※ゼロ戦の乗っかっている建物(第光明殿)で雨宿りをした。
写真右下に映っている3枚の紙が、南洋沖で亡くなった若き海軍兵の遺書。
クリック♪
Nが伊丹教室なので、風邪ぎみのA君を家に残して10時過ぎに家を出る。
きょうは、心霊スポットのコーナーなどでよく取り上げられている「ゼロ戦墓地」 へ行く。
宝塚南口まで電車に乗ってから逆瀬川方面方面に歩く。
歩き出してすぐ、村野藤吾の設計で有名な 「宝塚カトリック教会」 が見えてきた。
「ハイヒール」 を引っくり返した形という人もいれば 「クジラ」 だという人もいる。
すぐそばを阪急電車が通っているので写真が撮りにくい。
中に入ると 「聖なる聖なる聖なるか~なぁ~♪」 と、懐かしい賛美歌が聴こえてきた。
日曜のミサの最中なのだろう。
もう少し行くと、市内でも人気の高い 「宝塚第一小学校」 につきあたる。
グランドでは、赤や青のユニフォームを着た子ども達がサッカーの練習中だった。
そばを流れる支多々川沿いのゆるやかな坂道をゆっくりと登っていく。
落ち着いた家並みが続き気分もゆったりする。
以前にも何度か歩いたことのある道だが、あまり記憶が無い。
大きな四辻に出ると、こげ茶色の大きな教会があった。
調べていた地図にも載っていなかったので、不安になって立ち止まっていると、前方から女の人が歩いてきたので尋ねてみる。
「すいませんが、聖天さんへ行くのはこっちでいいですか?(ゼロ戦墓地は聖天寺境内にある)」
女の人はあまり詳しくないようだったが、一生けんめい親切に教えてくれた。
「あっちの道を行けば近いと思うけど・・・上りがちょっとキツくて、通称 『地獄坂』って呼ばれてます」
地獄坂はノータイムでパスして、そのまま支多々川沿いを登り続けることにする。
川沿いの家は、どこも何となくノンビリしていて楽しい。
小さな動物病院があるなぁと思っていると、運命鑑定の看板も上がっていた(どちらが本業なのだろう)
川幅は段々と狭くなり、頭の上ではヒヨドリの甲高い声が響き渡る。
ここらでもう1度道の確認をしたかったが、たまにすれ違うのはウォーキングや犬の散歩のおじさんばかり。
私は男の人に話しかけるのがどうも苦手で、仕方なくそのまま進む。
そのうちに大きな分かれ道に出た。
右か左か見当がつかない。
誰も歩いてくる気配もないので、庭の畑にしゃがんでジョーロで水をまいているおじいさんに聞いてみた。
「すいません、聖天さんはこっちでいいですか?」
おじいさんは立ち上がって私の顔を見ながら、「まっすぐ」 「400メートル」 とだけ答えてくれた。
親切だが愛想はなかった(これだから男の人ってニガテ)
ここから道幅は広くなり坂道の勾配もキツくなってくる。
しばらく歩くと 「聖天寺下」 のバス停が見えてきた。
高校生くらいの男の子がケータイをいじりながら1人で立っている。
目の前に大きな石鳥居が見えた。
間違いない、あそこだろう。
鳥居の脇に 「東寺真言宗 宝塚聖天」 と書いてあり、迫力のある狛犬が迎えてくれた。
境内へ入ると小さな広場のようになっており、「色鳥や 一羽見え 二羽ゐるらしく」 という
なんかよく解らない句碑があった。
そのそばに 「木像安置所」 「小林佐兵衛翁」 と書かれた札が立てられている。
薄暗い4畳半ほどのコンクリの部屋の中に、3メートル近くある小林翁と思われる人物像が、右手を高々と上げて立ちはだかっていた。
(ひぇ~)という感じだ。
奥の棚には、日本髪を結った妻や母親の古い写真も並んでいる。
白い面がひとつ混じって置いてあった。 これも小林翁の愛蔵品か何かなのだろうか。
外へ出て深呼吸をする。
何やらパラパラすると思ったら、あんなに青々としていた空に、どんよりねずみ色の雲が厚く垂れ込めていた。
(う~んマズイかなぁ・・・きょうは傘を持ってないぞ)
とりあえず急いで奥へ進むと、すぐに一面が墓地になっていた。
左手上方の低い建物の上にゼロ戦が乗っかっている。
ネットで見ていた通り、いかにもレプリカという感じのシロモノだが、やはり現実に目の前にしてちょっとした感動だった。
お墓の中から写真を撮っていると、急に雨脚が強まってきた。
ゼロ戦を乗せている小さな建物まで慌てて走って避難する。
建物のひさしの下に立って雨降りの墓地を眺める。
墓地は山の方に向かってずいぶん伸びているようだった。
私の他には誰もいない。
強い風のせいで木々の葉っぱが激しくざわめいている。
後ろを振り返ると、建物の上部に 「第光明殿」 と書いてある。
閉ざされたドア部分がガラスになっていたので、顔をくっつけて中を覗いてみると
暗がりの中に、数々の位牌や戦闘服姿の若者の写真が飾られてあった。
先ほどまでの楽しい気分はどこかに吹っ飛んでしまった。
眼下に広がる墓地を眺めながら、身の置き所のないような気分になる。
(早く雨が上がってくれないかな・・) と思った瞬間、空がまぶしく光りだし雨が止んだ。
大急ぎで 「第光明殿」 を離れる。
大きな碑があって見てみると、「神風特別攻撃隊之魁 甲飛十期之碑」 とあった。
そのそばに何やら3枚の張り紙がしてある。
近寄って読んでみると、南洋沖で若くして戦死した3名の遺書だった。
読みながら涙があふれて止まらなくなった。
どんな事があっても、戦争だけは絶対にしてはいけないものだと思った。
時計を見ると11時半を過ぎている。
みんなの昼ごはんの仕度をしていないので大急ぎで帰らなければいけない。
心の中で手を合わせて墓地をあとにする。
ポメラニアンを連れた男性が1人、雨上がりのお墓の中を横ぎっていくのがチラッと見えた。
延々と続く下り坂を急いで降りて南口から阪急電車に乗る。
お昼ごはんの準備はなんとか間に合った
夜、Nと南口へ散歩に出る。
冷え込みが激しくビックリした。
先日の、「喫茶かつどん」 で冷たい物を飲みたかったのだが、日曜で閉まっていた。
サンビオラ1階の 「珈琲館」 に入る。
ここは若い頃何度も入ったことのある懐かしいお店で、きょうはレモネードを注文した。
髪をひっつめにして、どこかサディスティックな雰囲気の漂うママさんも健在だった。
宝塚大橋でNが写真を撮ったりしながらブラブラ歩いて帰る。
深まる秋だ・・・
おわり
写真右下に映っている3枚の紙が、南洋沖で亡くなった若き海軍兵の遺書。
クリック♪
Nが伊丹教室なので、風邪ぎみのA君を家に残して10時過ぎに家を出る。
きょうは、心霊スポットのコーナーなどでよく取り上げられている「ゼロ戦墓地」 へ行く。
宝塚南口まで電車に乗ってから逆瀬川方面方面に歩く。
歩き出してすぐ、村野藤吾の設計で有名な 「宝塚カトリック教会」 が見えてきた。
「ハイヒール」 を引っくり返した形という人もいれば 「クジラ」 だという人もいる。
すぐそばを阪急電車が通っているので写真が撮りにくい。
中に入ると 「聖なる聖なる聖なるか~なぁ~♪」 と、懐かしい賛美歌が聴こえてきた。
日曜のミサの最中なのだろう。
もう少し行くと、市内でも人気の高い 「宝塚第一小学校」 につきあたる。
グランドでは、赤や青のユニフォームを着た子ども達がサッカーの練習中だった。
そばを流れる支多々川沿いのゆるやかな坂道をゆっくりと登っていく。
落ち着いた家並みが続き気分もゆったりする。
以前にも何度か歩いたことのある道だが、あまり記憶が無い。
大きな四辻に出ると、こげ茶色の大きな教会があった。
調べていた地図にも載っていなかったので、不安になって立ち止まっていると、前方から女の人が歩いてきたので尋ねてみる。
「すいませんが、聖天さんへ行くのはこっちでいいですか?(ゼロ戦墓地は聖天寺境内にある)」
女の人はあまり詳しくないようだったが、一生けんめい親切に教えてくれた。
「あっちの道を行けば近いと思うけど・・・上りがちょっとキツくて、通称 『地獄坂』って呼ばれてます」
地獄坂はノータイムでパスして、そのまま支多々川沿いを登り続けることにする。
川沿いの家は、どこも何となくノンビリしていて楽しい。
小さな動物病院があるなぁと思っていると、運命鑑定の看板も上がっていた(どちらが本業なのだろう)
川幅は段々と狭くなり、頭の上ではヒヨドリの甲高い声が響き渡る。
ここらでもう1度道の確認をしたかったが、たまにすれ違うのはウォーキングや犬の散歩のおじさんばかり。
私は男の人に話しかけるのがどうも苦手で、仕方なくそのまま進む。
そのうちに大きな分かれ道に出た。
右か左か見当がつかない。
誰も歩いてくる気配もないので、庭の畑にしゃがんでジョーロで水をまいているおじいさんに聞いてみた。
「すいません、聖天さんはこっちでいいですか?」
おじいさんは立ち上がって私の顔を見ながら、「まっすぐ」 「400メートル」 とだけ答えてくれた。
親切だが愛想はなかった(これだから男の人ってニガテ)
ここから道幅は広くなり坂道の勾配もキツくなってくる。
しばらく歩くと 「聖天寺下」 のバス停が見えてきた。
高校生くらいの男の子がケータイをいじりながら1人で立っている。
目の前に大きな石鳥居が見えた。
間違いない、あそこだろう。
鳥居の脇に 「東寺真言宗 宝塚聖天」 と書いてあり、迫力のある狛犬が迎えてくれた。
境内へ入ると小さな広場のようになっており、「色鳥や 一羽見え 二羽ゐるらしく」 という
なんかよく解らない句碑があった。
そのそばに 「木像安置所」 「小林佐兵衛翁」 と書かれた札が立てられている。
薄暗い4畳半ほどのコンクリの部屋の中に、3メートル近くある小林翁と思われる人物像が、右手を高々と上げて立ちはだかっていた。
(ひぇ~)という感じだ。
奥の棚には、日本髪を結った妻や母親の古い写真も並んでいる。
白い面がひとつ混じって置いてあった。 これも小林翁の愛蔵品か何かなのだろうか。
外へ出て深呼吸をする。
何やらパラパラすると思ったら、あんなに青々としていた空に、どんよりねずみ色の雲が厚く垂れ込めていた。
(う~んマズイかなぁ・・・きょうは傘を持ってないぞ)
とりあえず急いで奥へ進むと、すぐに一面が墓地になっていた。
左手上方の低い建物の上にゼロ戦が乗っかっている。
ネットで見ていた通り、いかにもレプリカという感じのシロモノだが、やはり現実に目の前にしてちょっとした感動だった。
お墓の中から写真を撮っていると、急に雨脚が強まってきた。
ゼロ戦を乗せている小さな建物まで慌てて走って避難する。
建物のひさしの下に立って雨降りの墓地を眺める。
墓地は山の方に向かってずいぶん伸びているようだった。
私の他には誰もいない。
強い風のせいで木々の葉っぱが激しくざわめいている。
後ろを振り返ると、建物の上部に 「第光明殿」 と書いてある。
閉ざされたドア部分がガラスになっていたので、顔をくっつけて中を覗いてみると
暗がりの中に、数々の位牌や戦闘服姿の若者の写真が飾られてあった。
先ほどまでの楽しい気分はどこかに吹っ飛んでしまった。
眼下に広がる墓地を眺めながら、身の置き所のないような気分になる。
(早く雨が上がってくれないかな・・) と思った瞬間、空がまぶしく光りだし雨が止んだ。
大急ぎで 「第光明殿」 を離れる。
大きな碑があって見てみると、「神風特別攻撃隊之魁 甲飛十期之碑」 とあった。
そのそばに何やら3枚の張り紙がしてある。
近寄って読んでみると、南洋沖で若くして戦死した3名の遺書だった。
読みながら涙があふれて止まらなくなった。
どんな事があっても、戦争だけは絶対にしてはいけないものだと思った。
時計を見ると11時半を過ぎている。
みんなの昼ごはんの仕度をしていないので大急ぎで帰らなければいけない。
心の中で手を合わせて墓地をあとにする。
ポメラニアンを連れた男性が1人、雨上がりのお墓の中を横ぎっていくのがチラッと見えた。
延々と続く下り坂を急いで降りて南口から阪急電車に乗る。
お昼ごはんの準備はなんとか間に合った
夜、Nと南口へ散歩に出る。
冷え込みが激しくビックリした。
先日の、「喫茶かつどん」 で冷たい物を飲みたかったのだが、日曜で閉まっていた。
サンビオラ1階の 「珈琲館」 に入る。
ここは若い頃何度も入ったことのある懐かしいお店で、きょうはレモネードを注文した。
髪をひっつめにして、どこかサディスティックな雰囲気の漂うママさんも健在だった。
宝塚大橋でNが写真を撮ったりしながらブラブラ歩いて帰る。
深まる秋だ・・・
おわり
一度、機会があれば、森先生共々わが街も散策してくださいませ。
しかし、聖天さんにそのような「ゼロ戦墓地」があるなどとは知りませんでした。
「地獄坂」を選択しなかったのは正解だったような気がします。
でも、お褒めの言葉を頂き、ますますヤル気満々のルンルンです(お調子者・・)
リクエストにお答えして、年内には 「じんさま集落探訪」 の企画を実施したいと思います。
どうぞ楽しみにお待ち下さいませ
コスモパワーですが、その後も頑張っているようです。
いつ見ても2,3人のお客さんしかいませんが
黒板の前に立つ、どこか頼り無げな佐藤さんの姿を時々拝見します
戦争を知らない世代ですが、戦争については深く考えさせられます。
こんな心境にさせられるとは夢にも思っていませんでした。
Nに話すとすごく行きたがっていたので、また近いうちに再訪するかも知れません。
久しぶりに、魂が洗われたような気分になりました・・・
亡くなる人、生かされる人・・・自分で選べないのが 「運命」 というものなのでしょうか。
映画 『砂の器』 の 「宿命」 という言葉が思い浮かびます。
幸せな時にはつい見失いがちですが、KOBECCOさまもおっしゃる通り、時には思いを馳せなければいけない事だと思いました。