徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

市川森一 僕が描いたドラマの「負けっぷり」(再掲)

2011-12-10 09:53:55 | お仕事プレイバック
アテネオリンピック、女子レスリング準決勝で浜口京子が負けた時、父・アニマル浜口はテレビで見ているこちらが恥ずかしくなるぐらい、文字通り暴れ、身体全体で悔しさを表現していた。その後、3位決定戦に現れた浜口京子と父・アニマル浜口は、不思議なくらい気負いを捨てた清々しい顔で会場に現れた。そしてほんの数時間前の負けっぷりが不思議なくらい、見事な勝ちっぷりでメダルを獲得した。
日本人は4年に一度、日本人の勝ちっぷり負けっぷりを再確認する。白黒がはっきりつくスポーツの世界だからこそ、“その時”の振る舞いは国民性を写す鏡なのかもしれない。

“その時”とは勝ちっぷり負けっぷりを越えた、勝負の終わりに対する心持ち。
70年代から80年代にかけて映画、テレビドラマで描かれた日本人はどのように“終わり”を描いてきたのか。
思い出したのは『傷だらけの天使』最終回。
勝ちっぷりが鮮やかだった綾部さんは船中で逮捕され、勝ったり負けたりしていた辰巳さんは逮捕の瞬間、最後の最後で足掻いてしまった。情けない負けっぷりばかり演じていたオサムは風邪で死んだアキラを夢の島に捨てると、荷車を引きながら叫ぶ--「まだ墓場にゃいかねえぞ!」
ドラマとスポーツから日本人の勝ちっぷり、負けっぷりを考えます。

--今回は「勝ちっぷり負けっぷり」というテーマでお願いしたいんですが、結局これは、物事の終わり方をどうするか。終わり方の美学だと思うんです。終わり方の美学があるからこそ、単純な勝ち負けは、もう超えているんだと思うんですね。そのへんが、たとえば『傷だらけの天使』(日本テレビ系 74年10月~75年3月放送)であったり、『淋しいのはお前だけじゃない』(TBS系 82年6月~8月放送)というような、市川さんの代表作の中に表現されていると思うんです。

市川 そうですよね。挫折以外の青春があるのか、あの頃も、今もそう思っているのですけども。挫折し、打ちのめされてこその青春じゃないですか。自分の経験から照らし合わせてもね。だからその繰り返しでしかないわけで、『傷だらけの天使』も『淋しいのはお前だけじゃない』も。結構みじめな思いをさせられているよなあ--と日常、自分を振り返れば、そういうことでしかないわけですから。そうしたら自分をごまかさないで、とにかく無様なラストしか出てこないですね。でも、まだ終わってはいないと、またどうせ負けるんだろうけれど。なんか世の中見ていると、いい奴が、素敵な奴が勝つとは、絶対限らないわけですから。映画では(石原)裕次郎とか(小林)旭とかね、素敵な奴がなぜか勝ち残っていきますけど、現実はむしろ逆じゃないのと。

--また今日も『傷だらけの天使』の最終回を観て来たんですけども、あの辰巳さん(岸田森)の終わり方、じたばたしてすごくみっともない。でも、あれすごく感動するんですね。

市川 辰巳さんは、まさに作者の分身みたいなところがあるわけで、一番無様で虚栄心ばかりがあって、実態が伴わない。ほんとの土壇場の現実にさらされると、あたふたとして無力なね。

--でも、ロマンチストなんですよね。

市川 ええ(笑)。それで言えば(『傷だらけの天使』の最終回で)水谷豊か殺そうとしたのも、何か一番みっともない死に方ねえかなと思って書いたんですね。大体皆さんが想像するのは、路上で刺されてね、のた打ち回って死ぬ。でも『太陽にほえろ!』的な死に方は、あまりに格好いいと。一番みっともないのはやっぱり病気。それも風邪で死んじゃう。風邪こじらせて肺炎で死んじゃうのは、一番、人にも言えないっていう感じで(笑)。台詞にも多分あったはずですけど、「風邪で死ぬなんて、格好悪い」。同じような“仲間”がブラウン管の向こうから呼びかけて、俺たちはこうだけど、お前はがんばれよみたい。そういう呼びかけの方が、僕はいいんじゃないかなと思って書いたんですよね。当時はまだ僕も30代でしたから、ほんとうに自分もあの世界で、一緒にうろうろしていたんですね。だからあれは僕にとっては、生々しいドキュメンタリーだったんですね。
LB中洲通信2005年3月号

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