マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

民俗探訪・明日香村川原・小山田の弁天社参り

2019年08月20日 08時42分32秒 | 楽しみにしておこうっと
昭和62年3月、飛鳥民俗調査会が編集・発刊した『飛鳥の民俗 調査研究報告第一輯(集)』のⅢ章「ムラのしくみとまつり―宮座の祭礼―」に小山田の座行事が記されていた。

詳細はここでは省くが、その項に書いてあった小山田の頭屋の年間行事である。

4月15日、山登りと称して各自は手造りの弁当を持参して弁天社に参ったとある。

今では折詰(の料理)になり、神社の神饌とともに、この行事の世話に頭屋が担っていたとある。

また、毛付日待といって、田植えが済んだときに村中が弁当持参で弁天社に参る。

このときは村から酒が出る。

7月16日は大神宮さんを祭る日。

このときも弁当を持って大神宮さんに参る。

9月16日は風日待。

この日は重箱に詰めた赤飯を作って大神宮さんに参る。

これらすべてを世話するのが頭屋とある。

明日香村の橘寺に立ち寄って、すぐ近くになる大字川原にある小山田(おやまだ)を目指す。

小山田をセットしたカーナビゲーション。

設定した番地は376-1。

そこは弁天社があると推定して出かけた。

設定した地は、山の中。

集落からどの道を辿ればいいのかわからないので車から下りて歩いてみる。

歩き始めたときに屋内から女性が出てこられた。

これ幸いと声をかけて尋ねた弁天社。

その神社は存知しないが、こちらにある道を道なりに行けば神社があるという。

その神社名は宗像神社。

あの海の正倉院としても知られる九州福岡県宗像市田島に宗像大社・沖津宮とどのような関係があるのか・・。

それはともかく帰宅してから知った小山田の宗像神社。

弁財天は神仏習合によって女神・宗像神と考えられたそうだ。

桜井市外山に鎮座する宗像神社は、その説を考えに安政六年(1859)に九州の宗像大社より神霊を迎えて万延元年(1860)に社殿を築造したとあるが、小山田との関連性は不明である。

小山田に鎮座する神社は、村の人曰く宗像神社であるが、『第3次大字川原の景観計画―川原大字の年中行事―』によれば弁天社とも称していた。

明治42年(1909)7月27日に板蓋神社に併合され、現在は旧社に復している。

祭神が市杵島比売命で社殿が春日造りとある。

伺った女性が、当地に嫁入りしたころの子宝願いである。

弁天さんは女の神さんだから、出里の吉野町寄りの大淀町に鎮座する男の神さんに願をかけた。

そうすれば女の子が生まれると云われて参ったが、男の子2人が生まれたという。

女性が嫁入りしたころの弁天さん参り。

弁当を持ち込んで参拝していたが、話しの様相では中断したもようである。

小山田垣内はかつて一つの村で、大字川原の出垣内だった。

その当時は旧村の7軒であったが、ここより下った地に民家が建ったことによって現在は20軒になったそうだ。

さらに話してくれる女性の習俗の在り方。

苗代を作ったらイロバナを立てているが、松苗は見たことも聞いたこともないという。

田植えした苗さんは、家に持ち帰って、苗さんの上にご飯を少し盛って神棚に供えている。

出里の大淀町(※吉野川寄りの集落が考えられる)では苗さんの泥を落として綺麗に洗って乾燥させた。

それを仏壇の仏具(杯とか)を乾拭きする。

磨いたらピカピカになるという。

畑で育てたユウガオを収穫して皮剥きをする。

作業は庭内。

竿干しのカンピョウ作りをしている。

量は家族が食べる分量だから多くはない。

門を出て下ったところに畑がある。

柑橘類や勝手に成長したビワの実は小さいけど甘いという。

その下に蔓延っているのは自生の三つ葉。

三つ葉はかってに拡がったヒトリバエ(※タネが毀れて広がった一人生え)。

畑一面に拡がった三つ葉は、あまりにも多くなったので、鎌で刈って道の駅(※夢の市であろうか)に出してで売っているという。

そのヒトリバエ三つ葉に感動したらいっぱい刈ってくれて、私にくれる。

ありがたく受け取った三つ葉は車の中で美味しい香りが拡がった。

三つ葉はいくらでも増えるから、欲しくなったらいつでもおいでと云われる。

しかも、この日は近くにタケノコも生えているから、今から掘ってあげるから、と云われたが、なんぼなんでもさすがにそれは遠慮させてもらった。

女性が教えてくれた神社への道。

ここから正面に行くならその細い道を左に。

もう一つはもっとわかりやすい。

少し歩いて右へ曲がって道なりに行けば階段がある。

その上に鎮座するのが宗像神社こと弁天社でしょうと云われて歩いて登った。

右折れしたところに2基の石灯籠が建つ。



右が大神宮の石塔で左は庚申塔。

その左に2体の石仏。

一つは庚申さんでもう一つは地蔵さんだ。

前述したが、大神宮さんの祭りごとは7月16日と9月16日である。

機会があれば、早いうちに再訪、取材してみたい地区である。



石塔よりさらに登っていけば石段が見える。

勾配のある石段を登ったら神社があった。



拝殿向こうにある社に参拝。

右にある小社前に大岩が建つ。

刻印は「正一位 小山幸吉大明神」。

お稲荷さんでもなさそうな感じであるが・・。

鬱蒼とする樹木に囲まれる社地。

辺りを見渡しても遠望は望めない。

登ってきた道を下っていた。

左手は竹林。

女性が所有する竹林であろうか。

綺麗に整備されていた。

そこを通りすぎようとした竹林の一角。

不思議な形態が気になって近寄った。

切った竹を竹林の竹に、である。

水平にした竹を縛って固定していた。



1本でなく2本もある。

3本なら三角形。

4本なら四角形になるのだが・・・。

これは何を目的にする構造物なのだろうか。

もしかとすれば三つ鳥居(※三柱鳥居も考えられるが・・)。

で、なければ単に干すための竹竿のように思えてきた。

そこからさらに下って近道を行く。

話してくれた女性の隣家。



奇麗な石楠花の花が咲いていたので塀越しに撮っていた。

よく見れば雨かと思える滴があるが、この日は降っていたのか記憶にない。

ところでこの日に貰った三つ葉は大きな葉に太めの軸。

スーパーで売っている三つ葉に香りないが、貰った三つ葉の香りは凄い。

なんせ帰り道の車内に三つ葉の香りが充満状態。

こんなに嬉しい帰路の車内。

初体験にほっこら。

こんなに香りがある三つ葉は初めてだというかーさん。

5日後に我が家の食卓に登場した料理は鶏肉に玉子とじ。



タマネギも入れて炊いたいわゆる玉子とじ料理。

美味しくいただいた。

(H30. 4.15 EOS7D撮影)
(H30. 4.20 SB932SH撮影)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。