蔵尊に日を限って祈願をすれば願いが叶えられるそうですよ。





▼地蔵堂扁額。





▼なれのはてと云っちゃなんですが、今のボタン園。来年春にはまた見違えるようになるんでしょうけど。





         ▼豆地蔵さんが大勢祀られている地蔵塔。





▼あ~ あ~





▼修業大師。





▼一種の絵馬なんでしょうか、カワイイお願いわらじ。





▼あ~ あ~ あ~





▼鐘楼。





▼梵鐘。元禄九年 (1696年) 名工藤原国次鋳造。先の大戦時に戦時供出となり、1968年に再鋳造された。





         ▼早良親王供養塔。



実の兄に殺された悲劇の皇太子、早良親王事件とは。
延暦四年、天皇寵臣藤原種継暗殺事件に連座し、親王の天皇擁立計画が露見、親王は乙訓寺に幽閉後淡路に
配流途中、無実を訴えるも憤死、淡路に葬られている。一説にこの事件は桓武天皇による早良排除の謀略と
いわれている。以後、天皇周辺での変死者が続き、疫病などが起こり、早良親王の怨霊と畏れられた。畏れ
た桓武天皇は早良親王を祀り、崇道天皇と追号されたのである。



▼本堂(大師堂)。本尊 八幡弘法合体大師像(重文)。
 桁行三間、梁間五間、単層、宝形造、本瓦葺、向拝一間付。元禄八年 (1695年) 再建。





▼本堂内部。





▼本堂前のお不動さん。





▼空海さん手植えという菩提樹。これでもかと云うほどの大木です。





▼毘沙門堂。本尊 毘沙門天立像。





▼モチノキも太くて大きいです。モチノキ科、樹高9m、幹周り2.93m、根周り3.55m、樹齢400年。





         ▼十三重石塔。





▼鎮守社石鳥居。





▼本殿。一間社流造、銅版葺。(屋根葺きの変遷 檜皮葺→柿葺→桟瓦) 元禄八年 (1695年) 再建。





▼裏門。一間一戸、高麗門、切妻造、本瓦葺、両脇練塀付。元禄八年(1695年) 再建。





▼御朱印です。




入堂出来ず、仏像にもお目にかかれず少しばかり欲求不満が残ったこの日の乙訓寺でした。
ボタンの華やかなイメージもこの時期勿論なく、ボタン園の夏草茫茫には一抹の淋しさ侘しさを感じます。
このお寺は長岡京造営以前から、かなりの規模の寺院だったらしく、乙訓地域で現存する最も古い寺院とい
われているそうです。
早良親王の悲劇は親王供養塔一基が佇むのみ、1200余年前の悲劇を感じることはありませんでした。



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奈良公園のさるすべり、まだまだつづく見栄え。

2014年08月08日 | 花巡り



(2014.08.07訪問)



▼鷺池のさるすべり。





強烈な11号いったい今何処に? と思うほどこちら近畿の今日はあまりにも好天気。
出社後、例により撮るものだけ、取って気がつけば近鉄奈良行快速急行に乗ってました。
ギンギンに乾いたこの猛暑、熱中症ものともせず、奈良公園の人の多さ、ビックリです。







百日紅のあのハッキリしない色加減、グレイッシュパステルとでも云いますか、
あの中途半端なピンクや赤の色模様、実は好きですねん。

さるすべりって花期の長い花なんですね。子規も云ってます。

萩の花 既に散らくも 彼岸過ぎ 猶咲き残る さるすべりかも 子規

とりあえず鷺池浮見堂に向かったのであります。


         ▼浮見堂を入れて。













▼青空に映えます。





















         ▼浅茅が原。鹿君まどろんでました。





▼春日野園地。ここは白、ピンク、赤のそろいぶみ、目下満開中。









































         ▼法華堂前にも紅白があります。













▼講堂跡にも。





▼猫坂の横にも。





▼南円堂にも。





▼今日の鹿くん。 江戸三の横の小池で、何をしてるんでしょう。





いやはや何とも云い難い暑さ、鹿君の気持ちよくわかりました。




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光明寺、青もみじのクリーンエネルギーが一杯。

2014年08月05日 | 京都の古寺巡り



(2014.08.02訪問)


先週と打って変わり今日の京都は終日シトシト雨。
京都西山から乙訓方面はボクにとっては未踏の地。光明寺、善峯寺、楊谷寺、この三山称して西山三山とい
う名刹が西山古道で結ばれています。錦秋赤のシーズンには人で蒸せかえる紅葉寺。今日は緑に蒸せかえろ
うと、青もみじ一杯の長岡京市の光明寺を訪ねることにしました。
雨でしかもオフシーズン、参拝者ゼロ、いいもんですよこんな日の古刹巡り、ジックリ、タップリ心置きな
くです。写真はペケですが。


▼お見事グリーントンネル。





[ 光明寺 ]
●山号 報国山 (ほうこくざん)
●院号 念仏三昧院 (ねんぶつざんまいいん)
●寺号 光明寺 (こうみょうじ)
●開山 法然上人 (ほうねんしょうにん)
●開基 蓮生法師 (れんせい / 熊谷直実)
●開創 建久九年 (1198年)
●宗派 西山浄土宗総本山
●本尊 御影堂の本尊 法然源空像(張子の御影)
    阿弥陀堂本尊 阿弥陀如来立像
▲拝観料 境内自由 (紅葉時特別入山料500円) 朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:30
▲http://www.komyo-ji.or.jp/
▲京都府長岡京市粟生西条ノ内26‐1 Tel.075-955-0002
▲JR京都線「長岡京」駅下車 阪急バス20,22系統「光明寺前」下車スグ

 阪急電車「長岡天神」駅下車 阪急バス20,22系統「光明寺前」下車スグ


         ▼寺号石標。




光明寺縁起 (光明寺HPから抄出)
承安五年 (1175年) 浄土宗を開かれた上人は、この粟生野の地で初めて念仏の法門を説かれたのです。文治
元年(1185年)かの源平の戦いで有名な熊谷蓮生法師(熊谷次郎直実)が戦いの明け暮れから、積もる罪業
を償い極楽往生の道を求めて法然上人を訪ねました。「どんなに罪は深くとも、念仏さえ一心に申せば必ず
救われる」との、あまりにも有り難いみ教えに歓喜し、直ちにお弟子となり剃髪しました。法力房蓮生と名
付けられ、数年のご修行の後、喧噪の吉水を離れ、静かに念仏を称えられる地を求めて、建久九年(1198年)
上人ゆかりの地、粟生広谷に寺を建て、法然上人を勧請して入佛落慶法要を営み、開山第一世と仰ぎ、自ら
は二世となり、上人からは「念仏三昧院」の寺号を頂きました。これが光明寺の発祥です。


▼参道から総門。





▼浄土門根元地石標。
 光明寺が建つ粟生広谷は、法然上人が初めて「南無阿弥陀仏」のお念仏の教えを説かれた場所だそうです。





▼結界門として過剰な装飾がないシンプルな総門。
 一間四脚高麗門、切妻造、本瓦葺。天保十六年 (1845年) 建立。





▼境内マップ。広いお寺です。





▼門を入るとすぐ左に閻魔堂。





         ▼いきなり閻魔さんに睨まれました。
          今日はおとなしく拝観しよう~ッと。





総門を入ると道が二手に分かれています。正面から本堂に向かっている坂が表参道、通称「女人坂」です。
後で歩きますが、左手の道は秋になると鮮やかな紅葉のトンネルになる通称「もみじ参道」。

▼このグリーントンネルが、





▼緑一色一直線に、





▼御影堂まで続くんです。





         ▼胴に龍が彫られた大きい石燈籠。





▼鐘楼。四方一間、切り妻造、本瓦葺。
 梵鐘は新しいもので昭和二十四年(1949年) 鋳造。





▼穢れ身一掃とはいきませんが、せめて手を清めて。





         ▼法然上人像。
          上人の誕生八百五十年を記念して、昭和五十七年(1982年)建立。





▼法然さん袈裟懸けの松。





▼経蔵。四方一間、宝形造。宝永四年(1707年)建立。
 一切経やその版木、信徒の写経などが収められています。





▼立派な御影堂。光明寺の本堂です。本尊 法然源空像(張子の御影)
 桁行五間、梁行五間、入母屋造、本瓦葺、総欅造、三間向拝付。宝暦三年 (1753年) 再建。





▼御影堂外縁。





         ▼お線香。最近の線香は煙が少ないようです。





▼御影堂から境内、参道の奥左右に薄紅い楓みえます?





▼その色付きはじめ楓の雨粒。このくらいのシトシトぴっちゃん!





         ▼可愛いお子さま地蔵がお二人。





▼阿弥陀堂。桁行三間、梁行三間、入母屋造、本瓦葺、総欅造、一間向拝付。寛政十一年 (1799年) 再建。





▼荘厳華麗な内陣。





▼本尊阿弥陀さま。像高2m、木造。蓮生さんが琵琶湖堅田の浮御堂から背負って持ち帰ったと云う伝承が
 あるそうです。伝承は伝承として、造像は近世の作かと。





▼勢至堂への参道は立ち入りは禁止。要するにお参りが出来ないと云うこと。





         ▼法然さん本廟へはここからですが……。





▼ここも立ち入りは禁じられているようです。知恩院は御廟お参りフリーなんですがねぇ。





▼勅使門。前後唐破風付四脚門、万延元年 (1860年) 建立。





▼書院玄関。書院、方丈も拝観出来ません。





▼法然さん火葬跡。





▼庫裡。





▼さて総門まで引き返して、ピカイチのもみじ参道を行きましょう。





▼緑に覆われてます。





▼中途に薬医門が建ちます。





▼緑の額縁とでも云いましょうか。





▼映えてます。





▼見事なトンネルです。




と云うことで、光明寺青もみじ オ シ マ イ



▼帰りがけ入り口総門をジックリ見るとユニークな造り、なんて云う造りなんでしょう。





▼御朱印です。これだけの筆さばき、ありがたみ倍増ですね。





それにしてもシトシト雨さえなけりゃもっと緑が。いやいやこの緑、慈雨のたまものと思いましょう。
秋を期待して! 相当の人出を覚悟のうえで皆さんどうぞ!

堪能しました青もみじに送られて次の目的地にgo! ですヨ。




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