goo blog サービス終了のお知らせ 

木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

1353 木曽路を行く(6)郡上・八幡城

2015-05-04 08:00:00 | 旅行記

  高校時代の仲良し3人は、2015.04.25(土)郡上市の城下町を見下ろす山の頂に建つ郡上八幡城にきました。 

  郡上市八幡町一の平  入場料¥310  駐車:無料

  

 暑くも寒くも無し、天気もよし、家族連れともどもお城に上がります。

 

下の売店で入場券(¥310)を買ってはいります。 友二入は城に入らないというので、またしても私一人が天守閣に登ることになりました。 ここまで来て引き返すのは勿体無い。 ブログがあるお蔭で膝の痛みもなんのそのと・・・・。

 

 

城は築60年をこえる日本最古の木造再建築の城だそうな。

 

内部はたしかに木造の柱で成り立っている。

郡上市街を一望。

「天守閣」

 

 私が下りて来るのを下で見ていた友が、足腰がふらついていたという。城や寺は階段が私を責めるようになってきたことを再度実感。 待たせては悪いという気持ちが、行動を急がせた側面もあるのだがねー!。

 

 


1352 木曽路を行く(5)高山からせせらぎ街道へ

2015-05-02 08:00:00 | 旅行記

  2015.04.25(土)、高校時代の仲良し三人は、晴天の高山にやってきた。

ここは以前何度も訪れているので、街の一部をさっと紹介したい。 

 高山の朝市

 

今日も高山は多くの観光客が来ていた。外人の多さが目立つ。

 

 

高山祭に繰り出される屋台の倉。

「布袋台(ほていだい)」  重要有形民俗文化財

 

高山を出て、R168数km走り、県道73に入ると、これが「せせらぎ街道」。

 その名の通り、この道はこの先の国道に出るまでの全線が川に沿っており、その途中で水の流れが変わる、分水嶺が見られるのだ。

 ただし、入って見ると少し様子がおかしい。 そんなに高く登った感じもないのに、木々の緑が急激に減ったのだ。

 

道路は至る所で”工事中一方通行”となり、川では工事中のところが数多くみられた。

 

更には、あちこちで木が根こそぎ倒れている。

 

そして、そんなに気温は低くないが、残雪がまだ多く残っているのである。 

 

 

 そして、国道に出たとたん、緑が戻るのであった。 多分これは冬季に大雪が降りそれが雪崩となって山を荒らしたのではないかと思われるが真実はわからない。 郡上八幡はもう近い。

 

 

 


1351 木曽路を行く (4)臥龍桜

2015-04-30 08:00:00 | 旅行記

 高校時代の仲良し三人は、木曽路を旅しています。 今回は高山に行く途中にある、「臥龍桜」に来ました。

 全行程の計画をし、車を提供し、運転までもやってくれる友のお蔭で、私は何の苦も無く旅を楽しむだけです。 その上、ここは遠い駐車場しか空かないからとして、桜の近くで我々を下ろし、待っててくれるという。

 自身は何度も来てるからとは言うものの、なんとも申し訳ないながらも、「桜」見たさにやってきたのです。 

 下呂から高山に向かう国道41号線から300mほど西に入り、JR高山本線の踏切を超え、飛騨一宮駅の真ん前にあります。

 

駅方面(西寄り)からの全景。 ここでは”龍”には見えない。

国指定天然記念物「臥龍桜復興記」(看板)によれば・・・ (一部編集)

 ・品種:「エドヒガン」 ・樹齢:1100年 ・昔より「大橦寺(だいどうじ、「大幢寺」とも書く)の大桜」として親しまれ、昭和6年「臥竜桜」と命名。 ・昭和12年 県・天然記念物、 昭和48年 国・天然記念物に指定  ・昭和34年の伊勢湾台風で被害甚大。 ・平成3年 台風19号でも被害。 ・以来樹勢回復。

右に回って見る。

 

これが「臥龍桜」の全景だ!。 この姿から「臥龍桜」と名前がついたらしいが・・・。

 

「近寄ってみると二本の木からなっている。

地面の緑とのコントラストが素晴らしい!。

 

東の端から再度全景を。 下の写真左の建物が上記看板で言う「大橦寺」。

 

この後は、高山市内に入りました。

 


1350 木曽路を行く (3)合掌村

2015-04-29 08:00:00 | 旅行記

  高校時代の仲良し五人組の三人が、木曽路を巡っています。

      2015.04.24~25  天気よし!。

 

 「下呂温泉 合掌村」

   入場料 ¥800  駐車無料

下の合掌造りの家が出入り口になっている。 友二人は前に来ているからは入らないと言う。なら私も止めようとしたがうが、待つから入れという、ならばとお言葉に甘えて大急ぎで見てくると言い、入ったのであった。

 

 「しらさぎ座」の内部

 

 「飛騨高崎神社」  料理の神様だとか。

 

 

 

 

 

 

この門から入り、道路の下を潜り抜けて「歳時記の森」と称する”季節の草花”が咲く山里をかもしだしているが、友を長く待たせることも出来ず、残念ながら見るのは断念した。

 

「シレネベンジュラ」 またの名を 「袋撫子」

                      (撮影日 2015.04.24(金))

この後は、「臥竜桜」を紹介します。

 


1349 木曽路を行く (2)下呂温泉

2015-04-28 08:00:00 | 旅行記

  高校時代の仲良し五人組、久々の全員集合であるが、諸般の情勢は全員参加はこれを許さず、結局三人参加となった。しかし、全員が間もなく動けない、行けない状態になることは明白、行ける時に行っておこうと出かけたのであった。

  旅行記第二弾は新緑が始まったばかり、まだ桜が残る木曽路を北上している。下の写真、ピンクの花は「イワツツジ」と思われる。 

 下のピンクの花は、八重さくら。 (乗用車のフロントガラス越しの写真につき、不要なものが写りこむことをお許し願いたい。)

 

 

 

手前の赤い花は「ハナモモ」か?。

 

 桜に間に合った!。

 

 

車は下呂市に入ってきた。

 

このあと「合掌村」を訪れたが編集の都合上それは次回として、泊まったホテルを先に紹介したい。 手前の”赤”は「アカメガシ」の新芽。

余計なサービスを廃し、何もかも極めてシンプルにして、安くても気分の悪くならない宿泊施設ができた。一泊二食付で一万円でお釣りが来ると言う。 一番の心配は食事であったが、豪華ではないが、十分納得出来た。

夕闇迫る温泉街をホテルの窓から撮るが、昔に比べかなり暗くなったように思うが、電力節減によるものか?。

 

 今日の仲間は長年仲良しできているが、これほど趣味がバラバラなのは珍しいのではないかと思うほど異なる。 だから、今まで宿泊旅行でも、”カラオケ”は歌った事がなかったし、ゴルフをしたこともなかった。

 それが、初めて三人旅になって、どうした訳か「カラオケ」の話になった。昔の私ならこの時を待ってましたとばかりに、賛成するのであるが、今はかなり消極的。 しかし二人はやろうと言う。 それならば、と重い腰をあげたのであった。

 この声で歌うのは、皆さんが帰ってしまうから、付き合いはして、聞くだけにしようと部屋に入ったら、なんと貸切制。 迷惑なのは竹馬の友のみなら、喧嘩にはなるまいと勇気を出して歌本をめくるのであった。(カラオケ室¥1500/時間・室)

 この”しわがれ声”で合う歌は、やはりお得意の「ぴんから」の「女のねがい」しかないと、6~7年ぶりに舞台に立ち、懐かしさと歌う嬉しさを味わいながらも歌いだしたのであった。 もう二度とないであろうと思っていたカラオケではあったが・・・。

 何とか歌ったが、メロディーもテンポもいい加減なものではあったし、また、聞き手には多分に迷惑だったかも知れないが、歌えることの嬉しさがこみあげてきたものであった。 その夜は容易に眠れぬほどの興奮状態であった。

 


1348 木曽路を行く (1)馬篭宿

2015-04-27 08:00:00 | 旅行記

   高校時代の仲良し5人組が、高齢になったので少なくとも毎年集まろうと言ってたが、実際にはなかなかそうも行かず、家が近くのものは、コーヒーだけの付き合いなどはしているが、全員集合が掛かったのは3年ぶりであった。

 所が、うち一人は病気のために、行けないと言う。 大原則は”全員集合”ではあるが、1937年代生まれの老人ばかり、行けなくなる事情が起こりやすい年齢に差しかかかったのだから、やむを得ないこととして、4人で行くことにした。  

  しかし、直前になって、更に一人が、兄弟の配偶者の母親が亡くなったとのこで行けなくなってしまった。 三人では寂しすぎるとも思ったが、何時あの世に来るようにとのお呼びがかかる可能性があり、行ける時に行っておこうとしたのであった。

  岐阜県の下呂温泉でのんびりする旅で、気が向いたら観光地を訪れようと、計画もなにもない、極めてフランクなものである。 友の車で、名阪道、名古屋高速などを経て、高速道にある小牧のバス停で一人を拾った。

  昼に中津川に到着したので、蕎麦屋に入った。 物知りの友の案内であるが、多くの人が入っており、大変においしい蕎麦であった。

  車は旧中山道道を走り、馬篭宿に向かう。ここは湯舟沢あたりか?。

 

「馬篭宿」

ここには2008年5月に、「WG会」のオフ会で来たことがある。 その時は中津川駅からバスでここに来て、旧中山道を歩き、馬篭峠を越え、妻籠を経由したあとバスにて南木曽駅に出たのであった。 その記録はこちら。

ここらあたりは、まだ桜(八重)を見る事ができた。

 

7年前にこの坂を総勢20人くらいで、登ったことを昨日のように覚えている。

 

  この後、下呂温泉に向かったが、その記録は次回としたい。 当分の間、連日発行の予定です。

 

 

 


1236 四国の旅 (2) 瀬戸大橋

2014-10-04 08:00:00 | 旅行記

 2014.09.29(月)、四国を回る車での旅は、始まったばかり、岡山後楽園を見た後は、倉敷市の東端にある、瀬戸中央道の早島ICから高速道に乗り、瀬戸大橋を側面から見られる鷲羽山に向かった。

鷲羽山(標高113m)頂上付近にあるレストハウスより瀬戸大橋を見る。 

ここはまだ倉敷市。(ここまでの全走行距離332.7KM)

並静かな瀬戸の海がひろがる。

瀬戸大橋についての記述(原文のまま)

日本で最初に国立公園に指定された瀬戸内海の優美な多島海の真ん中を通る、道路と鉄道の併用ルートです。本州四国連絡橋3ルートの先陣をきり、昭和63年に開通しました。ルートは道路37.3km、鉄道32.4kmで、海峡部9.4kmに架かる6橋を総称して瀬戸大橋と呼ばれています。吊橋、斜張橋、トラス橋など、世界最大級の橋梁が連なる姿は壮観です。

 

瀬戸の児島が・・・

 

 

さらに瀬戸大橋を見るべく、瀬戸中央道を少し走り、橋の略中間地点にある「与島PA」に立ち寄る。

与島から本土側を見る。

 

 

 

 与島パーキングエリア 

 

写真右上が瀬戸中央道、瀬戸大橋。

 

 

 ただいまの時間は15時15分、これから瀬戸大橋をあと半分を渡り、坂出市に入り、坂出JCから高松道に乗り、高松方面に向かう。

 

                         << 続く >>  

 

 

 

 


847 ネパール紀行(24)ブログ・インデックス

2012-12-30 08:00:00 | 旅行記

ブログ インデックス

 「ネパール紀行」は行き先毎に細分化したので、合計24編という長編になってしまった、そのために必要な時に必要な記事を探す手間を減らす目的で、ここにインデックスを作成した。

 

(1) ちょこっと決断 (No824)  2012.11.24公開

ここでは、「まえがき」として、何故ネパールを選んだかや、その経緯をまとめた。

   http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121124

 

(2) 出発~カトマンズ到着 (No825)  2012.11.25公開

我が家からの出発から、空港の夜景、乗り継ぎの香港空港の様子、そしてカトマンズ空港、深夜のホテルに到着までを記録している。

   http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121125

到着したホテルの窓から、深夜の市内を撮ったもの。

 

 

(3) 宿泊したホテル、カトマンズの街 (No826)  2012.11.26公開

ここからが、本番の旅行記となる。

ホテルの周辺から、カトマンズ市内の様子を伝える。のら犬、のら牛、路端の店や祈りの場所などを紹介する。

    http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121126

 

 

(4) バクタブルのまつり (No827)  2012.11.27公開

 古代都市「バクタブル」では、祭の真っ最中、各部族毎の催しや、路面に広げた店などを紹介する。

    http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121127

 

 

(5) バクタブルの寺院  (No828)  2012.11.28公開

 世界遺産に登録されている、寺院や旧王宮を精巧な彫刻などと共に紹介する。

    http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121128

 

(6) 夕陽のヒマラヤ  (No829)  2012.11.29公開

 美しい段々畑と里山風景、ホテルの屋上から見た、夕陽に映えるヒマラヤの山々などを見て戴く。

    http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121129

 

 

(7) 朝日のヒマラヤ  (No830)  2012.11.30公開

 ホテルの展望台から、朝日やアサヒに照らされる、アンナプルナやダウラギリを見る。

http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121130

 

 

(8) パタンの寺院  (No831)  2012.12.02公開

 ここにも数々の世界遺産を含む寺院が見られる。ここは敬虔な祈りの場でもある。

 http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121202

 

 

(9) パタンの街と人々  (No832)  2012.12.04公開

 パタンの街や人々の様子やお祈りの場などを紹介する。

     http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121204

 

 

(10) ポカラのシンボル  (No833)  2012.12.06公開

ポカらの街のシンボルと言われる標高6993mの「マチャプチャレ」など、朝日に映える山々の姿をお伝えする。

     http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121206

  

 

(11) アンナプルナ遊覧飛行  (No834)  2012.12.08公開

 小型飛行機に乗り込み、アンナプルナ、ダウラギリ、マチャプチャレに迫る。

     http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121208

 

 

(12) 悪魔の滝  (No835)  2012.12.10公開

 川が少ない代わりに、地下水の多いこの地でしか見られない、不思議な滝 ”下から下に流れ落ちる滝”を見る。

     http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121210

 

 

(13) フェワ湖   (No836)  2012.12.12公開

 漕ぎ手を含め、5人しか乗れない小型のボートに乗り、波静かな鏡のような「フェワ湖」から、ヒマラヤの山々を見る。

     http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121212

 

 

(14) ポカラ市内観光  (No837)  2012.12.14公開

  小高い丘の上にある、ヒンズー教の寺院を尋ねたら、結婚式を終えたばかりの幸せそうなカップルにも出会った。 さて、この後この夫婦は、笑うのはどっち?、泣くのはどちらだろうか?。 

http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121214

 

 

(15) 家庭訪問、夕陽鑑賞  (No838)  2012.15.公開

 自給自足で暮らす三世帯家族の住まいなどを見学、新装なった台所(下)で作った紅茶をおばあちゃんが御馳走してくれた。 

http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121215

 

 

(16) 朝日観賞  (No839)  2012.16.公開

 朝日に映えるヒマラヤの山々を、早起きをして「サランコットの丘」から見る。

 http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121216

 

 

(17) セームナード寺院  (No840)  2012.17.公開

 お釈迦様を祀る寺院とそこで法要を営む人達を紹介する。

 http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121217

 

 

(18) ダルバール広場  (No841)  2012.12.18.公開

 ここにも多数の世界遺産に登録されている寺院がある。

 http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121218

 

 

(19) エベレスト遊覧飛行  (No842)  2012.20.公開

 これが世界最高峰の「エベレスト」標高8848mだ!。

 http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121220

 

 

(20) パシュパティナート  (No843)  2012.22.公開

 人が俗界と最後の別れをする場所、死後は自然に帰るための場所である。

 http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121222

 

 

(21) ボダナート寺院  (No844)  2012.24.公開

 チベット難民も多いが、パキスタンやインドからの流入も激しい街などを紹介。

     http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121224

 

 

(22) 最後の晩餐会  (No845)  2012.12.26.公開

 旅行最後の夕食はネパール民族舞踊を見ながら、ネパール料理を戴いた。

     http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121226

 

 

(23) まとめ     (No846)  2012.12.28公開 

 ネパールの人々、電気、水、交通など現地の状況について私の独断と偏見に満ちた感想を書き並べたもの。

        http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121228

 

(24) ブログインデックス   (No847)  20122.12.30公開

    (本書)

                                                     以上

もうひとつのインデックス(一覧表)はこちら・・・・

     http://sky.geocities.jp/spdpn334/blog-index/blog-index-8.html

 


846 ネパール紀行(23) まとめ

2012-12-28 08:00:00 | 旅行記

 2012年11月13日(火)から同19日までの、6泊7日のネパール旅行を終え、それぞれの記録は今までに述べてきたが、ここではそこに書かなかった総括的事項を、気の付くままに記して置く。

なお、ほんの数日間に狭い範囲を見ただけなので、”目の悪い人の象の印象”に過ぎないし、私の独断と偏見に満ち溢れた見解である点をここに明確にして置きたい

 

(1) 人々

この国の人口は26とも30百万人とも言うが、正確には掴めていないようである。戸籍も整ってはいないようである。死亡診断などなさそうであり、難民の数も把握しきれない事を考えると、それを整備するにはまだまだ時間が必要なのかも?。

国の面積は我が国の本州を除いた日本(北海道+九州+四国)と略同じであるし、高地が広く締めているので、平地の密度はかなり高くなりそう。いずこも同じく人は都会に集中しているので、インフラ整備が緊急の課題と見た。

肌の色も異なるなど、多種多様の部族があり、一概には言えないが、一部のネパール人は日本人によく似ていると言われる。私達が「ナマステー(こんにちは)」と言うと、老若男女を問わず、両手を合わせにっこりして軽く頭を下げるしぐさはとても、人懐っこさを思わせた。

 

(2) 突然の停電

ホテルには6泊宿泊したが、その電力の最も消費される時間帯、夕刻から夜の時間帯に突然の停電に何度も見舞われた。夜や早朝のお出掛けが予定され、懐中電灯の持参が求められていたので、持ってはいたが、最初はどうなることかと驚いた。

だから、その後は常に小型の懐中電灯を身近に置くようにしたから慌てることはなかったが、やはりここもインフラの整備が若干遅れているようだ。

下の写真はその積りで撮ったのではないし、停電とは直接の関係はないが、電力網の整備が望まれる一面として掲載した。

普通電気を家庭などに届けるには、幹線があって、そこから各個に支線を出すのだが、ここらは幹線の配線を待てなくて、遠い幹線まで支線だけを伸ばすからこうなるのであろ。遠くなり、電力の使用量が増えれば電圧ドロップや停電の原因に成り得るのである。

 ホテルやレストランには各テーブルにローソクとマッチが用意されている。夕食のレストランには予めキャンドルサービスとして、灯されているのも当地ならではの事であろう。

 

(3) 水事情

この国には、川が少ない上に川は聖なる場所としてインドに流れるから、ダムを作ることも出来ないだろうし、地下水は豊富のようだが、汲みあげる技術も必要であるし、見た所我々の想像する地下水とは異なり、白濁するなど、飲料用とするにはこれまた技術が無ければならない。それに、最近はその地下水でさえ枯渇してきて、パイプを引かざるを得ないようであり、水事情は決して楽では無く、日本人は生水を絶対飲むなは当然のこととなる。

下は雨は当分降って無いのに白濁した地下水

 

(4) 交通事情

我々が到着した日(11/13)を含め土曜日(11/17)まで 、幸いにも祭の期間中で、多くの会社や商店が休日となっていたので、街中の混雑は激しくなかったが、それでも人の集まる場所、寺院周辺などは、車とバイクが我先にとクラクションを続け様に鳴らすし、道路は拡張工事のために、先に一斉に建物の取り壊しを行ったので、道路の有効幅が狭くなり、通りは喧騒の上にひどい埃が舞い上がるのである。

大通りには信号もあるが、その殆どは点灯していない。現地ガイドの言葉を借りれば、”只今節電中”と笑っていた。たまには、横断歩道もあるが、殆ど機能していないので、横断歩道では無い所と比べ、横断する”テクニックと勇気”は同じく必要と感じた。

バイクは最大かどうかわからないが、ここで見た乗車の最高は大人と子供各2名、計4名が最高であった。また、乗合バスは窓も無く痛んだ車両もあり、これに定員の3~4倍の人を載せて走っていた。また、ここでは自転車の走ってる数はかなり少ないと感じた。

 

(5) 食事について

観光開発も途上の国と聞いていたので、20年前の中国旅行時にあの強烈な香辛料のために、殆ど食べられ無かった経験を元に、”ご飯ですよ”や”ヤキトリ”などのおかず缶詰を持参したのであったが、幸いな事にこれらは全て明けることもなく、殆ど持ち帰ることになった。

事程左様に、ネパール料理もチベット料理も大変に美味しく戴いたのであった。私は一時期体調を崩したので、本当のネパール料理を口にしないで過ぎた事もあるので、余り大きな口をきく訳には行かないが、総じて食べ物での不満は無かったと言える。

下はご飯にぶっかけて食べる、チベット式”よせ鍋である。

 

 (6) 現地の天候、気温について

資料によると、6~9月前半が雨季、9月後半~5月が乾季であり、乾季の気温は日中は20℃近くになるが、朝夕は大きく下がり、10℃を切る事もあるとあった。

1000m前後の高地でもあることと、早朝夕暮れ時の観光が予定されており、どちらかと言えば寒さ対策を重点に考えて行ったが、好天にも恵まれ、日本のいつもの服装では、日中は暑い思いをする事が多かった。その反面、早朝の日の出観察は流石に手袋が役に立った。

現地には丸6日間いたが、持参の雨具は開ける事もなく、空に雲を見たのは初日に、それもほんの少し山に掛かっていたのみで、その後は全く雲の無い日ばかりであった。乾季とは言え、こんなに毎日雲の無い晴天とは極めて有難いことであった。

前回、ニュージランドでの最も楽しみにしていた、「ミルフォードサウンド」が、快晴に恵まれた事を思い出し、改めて”晴れ男”を大きく名乗った次第。逆に、朝日夕陽の写真では、雲が無いと単調に成るので、雲が少し欲しいと”贅沢”な事を考えたりしていた。

 

 

(7)  ブログに載せ得なかった写真

先に載せた写真の中で、死者の火葬で上る煙の写真を載せた事で、お咎めを受けたが、確かに考え方によっては、非難されても致し方無いと思うが、私としては真実を伝えたかったのと、ネパールの人々が死後は自然に帰るのだと考えてると知ったので、掲載は不自然なことではないと判断したのである。しかし、その私でさえも掲載し得なかった写真がある事を記録しておきたいのである。

その一は・・・

下の写真はあちこちの寺院に飾られている見事な彫刻である。

この寺の右の面にあるものには、男性のシンボルを日本の浮世絵ほどではないものの、かなり大げさに、しかし、極めてユーモラスに彫られたものがあった。全体像つまり”人の又間”に位置するから、明らかにそれとわかるが、それ単独ではそれと誰も気が付かない形につくられていたのである。

話題性はあるので、ブログの記事の格好のネタではあったが、掲載することはやめにしたのである。

その二・・・

チベットからの難民がいることは記載したが、その中には”物貰い”をして生活せざるを得ない人達も何人かいて、我々の目にも付いたのである。それらは大人であり、痩せこけて真っ黒に日焼けし両手と膝を使って這いまわって、なにかをくれと手を出すのである。

そこで私は、我が国の終戦後、傷痍軍人の服装で包帯姿で道路脇に這いつくばる人を思い出し、気の毒な人達ではあるが、他の道をどれくらい当たったのか疑問を感じ、その根性が人の道にはずれているのではと疑ったからである。

その三・・・

ある寺に石に彫られた、悪魔の神”シバ神”が祀られていた。その像はいけにえの女のはらわたを食する像であった、そして、そんなにリアルな彫り方でもなかったが、何故か私は”生身の若い女”を想像してしまい、神と言えどもそんな事が許されるものではないとの憤りを覚え、シャッターを押す事もすっかり忘れて憤慨していたのであった。

考えてみれば、馬鹿げた行動であったと、また、せっかくの”ネタ”をフイにしたと残念な思いをしたが全ては後のまつりであった。

 

(8) 生活パターンの変化と体調

私の日常生活は表彰される程に規則正しい。毎日10分と変わらない、寝起きの時間、食事の時間、それに高カロリーを避け、積極的植物繊維の摂取、便秘予防に起床後300ml程の飲水を欠かさない、などなど完璧と自分では思っていたがこれが過信であったようだ。

旅に出るに当たり、最も心配なのは”頻尿”であった。このため直前から朝の飲水を止め、一日の水の摂取量を少なめとした。そして、旅に出れば当然の事ながら、食事の時間も内容も大きく変わったが、過去は何の支障も無かったので、気にはしていなかった。

所が既に3日間通じが無かった、こんな事は良くある事ではあるが、旅先であるので「アローゼン(下剤)」を飲んで寝たが、旅行2日目の朝も出ないのである。そこまで来ているので、頑張るが今一歩が出ないのである、痛みも激しいが、それは顔に出さずに観光に出る。

3日目の朝、今日も出ない。相撲取りの如く大きく膨らんだ腹を抱え、椅子に座るも痛みが走る、それを隠し切れず、遂に皆さんの知ることとなった。この日一日は本当に苦しく、止むなく”夕陽鑑賞とナイトトレッキング”を欠席。俄かに生活パターンを変えたことを後悔したが後の祭であった。

そして、旅行4日目の朝、初めての3日連続「アローゼン」服用の効果が現れて2~3日分かと思われるほどが出てくれたのだった。これで幾分楽になったが、無理に出した後遺症(?)で、痔の痛みはあるものの、何とか皆さんに付いて行く事が出来るようになった。

更に翌朝、すっきりと気分良く、残りが出た。これで一安心、楽しい旅に戻る事ができて本当に良かったと、つくづくと感じた次第であった。苦痛が発生した時つい顔に出て仕舞い、薬を戴くなど、皆さんに心配と迷惑をかけ本当に申し訳なく、大きな反省をしたのであった。

老化が進み、環境や生活パターン、特に食べ物の変化に対する、対応力が低下して、順応出来ない体になっている事を明確に気付いたので、これは今後に生かせるので、良き体験が出来たと思うと同時に、今後の海外旅行に自信みたいなものが付いたのであった。

 

 以上、思い付くままに記録したものである。兎も角、添乗員も含め10名全員が無事に帰る事が出来たことは、この上も無い有難いことであった。お世話になった、現地ガイド、添乗員そして同行の皆さんのお陰で楽しい旅が出来ました。これらはネパールの神々に祈ったことが叶えられたのだと、改めてお釈迦様などに感謝したい。

大変お粗末な割に長編の「ネパール紀行」にお付き合い賜りありがとうございました。なお、この後に”インデックス”を投稿するので、参考にされたい。

 

                                     << 完 >>

 

 

 


845 ネパール紀行(22)最後の晩餐会

2012-12-26 08:00:00 | 旅行記

旅行6日目  2012.11.18(日)  現地最終日も天気晴朗・波はなし

  カトマンズの高級品が買える繁華街と伝統舞踊を見ながらのネパール料理

 

 ネパールの休日は土曜日、祭も終わり今日、日曜日からビジネスが始まる。街の道路は車とバイクであふれかえる。

 d92255

 

最後の昼飯は、和食・幕の内弁当だ。白味噌汁がとても美味しく戴けた。

d92229

d92247

 

ここら辺りからは、ブランド品など高級品を並べた店が続く。

d92258

d92358

d92359

 

そして、本旅の締めくくりは、「Hotel Yak&Yeti」での伝統舞踊をみながらのネパール料理だ。

d92418

d92386a

d92393

d92401

d92419

d92438

d92424

d92249

 

最後の晩餐会を終えた御一行様は、カトマンズ国際空港に入り、23時30分(日本時間午前2時45分)発の香港行き「ドラゴン航空」KA191便を待つのであった。来る時はダッカ(バングラディッシュ)経由であったが、帰りの便は、始発がダッカであり、香港に直行となっていた。

香港までは約4時間15分、香港から中部空港まではキャセイ航空CX530便にて5時間10分(予定)と深夜でありながら、乗換や計3回も食事が出るので、ゆっくり眠ることは出来ず、正味眠ったのは2時間に満たなかった。

そして、略予定通りに中部空港に到着し、入国も税関もすんなり通り、16時30分発の四日市行きの高速バスに乗る事が出来た。早速、娘に電話し、迎えに来てくれるよう頼んで、余り疲労感もないままに、バスに乗り込み、2年ぶりの海外の旅は全てを終える事が出来た。

同行の皆さん、添乗員さん、ガイドさんの他現地のみなさんには大変お世話になりましたが、お陰をもちまして、無事に旅を終える事が出来ありがとうございました。同行の皆さんとは、また何処かでお目に掛かるやも知れません、またご一緒出来る事を楽しみにしております。

                                      << つづく >>

この後は、総まとめとインデックスの2編が続きます。


844 ネパール紀行(21)ボダナート寺院

2012-12-24 08:00:00 | 旅行記

 旅行6日目  2012.11.18(日)  カトマンズ市内観光

  リトルチベットと呼ばれる「ボダナート寺院」

 

d92303

目はお釈迦様の目、四方を見つめていて下さるとか・・・。

d92304

法事の仕度中とか。

d92324

外国からも修行に来る人も多いとか。このぴかぴかに光る長い板は「五体投地」をする場所である。

d92325

d92333

d92338

種属の種類が極めて多いネパールながら、下の人々は明らかに服装が異なる。チベット族の人々と思われる。ネパールは高い山々を挟みながらも、チベットと国境を接するので、難民も多いとか。

私の見た所、ネパールの人々が今幸せと思っているか否かは別にして、その生活レベルは決して豊かであるとは見えない。しかし、チベットの人々は故国での生活を諦め、ここに逃れて来るのは、如何に中国共産党の悪政に人民が苦しめられているかが解ると言うものと理解した。私はチベットの独立に賛成票を投じたい。

d92307

 パキスタンやインドなどからの流入もあるようだが、それの多くは金儲けのためのようで、チベットから来た人々とは少し違うのかも?。

d92311

「マンダラ」を製作、販売している店である。現地ガイドのラビンさん懇意(?)の店のようだ。

d92341

非常に細い筆を使い石を溶いた色粉を極く細い線で丹念に縫っている。非常に緻密な作業ではある。

d92342

売価は絵師にもよるが、1万円から数万円まであるようだ。

d92345

寺院の通路でぐっすりお休み中の”野良”君、概しておとなしい犬ばかりで、ケンカや吠えたりするのは一切見掛けなかった。また、猫は一匹も見なかったが、悪魔の使いとして嫌われ者らしいが、中国のように見付かれば人に食われてしまうのだろうか?。

 d92318

d92254

 

 「カトマンズ」市内観光も略終りに近づいた。この後は繁華街にて市内散策の後、夕食会が終われば、観光は全て終了である。

                                     << つづく >>

 

 


843 ネパール紀行⑳パシュパティナート

2012-12-22 08:00:00 | 旅行記

旅行6日目  2012.11.18(日) カトマンズ市内観光

 シヴァ寺院とパシュパティナート(火葬場)

 

観光ツアーとしては少し異色と思われる火葬場にやってきた。

川の両側に、少し突き出た舞台のようなものがあるが、ここがそれぞれ火葬をする場所であり、ここでは親類縁者によって火葬の儀が行われる。

d92262

川は聖なる川「ガンジス」の支流であり、死ねば自然に帰るとして、燃やした灰は、供え物や纏っていた衣類とともに全てこの川に流す。だから、ゴミ放題ではなく死者と共に自然に帰るためのもので神聖なのである。なお、食べ物は野良牛や猿の食糧になり、下流では歯の金を拾う人もいると言う。

d92264

下の写真、中央の白い建物は病院であり、まだ死期が先の人がここにいるが、治療目的でなく、死を待つための病院と言う訳だ。

死期が近ずくと、病院から出て死に装束に変えられて死を待つのだ。親類縁者が泣くのはこの時までであって、死後は泣いてはいけないと言う。今も盛んに女の泣き声がするが、もう間もなく召される人がいるのであろう。

d92276

下の写真、左は全てが終り、火がつけられた所であり、真ん中は、積まれた薪の上に死体が載せられ(足が見える)、水に浸した藁で体全体を覆い、新聞紙などに火を点けて薪の下から燃やすのである。右はまだ薪だけが積まれただけの状態であるから、間もなくここに乗る人が近くにいるのであろう。

d92267

d92278

葬儀が終わったのか、あるいは法事をして、故人を忍んでいるのである。

d92265

 

 聖なる川の水であるが・・・・・。

d92282

d92285

 

下は故人を忍ぶために記念に建てられたもので、墓ではないのだそうだ。ここでは骨を拾う習慣はないとのこと。

d92288

d92284

d92292

d92299

d92250

 

観光ツアーとは言うものの、人々が最後の別れをする現場に来て、その一部始終を知って、生涯忘れる事の出来ない感慨を胸に、火葬場をあとにした。

                                      << つづく >>  

      


842 ネパール紀行⑲エベレスト遊覧飛行

2012-12-20 08:00:00 | 旅行記

旅行6日目  2012.11.18(日)  天気は今日も最高の快晴。

 ”世界の屋根”ヒマラヤ山脈遊覧飛行  世界最高峰エベレストを見る!。

早朝遊覧のため、モーニングコールは5時30分ながら、1時間近くも早く起きて、荷物の整理を再確認した。今夜の深夜便で帰国するので、ホテルをチェックアウト後は荷物を預けてしまうので、機内で要るものを準備しなければならないのだ。

ホテル出発は朝食前の午前6時だ。

 カトマンズの空港、国内線乗り場は早朝から遊覧飛行の客で大賑わいだ。

d92414

いよいよ「Yeti Airlines」の双発の飛行機が離陸した。飛行機は定員30人乗りであるが、中央の列は窓外の景色が見えないから空席で20人が、天気は言う事無しの快晴だ、大きな期待を胸に飛び立ったのである。

d92150

d92151

d92162

d92165

 

これが世界最高峰の「エベレスト(8848m)」だ!!・・・!!。

スチュワーデスの説明に機内は騒然、興奮のるつぼだ!!!!!!!。

d92179

d92186

d92184

d92192

d92210

d92212

一段落したところで、コックピットを覗かせてもらい、機長から山の説明だが悲しいかな英語では私にはどうにもならなかった。

d92164

アメとコーヒーを御馳走して、明るく優しく山の名前を教えてくれた「Sonika(ソニカ)」嬢だ。顔を見るばかりで、聞いた名前は左の耳から右の耳の外へ・・・・・。

d92221

 

 かくして大興奮の内に、今旅行の最大のハイライトは終了した。

ホテルに帰り、遅めの朝食を取るも、昼は和食と聞けば、腹6分目(?)にして置き、急いで部屋に戻り、朝のお勤め(?)をし、最後の荷物整理をして、チェックアウトを済ませ、帰国に備える。

                                     << つづく >>

 

 


841 ネパール紀行⑱ダルバール広場

2012-12-18 08:00:00 | 旅行記

旅行5日目 2012.11.17(土)  世界遺産「カトマンズ」市内観光 「ダルバール広場」

 

「カスタマンタブ寺院」

d92061

 

「クマーリ寺院」

「クマーリ」とは生き女神の事で、まだ血を流したことのない、少女の中から30を超える採用条件に合致したのが一人選ばれて、一年間この館の中で勤めをはたす。処女神の化身として、国王からも崇拝されるとか。

お役御免となった暁には、自由人となるが、神になった娘と崇められて、一般に縁遠く結婚することは多く無いとのことである。憧れの的ではあるが、女として本当に幸せなのかどうかは疑問の残ることではある。

d92066

時により、下の中央の窓から「クマーリ」が顔を出すというので、しばし待ってみる。

d92068

何時まで待っても「クマーリ」が顔を出さないから、ネット上での借用画像を載せる。

 

d92075

d92078

92077

 

旧王宮「ハマヌン・ドウカ」、入口は兵士が守っている。

d92101

この先は、写真撮影禁止のため写真はここまで。ここにも見事な彫刻が・・・。

d92109

 

そのほかの寺院

d92110

ここにも”野良牛”が暇そうに佇む・・・・。

d92091

 

d92130

 

d92138

 

この場所に不似合いの建物があった。英国が建てたもので、今は博物館になっているそうだ。

d92079

 

一般家庭にはまだ水道がなく、ここで汲んだ水や、購入した水をタンクなどに溜めているそうだ。地下に少し大きな貯水場を作り、ポンプで屋上のタンクに送り、自家水道としている家もあるとか。

d92059

d92139

 

 これにて本日の全行程を終了したのでホテル(カトマンズ)に帰る。

最早明日はネパール最後の日だ。また明日早朝から、今回のメインイヴェント「世界最高峰エヴェレスト遊覧飛行」なので、モーニングコールは5時30分だ。早めに帰って、荷物整理など帰国の準備をする。

                                      << つづく >>

 

 


840 ネパール紀行⑰セームナード寺院

2012-12-17 08:00:00 | 旅行記

旅行5日目 2012.11.17(土) 今日も雲ひとつない快晴が続く。

 

  カトマンズ市内観光:「セームナード寺院(別名:猿寺)」 仏教の寺

 d92000

d92001

d92006

d92015

猿は日本の猿と同じ種のようだ。

d92046

d92050

 

d92029

金持ちなどが無くなった後に、記念に作られたもので、遺骨などは入らないそうだ。

d92021

d92018

d92035

d92040

d92024

宴会をしているのではなく、”法事”を行ってるとの事。

d92047

d92048

d9052

d92022

小さい四角の面に文字などが刻まれているので、それを糸に通して名前などの入った、首飾りや腕輪を作るのだそうだ。

d92057

 

この後、御一行様は「ダルバール広場」に向った。

                                    << つづく >>