徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

キープオン

2011-12-01 00:13:57 | お仕事プレイバック

映画化された際にキャッチコピーになった「やらなきゃならないことをやるだけさ。だからうまくいくんだよ」の通り、みうらじゅんさんの『アイデン&ティティ』(角川文庫)には、日本を代表するロック者たる、みうらじゅんの言葉のエキスがほとばしっている。テレビやラジオで見せるサブカルのおじさんという面からは想像もつかない、ロック好きにとっては、それはそれは宝石の言葉の数々が散りばめられているのだ。
『アイデン&ティティ』は「24歳」と「27歳」の2部構成になっている。それぞれボブ・ディランとジョン・レノン&オノ・ヨーコという巨大すぎるロック・アイコンが登場し、ロックに対して誠実であろうとしながら、それでも「日本のロックとは何か?」「日本人にとってロックとは何か?」を悩み、さらに自分の弱さに悩む主人公に対して、「ドラえもん」のような役割で励まし、メッセージしていく(あとがきでも書かれているように、冒頭、主人公の前に現れるボブ・ディランはドラえもんそのものだ)。
もちろん、ディランたちの言葉(歌詞)が宝石のような言葉であると同時に、現状の厳しさに挟まれて主人公は苦い言葉で吐きながら、苦しむ。

例えば、ロックを<卒業してしまった>、大学の元サークル仲間のサラリーマンの言葉に主人公は思う。

<みんなどうしてそんなに器用なんだ/学生の時は学生気分、社会人に成ったら社会人気分/この間まで長髪で僕といっしょに/ロックしてた奴がよ!>

<忘れてる…/いや、初めっからこいつらには/ロックなんて無かったんだ――/ほどほどにロックが好きで/ほどほどにバンドをやって/ほどほどにやめたんだ!>

90年代の日本に起きたバンドブームを背景にしたストーリーには、「大島渚」というバンドで活動したみうらさんの実体験とその想いが色濃く描かれている。バンドブームが去り、自分がロックを続けていく意味を見失い、物語のマドンナたる彼女に「音楽とは別の仕事をしていてもオレのこと好きか?」と訊ねてしまう主人公。
それに対して、彼女(みうらさん)は、こう答える(描く)。

<君の仕事は/その理想を追う/ことなのよ>

そして冒頭の主人公の言葉が導かれる。

<今日、来てくれた/みんなの心の中/にもきっと/住んでいる/ロックは/こう言うだろう/“やれる事をやるんだよ/だからうまく出来るのさ”って>
 
ロック・ミュージックに対して誠実に向かえば向かうほど、普通の家に生まれ、普通の環境で育った日本人リスナーは悩む。本当にロックが必要だったのかと。音楽は音楽として愉しめばいいのである。
しかし一時期、日本のロックは、それだけではキープできなくなってしまった。そういえばバブルの頃に発刊されたロック雑誌に、「ロックミュージシャンは不幸自慢しなければならないのか」などと投稿されていたことがあったっけ。あの頃、ミュージシャンのインタビューは「自分がロックである必然性」を必死に語っていたような時代でもあった。今でもキープオン・ロッキンできている飛びぬけた才能のあった一部ミュージシャンを除いて。
この『アイデン&ティティ』はその時代を気持ちを誠実に描いた、貴重な証言でもある。

以前、書いたことがあるけれども、みうらじゅんさんにお会いして取材した際に聞いた言葉で今でも心に残っている言葉がある(みうらさんはちょうど『アイデン&ティティ』の試写を観た直後だったらしい)。
 それが「キープオン」と言う言葉だ。
 この言葉だけ取り出せば、何のことやらわからないかもしれないけれども、こういう言葉を普通に言葉に出せる人にとっては、「卒業」など意味のない話だろう。好きなものを好きでい続けること、「キープオン」は好きでいる者にとっては当然のことなのだ。インタビュー中、口癖のようにみうらさんは「キープオンですから」「それはキープオンですよ」と繰り返していた。『アイデン&ティティ』や「大島渚」から、誠実なロック者であるみうらさんの側面(本質かな?)を知っていた僕は、その意味はすぐに感じ取ることができたし、それからことあるごとに、「ここはキープオンのしどころだ」と心の中で強く思って、物事に対峙するようにしている。(200504)

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