下山八坂神社には寄進された燈籠を守っている燈籠講がある。
燈籠講は凡そ20軒。
3月11日はの講家の廻り当番になるオヤの家に集まって一日中、二本串に挿した豆腐の田楽を食べる日。
かつてはカマス、ゴボウ、カズノコ、クロマメなど正月料理と同じような三品料理をこしらえていたが、五品、七品と増えていった。
負担は徐徐に増えていく傾向になり、オヤの家がたいそうになってきたことから大改革を講じられた。
三品の膳を廃止し、パック詰めの料理に代わったが、主食の豆腐の田楽だけは残された。
親戚一同も集まっていたオヤの家。
これもたいへんだからと下山町公民館で行うようにした初年度は11日に近い土曜日に集まった。
今までと違った環境下なので馴染むには数年かかることだろうと仰る。
日が暮れるころに集まって座敷にあがった。
土間で豆腐田楽を作っているのは隣村の古市から来られたM豆腐屋さん。
カンテキ炭火の炎が美しい。
一つずつ鉄製の五本串に豆腐を挿して焼いていく。
水を絞った豆腐が焼けるには時間がかかる。
焦げ目がついたら裏を返して焼く。
中まで火が通ったら焼き上がり。
奥さんは二本の竹串を挿して木の芽味噌を塗って、2個ずつ器に載せて盆に並べる。
4人前の田楽豆腐ができあがったらオヤは席に運んでいく。
古市の豆腐屋さんは先代から燈籠講の田楽造りに勤めてこられた。
その先代は古市で開業していた豆腐屋さんが店を閉められることを聞いて後継ぎを引き受けた。
豆腐造りは初めてのことだったので相当苦労したという。
焼き串は当時に使われていたもの。
かれこれ50年も使っているという年季のいった鉄串。
現業では使われることなく、今日の燈籠講の集まりだけに使われている。
竹串は手作りだ。
一本、一本作っていくので形は整っていないが味わいがある。
お店で買ったこともあるが、重量のある豆腐を挿すには太めでないと持ちこたえないので毎年作っているという。
木の芽味噌も手作りだ。
この時期、まだ木の芽は芽吹いていない。
市場で買ってくるが香りは強くない。
時期的に仕方がないという。
ミリンと砂糖で味付けた木の芽味噌の豆腐田楽。
がぶりと口にほおばったら、焼き目がついた豆腐を舌で感じる。
中かは柔らかめで、とろっとしている。
濃い目の味噌味が口内でまったりと絡み合う。
手間暇掛けて作られた豆腐田楽はあっという間に2本も食べてしまった。
一流料理屋にだしても恥ずかしくない味に感動をおぼえる。
オヤの家で田楽を作っていたときは親戚の人数分まで作っていた。
一人分が2丁の田楽造り。
以前は2倍も厚みがあったという。
今年は参加された人数の13人分だけになって作る時間は減少したものの、講の宴が終わるまで滞在しなければならない。
燈籠講は神社の元座と伝わっており、明治四年に寄進された灯籠には講家の名が刻まれている。
豆腐田楽を喰う行事はいつ頃から始まったのか定かでないが、3月11日は新暦であって、おそらく旧暦の2月11日であったろう。
そうであれば、その日は各地域神社で行われている祈年祭の日にあたる。
八坂神社の行事のなかでは祈年祭は行われていない。
豊作を祈願する行事は4月3日に行われている神武祭になる。
神武祭は祈年祭(としごいのまつり)ともされている。
元座はいつしか引き下がり、祈年祭をやめてしまったと考えられなくもないが推論は避けておきたい。
(H22. 3.13 EOS40D撮影)