やってしまった。
ほんまにそう思った。
激痛に身体が動かない。
立てる状態でもない身体にまたまたお願いする救急搬送の手配。
まさかの2週連続の発症に救急車をお願いするとは・・。
人生初の経験である。
寝起きに立ち上がった際にヨロヨロとよろけた。
後方にはモデムなどの器械がある私がほぼ常駐する自室。
昼間はパソコン作業に夜は寝室になる畳の和室である。
よろけた体制は後ろ向き。
倒れていく過程に腰は立たずに尻もち状態で転倒した。
畳に思い切り落下した尻もちつきしたとたんに激痛が走った。
正確にいえば腰椎辺り、左右にある筋肉に衝撃が走った。
朝7時のことである。
前触れは朝の5時。
就寝中に右足のふくらはぎがつった。
いわゆるこむら返りである。
普段でもときおり発症するこむら返り。
あるころまでは上半身だけ起き上がって胡坐状態になり、右足のふくらはぎなら固くなっているその部分を柔らかくなるまで指で揉んでいた。
痛いものだから強く、強く揉む。
なんどかしているうちに柔らかくなってこむら返りが消えて柔らかくなる。
あるころまでそうしていたが、ふと面白いことに気がついた。
こむら返りになったとき、別にふくらはぎを揉むことはない。
立ち上がって自室でぐるぐる回って歩行する。
何分も要らない。
膝をあげて、ぐるぐる回る歩行をすれば、すっと消える。
ただただ、歩行するだけですっとこむら返りが消えるのだ。
ふくらはぎを揉んで柔らかくなるが、多少の筋肉痛は残る。
ところが立って歩行すれば痛みもまったくない。
そのことに気づいてからは就寝中であっても、起きている場合でも、こむら返りになったらすぐさま立ち上がることにした。
取材先のお家でもそうする場合がある。
他人さんから見たらおかしな光景に見えるだろうが、私は真剣である。
2時間後の朝7時、である。
恐れていたことが起こった。
5時になって2時間は寝ていた。
ちょっと寝がえったとたんに発症した両足同時に発症したこむら返り。
実は、過去にも同じようなことは何度かあった。
そうなった場合は立ち上がった熊歩きで解消される。
頭の中でそう計算した結果、である。
すぐさま立ち上がったが踏ん張りがきかない。
足に腰に力が入らないから後ろに動くよろめき。
とっとっと・・。
自室の隅っこにどしん。
尻もちは尾てい骨から落下。
とにかく頭が、柱なんぞに当たらんように、と思ったのだろうか、お尻からどしんと落ちた。
倒れる身体をかばおうとしてふすまを擦った右ひじ。
尻もちをついたときは畳擦り。
左肩も壁に当たったのか、ひっかき、すり創。
そのときに激痛が走ったのである。
しまったことをしてしまった。
おそらくは圧迫骨折。
あれほどおふくろに注意しぃや、と言っていた私がまさかの圧迫骨折。
なんとか立ち上がろうとしたが、柱に手が届かない。
しまったことをしでかした。
今は後悔の念に駆られ、がっくりこんだ。
いまさらと思っても仕方ないが、こうならないように注意していた就寝・起床からの立ち上がり。
とにかく近くにある柱、机、ソファ、収納家具など倒れないような構造物に手を添えて掴まり立ち。
布団から起き出す場合もそろそろゆっくり座り。
安定した座りから立ち上がりに手を添えて構造物に頼る。
20年ほど前からずっとそうしてきたにも関わらず・・・。
両足の痛みにパニックになったとしか考えようがない対応が大失敗だった。
腰は痛いわ、こむら返りも痛いわ、でもとにかくなんとかせな、と寝床に敷いた布団周りを歩く。
足を揚げたりするが、収まる気配もないので、廊下に出てそこからリビングルームに。
ぐるっと歩いて回っても・・・と思ったところですっと消えたこむら返り。
解消したが、ふくらはぎの痛みは厳しい。
痛みを引きずったままトイレに駆け込み。
溜まっていた小便を一気に排尿。
トイレを済ませたが、今度はその場から立ち上がれない。
勢いと気合任せになんとか立ち上がった。
はっと気がついた出血痕。
内痔核出血に汚れた下着、パジャマも血が付着。
とにかく着替えないと、と思っても痛さがビンビン。
屈めようとしても屈めない体制。
手を伸ばして左足。
右足の順に履く下着替え。
なんとか着替えて毎日の計測。
体重測定に血圧測定と心拍数の計測。
乱雑な字で記した「生活習慣手帳」の記録。
午前7時の計測も体重は69.4kg。
血圧は159-84。
心拍数は50拍を記録していた。
ふくらはぎの痛さはともかく、腰の痛みは劇症に立ち上がるのも、座るにも難しい。
毎朝に飲用する麦茶に豆乳がある冷蔵庫にすら届かない。
右手、若しくは左手で支える身体。
なんとか開けようとするリビングルームのカーテンに窓ガラスと雨戸。
無理とわかって座り込む。
居間のテーブルに支えつつ座り込み。
その場から動けなくなった。
排便に洗顔もしたいが、まったく動けなくなった。
起きてきたかーさんに状況を伝えて、とにかく救急車を呼んでくれ、と嘆願する。
長男夫婦が里帰り。
前夜遅くに着いて遅めの食事を摂った。
それから就寝してぐっすり寝ていた長男夫婦も起きてきた。
何事が起ったのか、状況が理解できるまで数分間。
状況がわかったところで何もできない。
この日の朝10時半過ぎにはバスに乗って近鉄郡山。
そこから京都に向かって夕方までに箱根の強羅に行かなくてはならない。
午前8時半、身支度を整えて横向け。
動けなくなったリビングルームに横たわっていた。
そうこうするうちに緊急手配をした救急車のサイレンが聞こえてきた。
ご近所の隣人さん。
一週間前にもサイレンに救急車には驚いてはったけど、まさかの2週連続にびっくりしているだろうに。
ストレッチャーに移ったまま救急車・・。
出発は午前8時40分。
見送る隣人たちの心配そうな顔、顔はにかっと笑ってまた行ってきまーっす、と云ったような気がする・・。
搬送先は、前回同様に循環器内科診察に通院している天理のよろづ相談室病院行き。
後にわかった搬送コースは大和中央道を南下。
名阪高速道のスマートインター経由の天理インターだった。
着時間は午前9時15分。
前回同様に対応されるER(緊急救命)。
点滴に痛み止めの座薬処置。
緊急に診てもらった医師の判断は、腰痛具合を確かめて、横向き、仰向きなどの判断に腰骨少し上にある個所が圧迫骨折だと認められた。
午前10時半ころの容態は・・座薬が効いているのだろか、少しは痛みがマシになっていた。
ちょこっと顔出ししては診断結果を伝えるER医師。
今度は何を伝える。
状態は安静に、ということ。
座薬の効き目もあるが、内服薬の痛み止めも服用処置。
患者さんの状態にもよるが、全治1カ月前後の診断だ。
ずっと横になったままの姿勢。
動かなくとも小便はしたくなる。
背もたれ、斜め姿勢も難しい痛みあり。
起き上がることもできないから手渡された屎尿瓶。
何年ぶりになるだろうか。
懐かしい屎尿瓶は、寝たままでも排尿ができる優れもの。
一物をもって瓶口に添える。
息が抜けた途端に自然排尿。
その量は丁度の200ml。
適量である。
鼻がむずってくしゃみをしたら、飛び上がるほどの痛さを感じる。
衝撃が大きいくしゃみは患部を酷く震わせる。
ついさっきに服用した痛み止めは効いとらんのかい。
それからの時間経過とともに痛みが薄らいできた。
少しずつ寝返りも試してみたら、痛みなし。
少しは苦痛から解放されそうだ。
午前11時。
少しでも動ければ、ということであろう。
ER(緊急救命)室から外来棟にベッドごと移った。
看護士さんが尋ねる痛みの度合い。
痛みが激しかった全開を10としたら、今はどれくらいですか、と尋ねた度合いは、1かゼロ。
それぞれのほど落ち着いてきた痛み。
午前11時半。
整形外科に廻されて記入する問診票に既往症などに通院歴などのあれこれを記す。
午前12時。
整形外科医師の診断である。
仰向けになって骨ぐあいを診断する。
背中から背骨を中心にドンドンと拳で叩く。
上下移動しつつ叩くN整形外科医師。
叩いた際の響きはあるが、痛みはない。
背骨の左側にやや感じる部位はもっと下の方。
そこは筋肉のある部位。
ドンとお尻からついた尻もち。
そのときの衝撃が走ったことによる筋肉の痛みが発症したもよう。
背骨辺りの筋肉に注射。
筋肉痛を認めた医師はその部位に注射の処置。
衝撃を受けたときの人間は、普段使っていない筋肉が動く。
その動きに筋肉も動いて痛みをもたらす。
圧迫骨折の場合は、トントンと叩くだけでビリビリ感じて痛くなるが、その症状がないことから圧迫骨折ではない、と診断された。
いわばギックリ腰と同じような症状。
しばらくは様子見いとし、入院措置はない、という。
天理よろづ相談所病院は、手術を要する圧迫骨折の場合に限って入院措置をとるが、腰の筋肉痛くらいでは通院加療である。
12時35分に点滴を外した。
12時45分、解放の身になるが、立ち上がれるだろうか。
ベッドを斜めにした角度は10度。
20度で腰が痛くなる。
立って歩くには無理があると判断して院内車椅子の手配。
外来棟を出る手前に置き場があるから、そこに置いといてくださいと・・。
会計を〆て、支払いを済ませてから手渡される処方箋は、ロキソニン錠60mgとレバミピド錠100mg「オーツカ」にモーラステープL 10cm×14cmが14日分。
院内移動は車椅子のおかげでラクラク移動できる。
帰宅する前にトイレを済ませて、さぁ立とうとしても支えがいる。
壁つたいに手を添えてゆっくりゆっくり歩けるか。
しばらくは1階ロビーのソファに座り込み。
えいっ、やっの気合をかけて立ち上がった。
玄関まで歩けたら、あとはタクシーに乗るだけ。
外来棟前に待機していたタクシーの利用。
医院から自宅まで走ったタクシー会社は長柄タクシー。
運転手は違って、前回より少しだけ安くなった5500円のタクシー代をクレジットカード払い。
自宅に戻ったのは午後3時。
何事もなく戻ってきたが、もうクタクタである。
朝も昼も食事を摂れなかったが、戻ってからちょっとだけ口に入れてほっとする。
で、食後に測る血圧と心拍数は129-68に47拍。
私にとってはフツーの状態だった。
翌日の15日。
朝の立ち上がりはどうなのか。
なんとか動けるが、短い距離までだ。
医師、看護師から云われている注意事項。
重たいものは一切持たない、抱えない、である。
そろり、そろりの安静状態に務めるように、ということだ。
16日は、消化器内科医師の設定で行う胃カメラ検査。
検査する病院棟までの足はどうするか。
歩いていくにはバスに電車。
さらに乗り換えバスであるが、歩く過程が難しい。
車の運転さえできれば、歩行距離は一挙に短くなる。
運転さえできれば、と思って試しに宝来にあるスーパーサンデイにトライアルへ買い物。
荷物運びはすべてかーさんにお願いすることにして走らせた。
愛車は軽の箱バン。
乗り降りは腰の位置が一致しているからなのか乗車・降車は痛みもなくスムーズだった。
これなら問題なく通院できる、と判断した。
実情を知った実弟が申し出た病院行きに運転代行。
ありがたい申し出が嬉しい。
(R1. 8.14 SB805SH撮影)
(R1. 8.15、16 追記)
ほんまにそう思った。
激痛に身体が動かない。
立てる状態でもない身体にまたまたお願いする救急搬送の手配。
まさかの2週連続の発症に救急車をお願いするとは・・。
人生初の経験である。
寝起きに立ち上がった際にヨロヨロとよろけた。
後方にはモデムなどの器械がある私がほぼ常駐する自室。
昼間はパソコン作業に夜は寝室になる畳の和室である。
よろけた体制は後ろ向き。
倒れていく過程に腰は立たずに尻もち状態で転倒した。
畳に思い切り落下した尻もちつきしたとたんに激痛が走った。
正確にいえば腰椎辺り、左右にある筋肉に衝撃が走った。
朝7時のことである。
前触れは朝の5時。
就寝中に右足のふくらはぎがつった。
いわゆるこむら返りである。
普段でもときおり発症するこむら返り。
あるころまでは上半身だけ起き上がって胡坐状態になり、右足のふくらはぎなら固くなっているその部分を柔らかくなるまで指で揉んでいた。
痛いものだから強く、強く揉む。
なんどかしているうちに柔らかくなってこむら返りが消えて柔らかくなる。
あるころまでそうしていたが、ふと面白いことに気がついた。
こむら返りになったとき、別にふくらはぎを揉むことはない。
立ち上がって自室でぐるぐる回って歩行する。
何分も要らない。
膝をあげて、ぐるぐる回る歩行をすれば、すっと消える。
ただただ、歩行するだけですっとこむら返りが消えるのだ。
ふくらはぎを揉んで柔らかくなるが、多少の筋肉痛は残る。
ところが立って歩行すれば痛みもまったくない。
そのことに気づいてからは就寝中であっても、起きている場合でも、こむら返りになったらすぐさま立ち上がることにした。
取材先のお家でもそうする場合がある。
他人さんから見たらおかしな光景に見えるだろうが、私は真剣である。
2時間後の朝7時、である。
恐れていたことが起こった。
5時になって2時間は寝ていた。
ちょっと寝がえったとたんに発症した両足同時に発症したこむら返り。
実は、過去にも同じようなことは何度かあった。
そうなった場合は立ち上がった熊歩きで解消される。
頭の中でそう計算した結果、である。
すぐさま立ち上がったが踏ん張りがきかない。
足に腰に力が入らないから後ろに動くよろめき。
とっとっと・・。
自室の隅っこにどしん。
尻もちは尾てい骨から落下。
とにかく頭が、柱なんぞに当たらんように、と思ったのだろうか、お尻からどしんと落ちた。
倒れる身体をかばおうとしてふすまを擦った右ひじ。
尻もちをついたときは畳擦り。
左肩も壁に当たったのか、ひっかき、すり創。
そのときに激痛が走ったのである。
しまったことをしてしまった。
おそらくは圧迫骨折。
あれほどおふくろに注意しぃや、と言っていた私がまさかの圧迫骨折。
なんとか立ち上がろうとしたが、柱に手が届かない。
しまったことをしでかした。
今は後悔の念に駆られ、がっくりこんだ。
いまさらと思っても仕方ないが、こうならないように注意していた就寝・起床からの立ち上がり。
とにかく近くにある柱、机、ソファ、収納家具など倒れないような構造物に手を添えて掴まり立ち。
布団から起き出す場合もそろそろゆっくり座り。
安定した座りから立ち上がりに手を添えて構造物に頼る。
20年ほど前からずっとそうしてきたにも関わらず・・・。
両足の痛みにパニックになったとしか考えようがない対応が大失敗だった。
腰は痛いわ、こむら返りも痛いわ、でもとにかくなんとかせな、と寝床に敷いた布団周りを歩く。
足を揚げたりするが、収まる気配もないので、廊下に出てそこからリビングルームに。
ぐるっと歩いて回っても・・・と思ったところですっと消えたこむら返り。
解消したが、ふくらはぎの痛みは厳しい。
痛みを引きずったままトイレに駆け込み。
溜まっていた小便を一気に排尿。
トイレを済ませたが、今度はその場から立ち上がれない。
勢いと気合任せになんとか立ち上がった。
はっと気がついた出血痕。
内痔核出血に汚れた下着、パジャマも血が付着。
とにかく着替えないと、と思っても痛さがビンビン。
屈めようとしても屈めない体制。
手を伸ばして左足。
右足の順に履く下着替え。
なんとか着替えて毎日の計測。
体重測定に血圧測定と心拍数の計測。
乱雑な字で記した「生活習慣手帳」の記録。
午前7時の計測も体重は69.4kg。
血圧は159-84。
心拍数は50拍を記録していた。
ふくらはぎの痛さはともかく、腰の痛みは劇症に立ち上がるのも、座るにも難しい。
毎朝に飲用する麦茶に豆乳がある冷蔵庫にすら届かない。
右手、若しくは左手で支える身体。
なんとか開けようとするリビングルームのカーテンに窓ガラスと雨戸。
無理とわかって座り込む。
居間のテーブルに支えつつ座り込み。
その場から動けなくなった。
排便に洗顔もしたいが、まったく動けなくなった。
起きてきたかーさんに状況を伝えて、とにかく救急車を呼んでくれ、と嘆願する。
長男夫婦が里帰り。
前夜遅くに着いて遅めの食事を摂った。
それから就寝してぐっすり寝ていた長男夫婦も起きてきた。
何事が起ったのか、状況が理解できるまで数分間。
状況がわかったところで何もできない。
この日の朝10時半過ぎにはバスに乗って近鉄郡山。
そこから京都に向かって夕方までに箱根の強羅に行かなくてはならない。
午前8時半、身支度を整えて横向け。
動けなくなったリビングルームに横たわっていた。
そうこうするうちに緊急手配をした救急車のサイレンが聞こえてきた。
ご近所の隣人さん。
一週間前にもサイレンに救急車には驚いてはったけど、まさかの2週連続にびっくりしているだろうに。
ストレッチャーに移ったまま救急車・・。
出発は午前8時40分。
見送る隣人たちの心配そうな顔、顔はにかっと笑ってまた行ってきまーっす、と云ったような気がする・・。
搬送先は、前回同様に循環器内科診察に通院している天理のよろづ相談室病院行き。
後にわかった搬送コースは大和中央道を南下。
名阪高速道のスマートインター経由の天理インターだった。
着時間は午前9時15分。
前回同様に対応されるER(緊急救命)。
点滴に痛み止めの座薬処置。
緊急に診てもらった医師の判断は、腰痛具合を確かめて、横向き、仰向きなどの判断に腰骨少し上にある個所が圧迫骨折だと認められた。
午前10時半ころの容態は・・座薬が効いているのだろか、少しは痛みがマシになっていた。
ちょこっと顔出ししては診断結果を伝えるER医師。
今度は何を伝える。
状態は安静に、ということ。
座薬の効き目もあるが、内服薬の痛み止めも服用処置。
患者さんの状態にもよるが、全治1カ月前後の診断だ。
ずっと横になったままの姿勢。
動かなくとも小便はしたくなる。
背もたれ、斜め姿勢も難しい痛みあり。
起き上がることもできないから手渡された屎尿瓶。
何年ぶりになるだろうか。
懐かしい屎尿瓶は、寝たままでも排尿ができる優れもの。
一物をもって瓶口に添える。
息が抜けた途端に自然排尿。
その量は丁度の200ml。
適量である。
鼻がむずってくしゃみをしたら、飛び上がるほどの痛さを感じる。
衝撃が大きいくしゃみは患部を酷く震わせる。
ついさっきに服用した痛み止めは効いとらんのかい。
それからの時間経過とともに痛みが薄らいできた。
少しずつ寝返りも試してみたら、痛みなし。
少しは苦痛から解放されそうだ。
午前11時。
少しでも動ければ、ということであろう。
ER(緊急救命)室から外来棟にベッドごと移った。
看護士さんが尋ねる痛みの度合い。
痛みが激しかった全開を10としたら、今はどれくらいですか、と尋ねた度合いは、1かゼロ。
それぞれのほど落ち着いてきた痛み。
午前11時半。
整形外科に廻されて記入する問診票に既往症などに通院歴などのあれこれを記す。
午前12時。
整形外科医師の診断である。
仰向けになって骨ぐあいを診断する。
背中から背骨を中心にドンドンと拳で叩く。
上下移動しつつ叩くN整形外科医師。
叩いた際の響きはあるが、痛みはない。
背骨の左側にやや感じる部位はもっと下の方。
そこは筋肉のある部位。
ドンとお尻からついた尻もち。
そのときの衝撃が走ったことによる筋肉の痛みが発症したもよう。
背骨辺りの筋肉に注射。
筋肉痛を認めた医師はその部位に注射の処置。
衝撃を受けたときの人間は、普段使っていない筋肉が動く。
その動きに筋肉も動いて痛みをもたらす。
圧迫骨折の場合は、トントンと叩くだけでビリビリ感じて痛くなるが、その症状がないことから圧迫骨折ではない、と診断された。
いわばギックリ腰と同じような症状。
しばらくは様子見いとし、入院措置はない、という。
天理よろづ相談所病院は、手術を要する圧迫骨折の場合に限って入院措置をとるが、腰の筋肉痛くらいでは通院加療である。
12時35分に点滴を外した。
12時45分、解放の身になるが、立ち上がれるだろうか。
ベッドを斜めにした角度は10度。
20度で腰が痛くなる。
立って歩くには無理があると判断して院内車椅子の手配。
外来棟を出る手前に置き場があるから、そこに置いといてくださいと・・。
会計を〆て、支払いを済ませてから手渡される処方箋は、ロキソニン錠60mgとレバミピド錠100mg「オーツカ」にモーラステープL 10cm×14cmが14日分。
院内移動は車椅子のおかげでラクラク移動できる。
帰宅する前にトイレを済ませて、さぁ立とうとしても支えがいる。
壁つたいに手を添えてゆっくりゆっくり歩けるか。
しばらくは1階ロビーのソファに座り込み。
えいっ、やっの気合をかけて立ち上がった。
玄関まで歩けたら、あとはタクシーに乗るだけ。
外来棟前に待機していたタクシーの利用。
医院から自宅まで走ったタクシー会社は長柄タクシー。
運転手は違って、前回より少しだけ安くなった5500円のタクシー代をクレジットカード払い。
自宅に戻ったのは午後3時。
何事もなく戻ってきたが、もうクタクタである。
朝も昼も食事を摂れなかったが、戻ってからちょっとだけ口に入れてほっとする。
で、食後に測る血圧と心拍数は129-68に47拍。
私にとってはフツーの状態だった。
翌日の15日。
朝の立ち上がりはどうなのか。
なんとか動けるが、短い距離までだ。
医師、看護師から云われている注意事項。
重たいものは一切持たない、抱えない、である。
そろり、そろりの安静状態に務めるように、ということだ。
16日は、消化器内科医師の設定で行う胃カメラ検査。
検査する病院棟までの足はどうするか。
歩いていくにはバスに電車。
さらに乗り換えバスであるが、歩く過程が難しい。
車の運転さえできれば、歩行距離は一挙に短くなる。
運転さえできれば、と思って試しに宝来にあるスーパーサンデイにトライアルへ買い物。
荷物運びはすべてかーさんにお願いすることにして走らせた。
愛車は軽の箱バン。
乗り降りは腰の位置が一致しているからなのか乗車・降車は痛みもなくスムーズだった。
これなら問題なく通院できる、と判断した。
実情を知った実弟が申し出た病院行きに運転代行。
ありがたい申し出が嬉しい。
(R1. 8.14 SB805SH撮影)
(R1. 8.15、16 追記)