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マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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激しい腹痛に救急車が向かった先は通院医院のER(緊急救命)

2021年04月25日 08時39分38秒 | むびょうそくさい
朝6時の起床。

いつもの毎日に体重測定に血圧および心拍数の計測。

お茶に豆乳を飲んで1時間もかけて朝刊を読む。

それが毎朝の日課。

それはそれでいいのだが、いつもと違う腹具合。

チクチクからヅキヅキ。

とはいっても疼くような痛みでもない。

お腹が飛び出しそうな激痛が押し寄せてくる。

新聞を読んでいるうちに痛みは激しくなる。

かーさんが起きてきた。

お腹が痛くて、なんかおかしい、と伝えてから排便にトイレ行き。

一昨日までは快便状態。

力を込めなくともするっと。

いや、ずずっと排便したときが気持ちよく、お腹もすっきり、身体が浮くような軽さを感じるときがイチバン。

出なきゃ、ずつないその日を送るが、昼間にもよおして、どばっという場合もある。

そうなればいいと思うのだが・・。

少しは出たかなと思う30分間の籠り時間。

トイレから出ても腹の痛みは強さを増すばかり。

横になっても座っても痛くて我慢できない。

立つことさえ無理な身体状況に、医者行き・・・に運転はできない。

自力不能にどうすればいいのか。

これこそ救急車に頼るしかないと決断してとにかく身づくろい。

重たい服装は身に付けたくもない。

軽い状態にしたい。

そのうち冷や汗というか、汗が滲みだした。

痛みの汗なのか、それとも身体が抑制しようとしているせいなのか・・。

これまで診療したリスト情報に毎朝の体重に朝、昼、晩食後の血圧、心拍数計測値。

排尿の回数に排便状態もあればその日一時的に服用したワソラン錠などなどを記している健康手帳を袋に詰めた。

たぶんに入院、緊急措置が行われるだろう、と思うとりあえずの情報提供の持ち込みしか頭になかった。

そしてコールした救急車。

できるなら昨年の5月に開院した奈良県立総合医療センターに・・。

今後の通院のことを考えれば、歩いて6分で着く医院の方が緊急の場合に供えられるから・・の思いはあるが・・。

以前、通院している天理のよろづ相談室病院の主治医に申し入れたことがある。

主治医の回答は、何事もない現況の通院状態の診療では紹介状は書けない。

症状が極めての場合になれば、それも状態によるが、紹介状は難しいとの回答だった。

朝の腹痛は私にとっては異常な状態。

だったら救急隊員に思いを伝えることは可能だ。

ピーポーピーポーの音が止まった。

お家の前に停車したように思えるが、起き上がれない。

そこへ入室した救急隊員。

早速の作業に入る。

酸素吸入はないが、心電図計測に酸素量を計測する指サックを装着。

症状を確認されて、どこへ行くか。状況を伝えた奈良県立総合医療センターの回答は天理よろづ相談所病院の紹介状がなければ一切受け入れられないという。

念のために連絡し天理よろづ相談所病院も紹介状は発行できない。

万事休す、ではなく至急措置を受け入れたのは天理よろづ相談所病院だった。

患者コードを伝えて走った奈良県広域消防組合大和郡山消防隊の救急車。

地道の平地走行なら30分以上もかかる。

毎回の通院にマイカー利用は信号待ち状態もあるが40分弱。

その間の振動もあるが、少しでも早く着いて、緊急措置を願いたい。

激痛に冷や汗でなく脂汗がにじみでる。

出発したときの喉はカラカラ状態。

冷たいお茶でも飲んでいたら少しでもマシになるかな、と救急隊に要求するが、胃のことだと考えられるので給水は不可。

脂汗、カラカラ喉に唇もカラカラ。

声も出しにくいカラカラ状態に、あとどれくらいで病院に着きますか、の回答は、もうすぐだった。

後でわかった救急車。走ったルートは大和中央道を真っすぐ南に。

西名阪高速道路と交差する大和まほろばスマートインターから高速道。

丁度、降りたばかりの場所。

見たことのあるガソリンスタンドの看板にダンロップが・・。

さぁ、着きましたと云われた処置処は内科型ER救急救命室。

直ちに測定する心電図機器に栄養補給のアセリオ静注液・テルモ生食点滴と痛み止め屯服。

異様な波形に徐脈心拍に医師、看護師は低い・・・。

そう、普段の私の心拍数は45拍~50拍辺り。

イチバン落ち着く徐脈状態。

これが57拍以上、特に60拍を越えた途端にワソラン錠の服用。

循環器内科の主治医の指示のもと、緊急措置を要する場合は自己判断で一時的服用している。

ERに入れ替わり立ち代わりに診る医師、看護師に同じ答えを伝える。

ここには救急救命士もおられる。

救急を呼んでほっとする部屋でもらした、その判断。

「それでいいのです、お年寄りは特に我慢してしまって手遅れになる場合もあるから、直ちに救急車をコールして正解」という。

おふくろの圧迫骨折による症状に初めてコールした救急車。

体験があるから、今回もそうした。

ストレッチャーに乗せられた状態を見るご近所さん。

手を振って、行ってくるわ、と声も出したいが、それすらままならない状態に、不安そうな顔で見送ってくれた。

ER室に横たわった時間は何時だったのだろうか。

9時、それとも9時半。

時間経過がさっぱりわからない。

医師が手配したCTスキャン検査。息はできるから大丈夫。

3年前に発症した僧帽弁破壊のときは肺にたまった水で呼吸困難だった。

そのときよりもまだラクだが、痛みは激痛だ。

検査結果が出るまでの時間が長い。

どれくらい経過したのかわからないが、戻ってきた医師がいうには異常を示す映像はみられなかった、という。

痛みの箇所はみぞおちそのものでなく、丁度その真下くらいの位置である。

胃袋に穴が開いている場合は相当な痛みになるらしいが、穴は開いていなかった。

この辺、どうですか、と痛みの部分を探し出す医師の手。

そこそこ、と伝える痛みの箇所は正面。

胆のうであれば、そこより少し外れた右になる。

その部分を押しても痛くない。

ただ、胆のうは膨らんでいるという。

食事はいつ摂られましたか、に答える昨夜の晩食が最後。

朝は6時に痛みだしたから、かーさんが用意してくれた朝食には一切、手も口もつけていない。

なんせ食べる気がまったくしない食欲不振。

ここ数カ月の晩飯。

食べきってしまったその夜の胃袋はパンパンに膨れ上がっていた。

苦しくて仕方のないパンパン状態も朝になれば消化できたのかすっきりしている。

それが徐々に変化する消化能力。

残さずにおられない晩食に、これもあれも残して明日の朝に廻す。

無理はもう効かない身体だから、晩食の分量を減らしてくれと嘆願していたが、これまで通りの感覚で料理してしまうかーさん。

そのかーさんも小食に移っていた。

残りは私が食べきる。

子どもが小さいときなんか、いつもそうしていた。

家族が食べ残した食事はもったいないからと胃袋に入れた壮年期時代も、なんともなかった。

小食になったのは僧帽弁形成手術にアブレーション治療をしてからである。

心不全の診断を下された3年前から小食に移っていた。

65歳はまだ高齢でない、と思ってきたが、身体、いや胃袋が如実に答えを出す。

尤も、いつも小食になったわけでもなく、たっぷり食べきってしまうこともある。

それが受付けられなくなってきたここ数カ月。

なんとなく感じる消化能力の遅速化である。

朝食のご飯量はもっと早くに対応してきた。

ご飯山盛りなんてとんでもない。

擦り切れであっても食べきれなくなったのは何年も前。

少しずつ減らしていって昨今は小さな、小さなおにぎりの量でないとあかん状態に変化していた。

ご飯を食べる外食は除いて普段なら朝食だけ。

晩食にご飯を食べなくなったのは結婚してからすぐのこと。

大方、40年前に遡る。

朝ご飯の量が減れば、炊飯器に残る量が増える。

2合炊き炊飯器にしても残る量が増えていく。

もったいないから何とかして食べる。

それもできなくなった消化能力の落ち込み。

お腹が痛いのはそのせいだろうと思った。

医師が触診してもわかる胆のうの膨らみ具合。

胆のうは食事を摂れば機能を発揮するが、食べてなければ膨らみ状態。

食べたときに収縮するから、このタイミングの膨らみ具合は食べていないからである。

CTスキャン検査では原因を掴めなかった。

可能性として考えられる胆のう。

より詳しく調べるためにCT超音波エコー検査を・・。

懐かしい通路を車椅子で運んでくれる看護師さん。

入院病棟でしていた検査は、このフロアにある。

周りの景色に変わりはない。

超音波エコー検査はたいがいが20分程度。

仰向けに横向けの身体に機器を当てて検出する。

検査士は終わったことを伝えるが、結果は医師の口から。

戻ってきたER室。

何人かが救急で運ばれた。

一人は入院、一人はそのまま帰宅。

他にもおられたそうだが、状況は見えない。

そのころゲップが出だした。

ゲップはガスの排出を身体が促がしている証拠。

普段ではないが、毎日でもない。

たいがいが晩飯どきに発症するガス溜りに胃が痛くなる事象である。

きゅ―っ、と締め付けられるような痛さに無理やり仕掛けるガスの排出。

それが人工的に行うゲップの吐き出しによって解放される。

胃のガス溜りは、おならと違ってそうするしかないが、すっからかんに吐き出したら実に気持ちは良くなる。

とにかく中途半端な状態は極力避けないと・・、と思っているが・・。

この日は空腹に無理やりゲップ。

何も食べていないから胆汁が出る始末。

そんな状態であってもなんとか気力でガスを吐き出していた。

医師が来られて伝えたことは、胆のうそのものに異常はなく、欠片のようなものが認められたということだ。

それが“悪さ”をしたのかは現段階では不明である。

その不明な点について検査を明日にしたいという。

そういえば、明日の私はひらたクリニックで前立腺肥大症診療の予約を入れている。

その時間帯は午前中。

診察を終えて車を走らせても午前11時までに総合受付は難しい。

その件を伝えたら、本日、これより消化器内科の診察を受けてください、と指示がでた。

診察状態によったら胃カメラや大腸内視鏡検査になるだろう。

午後3時に受け付けてくれた消化器内科は、いつも診察してもらっている循環器内科の向かい側。

ここもまた患者さんは多い。

午後3時までなにも口にしていないが、お腹はまったく食欲不振。

つい30分前までは痛みがあった腹部。

今ではすっかり消えていた。

消化能力が復活したのかどうかわからないが、痛みもない上に溜まった感もない。

パンパン状態だった腹部も柔らかさがみられる。

これはいけそうな感じだ、と思った。

さて、消化器内科診療である。

診てくださった医師はT消化器内科医師。

胆のうそのものには異常はないが、1mm程度の胆石が画像に認められるので、その欠片が何らかの動きをしてお腹の管を一時的に詰まらせた可能性がある。

それが腹痛の原因、とも考えられる、だった。

念のための検査は三つ。

盆明け後に数日かけて行われる胃カメラ・大腸内視鏡・MR検査の手配。

診察をしている段階では、痛みもなにも、すっかりない状態。

横たわって触感で探る腹部状態。

硬さもなく、柔らかい状態であれほどパンパンだった張り具合は消えた。

年齢とともに落ちた消化能力。

これまで通りの摂取量を食べていけば、消化不良に、あるものが胃に残ってしまい、ガスを発生させる。

そのガスが激痛を生み出した可能性もある。

消化器内科の事務職員が伝える絶食に別途特別な3食生活がある。

特別なレトルト検査食は予め、売店購入。

本日は午後5時を過ぎていたので購入は後日診療日である。

注意ポイントを列挙すれば次の通りである。

15日、晩食を21時まで済ませて以降は絶食。

16日、検査までは絶食を続け、飲用は水若しくはスポーツドリンク。

11時より院内にて胃カメラ検査。

18日、朝、昼、晩の食事摂取内容が要注意。繊維が多いものや種のあるものは避ける。

19日、朝、昼、晩は医院指定のレトルト検査食の摂取。

20日、朝食は不摂取。飲用は水若しくはスポーツドリンク。

11時より自宅にて2時間半もかけて対応するモビプレップ下剤(2000ml)・洗腸剤の服用。

14時半より院内にて大腸内視鏡検査。

モビプレップ下剤は内服袋に2000mlの水を投入して混ぜる薬剤。

会計後の薬受け渡し時に薬剤師より特別な取り扱い説明を受けると指示があった。

21日、8時半より院内にてMR検査・心臓超音波エコー検査・心電図・胸部レントゲン検査。

11時より1年ぶりになる心臓血管外科診察。

28日、12時、院内にて消化器内科診察、とする、

すべての予定が決まった。

会計のほとんどが画像診断量料。

支払いを済ませて薬剤部手渡しに、希望した浣腸薬と痛み止めのカロナール錠500mg。

もう一つがモビプレップ下剤であるが、見本を手にして説明を受ける。



説明しているうちに思い出した液体溶剤。

2リッターの溶剤は時間を服用して、何度も何度もトイレに籠ったことを・・。

初めての体験は20年以上も前。

大阪・高槻にある大阪医大付属病院。

肝膿瘍の病にカテーテル処置をする際にした検査は大腸内視鏡検査。

その際に服用する薬剤の名称は覚えていないが、苦労したことは今でも記憶に残っている。

大きなカップに入っている薬剤を飲んでトイレで排便。

水洗に流さず、便器に溜まった状態。

排便の都度に呼び出す看護師さんが便の状態を目で見て確認する。

便があれば流して、次のカップを続けて飲む。

そして排便。便の検査・・。

これを繰り返して1ミリの便もなく透明な水だけになったときにOKが出る。

お腹は痛いというか、トイレから病室に戻った途端にもよおし。

尻穴を手で抑えながら入院棟の廊下を歩く。

トイレに入ったとたんに流れるシャーーーー。

たしか6回くらい繰り返して、もうそろそろです、と。

何度も、何度も繰り返す排便の辛さは今でも記憶に残る大腸内視鏡検査の事前準備。

2回目は内痔核を取り除く処置をしたときだ。

およそ10年前になるだろうか。

2度目は慣れがあるから心の内は余裕もち。

ただ、どちらも入院棟での処置。

これを自宅でするのは初体験。

さてさて、どうなるやろか。

それよりも気になるのは下剤の効き目がどれほど残るか、である。

自宅で大腸内を、すっからかんの奇麗な状態にするのは構わないが、検査時間に間に合うように車を走らせなければならない。

走行中に下剤が効いて漏らしたら、どうしよう。

自宅から早く着いても30分間。

信号待ちにイライラしそう。

これが心配のタネであるが・・・。

さて、本日の救急診療を終えて自宅に戻ろうとした際に気づく足もと。

そう、救急車で運ばれたものだから下履きがない。

慌てていたから忘れていたことに気づく。

院内移動はERの表示があるスリッパを借りていた。

そのスリッパで帰るわけにはいかない。

さりとてわざわざ下履き靴を買うこともない。

実は、消化器内科診察待ちに売店で買っていた。

入院棟で掃くような上履きである。

尤も、その上履きでバス、電車はみっともない。

いや、そんなことよりバス、電車の乗り換えは自信がない。

こういうときはやむを得ない。

と、いうわけで外来棟前に待機していたタクシーの利用。

医院から自宅まで走ったタクシー会社は長柄タクシー。

5800円のタクシー代をクレジットカード払いで支払った。

自宅に戻ったのは午後6時。

何事もなく戻ってきたがクタクタ。

晩食はいつもより思いっきり量を減らしていただいた。

その晩の腹具合。

特になにも起らなかった。

(R1. 8. 7 SB805SH撮影)