土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

神光院は、「西賀茂の弘法さん」として親しまれているお寺です。

2013年11月27日 | 京都の古寺巡り



(2013.11.23訪問)

正伝寺から歩いて約十五分バス停まで戻り、すぐ横の神光院を訪ねました。神光院は弘法大師空海さん縁の
「西賀茂の弘法さん」「厄除け大師」として信仰され、厄除け祈祷「きゅうり封じ」が毎年七月二十一日行
われる事でも有名だそうです。
ここは京都三弘法の一つで東寺、仁和寺と共に弘法さんの縁日(毎月ニ十一日)には多くの参拝者であふれ
ると聞きました。訪ねたこの日は行事もなく、訪ねる人もなく静かな一刻でした。



▼放生池。池面に映る朱もいい趣。




[ 神光院 ]
●山号 放光山(ほうこうざん)
●寺号 神光院(じんこういん)
●宗派 真言宗単立
●開山 慶円上人(けいえんしょうにん)
●開創 健保五年 (1217年 )
●開基 賀茂能久(かものよしひさ)
●本尊 弘法大師像「厄除大師」。
▲京都市北区西賀茂神光院町120 TEL.075-491-4375
▲拝観料 境内自由 (観光寺院ではありません) 御朱印300円
▲拝観時間 午前七時~午後五時 
▲JR京都駅から市バス9番で西賀茂車庫行、神光院前下車、徒歩2分
 三条京阪から市バス37番で西賀茂車庫行、神光院前下車、徒歩2分

神光院縁起
賀茂能久 (上賀茂神社の神) が健保五年 (1217年) 上賀茂神社の神託により、大和国から僧慶円を招いて創建。
弘法大師は四十二歳時、神光院で九十日間の修行を行い、寺を離れる時に「私を信じる者は老若男女、諸病
災厄を免れるであろう」と言い、池に映る自分の姿の木像を刻したことで、厄除けの寺としても広く知られ
るようになりました。弘法大師自ら彫った木像は現在本堂に安置されています。


▼参道。





▼山門。





▼厄除け弘法の碑。元々上賀茂神社附近にあった道標を移したものです。





▼手水舎。





▼緋色の紅葉。





▼放生池。





▼本堂。本尊弘法大師木像「厄除大師」として信仰されているお像です。





▼本堂扁額。





▼不動堂。





▼中興堂。





▼中興堂扁額。





▼お堂に懸かる綾錦。





▼中興堂広縁から見ると。





▼今盛り、非常にきれいでした。





▼弘法大師石像。





▼宝蔵。





▼方丈玄関。





▼大田垣蓮月尼の碑。



漣月さんは江戸時代から明治初期の尼僧で歌人であり陶芸家で相当ベッピンだったそうです。七十五歳から、
明治八年 (1875年) に八十五歳で亡くなるまで十年間ここ神光院に隠棲した。境内には茶室 (蓮月庵) が残さ
れています。



▼空池の紅葉。





▼御朱印です。



御朱印を頂くとき、ご住職から、「今でこそ街中のお寺で周辺は住宅だらけでバス便も良いのですが、少し
前まで周りは何もなくポツンとお寺だけ、上賀茂神社から歩くしかなかったんですよ」の懐古談や「一時間
後に予約の信者の方が見えるので一緒に本堂参拝いかがですか」のお誘いを受けましたが、一時間は待ちき
れなく遠慮させて頂き、再訪を約してお寺を辞しました。


▼今日の出町出会い。午後2時40分頃。






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正伝寺、比叡山借景の美しいお庭のお寺です。

2013年11月25日 | 京都の古寺巡り


(2013.11.23訪問)

時は今、赤が競う今盛りの情報に人出の凄さを覚悟して京阪特急に乗りました。一昔前の通勤地獄そのまま
スシ詰め、停車駅ごとに人は情け容赦なく乗り込んできます。上半身左、下半身右に向いたまま三条まで。
京洛北には比叡山を借景としたお庭を持つお寺が数ヵ寺その美を競っていますが、ここ正伝寺もその一つ。
日常の煩の世界から静の世界へ、ひと時の寂を求めてやってまいりましたよ、西賀茂正伝寺。さすがにここ
は人影まばら。


▼枯山水庭園。





[ 正伝寺 ]
●山号 吉祥山 ( きっしょうさん )
●寺号 正伝寺 ( しょうでんじ ) 正式名称 正伝護国禅寺
●宗派 臨済宗南禅寺派
●開山 兀庵普寧( ごつあんふねい )
    南宋の臨済僧。文応元年(1260年)蘭渓道隆の招聘で来日。鎌倉建長寺二世。
●開創 文永五年 ( 1268年 )
●開基 東巌慧安(とうがんえあん)
●本尊 釈迦牟尼仏。
▲京都市北区西賀茂北鎮守庵町72 TEL.075-491-3259
▲拝観時間 午前九時~午後五時
▲拝観料 300円 御朱印300円
▲JR京都駅から市バス9番で西賀茂車庫行、神光院前下車、徒歩15分
 三条京阪から市バス37番で西賀茂車庫行、神光院前下車、徒歩15分

正伝寺縁起 (正伝寺パンフレットから抄出)
鎌倉時代来朝した兀庵普寧禅師の法を継いだ東巌慧安禅師が開創された禅寺です。弘安五年加茂の祠官森経
久が西加茂の地に荘園を寄贈し諸堂伽藍を造営し壮観を極めたと伝えられています。



▼寺名石標。





▼山門。





▼錦秋影。





▼無言の気の異界へ第一歩。





▼参道。





▼参道中程に建つ中門。
まさに鷲峯山への誘口のような。そう云えばこのお寺の北は五山送り火の船形の船山です。





▼石段を少々上ります。





▼もみじのトンネルの向こうに庫裡が見えてきました。





▼立派な庫裡です。





▼難転。





▼二回鳴らしました。すぐにご住職が来られましたヨ。





方丈の受付を入るとスグに枯山水庭園が。
▼比叡山借景の枯山水庭園、「獅子の児渡し庭園」ほぼ正面から。



作庭江戸初期、作小堀遠州。白砂敷平庭でサツキの刈り込みによって七五三調を表現した枯山水で、遥かに
比叡の霊峰を取り入れた借景式の庭園でその枯淡な風格は禅苑の心の静けさを味わしめるものがあります。
(正伝寺パンフレットから)



▼北東方向。





▼南東方向。





▼方丈門前の紅葉です。





▼白塀越しの比叡山。





▼障子越しのお庭も、切り取った一幅の絵のようです。





▼方丈扁額と血天井。
方丈は伏見桃山城の遺構御成殿を承応二年 (1653年) に移築したものだそうです。



方丈広縁に残る血天井は、関ヶ原の戦前に伏見桃山城で徳川方の鳥居元忠以下千二百余名が割腹した時の廊
下の一部を移したもの。手形など見えますか?


▼もみじ越しの方丈。方丈外観の撮れる所、見つかりませんでした。





▼少し離れた所からの方丈。





▼少し角度を変えての方丈。





▼方丈門。この辺りの紅葉はまさに赤と橙の綾錦。





▼鐘楼の周りも染まっています。





▼なかなかの愛嬌者、だるまタヌキ。





▼もみじに送られながら来た道を帰ります。





▼御朱印です。





▼参道脇に竹林が。




グリーンのざわめきがどうも人の声のような、横を見るとカートが走ってきました。
そうなんです、このお寺の周囲はゴルフ場なんです。
鬱蒼の緑と赤グラデの競演、深閑な山寺の雰囲気が一瞬、エッ!!!!!



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奈良公園、紅葉黄葉、今のお知らせ。

2013年11月22日 | 花巡り


(2013.11.21訪問)

例により奈良情報通より電話あり「公園だいぶ染まって来たぜ」! 
暇を持て余し、両手から暇がボロボロこぼれ落ち出した時の電話で、「よっしゃ、今から行くワ」!
取る物も取り敢えず、撮るものだけ持って早速、近鉄奈良行快速急行に乗ったのでありました。


▼鷺池の浮見堂。




以下の写真、「紅葉見頃」と勘違いしないでくださいネ。染まったとこだけエエとこ取り、思い切りアップ
などで如何にもエエナァをお見せするいやらしい魂胆の跡ですので。


▼興福寺大御堂。





▼浅茅ヶ原。





▼浅茅ヶ原。





▼鷺池。





▼鷺池。





▼鷺池。





▼円窓亭。





▼春日大社。





▼浮雲園地。言えませんけど下に変なものが写ってましたのでカットしました。





▼春日野園地。





▼手向山八幡宮。





▼手向山八幡宮。





▼東大寺講堂跡の大銀杏。





▼大仏池。





▼大仏池。





▼正倉院の南。





▼大仏池東。





▼東大寺戒壇堂栴檀の樹。





▼東大寺鏡池。





▼東大寺ミュージアム前。





▼南大門前の吉城川。





▼奈良文化会館前。





場所や樹々で差があるようで奈良公園全体の染まり具合は約60%位、黄葉は今がピーク、もみじ、楓の紅葉
はもう少し、ナンキンハゼは落花盛んと云ったところでしょうか。今月末から12月初旬が見頃でしょう。
とボクが勝手に云ってるだけです。





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金戒光明寺は今、秋の特別公開中。

2013年11月18日 | 京都の古寺巡り


(2013.11.16訪問)

幕末京の争乱の一方の主役、会津藩縁の金戒光明寺、タヌキ作、城構のお寺。西門にその名残があるこのお
寺には、会津藩約1000名が駐屯し京都守護職として新撰組とで京を固める。一時の京の治安は回復されたと
伝わりますが、その後の会津藩と新撰組の悲劇は「八重の桜」で描かれていますね。現在その血なまぐさい
名残は会津藩士墓地のみ、本来の浄土宗大本山として、京の紅葉名所として広い境内は参拝の方達で賑わっ
ています。紅葉にはチョッとばかり早いのは玉にキズとは云え、秋の特別公開中なので訪ねてみました。



▼紫雲の庭も、染まり始め。





[ 金戒光明寺 ]
●山号 紫雲山 ( しうんざん )
●寺号 金戒光明寺 (こんかいこうみょうじ)
●宗派 浄土宗大本山
●開創 承安五年 ( 1175年 )
●開山 法然上人(ほうねんしょうにん)
●本尊 阿弥陀如来坐像。
▲京都市左京区黒谷121 TEL.075-771-2204
▲拝観料
 山門(修復後の初公開) 大人800円・小学生400円
 大方丈、紫雲庭園    大人600円・小学生300円
 山門、大方丈、紫雲庭園 共通券 大人1,200円・小学生600円
 御朱印300円
▲http://www.kurodani.jp/
▲JR京都駅から市バス100番で岡崎道下車、徒歩10分
 阪急京都線四条河原町駅から市バス32番・203番で岡崎道下車、徒歩10分
 京阪丸太町駅から市バス204番で岡崎道下車、徒歩10分

金戒光明寺縁起 (金戒光明寺HPから抄出)
法然上人がはじめて草庵を営まれた地である。十五歳で比叡山に登られた法然さんが承安五年 (1175年) 四
十三歳の時お念仏の教えを広めるために、山頂の石の上でお念仏をされた時、紫雲全山にみなぎり光明があ
たりを照らしたことから この地に草庵をむすばれた。これが浄土宗最初の寺院となった。



▼金戒光明寺秋の特別公開ポスター。こんな赤、一回見てみたいですワ。





▼西門 ( 高麗門 )。近藤勇、土方歳三ら隊士面面、忙しく行き来したんでしょうネ。





▼くろ谷の石碑。





▼修復ホヤホヤ、蘇った山門。万延元年(1860年)の再建。





▼山門由緒が書かれています。





▼後小松上皇の宸筆の勅額。浄土真宗最初門と書かれています。浄土真宗?
扁額の下、楼上廻廊で僧侶が説明中、説明を聞く皆さん。





▼山門楼上に祀られている宝冠釈迦三尊像。回廊からズル撮りでした。





▼鐘楼。





▼御影堂。桁行七間、梁間七間、入母屋造、本瓦葺、正面三間の向拝付き。
内陣中央に宗祖法然さん七十五歳の御影をお祀りしています。





▼御影堂脇内陣の文殊菩薩。( 金戒光明寺HPからお借りしました )


 
脇内陣に祀られている文殊菩薩、運慶作と伝わるそうですが、これが凄い!
像高は安倍の文珠さんより小つぶですが、四人を従えた渡海形式は快慶さんといい勝負です。
ちなみに日本三大文殊とは、奈良の「安倍の文殊」天橋立の「切戸の文殊」とこの文珠さんです。



▼金戒光明寺一番のビュウポイントももう少しですね。





▼阿弥陀堂。金戒光明寺中最古のお堂。慶長十年、豊臣秀頼により再建。
本尊阿弥陀如来坐像。内陣中央にお一人でお坐りで、恵心僧都最後の作と云われているそうです。





▼方丈唐門。





▼北庭からの方丈。



方丈では、秋の特別展で幕末の会津藩や藩主松平容保の遺墨、藩士の鎧兜、「八重の桜」の新島八重の写
真や直筆の和歌など展示されてます。当時ニ十代後半であろう容保さんの書、ここまで書けるかと思うほ
どお見事!その外、仕掛け「虎の襖絵」など面白いですよ。



▼方丈前庭。





▼方丈の東に作庭された池泉回遊式庭園「紫雲の庭」。



法然さんの生涯を三つのシーンで表現、枯山水の白砂が目に染み、それぞれの苔島が時代を主張している
ようです。きれいなお庭です。
前方島状の左、修業時代の比叡山延暦寺。中、浄土開宗金戒光明寺の興隆。右、幼少時代美作の国。



▼法然さん修業時代の延暦寺を表現するゾーン。





▼お庭の中の茶室、「紫雲亭」。





▼昔のお嬢様が接待してくれます。





▼ミックスドカラーバリエーション。





▼北庭の放生池の周りをお散歩しましょう。
広い放生池と回遊路ですが、素人目にも急ごしらえの感が否めません。雑然と樹木が植わっている感じ。









▼ススキを見ながら。





▼ふと下を見ると亀が。石畳に亀さん十数匹憎い演出ですよ。





▼中之島に灯籠が。





▼お庭の北端に「ご縁の道」が誕生。出会いのご縁を大切にされた法然さんの思いを形にしたそうです。
中央の丸い石が出会いの石です。





▼もう一つの茶室、「花峯庵」。





▼方丈に続く清和殿。元々は庫裏ですが、今は売店になってます。





▼清和殿の屋根。煙抜きでしょうか、庫裏の名残が。





▼三重塔石段参道の脇の楓。





▼三重塔。徳川秀忠の菩提を弔う為に建立したそうです。





▼三重塔扁額。日本三大文殊とありますが御影堂に祀られている文珠さんが、もともとこの塔の本尊だった
 んです。





▼御朱印です。





特別公開とは云え、境内にクルマを止めさせたり、テント張ったり、団体が一カ所に固まって動かなかった
り、あちこちに張り紙やサインがベタベタ、お寺の景観台無し。
不満タラタラで金戒光明寺 オ シ マ イ  




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法輪寺、このお寺も悲恋の舞台として平家物語に登場。

2013年11月15日 | 京都の古寺巡り



(2013.11.09訪問)

奥嵯峨からもと来た道を戻ります。嵐山銀座の人人人をかきわけやっとの思いで渡月橋、嵐山もぼつぼつ秋
化粧に染まりつつありますが、錦絢爛にはもう少し。その嵐山の麓にある嵯峨の虚空蔵さんを訪ねます。こ
のお寺は十三参りで有名ですね。もう一つ、清盛がいじめた小督局 (こごうのつぼね) のお話も伝えられてい
ます。

▼薄化粧の嵐山と渡月橋。
その昔渡月橋は嵯峨の虚空蔵さんの参道橋で法輪寺橋と呼ばれたそうで、往時の寺勢を偲ばれますが、今は
観光地嵐山の一部として、十三参りや針供養のお寺として多くの参拝者で賑わうそうです。





[ 法輪寺 ]
●山号 智福山 (ちふくさん)
●寺号 法輪寺 (ほうりんじ) 愛称 嵯峨の虚空蔵さん
●宗派 真言宗
●開創 和銅六年 (713年)
●開基 行基(ぎょうき)
●本尊 虚空蔵菩薩坐像
▲京都市西京区嵐山虚空蔵山町68 TEL.075-861-0069
▲拝観料 境内自由 御朱印300円
▲阪急電車嵐山線「嵐山」終点下車 徒歩約5分
 JR京都駅から市バス・京都バス「嵐山」下車徒歩約5分
 嵐電四条大宮から「嵐山」終点下車 徒歩約10分


法輪寺縁起 (法輪寺HPから抄出)
元明天皇勅願により行基菩薩に命じて堂塔を建てられました。創建時は「木上山葛井寺( もくじょうざんか
づのいでら )」と呼ばれ、国家安穏、万民の繁栄と五穀豊穣、産業の興隆を祈る勅願所となり、法輪寺の起
源である。弘法大師の高弟道昌僧正は承和年間 (834?847年) 勅願により大堰川を修築、その時架設された
橋がのち法輪寺橋と呼ばれ、亀山上皇がこの橋を見て「くまなき月の渡るに似たり」として渡月橋と命名さ
れたといいます。これが現在の渡月橋の始まりになります。道昌僧正は弘法大師から「虚空蔵菩薩の霊験あ
る相応の地は嵯峨葛井寺である」とのお示教により、大悲の願力を発起して、虚空蔵求聞持法百日間参篭修
行、満願の日、生身の虚空蔵菩薩を空中に感得、虚空蔵尊像を刻し、神護寺で弘法大師の供養を経て、この
葛井寺に安置、お祀りするようになったと伝えられています。
その直後清和天皇の貞観十年 (868年) 葛井寺を法輪寺と改められました。


♥平家物語が語る小督局の悲しいお話♥
琴の名手で美しいことでも評判の小督局が高倉天皇の前で琴を奏でたとき、たちまち天皇は小督に心を奪わ
れてしまう。しかし、中宮建礼門院が清盛の娘であったことが悲劇の始まり。天皇が小督を寵愛しているこ
とを怒り、小督抹殺を感じた小督は、秘かに宮廷を抜け出し姿を隠してしまう。天皇は姿を消した小督探索
を源仲国に命じ、仲国はある夜、法輪寺橋の近くで聞き覚えのある琴の音を聞くと小督と確信し、馬上で琴
の音にあわせ笛を吹く…、天皇の思いを伝えて小督を宮廷へ連れ戻したという。天皇寵愛で御子を宿したこ
とがさらに清盛の怒りを招き、無理矢理に小督は出家させられてしまいます。その晩年小督が庵を結び生涯
を終えたのがこの法輪寺の境内だったといわれています。
(場所については諸説があり、常寂光寺や清閑寺には遺物が残っているそうです)



▼参道と山門。





▼山門。うるしの日の横幕がありますが、法輪寺は工芸、技芸などにご利益があると信仰されてるそうです。





▼参道は鬱蒼のみどり。





▼手水舎。





▼本堂。十三参りの祈祷中は入堂で来ません。



十三参りとは、数え年十三歳の男女が、厄難払い、智恵授けで虚空蔵菩薩に祈願することで、古くは虚空蔵
菩薩縁の旧3月13日( 現在の4月13日 ) 参拝したのが、現在では通年で行われています。



▼本堂扁額と虚空蔵さんの提灯。中から祈祷の声が朗々と。





▼このお像賓頭盧さんでしょうか。少しばかり印象が違います。





▼本堂。





▼針供養塔。清和天皇の命により始まったといわれ、毎年12月8日、皇室使用の針が納められ針供養が行わ
れるそうです。





▼多宝塔。





▼鐘楼。





▼薄化粧の嵐山を借景にした本坊。





▼展望台。





▼展望台から嵯峨の町並み。





▼渡月橋も人 人 人 人 人。





▼展望台から東山、中央京都タワー。





▼電電宮。参道の中途に鎮座。





▼電電宮の説明板。





▼電電宮本殿。





▼参道を下りすぐのところ、左に道をとります。





▼庭園かどうかはわかりませんが生け垣に囲まれた不思議なところ発見。
石のサークルが見えます、何でしょうねェ。





▼まだまだ。





▼御朱印。




今日訪ねた三ヵ寺は、悲恋、哀歌が共通して残るお話を平家物語が伝えています。が、そんな悲しい哀話は
平家物語の中だけで、その名残りは嵯峨野人気の煽りで何処かへ行ってしまったようです。




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