徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

もう一度、駄目なものは駄目と言う時

2015-09-03 22:40:03 | News
普段「デモ(ンストレーション)」と「抗議」という言葉は意識的に使い分けている。
"主人"のある首相官邸前の行動はあくまでも「抗議」であり、夜間や休日は"無人"の建物でしかない国会議事堂前での行動は基本的に「デモ」である。基本的にというのは、例えば深夜まで続いた特定秘密保護法対する行動は、同時並行的に参院で審議、採決が強行されていたので、これは「抗議」である。
先月30日の国会から霞が関一帯で10万人以上の参加者を集めた安保法制反対の行動は正しくデモンストレーションらしいデモになった。
デモンストレーションなのだから、何はともあれとにかく人数である。
そしてインパクトのある「絵」を作らなければならない。そのためには車道を開放させること、雨天という悪条件の中でも参加をサポートし続けること、インパクトのある「絵」を演出することが大事になる。3.11以降、共に行動し続けてきた人たちは給水所や緊急的な"救護所"を設置し、<安倍やめろ exFCK ABE>のバルーンつきの横断幕を国会議事堂の目の前に高く上げた。その経緯や顛末は@onoyasumaroさんのまとめを読んで頂きたい。

【0830国会前給水所】
この夏の宿題として黒白のバルーンあがる国会の前-BLACK RAINBOWへのオマージュ

主催による運営以外にも自主的な給水所活動、巨大ダンマクの掲示など、これらのセキュリティと行動への情熱も今回の大規模行動を支えていたのは明らかだ。
開放された国会前の車道エリアでは至る所で出力の小さなトラメガからバラバラなコールが起こっていた。先頭付近のSEALDsのトラメガも実に控えめな出力だった。それが意図的だったのかどうかはわからないが、参加者の能動的なコールを促すという意味では、悪天候の状況の中でもいい「場」ができていた。それでもコールの基調になっていたのは「安倍やめろ!」である。
17時ぴったりに警備は車道から参加者の排除を始め、オレも地元へ帰った。デモの目的はすでに充分に果たされたのだから、それでいいのである。

3.11以降のデモや抗議への典型的ないちゃもんではあるけれども、今回も参加人数に関する議論が無駄に、延々と続いている。
参加者人数は正確には把握できない。参加者は個人参加者が中心に集まった"メインステージ"である国会前に一極集中したわけではなく、霞ヶ関の辻、日比谷公園周辺に広がり、それぞれ参加団体が街宣を行い数多くの聴衆――参加者を集めたのだから正確な数字というのは誰にもわからない。わからないし、参加者の状況もそれぞれ違うのだから、例えば国会前の車道開放の状況にもいろんな"説"が出てくる。大規模行動の記憶は人それぞれとしか言いようがなので、まあそのどれもが正しいのだろうし、本当に何がきっかけなのかはわからないが。10万人単位の参加者というのはそういうことである。しかし警察情報(3万人程度)で数字を抑えたい産経新聞などは国会前の航空写真を基に参加者数のブロックを描き数字を割り出そうとして、むしろ10万人以上の参加者を自ら証明してしまうという醜態を晒した。
国会前の車道を埋め尽くし、霞ヶ関周辺にまで広範囲に集会や抗議の輪は広がっていたのは事実で、安倍政権に対する反対の世論を可視化した歴史的な写真が全世界に拡散されたのも事実である。

話は変わる。
30日の大規模デモ後に清義明さんがSEALDsを巡る思想的背景を分析した記事を書いた。

国会議事堂前の「敗北主義」-最後に笑うものが最もよく笑う・・戦後左翼史のなかの市民ナショナリズム

タイトルは清さんらしく挑発的なのだが、行動に対する単純な批判というわけでは勿論ない。
SEALDsは「選書」なる書店企画を展開しているのだが、その中で「丸山眞男セレクション」が選ばれている。ずる賢い大人ならその辺は適当に誤魔化すものだと思うのだが、賢く真面目な彼らは「丸山眞男」というキーワードを与えてしまう。清さんならそれを突破口に書くだろうと思った。
とはいえ基本的には、戦後左翼史を辿りながら、頭の悪いネトウヨがデモや抗議に対して意味もわからずぶつける「反安倍=極左」というイージーなレッテルを丁寧に剥がしていく内容にもなっているのだが、結果的に清さんはSEALDsに新しいレッテルを貼ることになる。思想の背景を分析しているのだからレッテルを貼るのは当然のことで、ネトウヨが呪文のように言うレッテルも悪いことばかりではない。それを剥がすのか、引き受けるのかは彼らのやることだ。
とはいえ清さんがよく書く「別個に進んで同時に撃て!」はまったく正しいので、それぞれがやれることを今いる場所からやればいいのである。

ただ、その中にこういう記述がある。

<さらに、これらの反原発から、途中に秘密保護法反対と、現在の安保法制反対に至る潮流を「新しいムーブメント」という人もいます。これはある意味で当たっていますが、基本的にはハズレです。>

その後「ハズレ」に関する記述はないのだが、その「ハズレ」と言われている「潮流」の中にいるひとりがオレである。確かに思想史的位置づけの中で「新しい」とは思わないけれども、3.11以降の行動は「3.11以降」としか言いようのない「状況」の中から行動原理は生まれているので、アタリもハズレもないのである。あえて言えば、SEALDsに対しても言及されているように、「3.11以降」の"群れ"はベ平連的ではある。
そして昨夜のDOMMUNEで園子温はSEALDs以前の、この「3.11以降」の行動をぼんやりとdisったわけだが、もう、それは「見えていなかった」もしくは「見たくなかった」と言っているように聞えた。3.11以降の行動の核となったのはイデオロギーではなく、シングルイシュー(ワンイシュー)と当事者性の徹底だった。園子温が反原発での官邸前抗議で「党派性」を嗅ぎ取ってしまったというのは、それが自らの前衛趣味、偏屈な党派性の写し鏡ではなかったのか。そしておっさんは若者ほどおっさんに優しくない。
シングルイシューの徹底とは何か。

「駄目なものは駄目」という有名な言葉がある。
旧社会党の土井たか子が90年前後のマドンナ旋風時に繰り返し叫んだ言葉だ。この土井たか子の言葉は社会党を文字通り復活させ、結果的に55年体制に楔を打ち込んだのだが、その後「駄目なものは駄目」を信じ切れずに、貫き通すことができず、「政局」に絡め取られてしまった社会党が壊滅的な状況に陥ったのはご存知の通りである。

<そのように考えるとき、私はこれからの国会での反対党のありかたのなかで、妥協のない反対を貫く場面をいま以上に増やすことが必要ではないかと思うのです。もちろん問題によって対応は違いますが、国会での野党の一見強硬な姿勢が結局は政府・自民党の「野党のカオを立てた」僅かばかりの譲歩を引き出しただけに終わるといったことはできるだけ避けようということであります。駄目なものは駄目なのであって、少々の手直し程度で引き下がるわけにはいかないという、分かりやすい態度をとろうというのです。いわばこれは、「反対党らしい反対党への復帰」であります。>
土井たか子 1988年6月27日北海道斜里郡斜里町での記者会見/特定非営利活動法人労働者運動資料室 文献資料より

シングルイシューはイデオロギーや特定の政党を超えなければならないものだけれども、行動のファーストインパクトとして、この「駄目なものは駄目」に似た行動原理があることは確かだろう。
そしてまた3.11以降の行動は生存権を巡る戦いでもある。生存権といえば2009年前後の派遣村問題で湯浅誠が繰り返し語っていた言葉(憲法25条)だが、原発、差別、秘密保護法、安保法制に対するオレたちの行動もまた生存権を巡る戦いなのだから当然言葉や姿勢は厳しく、激しくなる。
だから、やはり、まず「駄目なものは駄目」なのだ。「奴ら」に言うことを聞かせるためにも。

今月20日は土井たか子の命日である。