土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

舞洲にゆり園が開園してます。

2013年06月27日 | 花巡り


(2013.06.14訪問)

舞洲西のシーサイドに6月1日(土)から7月7日(日)まで開園しています。
相当広いエリアに200万輪だそうです。入園料1,000円高いか安いか、一度行かれたらいかが。

●JRゆめ咲線桜島駅下車、北港観光バス 舞洲アクティブバス「ロッジ舞洲前」下車
●JR環状線西九条駅下車、大阪市営バス81系統「舞洲スポーツアイランド」下車
●大阪市営地下鉄中央線コスモスクエア駅下車、北港観光バス コスモドリームライン「ロッジ舞洲前」下車

▼ゆり園エリアマップです。














































































本法寺は本阿弥光悦一族の後援がそうとう大きかったようです。

2013年06月24日 | 京都の古寺巡り


(2013.06.22訪問)

なべかぶり日親さん苦難法難の生涯、文人本阿弥光悦さんとその一族の後援、画聖長谷川等伯さん寄宿など
など、逸話の多い本法寺を訪ねました。このお寺は、本阿弥光悦作庭の三巴の庭、等伯の巨大な仏涅槃図な
どで著名なお寺です。
近くには茶道三家の本家が軒を並べ、紳士淑女の出入りが結構盛んでした。
和装のご婦人ってよろしおすなァ!

▼多宝塔。




[ 本法寺 ]
●山号 叡昌山 (えいしょうざん)
●寺号 本法寺 (ほんぽうじ)
●宗派 日蓮宗 (にちれんしゅう) 本山
●創建 永享八年(1436年)
●開山 日親 (にっしん) 上人
●開基 本阿弥清信
●再興 本阿弥光二、光悦
●本尊 十界曼荼羅
▲京都市上京区小川通寺の内上る本法寺前町617 電話 075-441-7997 
▲拝観料 境内無料 書院、庭園、宝物館500円。御朱印500円。
▲HP http://eishouzan.honpouji.nichiren-shu.jp/
▲JR京都駅から京都市バス賀茂行き 堀川寺の内下車徒歩3分
地下鉄烏丸線 鞍馬口下車徒歩約10分

▼参道から仁王門。




本法寺縁起 (本法寺HPから抄出)
日蓮宗本山叡昌山本法寺は、久遠成院日親上人の開創で、永享八年(1436年)、京都東洞院綾小路に建立され
ました。日親上人は、将軍足利義教に「立正治国論」を献じたが将軍の忌諱に触れ投獄、寺も焼却。将軍義
教が上人に加えた刑罰は次第に苛酷、焼鍋を頭にかぶせる等の残虐眼を覆う迫害もありました。世に冠鐺(な
べかぶり)日親上人と称するのは、この法難をいいます。しかし上人の大不動心は、後花園天皇の叡感に適い、
康正元年(1455年)四条高倉辺に官地を賜り本堂が再建。長禄四年(1460年)三条万里小路に移建。天文年間に
一条戻橋辺(現今の晴明神社)に移建、天正十五年(1587年)、現在地に移り、第10世日通上人は、寺領千石の
寄進を受け、本阿弥光二、光悦親子は私財を投じて再建。天明八年(1788年)の大火は洛中を灰燼となし、本
法寺の伽藍も災厄に逢い、僅かに経蔵と宝庫とを残すのみとなりましたが、その後、檀信徒の堂塔再建の悲
願は着々実現し今日の景観に繋がっています。

▼仁王門。三間一戸、十二脚重層楼門、寄棟造、本瓦葺。




▼仁王門を潜ると石畳参道が一直線に本堂へ向かいます。




▼参道左手に紫陽花が植わっていますが、まだこれからのようで、この二輪だけでした。




▼本堂。寛政九年(1797年)再建。桁行七間、梁間五間、単層、入母屋造、本瓦葺、正面四間の向拝付。




▼本堂扁額。本阿弥光悦の書。




▼本阿弥光悦手植えの松。




▼長谷川等伯像。本堂前に立って曰く、今日も天気がわるいわい!



宝物館には長谷川等伯の仏涅槃図 (重文) が保存されています。縦10m、横6m。
今宝物館に展示されているのは仏涅槃図のレプリカが掛けられています。
仏涅槃図は等伯六十一歳の作品で、箱蓋の内側に本法寺十世日通上人が、慶長四年四月二十六日に長谷川等
伯によって奉献されたことを銘記していいます。この大涅槃図は、人々の菩提に資するために長谷川等伯に
よって描かれ奉納されたの。もともと長谷川家は、日蓮宗の信者で、等伯は、能登地方七尾の絵師として知
られたが、父道浄の死後上洛して本法寺塔頭教行院に寄宿していたそうです。


▼開山堂。寛政八年(1795年)再建。




▼開山堂扁額。




▼多宝塔。 寛政年間(1789~1801年)再建。




▼摩利支天堂。写真は拝殿、本殿は奥に繋がっています。




▼鬼子母神堂。扁額は北辰殿と書かれています。妙見大菩薩、鬼子母神、七面大天女、大黒天の4体が祀ら
れています。




▼境内。左は開山堂。




▼経蔵(左)と鐘楼。




▼唐門。




▼書院大玄関。




▼庫裏。書院、庭園にはここから入ります。




▼豪快な木組みの天井。




▼十の庭。つなしの庭と読むそうです。



白砂中に九石が置かれています。十個目の石は、この庭を見る人の意思「石」を加えて「十個の石庭」と言
うそうです。一から十まで数えてみてください。「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、な
なつ、やっつ、ここのつ、とお」十だけ「つ」が付いていませんね、だから「つなし」と読むんだそうです。
洒落もここまでくるとアートです。


▼庫裏から書院への渡り廊下。




▼三巴の庭(国の名勝)。



書院の東側を主体とした約600平方メートルの全体の平面形態は、書院東側から南部へ曲り込んだ鍵形とな
っています。


▼書院。




▼書院上段の間。



三つ巴の庭に面したこの書院は、文政十二年に徳川紀州家の寄進。上段の間をはじめ十八畳が三間あります。


▼三巴の庭。



室町期の書院風枯山水の影響を残しながら桃山時代の息吹を感じさせる名庭。本阿弥光悦の作庭といわれて
います。


▼三巴の庭。



書院の縁先間近い位置に、長さ1.5mほどの切石十本により、十角形に縁どられた蓮池があり、その北部の半
円を二個組み合わせた円形石が日蓮を表している説もあるそうです。


▼竿が木の灯籠。竿全てが木製かどうかは定かではありませんが、初めて見ました。




▼三巴の庭。



東南隅にこの庭園の主役、枯瀧石組が据えられている。この枯瀧の中心に三尊石組があり、一段落して枯瀧
手前に配置された縦縞紋様をもつ青石により、水流の落ちる様相を表現しているそうです。


▼本阿弥光悦遺愛の蹲だそうです。




▼御朱印です。日蓮宗のお寺御朱印は決まってこれです。




宗祖日蓮さんの攻撃的布教は歴代僧に受け継がれ、時の為政者達との軋轢は、弾圧として夫々の身とお寺に
降りかかり、法難オンパレードのお寺だったようです。立宗以降、熱心な日蓮ファンは強力な檀徒となり、
今日の日蓮宗の礎になり、本阿弥家のような強力な後援者も生まれてくるんですネ。


フロク
今日の出町出会い、午後二時半頃です。





西本願寺には二つの巨大伽藍が並んでいます。

2013年06月18日 | 京都の古寺巡り


(2013.06.16訪問)

二十年前、お袋が逝ったとき一応喪主だったので親戚のおばちゃんに、「俺んとこの宗派って何?」と聞い
たら、父ちゃん母ちゃんから何も聞いてへんのと呆れられました。
わが家はそれほど信仰心の薄い家庭だったのです。お西さん門徒だということをそのとき初めて知りました。
お袋は高野山ファン、オヤジは無関心、わが家は中山寺の檀家、墓所もここ、そして宗派は真宗、一体どな
いなってんでしょうねウチは。
これではいかん、余りにも親鸞さんに失礼や、ということで33℃ 越えの京都を歩いたんどすエ~。
京阪七条から堀川まで。

▼国宝唐門の装飾彫刻。




[ 本願寺 ]
●山号 龍谷山 (りゅうこくさん)
●寺号 本願寺 (ほんがんじ) 通称 西本願寺
●宗派 浄土真宗 (じょうどしんしゅう) 本願寺派本山
●創建 文永九年 (1272年) に京都大谷に大谷廟堂創建、本願寺の起源。
●開基 覚信尼 (親鸞上人の未娘)
●中興 蓮如上人
●本尊 阿弥陀如来
●世界遺産 1994年古都京都の文化財として世界遺産に登録
▲京都市下京区堀川通花屋町下がる 電話 075-371-5181 
▲拝観料 境内無料
▲HP http://www.hongwanji.or.jp/
▲JR京都駅から京都市バス (9・28・75系統) 西本願寺前下車
京阪電車七条駅から京都市バス(206番、208系統) 七条堀川下車。
京都駅から徒歩約15分 京阪電車七条駅から徒歩約20分

西本願寺縁起 (本願寺HPから抄出)
本願寺は、親鸞聖人の廟堂から発展した。親鸞聖人没後墓所は簡素であったため、末娘の覚信尼大谷の西、
吉水の北にある地に親鸞聖人の影像を安置し遺骨を移した。これが大谷廟堂である。
本願寺の名前は元亨元年 (1321年) ころに公称し、覚如上人から次の善如上人にかけて親鸞聖人の影像の横
に阿弥陀仏像を堂内に安置した。
その後、比叡山と対立や、大坂石山本願寺を本拠として織田信長との合戦に敗戦、和歌山の鷺森、和泉貝塚、
大坂天満と転々、天正十九年 (1591年) に豊臣秀吉から現在の地を与えられ、御影堂が完成した。慶長の大
地震で諸堂が倒壊し、阿弥陀堂は被害を免れた。翌年に御影堂の落成をみたものの、またまた両堂などが焼
失し、阿弥陀堂を再建、寛永十三年(1636年)御影堂が再建。書院や飛雲閣、唐門が整備された。ここに現在
の本願寺の偉容が整備されたのである。

▼御影堂門。
堀川通に面している向かって左の門。堀川通を挟んで対面には総門があります。と云うことはこの御影堂門
が本願寺の正門なのでしょう。左に変な着ぐるみがいます、おりんかな?




▼御影堂 (重文)。ごえいどうと読みます。
入母屋造、本瓦葺。東西48m、南北62m、高さ29m。寛永十三年(1636年)建立。
とにかくデカイ、年末の畳たたきは伝統行事。




▼御影堂内陣。親鸞聖人の木像安置。




▼御影堂大広間の吊り灯籠。




▼御影堂大広間から内陣。
大広間では運動会が出来ます。ウソです。3000人収容出来るとの事です。
走ってる人がいますね、イヤたんにブレてるだけです




▼御影堂 (左) と阿弥陀堂 (右) を繋ぐ渡り廊下。




▼阿弥陀堂門。
堀川通に面している向かって右の門。




▼阿弥陀堂 (重文)。
本願寺の本堂。入母屋造、本瓦葺。東西42m、南北45m、高さ25m。宝暦十年(1760年)再建。




▼阿弥陀堂内陣。本尊阿弥陀如来。




▼阿弥陀堂大広間。ここでも運動会が出来ます。ウソです。




▼経蔵。天海僧正開版の「大蔵経(一切経)」を納めています。




▼手水舎。




▼太鼓楼。
幕末動乱期に新選組が本拠を壬生寺から本願寺に本陣を置き、太鼓楼を使用していたとのことです。




▼阿弥陀堂前の大銀杏。幹周3.97m、樹高16.5m。




▼大銀杏の中から見上げるとジャングルの中。




▼書院 (国宝)。
この建物の中には、高名な白書院や黒書院、対面の間など国宝、重文の部屋、障壁画、庭園などボクたちが
日頃お目にかかれないところがイッパイ! どこまでかわかりませんが事前予約で拝見できるそうですよ。




▼書院門。




▼大玄関。




▼飛雲閣 (国宝)。本当は滴翠園には入れないのですが、とある団体に紛れ込んで!
境内南東隅の滴翠園に建つ飛雲閣。金閣、銀閣とともに京都三名閣の一つ。秀吉が建てた聚楽第の一部と云
われ、三層からなる楼閣建築。前の池は滄浪池。




▼鐘楼 (重文)。梁間の装飾彫刻がこれまた凄い。切妻造、本瓦葺、四脚楼。




さて本願寺を訪ねたら唐門を見ずして帰れない。正面から見るためには、一度外に出て七条通りを西へ、龍
谷大学の構内を北へ、正面に大玄関門、その右に唐門はあります。

▼大玄関門。




▼唐門 (国宝)。書院への正門。四脚門、檜皮葺、正背面は唐破風造、側面は入母屋造。総漆塗り。
絢爛豪華を絵に描いたような凄い門。緻密で精巧な彩色感性で麒麟や唐獅子をはじめ中国故事を題材とした
極彩色彫刻。少々暑くても見飽きることはありません。これからは熱中症に気をつけて見てくださいネ。




▼唐門の装飾彫刻。マアいろんなものが彫ってあります。




▼唐門前柱(右)の木鼻は阿形獅子。




▼唐門前柱(左)の木鼻は吽形獅子。




▼唐門扉の獅子八景。扉両面に彫っている獅子たち、子連れもいます。ひとつずつ撮って集めました。
これだけのキャラデザインの出来る職人デザイナーのいたオドロキ、スゴイ!




▼内庭から唐門。[疑問] しかし何ですなァ お寺になんでこんな仰々門があるん?




宗祖親鸞さんから始まり、数々の紆余曲折、変遷をへて強大な教団に育った浄土真宗、この教団ほど外部と
の対立摩擦、内部紛争、喧嘩っぱやいわりに苛められ易い、何とも揉事の多い寺の印象を持つのはボクだけ
ではないでしょう。

普段公開していない文化財を持つ立派な書院や御殿、庭園、巨大伽藍や寺域、寺院と云うよりヤンゴトナキ
聖域の印象の方が強いお西さんでした。



洛北蓮華寺、青もみじの濃い薄い一興です。

2013年06月11日 | 京都の古寺巡り


(2013.06.08訪問)

大原街道 (国道367号) 沿いにある蓮華寺を訪ねました。久々の叡電で、出町から三宅八幡駅下車徒歩スグの
ところにもかかわらず道を間違えました。真っ直ぐ行けばいいものを山側の細道を行ったために、ご近所の
方に聞くハメに。
蓮華寺はミドリ真只中、青もみじが夏の陽光に濃い緑の影を静かに落とし、大きくない境内に鬱蒼の森厳を演出
しています。

▼庭園池。




[ 蓮華寺 ]
●山号 帰命山 (きめいさん)
●寺号 蓮華寺 (れんげじ)
●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
●再興 今枝民部近義 (いまえだちかよし)
●再建 寛文二年 (1662年)
●本尊 釈迦如来立像
▲京都市左京区高野八幡町 電話 075-781-3494 
▲拝観料 400円、御朱印300円
▲叡山電車八瀬行 三宅八幡駅下車徒歩5分。
京都バス大原行き 上橋下車スグ。

蓮華寺縁起 (蓮華寺散華から抄出)
蓮華寺は、元西八条塩小路附近にあった浄土教系の古寺で、応仁の乱後荒廃していたのを、寛文二年加賀前
田家老臣今枝民部近義が祖父重直の菩提のために、この地に移し再興したものである。

▼寺石標。



石標写真は旅行ブログ「アイラブ仏像めぐり」を書かれている、ゆうこママさんにお借りしました。
パワフルママの旅行記、訪ねてみてください。http://4travel.jp/traveler/010456/

▼創建当初のままの山門です。




▼鐘楼堂。宝形造、檜皮葺、側面に格子がはめられている珍しい形状の鐘楼、創建当初の姿を残してい
るそうです。




▼ズラリ石仏。山門を入った左に約300体の無縁石仏群。死者弔いの石仏が掘り起こされここに集められた
そうです。




▼井戸屋形。創建当初の姿を残す井戸。湧水があるかどうかは定かに非ず、です。




▼グリーングラデーション! 錦秋にはレッドグラデーション、凄いらしいです。




▼庫裡入口が拝観口。




▼宝物蔵なんでしょうか、庫裡横の土蔵。




▼書院の床と棚。実にシンプルな設えです。




▼客殿からお庭。皆さん静かに観賞中。お一人寝ている方がいました。




▼腰の据わった堂々の蹲。




▼園池。池泉観賞式庭園です。お庭に降りることは出来ますが、回遊は出来ません。



作庭は当寺の有名文化人が協力していると伝えますが、確かな史料はないそうです。

▼園池。手前右が舟石。



作庭者は浄土式庭園を策し、対岸を彼岸浄土、こちらを此岸とし、舟石によりその思想を繋ぐと云います。


▼園池。




▼本堂。創建当初の姿を残しているそうです。




▼本堂正面。どうです、青もみじの映え具合。




▼天井の龍図。昭和五十三年 (1978年) 仏師西村公朝さん画。スンマセン、マナー違反の写真です。




▼本堂から書院。




▼本堂と青もみじ。どうです、青もみじの映え具合。




▼参道から本堂。手前両側に蓮華寺型燈籠。




▼本堂前の蓮華寺型燈籠。本堂参道前左右に、傘が急勾配のユニークな「蓮華寺形燈篭」。



茶人好みというそうですが、茶人も変なものを好むもんですなァ。

▼もう一枚、本堂と青もみじ。




▼御朱印です。




フロクです。
▼高野川で遊ぶガキ、じゃなかった男の子達。




▼今日の出町出会い、午後三時半ごろです。




寺歴は江戸初期の新しいお寺で、作庭や設えで往時の著名人の名前が挙ってはいますが、そういった往時の
文人達のサロン的寺院だったのでは。小さいながらも天台の格をまもりつつ、文人達が残した貴重な遺産を
残していってほしいものです。


西大寺、やはり中興の祖、叡尊さんのお寺のようで。

2013年06月04日 | 奈良の古寺巡り


(2013.06.02訪問)

今日が最終日の興福寺北円堂と南円堂の特別開扉の駆け込み拝観後、久々に大茶盛りの西大寺を訪ねました。
たまたま今、続日本紀称徳天皇条を読んでいまして、一度ゆっくり四王堂を拝観しょうと思い訪ねました。
称徳天皇名残は四天王しか見ることは出来ません。やはりこのお寺は中興の祖、叡尊さんのお寺と云うほう
が通りがいいようです。

▼本堂。手前は東塔跡の復元基壇です。




[ 西大寺 ]
●山号 勝宝山 (しょうほうざん)
●院号 四王院 (しおういん)
●寺号 西大寺 (さいだいじ)
●宗派 真言律宗総本山 (しんごんりっしゅう)
●開基 称徳天皇 (しょうとくてんのう)
●開山 常騰上人 (じょうとうしょうにん)
●創建 天平宝字八年 (764年)
●中興 叡尊上人 (えいそんしょうにん)
●本尊 釈迦如来立像 (重文) (清涼寺式釈迦如来)
▲奈良市西大寺芝町一丁目 電話 0742-45-4700
▲拝観料 境内は自由。本堂400円、愛染堂300円、四王堂300円、御朱印300円
▲近鉄奈良線西大寺駅下車徒歩3分

西大寺縁起 (西大寺パンフより抄出)
天平宝字8年(764年)称徳天皇が鎮護国家、平和祈願のために七尺の金銅四天王像を造立を発願、天平神護元
年(765年) から造営開始、境域は面積約三十一町 (約四十八ヘクタール) の広大なもので金堂をはじめ両塔な
ど百十数宇の伽藍が甍を並べていた。東の東大寺に対する西の大寺に相応しい官大寺であった。平安期再三
の兵火、災害で衰退。鎌倉時代、叡尊が寺に入り復興、真言律宗の根本道場として伽藍整備、今見る西大寺
はほぼこの頃のプランを伝えている。

▼南門。西大寺の正門なのに、こちらから入山者はほとんどいません。




▼南門扁額。山号が揮毫されています。




▼南門からの参道。前方は本堂です。




▼本堂(重文)。
桁行十四間、梁間十間、単層寄棟造、本瓦葺。土壁を施さない総板壁の建物。宝暦二年(1752年)建立。



本尊 釈迦如来立像(重文)。木造、像高167cm、宝治三年(1249年)仏師善慶造像。京都嵯峨野清涼寺の三国伝
来釈迦像の模刻。本尊左に文殊菩薩騎獅像と四侍者像(重文)、右に弥勒菩薩坐像が祀られています。


▼本堂床板。痛々しくも250有余年の歳月です。




▼東塔跡。
創建当初は東西両塔が在ったそうで、共に平安期に焼失、東塔は藤原後期に再建されたが室町時代にまたも
焼失、礎石外側の八角形は創建期に計画され途中変更された八角七重塔の基壇規模です。



ちなみに西塔跡は愛染堂西奥にありますが見ることは出来ません。


▼愛染堂。
御所御殿を宝暦十二年(1762年)移築。宸殿造りの仏堂。桁行十一間、梁間八間、入母屋造、桟瓦葺。



本尊 愛染明王坐像(重文)。木造、像高31.8cm。叡尊さんの念持仏として、宝治元年(1247年)仏師善円造像。
朱色彩色、截金は造像当初のまま。


▼愛染明王。数年前に描いたペン画です。




▼左横からの愛染堂です。




▼鐘楼。
桁行三間、梁間二間、袴腰、入母屋造、本瓦葺。



摂津多田院から 寛文年間 (1670年) 代に西大寺へ移築されたものと伝えます。
ちなみに除夜の鐘はどなたでも撞くことが出来、人数制限なし、列が切れた時点で終了という、なかなか味
なことをする西大寺さん。今年の暮れは西大寺に行こう!


▼大師堂。




▼青龍池。




▼青龍池。




▼三十三観音。境内南端に並んでいます。




▼平和観音。観音さんはこんな色でしたか、日が沈むと怖そう。




▼大黒堂。桁行一間、梁間二間、切妻造、本瓦葺き。



本尊 大黒天立像 (重文)。木造、像高83cm。建治二年 (1276年) 仏師善春造像。


▼手水舎。




▼護摩堂。本尊 不動明王。寛永元年 (1624年) 建立。




▼四王堂。
江戸時代、延宝二年 (1674年) 再建。重層、桁行七間、梁間五間、寄せ棟造、本瓦葺。



本尊 十一面観音立像 (重文)、錫杖を執る長谷寺式十一面観音像、像高638cm。
長谷寺十一面さんのスモール版とは云え、真近で見上げるとお顔が見えないくらい大きいお像です。
四天王立像四体(重文)。四王堂の名の起こり、称徳天皇発願の像ではあるけれど、お像は再三の災禍で、邪
鬼だけが当初のものと云われているようです。


▼四王堂扁額。




▼放生池の鴨。ただ一人、波風まかせで悠然と。




▼東門からの参道。




▼東門。近鉄西大寺駅から一番近い門。皆さんここから。




▼東門扁額。




▼本堂の御朱印です。




東大寺や興福寺の賑わいはここにはありませんが、南都七大寺の誇りは、境内を歩いていて十分に感じるこ
とは出来ます。
称徳天皇心の葛藤、政情不安、父聖武天皇への思慕と対抗心、それらがない交ぜになり、大寺院を建立、こ
れによって彼女の心は満たされたのでしょうか。往時の為政者の心の中を覗いてみたいものです。