土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

圓教寺は、西の比叡山と呼ばれる天台宗別格本山です。

2014年06月24日 | 兵庫の古寺巡り



(2014.06.21訪問)


先週に続いて播磨です。
姫路の地を踏むのは三十数年ぶり社用で訪ねた以来、JR姫路駅からお城が見えることすら覚えがありません。
なんと申しますか姫路は今、官兵衛一色。通りの両側には官兵衛プロジェクトの幟と旗が僅かな間隔ではた
めき、大河の威力まざまざです。
今日はそれどこではありません、便数の少ないバスで一路書写山へ。西の比叡山、圓教寺を訪ねます。山岳
寺院でかなりデカイお寺と聞いていたので果たして回りきれるか、不安のままやってきました。
もうチョット早く家を出れば済むことなのにマッタク!


▼大講堂。圓教寺の本堂です。




[ 圓教寺 ]
●山号 書寫山 (しょしゃざん)
●寺号 圓教寺 (えんきょうじ)
●開創 康保三年 (966年)
●開基 性空上人
●宗派 天台宗別格本山
●本尊 本尊 釈迦三尊像 
▲兵庫県姫路市書写2968 TEL.079-266-3327
▲拝観料 500円 御朱印300円
▲拝観時間 8:30~18:00
▲HP http://www.shosha.or.jp/ 
▲西国三十三カ所観音霊場第二十七番札所
▲JR山陽本線姫路駅 山陽電鉄姫路駅下車 神姫バス「書写ロープウェイ行」終点下車
 ロープウェイで山上下車 徒歩15~20分 またはマイクロバス5分


▼書写山ロープウェイ。




圓教寺縁起 (圓教寺パンフから抄出)
当山は康保三年 (966年) 性空上人によって開かれました。「この山に登るものは菩提心を起こし、また峰に
棲む者は六根を浄め」られると云う文殊菩薩のお告げの通り、摩尼殿上白山において上人は六根清浄の悟り
を得られました。その後上人の徳を慕い利益を得ようと云う人々の信仰を集め「西の比叡山」と称されるよ
うになり僧侶の修行道場としても栄えてまいりました。


▼ロープウェイを降りると志納所で入山料を払いいよいよ参道です。
 参道に沿って三十三体の観音さんが迎えてくれます。右の青っぽいお像は一番札所青岸渡寺の如意輪さん。





▼10分くらいで鬱蒼とした木立の間、仁王門が見えてきます。





▼仁王門。三間一戸、八脚門、切妻造、本瓦葺。江戸初期建立。
 仁王さんは何処かへお出かけ中のようで、お部屋は空っぽ。





▼志よしや寺と書かれた扁額。





▼奉納金が刻された相当古い石柱が続く参道を行きます。





▼パッと視界が開けました、姫路市内です。





         仁王門から10分くらい、圓教寺シンボル摩尼殿に着きました。
         ▼寺標です。





▼摩尼殿 (如意輪堂)。本尊 如意輪観音菩薩坐像。
 桁行九間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺き、懸造。天禄元年 (970年) 建立。





▼摩尼殿の懸造。下から仰ぎ見ると豪快な堂々とした造形です。





▼石段を上ります。御朱印はここでいただくので早速入堂。





         ▼剣に登り龍の手水口、凝りに凝った手水鉢が堂前に。





▼外陣の大提灯と奉納額。









▼摩尼殿楼上からはこんな眺めです。下に見えるのは、はづき茶屋。





▼緑が燃える青もみじのトンネル。道はマックロケで見えませんが「三之堂」への参道です。





▼それでは「三之堂 (みつのどう)」へまいりましょう。





▼途中に穏やかないいお顔の露坐の大仏さんが鎮座されてます。





▼さてさて超有名な「三之堂」広場に着きました。
 右大講堂、正面食堂、左常行堂の三棟が「コ」の字形に並び三棟を総称して「三之堂」と呼ばれています。


 
なぜ超有名か、トムクルーズと渡辺謙のラストサムライのロケ地だったのでした。皆さん知ってました?



▼右にある大講堂 (重文) 。圓教寺の本堂。本尊 釈迦三尊像。
 桁裄七間、梁間六間、重層入母屋造、本瓦葺き。室町期再建。





▼大講堂扁額。相当経時変化で見にくいですが、書写山圓教寺と揮毫されてます。





▼大講堂外陣です。この格子の奥が内陣。





▼中央の食堂 (じきどう) (重文) 。写真の通り横に長いお堂です。
 桁裄十五間、梁間四間、重層入母屋造、本瓦葺き。室町期再建の長大なお堂。


 
ラストサムライピックアップ
渡辺謙と真田広之がトムクルーズを生かすか殺すかを話すシーンとトムクルーズが床に寝転がり、その後渡
辺謙と敵について話すシーン、これがことに有名ですネ。



▼食堂の上層。寺宝の展示館になっています。





▼食堂の背面。





▼常行堂 (重文) 。常行三昧、ひたすら阿弥陀仏の名を唱えながら本尊を回る修行をするための道場。
 四方五間、入母屋造、本瓦葺。
 北側に桁行十間、梁間二間、切妻造、本瓦葺の吹放し建物が接し、中央部には唐破風造の「舞台」が付く。
 写真はこの面です。





▼常行堂本尊 阿弥陀如来坐像 (重文) 。像高251cm、木造。仏師安鎮、寛弘二年(1005年)。
 お堂中央部方二間の須弥壇に安置されいる堂々の丈六仏。お顔、身体の金泥、螺髪の群青、納衣の翻波が
 蝋燭の光で殊更に見栄え上々。





▼弁慶の鏡井戸。今はたんなる小さい池、弁慶にまつわるおもしろお話が残ってるそうです。





奥之院へ行きましょう。
▼不動堂。





▼開山堂 (重文) 。桁裄五間、梁間六間、宝形造、本瓦葺。元応元年 (1319年) 再建。





▼開山堂外陣。性空上人の大提灯が。





▼開山堂内陣。奥のお厨子には本尊 性空上人木像が本尊として祀られています。性空上人の遺骨も像頭部に
 収められているそうです。





▼開山堂軒の伝左甚五郎作と伝わる力士。本来四体のはずが西北隅の一体は現在重さに耐えかねて逃亡中。


         


         ▼和泉式部歌塚。開山堂の横に建ってます。


 
         暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき 遥かに照らせ 山の端の月
      
      性空さんに会いに来ながら居留守を使われて、泣き泣き詠んだ歌らしいですね。 



▼鐘楼 (重文) 。方一間勾欄付き、入母屋造、本瓦葺、袴腰。鎌倉時代。容姿端麗かっこのいい鐘楼です。





▼法華三昧堂。本尊 普賢菩薩。方三間、宝形造、本瓦葺。





▼薬師堂。本尊 薬師如来。
 桁裄一間、梁間二間、入母屋造、本瓦葺。元応元年 (1319年) 再建。圓教寺最古のお堂。





▼金剛堂 (重文) 。本尊 金剛薩埵菩薩菩薩坐像。方三間、入母屋造、本瓦葺。





▼展望広園広場から。





相当ハードな境内巡りいよいよオシマイ、もと来た道を帰ります。怪しい天気予報でしたが、いいウォーキ
ング日和でございました。

▼仁王門からの緑。





▼青もみじのトンネルを潜ってロープウェイまで。





▼御朱印です。





特別フロク
▼今日の姫路城。世の噂通りヤッパリ白いです。イヤだなぁ、青空だったらもっと白が映えたのに。
(2~3日前に素屋根が外されたそうです)


 

西の比叡山とはよく云ったもので、書写山一体が境内の巨刹圓教寺。山岳寺院の常として堂宇伽藍が散在、
結局巡り切れてないお堂や塔頭、鎮守社が結構残りました。西国札所なので、巡礼姿の団体さんのお参りが
多く結構な賑わい。今日は一番楽なロープウェイでの訪問でしたが、このお山には六つの登坂参拝ルートが
あるそうで、どれかでアタックするのも面白そうですネ。
ボクは絶対しませんけど。




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鶴林寺は「播磨の法隆寺」感動的大寺です。

2014年06月17日 | 兵庫の古寺巡り



(2014.06.14訪問)


加古川の地を踏むのは、実は初めてであります。
訪ねた鶴林寺は古来より「播磨の法隆寺」と呼ばれている古刹、聖徳太子とその師恵便との関わりが、この
お寺の起源と伝わり、歴史伝承の多彩なお寺。仁王門前に建つ「聖徳皇太子御霊跡」と刻された大石柱は、
図らずもこのお寺の性格と古からの太子信仰が連綿と続く大寺を表すモニュメント。初めてその前に立ち、
衰えない太子への思慕と信仰の強さに感動されつつ仁王門を潜りました。


▼本堂。





[ 鶴林寺 ]
●山号 刀田山 (とたさん)
●寺号 鶴林寺 (かくりんじ)
●開創 伝用明天皇二年 (587年)
●開基 伝聖徳太子
●宗派 天台宗
●本尊 薬師如来 (重文) 
▲兵庫県加古川市加古川町北在家424 TEL.079-454-7053
▲拝観料 500円 宝物館拝観料500円 セット券800円 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:30
▲HP http://www.kakurinji.or.jp/mainpage/top-kakurinji.htm 
▲JR加古川駅下車徒歩25分 かこバス加古川駅前南3番乗り場から「鶴林寺」下車スグ


         ▼聖徳皇太子御霊蹟石柱。





鶴林寺縁起 (鶴林寺パンフから抄出)
六世紀末、高句麗の僧恵便法師が排仏派物部氏の迫害を逃れ播磨隠棲の時、聖徳太子がその教えを受けるた
め播磨に来訪、秦川勝に命じ精舎を建立し「刀田山四天王寺聖霊院」と名付けたのが当寺の前身。養老二年
(718年) 太子遺徳を顕彰するため七堂伽藍を建立、寺号も刀田山四天王寺と改められた。
その後慈覚大師円仁が入唐時立ち寄り薬師如来を刻して国家安泰を祈願、以後天台宗に改宗。
天永三年 (1112年) 鳥羽天皇から勅額を賜り「鶴林寺」と寺号を改めた。太子信仰の高まりとともに、鎌倉、
室町時代に鶴林寺は全盛期を迎えた。織豊時代の戦乱弾圧、江戸期の宗教政策、明治の廃仏毀釈と云った困
難機を乗り越え、今や「播磨の法隆寺」と呼ばれ、人々の太子信仰厚く、多くの文化財とともに心の安らぎ
の場となっている。


         ▼三重塔と寺標石柱。





▼仁王門。三間一戸、重層楼門、入母屋造、本瓦葺。階上が坐禅堂になってるそうです。
 惜しいことに階上公開は日曜日なんです。





         ▼阿形金剛力士。





         ▼吽形金剛力士。両玉眼が失われています。





▼仁王門から境内、正面本堂。





▼手水舎。





         ▼加古川のシンボルタワー三重塔。





▼三重塔本尊、大日如来坐像。





         ▼三重塔。





▼常行堂(重文)。桁行3間、梁間4間、寄棟造、本瓦葺。





▼行者堂(重文)。
 元は鶴林寺の鎮守社。面白い社殿造りで、前面春日造、背面入母屋造。応永十三年 (1406年) 建立。
 初めて見ましたこんな構造、ユニークです。





▼新薬師堂。





▼新薬師堂本尊薬師三尊。薬師如来を中尊に左脇侍日光菩薩、右脇侍月光菩薩。



(須弥壇上の右、左は本尊から見ての表示です)



         ▼中尊薬師如来坐像。
          半眼にも関わらず目の印象が強く、螺髪が大きめ、安定感のある
          薬師さんです。





         ▼左脇侍、日光菩薩立像。





         ▼右脇侍、月光菩薩立像。





▼須弥壇両脇に十二神将が並んでいます。





左近のなんとか、右近のなんとかを意識してるのでしょうか。
▼本堂前向かって左に菩提樹の大木。鈴なりで今盛り、落花も今盛り!





▼右に沙羅双樹の可憐な白の咲き始め。(お寺は沙羅双樹と云ってますが、夏ツバキです)





▼本堂 (国宝)。桁行七間、梁間六間、入母屋造、本瓦葺。応永四年 (1397年) 建立。鶴林寺最大の堂宇です。



本尊は内陣奥深く宮殿と云うお厨子の中秘仏薬師如来 (重文) と五体のお像が祀られているそうです。
外陣から見る内陣にはそれはそれは立派な宮殿(くうでん)が置かれ、本堂はまるで覆屋の感がします。



▼本堂外陣での法話。





▼本堂から境内を見ると、どんどん参拝者の姿が。





▼古色の中の五色幕、きれいに揺れてました。





▼袴腰の重厚な鐘楼 (重文)。桁行三間、梁間二間、入母屋造、本瓦葺。応永十四年 (1407年) 建立。





▼太子堂 (国宝)。四方三間、宝形造、檜皮葺。四周濡縁。天永三年 (1112年) 建造。



屋根の右張り出しを縋破風(すがるはふ)と云い、実に美しい造形 です。正堂に礼堂をくっ付けたものらしい
です。



▼太子堂本尊釈迦三尊 釈迦如来を中尊に左脇侍普賢菩薩、右脇侍文殊菩薩。



写真の三尊はレプリカ、実像は宝物館で見ることができます。(写真は鶴林寺HPからお借りしました)



▼太子堂背面から。





▼観音堂。本尊観音菩薩立像 (秘仏)。





▼観音堂外陣から内陣。欄間から天井には千社札だらけ。少し光って見えるのはお前立ち像です。





▼護摩堂 (重文)。四方三間、入母屋造、本瓦葺。永禄六年 (1563年) 建立。





         ▼護摩堂本尊不動明王坐像。
          前面格子にへばりついて撮らせてもらいました。





▼地蔵堂。





▼地蔵堂本尊子安地蔵坐像。石のお地蔵さんです。





▼境内北端の塔頭寺院の前、小さいながらも掘割りになっています。





▼睡蓮はまだですが、亀ちゃんが咲いてました。





▼掘割り。





▼講堂。





▼経蔵。





▼西国三十三カ所札所巡りが出来ますよ。境内西端に観音さんが並んでます。





         ▼仏足石。





▼東門。相当酷いことになっています。





▼西門。





▼御朱印です。周辺の黄色いものは菩提樹の落花です。





         特別フロク

         ▼聖観音菩薩立像。



この観音像を拝する限り本家法隆寺の「夢違観音」を彷彿とさせてくれます。制作年代など専門的にはボク
などサッパリですが、白鳳期仏として非常に似ている印象を持ち、法隆寺との繋がりが何となく判るような
気がしました。愛らしい観音さんです。
宝物館に展示されています。 (写真は鶴林寺HPからお借りしました)


整然と並んだ堂宇伽藍の重厚さにも関わらずなんとオープンなお寺と云う印象、僧侶方、寺方の参拝者への
接し方など実に気持ちがいい、堂宇で往時の現存建物はありませんが、しかし太子哲学や精神は1400年の
時空を超えて今なお生きているのかなと思いつつ、そして参拝者の多さもナットクできる鶴林寺でした。
素晴らしいお寺でした!!


ついでに
黒田官兵衛正室光さんの実家がこの加古川市志方にあったそうで、鶴林寺宝物館では、光さんや一族の宝物
が今月イッパイ展示されていますヨ。





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知足院は東大寺塔頭の一つです。

2014年06月13日 | 奈良の古寺巡り



(2014.06.07訪問)

十輪院から奈良町、興福寺をスルーして東大寺大仏殿の裏手大仏池を横目に正倉院東の道を行くと、右手に
鬱蒼の緑に埋もれんばかりの参道石段が見えます。そうなんです、ここは東大寺塔頭知足院なんです。
東大寺境内のほぼ北の端、東大寺メインエリアのあの雑踏はここにはありません。人っ子一人居ないこの静
寂、古色蒼然の山門と築地塀や石段、奈良時代が今甦ってきたような、なんとも云い難い聖域がここにある、
そんな雰囲気を持つ知足院にやってまいりました。

▼本堂。





[ 知足院 ]
●寺号 知足院 (ちそくいん)華厳宗大本山東大寺塔頭
●開創 伝寛平二年 (890年)
●再興 建長二年 (1250年) 東大寺別当定親法印
●宗派 華厳宗
●本尊 地蔵菩薩立像 (重文) 愛称 文使い地蔵
▲奈良県奈良市雑司町406
▲拝観料 境内自由
▲拝観時間 9:00~16:30
▲近鉄奈良線「奈良」駅下車 徒歩20分 東大寺大仏殿からは徒歩5~6分

▼なぜか過去に吸い込まれていきそうな参道。





▼山門。時代から置き去りにされた雰囲気、しませんか。





         ▼控えめな表札。





▼山門からの参道石段。





         ▼築地塀の今、白壁だったんですね。





▼本堂。桁裄五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。文久三年 (1863年) 再建。
 小さい境内の真ん中に堂々と建っていますが堂内は窺い知れません。





         ▼本尊 地蔵菩薩立像 (重文) 像高97.2cm、木像彩色。7月24日地蔵会で開帳。
         イヨッ 男前! お厨子に安置されているためか彩色や文様が美しく残されているようです。
         この本尊には亡き父から娘へのメッセージが託されていたと云うお話が残っているそうです。



         本尊写真はネットから貰ってきました。



▼本堂花頭窓。





▼鐘楼。





▼架かる梵鐘は新しそうです。地蔵菩薩銘が右端に見えます。





▼庫裡への石段。





▼石段脇にひっそりと石仏。





▼庫裡から山門を見ています。左の竹垣は新しいものでした。




知足院は本堂、鐘楼、庫裡があるだけ極々小さいお寺で、縁起も不詳。場所的に普段からここを訪れる人は
少ないと云うことですが、毎年7月24日の地蔵会には、東大寺全山の僧侶による法要が執行、本堂は開放さ
れ参拝者は入堂が許されて、この日だけはお地蔵さんファンで境内は溢れるそうですよ。


▼今日の大仏池。人影なし、鹿クンまでも姿なし、でした。






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十輪院、本尊は仏龕の地蔵菩薩。

2014年06月10日 | 奈良の古寺巡り



(2014.06.07訪問)


久々に訪ねた十輪院の境内の様変わりにビックリ! 
決して広いとは云えない境内ですが見違えました。お庭の池回りや高台に休憩所、供養花壇まで出来、とり
どりの草花が彩りを添え、参詣者の一刻の安らぎの笑顔が目に浮かびます。

▼本堂。





[ 十輪院 ]
●山号 雨宝山 (うほうざん)
●寺号 十輪院 (じゅうりんいん)
●勅願 伝元正天皇 (げんしょうてんのう)
●開基 伝朝野宿禰魚養 (あさののすくねなかい)
●開創 不詳
●宗派 真言宗醍醐派
●本尊 地蔵菩薩石像 
▲奈良県奈良市十輪院町27 TEL.0742-26-6635
▲拝観料 400円 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:30
▲HP http://www.jurin-in.com/index.html 
▲JR大和路線「奈良」近鉄奈良線「奈良」駅下車 天理行きバス 「福智院町」下車徒歩3分


▼南門 (重文)。四脚門、切妻造、本瓦葺。鎌倉時代。




十輪院縁起
(十輪院HPから抄出)
十輪院は元興寺旧境内の南東隅に位置しています。 寺伝によると、元正天皇の勅願寺で、元興寺の一子院と
いわれ、右大臣吉備真備の長男朝野宿禰魚養の開基とも伝えられています。
沿革は不詳ですが、鎌倉時代「沙石集」には本尊石造地蔵菩薩を「霊験あらたなる地蔵」として取り上げら
れています。室町時代には寺領三百石、境内一万坪の広さがあったようですが、兵乱等により、多くの寺宝
が失われました。その後江戸期には徳川幕府の庇護を受け、寺領も五拾石を賜り、諸堂の修理がなされまし
た。現在、本尊の石仏龕、本堂、南門、十三重石塔、不動明王二童子立像、それに校倉造りの経蔵(国所有)
などが残っています。


▼南門から正面に本堂。





▼本堂 (国宝)。本尊 石仏龕の地蔵菩薩。
 (十輪院HPから抄出)
 本堂は内部にある石仏龕を拝むための礼堂として建立され、近世には灌頂堂とも呼ばれていました。正面
 の間口を広縁にし、蔀戸を用いています。軒まわりは垂木を用いず厚板で軒を支えています。 また、棟、
 軒および床が低く、仏堂というよりは中世の住宅をしのばせる要素が随所に見られます。柱間の上にある
 蟇股は優美な形状をしています。



仏龕間口2.68m、奥行2.45m、高さ2.42m。中央に地蔵菩薩、本尊左右に釈迦如来、弥勒菩薩がレリーフ、
周りに不動明王ほか諸仏が見えます。まるでアジャンタの石窟寺院の一窟を見ているような。勿論行ったこ
とはありませんけど。



▼本堂扁額、雨宝山山号が記されています。





▼本堂正面の蔀戸と障子。
 床と軒の低さがよく判り、広縁は一間。まさに仏堂というより、中世住宅の趣きありありです。





▼蕾が付きだしましたよ。





▼蓮葉がどどーんと大きくなってきました。





▼御影堂。三間四方の宝形造、銅板葺、一間向拝付。地下があるんですけど何でしょう?





▼御影堂扁額。





▼いつの間に花壇。しばらく訪ねないと境内も見違えるほど変わってます。





▼庭園。





         ▼お不動さん立像。





▼お顔アップもチョット判りにくいですがお口は一文字。





▼庭園。





▼合掌観音菩薩石像。ほんのり穏やかなお顔、いい感じやないですか。





▼本堂が見え隠れ。





         ▼十三重石塔。とは云っても十重、初層が異様に大きいのが目につきます。





▼飛び石の小径。





▼護摩堂。
 不動明王と二童子を祀っています。毎月8日、18日、28日の午後2時から護摩祈祷が行われ開扉されます。





▼御朱印です。




今日お相手をして下さったのは尼僧さん。拝観はボク一人だったので、しばらく堂内で立ち話、説明を受け
るよりどちらかと云うと世間話、もう少し真面目に聞いとけば。モッタイナイことしました。



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日向大神宮は「京の伊勢」と云われてるそうです。

2014年06月06日 | 京都の古寺巡り



(2014.05.31訪問)

南禅院から蹴上げまで戻り、粟田口から日向大神宮に向かいます。聞くところ相当ゾクゾクする神社と云
うことで気合いを入れて歩いています。

東山山麓に神代の世界が広がっているのを初めて知りました。神域には天照大神をはじめとする記紀神話
の神々が祀られ内宮、外宮をはじめ摂社、末社が点在しています。東山三十六峯の一つ神明山が神体山で、
広大な神域を持ち、緑濃い深厳な森の奥深い地に、日向大神宮は鎮座しています。伊勢神宮との関わりが
どのようなものかは知りませんが、神明造の社殿をはじめ、朱や緑といった色のない世界の神々しさは
「京の伊勢」と称される由縁がわかるような気がします。


▼内宮





[ 日向大神宮 ]
●社号 日向大神宮 (ひむかいだいじんぐう)
●開創 不詳 伝顕宗天皇の御代
●社格 官幣社
●祭神
 内宮 (上ノ本宮) 天照大御神 (あまてらすおおみかみ) 多紀理毘賣命 (たぎりひめのみこと)
         市寸島比賣命 (いちきしまひめのみこと) 多岐都比賣命 (たぎつひめのみこと)
 外宮 (下ノ本宮) 天津彦火瓊々杵尊 (あまつひこほににぎのみこと)
         天之御中主神 (あめのみなかぬしのかみ)
▲京都市山科区日ノ岡一切経谷町29 TEL.075-761-6639
▲拝観料 境内自由
▲拝観時間 9:00~17:00
▲HP www//12.plala.or.jp/himukai/
▲地下鉄東西線「蹴上」下車徒歩15分
 
日向大神宮縁起 (日向大神宮略記から抄出)
当神宮は、第二十三代顕宗天皇の御代に筑紫日向の高千穂の峯の神蹟を移して創建されたと伝えられてい
ます。天智天皇は、圭田をご寄進され、鎮座の山を日御山と名づけ給い、清和天皇は、日向宮の勅願を賜
い、醍醐天皇は、延喜の制で宮幣社に列し給いました。



▼一の鳥居は三条通粟田口に建っています。





▼インクラインにかかる大神宮橋。





         ▼燈籠形社号標。





▼二の鳥居。





▼こんな参道をしばらく上ります。





▼参道を15分ほど歩くと平坦地に手水舎。





▼すぐ横に境内社厳島神社。弁財天をお祀りしています。





▼さて神域へ。





▼日向大神宮境内図です。(図は日向大神宮HPからお借りしました)





▼石段を上り切ると大鳥居が。





▼中央に見えるのが外宮本殿と神門、右に拝殿、左は社務所。





▼拝殿。





▼外宮本殿と神門。





▼外宮祭神 天津彦火瓊々杵尊 天之御中主神。
 外宮本殿。神明造、萱葺、千木は外削 (そとそぎ)、堅魚木7本。
 神門屋根は萱葺、千木は外削、堅魚木5本。





▼多賀神社、春日神社。多賀神社は伊邪那岐命、伊邪那美命を、春日神社は天児屋命を祀っています。





▼恵美須神社、天鈿女神社。恵美須神社は事代主神(ことしろぬしのかみ)、天鈿女神社は天宇受売神
(あめのうずめのかみ)を祀っています。





▼内宮への参道。深閑な森の中石段を上ってゆくと。





▼そこは内宮です。
 内宮祭神 天照大御神 多紀理毘賣命 市寸島比賣命 多岐都比賣命





▼内宮大鳥居から拝殿、神門と本殿。





▼内宮本殿。
 神明造、萱葺、千木は内削 (うちそぎ)、堅魚木8本。神門屋根は萱葺、千木は内削、堅魚木6本。




社殿屋根にある千木と堅魚木のお話
千木の先端が外削(垂直カット)、堅魚木の数が奇数→男神をお祀り。
千木の先端が内削(水平カット)、堅魚木の数が偶数→女神をお祀り。
決して定説ではありません、一般論として流布しているそうですが、伊勢神宮外宮はそれが当てはまらな
いそうです。

皆さんご存知でしたか、神社由緒を知る取っ掛かりにはなりそうですね。


▼高台から見た内宮。左奥から本殿、神門、拝殿です。





▼天岩戸も存在してます。内宮左手の参道を上ります。





▼天岩戸は通り抜け可、岩戸をくぐり抜けるのを「ぬけ参り」と云い、罪穢れが払い清められ、福を招く
 ご利益があるそうです。それではとボクは2往復しました。全長7~8m。





         ▼窟奥に戸隠神社。天手力男命 (あめのたじからおのみこと) が祀られています。





最後に伊勢神宮遥拝所が最高所にあります。行ってみましょう。

▼125段ある参道石段。





▼石段あり地道あり。結構な距離を登った気がします。





▼伊勢神宮遥拝所。立派な石の鳥居が建っています。




伊勢神宮遥拝所は相当高見にあり、ちょっとした登山、薄暗い参道に人影無し、まさにゾクゾクビクビク
しながら上ってます。参道の一部が京都トレイルのコースでかなりハード、しかも見晴らしは黄砂の奴が
邪魔をしてサッパリ、散々な遥拝所参拝でした。

▼遥拝所の樹々の切れ目から市内が一望と云いたいところですが、この日は相当酷い黄砂で平安神宮大鳥
 居もこの通り。





神々の世界の神秘性を感じることの出来る不思議な世界が京に在りました。賀茂の両社や北野天満宮、
平安神宮や稲荷社がもつ雰囲気や感性とは少しばかり違うなにかが感じられる日向大神宮でした。



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