マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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小夫・旧暦閏年庚申行事の民俗探訪

2018年03月08日 09時28分54秒 | 桜井市へ
よりさらに東へ行く。

桜井市山間部に修理枝もあるが、場所も存知している小夫に向かう。

目的地手前の処で鍬を担ぐ男性が歩いていた。

お顔は遠目でもわかった区長さんだ。

今年は6月が大の月であるが、豊作を祈願するので、だいたいが4月初めの日曜日にしているそうだ。

各講の行事は10時にしているが、それより先に仕立てておかなくてはならない塔婆書きにハナタテ(花立)・ゴクダイ(御供台)の調整。

朝8時にそれぞれの組の講中が集まって作っていたという。

区長が知るある村では実施年を間違ったらしい。

本来なら旧暦閏年でなければならないのに昨年を閏年と思い込んでしたそうだ。

小夫の庚申講は上垣内、桑垣内、東垣内に馬場垣内。

それぞれに組があって、それぞれの塔婆に願文を書いているが、文言はすべて一致しないという。

塔婆は葉付きの杉の木である。

また、今年が最後になる馬場垣内もある。

願文の違いなども記録しておきたいと伝えたら3カ所あるという。

うち1カ所は以前にお会いしたときに聞いているからすぐわかる。

もう1カ所は公民館の裏側を登ったところにあるというから上垣内の旧寺。

もう1カ所はここより東の山を登ったところの墓地付近にあるという。

夕方が迫ってくる時間帯。

急がねばならない願文探し。

先に出かけた場は新道ができたときに覆い屋を建てたと云う場所である。

ここは馬場垣内と東垣内の庚申さん。

庚申さんであるが大石は天正十一年(1583)作の2体の阿弥陀六字名号碑。

左に塔婆はなく右にあった1本。

願文は「奉供養南無青面金剛童子天下泰平日月清明風雨和順五穀成就講中家内安全祈塔礼成 平成二十九年四月二日」。

なぜか、梵字は四文字であった。

花立にシキビ、菊の花などのイロバナを飾っていたが、左はシキビ一品である。

先を四つに割って四方を竹で戻らないようにしているのはゴクダイ(御供台)であるが、御供がどういうものであったのか聞きそびれた。

なお、この場には火を点けていない2本のローソクもあったことを付記しておく。

ここよりもう1カ所は旧寺。

そこへ向かったがなかった。

そこではなく勘違いしていたのでUターンする。

現在の公民館のすぐ西側にある上垣内・桑垣内は地蔵石仏すぐ傍に並んで立っている六字名号碑は五体。

これもまた古く天正十一年(1583)の作であるが青面金剛でもなく庚申石でもない。

ゴクダイにシキビを飾ったハナタテは5本ずつあることから5組の講であろう。

それぞれに杉葉付きの塔婆もある。



右より順に願文を写し書きとる。

梵字は四文字。

願文は「□□□□□□□□□□□□青面金剛□□天王天下養□□□平穏風雨順時五穀豊熟講中 □□祈祭塔」である。

ほとんどの文字が判別できない。

漢字が漢字でないような文字ばかりである。

雨に打たれて消えかけの文字は難読。

異体字でもない、まったくわからない文字が数多くあった。

左横、2番目の塔婆文字に移る。

梵字は五文字。

願文は「奉納 青面金剛童子 日月清明風雨和順国土昇平家内安穏五穀豊穣福壽長久請緑吉祥」だった。

その次の3番目の梵字は四文字。

願文は「汎茶唄□伽□多賀奉納青面金剛帝襗天王天下泰平国家平穏風雨順時五穀豊熟講中 安全賢祈祭 桒組東庚申講中一同 平成二十九年四月二日」である。

4番目の梵字は七文字。

願文は「奉納 天下泰平 国家安穏聖壽無窮日月清明風雨和順国土昇平家内安全五穀豊熟福壽長久延命無病災障諸縁吉祥所願成就 平成弐拾九年四月二日 桑組庚申講中」である。

一番左端の5番目の梵字は五文字。

願文は「奉修 天下和順南無青面金剛童子日月晴晴明風雨以時災□不起兵名 無用豊国安民五穀豊穏村内安全講中円満祈祈願延々庚申講中 平成二十九年四月二日」であった。

以上、紹介したようにこれら5本の願文すべては一致しない。

それぞれの組によって若干の違いがみられるのである。

塔婆5本中に垣内名がある。漢字は「桒」もあれば「桑」も、であることから、ここは桑垣内に違いない。

また区長がここは上垣内と同じ場であると云っていたことから組名がないのが上垣内のような気がする。

なお、前回の閏庚申のトアゲに立てたと思われる数本の塔婆を横に寄せていた。

その一本の塔婆の願文が読める部分もあったので記録しておく。

願文は「・・・□□□多賀奉納青面金剛帝襗天王天下泰平国家平穏風雨順時五穀豊就庚申 安全賢祈 祭塔 ・・・」だった。

桑垣内・上垣内の場を離れて山の上の方にあるという庚申さんの地に向かう。

寺行事をいくつか取材した東垣内の秀円寺はあるが、そこには庚申さん或は六字名号碑もない。

もっと上の方だろう。

近くの畑におられた男性に尋ねたら、「あそこの辻を曲がって道なりにいけば着く」という。

その地は東垣内。

新道沿いの覆い屋にある手前はうちの東垣内の塔婆だと話してくれた。

これより目指す墓地付近にある所も東垣内。

場所柄から上の組と称しておく。

車のギヤをローにして登っていく坂道。



峠の手前にあった庚申さんはまさしく「庚申」の文字がある石塔だった。

他にも刻印があったが判読できない。

ここもゴクダイにシキビの花を飾ったハナタテもある。

塔婆はすぐ傍の処に立てていた。

梵字は五文字。

願文は「奉納 青面金剛童子所 祈日月晴風雨和順國土昇平家内安全五穀豊穣福奇諸縁吉祥 平成二十九年三月十七日」。

祭りの日は他所と違って3月17日であった。

17日は庚申の日でもなく彼岸の入りの日だった。

この組の講中はいつもそうしているのだろうか。

とにかく場所でもと思って滞在した小夫。夕方の5時は過ぎていた。

調べておきたかった桜井市の中谷、和田、吉隠、鹿路や宇陀市榛原の角柄、篠楽の旧極楽寺に菟田野平井(下平井)は後日の行ける範囲内としていたが、取材日を割り当てられなくて断念した。

(H29. 4. 9 EOS40D撮影)


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