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マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

三条添川の行事

2010年05月21日 08時23分39秒 | 楽しみにしておこうっと
新聞記事の予定稿を検証してもらうため、ノガミ行事でお世話になったY総代を訪ねた。

家にはどっさりと古い地検図や古文書の写し本が机に並んだ。

地割りした間には今でも使われている水路が記されている。

畑や池は住宅地に変化したが水路はそのままである。

生活文化が変わろうとも水の流れは変わらない。

ほっとする地検図だ。

三条添川村の歴史も残しておかねばと本に纏められた。

副総代のころから走ってきた。

そろそろ完結に入りそうだと仰る。

若い世代はまったく関心がなくなってしまった。

将来はどうなることか判らないが、村の歴史は本の中に残されたと話される。

三条添川のノガミはかって県文化財課が調査されたものがまんま写されていた。

いりうまやでんまの絵馬もある。



でんま(出馬)は鳥居から出て行く方で後ろ向きだといって、現在はいりうま(入馬)の絵馬が使われている。

興味が惹かれたのは夏祭りと十夜の文字。

毎年5月15日は夏祭り。

5月に夏祭りとは早すぎる。

昼から興福寺の僧侶がやってきて護摩焚きをするそうだ。

場所は三条添川の三条会館。

農家組合の所有会館で不動堂に、涅槃石と弥勒像の2つの石仏が安置されているそうだ。

夏祭りはその涅槃の石仏を前にして拝む講衆。

65歳以上のご婦人は尼講と呼ばれている。

11月14日は十夜。

夕方に近い時間帯に不動堂での営み。

その前に2カ所の仏さん、地蔵さんに参ってから会館にやってくる。

涅槃石の前で拝むことから涅槃会とも称されている。

祀っているのは「古女郎」さんで「こじょろうさん」と呼ばれている。

(H22. 4.10 SB912SH撮影)
(H22. 4.24 SB912SH撮影)<三条会館>

地デジ付き3inデッキ

2010年05月20日 08時30分38秒 | つうしん
念願の地デジ付き3inデッキを設置した。

これで8ミリビデオが救われる。

以前使っていたビデオを繋いでディスクに落とし込む。

単純なダビングコピーだ。

コピーは2時間要した。

早速再生して画像を確認してみる。

元の画像はノイズがあって、そのまま再現された。

8ミリビデオは四つの内容が入っている。

不要なシーンは簡単にカットできたが区分けはできるのであろうか。

それはチャプターというらしい。

なんとかできたが区切りだけだ。

チャプター単位ではサブタイトルは入らない。

メインタイトルだけだった。

タイトルの文字入れはあっちへいったりこっちへいったりでけっこー時間がかかる。

その間、テレビ映像は映し出せない。

それが判った家族はあっちの部屋へ行ってしまった。

そうなんだ、作業をしている間はテレビを占有してしまうのだ。

他の8ミリビデオもダビングした。

ダビングする前には元ビデオの映像を全編確かめなくてはならない。

早送りで状況やエンド時点を確認する。

当時の家族の映像が映し出されると、どこそこへ行ったときやとか、子どもが何歳のときやったとか、思い出ビデオに集中してしまう。

そうなると前へは進まない。

一通り映像を確かめてはディスクに落とし込んでいく。

毎日の空き時間はあっという間になくなってしまう。

タイトル入れ、チャプター分けができたらDVDに変換する。

これはスイッチをポンポンと押して設定するだけなのでらくちんだ。

あとはお任せタイム。

出来上がるまでは行事取材の整備に熱中できる。

地デジ付きを買ったのだからこれも楽しまなくてはならない。

が、だ。残念ながら生駒山の電波が届かない。

地デジは一切映し出されない。

アナログしか映らない。

これを解消するにはアンテナを替えなければならんという。

アナログテレビは他に2台もある。

UHFアンテナで映る地デジ。

ブースターも必要な地域。

大和中央道から西の矢田丘陵は山陰げになっている地域。

そこではケーブルテレビにしているそうだ。

それにしてもVHFアンテナにUHFアンテナも替えなきゃならん、って。

アナログは来年7月で消滅する両アンテナを買い換えるにはもったいない。

1年間はそのままにしておくか。

(H22. 4.21 記)

地デジタルトリプルデッキ

2010年05月20日 08時24分35秒 | つうしん
ダブルビデオデッキは修理されて戻ってはきたが、これから先のことを考えて新機種購入の決断をした。

そうなれば電気屋さん巡りだ。

ミドリ電化ではお値打ち品があったがビクターだった。

ケーズ電気もそうだった。

国道向かい側のヤマダ電機も立ち寄った。

お目当ての地デジタルトリプルデッキがあった。

価格も2千円安い。

念のためにジョーシン大和郡山も立ち寄った。

お目当ての賞品は相変わらず予約販売だった。

新機種の発売は予定されていないそうだ。

仕方なく予約しておくことにした。

費用は捻出しておいたJCBクレジット券と市内で使える賞品券だ。

使用できるかどうか尋ねてみたらだ。

なんと消費期限が10日後。

気が付かなかったら0円価値になっていたところだった。

間髪セーフのジャッジを店員がしてくれた。

しかし、当店はまだ登録されていないので使用できないと返ってきた。

なんということだ。

なんでしたらジョーシン横田でも同額で買えるようにしておきましょうと返ってきた。

そのシートを手にして横田店に走った。

これで5店目だ。

当然ながら賞品は予約販売。

手続きを済ませて予約したのはシャープのDV-ACV52で49,800円。

数千円の残金を支払った。

10日後には納入連絡が入るという。

しかも無料で設置してくれるという。

自分でもできるのだがそこは舟に乗った。

手間が省けてありがたいこと。

(H22. 4. 9 設置)
(H22. 4.26 SB912SH撮影)

山添広瀬の行事

2010年05月19日 08時26分48秒 | 山添村へ
山添村広瀬は村の最も東寄りの方角にある。

村を流れる川は名張川で、上流は月ヶ瀬で下流が三重県へと流れる。

ときおり洪水があって小屋まで浸かる。

土台が崩れているのはその証拠だ。

月ヶ瀬の高山ダムの放水でそうなるという。

そのときはサイレンが鳴って危険を合図してくれるらしい。

お買い物など生活流通圏内は三重県の名張や桔梗が丘である。

西迎寺で観音講を営まれているIさんがそう仰る。

観音講は10数名。

若い人が入ってこないので減る一方だという。

毎月17日の昼頃に集まって西国三十三番のご詠歌を唱えている。

その日が都合悪いからと前日にされることもある。

広瀬では4月8日が花まつりの日だった。

十数年前に西方寺から保育園に舞台を移していた。

それもいつしか統廃合。

廃園になって花まつりはなくなった。

少子化の波はいち早く訪れたそうだ。

スクールバスは広瀬を通らない。

山の上のほうの80号線まで車で送っていかねばならない。

車は生活の足。

年寄りでも乗らないと生活できないとIさんは話す。

ちなみに12月31日はフクマルサンが行われている。

夕刻のころ各家では洗米や炊いた米を入れた10cmほどの竹筒を持って名張川にやってくる。

桜の木が植わっている川縁にだ。

焼け焦げた痕を案内してくださった。

洪水に遭っても名残が存在する。

村人はお米を供えてお日さんの昇る東に向いて手を合わせる。

そしてとんど火の火をたばって来る。

火はクドサン(竈)の種火になる。

いわゆる年神さんとされる福丸さん迎えの風習だ。

上と下、数百メートル離れた両地区で行われている。

是非とも取材したいものだ。

(H22. 4. 8 SB912SH撮影)

祭りと行事写真展が思わぬ方向へ

2010年05月17日 08時12分33秒 | しゃしん
先週に終わった「大和郡山の祭りと行事(2)」が思わぬ方向に向かっていきそうだ。

拝観された市図書館の方がお気に召されて図書館内でも展示したいと申し出られた。

地域の行事を紹介するにはもてってこいの環境だ。

企画を持ち上げられた段階。

パネルが借りられるかどうかが心配になって挨拶がてらに訪問された。

当館のパネルは民博から譲り受けて私の管理所有物になっている。

先月まで展示されたパネルは民博管理物。

後日に借用依頼されてオーケーをもらったそうだ。

お城まつりの時期は大勢の人が図書館にも来られる。

その時期に合わせたいと仰る。

公的な施設で展示されることはありがたいことです。

(H21.12. 2 記)
(H22. 5.13 SB932SH撮影)

瀧倉節句ヒシモチ御供

2010年05月16日 08時27分42秒 | 桜井市へ
瀧ノ蔵神社では毎年4月3日を節句の日としている。

前日に造られた大きなヒシモチ。

色は緑。

一見したとおりのヨモギモチだ。



お米が3で餅米は7の割合で搗いたヨモギモチ。

練って団子状にしてから整形して固めてヒシモチになる。

傍らに桃の花を添えた参拝した本頭屋施主は戻っていく。

施主以外も数軒で造られているというヒシモチ。

たいそうになってきたと止められた家も多い。

供えられた参拝殿は扉が閉じられている。

権現桜を見に来た人は参拝殿の前で手を合わせる。

扉の向こうにあるヒシモチは目にすることができない。

割木をナタで割っていた宮司の了解を得て上がらせてもらった。

(H22. 4. 3 EOS40D撮影

上三橋の行事

2010年05月14日 07時46分17秒 | 楽しみにしておこうっと
毎月第一日曜は須佐之男神社の月並祭。

朝10時に集まる。

コモチがつきもので毎月当番の人が用意する。

2月は祈年祭、11月は新嘗祭。特に変わったものでないという。

神社の東隣の地はかって鏡池と呼ばれる大池だった。

その辺りが元の上三橋。

昔に大火事があって現在地に移転したという話が残っているようだ。

毎夕方はお灯明。家の順に廻っていく。

行灯を持って本殿や灯籠に点す。

参道の灯籠も点す。

終わったら次の家に持って行く。

40軒の上三橋。

年に4、5回は廻ってくる。

不幸ごとがあったら一年間飛ばす。

そのしきたりは淡々としていると話された。

公民館は超願寺と呼ばれる寺だった。

公民館が建てられたので名残を示す石碑を置いたそうだ。

仏像は奈良博で預かっているという。

奈良市にある超願寺は上三橋から分かれた。

廃寺になる前は素朴なお寺だったそうだ。

そこには観音さんがいてはった。

一週間にいっぺんずつ組で祀っていた。

観音講は今でもある。

北のお寺も村の寺。

大念仏やから大阪平野から大和ご回在がやってくるそうだ。

(H22. 4. 3 EOS40D撮影)

上三橋須佐之男神社天満さんの祭り

2010年05月13日 08時24分49秒 | 大和郡山市へ
九つの御供は御供箱にすっぽりと収められた形で本殿前に置かれる。

平成20年に造宮された本殿の朱塗り色が美しい。

神饌を供えて、総代、当屋、アト、サキの四人が並んで神事は始まった。

宮司は稗田の賣太神社。



五穀豊穣、村の豊作を祈願する祝詞を奏上される。

玉串を奉奠されて、実にあっさりと天満さんのお祭りが終わった。

奉られた御供は村の人へ配るお下がり。



公民館に戻って一つ一つばらしていく。

玄関にはお下がりの受付台が設けられた。



準備ができたら村、津々浦々まで届くように太鼓をドン、ドンと打ち鳴らす。

その音色が耳に入った人たちはお盆を持ってやってきた。



コバンモチ、キリモチ、紅白の御幣と杉葉をたばっていく。

次から次へと天満さんのお下がりをいただきに訪れる。



その顔ぶれを見て「天満講営控」の帳簿に記していく総代。

あと数人が残った。

家の事情もあってかどうか判らないが、その家の分はアト、サキが配っていく。

上三橋では4月29日ころに水口まつりを行う家が多いという。

(H22. 4. 3 Kiss Digtal N撮影)