土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

南大門の仁王さんに会いに喜光寺へ。

2011年01月26日 | 奈良の古寺巡り


(2011.01.22 訪問)
南大門落慶後、初めて菅原の喜光寺を訪ねました。南大門は新築ですので当然と
して、境内のなんと綺麗に生まれかわったことでしょう。今までがウソのよう。
この日、喜光寺を訪ねたのは、実は南大門の仁王さんに会うためなんです。

[ 喜光寺 ] きこうじ
●山号 清涼山(せいりょうさん)
●寺号 喜光寺(きこうじ)
●宗派 法相宗 薬師寺末寺
●開基 行基菩薩
●本尊 阿弥陀如来坐像 脇侍 観音菩薩坐像 勢至菩薩坐像

喜光寺縁起
721年(養老5年)僧行基が元明太上天皇の勅願により、行基創建49院の1つと
して創建。当時は地名をとり菅原寺と称していましたが、748年聖武天皇により
喜光寺と改名。戦国時代兵火で寺地、伽藍が壊滅。1544年に本堂が再建されたの
が現在の本堂だそうです。行基さんはこのお寺で749年(天平21年)2月2日入寂。

▼南大門。
平成22年5月1日落慶。楼門様式二層入母屋造り。
基壇から高さ約12m、正面幅約12m、奥行き8.5m。総檜造り。2階は納経蔵。
建築は飛鳥時代から続く金剛組。



▼南大門金剛力士。
現代日本彫刻界の最高峰、2007年文化勲章受章の中村晋也さん造像。
阿吽両像とも像高3.2m、ブロンズ像。
彫刻家が造る仏像とはこれだ!の造形。像の性格から当然の大迫力、肉体造形学
からの筋肉の動き、今にも筋肉各部がピクピクしそうな感覚、ギョロっと見据え
た両眼から発する畏光に仏敵もいたたまれなくなり逃散請け合い。というような
感覚でボクは両像を交互にしばらくの間見とれていました。





▲金剛力士阿形像。





▲金剛力士吽形像。

薬師寺講堂の後堂に釈迦10大弟子像が祀られていますがこの作品も中村晋也さん
造像です。ご存じの方もいらっしゃるでしょう。現在の仏師といわれる方たちの
像風とはかなりの差はあります。造像には儀軌に則った作法があり、各仏師のご
苦労は並大抵ではないでしょうが、釈迦哲学を消化した往時の精神の聖域を保ち
つつ現代に蘇らせれば、仏像表現の新しい例が生まれるのではないでしょうか。
彫刻家の仏造像を期待しています。
それにしても喜光寺のご住職はエライ、山田住職は薬師寺管主の山田法胤さんな
のでトップ意向を実現できるのでしょうね。それにしても噂に違わず素晴らしい
仁王さんです。

▼本堂編額。旧寺名、菅原寺とあります。



▼本堂(阿弥陀堂)。本尊阿弥陀三尊。
1544年(天文13年)室町時代に再建、外観は二層に見えますが、薬師寺の
三重塔と同じ裳階付き、中は吹き抜けの単層建です。



▼本尊阿弥陀三尊。
阿弥陀三尊の形をとっていますが、像造年に差があり、本尊は平安期、脇侍は南
北朝期と云われ、どうも阿弥陀さんは、よそのお寺からお越しになったみたい。



▼本尊 阿弥陀如来坐像(重文)。像高2.33m、木造、漆箔、平安期。
漆箔は僅かに残るのみですが、からだ全体はやや細身、眼は彫り込みが浅く黒目
は墨彩、上瞼は切れ長で半眼風、お口は小さく引き締まり、穏やかな思考中とい
った感じを受けます。



▼左脇侍(向かって右) 観音菩薩坐像。像高1.64m、木造、漆箔、南北朝期。



▼右脇侍(向かって左) 勢至菩薩坐像。像高1.61m、木造、漆箔、南北朝期。



▼行基菩薩坐像。像高83cm。



▼境内の一角に会津八一の歌碑。
ひとりきて かなしむてらの しろかべに 汽車のひびきの ゆきかえりつつ



▼境内で本堂を描いている方がいました。この寒い中で。
フランスの方で、ボールペンで描いています。少しばかりお話をしましたが、そ
うとう日本のお寺が好きみたい。ボールペンでここまで描くかと云うほど、細密
な表現には驚きました。





阪奈道路のすぐ脇に、新造南大門があります。これほどアプローチ条件の良いお
寺は先ずないでしょう。朱色ピッカピカの重厚で立派な門です。前回訪ねた時は、
境内全域工事現場でしたが、この日は、朱色の向こうに古色蒼然の本堂が妙なコ
ンビネーションで印象的な眺めでした。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿