昼過ぎまで曽爾村の小長尾に滞在していた。
昼前から始まった春の行事取材である。
帰路に就こうとして山から下ってきた。
その一角に石仏があった。
横には木の棒を立てていた。
これはと思って車を停めてみる。
石仏は青面金剛童子像。
肉彫りは深く、風化はそれほどでもない六臂の姿。
法輪、錫杖ははっきりと認識できる石仏である。
右横にある棒はたぶんに旧暦閏年に行われて奉られた庚申塔婆である。
長年に亘って埋もれていた塔婆に願文があるかもしれないと思って、手で祓って土を取り除く。
半面返してみれば文字が見つかった。
「阿沙婆寶家内安全南無青面金剛童子依願満□ 平成二十八年閏六月 庚申□□□五穀豊穣建之本旧 六月七日事 当屋□□□□ □□□□ □□□□ □□□□ □□□□ □□□□」とある。
六人の名の中の一人は昨年の8月に取材したセンゲンサンの件を教えてくださった長老である。
本日の春の行事には来ていなかったが、元気で暮らしているとこの日に聞いた。
(H29. 4.16 EOS40D撮影)
昼前から始まった春の行事取材である。
帰路に就こうとして山から下ってきた。
その一角に石仏があった。
横には木の棒を立てていた。
これはと思って車を停めてみる。
石仏は青面金剛童子像。
肉彫りは深く、風化はそれほどでもない六臂の姿。
法輪、錫杖ははっきりと認識できる石仏である。
右横にある棒はたぶんに旧暦閏年に行われて奉られた庚申塔婆である。
長年に亘って埋もれていた塔婆に願文があるかもしれないと思って、手で祓って土を取り除く。
半面返してみれば文字が見つかった。
「阿沙婆寶家内安全南無青面金剛童子依願満□ 平成二十八年閏六月 庚申□□□五穀豊穣建之本旧 六月七日事 当屋□□□□ □□□□ □□□□ □□□□ □□□□ □□□□」とある。
六人の名の中の一人は昨年の8月に取材したセンゲンサンの件を教えてくださった長老である。
本日の春の行事には来ていなかったが、元気で暮らしているとこの日に聞いた。
(H29. 4.16 EOS40D撮影)