マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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小林町杵築神社・目出度い元日にお披露目した神輿布団太鼓台

2022年11月20日 07時23分41秒 | 大和郡山市へ
元日は、前日の大晦日に教えてもらった天理市檜垣町訪問

大日堂に正月御供を供えると聞いていた。

時間は特に決まってないが、来られるなら午前10時ころ、ということで自宅を出た。

出発直後にかかってきた今年初の電話が鳴った。

かけてきた人は大和郡山市小林町住民のSさん。

コトが起これば、直ちに電話してくださる。正月早々にかかった電話は、元日の挨拶は、そこそこに伝えてくれた村の件。

なんでも、修復していた神輿が氏神社の杵築神社に戻ってきた。

小林町の元日の朝。村の人たちが寄り合う元日参拝がある。

今年は、綺麗になって戻ってきた修復直後の神輿布団太鼓台披露。

氏子たちへのお披露目に、笑顔で集まってきた。

修理を担った市教育委員会文化財保護・史跡発掘調査員の山川均さんが来られて、解説しているから、という急なお誘いに、檜垣町行きに途中下車。



大日堂の正月御供取材があるので、1分間の顔出しなら、と思って村行きを決行した。

久々にお会いする年始の挨拶に、美しい姿になった神輿を拝見する。

五層からなる布団太鼓。



太鼓を打つ四人が座る位置。

その下に装置の太鼓が見える。

実は、と教えてくださった神輿太鼓台の記録。

神輿の屋根裏から発掘された「明治弐拾八年(1895)十月再新ス」の棟札。

再建の偉業を示す棟札に、当時、再建に関わっていた住民の名がつらつら記されていたそうだ。

再建の記録はわかったが、いつ頃、どこに発注し、製造してもらったのか、その記録はなかったようだ。

そこに「若連中」の名がいっぱいある。

神輿の手すりに「若」、「中」刻印入りの銅板。

同じく「若中」の文字がある神輿提灯に首を捻る山川さん。

民俗担当でなく遺跡・史跡発掘調査が主な仕事だから、さっぱりわからない、といわれたので伝えた若中。

地方では若組とか若衆などで呼ばれてきた今の青年団のようなものです、と・・・

その話を聞いていたビデオ撮り記録班が、もう一度、お願いしますって・・。

修復の記録映像撮りに巻き込まれたようだ。

布団太鼓台は、奈良県のみならず、大阪・東大阪、堺、貝塚など泉南に多くみられ、遠くは瀬戸内海沿岸から九州・佐賀や長崎にも・・・。

特に、後述する布団締めの布団太鼓は、豪華絢爛な金糸の立体刺繍で飾られており、愛媛県の東予地方から香川県、兵庫県に見られるそうだ。

江戸時代に上方で発生した太鼓台は、19世紀前半に、現在のような布団を積み重ねた形になり、西日本の各地に伝播したのである。

ちなみに、後年になるが修復事業の広報用ビデオが公開されている。

あるブロガーさんが、あげた記事

「2013年に文化庁が、山車などの修理・復元に補助金を出す事業(※当初は「文化遺産を活かした地域活性化事業」)に、助成金を活用し、だんじり(山車)や太鼓台を修理する町があった。また、2019年からは「地域文化財総合活用推進事業」名に移り、現在に至るらしい。この文化庁助成金を利用する場合は、映像等の記録が条件になっている。(若干補正した)
記録映像は、DVD化され、図書館などに収められるほか、一部はユーチューブ動画で公開されている。
神輿を担ぐなど、神賑わい(かみにぎわい)の様子やだんじり(出車)、神輿太鼓台の解体、組み立て作業、彫り物洗浄、修繕作業、お披露目の様子などを、1時間余りの動画に収めている。」とあった。

つまり、小林町の神輿太鼓台も、文化庁の助成金活用を依頼、修理され、その一部をユーチューブ動画で公開していた。

後世に継承しておきたい動画テロップ・キャプション。

文字化し、下記に記しておく。(執筆者により文中補正した)

「老朽化により、神輿は斜めに傾斜していた。このままでは著しく危険と判断され、祭りの使用を断念、本格的な補修理、ごく一部を新調、他すべては再使用に道をとられた。
基本的に、組木であることから楔(くさび)を抜けば、簡単に外れる。狭間雲板(うんぱん)、虹梁(※こうりょう)、木鼻(※きばな)の解体作業。その解体中に、見つかった棟札の文字に、世話人など当時の人たちの連名墨書があった」



今回のお披露目に別途拝見した棟札。世話人は7人。大工人は、筒井(の)大吉。また、若連中は23人。127年前の小林の地に、いずれも苗字名は見られない。

「解体したら、薬剤が入っている強勢水をホースで飛ばし灰汁(※あくじる)洗い。再使用する部品を綺麗にする。また、洗剤でも洗う専門異業者(宮大工)の人たち。」

「木鼻彫刻の8個のうち、損傷の激しい一つは新調する。ノミとか彫刻刀を用いて彫る。微妙な部分は、金槌で叩かず、手の力で彫る。
目の部分は透き通るようなガラス玉。獅子頭の両眼にあてがうガラス製の眼。はめ込み調整してから、裏側より”目”を塗る。白い綿を入れた、そこに綺麗に描く二重丸。命を吹き込む眼ができる。」

「一方、飾り金物は洗浄してから、再加工する。
金属を柔らかくするため、銅にバーナーの火をあてる。胴が燃えると、炎色が反応し、緑色の炎が発生する。硫酸液にジュっと浸けて、さらに水浸け。ブラシでこすり、金具は一旦、平らにし、圧延機で調える。平らになれば、金属床にあてて金槌で叩きながら丸めていく」

こうした工程は、機械工業高校を卒業(※私は昭和44年卒)した人は、実習体験済だから、みな理解されよう。

「丸めた銅は、型合わせをして、最終的には溶接で締め、グラインダーをかけ、表面を研磨する」

「布団締めは、たいへん細かい刺繍作業をともなうため、中国の国に運び、委託発注し、元の刺繍から復元、すべてを新調した。なお、五層の布団台は、主要とする部分はヒノキ材。竹で編んでいたが、今回はベニヤ板を加工し、新調した。
重ねた布団部を安定させる雲板台も含め、ほぼ全体が再使用。美しくなった彫り物もそろったら、元の状態に戻す組立作業に取りかかる」

令和2年の5月から12月末までが修理作業。

完成した神輿布団太鼓台は、12月29日に納入された。

最後の組み立てに、職人だけでなく、氏子らも参加し、仕上げた。

顔見知りの親しき氏子たちの表情は、みな笑顔。

幕や提灯も取り付けた。

和針が使われていることから、江戸時代に製作された、と考えられる小林の神輿布団太鼓台。

綺麗になった長いオーコも、随所に亘って、ロープで締め付け。すべてが調った。

我も我も、と集まってきた氏子たち。オーコを肩にあてて、身体ごと持ちあげた。

10人がかりで持ち上げた、そのときに喚声があがった。

太鼓台は車付き。現在の移動に使用する補助輪。

かつては頑強な若中らが担いで巡行していた。

平成24年10月7日の宵宮に撮った地域巡行から戻ってきた神輿布団太鼓台が美しい

コロナ禍が去り、神賑わいの祭りが待ち遠しい。

かつての若蓮中たちが、気合入るのもわかるような気がする。

(R3. 1. 1 EOS7D撮影)

我が家の正月の膳は朝食、昼食に晩食も彩る林裕人先生監修のお節超特大宝船

2022年11月19日 07時46分06秒 | だんらん(正月編)
今年のお節も、林裕人先生監修のお節・超特大宝船。

提供している事業者は大阪・西区北堀江が本社の匠本舗。

これまでのお節料理、何度もくちにしてきたが、間違いなしの味。

今年も大阪・住之江に戻れなくなったおふくろとともに正月の祝いをしてから箸もつけずに出かける正月の民俗行事取材。

当然であるが、元日にいただくお神酒は帰宅してからいただくお昼の時間帯。

やっと寛げる喜び、感謝に手を合わせた元日の朝。



出発前に、目に焼き付けておきたい林裕人先生監修のお節・超特大宝船。今回の大宝船・壱ノ重の膳は46品目・・・・

左上から順に、①烏賊の柚子和え、②松前漬け、③リンゴ金団(※きんとん)レーズンのせ、④黒豆コーヒー風味、⑤チェダーシュリリンプサラダ、⑥帆立カルパッチョ、⑦海老袱袱紗(※ふくさ)焼き、⑧一口昆布巻き、⑨パートドフリュイ フランボワーズ、⑩パートドフリュイ グレープフルーツ、⑪鶏もも肉のピカタ、⑫クリームチーズ蜂蜜ナッツ和え、⑬スモークサーモントラウト、⑭いくら醤油漬け、⑮サーモントラウトマリネ、⑯鶏とピスタチオのフォアグラテリーヌ、⑰鰆昆布〆、⑱海老錦手まり、⑲紅白なます、⑳羽二重餅くるみ桜、㉑羽二重餅抹茶、㉒合鴨ロースマスタード焼き、㉓彩り真丈、㉔ライプオリーブ、㉕たたき牛蒡、㉖磯貝雲丹焼き、㉗くるみ甘露、㉘ロブスター ホワイトソース焼き、㉙鶏とオレンジコンフィのテリーヌ、㉚スモークニシン香草オイル漬け、㉛たら旨煮、㉜蓬麩(よもぎふ)含め煮、㉝栗麩含め煮、㉞椎茸旨煮、㉟わかさぎ胡麻和え、㊱烏賊白焼き、㊲数の子醤油漬け、㊳サーモントラウト香草焼き、㊴スタフドオリーブ、㊵ぶり照り焼き、㊶手まり餅、㊷鮑ふっくら煮、㊸海老艶煮、㊹網笠柚子、㊺金柑蜜煮、㊻梅麩・・・以上。

目の前に置いた日本酒は、見せ膳ならぬ、見せ酒のからくち生酛香住鶴。



雑煮一杯をいただき、自宅を出発した。

取材を終えて帰宅する。

家族も待っていた我が家の元日。



見せ酒だったからくち生酛香住鶴お猪口に注いでぐいと一杯。

身体も心もやっと落ち着いた元日のお昼。

豪華に見える林裕人先生監修のお節超特大宝船は、だれも口にしていなかった。

私が戻ってくるまでの数時間はお預け状態。

冷蔵庫のように冷え切っている廊下の隠れに保存していた一ノ重膳。

よーく、見てごらん。



何かが一つ、変化がある。

いやいや、ひとつ見つかればすくなからず見つかる変化の二つ目。

一つ目は黒豆コーヒー風味。

二つ目が烏賊白焼き。

続々見つかった・・・烏賊の柚子和え、帆立カルパッチョ、海老袱袱紗(※ふくさ)焼き、スモークサーモントラウト、鶏とピスタチオのフォアグラテリーヌ、鰆昆布〆、スモークニシン香草オイル漬け、ライプオリーブ、金柑蜜煮、サーモントラウト香草焼き、鮑ふっくら煮・・・

そう、出かける前に、ところどころに箸をつけていたんだ。

すっかり忘れていた出発時の元日迎えの朝食。

席を外してからも、食べててや、と云ってたんだったっけ。

ありゃ、ありゃ・・

まぁ、とにかく腰を据えていただく美味しい味の林裕人先生監修のお節・超特大宝船

民俗行事の調査に出かけることはない。

元日に呑みたいと大事にしていたもらいものの日本酒生酛(※なまもと)からくち香住鶴(※享保十年創業・兵庫県美方郡香住町香住鶴㈱)。

ぐいぐいいく、酒の旨さ。

辛口大好きの私にとっては美味しいお酒の香り、味が生水みたい。



夜は、夜で、最後に食べたい数種類を残しておいたお節超特大宝船。

日本酒からチェンジした、これもまたもらいもののプレミアムビール。



実弟三男が届けてくれたお正月に呑むプレミアムビール。

今夜も気持ちよくお休みいただいた。

それから1カ月過ぎ、匠本舗から2月11日に届いた2枚のクオカード。

知り合いのクラブの女性と話題になった林裕人先生監修のお節。

そんなに美味しいなら注文したいと云ったことから、匠本舗がお節送りに同封していた友達紹介。

それに応募したかーさん。

こんなのが届いたと見せてくれた。



500円に1000円カード。

中途半端な金額に、お父さんの方が使ってくれるから、あげるわと・・。

コンビニエンスストアの買い物に利用する機会が多々あるから、おおきに・・。

(R3. 1. 1 SB805SH撮影)
(R3. 2.10 SB805SH撮影)

コロナ禍の鬱憤を晴らす初日の出の富士山をテレビ眺望する

2022年11月18日 07時23分03秒 | だんらん(正月編)
コロナ禍の鬱憤を晴らすかのように思えた富士山からヘリ眺望する初日の出。

今年もまた、放送局がやってくれた観て良し、撮って良し、公開も良しの取材ヘリコプターがとらえた初日の出映像。



MCが伝えていた無料配信映像が素晴らしい。



コロナ禍に初詣も行けない今年の元日にありがたい映像のプレゼントを記録、公開させていただく。

(R3. 1. 1 SB805SH撮影)

ふり返る令和2年12月の介護まとめ

2022年11月17日 08時06分27秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この月もおふくろの介護の関係で大阪・住之江に行くことは、まずないが記憶は記録。

ふり返る際に思い出したい事項は書き記しておく。

2日、おふくろが、週に3回。

デイサービスに出かける幸寿苑からの通知が関係家族に発信された。

第3波新型コロナウイルスの感染拡大にお願いする対策である。

「1. 他府県から帰省などをされた方への接触は、ご本人はもとより、ご家族も含め極力避けてください。2.他府県の移動は極力控えてください。」、とある。
若者の行動が、感染症数を拡大していると、ニュースや報道番組などが報じていた。

3日は、山本耳鼻科の通院がある。

軽バン車に移乗し同乗していたかーさんが、耳鼻科があるビル4階までの介助。



診察も含めておふくろの支援をしている。

車が通行しない、安全な道を選んだそこは市民が自由に使用できる市の施設の「つなげる広場」。

バスロータリー停留所からも安全な歩行者道であるが、ところどころに段差がみられるから、医院に着くまでずっと介助支援を続けている。

ちなみに12月1日から1月31日までは、広場に輝くイルミネーションが点灯される。



題して「キラメク キンギョ」

おふくろが広場を使用する時間帯は午前中。



残念ながら夜6時に歩くことはない。

ちなみに今夜の食事におふくろが口にしたくない、と言い続けてきた生ハムサラダ。



サラダが、でなくハムである。

ハム、ソーセージすべてを口にしない。

その理由は、豚肉からできている加工製品だから。

豚肉だけでなく、長いもんもすべてダメ。

鰻、穴子はに鱧も。

おふくろが居ないときにしか食べられないこれらの食物。

長期間になりつつある我が家でのリハビリ介護・療養。

すまんが、私らにこれらを喰わしてくれ、と伝えたらそうして、という。

あっさり承諾してくれたけど・・・

4日、厚生労働省が発信した専門家会議・感染症対策・見解は以下のとおり。全文をここに記載しておく。

<症状の軽い人からの感染拡大>
「これまでは症状の軽い人からも感染する可能性があると考えられていましたが、この一両日中に北海道などのデータの分析から明らかになってきたことは、症状の軽い人も、気がつかないうちに、感染拡大に重要な役割を果たしてしまっていると考えられることです。なかでも、若年層は重症化する割合が非常に低く、感染拡大の状況が見えないため、結果として多くの中高年層に感染が及んでいると考えられます」

<一定条件を満たす場所からの感染拡大>
「これまでに国内で感染が確認された方のうち重症・軽症に関わらず約80%の方は、他の人に感染させていません。一方で、一定条件を満たす場所において、一人の感染者が複数人に感染させた事例が報告されています。 具体的には、ライブハウス、スポーツジム、屋形船、ビュッフェスタイルの会食、雀荘、スキーのゲストハウス、密閉された仮設テント等です。このことから、屋内の閉鎖的な空間で、人と人とが至近距離で、一定時間以上交わることによって、患者集団(クラスター)が発生する可能性が示唆されます。そして、患者集団(クラスター)が次の集団(クラスター)を生むことが、感染の急速な拡大を招くと考えられます」

<北海道における地域的特徴>
「都市部には、人口が多く、社会・経済活動の活発な若年層が集中していますが、他の圏域には重症化のおそれのある高齢者が多く住んでいるという特徴があります。また、北海道の6圏域間の人の移動は、都市部と他の圏域との間での流動が多い状況です」

<現状に至った理由>
「都市部においては、社会・経済活動が活発な人々が、感染のリスクが高い場所に多く集まりやすく、気づかないうちに感染していたと考えられます。なかでも、若年層に、症状の軽い人が多いと考えられ、そうした人々の一部の人が他の圏域に移動することで、北海道の複数の地域に感染が拡大し、感染した高齢者のなかから症状が出たことが報告されたことによって、感染の拡大状況がはじめて把握できたと考えられます」

<では、どうすればいいのか>
「規模の大小に関わらず、風通しの悪い空間で人と人が至近距離で会話する場所やイベントにできるだけ行かないこと(例えば、ライブハウス、カラオケボックス、クラブ、立食パーティー、自宅での大人数での飲み会など・・)」

「ただし、症状のない方にとって、屋外での活動や、人との接触が少ない活動をすること(例えば、散歩、ジョギング、買い物、美術鑑賞など)、手を伸ばして相手に届かない程度の距離をとって会話をすることなどは、感染のリスクが低い活動です」と、あった。

また、感染症対策分科会議事も、将来のために残しておく



※ 写真映像は、本文とまったく関係のない地産地消「よってって」に購入したヤーコンを調理した美味しいおかずのヤーコンのきんぴら仕立てオイスターソース炒めの一品。

12日、年金溜まりに余裕があるのか、お金の使い方にいままでお世話になったんやから、と従姉妹のねーちゃんに送金したってほしい、とおふくろの気持ちはわからんでもない。

私の兄弟は男3人。娘はおらん。だからそんな気持ちはわかる。

今夜のおかず一品。煮こごりも旨いエイの煮漬け。



おふくろも、かーさんも手を出さない逸品。

コリコリ、ザクザク感が嬉しいエイの煮漬け。

売り場に見つけたら、つい買いたくなる魚である。

13日、午後7時のおふくろ。

娘同様に思っている従姉妹。おふくろの姉の子に電話したら、つい4、5日前のことなんんだけど、と話し始めたらしい。

正確にいえば、12月5日だった。

自宅の椅子に座っていた。立とうとしたら右に倒れそうになったから、倒れる直前に腕を突っ張ったら、肩辺りの骨が折れた、という。

右腕の骨を3本も骨折し、入院手術。

12月19日に退院したが、通院に数か月もかかるもよう・・・

14日、午後2時。

ケアプランデイア1・ケアマネジャーのFさんからの電話は、悲壮感を伝える。

大和川団地住民に感染症者が発生したそうだ。

アロンテイアクラブの患者さんでもなく、他の介護施設の患者さん。

「おかあさん、奈良で療養していたから助かってよかったわ」、と伝えてくれた。

実際、大阪から離れた避難的療養のようなもので助かったようなもの。

「大阪はもう大変。9月のデイサービスとは規模も違うし、感染の波がひしひしと感じる状況に、恐怖も募りますが、とにかく密にならんよう、接触しないよう気をつけていても、ケアを担当する患者さん2人が濃厚接触者になった。遮蔽板を装置した送迎車。感染対策に気をつけていたが、家族さんからの濃厚接触に認定されたこともあった。状況は悪化の一方。感染拡大が止まらない状況に、年寄りの感覚がそうとうなズレというか、コロナというものの認識に至っていないし、理解もできていない。ある患者さんは銭湯入浴するのも、本人がいうには空いているから大丈夫だ、という感覚。密意識が薄い。担当する一人の患者さんは濃厚接触の疑いに家族さんはきちんとPCR検査もした。陰性であったが、協力的というか、必然的にそうしていた家族もあれば、もう一人の患者さんも同様に濃厚接触の疑いがあっても、その家族さんは連れて行こうともしない。かかったことも隠す。勤めている事業所にも報告せず、2週間経ってなーんもなかったらえーんやろ、という家族さん。困った家族さんに、ケアマネージャーからはPCR検査は強制できない・苛立ちが募るばかりだったそうだ。国も府も濃厚接触者に直設関係者する家族さんはPCR検査を義務付けてほしいと願っているが・・」、と・・

デイサービスから戻ったおふくろに、かーさんが住之江でこういうことあって・・、と話したが、ふーんで終わった。

直接知っている人でもないし、身内でもないからまったく感心もたない。

テレビのインタビューに応じている旅行者も、心斎橋にたむろする若者も、我関せず・・。

こんな世の中では感染者を撲滅することはないだろう。

自分勝手の考え、行動、身勝手な判断の結果、なんも起こらんかったら、それでよし、とするなら、ワクチンが調っても、絶滅させるまではいかないだろう、とFさんの意見、考えが一致した。

スペイン風邪の流行があっても遠い昔、現代人には我関せず・・

年末年始の休苑日がある幸寿苑の日程。

12月31日から翌年の1月3日までのケアプランを策定した資料お送付しますのでよろしく・・・と。

16日の晩食は、鶏つくねの鍋。



やわらかく、甘くて美味しい葉たまが手に入ったからそうした。

ぐつぐつ煮る葉たま入りの鶏肉鍋。

むっちゃ美味しい。

鍋の味は、エバラ食品が提供するプチッと鍋シリーズのうどん寄せ鍋。

旨いに決まっとるやないか。

おふくろもかーさんも箸が入る。

葉たま以外の具材は、適当。冷蔵庫にあった残り物野菜・きのこに春雨さえあればいい。

20日、晩食のサザエ喰い。

焼き立てのサザエなら、するりと身が零れて食べやすい。



だが、冷めてしまうと身が固くなり、固着する。



砂もあったサザエのつぼ焼き。

調理するには一般的な貝と同様に砂抜きが要る。

ちなみに、冷めたつぼ焼きはもう一度火にあてたらすぐやわらかくなるとおふくろが指摘した。

やってみたらペロッと取れた。

さすがのおふくろ。年の功だと思った。

ちなみにこの日の昼食は、スーパートライアルで買ってきた豪華盛りのにぎり寿司。



我が家にとっては丁度の量の3人前にぎり寿司は、お買い得の1280円。



サザエやタラの白子を買ったついでに、美味しそうだし、おふくろも喜んでくれるだろう、と買ってきた。



サザエは口にしたが、タラの生白子のポン酢漬けに箸はでないようだ。

おかず、というかアテのつもりで買ってきた山葵入り昆布だし漬けの信州野沢菜漬物。

ご飯よりも、おかいさん(お粥)が欲しいといいだしたおふくろ。

ご飯の上にかけて食べたいから持ってきてという。

その言い方は、まるでお大臣のような言い方。

座ったままかーさんに指図する。

心の中では召使じゃない、といきり立つ様相は表情、態度でわかった。

かーさんが入浴中におふくろに伝えた。

今の態度は顎で使う人使いするお大臣や、といえばお大臣ってなんや、と返す。

そこから始まった普段からの物言いに、えーかげん腹が煮えくり返った私。

療養の身なのに、まるで客人のような態度。

おふくろは、自覚症状の気づきはまったくない。

「ありがとう」、というてるやないの、っていうが、心のこもった感謝の気持ちもないストレートな言い方。

以前はそんなことなかったのに・・・

今夏からずっと毎日が一緒。

今まで見えてなかったおふくろの言い方が軋轢を生むことさえ感じていない。

住之江に戻りたい気持ちはあるが、現状の動きでは歩きさえ不安定。

介助を要する要介護。

階段の上り下りなんてとんでもない。

介護付き老人ホーム暮らしであれば、介護士さんがみな診てくれる。

その方がいいだろうが、現状のコロナ対策に受け入れもできない施設側の論理。

たとえ、受け入れても一時帰宅は無理。

いったん戻ったら、逆に再受け入れは、状況によっては不可になる可能性もある。

わがまま暮らしをしたいなら介護付き老人ホームに入居したらいいが、今は無理。

我が家に炊事場行きの手すりも設営したが、2カ月以上経っても動こう、としない。

独り暮らしがしたいなら、前向きに、と思っていたが、今はその意欲すら感じない。

介護付き老人ホームを口にしたが、反応はない。

おそらく、私は入居したくない、つまり意思表示であろう。

22日、食事した椀とか、皿とかが食卓にない。

おふくろに問うたら炊事場まで動いて運んだ、という。

あれぇ、やればできるんや・・・けど、かさーんが在室しているときにしてや・・・

それから数時間後のことだ。

リビングに居たおふくろが、台所に置いてあったリンゴを食卓に持ってきて、包丁で皮むきして食べていた。

これまたあれまぁである。

そんなけ自力で動けるんや。

やればできる、と自信をもってくれたのが嬉しい。

かーさんは、かーさんで入れ替えしたエアコンのリモコン操作に??

電源オンの仕方も、自動オフも。

6畳の部屋のエアコンと同様にセットしていたら・・・

例えば3時間後に、オンを設定した、と思っていたが、それはリモコンの電源をあげて操作していたものだから、ずっと入ったままになっていた。

おかしいからみてというが、マニュアル通りにリモコンの電源オンをせず、入ボタンだけでいいもののが、自分の思い、考え方が先行し、マニュアルをあんばい読んでなかった結果である。

操作しながら説明したが、納得いかんという。

その考えがミステイクをしてしまうことになる、とわかってくれず、納得いかない・・と呟いている。

このようなリモコン操作だけでなく、他の機器もみな勝手な思い込みをして操作しまうので困ったもんだ・・・

夕刻に届いたお歳暮の送り主は従姉妹のYちゃんから。

贈り物は大阪和泉の阪南港水揚げの阪南市・製造販売の山忠横田水産釜揚げシラスにちりめん山椒。

他にも、に太刀魚のみりん干し、しらすもある。

しらすは、早速茹でて菜花にとともにしらすを盛り、出汁かけて食べたらむっちゃ美味かった。

晩食中に突然、声をあげたおふくろ。

「ホームて施設やろ」・・・に、ドッキリ。

24日、家人が初めて私に話した子宮の違和感。

丸い玉のような形がわかるくらいの患部。

三橋レデース医院の診断では癌でないとわかっているが、膀胱が腫れ、尿道を抑えるように小水がでにくくなった。

ちょろちょろっとしか排尿しないから何度も行く羽目になる。

リングみたいなものを装着した初日は痛かったが、今はもう慣れたという。

いずれか時期はまったく読めないが、手術するケースも多々あるらしい。

原因は、といえば体内の一部が下りてくる年齢的なものらしい。

おふくろは、介護付き老人ホームが気になっていた・・・

リビングにいたおふくろ。

かーさんと二人だけのときにポツリと言うものだから、私の気持ちは、と素直な気持ちで話しているという。

25日、今回で5日目になったふくつじ歯科医院の通院。

予約を午後3時にいれていたが、すっかり忘れていた。

電話をかけたら、本日は予約でいっぱい、という。

ならば、以降の火、木、土曜を希望するも、その日も予約がとれない満杯状況。

人気の歯医者さんだ。

と、いうことで、医院が指定したこの日は、通所リハビリ施設にお世話になる日。

仕方なく、通所リハビリは中止。施設に断りを入れて出かけた歯科通院。

本日は本歯の隣の歯を削ってもらった。

次回は、来年の1月23日土曜日の午前11時半。

今度は、しっかり覚えておきます。

26日、家人に住所リストの確認をお願いしたら、長男夫妻の住所が転居していたのに書き換えていない、とおかんむり。

機関銃のごとく攻めたてるが、転居通知は私には伝わっていない。

些細なことでトラブルになるって何なの?。

かーさんの年賀状の終活である。

兄弟、親族、女友達から元会社の関係者も、すべてを対象に発信し、翌年は一切なしにする、と言い出した。

27日、毎日の咳き込みに痰排出に声だしも大きくなったおふくろ。

飛沫も難儀な状態に、根本治療をしてもらったらどうだ、と伝えたら、連れてって、という。

かーさんも辟易する症状に、次回が2月になるT病院の内科診療に一度相談してみましょうと、いうことになった。

そして今夜のおかず。

おふくろも、かーさんもぐちゃぐちゃなもんは食べない主義。

ありがたくいただくまぐろ処一条の美味しい鯵のたたき。

包丁でたたいた、いや切った粗切りの味のなめろう。粗めの鯵をちょいと味噌足し。

箸でこねるように和える。

全体的に味噌を塗りたくることもなく、ちょちょいと和えた鯵に生生姜も和える。



下味処理した鯵に、細切りした茗荷に大葉の紫蘇葉を振りかけて食べる。

これが旨いんだなぁ。

(R2.12. 2、 3、 6、12、16、20、29 SB805SH撮影)

意外に旨かった年越しえび天のせ出雲そばやしろ

2022年11月16日 07時46分36秒 | だんらん(正月編)
午後になってから出かけた天理市・旧村に行われている民俗調査。

南部平たん地の檜垣町をはじめに、山間地の福住経由の山田町下山田。

帰路に就いた時間帯は、午後5時半。

ヘッドライトを灯して安全走行。

帰るなり湯船に浸かって冷えた身体を温めた。

やっと飲食できる我が家の大晦日。

晩食を済ませてから数時間。

テレビから聞こえる除夜の鐘にはちょっと早いが、年越しの晦日蕎麦を食べることにした。

スーパートライアルに売っていた年越し蕎麦。



島根県松江市矢田町にあるなかたかのめんぐるめ・出雲そばやしろ

麺つゆ付きの年越し蕎麦に、いわずと知れたえび天のせ。

定番のえび天は予め買っていた。

麺椀から飛び出るほどの大きさ。



油ののったえび天に蕎麦が旨い。

いつぞやの蕎麦は、箸でもった瞬間にぼろぼろ崩れる麺だった。

最悪の麺にもうこりごり。

安かろうの蕎麦は、むっちゃ不味かった。

それに懲りてからは、ちゃんとした蕎麦麺を食べたい、と思った。

ケチることなどせず、これはいける、と思った

なかたかのめんぐるめ・出雲そば

おふくろも、かーさんも、これは旨い、と唸っていた。

(R2.12.20、31 SB805SH撮影)

下仁興の門松飾りに九頭神社のしめ縄

2022年11月15日 07時10分15秒 | 天理市へ
午後3時半。

晦日のころの仁興町は山の陰。

冬日に感じる時間は早い。

平坦でさえ、午後4時半には、車のヘッドライトを点灯する晦日の日。

今もイノコ座を継続していた上仁興

宝前の灯籠に供えていたカラスのモチも拝見した。

村の入り口に下仁興も掛けていた勧請縄も撮っていた。

これまで何度も訪れて行事を取材してきた下仁興。

振り返って、遡った11年前の下仁興。

私にとって、下仁興最後の取材になってしまった九頭神社の御ぜんさん行事

長老六人衆の寄合に、その年に行われる村行事を確認し合う。

それまで取材した行事は、御供屋当籤祭礼御供屋当

祭礼中に行われる農具を模してつくった祭具を括っているしめ縄かけ

宵宮のシコスモウ、春まつり、的座式烏帽子着座神綱掛式風祈祷

下仁興に初めて立ち寄った年は、16年前の平成17年の8月21日

九頭神社に居合わせたご夫婦が教えてくださった年中行事。

行事名からして、奥が深いような気がした。

さて、晦日に到着した時間帯は、午後3時40分。

1時間も経たないうちに日が暮れる。

出荷場から見える高台にある会所。

階段から下りてくる人の姿が見えた。

急いで向かった会所に門松があった。

95歳になった座の長老他、5人が会所に門松を立てていたそうだ。

11年間の空白もあったが、長老六人衆の顔ぶれはほとんど変わりなく、今でも元気な様子だった。



解散されてお家に戻った長老らを見送ってから足を運んだ九頭神社。



会所同様の形式で設えた門松。風に煽れ、落下した葉っぱが散らばる境内。

屋根にも多くの落葉がみられる九頭神社。

まつりのときには綺麗に掃除おされた、としてもその後の季節は落葉の季節。

いくら掃除しても、イタチごっこになる、と県内各地の宮守さん。

ため息はでても、綺麗にするのが役目と云っていた宮守さんもいたなぁ。

長老らは、そのまま高齢化したと伺える下仁興の年齢層。

屋根に上るのも難しい。

そのことはともかく、神社拝殿に祭具が見える。



コロナ禍であってもしなければならない神事ごとがある。



新しく架け替えるしめ縄に、小当人らが括りつけたスキ、クワ、ノコギリ、ナタ、カマなどのミニチュア農具は、この年も見みられた。

(R2.12.30 EOS7D撮影)

下山田・一番星、明けの明星御供にイタダキ膳

2022年11月14日 08時08分24秒 | 天理市へ
いつ停止してもおかしくないバッテリー上がり。

ブースター接続に起動したものの、不安しかない。

ヒヤヒヤしながらも走った10km。

十分な充電ができよう・・。

次に向かうは、天理市山田町・下山田。度々、お世話になっているSさん。

玄関にしめ縄をかけていた。

その一部に、昨年の元日に拝見した三角の形で設えた藁つくり

今年もされていた。

一番星明けの明星の正月迎えの鏡餅を供える場ができていたので、いつされるのか聞いてみた。

なんなら今からでもしてあげよう、といってくれた

小餅は2段重ねの鏡餅。

「ニコニコ、仲睦まじく」の名がある10個連なる吊るし柿から串ごと2個取りした串柿。

蜜柑は大きいからはみ出し。

本来なら夜半にされているのだが、せっかく来てくださったんだから、してやりや、と奥さんの声。



午後4時過ぎにしてくれたのがありがたい。



この場を借りて厚く御礼申し上げる次第だ。

おまけに、これもしてあげようと、室内で見せてくださったイタダキの膳。

かつては赤膳に盛っていたそうだが、たいそうになってきたことから、現在はSさん手つくりの台に載せた。

珍しいのは餅重ね。

一般的な2段の鏡餅でなく、S家は薄くつくった餅を5枚重ね。

上は大きく、下は小さく。

逆三角錐形の餅重ねは末広がり。



お家の繁盛が末永く、と願う形だそうで、昔はもっと大きかった、という。

今年の恵方(※さいとくしんと呼ぶ歳徳神)に向けてイタダキする時間帯は、午前0時すぎから。

イタダキをしたら、若水でつくった雑煮を食べる。

ちょっと取ったおすそ分けの雑煮の具。

その一部を一番星明けの明星の正月迎えの棚に追加する。

それを済ませてから、大とんどの火で迎える春日神社に出かけて初詣。

役に就いていた宮守さんらとおめでとうしてから帰宅。

午前1時には就寝し、元日の朝は、講中になっている関係から三輪神社に初詣に出かける。

イタダキにもう一つ。

閏年の場合は、餅を13個にする月の数の餅。

てっぺんに三日月の餅。



その他、用意はできなかった一升桝も。

頒布されたお伊勢さんのお札を桝に立て、内側に財布を入れるそうだ。

お礼を伝えて下山田を離れ、帰路に就こうと思いハンドルをにぎったそこに見える夕景。

雪が積もった下山田の田園地。

真っ白な情景に、カメラを構えた。



刻々と変化する下山田の景観。

集落が、今まさに暗闇に包まれようか、という午後5時直前の時間帯は、今まさに「山眠る」。

除夜の鐘が鳴る大晦日の日暮れ時に、電話が鳴った。

写真家Kさんからの緊急連絡だ。

砂モチ調査に伺った天理市長滝。

今はしていない、とわかった長滝の民俗である。

カラスのモチなら今からしてやる、と云われて急遽、取材することになった。

翌年には90歳になるおばあさんの心に惹かれて、山の上にあるお家にたどり着いた。

その場で作ってくれたカラスのモチ。

藁ズトのようなものを2本。

両方とも、餅を6個ずつ入れて柿の木に吊るす。

消防団の火の見やぐらがある筋の急な坂道を登りつめたどんつき。

柿の木の枝に吊るしているそうだ。

初祈祷行事から、秋祭り座分け正月ドーヤカンジョウナワオコナイコンコンサン閏庚申涅槃さんも取材していた長滝の地。



場がどこであるのか、すぐにわかったが、今からでは暗闇の地。

急遽、決めた正月二日に訪問するつもりだ。

(R2.12.31 SB805SH/EOS7D撮影)

福住・西念寺茅葺本堂の雪かぶり

2022年11月13日 08時00分40秒 | 天理市へ
年の瀬はみな忙しい。

気忙しく時間だけが過ぎ去っていく。

大晦日に行われるお家民俗の取材に車を走らせた西名阪国道。

一週間前から気象庁が伝える大雪に積雪予報。

平たん部も20cmは積もるとアナウンスしていたが・・。

大慌てで取り換えたスタッドレスタイヤ。

能力発揮することもなかったが、山間地の天理福住に出たとたんに周りは雪、雪・・。

目的地に向かう行路にある融通念仏寺の西念寺。

茅葺本堂に積もった雪が輝いている。

思わず車を停めて撮ってみた。

レンズ越しに見える本堂の回廊に人の姿。

作務衣を着た僧侶が箒で掃いていた。

(R2.12.31 SB805SH撮影)

檜垣町三十八社砂モチ・バッテリーあがりになるほど長時間に亘った檜垣町の民俗行事調査

2022年11月12日 07時55分45秒 | 楽しみにしておこうっと
午後に砂モチ作業をしている、と知って出かけた天理市。

三十八神社とも呼ばれる檜垣町の三十八社

読み名は「みそはちしゃ」と、呼ぶこともあるし、「さんじゅうはっしゃ」と、呼ぶことも・・。

神社からすぐ傍。

門松を立てている家を訪ねた。



お聞きした砂モチは、昨日にしたそうだ。

年末大晦日でなく、晦日30日の朝にしたと・・。

あれま、であったが、応対された奥さんが、うちに上がってゆっくりしいや、と言われておじゃまする。

その家のご主人は、営農組合長のMさん。

お歳は私より数年先輩の74歳。

住まいする地域の行事取材になにかと世話してくださった奈良県職員・農村振興課のSさんとともに農村活動をしている方だった。

存じているだけに、なにかと話題が弾む。

今も豆活動で、よく来てくださるので助かっていると、Mさんが嬉しそうに話してくださる。

行事のことなら檜垣町の歴史文化に強いという76歳のSさんをコールしてくれた。

女性の講なら、この人だというMさんもお家に呼んでくださり、紹介してもらった。

あれこれいっぺんに話してくれたので、帰宅してから民俗行事情報の交通整理が要るな、と思った。

砂モチは、毎年12月30日の朝から。

門松を立ててから砂モチをする

トヤとともに今年もダンプで運んだ砂で形つくった、という。

組合長の奥さんも、口を揃えていう砂モチは、古墳の羨道のようなもの。

神さんが通る道だから、砂モチを避けてお参りする。



往路は左側。

参拝終えた復路は右側。

お伊勢さんと同じや、と、いう。

今でこそ、ダンプで運んでくる市販購入の砂であるが、かつては川砂を用いていた。

川砂は、綺麗だったころの大和川。

地元檜垣町では、大和川でなく、“初瀬川(はせがわ)”と呼んでいた川の砂。

村屋坐弥冨都比売神社の北に架かる村屋橋下辺りに砂だまりがあり、その砂を運んでいたが、護岸工事によって川砂は消え、砂が採れなくなったから市販の砂に切り替えたそうだ。

かつての大和川は蛇行だったから、砂だまりがあった。

採取地の綺麗な砂は、隣村の田原本町・蔵堂地域内にあった。

昭和57年8月に発生した台風10号によってもたらした激しい豪雨。

流れていた大和川(※初瀬川)左岸にあった堤防が決壊した。

田原本町北部の大部分が甚大な浸水被害を受けた。

その後、5年間に亘って行われた大和川改修工事によって川筋は大きく変わった。

その工事によって川東垣内は東西に分断。

旧大和川は細い水路を中心に公園化され、当時の面影を残している。

護岸付け替え工事によって、現在みられる川の流れになった。

直線的な流れでは、砂だまりができない。

だから、やむなく市販の砂に相成ったわけである。

檜垣町集落は50戸。

数組に分かれたそれぞれに庚申講があり、その数は6組。

6軒の組ごとに講の営みがある。

旧暦閏年に行われていた檜垣町の庚申講。

現在は、4年に一度の新暦にしている、という。

お家にあがらせていただくときに見つけた庚申講の塔婆。

樫の木の塔婆が、M家に残されている。

上から五文字の梵字がある。



五輪塔と同じく「空 風 火 水 地」。詠みは「キャ カ ラ ヴァ ア」である。

次の文字は願文。

「奉納寫 青面金剛童子 家内安全 子孫長久 五穀豊就 意願満足 祈願収候成 平成二十八年二月十三日 當主□□□□」と、ある。

念仏を申す“トアゲ”のときは、葉付きの樫の木。

講中の営みを終えた樫の葉を落とし、玄関上に飾るのが習わし、とされている。

4、50年前に盗まれた大日さん。

なぜか戻ってきたから、その日を記念に5月8日に村行事をしている。

安置するお堂は大日堂。

また、一番古いという地蔵さんに不動明王、弘法大師さんお安置している。

毎月の8日は、有志の女性たちが集まって般若心経を唱える。

子供らのためにしている地蔵盆は7月23日。

8月23日のお昼は、伊勢大明神を掲げる風日待ちをしてきたが、コロナ禍の関係で取りやめている。

8軒が寄り合う伊勢講に“田”がある。

いわゆる講田である。

他村でも聞くように、講田で栽培したコメを売り、講の収入源にしていたと思われる。

元日の朝、大日堂に安置している4体の仏像に正月御供の鏡餅を供える、という。

正月早々の行事取材をお願いした。

三十八社のマツリは10月23日。

明神講による神社行事のようだ。

また、3月3日は、ハツオさん行事。

ショウグンさんとも呼ぶらしい。

ちなみにこちら檜垣町でのサシサバは・・と尋ねたら、「サシ」はあった、という。

塩辛いとまではいかない「サシ」は日常に食べていたそうだ。

焼いて食べていた「サシ」は、行商が売りに来ていたらしく、2枚重ね。

また、サイラの開きと呼ぶサンマも食べていた。

これらは和歌山から東吉野を経由して運ばれたようだ。

聞き取りに長話。滞在時間は午後1時から午後3時。

情報多寡の民俗行事。長時間に亘った聞き取り調査に、トイレも拝借した。

排尿処理に操作盤を押そうとしたそこにあった願文。



見たことのある願文に「鳥枢沙摩明王(うっさま大王)」、「大小便時 当願衆生 蠲除煩悩 滅除罪法 オンクロ ダノウ ウンジャク ランラン」とあった。

とてもよく似た願文を拝見したことがある。

平成29年6月。山添に住むSさんのご自宅に行われたあじさいのまじない願文も「鳥枢沙摩明王 オンクロ ダナウウン ジャク ランラン」。

シモの世話にならないよう、トイレに吊るした逆さ紫陽花

そのときの願文もまた同じ鳥枢沙摩明王(うっさま大王)のご真言(※事例はさまざま。トイレに貼られているトイレの神さん)である。

次の取材地があるから、Mさんに尋ねる間もなかったが・・

ありがとうございました、とお礼を伝えて帰ろうとしたらエンジンが、回転しない。

汗、汗、汗・・・である。

ちょっとだけの立ち話のつもりにハザードをしたままの2時間。

バッテリーあがりに汗、汗・・。

Mさん、Sさんが、すぐに動いてくださった。

軽トラから引いたブースターケーブルを繋ごうとした軽バン車。

普段から見ていないバッテリーってどこにあるのか?



マニュアルを探して見つかった後ろの蓋。

繋げて軽トラのエンジン始動。



そして軽バン始動にブルブル回転音にほっとした。

お二人とも農業従事者。

農機具のバッテリー始動にたびたびブースターケーブルの出番があるそうで、作業は慣れておられた。

感謝しかないバッテリー上がりの緊急措置。

頭下げて出発したものの、いつ停止するかもわからない。

ヒヤヒヤしながら走った10kmほど。

それくらいの距離を走っておけば、十分に充電できたはずと判断した。

(R2.12.31 SB805SH撮影)

大阪麺匠はなみち天理店の特上しょうゆレアチャーシュー

2022年11月11日 07時53分02秒 | 食事が主な周辺をお散歩
おふくろの介護に車を走らせる大阪の街並み。

往路は東から西へ。

復路は西から東へ走る長居公園通り。

地下鉄長居駅のすぐそば。

地下鉄を降りて地上に出たすぐそこにあるラーメン店の大阪麺匠はなみち長居店。

通る度に見ている店舗。

どんなラーメンを提供しているのだろうか。

車を停める場もない市街地。



気になっている大阪麺匠はなみちが、なんと、なんと令和2年の10月2日、奈良県・天理市嘉幡にオープンしていた。

気づいたのは、つい最近になってからだ。

取材先は天理市の檜垣町。

南北に走る国道25号沿いに出店するラーメン店は、少しずつ増えていった。

いずれはラーメン街道の名称もつくだろう。

取材前の腹ごしらえ。

頭に浮かんだお店は京都ラーメンを提供する旭第一。

ずいぶん昔になるが、一度入店して味わったこともある旭第一。

大晦日の今日は店を閉めていた。

ならばUターン。

すぐ近くにあるラーメン店のなかのは、満員御礼の行列が・・。

大晦日も行列のラーメン店は避けるべし。

取材があるから避けて通りすぎた。

河童のラーメン店も、彩華ラーメンもすっ飛ばし。

京都ラーメンを提供する来来亭のすぐそばに立地した大阪麺匠はなみち。

奈良県では、まだ名も浸透していないのだろう。

駐車場に停めていた車は5台。

その状態なら、待つこともない。

それが決断の決めてになった大阪麺匠はなみち天理店

早々と口コミ情報が揚がっているのは、旨い証拠だろう、と思ったが辛めの評価。

口の濃い、いろんな方がおられるんでしょうね。







ですが、私の口では極上の味。



初めて口にするレアチャーシュー。



これこそ豊穣の味では・・と思った。

これをハムやっ、と唸った人はどうゆう舌の感覚なのだろうか。

滑らかな舌触り。

抜群の腕で滑走するまるでスラローム。

代替する表現はなんかおかしいかもしれんが・・。



醤油っぽくもないこれもまた美味しいスープ。

こってりではないが、さっぱりでもない。

舌に絡みつく、これって何・・。



特別な仕込みがあるのか、ないのか・・・知らんけど。

850円はちと高めの価格帯。

次に来店する際に使用できる50円割引券。



これ、なければ足は思いとどめるかも・・。

いただいた割引券を手にして、何度か入店し、食事を摂っていたが・・・



あるとき、通りがかりに見た店舗に人影なし。

店舗内に電灯のあかりも見えない。

気がつけば、令和4年4月1日に閉店し、その後の1カ月半。

跡地に田原本町から移転予定の塩元帥が始業するようだ。

(R2.12.31 SB805SH撮影)