大和中央道をも巡行してきた布団太鼓。
小林町では大太鼓と呼んでいる。
櫓には立派な彫り物が施されている。
ウサギ、トラなどの動物もあれば中国を思わせるような神仙彫りもある。
太鼓は平成元年に貼り替えているものの胴体は古い。
納めてあった太鼓蔵。
傍らに置いてあるのはたくさんの提灯をぶら下げるものがある。
それを支える台もある。
それは小太鼓と呼んでいるが現在はお蔵入りだ。
大太鼓はこの日の昼間に集落を巡っていた。
集落を抜けて北へ向かう。
そして大和中央道の車道を練ってきた。
当然ながら警察の通行許可は得ている。
今国府の信号からは西へ向けて行く。
そのときの様相は知ることはないが、運転手は驚いたことだろう。
そうして戻ってきた大太鼓は担いでゆっさゆっさと練ったという。
落ち着いた大太鼓に群がる子供たち。
シーソーのようにして遊んでいた。
祭りが終われば神社の造宮に取り掛かる。
来年の7月には神楽殿も造られるそうだが、大太鼓を納める蔵まで手がつけられない。
その蔵の天井に掲げてあった棟札。
「上棟式 太鼓倉新築 昭和四拾四年五月七日 自治委員長○○○○ 自治員に○○○○、○○○○、○○○○・・・中若世話人・・工事請負人・・」とある。
「昭和六年拾月十四日 片桐村大字小林 左一老○○○○ 二老○○○○ 右一老○○○○ 二老○○○○ 氏子中」の文字が見られる幕を張った杵築神社。
この夜は小林町に鎮座する杵築神社の宵宮だ。
前日は公民館でゴクツキをした。
そこには左座と右座が一体となった仮宮があった。
かつては左座、右座の当屋家ごとで祀っていた仮宮であったが、平成17年に公民館(土地改良区事務所)が完成してからはそこで祭祀されるようになった。
今夜の宵宮祭祀は高張提灯を掲げた杵築神社となる。
左座、右座のそれぞれが座する拝殿には各家が持ち込まれた提灯も掲げている。
本殿下の長床にはローソクが灯された。
八条町の菅田神社の宮司を迎えて宵宮の神事が行われる。
両座中が本殿前に並んでの神事だ。
氏子参拝者は境内に居る。
お供えの順は決まっている。
洗い米、お神酒、餅、魚、玉子、海藻、野菜、果物、塩、水だ。
神饌を献じた神事。
それを終えれば両座に分かれて座る。
そこで用意した「ジュウニカグラ」。
前日のゴクツキで作ったモチである。
細長い杉のヘギ板は短冊のような形。
それに小さなモチをくっつけている。
一枚に6個のモチが並ぶ。
それは12枚で「ジュウニカグラ」と呼ぶ。
その「ジュウニカグラ」のモチは左座、右座にそれぞれ6枚。
お盆に乗せてぐい飲み猪口を置く。
それも6個ずつである。
始めに右座の一老が猪口にお神酒を注いだ。
もう一つのお盆に一枚のジュウニカグラと猪口酒を一つ乗せた。
座中の一人がそれを左座に持っていく。
受け取った左座は同じように一枚のジュウニカグラと猪口酒を一つ乗せたお盆を右座に持っていく。
こうして6回ずつ返杯の作法をする「ジュウニカグラ」の交換。
お互いがお互いのモチと酒を差し出すのである。
両座にいきわたれば座の儀式。
両座それぞれに酒を飲む。
宮司は左座に座って両座は揃って手を打つ。
まるで手打ちの儀式であろうかのような乾杯の儀式である。
その儀式を見届けた三郷の坂本巫女は御湯の斎場に立つ。
湯釜を据えた場は石造りの釜床。
火をくべることなく沸かした湯を入れて神事が始まった。
かしこみ申すと神さんに告げて、塩、お神酒などで御湯を清め、ゆっくりと御幣でかき回す。
御幣と鈴を手にして右や左に舞う。
笹を手にして湯に浸けて前向きにシャバシャバする。
天より降りたもうと、東の伊勢神宮の天照皇大明神、南の談山神社の多武峰大権現、西の住吉大社の住吉大明神、北は春日若宮大明神の四柱の神々の名を告げて呼び起こす。
再びシャバシャバして同じく四方に向かい、それぞれの大明神に「この屋敷に送りそうろう」とお戻りになられることを告げる。
本殿下の長床に移って鈴舞いをされたあとは拝殿の座中へ。
その間における座中は御湯の神事を見ることなく酒を酌み交わしていた。
その座に登った巫女は「交通安全、家内安全、水難盗難、身体健勝、祓いたまえ、清めたまえ」と御湯の笹と鈴を振って祓う。
左座、右座の座中、一人ずつ順に祓い清められて御湯の神事を終えた。
待っていた氏子たちは行列をなしていた。
家族揃っての宵宮参拝は巫女による鈴祓い。
シャンシャンと音がする。
右座の座中が酒を酌み交わす拝殿は剣に持ち替えて神楽を舞う。
再び鈴を持って右に左に舞う神楽。
「祓いたまえ清めたまえ 交通安全、家内安全、水難盗難、身体健勝、祓いたまえ、清めたまえ」と頭上から剣と鈴で祓い清める。
行列ができた祓い受けの家族。
次の家族へと絶え間ない。
途切れることなく次から次へと休むことなく行われた村のご祈祷であった。
(H24.10. 7 EOS40D撮影)
小林町では大太鼓と呼んでいる。
櫓には立派な彫り物が施されている。
ウサギ、トラなどの動物もあれば中国を思わせるような神仙彫りもある。
太鼓は平成元年に貼り替えているものの胴体は古い。
納めてあった太鼓蔵。
傍らに置いてあるのはたくさんの提灯をぶら下げるものがある。
それを支える台もある。
それは小太鼓と呼んでいるが現在はお蔵入りだ。
大太鼓はこの日の昼間に集落を巡っていた。
集落を抜けて北へ向かう。
そして大和中央道の車道を練ってきた。
当然ながら警察の通行許可は得ている。
今国府の信号からは西へ向けて行く。
そのときの様相は知ることはないが、運転手は驚いたことだろう。
そうして戻ってきた大太鼓は担いでゆっさゆっさと練ったという。
落ち着いた大太鼓に群がる子供たち。
シーソーのようにして遊んでいた。
祭りが終われば神社の造宮に取り掛かる。
来年の7月には神楽殿も造られるそうだが、大太鼓を納める蔵まで手がつけられない。
その蔵の天井に掲げてあった棟札。
「上棟式 太鼓倉新築 昭和四拾四年五月七日 自治委員長○○○○ 自治員に○○○○、○○○○、○○○○・・・中若世話人・・工事請負人・・」とある。
「昭和六年拾月十四日 片桐村大字小林 左一老○○○○ 二老○○○○ 右一老○○○○ 二老○○○○ 氏子中」の文字が見られる幕を張った杵築神社。
この夜は小林町に鎮座する杵築神社の宵宮だ。
前日は公民館でゴクツキをした。
そこには左座と右座が一体となった仮宮があった。
かつては左座、右座の当屋家ごとで祀っていた仮宮であったが、平成17年に公民館(土地改良区事務所)が完成してからはそこで祭祀されるようになった。
今夜の宵宮祭祀は高張提灯を掲げた杵築神社となる。
左座、右座のそれぞれが座する拝殿には各家が持ち込まれた提灯も掲げている。
本殿下の長床にはローソクが灯された。
八条町の菅田神社の宮司を迎えて宵宮の神事が行われる。
両座中が本殿前に並んでの神事だ。
氏子参拝者は境内に居る。
お供えの順は決まっている。
洗い米、お神酒、餅、魚、玉子、海藻、野菜、果物、塩、水だ。
神饌を献じた神事。
それを終えれば両座に分かれて座る。
そこで用意した「ジュウニカグラ」。
前日のゴクツキで作ったモチである。
細長い杉のヘギ板は短冊のような形。
それに小さなモチをくっつけている。
一枚に6個のモチが並ぶ。
それは12枚で「ジュウニカグラ」と呼ぶ。
その「ジュウニカグラ」のモチは左座、右座にそれぞれ6枚。
お盆に乗せてぐい飲み猪口を置く。
それも6個ずつである。
始めに右座の一老が猪口にお神酒を注いだ。
もう一つのお盆に一枚のジュウニカグラと猪口酒を一つ乗せた。
座中の一人がそれを左座に持っていく。
受け取った左座は同じように一枚のジュウニカグラと猪口酒を一つ乗せたお盆を右座に持っていく。
こうして6回ずつ返杯の作法をする「ジュウニカグラ」の交換。
お互いがお互いのモチと酒を差し出すのである。
両座にいきわたれば座の儀式。
両座それぞれに酒を飲む。
宮司は左座に座って両座は揃って手を打つ。
まるで手打ちの儀式であろうかのような乾杯の儀式である。
その儀式を見届けた三郷の坂本巫女は御湯の斎場に立つ。
湯釜を据えた場は石造りの釜床。
火をくべることなく沸かした湯を入れて神事が始まった。
かしこみ申すと神さんに告げて、塩、お神酒などで御湯を清め、ゆっくりと御幣でかき回す。
御幣と鈴を手にして右や左に舞う。
笹を手にして湯に浸けて前向きにシャバシャバする。
天より降りたもうと、東の伊勢神宮の天照皇大明神、南の談山神社の多武峰大権現、西の住吉大社の住吉大明神、北は春日若宮大明神の四柱の神々の名を告げて呼び起こす。
再びシャバシャバして同じく四方に向かい、それぞれの大明神に「この屋敷に送りそうろう」とお戻りになられることを告げる。
本殿下の長床に移って鈴舞いをされたあとは拝殿の座中へ。
その間における座中は御湯の神事を見ることなく酒を酌み交わしていた。
その座に登った巫女は「交通安全、家内安全、水難盗難、身体健勝、祓いたまえ、清めたまえ」と御湯の笹と鈴を振って祓う。
左座、右座の座中、一人ずつ順に祓い清められて御湯の神事を終えた。
待っていた氏子たちは行列をなしていた。
家族揃っての宵宮参拝は巫女による鈴祓い。
シャンシャンと音がする。
右座の座中が酒を酌み交わす拝殿は剣に持ち替えて神楽を舞う。
再び鈴を持って右に左に舞う神楽。
「祓いたまえ清めたまえ 交通安全、家内安全、水難盗難、身体健勝、祓いたまえ、清めたまえ」と頭上から剣と鈴で祓い清める。
行列ができた祓い受けの家族。
次の家族へと絶え間ない。
途切れることなく次から次へと休むことなく行われた村のご祈祷であった。
(H24.10. 7 EOS40D撮影)