マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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都祁白石町の民俗行事②

2021年01月04日 09時35分51秒 | 楽しみにしておこうっと
国津神社社務所内で行われていた神宮寺の行事。

大字白石の行事である。

この日は虫干し。

大般若経転読法要を終えた地区役員は直会に移る。

その際によばれる仕出し弁当がある。

大字が料理を発注したお店は地元の辻村商店。

店主は十二人衆の一員でもある。

営みの場に運ばれた店主。

行事取材が終ったら立ち寄って、と願われていた。

足を運んだ商店の駐車場に置いてある台。

昨日まで天日干しをしていた刺しサバ作りの場に鯖は一尾もない。

その日まで干していたことがわかる状態である。

それはともかくお店に入って本日に行事に区長を紹介してくださったお礼を伝える。

昼も遅くなったからカップ麺でも食べてけ、と云われて湯を沸かす店主。



ありがたいことである。

この虫干し以外にいくつかの年中行事があるそうだ。

一つは虫干しと同じ場で行われるオコナイである。

Tさんは1月4日だというが、役員の人たちは10日とか。

何年も前に聞いていた日は9日。

どれが本物かわからないのは、おそらく固定日だったのが日曜日に移ったからだろう。

そのオコナイはウルシ棒で叩くというからランジョー(乱声)であろう。

ランジョーもまた大般若経とともに真言宗派の寺で行われている祈祷行事である。

ウルシの木に被れるから手袋を嵌めて所作をしているらしい。

また、興善寺住職は同じく1月に行われる室生の深野に出仕されるという。

そのことは虫干し法要に来られていた住職からも聞いていた。

そのウルシ棒は新芽がある梅の木、サカキの木とともに苗代に立てて水口まつりをするという。

この件もまったく知らなんだ。

隣町の南之庄町で一度見たことはあるが、白石町にあればと思うと胸が躍るが、護符についてはどうもなさそうだ。

白石町の戸数は160戸。

大きな集落である。

大字役員は2年任期の区長を頭に七つの垣内から選ばれた垣内代表とともに活動する自治会組織と、三つの地区に分かれる白石北、中、南地区から選ばれた3人の氏子総代が村行事の任に就く。

また、上・下合わせた宮座十二人衆や一年任期の社守制度がある。

七つの垣内の内訳は水湧(みずわけ若しくはみずわく)垣内の他、東部・都祁・八坂・古市場・南部・丸山がある。

なお、都祁垣内は戦時中に八坂垣内からの分かれである。

ちなみに三つの地区の目安は、といえば、食事処の和食一久がある地区が北。

中は国津神社。

南は辻村商店になるようだ。

国津神社の造営は平成27年10月11日。

本殿が美しくなった。

融通念仏宗派の興善寺も何年か前に庫裏を建て替えた。

そのときの寄進費用もそうとうなものだった。

先に挙げた水湧垣内(水湧之庄)だけで行われる垣内行事がある。

この日は旧寺・公民館で行われる夏神楽がある。

夏神楽はおそらく都祁水分神社の宮司が舞う神楽であろう。

この都祁地域ではまず間違いなく夏神楽をしていると・・。

水湧之庄にハツオウジがあるという。

たぶんに八柱神社のことだと思うが・・。

5月は各家でチマキ(粽)を作って食べる。

また、11月3日はイノコのクルミモチがある。

3日は国津神社のふる祭り。

その日はイノコの日だから各家それぞれがイノコのクルミモチを作って仏壇の先祖さんに供える。

多めに作って親戚に配り、作らない隣近所にもおすそ分けするようだ。

フクマルについて尋ねてみたが、それはどうも耳慣れない言葉のようで・・・。



その代わりではないが、年末に正月の餅を搗いたときにある。

三日月のような形にした餅であるが、店主は団子だというそれを藁で作った「舟」に入れて木にぶら下げる。

その際に発する詞章が「カラスコーイ、モチヤロ(若しくはモチヤルゾ)」である。

平成25年12月28日に取材した天理市藤井の民家で行なわれたカラスノモチと呼ぶ習俗がある。

そのときの詞章は「カラコ カラコ モチやるわ ザクロ三つと替えことしょ」である。

また、平成24年12月31日に取材した奈良市誓多林町・中誓多林の民家はテンノウサンのカラスドンノモチだった。

テンノウさんこと八阪神社に供えるカラスドンノモチには詞章がないが、二つの事例は白石で聞いた「カラスコーイ モチヤロ」によく似ていると思った。

カラスのモチは、桜井市の滝倉にもあった、と聞いた。

後年であるが、令和2年の12月。

なにかとお世話になっている写真家のKさんが、かつて取材したことがある2月行事の正月頭屋にあった。

行事の一環に千本杵で餅を搗く。

マイダマ(※繭玉とも)にカラスノモチ、センゴクマンゴク(※千石万石)と称する餅をつくり、それぞれの儀礼に用いた習わしだった、と伝えてくれた。

詳しく述べるに、マイダマはシダの木の枝にくっつけるようにした餅。

カラスノモチは、藁ヅトに小玉大の餅を12個、閏年は13個詰め、社務所裏に育つ樹木に吊るしておく。

やがて鳥獣がやってきて啄む餅。

これをカラスのモチという。

また、カンセンギョ(寒施行)の習俗もあったようだ。おばあさんがおられた時代である。

太鼓打ちを先頭にヨソの村まで出かけて施行していたという。

その営みは日蓮宗だったからそうしていたらしく、県内事例にある「狐の寒施行」ではなさそうだ。

(H30. 7.22 SB932SH撮影)


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