土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

巨勢万葉古道を歩く、先ずは、つらつら椿の阿吽寺へ。

2011年01月31日 | 奈良の古寺巡り


(2011.01.29 訪問)
万葉古道巨勢の道を歩きました。JR和歌山線、近鉄吉野線の吉野口駅のすぐ近く
に阿吽寺はあります。この地は古代豪族巨勢氏の本拠地といわれ、飛鳥からも近
く、吉野や紀伊への道として古来、幹線として人々の往来も盛んだったようです。
聖徳太子建立と伝わる巨勢寺の跡が近くに残っています。阿吽寺は巨勢寺の子院
として平安時代に開基したと伝わるそうです。
万葉集で詠われた巨勢山は椿の名所として名を知られ、296mの巨勢山は美しい
円錐形の神奈備山で万葉集にも名歌が納められています。残念ながら美しい山景
はあまりにも近すぎて仰ぐことすらできませんでした。

「巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲ばな 巨勢の春野を」坂門人足
この歌は、701年(大宝元年)秋9月、持統天皇紀伊国行幸のとき、巨勢寺にて、
坂門人足が詠った歌と伝わります。

[ 阿吽寺 ] あうんじ
●山号 玉椿山(ぎょくちんさん)
●寺号 阿吽寺(あうんじ)
●宗派 単立寺院
●開基 阿吽法師
●本尊 木造十一面観世音菩薩立像

阿吽寺縁起
聖徳太子建立と伝わる巨勢寺(今は塔跡のみ)の子院。平安時代に阿吽法師とい
う僧が巨勢川氾濫の時に村人を救済したことから、法師を崇めて巨勢寺に子院を
構え、阿吽法師の名を寺名にしたと伝わります。1262年火災で全焼、以後荒廃
し明治5年廃寺となる。明治13年村の有志が仮堂を建て、昭和60年今の本堂が再
建されました。

▼参道。



▼山門。



▼本堂。
昭和60年再建の本堂です。今は無住で、拝観は御所市観光協会に前もって拝観依
頼が必要です。この日は思いつき巨勢の道を訪ねたので堂内拝観は出来ませんで
した。



▼本堂前の本堂再建記念碑。



▼本堂横に大きな棕櫚かな?



▼境内の椿。
小さい境内ですが、さすがに椿がたくさんあります。殆ど蕾ですが、シーズンと
もなれば人々で溢れると聞きました。



▼万葉歌碑。
本堂横に犬養孝さん揮毫の歌碑が建てられています。
「巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲ばな 巨勢の春野を」
坂門人足(さかとのひとたり)



▼鎮守社春永大明神。





▼巨勢寺跡の案内板。
阿吽寺から北300mくらい、JRと近鉄線に挟まれたところに巨勢寺跡が。往時
寺勢を誇ったと云われる大寺を偲ぶことすら出来ない、単なる原っぱで、小さな
大日堂が建つのみです。



▼巨勢寺跡石柱。



▼巨勢寺塔跡。
大きな心礎です。径89cm、舎利孔径13cm、深さ5cm。石加工の見事さは、類
を見ないそうです。
この心礎跡からしか往時の巨勢寺繁栄を偲ぶことが出来ません。



▼大日堂。
小さいお堂がポツンと。



こういう故地に立つと、古の繁栄よりも今の寂しさが身にしみます。
安楽寺に向かいます。塔婆が タ ノ シ ミ。

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