年に一度は季節に応じた民俗映画の上映会が開催される奈良県立民俗博物館。
今回は「冬の暮らしとまつり」をテーマに奈良県教育委員会が製作した教育番組『大和路の文化財』シリーズより選んだ「鬼の文化」・「山の神まつり」を上映される。
昨年末からコーナー展示されている「山の神への供え物」と合せて視聴すれば理解が深まる。
上映が始まる直前に拝見したコーナー展示に学芸員より写真協力の要請を受けて提供した山の神の写真がある。
一つは山添村春日の「カギヒキ」。
二枚目は山添村菅生峯出の「勧請縄の男木・女木」。
三枚目は奈良市柳生町山脇の「山の口講の山の神参り」。
四枚目は東吉野村木津川下出の「山の神御供」だ。
壁にもあるし床にもあるさまざまな供え物は現物寄贈された品々。
今では中断されて見ることもできなくなった貴重な品もある。
気になっていたのは山添村菅生の「農林業模擬道具」と「名刀模擬用具」だ。
この年の1月7日に訪れた山添村菅生の大垣内。
時間帯は遅かったが一人の男性が山の神参りをされたのだ。
男性は度々の行事取材でお世話になったUさん。
山の神の場で話して下さった山や農のミニチュアや刀のことである。
今では供えることはなかったが、県立民俗博物館の依頼でそれらの道具を作ったそうだ。
作ったのは男性の父親。
供えることもなく博物館に寄贈したと話していた。
それが今回日の目を見ることになった。
学芸員より連絡があって展示したいという申し出だ。
ミニチュア道具は隣垣内の後出や峯出垣内で拝見したことがある。
今年もそうしていたと聞いている。
大垣内の道具はどのような形であったのか確かめたかったのだ。
スキ・クワやヨキ・カマ・ツチなどがある。
刀には「山神様 御祝儀」の墨書があった。
本来、供えられた刀には金額が書いてある。
大垣内にはそれがない。
ということは供えたものでなく作って寄贈されたものだと思ったがそうではなかった。
後日、学芸員に問い合わせた結果、裏に金額が書いてあるそうだ。
寄贈されたのは大垣内のU家。
1978年と書いてあることから、昭和53年。
今から37年前に作られ供えられた道具であったのだ。
隣には収集地山添村とあるクラタテ。
中央の柑はコウジミカンであろう。
四方に幣を括りつけているクラタテ。
山添の各大字ではあまり差異のない造りである。
さらに珍しいものがあった。
菅生で木場と呼ばれる地域を区分けしたなかの大垣内や峯出に見られる和合の印だ。
これらはたまたまご一緒した元大和郡山観光ボランティアガイドクラブの男性と手品をされる登録ボランティアの女性とともに拝見した。
短い時間だったが上映される前に山の神について解説させていただいた。
2階に上がって上映会に臨む。
臨むといってもこの日は一般の視聴覚者。
休憩を挟んで二本立て映像を見る。
1本は平成8年に制作された「鬼の文化」。
鬼の信仰や歴史文化を知る短編映画だ。
鬼が現れる行事がある。
節分行事に登場する鬼や五條市大津町の念仏寺陀々堂で行われる「鬼走り」行事などが映し出される。
つい最近もニュースで取りあげられた天理市藤井町で行われた「鬼打ち」行事もある1月・2月に相応しい映像を見る。
古くから鬼への恐れがあった。
鬼は魔除けにもなった。
護符にも登場する鬼。
曼荼羅図にもある鬼は身近なところにも現れる。
屋根で睨みを利かせる鬼瓦だ。
鬼は隠れている場合もある。
鬼の文字が初めて登場するのは古事記。
万葉集にも出てくるそうだ。
斉明天皇が崩御されたときには鬼が現れたという記述があると画面が伝える。
鬼はウシトラ(艮)の方角にいる。
丑と寅の姿が日本の鬼。
鬼瓦は鬼神。
出土した木簡に鬼の呪符がある。
閻魔十王図や地獄絵図にも登場する。
役行者像には前鬼・後鬼がいる。
鬼子母神もある。
いろんな場面に登場する鬼ではあるが場面は移って「鬼走り」行事。
入堂する場面に飾られた鬼面の映像だ。
応仁の乱が鎮まった十年後の文明十八年(1485)の銘がある鬼面。
530年前の室町時代の安定期に制作された。
須弥壇の壁を棒で打つシーン。
阿弥陀さんの肩叩きと云われる所作である。
ホラ貝の音が鳴りわたるなか、カツテ役が所作をする松明。
「水」の文字を書くように松明をふり廻す。
火伏せの行法である。
父鬼、母鬼、子鬼が次々と登場しては松明を抱えて堂を巡る。
20年前に収録された映像。
今でもかわらないほどの大勢の観客がお堂の前に立っていた。
カメラマンの数は今より少ないが、かぶりつきの様相はかわらない。
大きな変化は最近流行りのスマホなどで撮る人たちはまったく見られないことだ。
場面はかわって節分行事。
興福寺で行われる追儺会。
ホラ貝が吹かれ、ジャンジャンと打つ半鐘の音。
かつては大晦日に行われていた宮中行事だったが、室町時代に民衆化されて寺の節分行事になった。
豆打ちも同じ室町時代に始まったと伝える。
ヒイラギイワシの風習もこのころの時代のようで、民衆化されて全国各地に広がった。
長谷寺の「だだ押し」も追儺会であるが、ここでは修二会の結願として行われている。
大和郡山市矢田寺の練り供養も紹介される。
4月24日に行われていた図絵や写真で映し出された。
今では見ることのない貴重な映像だ。
映像は明日香村の鬼の俎板や雪隠も登場する。
最後は「鬼ごっこ」遊び。
宮廷行事には鬼乞いもあったそうだが・・・。
休憩を挟んで再び上映会。
今度は平成3年に制作された「山の神まつり」だ。
晩秋から1月にかけて行われる山の神行事。
山の信仰に基づいて山の仕事の安全を祈る山の神まつり。
コーナー展には供えられた道具を展示しているがモノを云わない展示物。
映像を見ることによって理解に役立ててもらうのであるが、残念ながら今では見られない映像もあると前置きされる。
まつりの在り方や形が変化した行事もあるが、貴重な映像を見られて、「山」をどう考えるか、である。
「山」はどこにあるのか。
地域性もみられる山の神まつり。
「田」から「山」をどう見たのか。
山仕事に携わる生業の場。
農耕にとって水源地になる大切な「山」。
先祖さんは普段はどこにいたと考えていたのか。
先祖さんがあるときには「山」から下りてきて「田」に豊饒をもたらすと考えられていたと前置き解説された。
トップ映像は東吉野村の山の神。
山に祀った祠が山の神だとアップする。
地域によっては「山ノ神」を彫った石が山の神だった。
山仕事に向かうオダさんを映し出す。
山行き道具を背負って出かける姿。
参るときに家の山の神に柏手を打って手を合わせる。
山の仕事は厳しく危険も多い。
ひとつ間違えば命を失うかも知れない。
安全に仕事ができるように願って手を合わせる。
仕事が終われば無事に終えたと山の神に感謝する。
民間信仰として多くの地域でそうしてきた。
場面はかわって十津川村の小坪瀬。
山の神に参るのは11月7日。
前日にケズリバナ(ケスリカケとも)を作るタナカさんが映像に登場する。
これが何を意味しているのか判らない。
県内各地でよく見かけるとアナウンスしているが、ケズリバナ(地区によってはカンザシ)は十津川村や上北山村・下北山村などの奥深い地方に限る。
展示列品を拝見して多様な作りであることが判った。
2本のケズリバナは山の神参りをする朝に出かける。
アズキダンゴは7個作って供える。
山の神には7人の子供がいると伝える。
お供えは魚などもあった。
山の神は家ごとにある山の守り神。
暮らしの一部として代々継いできた。
家の裏山に登って菊の花を飾った「山之神」に手を合わせる。
東吉野村のある大字の映像が映し出される。
なんとなく木津川のように思えた映像は初山の山の神。
午前中に魚の模型を作る。
大字ごとにそれぞれの山の神がある。
山仕事道具の模型なども青なえていた。
場面は転じて山添村の菅生。
5カ所に山の神がある。
ウシロデ地区と伝えていたことからおそらく後出であろう。
そこには山の神の石がある。
早朝に個人、個人が自由に始める「クラタテ」。
半紙を広げた四方に竹を挿す。
中央の竹にはミカンを挿す。
当番の人はミニチュア模型のスキやクワを供える。
五穀豊穣を意味する道具だ。
「クラタテ」を建てた次は藁で作る「ホウデン」。
中には小さな石を詰めて木にぶら下げる。
「ホウデン」の数は数本ある。
その木は「カギ」と呼ぶ。
「カギ」は大樹に引っかけて引っぱる仕草をする。
いわゆる「カギヒキ」の作法である。
盆地部でも行われているところが多いと紹介されたが、あり得ない。
それからトンドでモチを焼く。
新年を迎える親睦会でもあるモチ焼きには焼いたモチにクシガキを挟みこんで食べる。
菅生の山の神は峠とか村の出入り口にある。
村に悪いもんが入ってこんようにしていると話す男性。
いまから24年前の映像は若かりし頃の姿を映し出す。
当時60歳だった人は84歳。
今でも元気かどうかは存知しない。
今の顔と映像の顔と一致しないのだ。
モチ焼きを終えたら太い縄を結う。
それは「龍」に準えたものだと伝える。
太い縄には太い房(ホウデン)も作って取り付ける。
それにも石を内部に納める。
5、6メートルにもなった縄は山の神に生える樹木に掛ける。
ご神木だと伝える。
一年前に供えた刀と新しく作った刀を縄中央辺りで串刺しする。
一年前の刀は上から、新しい刀は下からだ。
上下逆に挿して出来あがった縄はカンジョウナワと呼ぶ。
山の神さんは女の神さん。
女性は立ち入ることのできない場。
女の神さんが喜ぶモノを供える。
山添村の事例では「ホウデン」がそうだ。
自然崇拝の原型ともされる山の神は日本古来の在り方であろうと締めくくられた。
(H27. 1.25 SB932SH撮影)
今回は「冬の暮らしとまつり」をテーマに奈良県教育委員会が製作した教育番組『大和路の文化財』シリーズより選んだ「鬼の文化」・「山の神まつり」を上映される。
昨年末からコーナー展示されている「山の神への供え物」と合せて視聴すれば理解が深まる。
上映が始まる直前に拝見したコーナー展示に学芸員より写真協力の要請を受けて提供した山の神の写真がある。
一つは山添村春日の「カギヒキ」。
二枚目は山添村菅生峯出の「勧請縄の男木・女木」。
三枚目は奈良市柳生町山脇の「山の口講の山の神参り」。
四枚目は東吉野村木津川下出の「山の神御供」だ。
壁にもあるし床にもあるさまざまな供え物は現物寄贈された品々。
今では中断されて見ることもできなくなった貴重な品もある。
気になっていたのは山添村菅生の「農林業模擬道具」と「名刀模擬用具」だ。
この年の1月7日に訪れた山添村菅生の大垣内。
時間帯は遅かったが一人の男性が山の神参りをされたのだ。
男性は度々の行事取材でお世話になったUさん。
山の神の場で話して下さった山や農のミニチュアや刀のことである。
今では供えることはなかったが、県立民俗博物館の依頼でそれらの道具を作ったそうだ。
作ったのは男性の父親。
供えることもなく博物館に寄贈したと話していた。
それが今回日の目を見ることになった。
学芸員より連絡があって展示したいという申し出だ。
ミニチュア道具は隣垣内の後出や峯出垣内で拝見したことがある。
今年もそうしていたと聞いている。
大垣内の道具はどのような形であったのか確かめたかったのだ。
スキ・クワやヨキ・カマ・ツチなどがある。
刀には「山神様 御祝儀」の墨書があった。
本来、供えられた刀には金額が書いてある。
大垣内にはそれがない。
ということは供えたものでなく作って寄贈されたものだと思ったがそうではなかった。
後日、学芸員に問い合わせた結果、裏に金額が書いてあるそうだ。
寄贈されたのは大垣内のU家。
1978年と書いてあることから、昭和53年。
今から37年前に作られ供えられた道具であったのだ。
隣には収集地山添村とあるクラタテ。
中央の柑はコウジミカンであろう。
四方に幣を括りつけているクラタテ。
山添の各大字ではあまり差異のない造りである。
さらに珍しいものがあった。
菅生で木場と呼ばれる地域を区分けしたなかの大垣内や峯出に見られる和合の印だ。
これらはたまたまご一緒した元大和郡山観光ボランティアガイドクラブの男性と手品をされる登録ボランティアの女性とともに拝見した。
短い時間だったが上映される前に山の神について解説させていただいた。
2階に上がって上映会に臨む。
臨むといってもこの日は一般の視聴覚者。
休憩を挟んで二本立て映像を見る。
1本は平成8年に制作された「鬼の文化」。
鬼の信仰や歴史文化を知る短編映画だ。
鬼が現れる行事がある。
節分行事に登場する鬼や五條市大津町の念仏寺陀々堂で行われる「鬼走り」行事などが映し出される。
つい最近もニュースで取りあげられた天理市藤井町で行われた「鬼打ち」行事もある1月・2月に相応しい映像を見る。
古くから鬼への恐れがあった。
鬼は魔除けにもなった。
護符にも登場する鬼。
曼荼羅図にもある鬼は身近なところにも現れる。
屋根で睨みを利かせる鬼瓦だ。
鬼は隠れている場合もある。
鬼の文字が初めて登場するのは古事記。
万葉集にも出てくるそうだ。
斉明天皇が崩御されたときには鬼が現れたという記述があると画面が伝える。
鬼はウシトラ(艮)の方角にいる。
丑と寅の姿が日本の鬼。
鬼瓦は鬼神。
出土した木簡に鬼の呪符がある。
閻魔十王図や地獄絵図にも登場する。
役行者像には前鬼・後鬼がいる。
鬼子母神もある。
いろんな場面に登場する鬼ではあるが場面は移って「鬼走り」行事。
入堂する場面に飾られた鬼面の映像だ。
応仁の乱が鎮まった十年後の文明十八年(1485)の銘がある鬼面。
530年前の室町時代の安定期に制作された。
須弥壇の壁を棒で打つシーン。
阿弥陀さんの肩叩きと云われる所作である。
ホラ貝の音が鳴りわたるなか、カツテ役が所作をする松明。
「水」の文字を書くように松明をふり廻す。
火伏せの行法である。
父鬼、母鬼、子鬼が次々と登場しては松明を抱えて堂を巡る。
20年前に収録された映像。
今でもかわらないほどの大勢の観客がお堂の前に立っていた。
カメラマンの数は今より少ないが、かぶりつきの様相はかわらない。
大きな変化は最近流行りのスマホなどで撮る人たちはまったく見られないことだ。
場面はかわって節分行事。
興福寺で行われる追儺会。
ホラ貝が吹かれ、ジャンジャンと打つ半鐘の音。
かつては大晦日に行われていた宮中行事だったが、室町時代に民衆化されて寺の節分行事になった。
豆打ちも同じ室町時代に始まったと伝える。
ヒイラギイワシの風習もこのころの時代のようで、民衆化されて全国各地に広がった。
長谷寺の「だだ押し」も追儺会であるが、ここでは修二会の結願として行われている。
大和郡山市矢田寺の練り供養も紹介される。
4月24日に行われていた図絵や写真で映し出された。
今では見ることのない貴重な映像だ。
映像は明日香村の鬼の俎板や雪隠も登場する。
最後は「鬼ごっこ」遊び。
宮廷行事には鬼乞いもあったそうだが・・・。
休憩を挟んで再び上映会。
今度は平成3年に制作された「山の神まつり」だ。
晩秋から1月にかけて行われる山の神行事。
山の信仰に基づいて山の仕事の安全を祈る山の神まつり。
コーナー展には供えられた道具を展示しているがモノを云わない展示物。
映像を見ることによって理解に役立ててもらうのであるが、残念ながら今では見られない映像もあると前置きされる。
まつりの在り方や形が変化した行事もあるが、貴重な映像を見られて、「山」をどう考えるか、である。
「山」はどこにあるのか。
地域性もみられる山の神まつり。
「田」から「山」をどう見たのか。
山仕事に携わる生業の場。
農耕にとって水源地になる大切な「山」。
先祖さんは普段はどこにいたと考えていたのか。
先祖さんがあるときには「山」から下りてきて「田」に豊饒をもたらすと考えられていたと前置き解説された。
トップ映像は東吉野村の山の神。
山に祀った祠が山の神だとアップする。
地域によっては「山ノ神」を彫った石が山の神だった。
山仕事に向かうオダさんを映し出す。
山行き道具を背負って出かける姿。
参るときに家の山の神に柏手を打って手を合わせる。
山の仕事は厳しく危険も多い。
ひとつ間違えば命を失うかも知れない。
安全に仕事ができるように願って手を合わせる。
仕事が終われば無事に終えたと山の神に感謝する。
民間信仰として多くの地域でそうしてきた。
場面はかわって十津川村の小坪瀬。
山の神に参るのは11月7日。
前日にケズリバナ(ケスリカケとも)を作るタナカさんが映像に登場する。
これが何を意味しているのか判らない。
県内各地でよく見かけるとアナウンスしているが、ケズリバナ(地区によってはカンザシ)は十津川村や上北山村・下北山村などの奥深い地方に限る。
展示列品を拝見して多様な作りであることが判った。
2本のケズリバナは山の神参りをする朝に出かける。
アズキダンゴは7個作って供える。
山の神には7人の子供がいると伝える。
お供えは魚などもあった。
山の神は家ごとにある山の守り神。
暮らしの一部として代々継いできた。
家の裏山に登って菊の花を飾った「山之神」に手を合わせる。
東吉野村のある大字の映像が映し出される。
なんとなく木津川のように思えた映像は初山の山の神。
午前中に魚の模型を作る。
大字ごとにそれぞれの山の神がある。
山仕事道具の模型なども青なえていた。
場面は転じて山添村の菅生。
5カ所に山の神がある。
ウシロデ地区と伝えていたことからおそらく後出であろう。
そこには山の神の石がある。
早朝に個人、個人が自由に始める「クラタテ」。
半紙を広げた四方に竹を挿す。
中央の竹にはミカンを挿す。
当番の人はミニチュア模型のスキやクワを供える。
五穀豊穣を意味する道具だ。
「クラタテ」を建てた次は藁で作る「ホウデン」。
中には小さな石を詰めて木にぶら下げる。
「ホウデン」の数は数本ある。
その木は「カギ」と呼ぶ。
「カギ」は大樹に引っかけて引っぱる仕草をする。
いわゆる「カギヒキ」の作法である。
盆地部でも行われているところが多いと紹介されたが、あり得ない。
それからトンドでモチを焼く。
新年を迎える親睦会でもあるモチ焼きには焼いたモチにクシガキを挟みこんで食べる。
菅生の山の神は峠とか村の出入り口にある。
村に悪いもんが入ってこんようにしていると話す男性。
いまから24年前の映像は若かりし頃の姿を映し出す。
当時60歳だった人は84歳。
今でも元気かどうかは存知しない。
今の顔と映像の顔と一致しないのだ。
モチ焼きを終えたら太い縄を結う。
それは「龍」に準えたものだと伝える。
太い縄には太い房(ホウデン)も作って取り付ける。
それにも石を内部に納める。
5、6メートルにもなった縄は山の神に生える樹木に掛ける。
ご神木だと伝える。
一年前に供えた刀と新しく作った刀を縄中央辺りで串刺しする。
一年前の刀は上から、新しい刀は下からだ。
上下逆に挿して出来あがった縄はカンジョウナワと呼ぶ。
山の神さんは女の神さん。
女性は立ち入ることのできない場。
女の神さんが喜ぶモノを供える。
山添村の事例では「ホウデン」がそうだ。
自然崇拝の原型ともされる山の神は日本古来の在り方であろうと締めくくられた。
(H27. 1.25 SB932SH撮影)