裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

エホバさん

2014年07月08日 15時00分52秒 | Weblog
そっちの筋のひとが読んでたらゴメンだけど、月に一度かな?、「奉仕活動で参りました」という女性二人組がピンポンを押してくる。
休日のその時間帯は一心にピアノの練習をしてるんで、「まったくもう」と思うわけだが(そしてそのすばらしい音色は彼女たちの耳にも入ってるにちがいないのだが)、とにかくエホバさんが問答無用に押しかけてくるんだった。
例の「ものみの塔」というやつを読んでほしい、というわけだ。
仕方なく、インターホン越しに話す(居留守も使えないのだ、ピアノを弾いてるから)。
オレは宗教は信じないどころか、生粋のダーウィニストなんだけど、聖書のたぐいは、文化比較としてというか、物理学や生物学と整合させようと昔のひとが苦心して描いた物語として、興味深く読んでる。
「ものみの塔」も、そんなスタンスだと、なかなか面白く読める部分もあるんだった。
が、「ポストに入れといて」ですまそうとしても、相手はどうしても話がしたいらしい。
非常に熱心に、聖書のすばらしさを語ってくれるのだな。
ダーウィニストなどとこっちが名乗ったものだからか、語り口の熱のこもりようが尋常じゃない。
問答無用という言葉を先に使ったが、なるほど、それは問答のような形をした、慇懃な押し売りなんだった。
実際、それは非営利の営業活動なんだから仕方がないが。
相手の気がおさまるまで話しをしてさしあげると、ひと仕事を終えた彼女たちはすっきりした顔で帰ってくれる。
そんなときオレは、「奉仕活動をさせられてるのはこっちなんだがな」という、まるで腑に落ちない気持ちにさせられる。
そして再びテンションをビルドアップして、ピアノに向かうんだった。
エホバさんの教義の部分を悪く言うつもりはさらさらないけど、あの「奉仕」の名を借りた押し売り活動をよろしく感じるひとはいまい。
百歩ゆずっても、押しかけるなら、せめてピアノの音がやんでからだろ。
「相手の作業を中断させて、自分たちの話につき合わさせてる」という考え方が、彼女たちには抜け落ちてる。
その奉仕活動なるものによって彼女たちは功徳を得るわけであって、すなわちそれはあらゆる意味で「自分都合」なんだった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あかんって | トップ | 英会話 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事