マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

高家の西に建つ石仏にイロバナ

2016年11月11日 08時05分51秒 | 桜井市へ
八釣の総代家で聞いたナエノマツにイロバナ。

来年はぜひとも伺いたいものだ。

道を戻ることなく集落を突っ切って登っていった。

右横に社そうがある。

どうやらここが弘計皇子神社のようだ。

そこよりさらに登ったところは三叉路。

右手をふとみれば石仏が建っていた。

側面に「無縁法界三界萬霊供養」の刻印がある。

右側面も刻印があったが詳しくは拝見していない。

この無縁佛石仏を建立したのはどこの地区なのか。

帰宅してからマップで位置を探ってみれば「高家(たいえ)」のように思えた。

先だって拝見した稲渕の石仏もイロバナを供えていた。

ここもあったイロバナ。

萎んでいるような状態でないイロバナ。

優しい気持ちがよく伝わる風情にしばらくは佇んでいた。

(H28. 5. 3 EOS40D撮影)

八釣のナエノマツ・イロバナ立て

2016年11月11日 07時56分26秒 | 明日香村へ
明日香村の稲渕入りする道は常に桜井市の安倍から山田を抜けて行く。

飛鳥資料館前を通り過ぎて左折する。

この通りは信号もなく渋滞することもない。

連休中であっても渋滞に見舞われたこともない穴場の道。

左折してしばらく走れば田園が見られる。

広がっているわけでもない処に苗代があった。

ここを通るのは前日の2日に1日、それに4月29日も、である。

記憶は定かでないが、田に水を張っているところもあれば苗床もあったと思う。

気にはなるものの先を急ぎたいから途中下車はできない。

時間、心の余裕があれば是非とも確かめてみたいと思っていた。

ふっと気がついて停車した場は八釣橋。

下に川が流れている様子はない。



暗渠で覆った水路は「第29号隧道」。

蓋をしているので流れを拝見することはできない。

これは吉野川分水における一部で見られる敷設である。

うち、東部幹線水路は御所市~高取町~明日香村~桜井市~天理市~奈良市~大和郡山市へと続く吉野川分水のようで、八釣橋から下る水流はコンクリート製と思われる天井川のような水路。

これは開渠の仕組み。

隧道(トンネル)から暗渠へ。

そして、開渠から勾配地はサイホンという組み合わせで水路を繋げている。

稲渕のU家の苗代作りの取材を終えて戻る道に車を停めた。

松苗の出所を知りたくて付近を散策する。

近くに農小屋があった。

そこでは苗箱に土入れをしていた。

苗代の持ち主は隣家の総代家。

そこが田主と教えてもらって数歩。

お家から出かけようと車に乗り込みかけた婦人に話しを聞く。

苗代は5月1日に作って飛鳥坐神社で行われたオンダ祭の松苗を立てたと云う。



松苗は神社役員が村にもってくる。

色褪せないように陰干し。

水鉢に浸けて保管していたという。

苗箱は420枚。

品種は奈良県推奨のヒノヒカリが主であるが、モチ米も作付する。

かつてはアサヒモチであったが、現在はハブタエにしていると云う。

田植えは来月になるが、ここ八釣だけでなく遠方にも、である。

十市や橿原市の一丁田の曲川もある。

総代家の作付面積は広大でもあるし、多方面に亘る。

八釣の戸数は7軒。

小さな村であるが、立派な氏神さんも鎮座しているという。

その神社に毎日のオヒカリを灯す。

廻る順番を示す「バンチョウ」があるようだ。

たぶんに充てる漢字は「番帳」であろう。

八釣はかつて9軒だった。

代が途絶えた家もあれば村から出られた家もあって今では7軒という。

その神社の所在地も確かめたかったが先を急ぐ。

後日に調べてみれば弘計皇子(おけおおおじ若しくはをけのみこ)神社だった。

近飛鳥八釣宮(ちかつあすかのやつりのみや)の伝承地でもあるようだ。

教えてくださった総代の奥さんは「おけの・・・」と言いかけていたので間違いないだろう。



ちなみに総代家の向かいの家もイロバナを立てるらしい。

苗箱に土を入れておられたので近々に苗代作りをされるのであろう。

(H28. 5. 3 EOS40D撮影)