土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

白毫寺、珍しい太鼓橋があります。

2015年11月26日 | 兵庫の古寺巡り




(2015.11.21訪問)


妙高山のほぼテッペンから惨道を下り、市島の街中を五大山の麓まで、迷車大和路号は次に丹波紅葉の名刹として名高
い白毫寺を目指しています。このお寺もあの法道仙人開基と伝わる古刹で、先に訪ねた神池寺の縁起にも共通して伝わ
る法道仙人と円仁さんの事跡、共に天台宗に属しているお寺です。時期すでに遅し、丹波の山々からとりどりの錦繍綾
錦が散り染め、ただの冬景色にならんとしています。花のお寺もその彩りがなくなると、ただの古刹、やはりこちらも
参拝の方々チラホラ、読経の声ばかりが響いていました。




▼白毫寺入山口。少し奥に見える二本が石門。しかし見事に散ってますネ。






[ 白毫寺 ]
●山号 五大山 (ごだいさん)
●寺号 白毫寺 (びゃくごうじ)
●開基 法道仙人 (ほうどうせんにん)
●開創 慶雲二年 (705年)
●中興 慈覚大師円仁 (じかくだいしえんにん)
●本尊 薬師瑠璃光如来 (秘仏)
●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
▲拝観 300円 朱印300円 駐車場無料 
▲時間 自由 
▲兵庫県丹波市市島町白毫寺709 電話0795-85-0259
▲http://www.byakugouji.jp/
▲JR福知山線「市島駅」下車、タクシーで8分
 舞鶴若狭自動車道「春日IC」から国道175号線福知山方面10分




        ▼立派な寺号石柱が先ず目に入ります。






白毫寺縁起。(白毫寺HPから抄出)
寺伝によれば慶雲二年(705年)法道仙人により開基された。本尊は天竺から伝えられた薬師瑠璃光如来(秘仏)。眉間の白
毫から神々しく瑞光を放っていたので「白毫寺」と名付けられた。入唐求法旅から帰朝の際に白毫寺を訪れた慈覚大師
円仁(後の第三世天台座主)は、周囲の山並みが唐の五台山に似ていることから山号を「五台山」と命名(後世に五大山と
改称)、持ち帰った密教法具を伝えた。円仁が“中興の祖”と呼ばれる由縁である。法道仙人はインドの僧で、中国五台山
で修行の後に日本を訪れた。円仁もまた五台山で修行を重ねている。開祖も中興の祖も、共に五台山にゆかりがあるの
は不思議な因縁と言うしかない。鎌倉時代から南北朝時代には七堂伽藍が建ち並び、九十三坊を擁する丹波屈指の名刹
として隆盛を極めたが、天正時代に明智光秀の丹波攻略の兵火で焼失。しかし人々の厚い信仰に支えられて立派に再興
し現在に至っている。





▼ にこやかなお顔でお迎えです。






▼心字池。






▼寺号石標の向こう、有名な太鼓橋です。






▼人界と仏界を結ぶと云われ心字池に架かる太鼓橋。覆い屋に守られています。
 長さ5.2m、幅2.05m、高さ1.75m。






▼渡って仏界に行きたいもんですが渡ることは出来ません。

     




▼こういう撮り方をすると水車のようですネ。

      




▼鐘楼。丹波もみじめぐりの幟もどこか白けてもはや淋しげ。

    




▼梵鐘向こうに僅かな赤が。

 




▼太鼓橋の延長に薬師堂参道。

    




▼薬師堂。白毫寺の総本堂。   
 桁裄三間、梁間四間、異形宝形造、桟瓦葺、正面千鳥破風が付き一間の銅板葺唐破風向拝が付く。











▼薬師堂前面は大小のガラス格子が嵌っています。入堂は出来ません。






▼外陣と内陣は格子戸で仕切られ、格子が細かく内部を窺うことは出来ません。
 本尊 薬師瑠璃光如来(秘仏)。

         




▼内陣長押に架かる山号扁額。

        




▼薬師堂外形はこんなお堂です。

   




▼軒下にこんなもんが吊り下げてありました。

             




▼薬師堂の屋根は中々ユニーク、宝形造りのテッペンが珍しい形をしています。ボクは初めて目にします。                     

    




▼薬師堂裏手の小高い所に熊野権現社、白毫寺の鎮守社です。

             




▼参道横にはこんな石仏も。

  




▼本坊への参道。左手に豪快な棚が見えますね、






        ▼九尺藤、見てくださいこの幹。



回向本堂の北側には長~い140mの藤棚があり、特に五月初旬の九尺藤は巨大な紫のベールとなって優しく人々を包み
込むそうですよ。秋の紅葉よりもこちらの方が凄いですよとご住職が自慢してました。




▼本坊山門。

   




▼門前の「一隅を照らす」天台宗是の石碑。第253世天台座主山田恵諦上人の揮毫。

             




▼もう一つの本堂、回向本堂です。檀家の法要でしょうか読経が聞こえてきます。






▼山号扁額が輝いてます。

        




        ▼堂前にボケ封じ観音がお立ちです。銅像で妙な光り方をしていました。

   




▼御朱印です。太鼓橋に置いて撮りました。






境内は広くはなく、本坊エリアを除いて堂宇も観音堂のみ、ユニークな堂姿のお堂には是非入堂したかったんですが格
子戸から覗くのみ、勿論本尊も秘仏で内陣の様子も見ること不可能、消化不良の拝観でしたが、心字池に架かる太鼓橋、
これだけは必見の価値あり、渡れたらもっといいんですが、あのRではムリでしょうね。
ご住職から「紅葉の時よりも藤の時に是非お越し」の言葉に送られて白毫寺を辞しました。




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神池寺、山寺はすっかり冬待ち寺です。

2015年11月24日 | 兵庫の古寺巡り




(2015.11.21訪問)


迷車大和路号は又また丹波路を走っています。
いくらかの残り紅葉の期待もあったんですが、丹波紅葉の名刹は今や色気すっからかん。散り紅葉の絨毯すらありませ
ん。お陰と申しますか、お寺訪問には絶好の時季がいよいよ巡って来ました。標高564.8mの妙高山山頂近くに位置す
る神池寺は早くも冬到来の感じがします。既に紅葉の色気はなく人っ子一人居ない境内を巡っていると尚更の感。広い
駐車場も大和路号ただ一台、人と会ったのは庫裏でご住職ただお一人でした。




▼参道中腹に山号妙高山碑が建てられています。
 この参道、舗装はされていますが急勾配、急カーブの凄い道、迷車大和路号は又また登山にチャレンジです。






[ 神池寺 ]
●山号 妙光山 (みょうこうざん)
●寺号 神池寺 (じんちじ)
●開基 法道仙人 (ほうどうせんにん)
●開創 養老二年 (718年)
●本尊 千手千眼観世音菩薩立像
●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
▲拝観 境内自由 朱印300円 駐車場無料 
▲時間 自由 
▲兵庫県丹波市市島町多利2609-1 電話0795-85-0325
▲JR福知山線「市島駅」下車、タクシーで15分
 舞鶴若狭自動車道「春日IC」から国道175号線福知山方面10分 右折15分




▼ここが総門。といっても石柱が建つのみ。まだしばらく酷道を走ります。






神池寺縁起。(神池寺パンフ及び天台宗兵庫教区寺院大図鑑神池寺から抄出)
奈良朝元正天皇の養老二年(718年)法道仙人が仏法を広めんと飛錫の途、当山に立ち寄り心霊を感じ、ここに伽藍を建
立、千手千眼観世音菩薩立像を安置し開基したと伝えます。山に形が須弥山に似ているので妙高山と、山上に霊池があ
るので「神池寺」と号するようになった。聖武天皇は勅願所とされ、行基菩薩、慈覚大師等来錫、往時は堂塔五十余、
僧坊二百をかぞえ、丹波叡山と称された。元弘年中には、大塔宮護良親王が来山、山門の衆徒に論旨を賜り兵を京に進
めるが、賊の追撃にあい、全山悉く兵火に遇う。元禄の頃より寺運衰頽の兆しがみえ、明治維新の大改革で境内、山林
など尽く上地となる。さらに昭和四十年の台風にて本堂、講堂を全壊、僅かに残った山林も惨憺たる被害を受ける。そ
の後、昭和の大改修により復元、復興する。

   
▼ いつの間にか境内に、妙光山の山頂近く標高約430mの地点に神池寺はあります。
 さぞや境内全山紅葉と思いきや……、この三本だけがかろうじて秋の名残。

  




▼駐車場横の庫裏。

      




        ▼天台の宗是。

     




▼放生池。

 




▼肩切り地蔵の祠。(境内の肩切り地蔵の由緒から抄出)
 貞観二年桜爛漫の頃、由松の恋人お美津から今宵腰掛け松に来てほしいの便り、かってそんなことがなかっただけに
 訝りつつ刀を腰に出かけた。春のよは更けゆき待つ間もなくコトリの音に振り返るといつもと違ったお美津が立って
 いた。「待ったかい」と手に触れると手の冷たさ、五体に伝う冷感に思わず刀を抜き、袈裟懸けに、カチンと音がし
 たのを夢心地に気を失った。朝霧に我に返った由松は、傍らに袈裟懸けに切られた地蔵尊を見て罪の深さにおののき
 生涯供養して地蔵尊を祀った。と云うもう一つよく判らないお話でした。






▼ユニークな形の七福神堂。丹波七福神恵比寿霊場の木札が掛けられています。






        ▼神池寺衆徒慰霊碑。



(慰霊碑より抄出) 
元弘三年(1333年)四月八日、鎌倉幕府討幕運動の最中、大塔宮護良親王論旨を賜り、六波羅探題攻撃の軍勢に加わって
いた神池寺衆徒八十余騎が五条西 の洞院まで進出、大いに奮戦したが悉く討ち死全滅。その後一月余りにして鎌倉幕
府滅亡、建武中興がなった。衆徒の慰霊碑です。




▼常行堂。

   




▼常行堂須弥壇の荘厳。中央奥に本尊阿弥陀三尊がお祀りされています。

    




▼本尊阿弥陀三尊。






▼役行者もこのお寺に何か関わりがあるんでしょうか。






▼本堂エリアへの道しるべ。登山と書いてますね。イヤですネ。

        




        ▼参道石段横に神池寺寺号石柱。

       




▼さて問題はこの石段参道、上に見えるは仁王門なんですが……、

   




▼石段参道なんと本堂まで157段あるんです。枝々の葉はすっかり落ちてしまってます。

       




▼参道中頃右折すると慈覚大師円仁さんの供養宝篋印塔があります。こんな道を行きます。

       




▼慈覚大師宝篋印塔。円仁さんが嘉祥四年(851年)妙光山に登頂の記録があるそうです。

       




▼参道に戻りましょう、簡素な仁王門です。三間一戸、八脚門、入母屋造、銅板葺。

  




▼山号が書かれた扁額。






▼阿形仁王さん。左目が失われており少々恐ろしい感じで怖いです。






▼方や吽形仁王さん、五体健全です。

   




▼仁王門から本堂、最後の石段です。

        




▼少しばかり陽が射してきました。

        




▼振り返って仁王門。屋根にいくらかのチリチリ紅葉。

        




▼まもなく本堂です。

   




▼本堂。桁裄五間、梁間五間、入母屋造、銅板葺、三間向拝付。






▼本堂前面は開き戸で中扉はすべて格子戸、入堂は出来ません。中央格子はボコボコの透明プラスチックなので堂内の
 見にくいことこの上なし。






▼キレイな堂内、中央12本柱に囲まれた内陣の奥に須弥壇。

       




▼須弥壇中央に本尊千手千眼観世音菩薩立像が祀られています。

     




        ▼本尊千手千眼観世音菩薩立像。後ろに立派なお厨子が見えるのでヒョットしたら
         お前立ちのお像かも。

 




▼本堂です。






▼鐘楼。






▼本堂左手に行者堂。






▼護摩壇が設えられた行者堂内。須弥壇には何方もおられませんが御簾内にひょっとしたらお役行者がおられるのかも。






        ▼境内のお地蔵さん。






▼不動明王堂。慈覚大師円仁さん手彫りの不動明王像が祀られている筈ですが……。






        ▼前面格子扉に宝剣が。






        ▼宝篋印塔。






▼広い本堂エリア。一帯は県立公園だそうで、神池寺も公園の一部みたいです。
 左手に見えるのは大枝垂れ桜、春はそれはそれは見事の一語に尽きるそうです。






▼御朱印です。






山寺へのアプローチは、ほぼ皆同じ。酷い道で急坂、急カーブ、細い道は当たり前、上からクルマが来たらどないしよ
う。そんな惨道でも考えようで、クルマの耐久テストや運転テクニックの練習にもってこい、チャレンジしながらGO!
なんて云うのはウソですよ、そんなことしたらいけません。安全運転で行きましょう。
それにしても神池寺の参道はかなりな惨道です。

神 池 寺 オ シ マ イ





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酬恩庵一休寺、一休さんに会ってきました。

2015年11月16日 | 京都の古寺巡り




(2015.11.14訪問)


降るのか降らないのかどっちやねんのお天気の中、久々一休さんに会いに京田辺の酬恩庵一休寺にやってまいりました。
腹が立つにもほどがある、お寺に着いた途端降り出しました。
昨夜の雨風で紅葉もさぞ痛めつけられているのじゃなかろうか、さぞ人出も少ないだろうと期待してやって来ましたが、
居るんですね~ 団体さんが。




▼総門。相当散ってます。






[ 酬恩庵一休寺 ]
●山号 霊瑞山 (れいずいざん)
●寺号 酬恩庵 (しゅうおんあん) 通称一休寺
●宗派 臨済宗大徳寺派 (りんざいしゅうだいとくじは)
●開山 南浦紹明 (なんぽじょうみょう)
●創建 正応年間 (1288~1293年)
●中興 一休宗純 (いっきゅうそうじゅん)
●中興 康正年間 (1455~1456年)
●本尊 釈迦如来坐像 
▲拝観 500円 朱印 300円 駐車場 300円 
▲時間 9:00~17:00 
▲京都府京田辺市薪里ノ内102 電話0774-62-0193
▲近鉄京都線「新田辺」駅から京阪バス「一休寺道」下車 徒歩5分タクシーで「一休寺」
 JR学研都市線「京田辺」駅から京阪バス「一休寺道」下車 徒歩5分タクシーで「一休寺」
 京奈和自動車道「田辺西」ICから約10分




        ▼総門左に建つ寺号の石柱。






酬恩庵一休寺縁起 (酬恩庵一休寺HPから抄出)
元の名は妙勝寺であって、鎌倉時代、臨済宗の高僧大應国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後禅の道
場をここに建てたのが始めである。その後、元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、六代の法孫に当たる一休
禅師が康正年中(1455~6年)宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名した。禅師
はここで後半の生涯を送り八十一歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、文明十三(1481年)十一
月二十一日八十八歳の高齢を以って当寺において示寂され遺骨は当所に葬られたのである。このように禅師が晩年を過
ごされたことにより「一休寺」の通称が知られるに至ったのである。


        ▼一休さん筆の七仏通戒偈の碑。前半の偈です。
        「諸悪莫作 衆善奉行 自淨其意 是諸仏教」釈迦弟子阿難尊者の作と伝わります。






▼手水舎。






▼参道。まだまだ青もみじが多いですネ。
















▼浴室(重文)。禅刹における三黙堂の一、修行の場。桁裄五間、梁間三間、切妻造、本瓦葺。






▼たくさんのお願い事が掛けられています。






▼昨夜の風と雨で散々な目にあった散紅葉。






▼一休禅師廟。一休さんの出自は後小松天皇の皇子。よって御廟は宮内庁管理。






 




▼散紅葉と青もみじの参道を本堂へ。






▼立派な袴腰の鐘楼(重文)。






▼本堂へはこの小門を潜ります。






▼すっかり散ってますね。






▼本堂 (重文) です。
 桁裄三間、梁間三間、入母屋造、檜皮葺。永享年間(1429年~1441年)に室町幕府六代将軍足利義教建立。








        ▼扁額。






▼天井はすこぶる高く、釈迦三尊を安置するのみの一切の荘厳を施さない、きわめてシンプルな須弥壇です。
 中央釈迦如来坐像、右文殊菩薩獅子騎上坐像、左普賢菩薩象騎上坐像を祀っています。






▼本尊釈迦如来坐像。






▼本堂。






▼開山堂。






▼開山堂内に大應国師南浦紹明の木像が安置されています。シンプルな堂内です。






▼この方が大應国師南浦紹明さんです。






        ▼開山堂前に小坊主時代の一休さんがいます。






▼もちろん真ん中を渡りましたよ。






▼鴨が遊んでいます。






▼ズーッとこの調子で降ってます。

           




▼中門(重文)を潜り方丈庭園へ。

 




▼スグ右に虎丘庵茶室。予約をすれば拝観可能。もとは一休さんの居室。






▼方丈への唐門(重文)。通れません。






▼庫裏(重文)。






▼庫裏玄関。デッカイ衝立の中で例の虎が迎えてくれます。






▼方丈扁額。






▼方丈礼の間。一般客人を通す部屋。襖絵は狩野探幽筆の松竹梅図。






▼方丈室中の間。中央奥内陣を昭堂といい一休禅師の木像が安置されています。襖絵は狩野探幽筆の瀟湘八景図。






▼一休禅師木像。一休禅師逝去の年に高弟墨済禅師に命じて作らせたもので自身の頭髪と髭を植えたとされているそう
 です。






▼方丈南面の南庭。 (酬恩庵一休寺HPから抄出) 
 南庭は宗純王廟と虎丘を背景としてこれら建物の北部斜面を利用してサツキの刈込があり西部に大きい蘇鉄が植えら
 れている典型的な江戸時代の禅苑庭園である。刈込から軒下までは白砂が敷き詰められ、さっぱりとした中に落ち着
 いた雅味をあたえています。











▼方丈檀那の間。檀那衆を通す部屋。襖絵は狩野探幽筆の陶淵明と林和靖の図。
方丈各間の襖絵はレプリカです、本物は宝仏殿に収蔵されています。






▼方丈東庭。 (酬恩庵一休寺HPから抄出)
 東庭は大小の石が立ちまた横になる様を十六羅漢になぞらえたとされているそうです。






▼結構色付きはいいです。






▼方丈北庭。 (酬恩庵一休寺HPから抄出)
 北庭は禅院枯山水としての蓬莱庭園である。東北隅に約2メートルの巨石を配しいわゆる観音石として用いている。
 これに他の集団石組をもって枯滝落水の様子を表現している。



その昔、正面には木津川を上下する白帆を眺めることが出来また晴れた日には比叡山を望んで楽しんだと言われる。
これら三方からなる庭園は江戸初期のものとしては第一流であり当代庭園の白眉とされている。
この作庭は石川丈山、松花堂昭乗、佐川田喜六の三名の合作とされている。




▼方丈北面の矩形廊下。






▼まるで名残紅葉のようですね。






▼総門の散紅葉を惜しみつつ一休寺を辞しました。






▼御朱印です。






今年の酬恩庵紅葉は少し遅いらしいですよ。
このお寺の紅葉期間は結構長く、前中後期と三期間あるそうで昨夜の雨風で前期紅葉が殆ど散紅葉、中後期はまだ青も
みじで徐々に進む季節の変化にこのあと期待出来るとお寺のお姉さんが云ってました。

紅葉命の皆さん期待してください!


自然の美は陽光がなけりゃサッパリですワ。雨の酬恩庵一休寺 オ シ マ イ





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安国寺、紅葉に囲まれた釈迦三尊に合掌。

2015年11月12日 | 京都の古寺巡り




(2015.11.07訪問)


光明寺を辞して君尾山を下り西に約二十キロ、迷車大和路号は禅刹丹波安国寺に向かっています。殆どクルマの走って
いない府道をスイスイです。安国寺には素晴らしい釈迦三尊がおられると聞いていたので今日のコースに入れたのです
が、このお寺紅葉名所とも聞いていたのでこの時期相当な人出覚悟で訪ねると、やはり参道前は真っ赤、しかし参拝者
チラホラ、駐車場ガラガラ、少しばかり拍子抜けながらも我が意を得たりと参道石段を上がって行ったのでありました。




▼自然の妙、僅かの距離ながら山寺よりも里寺の紅葉の鮮やかさ艶やかさにビックリ!






[ 安国寺 ]
●山号 景徳山 (けいとくざん)
●寺号 安国寺 (あんこくじ)
●宗派 臨済宗東福寺派 (りんざいしゅうとうふくじは)
●開基 足利尊氏 (あしかがたかうじ)
●開山 天庵妙受禅師 (てんあんみょうじゅ)
●開創 康永元年 (1342年)
●本尊 釈迦三尊 
▲拝観 境内自由 朱印300円 駐車場無料 
▲時間 8:00~17:00 
▲京都府綾部市安国寺町寺ノ段1 電話0773-44-1565
▲JR山陰線「綾部駅」よりあやバス黒谷線「安国寺前バス停」下車 徒歩10分
 JR舞鶴線「梅迫駅」より徒歩15分              
 京都縦貫自動車道「綾部安国寺IC」からJR舞鶴線の踏切を渡って西へ進む。
 
▼安国寺縁起。           






▼参道入口の山号と寺号の石柱。






▼真っ赤のトンネルになってます。











▼赤の次は緑のトンネル。






▼山門です。一間一戸、四脚門、控柱付、本瓦葺、袖塀付、天保十四年(1843年)再建。






▼山門扁額。楼?五 何と読むんでしょうか。






▼こういう色合いもまた趣向。






▼境内正面に茅葺の仏殿。桁裄五間、梁間五間、入母屋造、茅葺。寛保三年(1743年)再建。

  



▼寺号の書かれた仏殿扁額。 






▼仏殿内。簡素な荘厳ですが、重厚感たっぷり。中央須弥壇に本尊釈迦三尊を安置、禅宗仏殿の基本構成を再現、床は
 瓦敷、須弥壇は四本柱構成、格天井になってます。

 




▼本尊釈迦三尊(重文)。中央宝冠釈迦如来坐像、脇侍に右文殊菩薩坐像、左普賢菩薩坐像。脇侍両菩薩が獅子と象に騎
 乗しているのかは不明、外から見えないんです。    






▼中尊釈迦如来坐像。なんと宝冠と胸部瓔珞の立派なこと!豪華絢爛これでもかの感じ。 
 像高約160cm、檜寄木造、玉眼嵌入。歴応二年(1339年) 円派仏師豪円作。
 京市内の大寺院の山門楼上には宝冠釈迦如来坐像が安置される例が多いのですが、このお釈迦さん決して負けません。
 676年と云う経時にも関わらず残る彩色の上品さと、お顔の表情の何とも云い難い格の高さに見とれてしまうこと暫
 しです。






▼広々の境内、意外に参拝の方少ないでしょう。 
 茅葺屋根のお堂は珍しく、遠目には豪農の母屋かな、近づいて見ると両端に花頭窓、ヤッパリお堂だ。






▼紅葉もここまで来てます。






▼観音堂。極々小さいお堂です。






▼本尊は小さな観音石仏。舟形光背を背負う半彫り像です。






▼赤のグラデがキレイです。






▼放生池。






▼池畔から橋越えの庫裏。






▼開山堂門。周りの朱の染まり、キレイさ目立ちました。






▼開山堂。開山 天庵妙受禅師をお祀りしています。桁裄一間、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺。






▼開山堂周りの染まり具合。






▼開山堂横の三基の宝篋印塔。 中央足利尊氏、左尊氏母堂清子、右尊氏妻登子の墓。






▼補強か補修かの工事中の鐘楼。






▼ここも赤のグラデがキレイです。






▼大屋根桟瓦の波打つリズム感が心地よい方丈。






▼方丈前庭に置かれている鬼瓦、旧堂のものなんでしょう。






▼茅葺の庫裏。こちらで御朱印を戴きます。






▼庫裏玄関の間の豪筆衝立。紀元二千六百年と云いますから昭和十五年(1940年)に揮毫されたものですネ。






▼玄関三和土にさり気なく。






▼参道前に足利尊氏公誕生の地の石碑が。






▼手前に尊氏公産湯の井戸なるものも残ってます。






▼御朱印です。






庫裏でご住職に「こちらの紅葉スゴイですね」と云うと、「なんのなんの今年はダメ、十月の雨の少なさ気温の高さで
染まるのが遅く色が悪いです」と嘆いておられました。自然美に縁遠いボクなんかから見ると自然の織りなす綾錦の美
に感嘆しきりなんですがねぇ。(褒め過ぎかな)
ただ全体としては少し時期的には早いようで、六~七分の赤さの印象でしょうか。









安国寺もみじ祭り11月15日(日)に行われます。
樹齢80年を超す約100本のもみじを愛でながら、邦楽の流れる中で、野点や舞踊、地元特産品の出店などが催されるそ
うです。ちなみに安国寺は綾部で一~二を競う紅葉名所らしいですヨ。

ボクが訪ねたのは7日、15日はひょっとして凄いことになってるかも知れません。紅葉命の方は是非どうぞ。

安 国 寺 オ シ マ イ




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光明寺、異彩を放つ国宝二王門。

2015年11月10日 | 京都の古寺巡り




(2015.11.07訪問)


先々週 BS11でやっていた京都綾部市の君尾山光明寺の紹介を見ていると、立派な国宝二王門や本堂が映り、インタビ
ューに朴訥と答えられるご住職を拝見して「こりゃ行かねばなんめぇ」と早速、迷車大和路号は京都縦貫道を北に向か
って走っている訳でございます。
念のため、京西山の光明寺ではありません、京都の北部綾部市の光明寺です。どちらもこれから赤い葉っぱで凄いこと
になるお寺には違いがないんですが、こちら今はまだ大丈夫だろうと100キロ越えの道のりをルンルンで走っています。




▼ここまで来たらしめたもの、道なりで光明寺二王門へと云いたいところですが……、






[ 光明寺 ]
●山号 君尾山 (きみおさん)
●寺号 光明寺 (こうみょうじ)
●宗派 真言宗醍醐派 (しんごんしゅうだいごは)
●開基 伝 聖徳太子 (しょうとくたいし)
●開創 伝 推古天皇七年 (599年)
●中興 理源大師聖宝 (りげんだいししょうぽう)
●本尊 十一面千手観音菩薩立像 (秘仏) 三十三年に一度開帳
▲拝観 境内自由 朱印300円 駐車場無料 
▲時間 8:00~17:00 
▲京都府綾部市睦寄町君尾1-1 電話0773-55-0550
▲綾部西国観音霊場第三十三番
▲JR山陰線「綾部」駅からあやバス上林線、於見市野瀬線で「あやべ温泉前」下車、徒歩30分
 京都縦貫道「京丹波わち」ICから国道27号線「山家」交差点を右折、北へ


ココで言い訳なんですが……、
大和路号は何も考えずにボ~と走っていたと思ってください。
二王門下の駐車場に着くべきところ、細いグニャグニャ道をご丁寧にも登山をして上の駐車場へ着いてしまいました。
二王門がない!ウロウロしました。
目の前は本堂へのアプローチ石段、よし先に境内を見ようと云う訳で、終えたあと参拝のお姉さん方に二王門どこです
かと聞くと「このスグ下ですよ」と云う答え。本当にスグ下に二王門の屋根が見えてました。
早速二王門まで下り、また登って行った次第、二王門から参拝したと云うストーリーを捏ち上げ、です。
従って参道口から二王門までの参道情景やお堂の写真はありません。スイマセンネェ。




▼いきなりの二王門(国宝)。三間一戸、八脚楼門、入母屋造、栩葺(とちぶき)。初層両脇奥の間に仁王像安置。
 白鳳八年(680年)建立と寺伝。実際は仁治三年(1242年)着工、宝治二年(1248年)建立。
 この地にあって凄い立派な楼門です。標高581mの君尾山の中腹と云いますから3~400m位の所、どうしてこれ
 だけの建物の建立が可能なのか不思議と思いません?






光明寺縁起 (光明寺パンフから抄出)
寺伝によると千四百年前、推古七年(599年)聖徳太子の創建と伝え、役行者が修験道場として籠られその後、醍醐寺開
祖、理源大師聖宝が秘教大道場として中興したと伝えます。平安から鎌倉期にかけて最も栄え、山上山下七十二坊の大
寺院を形成、その後戦国動乱で二王門を除く諸堂が焼失、数年後再建されたが、天正年間信長の命により明智光秀の攻
撃で焼失衰亡。そのご興隆衰亡繰り返しながら天保七年(1836年)現在の本堂が再建されました。




        ▼寺号光明寺と書かれた二王門扁額。






▼右奥の間の阿形金剛力士。






▼左奥の間の吽形金剛力士。






▼二王門。






▼境内側から見た二王門。






▼これが屋根の栩葺(とちぶき)です。長さ二尺五寸×幅八寸×厚さ八分の栗板四千五百枚を三重に重ねたもの。非常に珍
 しい例だそうですよ。






▼だんだん上りの参道ですネ。






▼デッカイ紅葉です。






▼ふと右を見ると板石仏と五輪塔が並んでました。






▼この樹はこれからもっと真っ赤になるんでしょう。






▼八十八体の石仏が安置されてます。文政八年(1825年)に近隣住民の方々が四国霊場の本尊として日々の安寧と繁栄を
 祈願して寄進されたと寺伝は述べているそうです。






▼こんな参道が続きます。参拝者はいません。






▼こんな紅葉も。






▼ここを少し上ると、もうすぐ参道石段です。






▼108段の石段、この上が本堂エリア。この左側の駐車場に着いたんです。






▼108段、意味深な石段数です。






▼本堂エリアに着きました。鐘楼の周辺は相当赤みが来てるようです。






▼なかなかキレイですね。うれしいことに人影全くなし。






本堂周辺には人影全くナシなんですが、本堂内から何やら声がしています。幸い入ることが出来たんです。

▼本堂です。桁裄七間、梁間五間、入母屋造、銅板葺、三間向拝付。天保七年(1836年)再建。






▼本堂内陣須弥壇とお厨子、お前立ちの十一面千手さんがお立ちです。
 どうです、シットリとした華美にならないカラーリング、ご住職のセンスが窺えるようです。
 本尊は十一面千手観音菩薩立像 (秘仏) 三十三年に一度開帳されるそうです。
 本尊は貞享二年(1685年)時の領主藤懸永次公奉安したもの。






        ▼伏目で一心不乱の精神統一か、いいお顔をされてますネ。






        ▼須弥壇厨子左右には彩色キレイな二十八部衆がひな壇の如く並んでいます。



        こんなお像一体でいいから欲しい 欲しいなァ 欲しいわァ




▼凄い細工のお厨子の軒です。組み物の細かさ分かります?







▼本堂外から聞こえたのは、ご住職の講話とお寺の説明でした。唯一のお客、昭和のお姉様方五人組が静かに聞き入っ
 ていました。丁度幸いとボクもそ~と中に入れてもらいました。






        ▼講話中のご住職 媒林誠雄師です。



        「TVで見まして本日参上致しました」
        「あんたどっから来たん」
        「大阪です」
        「へえ~大阪でもあのテレビ写るん」
        「……」
        てな具合でBSで拝見したお人柄そのもののご住職でした。




▼右脇段に厨子入り九頭竜王像。小さいお像ですが細かな彫りと彩色ことの外鮮やか、ご住職自慢の一品だそうです。











        ▼左脇段に不動明王三尊。






▼見事な本堂向拝の彫り物。貫の龍、向拝軒垂木の手鋏み、木鼻の阿吽の象。













彫物師中井権次橋正、清次良正の木札がさり気なく付けられています。




▼赤い葉っぱと本堂。






▼アホの見本。こういう連中の頭の中どうなっているんでしょうネ、






▼かなり来てます。






▼大師堂です。開基 聖徳太子、中興 理源大師聖宝、その師 弘法大師空海の三師をお祀りしています。






▼大師堂正面。扉の格子から中を覗くと……、






▼真っ暗! 見えますか、幽かに三師のお姿が。






▼この方向もかなり来てます。






▼赤い葉っぱと大師堂。






▼ココは相当来てますネ。






        ▼本堂前の灯籠はガッチリガード。ガードを外すと倒れるそうです。






        ▼南北朝時代建立の宝篋印塔。ご住職はこの塔も自慢してはりました。






        ▼あと十日ほどそれはそれは真っ赤な競演が見れるそうです。
         紅葉命の方は是非どうぞ。






▼大正五年(1916年)再建された庫裏。こちらでご住職から御朱印を戴きました。






▼達筆御朱印です。二王門奥の間に置いて撮りました。






寺伝と実歴に年代差はあるんですが、山岳寺院の最たる姿を残している光明寺、失礼ながらこんな辺鄙な地にこれだけ
のお寺が連綿と時代時間を紡ぎ法灯を灯し続ける努力、兵火や動乱で興隆衰亡繰り返しながらも地域と地域住民に根ざ
した信仰の高さ、重さを改めて感じた光明寺でした。

ご住職が一言。
「明智光秀は福知山では名君か知らんが、ここでは悪者よ」
同じ放送で福知山城と光秀が写っていたことに痛くお気に召さないようでした。


光 明 寺 オ シ マ イ





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