マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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大和な雛まつりにどんだけぇ

2012年04月18日 06時44分31秒 | 大和郡山市へ
先週辺りから大和郡山市内を闊歩する人たちが増えてきた。

雅なお雛さんを飾っているニュースを聞き付けてやってきた人たちだ。

カメラをぶら下げたグループや二人連れなど・・・。

飾られたお雛さんをガラス越しに観ている。

商工会が発行したマップを持参して城下町を巡る観光客。

3月3日は雛祭りだけに当月に入ればどうなのか郡山観光案内所を訪れた。

毎週火曜、木曜、土曜、日曜日には市内の観光案内をされる大和郡山ボランテイアガイドの皆さんが交替で勤めている。

仕事を終えて様子伺いに度々お邪魔するのだ。

先月初めに訪れた際には同所で組みたてられていたお雛さんの段飾りが公開されている。

所内にはガイドの人たちが手作りでこしらえた折紙製のお雛さんも壁一面に飾っている。

そこへやってくる観光客。お雛さんのマップを手渡して道案内。

既にひと周りされてきた観光客も再び訪れる。

雛飾りをされている処は相当数あるだけにすべてを見て回るにはけっこうな時間を要する。

新聞記事を切り取って持参されるグループもある。

チラシを見られて民家で公開されている古いお雛さんを見たいと申し出る人が圧倒的に多い。

次から次へと訪れる観光客に応対がおっつかないので案内を手伝った。

来訪される人たちは大阪、堺、生駒、田原本町などなど。

3月いっぱいお雛さんを謳っている高取町の住民も来たそうだ。

一時間半ほどの間にどれだけのグループが来たのだろうか。

数え切れない応対にてんやわんや。

おそらく賑わいは3日、4日がもっと集中することであろう。

ひとまず安心する「大和な雛まつり」であるが、これを機会に城下町をもっと訪れてほしいものだ。

大和郡山は外堀に囲まれた城下町が現存する。

その内側は城下町を示す町名がずらりと・・・。

城下町の特徴は城を中心に武家の町、周りに町人の町を配するのが一般的だ。

城を中心に武家(士)屋敷、町屋敷、足軽屋敷、職人屋敷に寺屋敷を合わせた城下。

それらの町屋で構成された都市構造が城下町。

戦乱の時代、戦国時代、江戸時代など時代変遷にともなって構造が変化してきた城下町。

当然ながら山城か平城の地理的、物理的によっても構造は大きく異なる。

城下町は一挙に造りあげたものではなく、徐々に町人、商人が増えるにつれ拡大していったことも忘れてはならない。

たいがいは本町が始めにあったものと思っている。

また、各地から町人を寄せてきたからその名を付けたというのもある。

関西に城下町は数々あれど生業を現す町名が残されているのは意外と少ない。

滋賀県彦根にもあったが旧町名は消えた。

城町、本町辺りを中心に魚屋町、桶屋町、紺屋町、大工町、鍛冶屋町、袋町、職人町、油屋、細工、瓦焼きなど職業名がそのまま付けられた町名。

伝馬町、鷹匠町、伊賀町などもあった。

近江八幡、長浜、坂本も城下町だが町名は見られない。

三重県の伊賀上野・・・などなど。

また、奈良県高取や宇陀松山も城下町だが職業を示す町名は見られない。

現在の生業は大きく変容し面影を残すのは町名だけだ。

ここでは詳しくは述べないが、古き町名を思い起こしながら郡山の城下町を巡ってほしいものだ。

(H24. 3. 1 SB932SH撮影)


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