マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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松尾・サシサバのイタダキサン

2017年03月26日 07時11分21秒 | 山添村へ
この年の6月14日のことだ。

毎週、通院している外来棟でばったり出会った。

平成23年のマツリに当家を務めた山添村松尾のH夫妻である。

ご主人は3年後の廻りになった平成26年のマツリでは8人からなる田楽所作をする要人も務めていた。

H家にはマツリだけでなく、家でされているお盆の風習も撮らせてもらったことがある。

平成24年の8月14日であった。

お会いした瞬間にその映像が蘇った。

今もされているならもう一度取材させていただけないかという願いである。

写真家Kの願いでもあるお盆の風習はサシサバのイタダキである。

お願いを叶えてもらうには息子さん夫妻のご協力が要る。

サシサバの作法をするのは生き御霊を称える息子である。

子どもの頃もしていたサシサバの作法であるが、ご結婚されたら夫妻揃っての作法になる。

息子に伝えておくと云っていた夫妻にあらためて電話もしたのは8月に入ってからだ。

念のためといえば失礼になるが、確認の電話に伝えているからその日においで、である。

ありがたい返事に感謝してこの日の朝に伺った。

家に向かう道は家の出入り口。

そこにあったのは燃え尽きた藁である。

ススンボの竹に挿した藁は先祖さんの迎え火である。

前日の13日。

門口の処に立てた藁松明に火を点けたのは午後6時だった。

鉦を打つことはない。

ここら辺りは鉦を打つ風習は見られない。

玄関前にあるのはムエンサン(無縁仏)を祭ったタナ(棚)である。



タナ台に載せたドロイモの大きな葉が一枚。

敷いたその上に柿の葉がある。

それに載せているのは味噌汁に入れていた具材のナスビ。

もう一枚はオガラの箸を置いているオハギだ。

箸があるもう一枚はシンコの名で呼ばれるメリケンダンゴ。

あとはナスビにキュウリ。

精霊馬・牛のようであるが脚はない。

お茶は一杯。

ローソクや線香に火を点けていた。

その線香をさしているのは野菜のナスビである。

挿した穴は線香換えした数である。

13日に先祖さんを迎えたときに祭るムエンサン。

一杯盛ったお茶は度々交換する。

常に新しいお茶に入れ替える。

14日の昼にはイモやカボチャを供えるムエンサンのお供え。

ケンズイのときにはソーメンとモチを供えるそうだ。

座敷に上がらせてもらって先祖さんの位牌を並べた状態も撮らせてもらう。



位牌に記された年代は文化六年(1809)、文政年(1818~)、天保四年(1833)。

当家の歴史を刻む先祖さんの位牌だ。

そこにも様々なお供えをする。

ここでもたえずお茶を入れ替える。

中央にドロイモの葉に乗せたナスビとキュウリ。

黄色のマッカやトマトにモモ、ブドウ、ハクセンコウなどの御供。

両側にお盆がある。



そこにはムエンサンと同様に味噌汁の汁なしナスビを盛ったカキの葉。

もう一枚も同じくオガラの箸を置いたオハギである。

両側数えて8人前である。

朝のお供えはこれだけであるが、お昼はもっと多く、七品のおかずに白ご飯。

おかずはナスビ、カボチャ、ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、サイトマメ(インゲンマメ)、ダイコンを煮たものだ。

お昼過ぎたらケンズイ。

午後3時ころに供えるのは汁なしのソーメン。

夜は帰らはるときで、丸いコモチのシロモチを持って帰りはる。

そういっていたのは奥さんである。

そんな話をしていたころにやってきた息子さん夫婦。



これからサシサバの作法をするのだが、このサシサバはどこで入手したのか、である。

販売しているのは北野や津越の行事で度々お世話になっている大矢商店。

来年もできるかなと云いながらも仕入れているサシサバ。

平成23年の8月13日にお店で売っている状態を拝見した。

松尾の奥さんは値があがったという。

「千円だったが、昔は500円やった」という。

よくよく枚数を考えればサシサバは2尾で1セット。

1尾が500円でサシサバ状態は2尾。

それで千円。

値は合っていたのである。

山添村で売っている開きのサシサバは1尾が500円。

今月1日に拝見した「辻村商店」の売値は一枚が750円。

「たけよし」なら580円だったと話す。

御膳にスイカも供えて先祖さんに向かって座る若夫婦。

お盆に敷いたドロイモの葉に盛ったのが開き状態のサシサバである。

塩をたっぷり入れて漬けこむ。

それを天日干ししてカラカラに乾かす。

表は鯖の皮がよくわかる紋様。

裏はといえば濃いめの茶褐色。

2尾のサシサバの一方をもう1尾の頭に刺しこむ。

裏側であれば刺した姿がよくわかるサシサバは表からだとわかり難い。

頭から頭を刺しこむから「刺し鯖」というわけだ。



両親から「いただいとけよー」と声がかかれば膳を上方に捧げまつるような作法をする。

台詞はなにもない。

ただ、先祖さんに向かってその恰好をするだけである。

サシサバは2尾をワンセット。

これは両親を表現している。

つまりは生き御霊なのである。

両親が生存しておれば2尾をこのような格好で作法をするが片親になればこの作法はない。

両親が揃ってなければできない作法は県内各地でみられたお盆の風習であるが戦後に撃滅した。

何年か前に聞き取り調査をした大和郡山市の事例は多かった。

長安寺町に住む婦人は88歳。

両親が揃っておれば2尾。

片親になれば1尾だった。

伊豆七条町に住む78歳の婦人は片親であれば作法はしない。

白土町に住む80歳の婦人は作法を覚えてないが、ドロイモの葉に包んだミセ膳のサシサバの数は息子の数を並べたという。

先に述べた二人も同じようなミセ膳があった。

ミセ膳が終わればサシサバは食べることができる。

水に浸けて塩抜きをする。

薄味のしょう油に浸して身をほぐした。

カラカラに乾いているからほぐしにくかったが、漬けたらほぐしやすくなると云っていた。

味はといえばだれもかれもが辛いと云った。

そういう話を聞いて大矢商店で買って食べたことがある。

云った通りに辛かった。

ほんまに辛かったサシサバの美味しさがわからなかったが、旨いという人のほうが多かった。



85歳の額田部南町に住む婦人や86歳の小泉町婦人、81歳の白土町婦人、81歳の額田部北町婦人、77歳の横田町婦人、81歳の八条町婦人、84歳の椎木町婦人・・・はサシサバをサッサバと呼んでいた。

出里が天理市南六条、桜井市穴師だった婦人もサシサバ経験があった。

年齢は80歳前後の方ばかりだ。

同じ出里であっても年齢が六つ下の婦人は食べたこともなかったという。

また、御所市野口のお蛇穴や斑鳩町の稲葉では話も聞いたことがなかったという婦人もいる。

こういった聞き取り調査は数年前までに送迎をしていたときの患者さんの体験談である。

あれから5年も経った今も元気でおられるだろうか。

サシサバ風習についてはその後も続けているが、なかなかお会いしないが、奈良市の窪之庄や中畑で今もしていると聞いた。

これもまた高齢者の談話であるが、実際にどういう作法でしているのか拝見していないのでわからない。

尤も松尾で取材させていただいたご家族は14日の朝に食べるという。

焼いて食べる場合は身をほぐして食べる。

酢に漬けて食べる場合もある。

美味しいから大量に買って冷蔵庫で保存している。

食べたくなったら出して食べているそうだ。

81歳の奥さんが云うには、片親、或いは親無しの家の場合は、先祖さんが「帰らはったあとに食べる」と話していた。

サシサバに関わる話題を提供してくれた婦人は息子とともに外にでた。



明日は先祖さんが帰らはる日。

送る松明の準備にとりかかる。

松明は昔から3本。

藁束を挿す竹は青竹のシンダケ(新竹)。

一昨日に6本纏めて作っておいた。

藁束の芯は杉葉だったが、今は新聞紙にしているという。

迎えも送りも門口で藁束に火を点ける。

手ぶらで家に戻って屋内で線香を点けているという。

お盆の風習話しはまだまだある。

ガキサン(餓鬼)のタナ(棚)にあるダンゴは小麦粉かメリケン粉をはたいて作る。

粉は水で練る。

練って丸める。

それを沸騰した湯に入れる。

ダンゴ汁のような感じに茹でて浮き上がったらできあがる。

これをオチツキダンゴと呼んでいる。

今はお店で買っているが、オハギもかつては家で作っていた。

柿の葉はべちゃっとしている黄色っぽい葉。葉は遣いさしをつこうたらアカンという。

13日の夕方にガキサンのタナを作る。

朝、昼、晩にローソクや線香に火を点ける。

昔はチョマ(苧麻)の皮を剥いて乾かしていた。

アカヌキと云って川の水に漬けた。

オガラで梯子を作った。

梯子の段は四段と決まっていた。

普段でも四段目で足を滑らして落ちたらアカンといわれてきた。

祭るヤカタの屋根は桧葉で覆った。

これらは翌朝の15日に仕舞う。

嫁さんをもらったら酢に漬けたトビウオを実家に持って帰ってもらう。

このトビウオも大矢商店で売っていたなどだ。

(H28. 8.14 EOS40D撮影)


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