マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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毛原の行事に再び目覚める

2016年12月08日 08時42分08秒 | 山添村へ
ここ数年、山添村毛原の長久寺を訪ねていた。

同寺住職は定住する住職ではなく京都東寺から来られる住職と知ったのが一昨年だった。

この長久寺では毎月のお勤めに村の大師講の人たちが参られる。

大師講のお勤めは21日であるが、都合によってはその日より前にする場合もあると聞いていた。

2月の子ども涅槃のときもそうである。

平成22年、23年、26年、27年に訪れたがいずれも日程を外した。

特定日でなく寺住職の都合に合わせて実施されている。

再訪したこの日は21日。

お大師さんの縁日でもあるし土曜日でもある。

この日であれば外れることはないだろうと推してやってきた。

が、である。

お寺参道は獣除けの柵がしてあった。

寺家にはどなたも居られない。

待っていてもたぶんに今日ではないと判断して下る。

以前にも尋ねたF家も不在だった。

仕方なく構造改善センター前に停めた車に乗り込んで移動しようと思った。

が、またもやの、が、である。

センター玄関前に今までなかったモノがある。

掲示板のようだ。近づいてみれば翌月の6月の村行事が案内されていた。

当地に来るまで通過してきた村がある宇陀市室生の下笠間だ。

ここでは随分前から村の年中行事を告知している。

告知する掲示板は黒板だ。

白墨で書かれた年中行事を見てから親しくさせてもらっているⅠ家に立ち寄ることが多い。

毛原はこれまでそういった告知はなかった。

村以外の者でも判る年中行事に目が行く二つの行事。

ひとつは6月5日の「端午の節句」。

もうひとつは6月25日の「田の虫送り」だ。

6月19日は「植付け篭り」も表示してあった。

これは聞かねばならないと思ったが村人の姿が見えない。

さて、どうするかと思案していたら軽トラが目の前を通って県道下の敷地内に入っていった。

村の人の帰還と判断。

これを逃しては機会損失。

車を降りるなり声をかけさせてもらった。

事情を伝えて知りたい神社行事を尋ねる。

毛原の氏神さんは八阪神社。

一度だけ取材させてもらったことがある。

毎月一日に参集される再拝だ。

再拝と書いて「さへい」と呼ぶ行事は平成22年の4月1日に訪れたことがある。

「さへい」は朔幣や佐平と書かれる地域もあるが、毎月一日に氏神さんに参る日。

一般的には月並祭と呼ばれている月初めの参拝である。

6月行事に書いてあった「端午の節句」は同神社の年中行事。

宮守こと一年任期の村神主四人が務める。

四人の構成はホンカン(本音)と呼ぶ主たる村神主が一人。

毎日の清掃がたいへんだと云っていたことを思いだす。

もう一人はジカン(次音)と呼ばれる次の年にホンカン(本音)と呼ぶ主たる村神主になる人。

その二人に二人の「ミナライ」がつく。

一年を担うのであるが、服忌になるやもしれない。

その場合は神社行事に仕えることはできない。

一等親であれば半年。

でなければ49日の服忌期間を経てから戻る。

それを「マクラナオシ」と呼ぶようだ。

四人ともずっと健在でいることは難しい。

なにが起きるや判らないからミナライまでもつけるということだが、実際は見て、体験して覚えるということだろう。

さて、「端午の節句」が気になったのはチマキである。

旧暦節句の6月5日であればチマキが登場する可能性が大きいと思ったのだ。

尋ねたKさんは前年のホンカン(本音)だった。

服忌ではないが、病に伏した。

入院手術もした。

退院してからも難儀な身体になった。

家を出て歩くのもそろりそろり。

処置して貰った病院は現在私も通院中の病院だ。

病状は異なるが辛さは理解できる。

私同様に最近になって専ら動けるようになったそうだ。

立ち話で教えてくださった「端午の節句」のチマキは隣村の大字勝原にある「上島製菓」。

甘い和菓子専門のお店に頼んで作ってもらうチマキは粳米が主分。

味が若干ことなることから何かを入れているらしいという。

後ほど聞いたF婦人の話しではモチ米を加えているようだ。

チマキはたぶんに米粉を水で練った団子のようなもの。

長く伸ばしてカヤの葉で包む。

縛るのはたぶんにチガヤであるかも知れない。

団子は作ってもらうがカヤの葉に包むとか縛るとかはホンカンらがしなければならないようだ。

チマキは5本組に縛る。

これが難しいと云う。

神社に10本。

神社境内にある神武さん(神武天皇遥拝所)にも10本。

そこより少し登ったところにあるコンピラさんには5本。

逆に神社より下った左寄りのイナリさんにも5本。

合わせて30本を先におましておくと云う。

それから皆が揃って参拝するらしいが10人ぐらいであるようだ。

平成22年に訪れた再拝のときもそれぐらいだったことを思いだす。

今年からは供える30本にしたが、昨年までは村の各戸に一本ずつのチマキを配っていたという。

手間と費用の関係で抑えたようだ。

ちなみに4月も節句がある。

4月3日は神武さんでもあるし、旧暦節句の桃の節句でもある。

そのときのお供えはヨゴミ。

ヨモギが訛ったヨゴミである。

3月半ばころから芽が出だしたヨゴミの葉を摘み取る。

背負う籠いっぱいに詰め込む。

2杯半も収穫するのはたいへん。

ちなみに何年か前にホンカンを務めたF家の奥さんもたいへんやったという。

端午の節句の材料はカヤの葉の刈り取り。

県道下に生えている葉幅が太くて長いカヤの葉を選んで刈り取ったと話してくれた。

毎日は神社の清掃が欠かせなかった。

ご主人は勤め人。

朝早くに参拝を済ませて仕事に向かう。

そのあとの清掃は奥さん一人。

雪が降る日を除いての毎日。

午前10時ころまでかかったという。

話しを戻してヨゴミに移る。

摘んだヨゴミは蒸して柔らかくする。

それを米粉に混ぜて練る。

三升も作るからそうとうな量である。

6月の行事は神社行事でなく寺行事もある。

それが「田の虫送り」である。

Kさんの話しによれば現在の営みは拝みだけのようだ。

村役、檀家総代らが集まって拝む。

終わって酒を飲み交わす。

かつては拝みでなく火を点けた松明を翳して村中を歩いていたという。

その様子は隣村の下笠間と同じように集落から室生川へと練っていたようだ。

なお、トンド焼きはかつて2カ所で行われていたが、下笠間同様に一カ所に集約された。

(H28. 5.21 SB932SH撮影)