土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

清荒神清澄寺、富岡鉄斎の書画期待して来たのですが……。

2018年07月30日 | 兵庫の古寺巡り





(2018.07.28訪問)


先月6月23日に訪問した「神呪寺」から次に「清荒神清澄寺」に向かったんですが雨次第に強くこの日の訪問は止むを得ず中止した
ので、然らばこんど何時訪ねるか、今日訪ねました。清荒神清澄寺は我が家の菩提寺中山寺のホンご近所にもかかわらず、8年前に
一度訪ねたきりその後ご無沙汰。お寺参詣は勿論のこと、このお寺、富岡鉄斎の書画が充実していると聞き、特にその「書」を是非
是非見たくて再訪したんです。





            ▼山門前に建つ蓬莱山清澄寺の石柱。        







            [ 清荒神清澄寺 ]
            ●山号 蓬莱山 (ほうらいさん)
            ●寺号 清荒神清澄寺 (きよしこうじんせいちょうじ)
            ●宗派 真言三宝宗 (しんごんさんぽうしゅう) 大本山
            ●勅願 宇多天皇 (うだてんのう)
            ●開山 静観僧正 (じょうかんそうじょう)
            ●開創 寛平八年 (896年)
            ●本尊 大日如来坐像 (重文)
            ▲拝観 境内自由 朱印 300円 
            ▲兵庫県宝塚市米谷字清シ1番地 電話0797-86-6641
            ▲阪急宝塚線「清荒神駅」より徒歩約15分
             JR宝塚線「宝塚駅」よりタクシー約10分
             中国自動車道「宝塚IC」から国道176号線宝塚歌劇場前交差点を北へ約2km。





▼山門。三門形式の山門で、明治40年頃の建立だそうです。正面の扁額には蓬莱山の山号が書かれています。







清荒神清澄寺縁起 (清荒神清澄寺HPから抄出)
平安時代宇多天皇の勅願寺として創建。天皇は定円法眼に本尊大日如来像を刻ませ、寛平8年叡山の高僧静観僧正を開山とし、天皇
より日本第一清荒神の称号を与えられ蓬莱山清澄寺として栄えました。兵乱戦火により何度も焼失、荒神社のみは難を免れ、清澄寺
も今の地に再建され、江戸時代浄界和上の諸堂再興により現在の山容が形づくられました。当山は火の神、カマドの神としてあがめ
られ、また各種の現世利益を祈願されるご参詣の方で賑わい、創建以来、千年の法燈は一日も絶えることなく今日を迎え「三宝三福」
「宗美一体」の精神で開山草創の原点に立って日々努力を続けています。





▼拝殿への参道。

           





▼参道石段を上がると拝殿前庭に、二人の布袋さんが迎えてくれます。







▼参道右側に護牛神堂。







▼護牛神の扁額。







▼堂内には立派なお厨子。本尊はインド祇園精舎の守護神で厄除恵方神の牛頭天王。







▼参道左には手水舎。







▼鳥居をくぐると基壇に建つ重厚な鐘楼。







▼いい響きの梵鐘でした。







▼拝殿 (天堂)。参拝の方は先ずこちらをお参りします。三宝荒神王、大聖歓喜天、十一面観世音菩薩が祀られています。







▼おりしも合行如法油供という秘法厳行の読経真っ最中。僧侶団体の読経の声は山内に響き渡っていました。             













▼拝殿。内陣の様子は暗くてよく判りません。

          





▼護法堂。神殿造りの小さなお堂で正面には大勝金剛転輪王、右に歓喜童子、左に弁才天がお祀りされています。







▼護法堂正面のお参りの方々。







▼龍王堂。本尊は水神の「善女龍王」密教では祈雨の神さま。







▼正面格子から覗くとやはりお厨子のみ。







▼火箸納所。厄年明けに厄除け火箸を納める所です。三宝荒神王にあやかり、厄年の人が火箸で厄をつまみ出してもらうとされ、男性
 41~43歳、女性32~34歳の大厄には3年間、厄が明けるまで自宅でお祀りするそうです。







▼これでもかと納められた火箸の束。







▼神変大菩薩行者洞。修験道の開祖「役行者」をお祀りしています。







▼宝稲荷社。本堂への山腹につけられた参道の途中にある一社。







本堂エリアに行ってみましょう

▼山門から本堂へ一直線に続く参道。当然ながら正面は本堂です。







▼本堂アプローチの石段。







            ▼石段横に一願地蔵尊。金銅製、明治24年造立。

       





▼本堂です。方五間、宝形造、本瓦葺、一間向拝付。
 春季大祭、春秋彼岸会、盂蘭盆会等には理趣三昧法要が奉修、萬霊の供養が厳かに執り行われています。







▼かろうじて判る本尊のお姿、大日如来坐像 (重文)。ご本躰に合わしたつもりが前の瓔珞にピントがバッチリ、情けない。

      





▼本堂。







▼本堂宝形屋根の露盤と宝珠。







▼石畳が綺麗な境内。                    













▼苑池。石組を配し滝、亀島、船着石など組み合わせた池泉観賞式庭園、江戸時代初期~中期に作庭。













▼資料館。清荒神清澄寺の歴史、信仰、行事の説明と什物や所蔵品を展示しています。平成20年11月開館。







▼仏足石。







▼境内最奥の高台に建つ聖光殿富岡鉄斎美術館。清荒神清澄寺第37世法主光浄和上が半世紀以上にわたって蒐集されてきた富岡鉄斎の
 作品を広く公開展示するために昭和50年4月境内に開館。
 特に鉄斎「書」を期待して来たのですが、残念夏期休館中でした。いつもながら肝心なことが実現したためしがない、アアいやだ。







▼聖光殿富岡鉄斎美術館の扁額。当然鉄斎さんの書なんでしょうネ。







▼清荒神清澄寺宗務所兼寺務所。



















▼ご朱印です。





清荒神清澄寺これにて オ シ マ イ 。

鹿王院、足利三代将軍の開基です。

2018年07月24日 | 京都の古寺巡り





(2018.07.21訪問)


それにしても「暑い」という言葉しか出てこない今日このごろ、皆様いかがでしょうか、この狂暑お大事にして下さいネ。
今日はわざわざ、我が大大阪よりも2~3℃も気温が高い京嵯峨野嵐山へやってまいりました。取り敢えず渡月橋の真ん中に立ち、
桂川の流れに沿って吹く涼風を期待してみたのですが風はナシ、ただ単に暑いだけ。
止むを得ず当初の予定通り、二駅バックして臨済禅刹鹿王院を訪ねることにいたします。





▼嵐電鹿王院駅から南へ5~6分、住宅街の中に瀟洒な山門を構えています。        







[ 鹿王院 ]
●山号 覚雄山 (かくゆうざん)
●院号 鹿王院 (ろくおういん)
●寺号 宝幢禅寺 (ほうとうぜんじ)
●宗派 臨済宗単立 (りんざいしゅう)
●開基 足利義満 (あしかがよしみつ)
●開山 春屋妙葩 (しゅんのくみょうは) 普明国師
●開創 康暦二年 (1380年)
●本尊 釈迦如来坐像
▲拝観 500円 朱印 300円 
▲京都市右京区嵯峨北堀町 電話075-861-1645
▲京福電鉄「鹿王院駅」下車 南へ100m
 JR「嵯峨嵐山駅」下車 東南へ500m
 阪急「嵐山駅」下車 東北へ700m





▼山門。一間一戸、切妻造、本瓦葺の四脚門。室町時代初期の禅寺山門としては、京都で建仁寺総門に次ぐ遺構だそうです。







鹿王院縁起
足利三代将軍義満が康暦二年、二十四歳の時、延命祈願でこの地に建てた禅寺で覚雄山宝幢禅寺鹿王院と号した。
京都十刹第五の名刹です。





▼山門両袖の瓦埋め込みの土塀、味が有りますねえ。

                 





▼義満揮毫の山号が書かれた扁額。







▼グリーンシャワーが降り注ぐトンネルの先に……、







▼小さな門が見えてきました。







▼綺麗なお庭のその先は……、







▼庫裏の玄関です。ここで入山手続きをします。







▼瓦敷きの渡り廊下を行くと……、







▼中央奥が本堂なんですが正面写真が撮れません。方三間、寄棟造、桟瓦葺、延宝四年 (1676年) 再建。







▼本堂内部。中央須弥壇に運慶作と伝える本尊釈迦如来坐像が祀られ、左右に十大弟子が立ってます。







▼須弥壇背面中央に弥勒菩薩坐像、右に鹿王院十一世賢渓玄倫和尚坐像、左に鹿王院十二世虎岑玄竹和尚坐像が祀られています。







▼当山開基の足利義満坐像も祀られています。







▼本堂棟続きの客殿です。







▼寺号が書かれた客殿扁額も義満揮毫。







▼客殿前庭。







▼目を右に転じると舎利殿と後ろは嵐山。







▼この渡り廊下を左に行くと舎利殿。







▼舎利殿。方三間、宝形造、桟瓦葺、下層屋根は裳階。宝暦十三年 (1763年) 再建。



正面からは入堂出来ず背面からの入堂になります。
堂内は天井が高く広々とした感じで、中央に須弥壇があり、周囲の壁面には十六羅漢の軸が掛けられています。

▼扉を開けるといきなりド~ンと釈迦涅槃図が眼に入ります。







▼堂内中央の須弥壇。壇上に仏舎利を収めた厨子風の立派な多宝塔が置かれ、周囲を四天王で守護しています。







▼格天井からは双龍が描かれた八角天蓋が吊るされ、各辺から瓔珞が幽かに揺れています。







▼多宝塔上部の組み物のリズム感。







            ▼境内各所に石塔や、







▼形だけの井戸や、







            ▼石と木合作の灯籠風の変なものが有ります。







▼鎮守社の三社明神。







▼三社明神の前に開かずの門。性格がよく判らない変な門です。



鹿王院これにて オ シ マ イ 。

寺伝によれば、足利義満二十四歳の時、延命祈願で建てたと云う鹿王院。室町幕府の最高権力者とはいえ弱冠二十四歳の若者が、そし
てその義満の卓越した能力と優秀な家臣団が控えているとは云え、本当にこれだけの規模の寺院建立をしたのだろうか。往時の権力構
造と組織力は現代とは比較にならない大きな力が働いていたのかも知れませんネ。往々にして歴史のエポックには変わり目という言葉
だけで説明出来ない不思議が有るようです。
ふっとそんなことを思った鹿王院訪問でした。

フロク

▼今日の渡月橋。暑い暑いと言いながら、それでも人は歩いています。





大観展の後は、 不動明王の 喝 ! を受けに。

2018年07月17日 | 京都の古寺巡り





(2018.07.11訪問)


京都国立近代美術館で開催中の横山大観展をみた後、このまま社に帰るのもあまりにあまりなので、そうだ21躰の御仏の気が充満す
る東寺のミスター講堂お不動さんに、だらけ身に必殺の[喝]を貰おうと、東寺を訪ねることにいたしました。




▼今ここで開催中の、







            ▼この方の展覧会を見た後、半端じゃない京都の暑さをものともせず、
             じゃなかった、ものともしながら東寺へ向ったと思って下さい。歩いてですよ。        







            [ 東寺 ]
            ●山号 八幡山 (はちまんざん)
            ●寺号 教王護国寺 (きょうおうごこくじ)  通称 東寺 (とうじ)
            ●宗派 真言宗総本山 (しんごんしゅうそうほんざん)
            ●開基 桓武天皇 (かんむてんのう)
            ●開創 延暦十五年 (796年)
            ●開山 弘仁十四年 (823年)
            ●本尊 薬師如来坐像(重文)
            ▲拝観 500円 朱印 300円 
            ▲時間 夏期8:30~17:30 冬期8:30~16:30
            ▲http://www.toji.or.jp/ 
            ▲京都市南区九条町1番地 電話075-662-0173
            ▲平成六年(1994年)「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録。

            ▲近鉄京都線「東寺」駅下車 徒歩約5分
             JR「京都」駅下車 徒歩約15分
             市バス東寺東門前下車すぐ





▼南大門(重文)。三間一戸、切妻造、本瓦葺、明治二十八年(1895年)三十三間堂の西門を移築。







東寺縁起
桓武天皇が延暦十三年(794年)の平安京造営に際し、延暦十五年(796年)東寺を国家鎮護のため羅城門の東に創建。弘仁十四年(823年)
空海に下賜された。講堂には大日如来を中心に国宝の五大明王など二十一体の仏像を安置。この配列は立体曼荼羅といわれる。金堂
は豊臣秀頼の再建。五重塔は徳川家光が再建、塔高55m。大師堂は大師在世時の住房で、弘法大師像と大師念持仏の不動明王坐像を
安置。





▼南大門を潜るとドーンと大きな広場、前方に金堂が建ちます。

        





▼金堂(国宝)。桁裄七間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺、重層に見えますが下屋根は裳階。







▼金堂正面。下屋根裳階がセンターで切り上げ、壁面に今日は閉じられていますが観相窓が付けられています。







▼過剰な荘厳が一切ないシンプルな金堂内部。おネーさんのお一人がジーッと脇侍をいつまでも眺めていました。







▼本尊薬師三尊。
 中尊薬師如来坐像 像高290cm、脇侍日光、月光菩薩立像 像高270cm、寄せ木造、慶派二十一代仏師康正、安土桃山
 期。中尊の光背には七仏薬師像を、台座の懸裳の下には薬師如来の眷属十二神将像が配されています。







            ▼中尊薬師如来坐像。







▼金堂。







▼この広々とした境内を見て下さい。ムチャクチャ暑かったです。







云わずと知れた21体の密教仏が立体曼荼羅として祀られています。

▼講堂 (重文)。桁裄九間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。承和二年(835年)創建、延徳三年(1491年)再建。
 須弥壇中央は大日如来を中心に五智如来、右に金剛波羅密多菩薩を中心に五菩薩像、左は不動明王を中心に五明王像が、須弥壇東
 端に梵天像、西端に帝釈天、須弥壇四隅に四天王が安置。合計二十一体の像が整然と安置され、立体曼荼羅を構成しています。







▼須弥壇中央の大日如来坐像 (重文)。 大日さんを中尊に阿閦、宝生、不空成就、阿弥陀の各如来が祀られています。













▼須弥壇左には不動明王を中尊に金剛夜叉、降三世、大威徳、軍茶利の各明王が祀られています。







▼ミスター講堂、中尊不動明王坐像 (国宝)。
 暑い日はだらけていけませんネ、今日はこの方に必殺の [喝] を入れて貰いに来ました。







▼京のランドマーク。







            ▼五重塔 (国宝) は焼失すること四回、現在の塔は正保元年 (1644年) 再建。
             塔の高さ55mもあります。







            ▼相輪。







            ▼揺れる水鏡、瓢箪池。







▼大師堂は目下鋭意修復中!







蓮池が有ったんですネ、知りませんでした。瓢箪池とは違う池です。    

























▼れんこんの煮物を思い浮かべながら、スグ横の慶賀門から暑~い東寺オイトマです。





今日の京都38.5℃、帰ってから知りました。
暑さ対策、一番の防御策は外に出ないことですヨ、ミナサマどうぞお大事に。

星田寺、思いがけない観音さんに出会えました。

2018年07月02日 | 大阪の古寺巡り





(2018.06.30訪問)


各地で続々梅雨明けが発表されていますが、近畿の梅雨明けはまだのよう、そして写真のような夏空がしばらく続いています。
今日は我が大大阪の北東に位置する交野市の星田寺を目指して大和路号は星田の街中をフラフラ走っています。
なぜフラフラかって、相変わらず大和路号のアホナビはアホで、クルマが通れない細道をガイド、おかげで訪問予定時間オーバー。
と云っても我が家から約40分、ホン近い所なんです。





▼アッパレな空。        







            [ 星田寺 ]
            ●山号 三宅山(みやけさん)
            ●院号 華岳院 (かがくいん)
            ●寺号 星田寺 (しょうでんじ)
            ●開基 不詳
            ●創建 長暦元年 (1037年)
            ●宗派 東寺真言宗 (とうじしんごんしゅう)
            ●本尊 不動明王立像
            ▲拝観料 境内自由 朱印300円
            ▲大阪府交野市星田2-6-7 Tel.072-891-6116
            ▲JR片町線 「星田駅」から830m徒歩約15分 
             第二京阪道路「交野南IC」から約10分
 




            ▼山門前に寺号黒々と新しい石碑。







星田寺縁起 (星田寺パンフから抄出)
今から九百五十七年前、平安時代長暦年間に開基創建されたと伝えられています。河内長野市の金剛寺の史料によれば、今から八百
八十九年前の長治二年六月十六日、当寺院で金剛界大灌頂次第が書かれたと伝えられており,平安中期にはこの地に星田寺は存在し
ていたと考えられます。





▼黒御影に刻された真言宗の教え。

      




▼山門前は広々とした広場で勿論駐車が出来ます。







▼山門。一間一戸、切妻造、本瓦葺。手前には石像の仁王像が、棟瓦両端に鯱が控えています。







            ▼山門前右に石像阿形金剛力士。         













            ▼左に吽形金剛力士が睨みを効かせています。   













▼山門を通して見る境内は余り広くないようです。正面は本堂。







▼本堂。桁裄3間、入母屋造、本瓦葺。







▼前面は全て障子格子戸が嵌められています。







▼寺号が書かれた本堂扁額。上後ろの扁額には華岳院と院号が書かれています。







▼本堂内陣。ガラス越しの堂内は薄暗いですが、中央壇に三尊、両脇壇に二尊、計五尊の姿が確認出来ます。







            ▼本尊不動明王立像。立派な火焔光背に真っ黒の本尊。
             これで精一杯のシャッターです。ヘタやねぇ。







▼境内全て。







▼稲荷大明神。







▼チョットしたお庭があり、睡蓮が開いています。   













▼観音堂。桁裄3間、梁間2間、宝形造、銅板葺、1間向拝付。
 細身のお堂ですが中に素晴らしい観音さんが祀られているんですヨ。







▼観音堂扁額。どう読んでも「三室山」このお寺の山号は「三宅山」どういうことでしょう。







            ▼観音堂本尊十一面観音菩薩立像。
             堂内シンプルな荘厳の中でスラリとお立ち、観音の品格を感じます。
             お像は平安期作というのみでの詳細は不詳。







            ▼お顔は童顔で丸顔、目下瞑想中とお見受けしました。







▼境内にはこんな五輪塔が置かれています。







            ▼造立間もないと思われる石像不動明王、火焔光背が真っ赤に燃えてます。

       





▼こんなお顔のお不動さん。

      





▼本坊玄関。こちらでご朱印を戴きます。







▼門前広場手前の放生池。相当デカい真鯉が悠然と、緋鯉は見当たりませんでした。







▼ご朱印です。







星田寺は寺歴が殆ど記録になく不詳寺院なんですが、残された観音堂の十一面観音菩薩立像も平安期作とのみ知られるだけで、云わ
ば幻の十一面さん。頭部も観音特有の結い上げがなく、宝冠らしきものに九面が付けられているように見え、トップの如来頭部もや
や大きく、この大きさがお顔全体のバランスを保っているようです。お像全身も正面性重視で、垂下右手も正常な長さで優雅な観音
像の姿を見せています。少しばかリ通常のイメージとは違う観音さんに会うことが出来た星田寺でした。我が家からそう遠くない寺
院でこれだけの観音像を拝見出来ることにチョット驚きました。

これにて星田寺 オ シ マ イ